京都御所勤労奉仕団での楽しい話し

12/10/21 怖〜い「のろい杉」もある神社 
京都御所勤労奉仕団にて
No689

京都観光での人気スポット・清水寺の本堂北側に、「縁結びの神様」として若い女性に絶大な人気の『地主神社』があります。
この神社の境内にある『おかげ明神』は、どんな願い事でも、一つだけなら必ず【おかげ(ご利益)】が頂けると云う
【一願成就の守り神様として厚い信仰を集めています。

私たち京都御所勤労奉仕団の一行が訪れたおりも、若〜い、若〜い女性で押すな押すなの大混雑・・・・、中高年のわれら「おじさん」、「おばさん」たちには、いささか場違いな?神社でありました。

こんな有難い神様なのですが、『おかげ明神』の後側には、「いのり杉」とも「のろい杉」とも呼ばれる怖〜い御神木があります。
昔、女性の間で流行しました【丑の刻参り】に使われた神木です。
白い衣に頭にはローソク、顔は真白に化粧をし、午前二時「丑の刻」に相手にみたてたワノ人形を人知れずこの神木にクギで打ち付け、「のろい」の願をかけたと云われます。その五寸クギのあとが、現在も御神木に無数残っています。
(下写真)
『地主神社』は、縁結びと、縁切りの両面を持った、不思議な神社なのです。。。
清水寺に参観のおり、一度立ち寄って見るのも、面白いですよ。


縁結び、良縁祈願の『おかげ明神』



御神木の「のろい杉」
上の木の傷は、白い衣に頭にはローソク姿で、
ワノ人形を打ち付けた五寸クギの跡なのでしょうか?
怖〜い・・・



12/10/19 「一升石」 京都大宮・仙洞御所
−京都御所勤労奉仕団にて(18)
No688

「♪母〜は来ました 今日〜も来た この岸壁に 今日〜も来た」って歌がありますが、また今年も、京の都へ、お掃除の旅に行って来ました。
この奉仕活動への参加は、8年目となりますが、今年は、『京都大宮・仙洞御所(せんとうごしょ)』と、『修学院離宮』での草取り、落ち葉掻きのご奉仕です。
二日にわたる作業も、天候に恵まれ、作業もはかどり、気持ちよい汗を流させて頂きました。
作業の終了後、宮内庁の職員の方から、庭園のご案内も頂き、今年も楽しいお掃除の奉仕が出来ました。
来年も、元気で来られたら良いなあ〜。。。

【京都大宮・仙洞御所(せんとうごしょ)

『仙洞御所(せんとうごしょ南池 州浜
仙洞御所の池の周りに、楕円形で平たい小石が整然と並べられています。
19世紀初頭、小田原藩から集められたものですが、この小さい石一つに、米一升を与えて集められたと云われ、その事から「一升石」と呼ばれる。



『一 升 石』
宮内庁の方の説明では、何万個もある「一升石」の裏側には、通し番号が書かれているとか。「えっ!本当・・・」



池周辺を巡る京都御所勤労奉仕団の一行
奉仕団の服装はと申しますと、男性は、ワサビ色(国防色)の作業服。女性は、白いエプロン姿。 時代錯誤??



醒化亭(せいかてい)
柿葺(こけらぶき)の茶亭です。醒花亭の名は中国・唐の詩人 李白(りはく)の詩「夜来月下臥花影・・・」に由来しています。



御所煎餅(ごしょせんべい)
京都の御所と離宮の掃除のお土産です。
一般のお土産屋さんには販売されていないようですが、包装紙に、菊の御紋と、京都御所 「建礼門」が描かれています。京都御所日記本舗謹製


11/11/29 立 砂(たてずな)ー上賀茂神社
−京都御所勤労奉仕団にて(17)
No629

塩を撒いたような白い庭の中に、ニョキッと立つ、二つの謎の円錐形の塊、いったい何んなんでしょう?
この円錐形の塊は、立砂(たてずな)と云い、神様がご降臨なされる所にちなんだものだそうです。
鬼門や裏鬼門に、お砂を撒き清めるのは、此の立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりです。毎日、美しい円錐形になるように、整形されておられるのでしょうね。




