お父さんの運転免許と、編物教室

主人は、あの中で、礼服などあつらえて、私にも江戸妻を作りました。結婚式も挙げなかった二人だったから、仲人になって支度だけでもして、記念にしたいと思ったのかしら。今になって考えられます。主人はその頃、炭焼きを止めて、諏訪方面に何人かのグルウプに頼まれて山仕事に行きました。車で乗せてもらって行きましたが、運転手が行かないときは、仕事を休まねばならず困りました。お父さんは、一人でもオウトバイで出かけて行きました。休むように止めれば、怒って出かけるのです。或るとき車の免許を取るように進めました。始はききいれなかったけれど、母さんの願いを聞いてやるとかなんて言いながら、資料を貰って来て、学校に通いました。それも半日は、山仕事吹雪の日には、泣きたいほどだったと話しました。家に帰って晩酌の後も勉強をしていました。かって見た事もない光景でした。暗がりの中、体を動かしているので、灯りをつけて見ると、夢のなかで手足を動かして練習をしているのでした。これほどまでにして、免許がほしかったのに、なぜに気がつかなかったのかと残念に思いました。自分から言い出さなかったのか、余りにも小心者でした。間もなく試験があって、実技、学科と1回で合格しました。電話で知らして来たあの嬉しい声は覚えています。駒ヶ根からでしたが、すぐ帰る、二人で祝杯をあげようと、どこえも寄らず帰りました。二人で取ったんだからと、女房に感謝するといって頭を下げて目には涙をうかべておりました。自分で努力して取ったのに、最後までおまえのお陰だといい続けました。私も続けとばかりに編物教室にかよい、55歳で、器械編みのセーターをはじめ模様あみも習得しました。3日で投げると見ていたのに、よくも覚えたものだと、先生は、驚いていました。週5日教室に通いある程度の物は習得しました。孫の出産ため、教室は止めなければなりませんでしたが、手伝いながら編物をつづけて、家族のものは、勿論贈り物もほとんど編みました。お義理に使う費用も半額ですんだわけです。毛糸代だけです。趣味と実益を兼ねるとはこのことでした。よいことを習ったと主人も喜んでくれました。