□ scene5 □


「リチャード。山脈にかかる霧の結界は、そう易々と破れるものではないぞ」

男は、マリアの父親がいる書斎へ入るなり、父親に向かって話し出した。
「あの霧は、時間や空間でさえ曲げてしまう禍々しい結界だ。結界を解くには相応の力が必要になる」
父親は男の姿を見ながら、青い瞳を優しく細めた。
「ヴィンセント・・・良く来てくれた。」
「これは、私の管轄だ。それに・・・捕らわれたのは親友の大切な娘とならば、尚更だ」
男は、そう言いながら着込んでいた黒いコートを脱ぐ。
修道服を着込んだ胸には十字架が輝いている。
「歓迎するよ。神父ヴィンセント・リシェール」
リシェール神父は緑色の宝石のような瞳を細め微笑んだ。
しかし、一瞬にしてその優しい微笑みは凍り付く。
「・・・ヴィンセント・・・・?」
リシェール神父は胸にある十字架を握りしめた。
「・・・・・闇が近づく」
その瞬間、書斎の窓の外から男達の怒鳴り声が響いた。

ソレハ突如トシテ現レ、姿ヲ変エテイク。

焚き火の周りに集まっていた傭兵達の一人が、闇の中に紛れ込んでいた黒猫が門に近づいてくるのを見つけた。
黒猫は門の前で立ち止まり、物欲しそうにこちらの様子を伺っている。
傭兵は、黒猫に向かって手招きをする。
「お前も暖まっていくか?」
黒猫はその言葉を理解しているかの様に、門の中へ歩き出した。
一歩、一歩、音もなく歩み寄る。
その黒猫の足下からは水蒸気のように霧が発生始めた。
そして、黒猫の全体に霧が覆い始めると、黒猫の姿が少しずつ崩れ、霧へと姿を変えた。
傭兵達が武器を手にざわめき出す。
霧は再び姿を象り始める。
白く延びる手足、闇のような波だった長い黒髪、裾の長い黒いスリップドレス、そして、血のような紅い・・・紅い唇。
息をのむほどに美しい魔性の女。

「招き入れてくれたことに感謝する。・・・・愚かな人間たちよ」

剣を持ち斬りかかる傭兵達に向かって軽く左手を挙げた。
左手から生き物のように霧が発生し、襲いかかる数人の傭兵達に襲いかかった。

その光景を書斎の窓から見ていたヴィンセント・リシェールは、舌打ちしながら門へ向かって走り出す。
「傭兵達では相手にならない。あの女に精気を吸い取られるぞ」
二人は玄関の扉へ辿り着き、勢い良く扉を開けた。
その二人の瞳に映ったものは、傭兵達は地面に倒れ、残った最後の傭兵が霧に全身を押さえられ、身動きできずに耐え苦しんでいる姿であった。
ヴィンセントは咄嗟に聖水を入れた小瓶のふたを開いた。
その気配に気付いた女は傭兵を霧の攻撃から解放し、二人へ向かって歩き出した。
「この者達は殺してはいない。これでもの駒の一部だからね」
女は光を映すことのない暗闇の瞳で、マリアの父親を見つめた。
「娘を・・・・娘を助けたくはないか?」
「娘の事を知っているのか?」
「金髪碧眼の娘はあの・・・・霧の山脈にいる」
女は笑みを浮かべ二人へまた一歩近づいた。
ヴィンセントがマリアの父親の前に守る様にスッと前に立つ。
女は美しく紅い唇を動かした。
「あの霧の山脈は過去から未来永劫、我々の領域だ。人間は霧の結界で受け入れることは無い」
「霧は時間や空間さえも歪めてしまう。その霧を晴らす事はできないのか?」
リチャードが女に問いかける。
女の足下から周りに霧が浮き出るように発ち始める。
「発生する霧は同じ力で制すればいい」
女は白く長い指でヴィンセントを指差す。
「お前は霧を晴らす方法をすでに知っているはずだ」
その言葉とほぼ同時に、女の体に霧がまとわりつくように覆い尽くした。
そして、その霧が明けた時には、女の姿は何処にもなかった。
ヴィンセントは、その消えかけた霧を見つめながら呟いた。

「・・・リチャード、霧の中へ進む方法が分かったぞ」

 

-scene6-

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