【重陽の節句に行われる子供達の烏相撲(からすづもう)】上賀茂神社
下の写真は、以前、上賀茂神社に訪れた際、撮影しました重陽の節句(9月9日)に行われる子供達の烏相撲です。
神事をつかさどる 刀祢(とね)が、烏の踊るが如くカーカーカーと烏鳴きをされます。
今まで経験したことも無い“珍しい祭事”で、あらためて、京都という街の、まか不思議さと、歴史を感ぜずにはおれませんでした。

カーカーカー」と烏鳴きをされる刀祢(とね)

児童等による相撲が行われる

烏相撲の祭事に参加の児童達
行事解説 京都の祭事、行事より参照
9月9日は古来9という陽(陰陽の陽)の数字の重なる日であるところから重陽節句として五節句の一つに数えられ、宮中を始め一般にも祝いの日とされており、古くより厄災祓いの日として、菊酒を飲んだり、菊の花についた露で肌を拭ったりして長命を祈ってきた。
 
烏相撲は上賀茂神社の祭神の祖父である賀茂建角身命が神武天皇東征の折巨大な八咫烏(やたがらす)〔不思議な大烏〕となって先導をつとめるという大きな功績をたてたことと、悪霊退治の信仰行事としての相撲等が結びついて行われるようになった。
 
当日、本殿で祭典があった後、境内細殿前庭(ほそどのぜんてい)で弓矢をもった刀祢(とね)が烏の踊るが如く三三九躍横飛びをしたのちカーカーカーと烏鳴きをするなどユニークな所作を行い、その後、児童等による相撲が行われる。
 また、その年葵祭にご奉仕頂いた斎王代がこれをご覧になる。
11/11/27 『 国宝・阿弥陀三尊像 』・京都 大原 三千院
京都御所勤労奉仕団にて(16)
No628

♪京都〜大原三千院 恋に疲れた女が一人〜・・・
晩秋の大原の里には、ピッタリの歌ですよね。
そんな、恋する女性の方々“ご用達”?の大原三千院を、私たちおじさん、おばさんのご一行が訪れたのです。
恋に疲れたと云うより、日頃、孫のめんどうを見るのに、ほとほと疲れはてた御一行が・・・

『往生極楽院・阿弥陀堂』に安置されておられます『阿弥陀三尊像』さんは(左写真)、有難い仏様で、何に疲れていようとも、仏の前で手を合わせますと、老若男女 分け隔て無くお慈悲を頂けるそうなのです。
有難い、有難い!
★阿弥陀如来さんの左右にお座りの菩薩さん。前屈みに跪いて(ひざまづいて)おられます。
この座り方、「大和座り」と云うのだそうです。
(寺院のパンフレットより)
私たちに、早く、こちらの世界においで下さいとでも言っているようですね。


『 往生極楽院・阿弥陀堂 』
ここに、『 国宝・阿弥陀三尊像 』が安置されています。


 落葉した雑木が面白い

11/11/26 「紫宸殿」の 「右近の橘(うこんのたちばな)」も冬の準備
−京都御所勤労奉仕団にて(15)
No627

秋の恒例、三泊四日の 「京都御所」でのお掃除の勤労奉仕に行ってまいりました。。
ご奉仕として、庭園のモミジ、松などの落ち葉掻きをし、終了後、宮内庁の職員の方より、2時間ほど、秋深まる御所を案内して頂きました。
毎年の事ですが、新たな発見、感動があり、旅の楽しみの一つにもなっています。

今年は、紫宸殿(ししんでん)の前で、面白いものに出会いました。それは、工事現場にでも建っていそうな大きな“掘っ立て小屋?”です。(左の写真)
文化財の紫宸殿には、ちょつと不似合いな建物ですが、いったい、何が入っているのでしょうか?
答えは・・・『右近の橘(うこんのたちばな)』です。(右下写真)
そういえば、いつも、紫宸殿の前にある『右近の橘』が見当たりませんものね。
冬の間、この大きな建物の中で、寒さを避け、春の訪れるのを待つのだそうです。
建物のお値段は100万円単位との事。さすが、『ひな祭り』のルーツの「橘」ですね。。。
ただ、民主党さんに、仕分けされなければ良いのですが。
(心配・・・)

