死について

[デルフィー神殿] [イデアの森]

はじめまして 投稿者:みもい  投稿日:02月02日(火)13時36分01秒

このHPも、本もまだ全然読んでいませんが、生意気な事を言わせていただければ、
私が思うに、超能力的な事「オーラやチャクラや気功etc・・・」も確かに必要かもしれませんが、
それが必要なのは、それなりの位置まで達している魂の持ち主(肉体があるうちは殆ど無理です)
なのです。
ですから、今、こうして肉体を持って生きて生活している以上、この世界で、この世界の
モラルの中で、人間らしく一生を全うする事が、なによりの修行なのです。
確かに、死のその瞬間に恐怖感は誰でも感じるだろうけれど、その死がその人にとって、
一生を全うしたものであれば、なんの心配もありませんし(悪行を行った場合は別)
死は次の世界への移動だと思っていただければいいと思います。
ただし、自ら死を選んだ場合は、自ら留年を選んだと同じで、先に進めませんので
是非避けていただきたい。
ですから、自分の生活を犠牲にまでして何かをするのより、今の生活内で自分を高める事を
おすすめします。
まずは、自分が幸せにならなくちゃ!
自分を大好きになって、自分が幸せなら、周りも幸せになります。
がんばりましょ☆
長々失礼しましたm(_ _)m

死にとりつかれた私 投稿者:ゆきお  投稿日:02月02日(火)12時44分14秒

時間の経過や死を恐怖することにとりつかれた私は、
死について科学的に解明する本や宗教、輪廻転生等の
本をよみましたが、その結果、24時間、死ぬことの
恐怖にとりつかれることとなりました。
今では、死ぬことを考えると、胃が反応して吐きそう
になります。まぁ、これも人生だと思ってあきらめるしか
ないのかもしれませんが・・・。

死は存在しない 投稿者:しゅう  投稿日:01月26日(火)23時42分54秒

もう10年以上、ニューエイジ関係の本を読んでいる私は、
ほんとうに、死ぬのはこわくありません。
それどころか、とても楽しみです。
みなさん、モンロー研究所とか、ご存じないんですか?
実は、私、去年の4月に、最愛の息子を脳腫瘍で亡くしたのですが、
姿が見えなくて淋しく悲しいのはもちろんですが、
息子の魂のことはちっとも心配していないし、
再会が待ち遠しくてたまらないのですよ!
息子に会える日までは、この3次元で楽しく(少しでも成長しながら)
生きていくっきゃないってところです。

輪廻転生 投稿者:  投稿日:01月20日(水)15時06分43秒

輪廻転生ということをよく聞きますがこれは「人は生まれ変わる」
とゆうことですよね?でも今は昔と比べると地球の総人口は何倍にもなりました。
これでは魂の数が足りなくなってしまうのではありませんか?それとも人は何回でも
生まれ変われるのですか?

死について 投稿者:ちっぷ  投稿日:01月18日(月)19時33分30秒

 「聖なる予言」を読んでからいろいろな本を読みましたが
(特に聖なる予言を翻訳した山川さんの翻訳した本ですが)死について共通することは、
「生まれ変わり」を繰り返し、私たちは魂を成長させていく、
または成長ではなくて、本当の自分を思い出していくということです。
 私はまだ死にそうになったことはないから死の恐怖はそれほど感じたことはないけれど、
死ぬことって楽になるようです。
だからといって自殺はしないでね。
おすすめの本は「前世療法」「神との対話」です。まだまだあるけど特におすすめ。 

ゆきおさんへ 投稿者:宮里砂智子  投稿日:01月13日(水)11時42分15秒

25で人生の3分の1が過ぎたと言っていました。
でも人間どのくらい生きていつ死ぬのかなんて案外わからないものですよ。
死の恐怖におびえるよりも、今の瞬間を楽しく生きてほしいです。

私もそうだと一時期思っていましたが、
人間年をとるのは自然の摂理で誰にも止められません。
もし止める方法があるのなら今死ぬことくらいか、あるいは冷凍してもらうとか・・・
でも冷凍しても、解凍したらまた時間は進んでしまいますね。

一日一日を大切に、充実に生きる方法はたくさんあります。
私は素敵に年を重ねていくことを目標に毎日を生きています。

死について 投稿者:ゆきお  投稿日:01月12日(火)19時21分28秒

僕は今25歳なんだけど、自分の死がこの時間軸の延長上に
あるということを考えると、時間が過ぎていくのがとても
怖いです。もう、人生の1/3過ぎたと考えると、
1秒1秒すぎていくのがとても嫌なのです。
今、ここでどんなに頑張っても、適当に過ごしていても
未来はどんどん過去になっていきます。
もう、歳はとりたくないんですけどね。
だれか不老不死の薬でも開発してくれないかな・・・

leoさんへ 投稿者:マイ  投稿日:12月19日(土)00時44分51秒

死ですか?それを理解している人間はおそらくいないんでしょうね。
理解するということは死を意味する。
しかしながら、死んだら二度と生きることはできない。
誰もが一度は考えることでしょう。
私もいつも死について考えてばかりいる時期がありました。
でも、イメージもわかなくて、当然です。
死と生については、『聖なる予言』に書いてあるように思うんですが、
ここに来ているということは、それは読んだんですよね。それでもわからない。
太宰治の『斜陽』という作品を読んでみてはいかがでしょうか。

