
| こんにちは、アンさん。 アポロです。 MLにようやく発言してくれましたね。 それは運命ですか? それともご自分の意志ですか? なーんてね、そのへんは深く追求しませんが、 少し誤解があるようなのでメールしました。 MLに発言してもいいのですが、 あまりにも僕のメールがMLにあふれると公害になりますので・・・ 「止まっちゃ駄目でしょうかね」と、アンさんは言いました。 僕の「とどまる」という言葉、 解釈のしようによっては 僕の意図したものとは違ったものとなってしまうでしょう。 僕のような抽象的な語り口ではしかたありません。 僕は非常にのんびりした生き方が好きです。 ゆっくり歩き、 時々休んで、 それからまた歩く。 休まなければ歩けないことも、 身を持って体験し学んでいます。 休むこと、それは「止まる」ことではありますが、 僕の言う「とどまる」ことではありません。 人は自分の安心できる場所を見つけると、 ついそこでとどまってしまいます。 そこを安住の地と決めて、 もう一歩も歩き出そうとしないことがあります。 つまり、僕の言う「とどまる」とは、 先へ進むこと、成長することを放棄することを意味します。 このままでいいやという「なあなあの世界」 休まなければ先へ進めませんが、 休んだままでも先へ進めません。 僕はそんな時ひとに言います。 「胸に手を当ててごらん」 ドキドキ それは戦いのドラム! 心臓は常に戦い続ける。 死ぬまで。 だから、人は生きている間中戦う運命にある。 戦うことを放棄したとき、 それはその人の死を意味する・・・ たとえ命はあっても、魂はもうないのだ。 その心臓さえ、 死ぬまで安まず戦い続けるわけではない。 もし、戦い続けていたとしたら、 その命は3分の1と持たないだろう。 心臓は、人生の半分以上を休息に費やしているからだ。 ド っと、ほんの一瞬動いた後は、 キ っと、休む。 その休息時間は活動時間よりもわずかに長い。 心臓でさえ、こんなに休んでいるのだから、 人も同じように休まなくては生きていけない。 今の日本人、ちょっと働きすぎたよ。 心臓に、人生を学べ。 と、僕は時々人に言うのです。 休息は必要だけど、 戦いを忘れてとどまってはいけない。 それが僕の言いたかったことです。 「聖なる予言ML」は休息の場、 学びの場であって欲しいと思います。 そこにとどまって安心していてはいけないと思います。 では、こんな事を言うアポロは? 僕はある意味、生きることを放棄しているかも知れません。 それが、 この前お話しした、 「アルバムを作ろうかな」と思い始めているところにも あらわれています。 ここにとどまり、 この場を安住の地としようかと・・・ さあ、僕にもほんとはわかりません。 すでに定められた運命に従うのみ・・・でしょうか? このメールに対するお返事はMLに出されてもけっこうですよ。 ほんとはMLに出したかったことなんですから。 では、また。 |