上の橘は、以前、覆いの無い時に撮影したものです。
現在は掘っ立て小屋?の中・・・

紫宸殿(ししんでん)

即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿です。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位礼もこの建物で行われました。
中央に、天皇の御座【高御座・たかみくら】、その脇に皇后の御座【御帳台・みちょうだい】が置かれています。

紫宸殿の両脇には、「左近の桜(さこんのさくら)」、 「右近の橘(うこんのたちばな)」が植えられています。

10/11/14  平城宮跡・「大極殿」を見学
                −京都御所勤労奉仕団にて(14)
No554

左の遠くに見える建造物は、平城遷都1300年祭を記念して「平城宮跡」建てられた「大極殿」です。京都御所奉仕団のメンバーと訪れたおりの写真です。

大極殿を見学するためには、バスターミナルから広大な野っ原の中を、片道500メートルほど歩かなければなりません。

中高年のわが団体・・・、チョツト足が引けたのですが、そこは40年前、「大阪万博」を経験したツワモノ達。疲れも知らず無事見学致しました。(感想は・・・だだ、ただ、広い敷地にビックリ!)
帰りの土産物売り場では、皆さん、「みやげを買いたい!買いたい!病」が発症・・・奥さん、子供、孫にへと、バーゲンセールごとく、買い物競争。私など、キモイと思っていた「せんとくん」の人形まで、つられて買ってしまった。
★平城宮跡・「大極殿」は、平城遷都1300年祭(会期:4月24日〜11月7日)終了後も、無料公開されるそうです。



「大 極 殿」


「大極殿」に置かれた「高御座(たかみくら)」・・・復元品
★高御座(たかみくら)とは、即位の礼において、天皇がおつきになる御座
京都御所の一般公開のおり 紫宸殿で見る事が出来る

10/11/8  修学院離宮上空に、APEC警備のヘリコプター
−京都御所勤労奉仕団にて(13)
No553

本年の京都御所勤労奉仕団の活動は、比叡山の麓にある修学院離宮の落ち葉掻きでした。
総勢45名の奉仕団のいでたちはと申しますと、男性は国防色?の作業服女性は姉さん被りに割烹着。(左写真)
ちょつと時代錯誤とも思える服装の一団ですが、決して、危険な思想信条を持った人たちではありません。ただ単に、京都の御所を中心とした歴史、文化に触れたいと云う目的で、ボランティア活動に参加させて頂いている者です。

所が、ボランティア活動をさせて頂いた11月5日、修学院離宮周辺は、上空には、ヘリコプターが爆音をとどろかせ飛び交い、道路では突然の交通規制。
原因は、修学院離宮に近い国立京都国際会館で、APECの財務相会合が開催され、その警備の為のものだつたのです。
今回の会議には、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で、日本とギクシャクしている中国の関係者も参加されているようで、さらに、大警備になったようです。
京の都には似合わない この騒動・・・・物騒な世の中になりました。

★【修学院離宮
・・後水尾上皇の手により1659年(万治 2年)に完成した山荘です。 広大な敷地には、上・中・下に、それぞれ独立した三つの離宮が配置され、 離宮には、【寿月観】、【隣雲亭】などの建物があります。
なお、参観を希望される方は、事前に宮内庁に参観願いを提出し、許可を得ることが必要です。


修学院 上離宮 浴龍池    11/5撮影


上離宮 浴龍池に架かる千歳橋     11/5撮影


浴龍池に映える紅葉     11/5撮影

09/12/4  「みかえり阿弥陀如来」・永観堂
−京都御所勤労奉仕団にて(12)
No480

以前、夜の報道番組で、滝川クリステルという女性アナウンサーが出演していました。
彼女がかもし出す、エキゾチックな雰囲気。。カメラに対して、「斜め45度の姿勢」で、淡々とニュースを読む姿に、多くの殿方が、肝心のニュースも忘れ?、見入ったのではないでしょうか。(私だけ?)

