浦の沢の栃の実餅             平成14年12月4日
目次
ことのはじまり
家伝のアク抜き方法
村内家伝の方法では食べられない浦の沢の栃の実
いつしか忘れられた浦の沢の栃の実
ふと、昔を思い出す
さあやってみましょう
試食をしてみましょう

実際栃もちを作る
 

ことのはじまり

 約束の日が迫ってきた。ええい、ままよ、始めてみよう。まったく気の進まぬままに。
(右の写真は、加藤さんの撮影です)

姪の恭子さん夫妻は例の栃を提げて我が家にこられた。量は2キロだと言っていた。

 そのまま熱湯につけて2時間、これは亡き姑より教わっていた時間です。昔は炉辺に大鍋をつるして手の入る湯加減にして湯の量を一口鍋に半分以上入れさあ開始でした。

 熱湯の栃を中から少しずつ出してそのまま大鍋のお湯に入れて冷まさないように鍋の周りに集まって、くねりと言う昔ながらの道具を使って表面の硬い皮を回しながら浮かせて浮いたと思うとき上からギュット押さえて割り、中の実を取り出しました。丸のままや、半分くらいでは、アクのまわりが遅いので、四半分くらいにした方が良いかもしれません。

 久しぶりに皮むきをして感じたことは、干しあげるのに少し時間をおくか、日光に当て中身がよく乾いている方が剥き易いように思われました。囲炉裏というわけにはいかないので、石油コンロの周りに新聞紙を引き回して、姪の持参してきたくねりで、旦那さんの明さんと3人で始めましたが、思うようにはかどらず、今までこんなことはなかった思いながら、何とかせねばとあせってしまいました。そのうち、頼みのくねりは壊れてしまいました。漬物石と金槌を探してきて続行はしてみましたが、湯は冷めるは、実は砕けるはで悪戦苦闘して何とか剥き終えました。旦那さん曰く「こんなにも大変なことか」と。

 私にしてみれば今のことよりこれから先のことが心配でした。布袋に入れて、水道に入れ流し水に漬けました。白い泡ぶくが出てきて、また昔のことが蘇えってきました。

家伝のアク抜きの方法

一晩水道に漬けて大川にびくに入れ二日ぐらい置きました。それから水から上げて、温かめの熱い木灰を炬燵から出してきて、暖めた栃を大鍋に入れて、灰を振るってかけ、その上に熱湯に近いお湯を入れて手早くかき混ぜて冷まさぬように周りを囲み、二度三度くらい熱いお湯をいれて温度を下げないようにして、一昼夜ぐらいでアク抜き完了となりましたが、これが昔から伝わったアク抜きの方法でありました。

 その家その家でやり方または出来具合も違っていたと思いますが、姑は我が家の家伝がが一番だと思っていたと思いますよ。私自身は、お隣さんの方がよかったと思います。

 はっきり言って姑さんが気の毒だから黙っていましたが。あくまでこれは、30年も以前の昔のことです。

村内家伝の方法では食べられない浦の沢の栃の実

 只今は浦の沢の栃と言っていますが、以前はあいの沢と言って、その中に鉱山の事務所があって下には蛇石があり、蛇石の栃と呼んでいました。昔、営林署内の栃は拾えなくなり、あそこの栃を何とかしたいと大勢の人が考えていたと思います。と申しますのは、昔よりあそこの栃をうまくアク抜きができず、食べた人がいなかったみたいです。自分自身もそうでしたが、姑様が、「おかあちゃ何とか二人で食べられるようにやって見ようや」そして、「栃を拾ってこいや」と言うので、事務所の管理人さんに頼んで拾ってもらいました。誰も拾う人がないので、肥料袋に何個も集めてくれて会社のマイクロバスで運んでもらいましたが、御礼もしなかったと思います。栃の始末はまだ元気だった姑が洗って干し上げてくれました。おいしい栃餅を頭の中に描きながら一生懸命に何度もやって見ましたが、一度として食べられたことがありませんでした。古村屋の小母さんも何度やっても失敗に終わり、「和方の灰は炭焼き釜の灰だから」と言って何度か持っていかれたそうですが、だめだったそうです。御餅に突いても食べることができず一臼捨てたこともありました。主人には怒られるし、姑もあきらめて栃餅の話はしなくなって亡くなってしまいました。

