
| >何か発言すると、自分の正体が透けてしまいそうで、 >ずっと、「静かな聞き役に回っていた方がお利口そうに見える」 >を実践してきていたようです。 しばらくの海外生活の後、 帰国して、 コンビニでバイトを始め、 多くのお客さんと接するようになって、 それまで見えなかった「日本人」というものが見えてきて うんざりした覚えがあります。 その理由の一つが、 「しゃべらない日本人」でした。 普段普通にしゃべる人でも、 なぜか、コンビニでは無口になったりします。 入り口の扉を一歩踏み入れた瞬間から、 買い物をする間中、 レジでの支払中、 そして、最後に店の外に出るまで まったく口をきかない人がとても多いのです。 最もこれは、一人で来た場合ですけどね。 当たり前じゃないか・・・・ そう思われるかもしれません。 実は、今の僕はそのことに対して そう違和感を感じていません。 感覚が麻痺して、 帰国直後には見えたものが見えなくなっています。 では、海外ではコンビニへ行くと、 お客は一人でも何かしゃべっているのか? いえ、そんなに日本と変わりません。 では何が違うのでしょう? それは、 自分(お客)と周囲(店そのものや他の客、店員)との関係です。 日本人は、コンビニに入った瞬間、 そこで目にするものはすべて「物」として認識します。 同時に、潜在的に、他の客については「敵」とみなすのです。 店員は、ボタンを押せば自動的に欲しいものが出てくるような 便利な道具と感じています。 お釣を受け取るときに、 店員と目も会わさずに 物乞いするような手を突き出すのを見たときには 閉口しました。(このようなお客は結構多いです) これではとても「友好的なエネルギー」が発せられることはないでしょう。 では、海外(アメリカ)ではどうでしょう。 さあ、どうなんでしょう・・・ 実は言葉ではうまく言い表せなかったりして・・・ でも、日本では感じられなかったものを自然に感じていたのです。 「友好的なエネルギー」・・・・ 人を「物」ではなくて、人として見れるような感覚・・・・ それが当たり前だったから、 帰国したときに、ある意味、「ショック」だったのでしょう。 しゃべらないことで、 他人に「おりこうちゃん」に見られる。 敵である他人よりも有利な立場になれる。 有利であれば、攻撃もされない。 それが日本人の身の守りかたなのです。 しゃべらなければ、 本当の、「オバカ」な自分がばれてしまうこともありませんよね。 僕も日本人のはしくれです。 けっこうしゃべるのは苦手ですし、 人と接すること自体嫌いです。 でも、コンビニで接客をしながら、 少しでも客を「しゃべらそう」と考えています。 何もしゃべらなくてもできる会話。 人と人との心の会話ができればそれで十分だと思ってます。 僕(コンビニの店員)はロボットじゃありません。 (缶コーヒーの「ボス」のCM思い出しちゃいました) 「ツ・カ・レ・タ・・・」 |
