貧しい生活が続く2

其のころ実家の兄が事業に失敗をして先祖伝来の、田畑をほとんど失ってしまいました。兄が勤めていた役場を辞めて事業に手を出した事を知り、急ぎ実家に駆けつけて、断固反対を致しました。なんと思ったのかは分かりませんが、もう二度と家へは来るなと、言われましたが、来るなと言われても、来るからなと言って帰りました。世間の目はいっそう冷たいものを感じました。 姑はいいました。悪い事をして牢屋に入ったでもあるまいに、あんね小さくなることはねえで、と慰めてくれました。有難うお母さん仕方がありません。私なりにこの家のために頑張りますと心に誓いました。まもなく実家は倒産になりました。相続権は兄弟に有るので随分と嫌な思いもしました。其のころでした。女性参政権となり、女も政治に関心を持つようになったのでした。義弟は言いました。姉さん選挙に立候補したらと言うのです。田舎に埋もれてしまっては勿体無いなんてからかわれました。大勢の人たちの、政治に対する考えなどまるきりだったと思います。我が家には、新聞ヤラジオもなく、報道としてはいってくるものは、時たまある部落のよりあいで聞いてきたこととか、噂話ぐらいでした。戦時のときより、婦人会の活動はありましてので、女にも会合の場はありましたが、仲に恐ろしいボス的存在の年配の人がいて、多くのひとは、顔色ばかりうかがっておりました。ある人は、恐ろしさにご機嫌取りにばかりしていて、ひどいめにあったとか聞きました。気の毒なひとたちだ、なんとかせねばと一人思っていましたが、私だって怖かった。町の公民館で婦人参政権にたいする講演があって、大学の先生のお話を聞く事ができました。姑は、私に子供はみてやるから聞いてくるようにと言ってくれました。大勢の人で会場はいっぱいでしたが、来ている人達には若い人たちはいませんでした。女性よ、今こそ立ち上がれと、熱い先生のお話でした。虐げられてきた女のきた道を、参政権によってなんとかせねばと、強く感じました。講演が終わって、後ろの席におりました、力のかぎり拍手を送りました。私一人でした。皆振り返って私の顔をみていました。 其のとき恥ずかしいなど少しも感ぜず、すがすがしい気分で帰り姑さまに厚くお礼を言いました。どんな話を聞いて来たかといわれて、其のとおりにはなしとおもいます。舅のむ理解に苦労をかさねた、姑はうなづきながらきいてくれました。家もやりかたでな、今までのよぅなみじめなおもいませずにやれるあんねもなたのむぞと言ってくれました。