療養中の父                                              戻る

父が倒れたのは、2000年の3月でした。妻が中野に行き、退院まで中野にいましたが、母だけで父の面倒を見るのは不可能とのことで、飯田に来てもらいました。妻は職をやめ父のために良く尽くしたため、元気になり半年後の11月中野へ帰りました。その翌年も暑い夏の時期 飯田で静養していただき、都合5回飯田に来て頂きましたが、この9月29日ついに他界してしまいました。父の飯田での生活を忘れないよう、ホームページにわずかな写真しかないのですが、残しておきたいと思います。皆様ありがとうございました。

2000年4月末に佼成病院を退院し、5月から飯田で療養しました。
2001年夏の3ヶ月を飯田で過ごしました。父は日に日に元気になり
飯田の家の前の急坂を歩けるほどになりました。
写真は前の石田カナさんと。


元気になり中野に帰った父と母。
中野での父と私。
2002年夏、東京の佼成病院から飯田の健和会病院に転院し、2週間後に退院して飯田の家でくつろいでいるところです。
2002年8月には思いのほか元気になり、飯田から車で1時間程の所に有る治部坂の温泉「宿り木」に行って、リフトつきの温泉に入りました。その後、調子に乗って、かき氷を食べてしまいました。
治部坂の温泉「宿り木の湯」の玄関前で。
私の運転で、南木曽にも行って来ました。
母と父を連れて、近くの公園に行ってきました。
父と一緒に
2002年7月近くの公園に行ってきました。
2002年7月裕が御爺ちゃんのお見舞いで飯田に帰ってきました。
2002年お盆、弟家族、妹家族、我家の子供達が父のお見舞いに来ました。父はこのとき入院していました。父は大変嬉しそうで、いつもどうりの冗談を言って、皆を笑わせていました。
2002年9月敬老の日、お盆に仕事で帰られなかった宏夫婦がお見舞いに来てくれました。
敬老の日裕も来てくれて、夜は母を囲み敬老の日を祝いました。
2002年9月29日7時45分、父は他界しました。10月2日夜お通夜、10月3日葬儀グリークの音楽に送られたしめやかな葬儀でした。
あんなに元気だった父が、今ここに帰らぬ人となっているなんて信じられませんでした。葬儀を取り仕切っていただいた、葬儀委員長の畔上建築サービス信太社長様、社員の皆様、その他大勢の皆様本当にありがとうございました。