死のイメージ 投稿者:LEO  投稿日:12月18日(金)21時47分18秒

死とはどのようなことをいうのだろうか?
心臓が停止した時?脳死状態になった時?それとも何か別の事(状態)なのでしょうか?
どうも私にはイメージが涌かないのです。だから、死を恐れてはいないし、逆に言うと
密度の濃い生き方をしていないのではないか、と思います。
だれか、死についてのイメージをはっきり提示してくれれば、より良い生き方ができると思います。

死について・・・ 投稿者:宮里砂智子  投稿日:11月26日(木)17時26分33秒

みーさんへ。おあいさんのお話を読んでいないのでわからないのですが、
私にも突然の死の記憶があります。
直前の前世なのですが、25歳で自動車事故にあっています。
20歳くらいから「私の命は25歳で終わるんだ」とずっと思っていて、
自暴自棄になってしまったことがあります。
ですから25歳の誕生日を迎えるのがとても怖かったです。
自動車(普通)免許も地元では取って当たり前の風潮のさなか、
私だけ取っていません。
これから・・・と考えています。(きっとそれも前世の影響なのでしょう)
今回、ほんとにあった怖い話1月号のDr.神澤の不思議クリニックで
沖縄戦に関する前世が取り上げられています。
自分で前世を知る機会があればいいのですけれど。
(話、外してたらごめんなさい)

「死について」について 投稿者:みー  投稿日:11月26日(木)00時42分59秒

あおいさん 初めまして ずっと迷っていました。
全く私と同じ事考える人が世の中にいるんだなって。
できるだけ忘れようとしているのですが 昼夜とかまわず突然あの身震いが起こります。
私も前世の確証さえあれば少しは・・・なんて考えていろいろ読んでみましたが、
しばらくするとまた 怖くなって 結局なぜ、人間にだけ、考えることを神様はさせるのか
なにかやっぱり理由があるんじゃないか・・・って
あおいさんとおはなしがしたいです。

おひさしぶりです 投稿者:Lycaon  投稿日:09月18日(金)23時17分32秒

「死」について
私も子供の頃は「死」というものがとても怖かったです。
でも、今は少し違います。
生きているのだから、いつか死ぬのは自然な事なのだと思います。
ただ、自分が死を迎える時、自分の人生を後悔するのは嫌です。
最後に満足して、幸せに死んでいきたいと思っています。
そのために、自分の納得できる人生を歩めたら・・・。
そう考えています。

まあ、まだまだ自分の人生に満足なんかしていませんが・・・。
(^^;

いろいろごちゃごちゃ書かせて頂きます 投稿者:あおい  投稿日:09月18日(金)11時24分22秒

アポロさん、マリリンさん、コメントありがとうございました。
いろいろ考えさせられました。「死」って未知の世界だから
怖いんでしょうね。(謎)は深まるばかり・・・。

Re:「死」について 投稿者:YUU  投稿日:09月17日(木)00時28分17秒

死は未知なので不安は仕方ないですね・・
まぁ現実に「死」とは隣合わせに生きて
いるから、生に迷った時とか、今、不慮の事故
か何かで死ぬっていう様なシチュエーション
を想像してみると、「あーこれしとけば良かった!」
とおぼろげにもやりたい事などが見えてくる
場合があるんで、活用・・してます。
散々イメージで恐怖を味わっておいて
「生」をみつめる機会になるとよいですねぇ
私の性分でしょうが、なーんだ、今どうしようが
死ぬだけなんだーと楽におもえたりするんですが
まぁ、「無」で、あれば。。
うーん。悪用は避けましょう。

Re:「死」について 投稿者:アポロ  投稿日:09月16日(水)18時23分31秒

あおいさんの言葉からふと、あることに気が付きました。
「人は、死んで無になることを恐れるあまり、『輪廻転生』という概念を
 生み出したのではないだろうか?」
そんなふうに思えてなりません。
生きている人間は誰も知らない(知ってるという人もいますが)死後の世界。
輪廻せずとも、天国か、あるいは、地獄でさえも、
どんなひどいところでもいいから行き場所が欲しかったのではないでしょうか?
「無」ほど恐ろしいものはないのでしょう。
では、我々が今どこにいるのか?
「無」ではなく、「在」の世界。
「我ここに在り」という言葉がありますが、
今自分が存在するこの世界でしなければならないことは、
「無」を恐れ、悩むことではなく、
「在」を自覚し、いかに生きるかということだと思います。
死んで「無」になろうが、死後の世界へゆこうが、
その時はその時にしなければならないことを考えればいいですよね?

「死」について 投稿者:あおい  投稿日:09月16日(水)16時54分13秒

アポロさんの暖かい言葉で、ここに書き込む勇気が出た「あおい」です。
宜しくお願いしますm( _ _ )m。

私は幼い頃、「死」に対してとても恐怖を感じていました。死んだら自分の存在
はどうなっちゃうんだろう、今こうして楽しかったり、悲しかったりすることも全部
無くなってしまうのだろうか、そう考えただけで夜も眠れないくらいでした。自分が
「無」になってしまうのが、自分自身を忘れてしまう、忘れられてしまう事が怖か
ったのです。いつも「輪廻」を信じて、無理矢理納得する事によって、恐怖を薄め
る事にしていました。
しかし大人になっていくにつれて、そんな感情は薄れていきました。ついこの間
まで、そんなことを自分が考えていた事さえ、忘れていました。
でも最近ふっとそんな感情を思い出しては身震いします。20代半ばになって、
また「死」の恐怖に脅え出したのです。なぜ、自分で「死」をこんなに怖がるのか
分かりません。

皆さんは「死」について、どのように捉えていますか?

[イデアの森]

聖なる予言