アポロのタロット占い

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Tarot FILES #3

一本のロウソク


ロスの語学学校に留学中のことである。まだプロとして占いを始める前の話だ。

中間テストを終え帰ろうとしていたところをクラスメイトのマリコさんに呼び止められて、オレは再び席についた。その時、うちのクラスの担任のロブがうろうろとしているのを見つけたので、逃げられる前に声をかけた。聞きたいことがあったのだ。

「コインシデンタリー(coincidentally)?」

授業で習ったばかりの単語を尻上がりに発音し、その意味をロブに問いかけた。

「コインシデンタリー……夕べ、占い師のところへ行ってタロット占いをしてもらったんですよね」

そう言いながらオレは手にしたタロットカードを切り始めた。ロブは眉間にしわを寄せて少し考えてから答えた。

「それを言うなら、『インシデンタリー』だ。『コインシデンタリー』は2つのことが同時に起る場合に使う」

「それなら、『コインシデンタリー』でいいんですよ。ボクはこれからマリコさんのためにタロット占いをしなきゃならないんですから」

いよいよこれは病気だ。鬱病に違いない。何しろもう自分ではコントロール不能な状態に陥ってしまったのだ。気持ちは落ち込む一方でどうにもできない。落ちるところまで落ちると、もう死ぬしかないと考える。前にも一度ひどく落ち込んだことがあったが、LAマラソンの後でそんな気持ちから完全に立ち直ったと思ったのに、またもとに戻ってしまった。いや、こんどはもっとひどい。わけもなく落ち込んでしまう。これほどひどいとさすがに「病気」であると認めるしかなさそうだ。

精神科のドクターに診てもらおうと思っていろいろ調べてみた。しかし、いざとなるとなかなか電話をかける勇気がない。それに、保険はきくんだろうか? 奥の方にしまって忘れてしまっていた海外旅行者保険の小冊子を読んでみた。でも、よくわかんない。まさか医者いらずのオレがこんなものを必要とするとは思わなかった。いずれにしろ、医者に診てもらうという行為は今のオレにはかなり抵抗があった。

精神科を探すために取り出した電話帳で、こんどは「占い」の項目を開く。占い師のことも調べて、近いうちに話しをしてみようかと思っていたのだ。オレ自身が占い師になるための良いヒントやチャンスが見つかるかもしれない。そろそろ行動に出るべき時なのだ。医者に電話するか、占い師に電話するかと、2つの選択肢をならべてみると、どちらかといえば占い師の方が抵抗が少ない。運命の流れに乗るように、オレはひとまず医者のことは置いといて、近所の占い師を調べて電話をしてみた。

7時に予約を入れた。タロット占いは1回25ドルらしい。オレは財布に40ドルあるのを確認すると、予約の20分ほど前にアパートを出た。

愛車のテンポは昨日チューンナップとオイルチェンジをしてやったから、なかなか快調だ。こいつがなかったら夜中にロスの町中に出かけるなんて不可能だった。車で15分。占い師の住む豪邸に到着した。中に入ると大きなテーブルの前に座らされた。おそらくダイニング用だ。天井には豪華なシャンデリア。右手の壁には大きな棚があって、たくさんの置き物がある。そのうちのひとつに日本製のものを見つけた。今までいくつかのアメリカの家庭を見てきたが、日本のものはたいていどこの家にも見られた。正面の壁は全面が鏡になっている。時々家政婦が家の中を歩いているのを見かける。この暮らしぶりは、そうとうもうけているんだろうなぁ。

しばらくすると婆さんが現れた。黒い洋服を着たその婆さんがどうやら占い師らしい。オレの前に座り、カードを取り出すと、何も聞かずに切り始める。オレの話を聞かなくてもいいのかと思ったが、邪魔しちゃ悪いと思って黙って見ていた。やがて婆さんはカードを三つの山に分け、どの山が好きかと聞く。適当に一つ選んで指差した。婆さんはその山を手に取ると、やはり何も言わずに一枚一枚めくり始める。そして、一通り並べ終わるとカードを読み始めた。とても良いとか、とても悪いとか、女性が1人いるとか、それよりもっと重要な男性がいるとか言う。とにかく、運勢はとても良いのだが、おれを取り巻く悪運が強すぎるから問題だと結論づけた。はじめはまじめに話を聞いていたが、このあたりからどうも匂い出した。臭いぞ。

