きく美の結婚まで
反対をしていたお父さんの喜びかたは異常なものでした。松本の親類に、自転車で知らせに行きました。私はかかる費用のことを思えば、喜んでばかりいられない気持ちでした。寝具下着日常に使うあれこれと、新しいものをそろえて行李につめて、宛先を書くときの親の気持ちは忘れることはないと思います。不自由な暮らしの中から工夫をして集めたものばかりです。今日の日があるなんて幸せとつくづく思いました。
それから5年の月日の長かった事、卒業まで5年かかりましたから。その間なにもなかったわけではありませんでした。あのころ学生運動のなかに投じたこともあって、父親は面会に行き、親子の縁を切ってきたと、肩を落として帰ってきたこともありました。仕送りが止まれば、困るので謝ってきたりで、親も子供も泣くようなことばかりでした。幸いのことに、健康には恵まれて、誰も大病をすることもなく過ごすことができたのです。それでやり遂げることができました。
きくみも、それなりに心配はあったがどうにか3年の課程をおえることができ、親をほっとさせてくれました。将来のことを考えると、手に職を覚えることがと思い、理容師に、なるためにその学校にいくようすすめましたが、就職を強く望んでいましたのでそれにしました。あの子なりに生活面でゆとりがほしかったと思います。一年間は、自分で稼いだお金は思い通りに使えばと思い、何も聞きませんでした。男友達もでき、綺麗に娘らしくなっていき、縁談もちあがってきました。本人は遊びに忙しく、さらさらその気はありません。稼ぎうちから、3千円いれてくれないかといって、家で2千円足して5千円月々積み立てをしました。それがあって、結婚をするとき、調度品が最低でもととのいました。満足では、なかったとおもいますが、納得はしてくれたとおもいます。