所が、先日、「斜め45度」の魅力をさらに上を行く、「左90度のお姿勢」の有難い「阿弥陀如来」様に、京都御所奉仕の帰りに、お会いすることが出来ました。
場所は、京都の『もみじの名刹・永観堂』です。
永観堂のご本尊である阿弥陀は、首を左にかしげ、ふりむいておられるお姿から、 「みかえり阿弥陀如来」と云われているのです。

京都随一と言われる燃えるような紅葉も堪能出来たし、おだやかな みかえり「阿弥陀如来」様も拝観でき幸せでした。。。







09/11/25   『天皇さまのお手水(洗面所)』
−京都御所勤労奉仕団にて(11)
No479

私の京都御所の【ご奉仕(お掃除)の旅】も5年目となります。
旅は、三泊四日と少し長めで、しかも、費用は全て自分持ち・・・なのに、参加希望者が多く、今年も、空き待ち状態の大人気でした。。(大型バスが満席)

人気の秘密は、それはもう、日本の文化遺産である御所で掃除のボランティアが出来る事です。
それと、もう一つは、奉仕後に担当職員の方による
御所内の案内がある所ではないでしょうか。。。
春、秋の一般公開でも、なかなか見られない個所も
ご案内頂けるのです。

今年の注目度ナンバーワンは、何と云っても、天皇がお使いあそばされたと云う「お手水」です。(敬語の使い方、大丈夫でしょうか?)
立派な畳敷きの部屋でした。
一般のご家庭にお伺いしたおりでも、なかなか見学出来ない場所ですよ・・・
★上は、落ち葉等の運搬用のリヤカーです。
しっかりした作りで、さすが京都御所のリヤカーです。


訪れた11/24〜11/27の京都は、これ以上ない好天に恵まれ、
真っ赤に色づいた紅葉の下での御所の落ち葉掻きは、
思い出に残るご奉仕となりました。。。


ご奉仕の後の見学会。
承明門より紫宸殿を・・・




飛香舎(ひぎょうしゃ)
女御が日常過ごしていた所で、中庭に植えられた藤にちなんで「藤壺」とも呼ばれた。
『源氏物語』でも、藤壺中宮が飛香舎を局としたことで知られる




御庭池


08/11/21  天皇の ご幼少の頃の『落書き』
−京都御所勤労奉仕団にて(10)
No.404

今年も、京都御所の清掃奉仕活動終了後、
恒例の「御所参観」がありました。
NHK大河ドラマ【篤姫】でもおなじみの「紫宸殿」を始めとし、「清涼殿」」などの建物群を見学させて頂いたのです。

ある建物の前に来たおり、案内人が襖絵を指差し、こちらは、○○天皇がご幼少の頃、落書きされた襖絵でございます!。」 「この辺りに、落書きをされたのでございま〜す。」との説明がありました。

目を皿のようにして、(やんごとなき)落書き個所」を探すのですが、部屋は薄暗く、よく分かりません。でも、でも、そこは、分別ある実年?グループ。。。
見えても、見えなくても、「へ〜」「すご〜い」と感嘆の言葉を発しながら、きっと、あれが、『落書き』であろうと・・・納得し合ったのでございます。

天皇のご幼少の頃の「落書き」が、「御所参観」で、エピソードとして語られると云うことは、天皇家では、大らかな教育方針で、お子たちをお育てになったのでありましょうね。。
わが家でも、孫たちが訪れ、障子など破いても、「へ〜」「すご〜い」と、見守ってやらなければ・・・と思った「御所参観 」でありました。
※上の建物の室内に、天皇のご幼少の頃の『落書き』があります。落書きをなされた天皇が、何代目の天皇様なのか、聞きそびれました。 申し訳ございません。


【紫宸殿】(ししんでん)
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿です。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位礼もこの建物で行われました。
中央に、天皇の御座【高御座・たかみくら】、その脇に皇后の御座【御帳台・みちょうだい】が置かれています。


