川島に帰り、そして夫の死

中谷の我が家は、姑の弟さんの叔父の家でありました。舅の借金のため、この家が抵当に入っていたのでした。知る由もありませんでした。叔父は疎開者でしたので、我が家の世話をうけていたためにそれも言い出せず、舅の急死にあいうやむやになっていたようです。そこに鳥が飛び立つように私達が家を空けたのです。その時には叔父は亡くなられた後でした。叔母は健在でいましたから、捨てて行くなら帰してくれと言ってきたのです。主人は聞いてないと言い張るのですが、定かではありません。直接叔母にあって話した方が良いと思い、叔母さんに会って私の気持ちを聞いてもらい、お願いをしました。他人の家とも知らず、命を捨てるつもりで嫁いで来たこと、今思えばだまされて来たのもいいところでした。じっと聞いた叔母さんは、分かったこの家はあんたに上げると言ってくれました。私の子供たちは、叔母さんから一筆もらわなかったのかと言いましたけれど貰いませんでした。小姑達から脅されることもないのにと、案じたのか知れません。ある程度の蓄えも出来、今が潮時と感じて惜しまれながら退社いたしました。主人は子供の近くに、家を借りて留まりたいみたいでしたが、色々の障害があって思いどおりにならないので、嫌がる主人をなだめて帰ってきました。一旦捨てた故郷に帰る気持ちは、男として、如何ばかりかと察することはありました。
それ故か、主人の行動が少しづつ、おかしくなってきました。車の事故が続き、危険を感じて入院をさせて、なんとか免許をなくさせることを試みましたがその度失敗に終わり、或るとき遂に正面衝突事故をおこして私が大怪我をして、入院をしてしまいました。病院に見舞いには、来ておりましたが、何か頼んでも要領を得ません。無事退院をして終えることができたことを喜んでくれると思ったら、死んで貰いたかったといわれた時は、ただ呆れて返す言葉はありませんでした。事故のとき頭部を強く打ったと思われるので、主人を入院をさせて頭の検査をしてもらいましたが、異常は見つかりませんでした。まもなくして、事故を二度、三度と起こしてどうしょうもなく、子供たちに来て貰い、主人に言い聞かせて入院をさせ自動車を売ってしまいました。私の心は鬼と化していました。大きな事故につながれば、我が子諸とも一族全滅ともなりかねません。警察にも相談をしてみました。法律で決まっていない事は、どうにもならないと言われました。益々行動はおかしくなり、死ねるものなら二人で往きたいと考える毎日でした。私自信も不安定な日々なので、倒れる寸前まできておりました。主人は、亡くなるまでに7回も倒れて、2回は、救急車で後は、タクシーで病院に運びました。7回目の時には、帰ることができませんでしたが私の手の中で息を引き取っていきました。一瞬驚きはしました。まさかと思い、お父さんが大変ですと大声で叫びました。医者看護婦みなかけつけてくれましたが、息を吹き返してくれませんでした。息を引き取った顔の美しさ、苦しみも悲しみも終わったかのようにみえました。駆けつけた息子と伴に、お父さん有難うとお礼を言いました。