Tarot FILES #1-2


「1000人!」

ようやくその情報が入ってきて、初めて事の重大さを知った。あの激震で1000人の死者が出たというのか? それほどの災害など、オレの記憶にはほとんどない。少なくとも、オレの記憶に残る災害の被害と比べてみても最大規模のものだ。オレたちはその災害の渦中にあったのだ。楽しんでいる場合じゃない。笑ってなどいられなくなった。

夜になっても災害派遣で出ていった部隊は帰ってこなかった。巡回歩哨で夜中に駐屯地の外柵を歩いていると、遠くのほうでいくつものサイレンの音が聞こえた。そのサイレンの音はいつまでたってもやまず、一晩中なり響いていた。神戸ではもはや手のほどこしようのない炎が、いつまでも街を焼き続けていたという。

翌日の朝、オレは24時間勤務の警衛を下番したが、救助活動に出動することもなく、1日中隊舎の中で待機していた。警衛のような特別な勤務についていたもの以外はすべて出動し、部隊にはほとんど人が残っていなかった。派遣部隊は2日目の午後になってようやく帰って来た。西宮で、生き埋めになっていた人々を救出する作業をしてきたのだという。救出といっても、大半はまず間違いなく死人であった。何体もの押しつぶされた死体をかつぎ出したという話を聞いた。警衛についていたオレにはそうした仕事ができなかった。

地震から3日目になって、ようやくオレも派遣部隊の編成に入って救出作業をすることになった。場所は西宮の仁川地区。地滑りでいくつもの民家が埋まってしまったところだ。テレビでも何度も報じられていた。

現地に着いたオレたちの目の前では、土に埋もれた何件かの民家が何かのひょうしに燃えて、蒸し焼き状態になっていた。現場ではすでに警察や消防の人たちが作業にかかっていた。その周囲では大勢の報道陣が取り巻き、生き埋めになった者の家族や知人は、悲しみにうちふるえながら作業を見つめていた。

ショベルカーで上にかぶさった土をどけ、スコップで焼けたガレキを掘ってゆく。煙はもうもうと立ちあがり、視界がおおわれて作業にならなくなると、消防の人に頼んでホースで水をかけてもらう。時には足元から火の手が上がることもある。すると、職業柄か、消防の人は目の色を変えて水をぶちかける。作業は難航し、気の遠くなる思いがした。家は土砂にぐしゃぐしゃに押しつぶされ、焼け崩れて間取りもわからない。「死体」はどこに埋まっているのかまったく見当もつかなかった。この蒸し焼き状態で中の温度は想像もつかないが、おそらく何千度という灼熱地獄のはず。もう、出てくるのは明らかに「死体」だということはわかっていた。それでも現場を見守る家族らは、生きて救出されることを願っていた。現場には死体の焼けたきつい悪臭が立ち込め、オレは地獄に降り立った気分だった。

あてもなくスコップを動かしていたが、やがて一方で動きがあった。「出た」とか「あった」とは誰も言葉に出しては言わない。ただ、それらしい動きを伝える。周りの報道陣や家族らを刺激しないためだ。死体が出てくると、その周りに毛布で壁を作る。その壁の中で、手作業で死体を掘り出す作業にかかる。死体といっても、そこにあったのは焼け崩れた、ばらばらの人骨であった。