娘時代のこと
戦争が始まった頃といってもこの頃は、アメリカと海戦が始まった時からです。その頃私は、親類の東京の家に、家事見習のため厄介になっていたのです。12月8日その日のことは忘れることはありません。えらいことになって、アメリカヤイギリスト戦ってどうするのかと思いました。
負けるようなことになったら、日本はどうなるかと思いました。旦那さまにお聞きしましたら、南が占領できたらよいがとおっしゃるのです。そして、宏江の言っていることがあたるかもしれないとも言いました。半年も経たないうちに、空襲があったのです。敵機が海岸線へはいってくるのに、日本の飛行機は見えないのです。みなれない機影が頭上をすぎたとき爆音がしました。近くの家のガラス窓の壊れる音がすさましいものでした。大分被害があった様ですが些細なことはわかりませんでした。正直言って田舎に帰りたいと思いました。でも無心な子供さんたちを見れば、大人の自分がと思ってもみました。夜は灯も少なくなり、食べ物は配給制となり戦争のかげが濃くなっていきました。
母キトクの電報がきました。奥様はお母さんの所にはやく行って上げなさいと言って、どこでどうなるのかわからない世ですから親のもとがいいわとおっしゃっていました。今もそのお言葉は忘れはしません。私が帰ってからまもなく奥様は亡くなられました。母も亡くなって父の片腕となりやらなければならなくなつたのでした。片腕でなく両腕だったのです。一年はんの都会生活は大変なプラスとなりました。経験して覚えたことは全部身につけたと思っています。