| コラム 2004年5月 |
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皆中 稲荷神社(かいちゅう いなりじんじゃ)と云う名前の神社が東京の新宿にあるそうです。この名前の由来は、寛永年間に、幕府が「鉄砲百人組」をこの付近に住まわせたことから、「皆中」を「みなあたる」と読むことで縁起がよいとされ、この名前になったといいます。 現代では「みなあたる」ところから、競馬ファンや宝くじファンのご利益スポットになり、一攫千金を夢見る参拝客で賑わっているそうです。 弓道でも、発射した矢が全部 的に中ることを「皆中」と云います。 百発百中すると云うこんな有り難い神社が近くにあったら良いですね。 私なら、弓の大会の度に、練習不足を棚に上げ、「皆中」しますようにと、二礼二拍手一礼し、神頼みしてしまいます。 ご利益スポットと云えば、下伊那郡阿智村の暮白滝での「かわらけ投げ」はどうでしょうか。 京都神護寺名物「かわらけ投げ」に倣ったもののようですが、小さい素焼きのかわらけに願い事を書き、水切りをするように暮白滝に向かって投げるものです。(一枚で百円?) 案内板によりますと、かわらけが右に回って落下して行くと「金運」有りとなっていました。 我が家の奥さんが代表して投げたのですが、かわらけは、見事に大きく右に円を描きながら滝つぼに向かって落下して行きました。今回の「ドリームジャンボ宝くじ大当たり!」。。。 近所の神社仏閣などで、開運、ご利益、占い情報を調べるのも楽しいかもしれませんね。 以外とあなたのご近所に、例えばスポーツなどの勝負事で、お参りすると必ず勝つとか、隠れたご利益スポットがあるかもしれませんよ。 ★上の写真は下伊那郡阿智村の暮白滝。この滝つぼに向かって「かわらけ」を投げ祈願するのです。 |
淡島千景さん、淡路恵子さん主演の『毒薬と老女』とても楽しい舞台でした。当初、ベテランの女優が主演のお芝居だから、きっと落ち着いた内容なのだろうなあと思って見ていたですが、全くの大違、主役のお二人は、慈善の「殺人」が生きがいと云う、恐ろしくも、へんてこなお話なのです。 舞台は第二次大戦の始まる前のニューヨーク、ブロードウェイでも上演された作品ですが、もし、これが大阪が舞台で、吉本新喜劇で上演したら“どんなんかなあ〜”と思ってしまうような、ドタバタで楽しいスリラー喜劇でした。 出演された倉石功さん(長野出身)、渋谷哲平さんも大変良かったのですが、やはり、ヒョウヒョウとした演技を見せる淡島千景さん、淡路恵子さんは素晴らしいですね。 お二人で何歳になられるのかは、定かではありませんが、その演技力、特にお二人の「発声」は見事でした。他の演技者の方は、皆お若く、大きな声を出されていましたが、声が割れて、しゃべっている内容が分からない所もありました。それに比べ、お二人は小さな声で会話されている場面でも、遠くの客席まで良くその内容が聞き取れるのです。 上演された駒ヶ根文化会館は、舞台専用のホールではありませんので、音響がイマイチかもしれませんが、お二人の女優と若手演技者の方々との違いが、私のような素人でも分かりました。この違いは何なんでしょう。毎日の稽古なのでしょうか。それとも、持って生まれた天性なのでしょうか。お二人の女優に脱帽。。。たまには生の舞台も良いですね。 |
5月の連休明け、阿智村園原部落の奥まった所にある神坂神社に行って来ました。この神社には、万葉集防人(さきもり)の歌を刻んだ「万葉歌碑」があります。「ちはやふる 神の御坂に幣まつり いはう命は母父がため」... 荒ぶる神の領域である神坂峠に「幣」を手向けて我が身の安全と無事に帰還することを祈るのは、故郷の父母のためである...という意味だそうです。 九州へ異国警護の兵士として徴発された東国の若者が、神坂峠を越えていく時、もう親には会う事が出来ないかもしれないが..との想いもあり歌ったのでしょうか。 防人の歌の中には、涙無くしては詠めないものもあります。 「唐衣袖に取り付き泣く子らを置きてぞ来ぬや母なしにして」...すがり付き泣く我が子を残して九州へ出兵して行く自分、母のいない私の子はどうなってしまうのでしょうか...幼子を残し出兵し、そして、もう帰れないかもしれない父親の心境を考えると、何と言って良いのか。。。 防人は東国の人たちが選ばれ、任期は3年でしたが、無事に故郷へ帰ることが出来ず、無念にも途中で行き倒れとなった人たちも沢山いたそうです。 現在、イラク復興のため多くの自衛隊員が派遣されています。ご苦労様です。 防人の時代から千年以上も経った今。。。戦争、戦争です。人間って、あまり進歩がないのでしょうか。 ★上の写真は神坂神社です。境内には樹齢1000年以上の杉の古木もあります。 |
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岡山大学名誉教授 川上一巳先生の「人物画クロッキーの実技」教室に参加させて頂きました。(左の写真)私、学生時代 、縁あって、川上先生が名誉教授をされている大学の美術同好会に所属していた事があります。 今回の講座は、絵に熱中していた若い頃を思い出し、 少し“センチな気分”にもなりました。 講座では、先生は、小学生の方をモデルに、楽しい会話をしながら、デッサンされ、出来上がった作品は、モデルになった子供さんにプレゼントされていました。 地元の岡山県でも、先生は、子供さんをモデルに人物画を描き、その絵を子供さんにプレゼントされ、絵画の普及活動に貢献されています。頭の下がる思いです。 講座後、先生が師事された中村琢二画伯についてのお話をお伺いしました。 画伯は90才になられても、お元気で絵を描かれ、お歳を取ると共に、ますます、穏やかで優しい絵になられたそうです。 先生が子供さんに向ける優しい眼差し、そして、子供さんを相手に、楽しそうにデッサンされる様子・・・ 目指されているもの・・・、中村琢二画伯の穏やかな絵の中にあるのでしょうか? ★中村琢二画伯(1897〜1988) 新潟県出身、帝国東京大学経済学部卒業、安井曾太郎に師事し、一水会の創立に参加。信州の風景を愛し、多くの作品を残している。 |
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