| コラム 2004年2月 |
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2月23、24日と、大町市 木崎湖に、竹内絵画勉強会のスケッチ旅行に行って来ました。中央道、豊科ICを下り、白馬、大町へ向かうにしたがい、雪が降り始め、雪景色を描く目的のスケッチ旅行には最適な空模様となりました。途中に立ち寄った美麻村の雪に埋もれた茅葺きの集落は、それこそ、絵に描いたような美しさでした。 木崎湖に着いた時には、雪がますます激しくなり、やむなく、旅館の部屋より、雪の木崎湖を描く事になりました。寒がりの私にとっては、とてもラッキーな事でしたが、【実際に、寒さに震えながら戸外で苦労して描いた雪景色と、温々とした部屋の中で描いた雪景色とでは、出来上がった絵が全然違いますよ】と竹内氏は話されていました。人に訴えるものが違うのでしょうね。 また、上の写真は、木崎湖沿いの風景をデジタルカメラで撮したものですが、雪が降り続く湖面、桟橋に係留されたボート、湖沿いの歴史を感じる古い木造旅館等々、どれも絵心を誘われる風景でした。講師の竹内氏は、この写真の中で、【白い雪の道路に残った人の足跡が印象的ですね】と言われました。同じ雪景色を見ても、感じ方がいろいろあるのだなあと思ったしだいです。 |
高校の上伊那支部の同窓会に久しぶりに出席して来ました。信州人はどこに住んでいても県人会組織を作り、県歌「信濃の国は十州に。。。」を誇らしげに大合唱すると、他県の人から揶揄(やゆ)されているようですが、高校の同窓会でもしかりで、私たちの校歌「赤石山は巍々として。。。」を、上は80才代の人から、下は20代の若者人まで、仲良く、声を張り上げ歌ってしまうのです。さらに、近所にあった女学校の校歌まで歌ってしまうと云うオマケまであり、皆、ニキビだらけの高校生にかえったかのようでした。 懇親会では高校時代(戦前卒業された方は中学時代となりますが)の思い出話に花が咲いたのですが、第二次世界大戦中に学生生活をおくった先輩の方々の、「中学を卒業し、予科練に進みました」とか「戦争が終わった時は本当に嬉しかった」などと云った話はとても印象的でした。 私の高校時代は60年安保のまっただ中で、教師は授業中に「私、国会にデモに行って来まして。。。」と云う話をしたり、生徒総会には卒業した先輩がオルグが来たり、生徒も安保反対のデモ行進に参加といった状態でした。 卒業して40年以上経ても、当時の安保闘争が昨日のように思い出されるのは、印象に残る出来事だったのでしょうね。 さて、現代の高校生は学生生活を楽しくおくっているのでしょうか。それとも、「♪青春時代の 真ん中は 胸に刺射すことばかり。。。」なのでしょうか。 |
♪日ロの戦争大勝利・・・と云う歌があった記憶があります。歌手は守屋 浩さんだったような気がします。インターネットで検索してみたのですが見あたりません。私の勘違いだったのでしょうか。今年は、その大勝利した「日ロ戦争」開戦100周年です。この戦争は、日本がロシアに対して宣戦布告し始まり、日本海海戦で、連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破り、日本が勝利しました。 飯田市の元善光寺に行きますと、日ロ戦役30周年を記念して、昭和11年に開かれた弓道の百射会の奉納額が本堂正面に掲げられています。6尺×3尺はありそうな立派な額です。そこには、参加した人の名前と成績、そして、額の中央には大きな字で日ロ戦役30周年と書かれています。戦前の日本人にとって「日ロ戦争」の勝利は、記憶に残る大事件だったのでしょうね。 それにしても、なぜ弓道の百射会にまで、何々戦争勝利記念弓道大会と云ったような名前が付けられたのでしょうか。武道の一つである弓道が、大戦前、日本と列強との対峙の中、国威高揚のために利用されたのでしょうか。武器としてなら、弓は竹ヤリとあまり変わらないでしょうから、精神的なものだったのでしょうね。 最近は、冬季オリンピック長野大会記念とか、大きなスポーツイベントを記念した大会が見受けられます。平和で有り難い事です。間違っても、「テロ国家、ならず者国家との戦役」戦勝記念何々大会などと云った、記念大会が開かれない事を願います。ブラックジョークではすまされませんから。 ★上の写真は元善光寺の本堂に掲げられている、日ロ戦役30周年記念百射会奉納額 |
