2011年8月
モロッコ アシラ市(Asilah)アートフェアー
招聘 滞在版画制作

人は何処から何処へ
モロッコ滞在制作記 1
今村由男
遥かモロッコにて
人生の目的とは何なのだろうか?人は何処に向かって生きていくのだろうか?旅は人生の拠り所の所在確認でもある。
モロッコ北部、大西洋に面したアシラ(Asilah)市で夏に市を上げて芸術祭が開かれる。アシラ市はその昔ポルトガル人が築いた城壁がぐるりと旧市街を取り囲み現在はその中に美術館やギャラリー、音楽ホール、宿泊施設、アトリエ、更にはレストランも完備されている。建物は鮮やかな紺色の窓と白壁に統一され、大西洋を見下ろす絶景と相まってギリシャと見まごうほど美しい所だ。
毎年行われる芸術祭はさまざまな催し物が一ヶ月に渡って繰り広げられアトリエでは世界各国から20人ほどの画家や版画家が招かれて一ヶ月近く滞在制作をする。私以外にフランス、アメリカ、スペイン、クエート、シリア、コロンビア、ペルー、セネガル、ブルキナファソなどから多士済々の作家が集まった。
7月の初めにパリの工房コントルポアンから赴く作家とパリで落ち合いモロッコに向かった。彼はキューバ生まれの気の良いおじさんといった風情でくったくの無い性格には滞在中ずいぶんと助けられた。
パリのオルリー空港を飛び立ったモロッコ行きの小さな飛行機はピレネーを超えるとジブラルタル海峡を眼下にどんどん高度を下げ海面すれすれにタンジェ近郊の小さな空港に舞い降りた。灼熱の滑走路に降り立つと同行の彼はハットハットハット(ホット暑い)と叫ぶ。彼はアンセルモセルベスと長ったらしい名前なので以降ハット氏と言うことに。入国審査を終えロビーに出ると美術館から迎えが来ている手はずなのだが見当たらない、背の高い黒スーツ姿のモロッコ人が紙切れのメモをかざしているが自分の名前ではなさそうだ、が何度か見ている内にMrEMMAURA?のメモは自分のことだと気が付いた。黒スーツ氏の運転するプジョーは真新しい高速道路を南に疾走し40分ほどで海の見えるアシラ市に着いた。古い城壁をくぐりごった返す人混みをよけながら車はゆっくりと進み白亜の美術館に到着した。

コカコーラに酔う?
モロッコ行きを推薦してくれたパリのエクトール氏の話だとモロッコではコカコーラに酔うのだと言う、?はてと思ったのだが、厳格なイスラムの社会でお酒は御法度なのだ。そこでヤミのワインを買いコカコーラの空き瓶に移し替えてもらうのだと言う。にわかには信じられないのだがそんな機会が案外早く訪れた。アトリエでは何不自由無く制作をしていたが、誰が言い出したのだろうか多分陽気なハット氏だろう。豪華なモロッコ料理のディナーを住ませるとコカコーラの空きボトルを携えて版画チームは案内役のモロッコ人氏の後に付いて出かけた。芸術祭の期間中は内も外も夜になると人があふれ、人混みをかき分けて新市街地の路地に入ると案内役のモロッコ氏は看板も出ていない店にするりと入りこんだ。どさくさに紛れるように店内に入るとモロッコ産のビールやワインが所狭しと並んでいる。ハット氏が各自から50ディラハム(モロッコ紙幣)をひったくり何本かのワインを購入。ボトルに移し替えてもらうような悠長なものではなく緊張感のなか逃げるように店をでた。途中、レストランのウェイターに黒いビニールに入れてもらったワインの栓を途中まで抜いてもらい、アトリエ屋上のテラスに戻り酒盛りとなった。大西洋の夜の潮風を受けながら久しぶりにいただくワインはさっぱり解らないスペイン語や彼らの笑いそして星空の美しさとともに格別なものになった。

