アポロのタロット占い

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Tarot FILES #1

審判の日 - 阪神・淡路大震災

一九九五年一月十七日五時四十六分五十二秒

「あの日」から毎晩、夢を見れば必ずその中で地震におそわれていた。それが夢なのか現実なのか、正確にはわからない。「あの日」以来、昼夜問わずひんぱんに余震は続いている。夜中に寝ている間に現実の地震を感じたのかもしれないし、やはり夢の中での地震に過ぎなかったのかもしれない。

「あの日」。それを「審判の日」と呼ぶことにしよう。なぜなら、オレは、あの恐怖の朝をむかえる前の夜、寝る前にこのカードを引いていたからだ。タロットカードの「XX 最後の審判」である。

「審判の日」とは、キリスト教で、神が万民を裁く日のことだ。新約聖書の「ヨハネの黙示録」にその内容が記されている。あらゆる災害が地上を襲い、人類の大半が死滅しまうというのである。

1995年1月17日、早朝5時4652秒。想像を絶する激震が阪神地区を襲った。その瞬間、誰もが目を覚まし、パニック状態に陥った。オレはベッドから飛び起きたが、戸惑いのために立ちすくんだ。

冷静を取り戻せ!

よし「まず、何をすればいい? 地震だ! まず、何をすればいい?」と言葉に出して自らに問いかける。しかし……何も浮かんでこなかった。パニックで正常な思考を失っていたのではない。本当に、オレは何も知らなかったのだ。こんなときにどうすべきかという智恵も経験も、たった今この身に起った事態に対応すべきものは何ひとつ持ち合わせていなかった。過去に、長野県西部地震というものを経験したことはある。しかし、あんなものではない。これはまったく異質のものだった。こんなこと決してありえい……その時脳裏をよぎったのは、すべての崩壊。地殻変動で多くの陸地が海底に沈む姿――

「ジャッジメント・デイ!」

直感というものは恐ろしい。冷静を取り戻して考えてみれば、そんなバカな事が起るはずもないと思い直す。オカルト本の読み過ぎだ。

部屋の中は物が散乱してひどい状態だが、隊舎そのものには大きな被害はなさそうだ。一部、天井から水が滴り落ちているところがあったり、断水や停電といった被害も一時的にはあったが、すぐに復旧した。おそらく自衛隊はこのような災害に対処できるような独自のシステムを持っているのだろう。

部隊は即座に出動準備態勢を整え待機状態になったが、その時のオレたちの気持ちは、非常事態というにはあまりにも軽く浮ついていた。オレたちの味わった恐怖は、あの一瞬で終わってしまったからだ。すべてはあの一瞬で終わり、後はもう、いつも通りの一日が始まったようにしか思えなかった。それほど、オレたちの隊舎の窓から見える景色も、空も、穏やかで平和だった。その時のオレたちには、それしか見えなかったのだ。

全員が出動準備に取りかかっている中、オレは警衛の準備を始めた。よりによって、こんな日に警衛上番だなんて、皮肉な巡り合わせだ。みんなと一緒に災害救助に行きたいのに……その時初めて、オレは自分の気持ちがいつもと違うことに気がついた。

1ヶ月ほど前に引退を決意したが、それまでの約10年間、オレはランナーとして走り続けてきた。そんなランナーとしての厳しい競争社会の中、他人を蹴落とし、自分がトップにのぼりつめることだけを考えてきたオレが、自分のことだけを考えて生きてきたオレが、初めて他人のために何かしたいと思い始めていた。いつも通りに見える平生の陽のもと、あの激震のショックのためか、オレの魂は明らかに何かが変わっていた。

西門の警備につき、出入りする人々を見ていると、やはりいつもとずいぶんと様子が違う。あわただしく緊急で出入りする人々や、官舎の様子を見に門を出ていく幹部連中。駐屯地内の自動販売機の様子を見に来る業者。ガス会社。