一番大きな松茸や大物のイワナなど、その年の「駒ヶ根市
市民チャンピオン賞」と「写真で見る駒ヶ根再発見」の選考会があり、私が応募した「桜と菜の花」の写真が幸運にも、その一枚に選ばれました。撮影した桜は、一年ほど前、ウォーキングの途中に見つけた小さな木なのですが、桜が咲いたら、きっと中央アルプスとの対比が面白いだろうなあと思っていたものです。撮影時、桜の木の下には、菜の花が満開と云うオマケまであり、残雪の中央アルプスをバックに、穏やかな春の風景が撮れ、大満足でした。 「写真で見る駒ヶ根再発見」は、全国的にも、住みやすい町の一つと云われる、ここ駒ヶ根市の良さを再発見するのが目的だそうですので、スナップ写真でもOKのアットファミリーな企画です。ぜひ一度応募して見たらいかがでしょうか。 また、選考された写真は、地元紙に掲載して頂け、私の場合、知り合いの方より、「桜の写真が新聞に載っていたね」とか、「写真をやっていたんだ」などと、お電話を頂きました。写真の応募が、私の「近況報告」みたいになり恐縮していますが、ありがたい企画です。 先頃、プロ野球の近鉄球団が、球団名を何十億円で売買すると云った報道がありました。売買の対象が、無形の「名前」で、新聞の解説によりますと、「名前・露出度」の売買と云う事になるそうです。アメリカなどでは、日常的に行われている商行為だそうです。「露出度」と云う言い回しは直訳的で、何となくしっくりきませんが、「名前・露出度」が売買される時代となったのですね。 となると、私の拙い(つたない)「露出度・写真」を選んで頂いた選考委員の方には、感謝、感謝です。。。 |
この所、東京地裁の判決で、私のような庶民には、戸惑いを感じる判決が、二つ続いてありました。 一つは、警官殴り逃げた不法中国人への発砲、違法と認定… 職務質問を受けて逃走し、警察官に拳銃で背中を撃たれた中国人男性(34)(服役中)が、東京都(警視庁)に約3700万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、都に約630万円の支払いを命じた。 もう一つは、青色発光ダイオード(LED)を開発した米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(49)が、開発当時勤務していた日亜化学工業(徳島県阿南市)に特許権譲渡の対価の一部を求めた訴訟の判決で200億円の支払いを命じた。 どちらの判決も、地裁での判決ですので、判決に不服なら上告する道があるとは云え、社会常識から、あまりにも逸脱した判決ではないでしょうか。 まず、不法中国人への判決は、来日外国人による凶悪犯罪より、日本国民の生命と財産の安全が脅かされている現状の認識が全くない、のう天気なものです。盗人に追銭とは、この事かもしれません。 青色発光ダイオード裁判の200億円判決は、いくら中村修二教授にその権利があるとは云え、200億円となれば、私の住む駒ヶ根市の年間予算よりも多い金額です。あまりにも、アメリカナイズされた要求であり、また、お金万能の判決ではないでしょうか。 私たちは、島津製作所の田中耕一さんが、ノーベル化学賞の受賞者に選ばれたおり、皆、田中耕一さんのファンになってしまいました。それは、その発明が優れたものであるとか、経済的な波及効果が大きいものであるとか、そのような理由でファンになったのではありません。お金には、あまり執着せず、作業着姿で、好きな研究に没頭する田中耕一さんに拍手を送ったのです。私たちが、かって持っていた、勤勉で誠実な日本人の良さを、田中耕一さんの中に見つけたのではないでしょうか。 上の二つの、東京地裁の判決は、グローバル化の時代とは云え、日本人の庶民感情を無視した、おかしな判決としか思えません。大岡越前さんなら、どのような判決をくだしたでしょうか。 |