モロッコ滞在制作記 2
お国柄
様々な人種が集まって制作をしていると民族の違いが面白い。アフリカ勢は民族衣装を着てまるで歌うように踊るように描く。ブルキナから来ていた氏はユーモラスですぐうち解けた。彼はまた買い物にご執心で市場で生きたエスカルゴを見つけると気に入ったらしく購入。ブルキナに持ち帰り庭に放し飼いにするのだという。少し早く帰国した彼は飛行機の中どうやって持ち帰ったのか定かでは無いが無事放し飼いができたのであろうか?アトリエのメンバーで彼のアトリエにエスカルゴを食べに行こうと盛り上がった。
スペインから来ていたまだ若い彼女は長い黒髪を丸めて絵筆を突き刺して留めている。サムライ版画家?と目が合うと頭にさしてある絵筆を電光石火の早業で引き抜くとチャンバラの真似をしてくれる。そんな仕草がなんとも可愛らしい。アトリエの作家達は総じて明るいが極東組はなんだか陰気な感じが漂っていたのではないだろうか。パリ在住の野口氏も私もひたすら机にしがみつくように銅板に向かい、彼はベルソーという道具で銅板にひたすら点点をうがつようにして修行僧のようだし私もビュランという道具で線彫りの仕事で負けず劣らず陰気な気配。それでも私の刷りを腕組みで見ていたハット氏は来年、今村工房で制作したいと言う。本当かどうか解らないが今村版画造形初の外国からの研修生か。他にもスペインやコロンビアの女性も我が工房に来たいと言う。極東組の評価は高いのかもしれない。
言葉は世界を巡る
テレビか何かで有名な絵本作家が言葉は出来なくても世界の旅は出来るというような話をしていた。身体を移動するだけの旅ならよいが、今回のように様々な国の面々が一緒に制作するとなるとそうでもない。
モロッコはフランス語とアラビア語なのだが遠くシリアやクエートから参加していた作家たちにもアラビア語はそのまま通じるらしくアッラーの偉大さを感じない訳にはいかない。アトリエの公用語は専らフランス語、セネガルやブルキナから来ている彼らは流暢なフランス語だ。遠く極東から参加の小生は英語と必要の無いハングル少々、フランス語がわずかに解る程度。アトリエのメンバーは英語で話しかけてくれ、大いに助かった。とは言え各国の面々の喋る英語はそれぞれのイントネーションが違い耳が慣れるまでは解らない事も多く、食事時になるとテーブルでは様々な言葉が飛び交い落ち着いて食べていられない。それでも心が通じ合う瞬間があると嬉しい。思うに日本人の多くがすでにたくさんの英単語を日常使っている。最初に意思を表す言葉に後は単語を並べたら案外通じるので勇気を持って一言発してみたらと思う。滞在制作が終わってシャルルドゴールの空港で帰りの飛行機待ちに一人テーブルでビールを飲んでいると向かいのカナダ人の若い兄ちゃんが話かけてきて案外すらすらと下手な英語で会話している自分に驚いた。
モロッコは寒い!
到着の日だけは滑走路に陽炎が見えるほど暑かったが翌日からはうって変わって昼間は爽やかな陽気、朝夕は長袖が無いと寒いくらいだ。慌てて長袖を買った。
滞在中、民族音楽などのコンサートがいくつも行われ主催者が良い席を用意してくれていた。その日もモロッコの民族音楽が行われていて素晴らしい声量と上手な歌声にはすっかり魅了されたがうっかり半袖短パンだったのが災いして冷房が寒くて両腕肘を抱えて寒さをしのいだ。もう寒さの限界と思ったが、コンサートは最後の盛り上がりを見せ歌手と会場は一体となって延々と掛け合が続く。その中、クレーンのようなテレビカメラがなめるようにVIP席を監視しているので、中座もままならず、恨み半分、必死で耐えた。



モロッコ滞在制作記 3
懐かしい光景
申し分ない環境で制作の日々を過ごしていたものの城壁に囲まれたこの中にいるとなんだか牢獄生活のように思えてくる。主催者が気晴らしに一日だけマイクロバスの旅に連れ出してくれた。
アシラの町から真東にティトゥアンと言う町に寄って王様の立派な宮殿を見たり市場で買い物をしたりして漁港で昼食になった。もうもうと煙りが漂い、粗末なテントがいく張りも設えられていてテントに座るとまだ若い男の子が丸くて大きなパンをテーブルに投げるように配ってくれる。ほどなくイワシと海老の焼いたものが出てきた。この地の名物なのだろうか、塩をまぶして焼いただけのシンプルなものなのだが、久々の塩味の魚は美味しくてむさぼるように食した。それに箸休めのタマネギのみじん切りが美味しかった。
モロッコ北部、山懐に抱かれるようにある町シャウエンに向かう途中、マイクロバスの心地よい揺れにうとうとしているとバスは夕暮れの山道を走っていた。日本との時差が9時間あり、日が沈むのは夜の9時近くになってからだ。眼下には干上がった涸川に夾竹桃のピンクの花が鮮やかに、道端には帰宅する人々や夕餉の準備をする人々、缶けりなのか鬼ごっこなのか解らないがこどもたちは遊び呆けている。今の日本ではあまり見られなくなった人々の暮らしの光景がそこにあり、自分の貧しかったこどもの頃の暮らしが甦った。
絵で生きる
フランス在住30年の版画家、野口明美氏(男性)とはずいぶん前にパリに留学した折りノルマンディーを一緒に旅をした事がある。彼はモロッコでの滞在も多く作品の素晴らしさで着実にモロッコのファンを増やしている。氏はモロッコ滞在後半になって他の作家と作品を携えてスペインの対岸の町タンジェにあるギャラリーに出かけた。いわゆる営業だ。作家は作品だけを作っていればそれで良いのだと言う言葉が聞こえてこないでもないが、ましてや外国で地歩を築くとなるとこれは至難のこと。一枚の版画に全精力を傾けて生きる、それが出来なくなればホームレスを選ばなければならない。そうした事を好ましく思わない人も当然いるしあからさまに批判する向きもあるがそれは作家で生きるという勲章のようなものだ。
外国で地歩を築くにはてっとり早い国際展というものが世界各国で開催されている。公の美術館や大学、町おこしに近いものや作家を顕彰したものさらに民間ギャラリーが主催するものなど様々だ。中には評価されたいという願望を巧みにくすぐる出品料目的の悪質なものもある。国を上げて開催する公の美術館から民間ギャラリーのコンクールそれに怪しげなものなどと同じ土俵で語れない。出品者本人が一番解っている。
何処から何処へ
最後にこれは書くべきかどうか悩んだが結びの意味合いを込めてありていに書くことにする。
奇しくもモロッコ滞在最後の朝、朝食を済ませるといつものようにアトリエ屋上に向かった。仕事前に野口氏とは小一時間、雑談を毎朝の愉しみにしていた。その日は珍しくアトリエの他のメンバーやモロッコ人らが眼下の海岸を凝視していてハット氏にどうしたのかと聞くと彼は無言で海を指さした。その先にはすでに息絶えているらしく両手を広げ仰向けの女性が波間に漂っていた。海岸から警察官らしき二人が海に飛び込みその女性を岸に運び上げて間もなく担架で運んでいく所で、その間わずかだったが映画の一場面をみるような不思議な光景だった。事故死なのか自死なのかは解らないが民族衣装を着た美しい女性が海に漂う姿は今の自分の所在なげな思いとダブり旅の締めくくりとしてはあまりも強烈な印象が残った。



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