ギャラリー図南
今村由男展(1996年6月)に寄せて。
北日本新聞より
稲塚展子 富山県立近代美術館学芸員
版の技法駆使し
微かな感触再現
画面は遠目に見れば大胆でシンプルに構成される。土壁を思わせるベージュ(あるいはグレー)と墨黒の面と大きく分かれている。近寄るとそれらの地色に溶け込むように置かれた金や銀の箔の上には、葦のシルエットや、川面の波紋が浮かび、所々には星座や月の運行表が置かれ、更に放物線や格子が置かれる。銅版画というと、どうしてもエッチングやアクワチントといったように繊細な線の集まりや、微妙なグレーの階調で作り出されるものが思い浮かぶ。今村の作品も、エングレービング(銅版に直接描線を彫り付けて版を作る)による銅版画の一つとして位置付けられるのであろう。しかし、その画面の上では、多様な版の技法が駆使されている。
まず金や銀の箔を押すといったように紙そのものに手が加えられる。エングレービングによる線。台紙に様々な素材を貼り付けて凹版をつくるコラグラフ。星座など気に留まった図像は特殊な技法で画面に転写される。
銅版画の可能性を試すかのように、いくつもの技法を駆使しているが、作者がそれに振り回されているということはない。幾重にも版を重ねることは、そのまま、脳裏に浮かんだイメージに一歩ずつ近づける作業なのだろう。
ある画面に刷り込まれた、複雑な海岸線を思わせる形をした青い部分は、錆びた鉄板の破片を版として用いたものだという。それは、今村が制作を続ける古郷の飯田で拾ったもので、自然に錆びたものなのだが、彼のT拾得物Uはこの鉄板だけではないような気がする。そのとき耳に聞いた草のざわめきや、川面を渡ってきた水気を含んだ風など、目には見えないものたちも拾ったのではないか。言葉を押殺したような、禁欲的ともいえる表現を通して、それらの微かな音や感触をそのまま拡大することなく、研ぎ澄まされた画面に置かれているのだ。
ギャラリー掌
今村由男展(1998年2月)に寄せて。
中日新聞より
井上昇治 中日新聞編集局文化部
滅びゆくものに
美的な姿見る
風景の中に自分を投げ込み、その中のささやかな存在に、目を向ける。小さく、目立たず、忘れさられたようにあるものに。切なげに生き、はかなくついえていくまったき生物の体に。中には化石となって、かつて存在した姿を知らしめるものもあるだろう。それらを追憶し、壁の上に編み込んでゆく。赤土や漆喰あるいは鉛板などの上の、ごみ、ちり、ぺんぺん草、木の葉…として。レリーフオブジェといわれる彼の作品では、全体が厚みのある壁のように形づくられ、その表面にそうした形象が刻まれ、あるいは転写される。手法は異なるが、銅版画でもそうしたイメージは共通する。昨年9月から3ヵ月間、文化庁の特別派遣でパリに滞在し、銅版画の最も古い技法であるビュラン彫を研修した。パリ滞在の報告といえる今回の個展の作品からは、同じ壁でも石造り文化の歴史を感じさせるような、欧風の壁を意識させられる。くすみ、風雨にさらされ浸食され、古代の貝殻が化石となってのこるような石壁。それはまた、パリ特有の空気に触れ、その街の光に染まっている。その壁が実に美しく見える。今村自身そうしたものにひかれる心性を「滅びの美学」と自己分析する。いささか手あかのついた表現だが、彼の場合これほど的を射た言葉はないのかもしれない。滅びゆくかそけき存在の、消尽されるものとしての美的な姿を愛する今村は、人間をそれらより一段上の特別な存在とは見ない。そのほかの事物や生きものと同じ地平にたつがゆえに、その滅びにカタルシスを感じるのだ。1948年、長野県生まれ。
アトリエ訪問
2003年5月13日付け信濃毎日新聞より部抜粋
植草学 信濃毎日新聞社許0408501
今村由男さんの作品は古い。いや、流行遅れという意味ではない。大昔に制作されたという意味でも無い。まるで何十年もの歳月に耐えてきたかのような表情をたたえている、という意味だ。
みずみずしいというよりは枯れたような草花。すすけた金属のような物体。日焼け、色あせ、しみや傷のような部分。どこまでが作家の描いた部分で、どこからが完成後の歳月による変質なのか、見る者を戸惑わせる。実際にはすべて今村さんの手になる、狙い通りの表現なのだが。「日にさらされたもの、枯れていくもの。そんなものに心をひかれるのは確かです。僕は喬木村の生まれなんですが、表現のもとは子供の時に故郷で体験したさまざまな感覚、古い記憶ですね」
例えば、夕方、遊びほうけて家に帰る道すがら通った暗い沢、怖くて見上げた空、日没とともに刻々と天を満たしていく星…。「その光景そのものではなく、そこから受けた、言葉にならない感覚を表現したいんです。見るもの聞くもの、世界の何もかもすべてが初めてで新しかった、少年時代のあの感覚を」その感覚を表現して見たいという欲求は、中学生の時に芽生えていたらしい。
