場所はなかを取り持ってくれる人の家でふたりだけで話したら良いと言うので、娘さんがお茶を運んでくれたりして、誰にも邪魔されず話ができました。動かされたことは、現在家をでることのできない事態であること、嫁入り仕度などできない世の中であることなど言い出してくれました。体ひとつで来て欲しいと言いました。落とし穴だったと後で感じました。父の反対をおしきって返事してしまったのでした。日取りも決まったある日令状が作三にきたのです。明日広島へ発つとゆうのです。友達と三々九度の練習を祖母に教わりながら笑いころげていました。

日向の義兄と、仲人となる方がみえたのです。悪い予感があたってしまったのです。その夜式をあげたいとゆうのです。父は絶対反対をしました。祖母と大変な言い争いとなり、当時結婚は家そのものでしたので、祖母の権限が強かったと思います。まず伯父がよばれました。意見を伺うためです。伯父の言葉は、宏江が決めることであって他の人にはできることではないと、はっきりと言いました。仏壇に灯明をあげてどうしたら良いかと、伺いしますと、行ったが良いと言われました。希望として嫁入り仕度は、もんぺで行きたいと思っておりましたから、叶ったわけです。家紋の紋付羽織を羽織ってもんぺ姿に下駄をはき、仲人の小母様に連れられて現在の我が家に足入れとなったわけです。大勢の人たちの、出迎え受けたような覚えがあります。夢みているようでした。数時間まえまで予測もしていなかったことですもの。結婚式を挙げるため彼の家に来ている私、いまさらひきかえすこともできず、ああどうとでもなればと思ったことでしょう。初夜にたいする心へもなく彼には申し訳もなく、いまだに思い出します。朝となり昨夜は一睡もできず大きなおにぎりを半分にして彼と食べることになりました。。すると甥の敏道君が食べたいと言って聞かないのでおしのお婆さんと敏道君と食べました。もう出発せねばなりませんでした。辰野の駅まで歩かねばならず16キロの道程です。父に挨拶のため実家よってくれたのに、顔をそむけていて父は挨拶を交わさなかったとかそのことを、あとになって知りました。彼にはすまなかったとつくづく思いました。今お国ために命をかけて出て行く人に、恥知らずな親をと恨みました。私には父は何事も言いませんでした。両方の家をあっちへ行ったりして待つのが、2年と少しのように思います。その間毎日のように手紙を出しました。軍隊では彼の事日報さんとあだ名をつけられたとか、返信の葉書代にお金がかかったでしょう。うらやましがられたと思います 

作三との結婚2