1999年7月。
ノストラダムスが4行詩の中に書き残した数字と一致する時がようやく来たというのに、世間はなんだか静かで、物足りない気もする。せっかくなのだから、もう少し騒いでみたり、イベントをしてみたりしても良いと思うのだが、ここまで来る前に十分騒ぎ立ててしまったせいか、人々はこの話題に飽きてしまったのだろうか。
それとも、嵐の前の静けさか・・・
天変地異を予言すれば、話題になるし、予言が当りでもすれば、その占い師は一躍有名人である。予言者や占い師などというものは、ことあるごとに「地震が来る」とでも言っとけば、たまには当るもんである。来なければ、そんな予言のことは誰も覚えてないから、非難されることもめったにない。
悲劇はむしろ、「地震など来ない」と言って、地震が来てしまったときかもしれない。
例えば、こんな話があった。
以下は、アメリカで占いをしているマダム・セイラさんとの会話である。
「こんにちは、アポロさん。ごきげんいかがですか?」
「ご機嫌は、中途半端です。いまいちスッキリしないんですよね。」
「そうか・・・。どうしてなのかなぁ〜、アポロ君。コーヒーでもどう?」
「アイスコーヒー、いただきます。デザートにケーキでもいただけると嬉しいんですが・・・。」
「ドーナツならありますよ。」
「ドーナツ好きなんですか? どうしてケーキじゃないんですか!」
たまたまアポロはドーナツよりもケーキが食べたかったというだけなのだが・・・
「私もケーキは大好きだけど、お友達にもらったドーナツがあるの。アメリカ人はケーキあんまり食べないから・・・。ドーナツは死ぬほど食べるけど。」
「へー、アメリカ人はケーキよりもドーナツの方が好きだったのか。知らなかった。」
ここまでは、どうでもいい話である。アポロは突然話題を切り替えて、なぜか、天気について、話し始めた。
「そういえば、こちらでは、先ほどまで、滝のような大雨がジャンジャカ降ってました。屋根がぬけるかと思っちゃいましたよ。」
「雨か・・・。こちらも蒸し暑い日が続いています。アメリカ人は単純だから、こういう日が続くと地震が来ると大騒ぎしてます。」
「こういう日」というのは、蒸し暑い日という意味だろうか。しかし、なぜ、アメリカ人は蒸し暑い日が続くと地震が来ると大騒ぎするのだろう。
「地震は起きそうですか、セイラさんの占いでは?」
「もう、こりごりです。地震の予想は・・・。以前、それで大失敗してますから。もうこの世界から足を洗おう・・・とまで、私にしてはめずらしく自信(地震違い)喪失したことがあるんですよ。」
というわけで、セイラさんに、そのいきさつをお話しいただいた。
「ノースリッジ地震、覚えてますか?」
「覚えてないです。ロス地震しか・・・」
「たぶん、アポロさんが言っているのがノースリッジ地震のことです。阪神大震災のちょうど1年前にあった地震です。同じ日の1月17日に。
その地震があった年の、前の年の年末、約1ヶ月くらい前から、なぜか雑誌やテレビの取材が殺到しました。アメリカからも、日本からも。その中で、アメリカのサイキック占いで有名な方と対決!!という企画があったんです。
当時、ちょっと人気が出てきていい気になり気味だった私は、迷わずその企画と、もうひとつ、朝のテレビ番組出演を選んだんです。
まずは、テレビの方に出て、そのときの質問に、「来年、地震は来そうですか?」というものがあって、私はハッキリと、「来ません!」と答えました。余裕しゃくしゃくの笑顔で。
アナウンサーは大喜び。でも、収録後・・・私は考えました。まだ若かったということも多少あるのですが、「来る!」と言っておいたら良かったと後悔しました。なぜなら・・・
もし「来る」と言って本当に来たら、そのときは注目を浴びるだろうし、来なかったら来なかったで、そのときには誰も私が言った言葉なんか覚えていないでしょ。
でも、「来ない」と言って本当に来てしまったらハズレということになってしまうし、来なかったらそれはそれで、私が来ないと言ったことなんて忘れてるんです。
つまり、「来る」と言っておけば、どちらに転んでもしめたものなんです。後になって、その事に気づきました。もう頭の中は占い師というより商人でした。
そのテレビ番組は12月31日の放送だったんです。
