Tanuki's OL 参加記Part1 | Tanuki's OL 参加記Part2 | 教育現場でのOL | もどる |
大会名 | 場所 | 感想など |
2Days(信州大OLC)
(平成11年) | 伊那谷 | 信大OLCの後輩の4年生が毎年開催している2Days。年も考えずに1日だけ参加しました。「こんな面白いOLがあっていいのだろうか」と思うくらい楽しませてもらいました。卒業をひかえ何かと忙しい時にすばらしいイベントを開催してくれた現役4年生の皆さんに感謝!感謝!! @えぐいOL:3人1組となりえぐいところにポストを設置してくるという何ともいえないOLでした。どこに設置するか迷ったけどF君のおかげで一応ポストを設置。しかし制限時間をオーバーしてしまった。これも私の責任です。F君、Dさんごめんなさい! しかし、えぐいところに設置されたポストを一人で回収したD君!やはり君が一番えぐいんではないかい?? AぶたださっOL:これは、ポーカーOL(スコアOLの変形)でした。5枚の手札を井かにして強い役にするか・・・・そこが問題でした。我がチームは、近場で攻めていこうといういことになり、それぞれがカードを集めたところ、ストレートにリーチがかかりました。そこでTanukingが交換カードを取りに行くことになりました。10のカードをさがして4つのポストをまわり、5つ目のホストでようやくめざす10のカードを発見!!制限時間の20分前には、一応終了。結果は、同じ8,9,10、J、Qのストレートが2組。しかし、ボスの差で第2位!!!現役4年生の力関係により、残念!! B王位争奪戦!:日ごろアバウトなOLが心情のTanukingにとっては、真骨頂のニアポストOL。狙うは、ペナ王!!1番、2番ポストの辺りでパスを決め込み、さっさと3番ポストへ向って、あとは体力の続く限り走る!歩く!走る!36分ほどのタイムで一応ゴール。期待されるペナは、「2個」でした。ペナ王は、H君が防衛したようです。(一説によるとS君が真のペナ王ともいわれていますが・・・・・)まだまだ、距離感が戻っていないことを感じる一方、−10kgの減量により体が軽くなったのを実感できたOLでした。 Gaya君今度が勝負だ!!(けど負けそう・・) |
根の上高原OL大会 (平成11年) | 岐阜県恵那市 | ゴールデンウィーク、根の上高原つつじ祭りのイベントの一つとして開催されたOL大会に当日参加しました。体力のことを考えて今回もMBに参加。途中、足の「裏が痛いなあ」と思って靴を見ると靴底には釘が・・・・・・・。キャンプ場でキャンプをしていた方に治療をしていただき(感謝!感謝!)レースに復帰、しかし緊張の糸がとぎれたため4kmのコースを1時間以上かかってゴール。 最近は、OLCルーパーが関わった大会に参加させていただくことが大い、ルーパーさんに感謝感謝 |
第25回全日本大会 (平成11年) | 愛知県瀬戸市 | M35Bにエントリー。3番ポストでM21Bの地図を渡されたのに気づいたが、戻る気にもなれずペナルティ覚悟で競技を続行。速報では注釈付きの4Pでした。雨のため、小径も走行困難な状況になっていました。天候がよければすばらしいコースであっただけに残念でした。 M35Bもとい、M21Bのコースを振り返ってみましょう。 S→1:小径の分岐に注意しながら道なりに進む。小径が尾根に出たところをAPとして沢に下り、コントロールを発見。(この時、コントロールの番号が違っていたが、前に写し間違えた前歴があるため、自分の写し間違いだと納得してしまう。) 1→2:1から下の小径に出て小川を目印にして次の洞を目指し、コントロールを発見。 2→3:Legが長いため、時間を稼ごうと走る。途中何でもないところで転び、服を上下共泥だらけにする。自然歩道の十字路から少し上がった所から、鉄塔をAPにしてコントロールを発見。この時、番号が違うことに気づき、地図を確かめM21Bの地図を渡されていたことに気づく。しかしコースの半分の距離を走破しており、スタートに戻ることをあきらめ、このまま競技を続行することにする。 3→4:3番のすぐ下の道に下り、小川のある沢沿いに下りコントロールを発見。 4→5:4番の近くの沢を下り、池のそばから延びている小径を直進。広い道に出る直前にコントロールを発見。 5→6:道沿いに下り、小屋の横の小径を上がる。地蔵をAPにコントロールを発見。この時点で1時間経過。 6→7:6番から南東に進み小径に出る。3つの沢を越えるが、途中前のランナーが谷に滑り落ちる。幸いけがはないようだったが、そこを落ちずに通過する自信がないため、一旦沢に下り、再び小径に戻るようにコースどりの変更を行う。推定5分のロス。尾根から歩測で100mの所から沢を下り、コントロールを発見。 7→8→9:7番からひたすら沢沿いに下り、下の道にでる。後はひたすら道沿いに走り、2つのコントロールを見つけ、一応ゴール。 Orienteer-MLの速報によるとタイムは、1:18:55であったようである。 |