08/11/20  修学院離宮での「落ち葉掻き(かき)」
−京都御所勤労奉仕団にて(9)
No.403

訪れた京都は、紅葉シーズンの真っ盛り。。。
市内は、どこもかしこも「盆と正月が一緒に来たあ〜!状態」の大混雑でした。
しかも、行くところ、世界各地の理解不能な言葉・・△¢£%?が飛び交い、さすが、国際観光都市京都の面目躍如と云った所です。
京都も、市内から一歩外れますと、そこには、静かなる里山風景が見られます。比叡山(ひえいざん)の麓、東山連峰の山腹から山裾にかけ広がる【修学院離宮】も、そんな風景の中にある離宮です。

今年の『駒ヶ根市京都御所勤労奉仕団』のお仕事の一つは、その【修学院離宮】での「落ち葉掻き」でした。

赤ちゃんの手の平のような可愛い「落ち葉」を、箒(ほうき)や熊手を使い、丁寧に、丁寧にかき集めます。好天に恵まれ、思い出に残るボランティア活動でした。(皆さまに感謝・・・)
★【修学院離宮】・・・後水尾上皇の手により1659年(万治 2年)に完成した山荘です。
広大な敷地には、
上・中・下にそれぞれ独立した三つの離宮が配置され、 離宮には、【寿月観】、【隣雲亭などの建物があります。
なお、参観を希望される方は、事前に宮内庁に参観願いを提出し、許可を得ることが必要です。


上離宮【隣雲亭】より庭園を望む

上離宮 【浴龍池】に映る紅葉

上離宮【寿月観(じゅげつかん)



【寿月観】の縁側


【寿月観】)へ通じる【御幸門】(みゆきもん)
ボランティアの休憩時間にスケッチする


07/11 『ひな飾り』のルーツ・・・紫宸殿(ししんでん)にて
京都御所勤労奉仕団にて(8)
No.346

私の京都御所見学も、今年で3回目となりました。
何時来ても新しい発見、出会いがあり、一年に一度の大きな楽しみとなっています。
今年の新たな発見は(ちょつと大げさ・・)は、『ひな祭り』に「お内裏さま」の脇に置かれる「桜」、「みかん??」の飾り物についてです。 (娘が嫁いでから、おひな様も、あまり飾らなくなったが・・)
「桜」は、誰が見ても「桜」と見えますが、黄色な実が付いた「みかん??」の飾り物は、実は「橘(たちばな)」と云う木だつたのです。。。

紫 宸 殿(ししんでん)】の前には、左右に「桜」と「橘(たちばな)」が植えられています。
これらの木が、『ひな祭り』に飾られる「桜」と「橘」のルーツなのです。(下の写真)
『左近の桜(さこんのさくら)』、『右近の橘(うこんのたちばな)』と名付けられています。

所で、【紫宸殿】に向かって、右側に植えられているのは、桜それとも橘、どちらのの木だと思いますか? 正解は、右側に植えられていますが、『左近の桜』が、ピンポン〜です。

紫宸殿を中心に考えますので、紫宸殿の内より外に向かって左にあるのが桜、右にあるのが橘です。京都の区画も、御所より見て左が左京区、右が右京区。通りの一条、二条・・・も、みな御所が起点。。
京の都の造営は、全て御所を中心に行われたのですね。(勤労奉仕旅行は勉強になるなあ〜・・・)


【紫宸殿】に向かって左にあるけれど、右近の橘(うこんのたちばな)
キコク(からたち)のような黄色の実を付けていました。



左近の桜(さこんのさくら)
春どんな桜の花が咲くのでしょうか



※紫宸殿(ししんでん) ・・・
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。
(紫宸殿は北を背にして南向きに建てられている。
)

明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位礼がこの建物で行われた。 中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その脇に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」 が置かれている。