いつしか忘れられた浦の沢の栃の実

 二階に干しておいた栃はどこに行ったやら、ころころコットンとねずみが転がす音がしていましたが。私たちも何年かこの家を空けることとになり、栃のことは忘れ去られることになりました。何年かして我が家に帰り、ある日のこと近所の人、中家お婆様が栃餅を持ってきてくれました。昔を思い出し本当に感動しました。お蕎麦も皆さん大変上手になられ、お焼きもしっかり源上の特産物となったと聞きました。これに栃餅が加わったら思わずにはいられないと思いました。それには、あの浦の沢の一本の大木より落ちる実は何とかならないものかと思うのですが、幾度かの失敗を重ねているわが身は、その気になれませんでした。加藤さん夫婦がこちらに滞在されるようになり、ある日の話に栃餅の話をなさいました。その時思ったことは、栃餅のあのなんともいえぬ味を味わってもらえたらと、そして何とかならないかと思いました。

ふと、昔を思い出す

 隣村にすむ中村さんに、昔あの栃をお粥にしてと人にあつらえて作って頂いたいて食べたことがあるのをふっと思い出しました。昔のことなので半信半疑のまま、電話をしてみましたら、「厄介だけれども食べられる」と教えてくれ、私に下さったことも覚えていました。私の経験より違ったことは石灰を使用していることでした。早速姪たちに栃を拾うよう申しましたら、その年は時期を逸してしまい、それを聞いて事実ほっとしました。

 1年はすぐに経ってしまい、今年苦労して4キロくらい集めることができたとか。気は重くなるのですが、やって見なければなりません。

 よく干しあげて、その頃の半分の量で試してみようと約束をしてしまい、とうとうその日が来ました。

さあやってみましょう

 三日三晩水道に漬けて灰を合わせて見ましょう。木灰は渡戸の油屋のストーブからわずかでしたが、ごみのままさらってきました。それとそば殻を焼いて灰にしたもの(わずかでしたが)、石灰は薬局で手に入らなかったので原石を砕いてツブツブにしたもの湯飲み茶碗半分強、タンサンを少々ありあわせの物、以上の物を暖めた栃と混ぜ合わせ灰は湯に溶いてあるので漬物桶の容器に入れ、シート、古布団などでくるみ、終わったのが何時頃であったか夕方近くと思います。

 アクは相当強かったのか、素手でかき混ぜたら手の甲にピリピリとして、栃を拾ってみたらあの白茶けた栃の実が赤くかわっているかに見えました。これは良い前触れではないかと思われました。寝がけにもう一度熱いお湯を回して、朝七時頃おきて湯を回して、栃を持って来て割ってみましたところ、白い斑点が曲者ですが、斑点はありませんでした。

 栃を洗い、ストーブで銀紙に包んでやりましたら、柔らかにつぶれかんでみると辛味が口いっぱいに広がり、苦味は感じません。

試食をしてみましょう

昨日の冷たいご飯を使ってお粥にして見ましたら、糊上になり立派なお粥になりました。辛味はありますが苦味はないので良いとは思われますが、これでは全部良いとは思えず、昼近くまでお粥を食べ続けてみてお腹が悪くなるようなことがありませんので、新しくお粥を作り二人を呼びました。

 食べる二人を観察していました。姪の方はおいしいと言いました。だんなさんは別になんとも言いませんでした。栃の味を知らないからだと思いました。毒ではないことがわかったので、栃を洗って水で少しアク抜きをして餅についてみると言って帰っていきました。大丈夫とは思っていましたが、餅を食べさせてもらえるかと待ち遠しいものでした。

実際御餅を作る

 旦那さんよりメールをいただき、ほぼ成功だったことを知ることができました。おいしい御餅をと持って来ていただき、感激のうちにいただくことができました。とにかく悲願の栃を食することができたのです。中村さんありがとうございました。そして私の気持ちを奮い起こさせてくれました姪夫妻の熱意だと思っております。八十歳にしてこの興奮を感じさせてくれました大勢の人たちに改めて御礼を申し上げたいと思います。

これよりあのたくさんの栃を大勢の人たちが拾い集めて、おいしい餅作りに工夫をされてこの土地の特産物にしてほしいと思います。

 

 このことはある意味で、改めてあの栃を食することが可能であることを証明できましたことを記したいと思います。息子の嘉秋の連れ合いである加寿子さんが昨年拾った栃を皮を剥いて水に浸したものを我が家の冷凍庫に入れておいたのですが、先ほどのアクの残りを集めて同じようにアク抜きをしましたところ、アク抜きに成功してお粥にして食したところおいしく食すことができました。まだまだ研究の余地は有るかと思われますが、皆様是非ふるって実行してみていただくことをお勧めしたいと思います。そしてこのことが少しでも大勢の人々のお役に立てたらと思います。

 忘れてしまわないうちに記しておきたいと思いまして、書き残すことにしました。宏江