そして、次に雑誌のインタビュー・・・これが、今思い出してもぞっとします。雑誌は文字として永遠に残るでしょう。テレビと違って、見る人の中に。
雑誌のインタビューの時は私も、テレビ収録時よりは少し賢くなっていましたが、テレビで言ったことと違うことを言うわけにもいかず、やっぱり、また同じ質問に、「来ないですよ、絶対に!」と言うしかありませんでした。それでも一言、「皆さんのために来ないことを祈ります」と付け加えました。少し逃げに入ったつもりだったんです。
でも、問題の対決相手のサイキック占い師は「来ます」と答えたんです。しかも、「ロスが危ない」とまで言い切りました。
後で地質学を専攻している友達に聞いたのだけれども、ロスには大きな断層があるらしく、研究者じゃなくても、その年に地震がある事は簡単に予想ができたって言うんです。その時の私はまだ若く、人気にとらわれていて一般常識を学ぶことを怠ってしまい、そんな素人にも予想できることを予想できなかったんです。
でも、もしそれが本当なら、そのサイキック占い師の実力も疑わしいものなのですが、彼はこのことがきっかけでその地位を不動のものとし、日本ではかなり有名になりました。それと同時に、私はしょせん・・・インチキ!と、すごいバッシング。
雑誌の発行日は1月15日でしたが、すぐに「地震が来る」という噂は広まりました。そして、運命の日、ノースリッジ地震は、雑誌の発行からわずか2日後の、17日に実際に起り、人々の心に強烈なインパクトを与えました。
その後の対処は想像を絶するものでした。イタズラ電話(もう聞くだけで涙が出てくるような)や、嫌がらせや苦情の手紙が殺到しました。1日に30件くらい・・・いや、それ以上。
もともと楽天家で立ち直りは早いんだけど、そのときはさすがに大きくプライドを傷付けられ・・・地震の話題になると目に涙が浮かんでしまっていたんです。そしたら、ある人(アメリカのママみたいな人)に、「そんなに嫌ならやめなさい、そんなこと!」と言われたんです。
はじめは、そう言われた時、その人にも憎しみのような気持ちが湧いてきました。人の気も知らないくせにって。でも、今考えると、若かったんです。今もその人は、私に対して辛口のコメントばかりして来ます。その人は自称「死に神」で、周りにいる人たちを不幸にして自分だけ幸せになってるような人なんだけど、なぜか私はその彼女にいつも救われています。
ちなみに、私は「福の神」(自称)なんですけど・・・。
この事件で、私は真剣に占い家業から足を洗うことも考えましたが、その死に神ママの「ニタッ」と笑う顔を見たら、「畜生!」と思って・・・。
そして、現在に至ってます。」
セイラさんの話はそこで終わった。
サイキック対決の結末は、占いの知識や霊感の強さではなく、より一般常識に通じていた者が勝利した。セイラさんは、この敗北によって悲惨な結果を招いたのだが、持ち前の強い精神力と、「死に神ママ」とのよき出会いなどによって、修羅場を切り抜け、現在まで生き残って来た。今でこそ、セイラさんの占い師としての地位は不動のものであるが、そこにいたるまでには、様々な障害もあったのである。また、こうした障害は、占い師を目指す者であれば、必ずぶち当たるものである。たとえ、本当に良い占い師であっても、世間の風当たりに強いとは限らない。大半の占い師はそこで挫折し、消えて行くのだろう。これは、大変残念なことでもある。
これから占い師や予言者を目ざそうとしている諸君。世間の非難を浴びたくなければ、間違っても、「地震など来ない」などという予言などしないことである。「来る」と言い続けた物が、最後に生き残るにちがいない。何百年もの間、世界中の人々の心にその名を刻み込んだ、ノストラダムス大先生を見習おうではないか。
しかし、そうしてふるいにかけられ、最終的に生き残った占い師の中から、本当に信頼できる占い師に巡り会うのは、さらに難しくなってしまうだろう。
最後に生き残る占い師にはいくつかのタイプがある。
「来る」と言い続けて生き残った、商業占い師。
「来ない」と言いつつも、世間の冷たい風当たりに耐えて生き残った、タフな占い師。
「来る」といえば本当に来て、「来ない」といえば本当に来ない、当る占い師。
あなたは、「本当に当る占い師」に巡り会ったことがあるだろうか?
僕は、まだない。
当らなくてもいい。信頼できる占い師に、ぜひ巡り会いたいものである。