正殿の両脇には、「左近の桜(さこんのさくら)」、 「右近の橘(うこんのたちばな)」 が植えられている。

承明門より紫宸殿を望む


07/11 大宮・仙洞御所で氷室(ひむろ)の掃除をする。
京都御所勤労奉仕団にて(7)
No.345

氷室(ひむろ)って何んなの?
氷室とは、日本古来の氷を蓄えておく場所のことで、冬場にできた天然の氷を、地面に掘った穴に埋め、夏まで氷を保存するための室です。
氷は、夏、食品を冷やすために使ったり、氷自体を料理に利用したようです。

氷室は、昭和30年代初期頃まで使われていた、「氷を入れて使う冷蔵庫」の原型とも云えます。
その氷室(ひむろ)を、京都大宮・仙洞御所(せんとうごしょ)での勤労奉仕のおり、ラッキーにも見るチャンスに恵まれたのです。
いや、見るチャンスにと云うより、氷室のお掃除をして来たのです。 (左の写真は、氷室と、御所でお借りした掃除用ゴミ取り、ゴミ袋・・・)

氷室は、広さ5坪ほど、深さは、私の身長の3倍はありそうな大きな石組の穴でした。
氷室の底に降りて見ますと、ヒヤッとした空気に包まれます。
この場所に、京に都があった頃、氷を保存していたのだと思うと、何だか、タイムスリップしたような不思議な気持ちになりました。

「光源氏」さんら宮廷の方々は、京の暑い夏、この氷室の氷を、どのように利用されたのでしょうかね? 「かき氷」にし、甘いシロツプをかけ、「冷たくて、頭がツンと来るね。。」などと言いながら、楽しまれていたのでしょうか?それとも、お酒に入れ、「やっぱし、夏はオンザロツクだよね。。」などと・・・・
想像しただけでも、ロマンがあり、楽しくなります。。。。

美しい石組みですね

平成17年の氷室改修工事の際、
再生不可能な石は取り替えられました。
上の写真は、取り替えられた製造当時の石です。


〔 奉仕活動風景〕

集められた落ち葉をリヤカーで運搬する
京都御所勤労奉仕団のメンバーの方々



お掃除で集められた落ち葉
さすが、御所の落ち葉、何となく品がありますよね?


※京都大宮・仙洞御所(せんとうごしょ)・・・京都御所の南東に塀を堺にしてあり、
徳川家光が後水尾上皇のために造営した御座所。 御殿は数回にわたる火災で消失したが、
手入れの行き届いた池泉回遊式の大庭園が現存。
庭園は、茶人でもあった小堀遠州の指導によるもので、二つの池を中心に、様々な石組を配置。 池中に橋を架け、茶室を設けた美しい構成が、当時の名残 をとどめている。



06.10. 修学院離宮への道 京都御所勤労奉仕団にて(6)

どこにもありそうな、のどかな里山風景でよね。(駒ヶ根市でもこんな所はありそう・・)
手前の農道をてくてくと歩いて行きますと、森から山にかけてが、かの有名なる修学院離宮なのです。

この離宮は、1656年〜1659年にかけて造られた山荘で、『後水尾上皇』自らが設計したと言われています。
約54万平方mという広大な敷地に上・中・下の三つの御茶屋があります。

普通、庭園は宮内庁の拝観許可がないと見学出来ないのですが、今回は、庭園のお掃除の勤労奉仕で入園させて頂きました。
森の中に、こんなに透明感のある池があるのです。かって、『ダイアナ妃』が対岸の建物で、お弁当を食べられたそうです。(案内の方の説明によりますと)

庭園の 「スギゴケ」の中にはびこっている
「リュウノヒゲ」を抜き取る勤労奉仕団
草ひきは腰が疲れます。。

庭園内の「建仁寺垣」。 
この垣根は、知り合いのAさんが、京都で竹垣作りの修行中、製作に加わったものだそうです。(すごい!)