なぜかポリタンクを持って何度も出入りする人たちがいた。駐屯地内は市の管理する水道とは別に独自の給水システムを持っているらしく断水は一時的なものですぐに復旧したが、駐屯地の外の市内全域、というよりも、神戸周辺の地域はすべて断水で、なかなか復旧しなかった。急な断水のために困った市民の一部が、駐屯地内で給水可能なことを知って、水をもらいに来ていたのだ。出入りするほとんどの人がポリタンクや水筒を持っている。

正門とは違い、西門は通用門として使われているので、様々な人々が出入りし、それらを眺めているのは奇妙だった。

しばらくすると、駐屯地の水をつめた給水車が何度も出入りするようになる。災害派遣として、民間への給水支援を始めたのだ。他にも災害派遣の車両は次々と出て行くようになる。オレには彼らがどこへ行って何をするのかわからなかった。実際自分がこの大災害のまっただなかに立たされているのに、門の外の被害の状況はほとんどわからなかった。出入りする、いつもと違う人々を観察しながら楽しんでいた。

警衛所にはテレビもラジオもないから、口コミで途切れ途切れに情報が入ってくる。

「西宮は全滅や!」と興奮した口調で訴えて行く人や、「電車がだめで、車で来たんですよ」とか言って緊急の入門許可を取る人、「部隊はもう災害派遣で出ていきました?」と聞いてゆく人もいる。

できるだけたくさんの情報が欲しかった。そして……

「1千人!」

ようやくその情報が入ってきて、初めて事の重大さを知った。あの激震で1千人の死者が出たというのか? それほどの災害など、オレの記憶にはほとんどない。少なくとも、オレの記憶に残る災害の被害と比べてみても最大規模のものだ。オレたちはその災害の渦中にあったのだ。楽しんでいる場合じゃない。笑ってなどいられなくなった。

夜になっても災害派遣で出ていった部隊は帰ってこなかった。巡回歩哨で夜中に駐屯地の外柵を歩いていると、遠くのほうでいくつものサイレンの音が聞こえた。そのサイレンの音はいつまでたってもやまず、一晩中なり響いていた。神戸ではもはや手のほどこしようのない炎が、いつまでも街を焼き続けていたという。

翌日の朝、オレは24時間勤務の警衛を下番したが、救助活動に出動することもなく、1日中隊舎の中で待機していた。警衛のような特別な勤務についていたもの以外はすべて出動し、部隊にはほとんど人が残っていなかった。派遣部隊は2日目の午後になってようやく帰って来た。西宮で、生き埋めになっていた人々を救出する作業をしてきたのだという。救出といっても、大半はまず間違いなく死人であった。何体もの押しつぶされた死体をかつぎ出したという話を聞いた。警衛についていたオレにはそうした仕事ができなかった。

地震から3日目になって、ようやくオレも派遣部隊の編成に入って救出作業をすることになった。場所は西宮の仁川地区。地滑りでいくつもの民家が埋まってしまったところだ。テレビでも何度も報じられていた。

現地に着いたオレたちの目の前では、土に埋もれた何件かの民家が何かのひょうしに燃えて、蒸し焼き状態になっていた。現場ではすでに警察や消防の人たちが作業にかかっていた。その周囲では大勢の報道陣が取り巻き、生き埋めになった者の家族や知人は、悲しみにうちふるえながら作業を見つめていた。

ショベルカーで上にかぶさった土をどけ、スコップで焼けたガレキを掘ってゆく。煙はもうもうと立ちあがり、視界がおおわれて作業にならなくなると、消防の人に頼んでホースで水をかけてもらう。時には足元から火の手が上がることもある。すると、職業柄か、消防の人は目の色を変えて水をぶちかける。作業は難航し、気の遠くなる思いがした。家は土砂にぐしゃぐしゃに押しつぶされ、焼け崩れて間取りもわからない。「死体」はどこに埋まっているのかまったく見当もつかなかった。この蒸し焼き状態で中の温度は想像もつかないが、おそらく何千度という灼熱地獄のはず。もう、出てくるのは明らかに「死体」だということはわかっていた。それでも現場を見守る家族らは、生きて救出されることを願っていた。現場には死体の焼けたきつい悪臭が立ち込め、オレは地獄に降り立った気分だった。