「当時、1970年代の美術で先端とされたのは理論的、観念的な作品だった。まず理論があり、その理論に合致する作品でないと見向きもされないという雰囲気でしたね。僕も抽象的な絵画などを発表して、ぽつぽつ入選もしたんですが、だんだん理論的制作に疲れてきて…」
そんな時に出会ったのが銅版画だった。「雑誌の特集で見て『これだ』と思った。まず理論ありきでなく、身近で日常的なイメージを、こんな風に表現できるのか、と新鮮に感じたんですね」。銅版画の技法を一から学び、三十代初めから版画家として歩み始めた。
その出発が遅かったせいか、今村さんの技法の工夫に熱心で、凝る方でもあるようだ。例えば画面の色あせたような部分には、紙のうらから木版で絵の具を刷るという珍しい技法を用いている。絵の具が紙の表ににじみ出て、あせたような色に見えるのだ。
一方、黒色の部分は紙の表に銅版で刷ってある。そのインクはかすかだが紙の上に盛り上がる。その強い線が、紙の裏から浸透して現れた淡色と相まって、枯れたような表情を醸す。銅版を刷る前に金属の箔を施すこともある。これも版画では意外な表現で、ふすま絵のような「古さ」を感じさせる効果を生んでいる。
「何でも新しさが第一とされる現代ですが、本当のところ、新しさや古さとは一体なんなんでしょうね。少なくとも芸術においては、新しさだけが唯一の価値観ではない。銅版画は数百年の歴史をもつ古い技法だからといって、もはや現代人を魅了しないというわけではありませんし」
今村さんの作品が「古い」のは、世界のなにもかもすべてが初めてで「新しい」と感じた子供の時の記憶を刷り込んでいるからなのだ。
南信州新聞社1999年元旦号より
村沢聡
自照の旅
灰色の雲が飛ぶオランダ空は、からりと晴れたパリの空とは違う。光が変わった、とでも言ったらいいのか「そう言えば、ゴッホはこの空がいやで南フランスへ渡ったんでしょうね。」ハーグへ向かう高速列車の中で、版画家がつぶやいた。しっとりと落ち着いたたたずまい。古い煉瓦造りの建物が並ぶハーグの街を歩きながら、版画家は自らの体質を語る。「こういう風景が好きですね。明るい色は似合わない。くすんだ色で、何処か寂しくて、私の作品世界に近い。どうも北側とか裏側のイメイジですかね。」
しっかりした構成力と落ち着いた色彩。硬質な抽象表現でありながら、その中に具象的な叙情詩を散りばめた独自の作品世界。マチエールは、寂しさをたたえ冷たい陰影の光りを放つている。
今村由男氏は1948年喬木村に生まれた。伊那山脈に近い谷あいの懐。いちめんの自然と透き通る空気の冷たさ、原風景だ。銅版画家としての出発は遅かった。三十代初めに、東京芸大教授で版画家の中林忠良氏の作品に触れる。何度か同氏を訪ね、寡黙に技術や技法を習得した。
89年、ニユーヨーク国際ミニアチュールプリントビエンナーレで受賞。以後、海外での数々のコンクールに出品、受賞。米国の美術商、ザ、トールマンコレクションに見い出され瞬く間に国際舞台へ。昨年、銅版画の原点とも言えるビュラン彫りを学ぶため、文化庁派遣の特別研修員として渡仏。三ヶ月の滞在期間中、時をたがわず欧米での初個展がハーグで開かれた。日本の骨董品も扱うギャラリーには白壁の間を活かして、古い和だんすとの絶妙なバランスで今村作品が並ぶ。今村作品のもつ「日本的情趣」に最初に着目し、その魅力を最大限に引き出したのが日本人でなく、オランダ人だったと言うのは皮肉でもある。そのオランダでもう一つ、衝撃的な出会いが待っていた。世界美術史上最大の画家の一人と言われる、レンブラントの版画作品。「この人の描写力はすごいですよ。ニードル一本でつぶさに光の陰影まで全部写し取っている。しかも名刺のような小さな画面に。」
十七世紀のオランダでは、画家と言えば肖像画家だった。相手は貴族ではなく商人。商人の世界は、注文した「商品」どうりのものが出来なければ突き返すか、金を払わないのが常識だ。レンブラントの構成力と描写力は商品に過敏な商人相手の”商業美術”と言う現実で鍛え上げられた技ともいわれる。
商業デザインの技法さえ独学で身に付け、職業デザイナーとしての地位も不動のものにしている今村氏は、まさに商人相手に自らの技を磨いてきた伊那谷のレンブラントではないか。
レンブラントはしかし、芸術家の本心とは掛け離れていく商業美術の枷に抗って破産、晩年は不遇のうちに死を迎える。競売に付され、今は記念館になっているかってのレンブラントの家の前で、版画家がまたつぶやいた。「いやですね。他人事ではないですよ」明るい陽光のパリより北海に近いオランダ、さらに北にあるフィンランドが好きだという今村氏は、例えると世界を巡る”船乗り”でもある。かってのオランダ漁船は羅針盤さえ持たず、船乗りは自分の機敏さ、観察力、そして船を操るための絶えない精神の集中力だけを頼りに海へ乗り出した。北の方角に懐かしいにおいをかぐ伊那谷の船乗りは、どの海に向かうのだろう。