十四一(としいち)さんの思い出 矢ヶ崎宏江

この人が、夫の弟さんであることは聞いておりました。兄弟そろって、美男子であることも噂で聞いていました。それぞれの美しさは違いますが、長男は、凛々しく、次男は役者を思わせる端麗さを、次は優しさを、次は強さをそれぞれにそなえ持った美男の四兄弟でした。両親としては表さないにしても、よくぞ、生まれけりと思った事でしょう。叔父の延冶さは、義父の酒のうえの話と思いますが、叔父に向かって言ったそうです。お前さんは親父に似なんで気の毒な事よな。うちの作三を見てくれと言われて今でもショックだよと、晩年になっても忘れませんでした。十四一さんは大変もてたそうです。いろいろと、話を聞いています。軍隊に行ってからも評判は良かったと思います。ただ今の、ベトナムの、ハノイの近くで戦死されたのでした。敗戦後、戦友の方々に墓参りに来て頂きました。その時遺品など届けて頂きましたが、小さなメダルが残っています。ある時、十四一さんの最後の様子をこまかに書きしるしていただくことができ、戦友の方から頂きました。感激いたしまして、会社の方に、コピーしていただきまして、兄弟たちに配りました。どうした訳か届かなかった物もあったとか。母親は、生前、弔慰金を頂いておりました。そして、貧しかったみんなに分け与えてくれました。大きな犠牲のうえに払われたお金です。もうし分けなく思います。けっして忘れる事はできません。そして、十四一さん、亡くなられた大勢の兄弟の皆さん、この家を愛し育ったのです。わがいえの、歴史を残すのが私達の務めと嘉秋のたっての願いでございました。   宏江     03.2.2