冨本銭

今、話題の富本銭が伊那谷からも出土!

 富本銭とは
 平成11年(1999)1月19日のマスコミの報道により、日本最古の貨幣と考えられるようになった貨幣です。奈良飛鳥池遺跡から30枚以上の冨本銭が出土しました。
 これまでは、和銅元年(708)に鋳造された「和同開珎」が日本最古の貨幣と考えられていました。伊那谷でも伊那郡が跡と考えられている飯田市座光寺の恒川(ごんが)遺跡から銀の和同開珎が出土しています。
 この報道と同時に長野県高森町でも「武陵地1号墳」から「冨本銭」が出土していることがわかりました。

 高森町の富本銭は本物か?
 「冨本銭は最古の貨幣か?」という報道のあと高森町では、急遽奈良国立文化財研究所に持っていき、分析を依頼しました。
 その分析結果によると、飛鳥池遺跡出土の冨本銭と比較して

  • 銭文の特徴が一致する
  • 蛍光X線分析によると銅が主成分だがアンチモン顕著に含有する
ことがわかりました。字は細部に至るまで一致、アンチモンの含有は、藤原宮時代の銅製品の特徴と一致するということでした。
 このことから、高森町の「冨本銭」は、飛鳥池遺跡で鋳造された可能性があるということが報告されました。

 続いて飯田市6月7日飯田市役所において飯田市座光寺でも「富本銭」が出土していたことがはっぴょうされました。高森町と座光寺は隣同士です。また、座光寺は、伊那郡ががあった所と考えられている場所で以前にも和同開珎の銀銭が出土したところです。

     Tanukingの思うこと
 伊那谷での冨本銭の出土の確認は、歴史的な意義が大きいものであると考えます。
 伊那谷、特に飯田下伊那では、古墳時代馬を背景にヤマト朝廷と大きく結びついていたと考えられている地帯です。冨本銭が出土した古墳から一緒に出土した遺物の再検討をはじめ、今後に残された課題は大きいと思いますが、このことを契機に6,7世紀の伊那谷の歴史の解明が進むことを期待しています。


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