あてもなくスコップを動かしていたが、やがて一方で動きがあった。「出た」とか「あった」とは誰も言葉に出しては言わない。ただ、それらしい動きを伝える。周りの報道陣や家族らを刺激しないためだ。死体が出てくると、その周りに毛布で壁を作る。その壁の中で、手作業で死体を掘り出す作業にかかる。死体といっても、そこにあったのは焼け崩れた、ばらばらの人骨であった。

作業はほとんど進まなかったが、自衛隊の作業員はその日の夜になって再び帰隊した。翌日から神戸での作業に入るからである。翌日、オレたちは神戸の灘区に向かった。仁川での作業中に染み付いた死体の焼けた匂いのする服のままで。

それからしばらくの間、神戸大学のグラウンドに天幕(テント)を張って宿営していたが、ほとんど仕事らしい仕事はなかった。しかし、そんなはずはなかった。きっとやらねばならないことは山ほどあるはずなのに、オレたちに出動の命令はなかなかでなかった。自衛隊のお偉いさん方が頑固なのだ。それぞれの部隊に指定された地域、許される範囲内の仕事しかできないという。上の命令には逆らえない。命令に従うことが強い部隊の原則なのかどうか……。天幕の中に閉じ込められながら、仲間のひとりが言った。

「自衛隊はしょせん、人を殺すのが仕事やからなぁ……」

人を救うために働くにはあまりに非力すぎる。警察や消防、民間のボランティアの人々の活動を見ていると、それらに比べ、最も優れた機動力と、比にならないほどの多くの人員を抱えているにもかかわらず、自衛隊のできる仕事というのはごく限られた範囲でしかなかった。オレたちは仕方なしに天幕の中で待機を続けた。いったい、何日間そんな日々が続いたかわからない。日を数えるほどの気持ちの余裕などなかった。

何日も神戸で野営をしていた時、一時的に伊丹の部隊に帰ってきたことがあった。2時間だけ駐屯地内で用を済ませて帰るという条件だった。上の統制ではそういう事だったが、うちの小隊長がうまいことやってくれたおかげで5時間ほど滞在することができた。この間に風呂に入ったり、売店で買い物をしたりした。この時期に風呂に入れるのはあまりにも贅沢だった。どこの町もまだ断水が続いていて水さえ手に入らない状況だというのに、風呂などに入るなんてことはとんでもないことだった。神戸の街中などでも、ごく一部の公衆浴場が入浴可能になっていたが、そのためにはこの寒い時期に何時間も外で順番を待たねばならなかった。

神戸はどこへ行ってもひびだらけだった。ビルは傾き、木造かわらぶきの家はほとんどつぶれ、地面は割れ、道路はどこも渋滞し、人々はみなリュックを背負って歩きまわっていた。秩序は乱れ、あらぬ噂が飛び交い、犯罪が続出し、無法地帯になりかけている。警察は忙しくて犯罪や交通違反などに一々かまってはいられなかった。これがあの活気あふれ、清潔で、ぴかぴかと輝いていた都会の街の姿とはとても思えなかった。

災害派遣はいつ終わるのか見当もつかない状態で今も続いているが、ある日、なぜか、オレを含めた一部の隊員はその編成から外され、原隊復帰してきた。連隊長は何を思ったのか、連隊の持続走集合訓練を再開することにしたのだという。確かに、ランナーのトレーニングというのは継続しなければ効果がないのだが、今、こんな状況で、災害救助を忘れて持続走の訓練なんかやれるはずがない。狂ってる。お偉いさんの命令? 従うしかないのか!

