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       嘉秋の日記    

    

02.11.1〜02.11.30の日記                       前のページに戻る

02.11.30  円吾沢川
宏江の自分史、残りの分を校正した。しかしよく書いたものだ。78歳の7月末にパソコンに始めて触り、9月から書き始めて、80歳の誕生日までの1年3ヶ月それも片目で書いたのだ。自分史を残そうと言う、母のすざましいばかりの執念が可能にしたのだと思う。また、坂本さん、昌利さんはじめ多くの人が、母のパソコン習得を支援してくれて、そのおかげで、デジカメに興味を持つようになり、スキャナーにもチャレンジして、ご先祖様の写真を自分で再生させホームページに載せることもできた。我が母を誇りに思う。またこの間、かなりの人が、母のパソコンに取り組んでいる姿を見てチャレンジされ今では使いこなせるようになった。この面でも母の及ぼした影響は大きなものがあった。明日は母の81歳の誕生日だ。また新たな文章作成に精を出してもらいたい。私としては、母のように自分史を残したいと思っている多くのご老人の手助けをしていこうと思う。自分史を残してもらうことは、書いたご本人の自己満足だけでなく、子供や孫にも影響を及ぼす社会的な財産なのだ。しかし、私はなんて親不孝な息子であったことかと言うことも十分わかり、恥ずかしい面もある。あれやこれやが赤裸々になってくると言うのもいいことだと思う。世の多くの親が自分史を書くようになれば、いい加減なことをしていられなくなっていいと思う。15時ころジョギングに出る。今日は昨日走った源長寺川と合流している円吾沢川まで走りくだり、円吾沢川に沿って源流に近い所まで登ることにした。備忘録として、ヘルスセンター横の川が阿弥陀沢川、丸山公民館横の川が、王竜寺川と言う。今日、走りながらいろいろの人に聞いて分かった。その近くに住んでいる人たちでも知らない人が多かった。そういう私も家には寝るだけに帰っていて近所の人の顔も十分にわからないのだが。家→西中→夕→大覚寺→合流地点(地図で曙町と書いてある所)→川の沿って登り中央道→大平街道との交差点→細い道を川に沿って登る→嘉代の友達の牧野さんの家の近く→水平に大平街道→多摩川精機横を登り大休みバス停→右に折れ教員住宅の前を通り、正永町2からは山際にある畑の中を通り(昔ポッチーを首輪をはずして遊ばせた所)家に帰る途中あちらこちら行き止まりの道もあって1時間20分。銀ぎら銀の女子高校生がいたり、ちょっと酔って赤ら顔の先生がいたり、農家の叔父さん、道端会議をしている奥さん方、農家は今収穫後の畑を機械で掘って堆肥を埋めている人(りんごや柿は収量を上げるため手間暇かかる)。いろんな風景の中で一言二言話をしながらのんびりと走れる良いところだ。

02.11.29  源長寺川
朝から「中野、新宿、原宿、青山を走る」の地図を作った。その後、坂本さんのスライドショウを作りこれは、H/Pに載せた。昼は、昔懐かしい三尋石団地のすぐそばに新しいお蕎麦やさんができたというので行ってみることにした、行ってみたら17:30開店とのこと。得々うどんで昼食。午後はご近所にパソコンの講習。15:00からジョギング。どこに行こうかと迷ったが、とりあえず下に下る。白山神社、阿弥陀寺、ゼネラルと行ったら、川が流れているので、今日はこの川に沿って下ってみるかということにして、ほぼ川沿いに下る。途中で人に出会ったので、川の名前を聞いたら、家の近くを流れている何とか言う川だ。曙町まで来たら、高倉さんの住んでいるアパートが見える。夜勤でもやって今日はいるかなと駐車場を見たがいない。今ごろ忙しくやっているんだろうなと、箕瀬まで来たら昔よく行った古本屋にお葬式のお知らせが貼ってある。あのお爺さんかお婆さんがお亡くなりになったのかなと、思いながら更に下ると市役所、国道を横切り下の扇町公園まで下る。この寒い中、以前から何人か野宿している。失業でもして、行くところが無くなったのだと思う。その向うには、高校生らしい男女が仲良く話していたが、近づくときまりの悪そうな顔をして行ってしまった。この先はどうしようかなとぐるりと見渡したら、公園上にある愛宕神社に登っていく道がある。それを登ることにした。帰りは行きとほぼ同じ道を帰る。ゼネラルからは道を変え、川に沿って登る。中央自動車道を越えると堤団地が見えた。2軒上にいた家族がかなり長くここにいたが、今はどうしているかな。更に登ると、昔嘉代が川に落ちた道があって懐かしい思いがした。今は広くなって川に蓋がしてある。後藤さんの家の横を走り登り草の道を通り家に着いた。あちらこちらにいろいろの思い出があるものだ。わずかな距離だったが、道草をしながらのジョギングで1時間25分もかかってしまった。明日はどこを走ろうか。
大きなサイズで見てください。