06.10. 懐かしのホーロー看板 京都御所勤労奉仕団にて(5) No.287

京都御所の奉仕の帰り、ボタンの花で有名な
『長谷寺』に立ち寄ったおり、参道商店街で、
面白いものを発見いたしました。

それは、地方紙から全国紙まで、新聞各社の名前がづらっと並んだ「ホーロー看板」なのです。。
「これは珍しい!」とカメラに納めたものが、左の写真です。

その昔、商店街ではもちろんのこと、農家の土蔵、民家など、道路に面し、人目につきやすい場所には、あちこちに、大村崑さんの「オロナミンC」や、松山容子さんの「ボンカレー」、「仁丹」、「学生服」等々、各種宣伝用「ホーロー看板」が見受けられましたよね。

現在、「ホーロー看板」を見たいなあ〜と思いましても、私の住んでいる田舎の町でも、ほとんどお目にかかれず、あったとしても、朽ちかけた廃屋に、さび付き、今にも落ちそうな状態で掛かってるようなものばかりです。

多くの「ホーロー看板」がこんな状況に置かれている中、『長谷寺』参道商店街の新聞屋さんの軒先に張られた「ホーロー看板」は、現役バリバリのものから、休刊中、もしくは、廃刊してしまったものまであり、
ちょつとした、「新聞の題字」の野外ミュージアムのようです。
お店主の方の、「ホーロー看板」への愛着と、思い入れを感じました。

現在、「路上観察」と云って、散歩の途中、マンホールのふたの絵柄を調べたり、変わった形の建物を見つけたり、変な看板を探すのがブームなのだそうです。(相当ヒマそうな方々・・・)
こんなマニアの方には、垂涎(すいえん)ものの「ホーロー看板」群ではないでしょうか。

上の、各新聞社の「ホーロー看板」を、「路上観察」風に、精査いたしますと、(勝手に・・・)
「奈良日日新聞」(左から3番目)は、現在休刊中。
本年10月27日付で、新しい「奈良日日新聞」として復刊するそうです。
ですから、この看板は、旧新聞社のもの。(希少価値)

「大阪新聞」(1番左)は、2002年3月に産経新聞大阪本社版夕刊に紙面統合される形となり事実上廃刊した。(これまた、希少価値)

「サンケイ新聞」(右から2番目)は、現在は、題字が漢字で「産經新聞」。

さすが、ここは関西!!。阪神系の「デイリースポーツ」は文字もハッキリクッキリなのに、東京の
読売系「報知新聞」はくたびれ気味。
(私も路上観察会のメンバーになれそう・・・)


06/10 人民軍兵士?か、カフエの女給さん?か 京都御所勤労奉仕団にて(4) No.286

京都御所内の清掃奉仕は、団体行動で行われます。
草ひき(草取りとも云う)も、休憩も、昼食も、全て団体で行われるのです。

また、私の参加している奉仕団の服装はと云いますと、40年前から 、男性群はワサビ色(国防色)の作業服に、頭は白い手ぬぐいで鉢巻。女性群は、姉さんかぶりに、白いエプロンが定番となっています。

こんな姿で、庭園内を団体で移動していますと、
通りすがりの欧米人観光客が、驚きの表情で立ち止まり、
「Oh!Wonderful!○×△〒・・・」と、何か、新発見でもしたかのように、私たちに向け、カメラのシャツターを、パシャ、パシャときるのです。(ピ−スサインをして良いものか悩みます・・・)

彼らの狂喜乱舞の様子からして、
私たちを、相当誤解しているようなのです。

国防色の作業服姿の私たち男性群を見て、人民軍兵士の修学旅行?かと。。。

白いエプロン姿の女性陣を見て、竹久夢二の絵に出て来るカフェの女給さん?かと。。。

こんな楽しいハプニングもありましたが、私たち実老年奉仕団、粛々と、団体にて、ご奉仕活動に励んだのでございます。
★上の写真は、男性群の作業服、右は、姉さんかぶりの女性群



06/10 女学校同窓会の、旅かと見まがうほどの賑やかさ 。 京都御所勤労奉仕団にて(3) No.285

今年も、京都御所へのお掃除勤労奉仕の旅に参加させて頂きました。
この奉仕の旅の人気はすさまじく、貸し切り大型バスは定員いっぱいです。(7割は女性群)
しかも参加者は、お歳をとられても、お口の方はお達者?な方ばかり、

