夫の死後と、終戦の日
無事葬式も終わりこれより独り暮らしになりました。亡くなったのが、平成9年4月15日でした。
痴呆の様子がみえてきての、約6年間は、夢中だったとおもいます。脳梗塞の発作がおきてから、多少の後遺症はありましたものの、車の運転もやり、事故はありましたが、日常生活には、あまり支障はありませんでした。医者は、こんなラッキーな人は、見た事が無いと言ってくれました。あっと言う間に旅立って逝ってしまいました。残された事を考えたこと無い私は、毎日が無遊のような感じのまま日時を過ごしておりました。葬式が住んで暫くのあいだ、私の寝ている枕もとに正座している主人の姿が見えるのです。寒かったら入ってと寝床を空けてやると、入って来ていつものように枕をならべて寝ていました。近所のお婆さまにそのことを話すと、仏が往く所にいかれなんでいるのだから、よく拝むように言われました。とくに主人なるものが他界した場合は、思わぬことが起きて来ます。生前その事は案じてはいましたが、身内にかぎってとたかをくくっていました。案じていたとおり事が現れてくるのでした。悩んで眠りにつく枕もとに出て来て、それらを追い払ってくれるのです。勇気が持てました。このことがあって、霊というものは、私の傍にいて見守っていてくれると確信しました。これからは、自分なりにこの家を守ります。体に不調を感じるままにいろいろと、一年の行事を子供たちの手をわずらわせながら済ます事ができました。
ここで、敗戦の昭和20年8月15日の記憶を記しておきたいと思います。今日のように、非常に暑い日だったと、記憶しております。雨は降らず、かんかん照りでした。実家で迎えました。当時、回りの家にはラジオも無く、我が家の広間に大勢の人達が集まっていました。負けたことなど、誰一人思っていなかったと思います。聞こえてくる音は雑音ばかりで何もわかりません。ただ生神様の玉音を聞きたくて必死になって耳を傾けました。天皇のお声は勿論初めてですから。さっぱり判らない内に録音は終わり、続いて陸軍大臣のお言葉の説明がありました。最初に言われたのが、ポツダム宣言を受諾いたしましたと言われました。思わず大声で戦争は終わったと外に飛び出していきました。お隣の叔母様をはじめ、居合わせた人たちは泣き伏してしまいました。喜んでいる私を見て、この非国民がと、罵っていました。空襲警報がなりひびき、爆音がきこえておりました。お向かいではお盆なので、皆さん里帰りで涼しい縁側へでて、足をぶらぶらさせながら昼休みをしていました。戦争は終わったよと知らせてやると、一斉に飛び起きて驚いていました。6人も幼子を置いていかれた、小母さんは、亭主さえ帰ってくれたら、戦争に負けたって仕方がねえと安堵の色がありありと見えました。小母さんには、毎日が、戦争だったと思います。このことだけが、はっきりと思い出す事ができます。この事は、敗戦の日の、思い出のひとこまです。