後ろ髪を引かれる思いで駐屯地に帰って来たが、いつまでたっても持続走の訓練が始まるような動きはなかった。様々な不手際で、動くに動けなかった。仕方なしに、やはり駐屯地の中で待機を続けるしかなかった。何もかもマヒ状態だ。交通も電話も電気も水もガスも、救助活動、そして、訓練さえも……。

伊丹の自衛官はみな災害派遣に出ているが、そうした彼らもまた民間人と同じ被災者だった。自分の家がつぶれてるってのに、家には戻れず、まして、救助活動をするどころか、被害を目の当たりにしながら指を加えて見ていることしかできない。あるいは、寒さに耐えながらの激務が続いたり、天幕での生活が長引いているせいでインフルエンザが流行し、一時帰隊するものも多く出ている。そうしてつのりにつのった不満が爆発して、内部でトラブルが起ることもしばしばあった。

伊丹の駐屯地で待機している間に、オレは占いを始めた。隊員たちの誰もが明日の心配をしていた。その昔、常に生死の境目に立ち、明日の心配をしていたジプシーたちがタロット占いを始めたように、オレもタロットカードを手にした。

部隊の外には出られなかったが、部隊の中で待機している隊員たちを捕まえて占ってやると、彼らは意外とその結果に安心する。オレの占いが当っていようがいまいが、少しでも何か言ってもらえるだけで彼らは不安を押さえることができた。オレはとうとう見つけた。こんなふうにして人を救うこともできるのだ! 現場に行ってその凄惨な光景を目の当たりにしながらほとんど何もできなかったが、すぐそばにいる被災者……隊員たちを、こうして精神面から救済することはオレにもできるのだ。

今までランナーとして、自らのメンタルトレーニングに応用しながら覚えてきたタロットだったが、この時初めて他人のために占うことを知った。この時をさかいに、オレはさらにタロットカードの知識を深め、本格的に占いを始めることにした。

この時オレは、占い師として生きることに目覚めたのである。震度6の激震が、オレの人生を180度変えてしまっていた。これが、「XX 最後の審判」の運命だったのか。

マスコミは「阪神・淡路大震災」と呼ぶ。その地震は一瞬だった。しかし、この恐ろしい災害はまだ終わっていない。この街の混乱がおさまるのはいつのことになるのだろう。

こんな恐ろしい災害など、決してありえぬことだった。少なくとも、それまでのオレはそう信じてきた。仮にそれが起りうるとするならば、それは夢の中でのみ起りえた。オレは今までそうした恐ろしい夢なら何度も見てきた。

「あの日」の朝、オレはどんな夢を見ていたのか思い出すことはできないが、あの瞬間に、夢と現実とが交差して、決してありえぬ夢の世界の出来事が現実の世界に実現してしまった。もう、オレには夢も現実もはっきり区別がつかなくなっていた。

予言など……ノストラダムスの予言など、当るわけないと思っていた。しかし、今は違う。この世はいつ、何が起っても不思議ではないのだ。何の前触れもなく、すべてが崩壊してしまうような事件が起ってもおかしくはない。

この地震が起る直前に、オレは一冊の本を読み終えた。「ノストラダムスの大予言」という有名な本だ。たまたま暇で何か読もうと思った時にこの本が目にとまっただけだったのだが……。その本を読む前にもノストラダムスという名前と彼の有名な予言は知っていた。しかし、有名であるにもかかわらず、ほとんど詳しい内容を知らなかったことに気がつき、また、決してありえぬバカバカしい予言が、なぜこんなにも有名なのか知りたくなって、オレはその本を手にした。読み終わったあと数日間は、何一つオレの気持ちを変えるものはなかった。もしかしたらその後もずっと、そんな予言など信じることはなかったかもしれない。しかし、そのわずか数日後に、「審判の日」が訪れる。運命が仕掛けた罠にオレははまっていた。

阪神大震災は5千人を越える死者を出したという。まさに、「審判の日」となってしまった。その代償として、オレが得たものは何か。やがてオレはそれに悩み苦しむことになる。

それから3ヶ月後、オレは自衛隊を辞め、アメリカに旅立ち、1年前の同じ日、1月17日に大地震に襲われたロサンゼルスで暮らすことになった。

いまだ復旧作業の終わらない神戸を後にして……。


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