もう車内は、杉良太郎ショーか、氷川きよしショー の観客席状態。。。
ガイドさんが、チョツト面白い話をします、箸が転んだかのように、「キャーキャ、ワアーワアーと黄色い歓声があがり」、声だけ聞いていれば、女学校同窓会の旅です。(失礼・・)
ですから、車内での話題も、もっぱら「この頃、腰が痛くてねぇ〜、どこか良い病院ないかしら?」とか、「孫って可愛いのよねぇ〜」とか、こんなお話ばかり。。(かく言う私もご同様・・・)

さらに、カラオケ曲も、映画『愛染かつら』の主題歌 「♪花も嵐も 踏み越えて ・・・泣いてくれるな ほろほろ鳥よ〜」等々。
ちなみに、私の好きなカラオケは『名月赤城山』ですが。
このような、素敵なメンバーの方々と、4日間にわたり、ご一緒させて頂いたのですが、全員、バス代、旅館代も、自己負担でのボランティアの旅。頭の下がる思いです。(賑やかいのは、しょうがないか・・・)
★ご注意 奉仕の参加者は事前に宮内庁へ、氏名、住所、年齢等を届け出て、許可を受ける事になります。
資格要件の内、年齢は、原則として20歳以上70歳以下で、健康に責任を持てる方等々となっています。
ですから、けっして、『愛染かつら』や『名月赤城山』世代で、『腰痛持ち』ばかりではありませんので、くれぐれも誤解のないように・・・

京都御所 紫宸殿




05/10/20 京都御所のキノコ 京都御所勤労奉仕団にて(2) No.238

京都御所の松の木の根元に、キノコの群生を発見致しました。
このキノコは、『京都御所勤労奉仕団』の一員として、御所の庭園のお掃除をしているおり、見つけたものです。
御所の松林の至る所に生えており、正に「キノコのお山」状態です。 信州育ちの私でも、初めての経験!!

美しい双子の姉妹のような、「庭園清掃指導」の方のお話では、京都の人は、この種のキノコは「よう食べへん・・・」 とのこと。
「えっ・・・、京都の人は、松茸しか食べないのかしら・・・」
ハチの子OK!ザザ虫OK!の雑食民族「信州人」にとっては、理解しがたいことです。
(もつたいない・・・)
キノコに詳しい方のお話しによりますと、キノコの種類は「ぬめりイクチ」、味噌汁に入れますと、ナメコのような食感で、とても美味しいそうです。
こんな見事なキノコの群生を前に、皆、いささか「興奮状態」。。。
「採取して、旅館でキノコ汁を作ろう・・・」なんて、不謹慎な話も出る始末。。。

ただ、キノコ汁を食べて中毒にでもなれば、明朝の京都新聞には・・・「信州の『京都御所勤労奉仕団』が、御所のキノコを無断で採取し、食べた所、全員キノコ中毒」・・・なんて書かれる事、間違いなしです。。。
まあ、そこは、良識ある奉仕団。全員「美味しそうな」キノコを横目で見ながら、庭園清掃に励んだのでした。



 【初めての京都御所勤労奉仕】(1)

京都御所の勤労奉仕活動に、初めて参加させて頂きました。「御所の一般公開」の時でもなければ、なかなか入れない、「京都御所」、「仙洞御所」でのお掃除の奉仕です。
広大な敷地の中には、正に、歴史そのものと云った貴重な建造物、良く手入れされた庭園、鬱蒼と繁った森、こんな中で、二日間にわたる奉仕活動は、私にとっても、素晴らしい、リフレッシュ活動となりました。

男性群は、集めた落ち葉を、
モッコ担ぎ(上の写真)のようにして、
落ち葉集積所に運ぶのです。

(仙洞御所にて)

勤労奉仕活動で使った『落ち葉かき道具』
京都御所の備品をお借りします。

仙洞御所の森に、外来種の雑草や、
「生きた化石植物」として有名な
メタセコイアらしきもの?も生えておりました。
何となく、複雑な気持ちに・・・

仙洞御所で出会った青サギ。。
カエルなど、餌でもを狙っているのでしょうか。
動きが、何となく優雅に見えるのが不思議です。