Tarot FILES #1-4


災害派遣はいつ終わるのか見当もつかない状態で今も続いているが、ある日、なぜか、オレを含めた一部の隊員はその編成から外され、原隊復帰してきた。連隊長は何を思ったのか、連隊の持続走集合訓練を再開することにしたのだという。確かに、ランナーのトレーニングというのは継続しなければ効果がないのだが、今、こんな状況で、災害救助を忘れて持続走の訓練なんかやれるはずがない。狂ってる。お偉いさんの命令? 従うしかないのか!

後ろ髪を引かれる思いで駐屯地に帰って来たが、いつまでたっても持続走の訓練が始まるような動きはなかった。様々な不手際で、動くに動けなかった。仕方なしに、やはり駐屯地の中で待機を続けるしかなかった。何もかもマヒ状態だ。交通も電話も電気も水もガスも、救助活動、そして、訓練さえも・・・。

伊丹の自衛官はみな災害派遣に出ているが、そうした彼らもまた民間人と同じ被害者だった。自分の家がつぶれてるってのに、家には戻れず、まして、救助活動をするどころか、被害を目の当たりにしながら指を加えて見ていることしかできない。あるいは、寒さに耐えながらの激務が続いたり、天幕での生活が長引いているせいでインフルエンザが流行し、一時帰隊するものも多く出ている。そうしてつのりにつのった不満が爆発して、内部でトラブルが起ることもしばしばあった。

伊丹の駐屯地で待機している間に、オレは占いを始めた。隊員たちの誰もが明日の心配をしていた。その昔、常に生死の境目に立ち、明日の心配をしていたジプシーたちがタロット占いを始めたように、オレもタロットカードを手にした。

部隊の外には出られなかったが、部隊の中で待機している隊員たちを捕まえて占ってやると、彼らは意外とその結果に安心する。オレの占いが当っていようがいまいが、少しでも何か言ってもらえるだけで彼らは不安を押さえることができた。オレはとうとう見つけた。こんなふうにして人を救うこともできるのだ! 現場に行ってその凄惨な光景を目の当たりにしながらほとんど何もできなかったが、すぐそばにいる被災者・・・隊員たちを、こうして精神面から救済することはオレにもできるのだ。

今までランナーとして、自らのメンタルトレーニングに応用しながら覚えてきたタロットだったが、この時初めて他人のために占うことを知った。この時をさかいに、オレはさらにタロットカードの知識を深め、本格的に占いを始めることにした。

この時オレは、占い師として生きることに目覚めたのである。震度6の激震が、オレの人生を180度変えてしまっていた。これが、「XX最後の審判」の運命だったのか。

マスコミは「阪神大震災」と呼ぶ。その地震は一瞬だった。しかし、この恐ろしい災害はまだ終わっていない。この街の混乱がおさまるのはいつのことになるのだろう。

こんな恐ろしい災害など、決してありえぬことだった。少なくとも、それまでのオレはそう信じてきた。仮にそれが起りうるとするならば、それは夢の中でのみ起りえた。オレは今までそうした恐ろしい夢なら何度も見てきた。

「あの日」の朝、オレはどんな夢を見ていたのか思い出すことはできないが、あの瞬間に、夢と現実とが交差して、決してありえぬ夢の世界の出来事が現実の世界に実現してしまった。もう、オレには夢も現実もはっきり区別がつかなくなっていた。

予言など・・・ノストラダムスの予言など、当るわけないと思っていた。しかし、今は違う。この世はいつ、何が起っても不思議ではないのだ。何の前触れもなく、すべてが崩壊してしまうような事件が起ってもおかしくはない。

この地震が起る直前に、オレは一冊の本を読み終えた。「ノストラダムスの大予言」という有名な本だ。たまたま暇で何か読もうと思った時にこの本が目にとまっただけだったのだが・・・。その本を読む前にもノストラダムスという名前と彼の有名な予言は知っていた。しかし、有名であるにもかかわらず、ほとんど詳しい内容を知らなかったことに気がつき、また、決してありえぬバカバカしい予言が、なぜこんなにも有名なのか知りたくなって、オレはその本を手にした。読み終わったあと数日間は、何一つオレの気持ちを変えるものはなかった。もしかしたらその後もずっと、そんな予言など信じることはなかったかもしれない。しかし、そのわずか数日後に、「審判の日」が訪れる。運命が仕掛けた罠にオレははまっていた。

阪神大震災は5000人を越える死者を出したという。まさに、「審判の日」となってしまった。その代償として、オレが得たものは何か。やがてオレはそれに悩み苦しむことになる。

それから3ヶ月後、オレは自衛隊を辞め、アメリカに旅立ち、1年前の同じ日、1月17日に大地震に襲われたロサンゼルスで暮らすことになった。

いまだ復旧作業の終わらない神戸を後にして・・・。


アポロのタロット占い