「何が望みですか? あなたは3つだけ望みを言うことができます」
婆さんはそう言った。

「1つだけ……占い師になりたいんです。あなたのようなタロット占い師に」

「何故そのように思われるのですか?」

「1年ほど前のことなんですけど、神戸の大震災のときに、ボクはそこにいました。その時ボクの身の回りにいた人たちを占ってあげたことがあるんです。彼らは皆、先のことが不安で困っていましたが、ボクが占ってあげるとほんの少し元気を取り戻すことができました。その時から、なんとなく占いを続けてみようかなって思い始めたんです」

「そうですか。それはきっと神があなたに与えた力なのです」

婆さんはさらにカードをめくり続けた。

「やはりあなたには取り除かなければならない悪運が取り巻いています。私があなたの悪運を取り除いてあげましょう」

「どうやって?」

「これから私はあなたのためにろうそくを買います。そして、教会へ行って3日間祈り続けます。その間私は何も食べずに、ただひたすら祈り続けるのです」

いかにも辛そうな祈祷だ。ただではやってくれないだろう。あんのじょう、婆さんは300ドルの費用を要求してきた。300ドルだって! 冗談じゃない。前にも同じ事があった。ずいぶん前のことだが、通りに面した小さな占いの館を訪れたことがある。あのときは5ドルという表示につられて入ったが、占いが進むに連れて100ドルを請求された。もちろん、「話が違う!」と言って、占いも途中で5ドルをテーブルに叩き付けて逃げ出した。あの時は何も知らなかったから驚いたが、今回はこういうことも予想はしていた。いわゆる霊感商法といわれるような詐欺の一種だ。正体見たり。もう、ここの占い師には用はなくなった。

しかし、オレはそのまま帰ろうとはしなかった。婆さんの説得に逆らいきれなかったのも確かだが、できるだけ長くここにとどまって婆さんの話を聞いてみるのも悪くないと思った。彼らの手口をじっくり研究してみる価値はある。

オレは「300ドルは払えない」と言った。オレは日本から来た学生で、今ここに300ドルも払えるほど余裕のある身分ではないと説明すると、それなら200ドルでどうかと言ってきた。200ドルなら別の方法で同じようにお払いができるらしい。

「あなたは将来お金持ちになれます。今ここで支払う200ドルなどすぐに取り戻せるのです。そのためには、あなたにはどうしても私の助けが必要なのです」

オレは悩んだ。もちろん、このインチキ占い師の婆さんを信用し始めたのではない。オレはなぜここに来たのかを考え始めていた。すべては運命の導きによるものであるならば、それに無理に逆らうよりも、素直に流されてみるべきなのかもしれない。婆さんはやけにオレの金銭運の強さを強調する。カネの亡者らしいジャッジだ。だが、オレはカネに目がくらむような卑しさに自らが陥るのは嫌だった。200ドルは大きいが、その200ドルを勝ち取るために婆さんを打ち倒すのは、金銭欲に対する自らの敗北を意味しているように感じた。これは、運命の示した試練の一つだったのかもしれない。オレは、とうとう答えを出した。

「OK。でも、今ここには200ドルの現金もチェックもありません。どうすればよろしいでしょうか?」

「あなたの家はここから遠いのですか?」

「車で20分ほどですけど」

「それなら、今から家に戻れば200ドルを用意できますね。あなたが帰ってくるまで待ちましょう」

「分かりました。往復で40分。40分後に200ドルを持って戻ってきます」

オレは見料の25ドルだけ払うと、とりあえずアパートに戻った。

アパートに戻るまでの間ずっと、車の中で考えていた。アパートに戻ってからもまだ悩んでいた。考えてみれば、婆さんはオレの住所も電話番号も、名前さえ知らない。200ドルを払いに戻らなくても、もう婆さんに追い回されることはない。このまま逃げることもできるわけだ。それですべてが解決するならばよかったのだが、そうすることによって、さらにまた厄介な問題が持ち上がる。オレは、「嘘つき」になってしまうのだ。「40分後に戻る」と約束して出てきておきながら、戻らなければそれは「嘘」だ。ようやく金銭欲との葛藤に打ち勝てたかと思えば、こんどは「嘘」という罪を犯すことになるのだ。オレは一人部屋の中を歩き回って悩んだ。

