義母の死、東京、熱海、伊豆の旅

嘉秋の卒業をみずに、姑は亡くなりました。最愛の孫の名を、呼びながらの最後でした。卒業したら、車でおばあちゃんの、行きたい所に、連れて行くからと言われて、どれほど待ち望んでいたことかと思えばただ涙です。就職して、息子は20万貯めたので、家族旅行をしたいと言ってくれました。自分が結婚をすれば、不可能だから決行すると言って、父親と決めた事だとおもいます。ロマスカーなる乗り物を皮切りに、熱海に行き、友人の魚屋さんのお父さんの差し入れを頂き驚くばかりのご馳走にあいました。旅館も、その人の紹介で、ひなびた宿に二泊もさせていただきました。10畳の間に二人だけで寝かしてもらい、元旦の朝は、見たこともないお道具で、お酒と朝食をいただきました。一日かけて駿河半島をレンターカーで一周めぐりをしました。嘉秋の運転で、無事宿に帰りました。翌日は、大島めぐりです。正月のこととて、船はごったがえしており、わが家族は、特等席に乗りましたが、乗るやいなや、船酔いになりベットに倒れこんでしまいました。男たちはご機嫌だったとか。大島に到着して、椿の満開で穏やかで暖かく、三原山にも馬で行きました。頂上は少し雪があったように記憶しております。思い出多い楽しかった一日でした。夕食がこの上もない、豪華なものでした。泊まるところは、急ごしらえの民宿でかべはベニヤ板で張られて隣室に騒いでいた若者が転げ込んでくる始末でした。一睡もできず、朝島をでました。帰りの船は一般席でしたが、快適そのものでした。昔のことですから。時間的など、思い違いがあります。タクシイのなかに、きくみのカメラを無くして来たりして残念なことをしましたが、フイルムは入れてなかったので幸いでした。下宿にて、一泊してかえりました。この間に、東京見学があったのだけれど忘れていました。伊豆半島が想い出せなくて、間違えました。都市見学は、最初の日にちのようでした。池袋よりはとバスにのりました。皇居とテレビ塔と、靖国神社、国会議事堂、出来たばかりの体育館など、記憶にあります。テレビ塔に上がりました。最近まだ上に何階か出来たので行ってみると言って登りました。其処までは、大勢の人はいませんでした。嘉秋は従妹の千代子さんに、電話をかけました。千代子さんは、驚いて返事がかえって来ましたが。この事も記念になるからと笑っていました。途中までは降りましたが、余りの人で其処に泊められて、バスの待ち時間に間に合わぬといって足で降りる事になりました。和服で、草履履きで30階以上を降りなければと、鉄骨の下がまるみえのところを、つかまる所はあるとはいえ、良くも飛び下ってきたものと、何時までたっても、忘れる事はありません。バスの発車時刻も、だいぶおくれていたので、ガイドさんは、早くといって、手を振っていました、車から降りて。お待たせいたしました。お父さん子供たちのわたしへの感謝気持ちだったと思いました。思い出多き旅行はおわりました。