岩村Long-O大会 (平成10年) | 岐阜県岩村町 | 約1年ぶりに大会に参加。それもLong-O。無理をしないようMSにエントリーしました。睡眠不足 体力不足 体力不足 あるのはおなかのぜい肉のみ。ということを強く感じさせられた大会でした。Tanukingのもがきを、ポストごとに追っていって見ましょう。ラップは取っていませんが。 S→1:小径の発見に少しとまどうが、何とか無事に洞の中にあるポストを発見。 1→2:1から小径を通り尾根を越え、洞の底を通っていくと簡単に見つかる。 2→3:257号線を越えると坂道となる。体力温存?のためにしっかり歩く。ポストのある尾根までは何とか来る。そこで何を血迷ったのか 沢に降りてしまう。数分後、おばかをしていることに気づき尾根上にポストを発見。推定7分のロス。 3→4:坂道に完全にガス欠。途中、Tanukingを追い抜いていった学生がポスト手前で位置を見失っているのを尻目に、ポストを発見。ちょっと優越感にひたるTanukingであった。 4→5:完全にガス欠。ろくに走ることもできない。さっき抜いた学生にも抜かれ、落ち込むTanuking。給水ポイントの水でちょっと一休み。 5→6:小径に沿って歩き、休耕田が湿地化したしたところをアタックポイントにしてポストを発見。 6→7:小径を通りながら上からアタックするか、下からアタックするか迷う。足の状態がよくないので、橋を渡れる下からのアタックを選択。ポスト周辺に何人もいたため簡単に発見。 7→8:とにかく走り(人が見ていると歩いている)道のカーブをポイントにして突き進みポストへ到達。 8→9:後は気力のみでゴールをめざす。 |
第21回長野県大会 (平成9年) | 長野県高遠町 | サークルの後輩に誘われて約10年ぶりに大会に参加しました。10年ぶりなのでMBにエントリー。最初は調子よく進んでいたが、ぬれた木の上を越えたとき、滑って転び、枯れた木の枝でふくらはぎをつき、10分ほど動けなかった。休眠期間の長さによる勘の狂いと体力のなさを感じた大会であった。しかし、OLの虫がまたうずきだしたTanukiであった。気合いは十分、体力はないTanuki |
大会名 | 場所 | 感想など |
昭和58年度東日本大会 | 新潟県巻町 | tanukiが初めて出場した大会でした。H19Bにエントリー。2番ポストでパラレルエラーをして15分ばかり時間をロスをしたが、1時間30分ほどのタイムでゴールしました。翌年の北信越学連の練習会も含め巻のテレインは自分にフィットしている印象を持ちました。なんと!1位でした!!! |
越水大会 | 長野県戸隠村 | 記憶には残っていないのですが地図が残っているので参加したのだと思います。(・・;; |
昭和59年度長野県OL大会 | 長野県飯山市 | 高台のスタートから急な坂をくだるコースの設定でした。道に沿って歩いたのですが、急な坂に閉口しました。 |
昭和59年度東日本大会 | 三重県河芸町 | H21Aにエントリー。地図を読み間違え、沢を1本間違えて下り、現在位置を見失う結果となってしましました。現在位置が判明するまで1時間近くかかる致命的なミスでした。3時間以上かかって何とかゴール。ヘトヘトに疲れました。「コンタの震えを沢と読め!」という山岸さんの格言を知っていればと悔やまれました。(そうでなくても無理だっだな・・陰の声) |
北信越学連練習会 | 新潟県巻町 | Tanukiが学生時代最後に参加した練習会。当時の信大OLC部長山田君(工学部)と当時2年の横井君と3人で参加しました。北信越学連と信大OLCとの最初の関わりだったと思います。男女あわせて50名ほどの参加があったと思います。Tanukiは、山田君、横井君と共にHAに参加した。前年の東日本のテレインで、3番ポストで5分ほどロスをしたが順調に回ることができた。総合では2位に入り、信大OLCここにありという意気を見せたつもりであった。 |
第1回駒ヶ根高原OL大会 | 長野県駒ヶ根市 | インカレで使用したテレインを使った大会でした。卒業後、休眠期間入る最後の参加大会です。HALにエントリーしたと思う。中央道SAのそばを通った事が記憶に残っている。記録を含めその他のことはなぜか記憶に残っていない。この大会を最後にTanukiは、長いOL大会休眠期間に入る。 |
1.「南木曾鉄人30号コンテスト」
当時在籍していた小学校のあった南木曽町が町制30周年記念を迎えるということで、南木曽町商工会青年部が行ったイベントでウォークラリーを企画し実行しました。とはいっても実際にはほとんど一人でコース設定(問題も含め)、スタート、ゴールの管理までおこなった記憶があります。(参加者約60名)商工会の会員でもないtanukiがなぜ鉄人コンテストの実行委員になっていたのでしょうか?今考えると地元の人達とよく遊んでいたからだと思います
☆南木曽鉄人30号コンテストでのTanukiの最大の思い出:麻雀のプロの灘麻太郎さんと一局囲んだこと
2.学校現場でのOLらしき遊び
観察OL、ドリルOLなどと銘打って学級活動や教科の学習の中でOLの初歩の初歩らしきものを取り入れたりしていました。キャンプでは、阿南少年自然の家へ行ったときにカレーOL(ポストにカレーの材料が書いてあり、見つけたポストの材料だけ使って調理をするOL的なレクレーション)を行いました。詳しくはここをクリック!