「どうすればいい? どうすればいい?」

そう何度も自分に問いかけてみる。「運命」に問いかけてみる。今、オレはどこへ流れて行けばいいのか?

「誰かにメッセージを求めるべきだ。」

他の占い師を調べて電話して聞いてみようか。電話帳を開いて見るが、もうこんな時間に電話を受け付けている占い師はいない。他には? 精神科医、心理カウンセラー……だめだ。他に誰も頼れる友達はいないし……そうだ! オレはルー・ハーシーの電話番号を持っているぞ。今通っている学校の先生で、いい年の婆ちゃんだが、オレのことを自分の息子のようにかわいがってくれる。ルーに電話をかけたことなんてないけど、彼女なら頼れるかもしれない。そういえば、彼女の息子の一人はタロット占い師をしてると聞いたこともある。ルーはそのことはあまり話したがらなかったが……。

さっそく電話をかけてみたが、話し中でつながらない。運命に見放されたか。でも、8時10分まで待ってみよう。200ドルを持って帰る約束の時間は8時20分までだが、少しくらい遅れるのはかまわないだろう。もっとも、彼らは200ドルのためなら何時間でも待つだろうが……。

独り暮らしのルーはきっと長電話だろう。10分まで待って、かからなかったらあきらめよう。そう思ってかけてみると、運良くつながった。

「May I speak to Lou?」

独り暮らしだとは分かっていても、別の人だったら困るから一応聞いてみた。

「イェ〜ス。ハウアーユー、アポロ」

ルーだ。初めて電話するのにすぐオレだと分かったらしい。

「ルー! 聞きたいことがあるんですけど、構いませんか? ちょっと困ったことになっちゃいまして」

オレは事の成り行きを簡単に説明した。

「No Way! 私も何年か前に同じことがあってね。ベニスビーチの占い師なんだけど、まったく同じ手口よ。それからは二度と占い師の所なんて行ってないけどね。アポロ、絶対に200ドルなんて払ってはだめよ。考えてもみなさい。ろうそく1本いくらで買えますか? ろうそくにマッチで火を付けて、それを置いて自分で祈りなさい。教会ならその辺にいくつかあるでしょ。祈るのはただです。重ねて言いますけど、200ドルも払ってはいけませんよ」

ルーにそう言われてなぜだかよく分からないが安心した。占い師は人を不安にさせるが、ルーの言葉は人を安心させた。人を救うということはこういうことなのだ。人が本当に求めているのはルーのような言葉なのだろう。人を救うとはどんなことなのか、あらためて考えさせられた。運命がどこへオレを導こうとしていたのか今になって良く分かったような気がする。

オレは200ドルを払うために戻らなかった。とりあえずこの件は解決だ。翌日はテストだっていうのに余計なことに時間を費やしてしまったが、もともとテスト勉強なんてする気にはなれなかったし、そこそこいい経験になった。またそのうち何人かの占い師を訪れてみるつもりだ。占い師武者修業の開始である。

「アポロ、はやく私の運勢占ってよ」

マリコさんにせかされ、オレは再びカードを切り出す。

「もう、大変だったんだから。昨日、カギ全部落としちゃったのよ。この前はお金盗まれるし、ボーイフレンドにはふられるし、風邪は治おんないし……。」

やれやれ、悪運に取り巻かれてるのはマリコさんだよ。毎度おさわがせな人だ。

「悪運を取り除きましょうか? 300ドルで!」

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© 1997 アポロのタロット占い


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