02.11.28  正永町2の上
坂本さんの写真集をホームページに貼り付け、坂本さんにメール、これでいいか確認。坂本さんからは、もっとこまめにホームページ更新で載せて行った方が良いよとのご返事。今後頂いたものは極力そうしよう。写真つきのメールを、そのまま簡単にホームページに載せる方法があるといいのだがなあ、どなたか知っていたら教えてください。今の私のやり方は、メールから写真を切り離し保存。メール本文をホームページに貼り付け、写真を後から貼り付けるという2段階でやっています。これを一発でできれば、頂いた度にすぐホームページに乗せられるのですが教えてください。11時頃からジョギング、今日は正永町方面、雪が残っておりすべる。1/3は歩き、標高の一番高い所まで行き、(ポインター部)ほぼ真っ直ぐに降り地図に載っている上の道(地図には載っていない道)を大休み方向に折れ、昔子供たちがスケートをした田んぼの下を通過、大平街道へ出て、多摩川精機上から、滝ノ沢方向に向かって家に戻った。冬用の靴が必要だ。昔、800円か1000円で買った安い靴なら大丈夫だ。安くても用途によっては十分良いものもある。帰って風呂、午後はハロープラザ、年金と職業という講座を聞いてきた。55歳以上の失業者向けの講座で、大変ためになった。人生一度ぐらいゆっくりご夫婦で棚卸をした方が良いよと言う。今がそのチャンスだというわけだ。確かにそうだ。皆うなずいていた。妻とやってみようという気になった。それにしても、素晴らしい建物だ。高校生が図書館がわりに利用している。極めて静か。冬は十分な暖房、きっと夏は程よく管理された冷房があるだろう。本を読むにはいいなと思う。近くにはレストランもいっぱいあり、喫茶店もある。図書館の近くにはそういったところが無く不便だ。今度からここも利用させてもらおう。今までは気分転換には、喫茶店、病院の待合室、レストラン、車の中で本を読んでいたが、ここも追加することにした。タバコは、2Fのテラスで吸えるようになっている。りんご並木を見ながら、人どおりを眺めて吸うタバコもまた良いかもしれない。意外と知らない穴場があるものだ。夕食は「ごちや」。安くて美味しいお店だ。
大きいサイズにして見てください。

02.11.27  坂本さんの写真集
今日は朝から雪、ゆっくりパソコンを開き、坂本さんから頂いたメールから写真を切り離した。多くのメールを頂いている。壊れたパソコンから、古いパソコンにコピーしたものからの作業。コピーし損ねたものがあるようだ。100枚の写真が取れた。前やったときは200枚あったので、かなりの数がなくなってしまった。これからは、時々CD−Rにコピーしておこう。3つの方法を考えたが、やってみたところ一番良い方法は、写真をクリックするとメール本体が出てくるようにすると写真の説明とか、その季節の雰囲気がよくわかることだが、時間がかかる。そこで今回は、サムネイルで写真を楽しんでいただこう。あとは、スライドショウでも楽しめるようにしたい。とりあえずこの二つでお正月休みを楽しんでいただこうと思う。妻の友人から、ホームページを見ているというメールを頂いた。私の母の自分史を見て頂だいたそうで、お母さんにもパソコンを教えるとのこと。多くのご老人に、大変だったであろう戦前、戦後の記録を残して頂きたいものだ。身近な人の記録は、集大成されたものよりはるかに、鮮明に我々の意識の中に残ると思う。何の免許が無くてもホームページは開設できるし、新たな費用はほとんど発生しないので、ホームページ作成ソフトさえ買えばほぼ誰でもできる。今日は、外食する予定だったが、雪で中止、あるもので夕食を済ませ早めに床に着く。
02.11.26  子供たちの通った学校コース
今日は、CD−R、CD−RWの使い方を勉強した。使ってはいるのだが、どうも今一ななのだ。午後2時半までやってお茶を飲みジョギングに出る。家→西中→丸山小→飯田駅→中電→裁判所→飯田高校→野底川沿いにポインタ−の部分まで上がり、大宮神社、段丘に沿って舗装もされていない細い道を中部医療まで走り家に帰った。約11キロ、1時間20分かかった。下線の部分は今回初めてだ。飯田高校で殺人事件の後、裕が書いた文章の中に有った碑を探したが今はなくなってしまった。事件は風化していくものだなと思った。しかし少年犯罪は増える一方だという。どうも、この対策手法が間違っているのではないかと思う。トルストイの書いたアンナ・カレーニナにヒントを得たという田口メソッドのやり方で、少年犯罪を分析し、対策をとる方法が正解という気がする。これから勉強するので改めて開陳したい。帰ってみたら、飯田技術専門学校からシステム・アドミニストレーター・ネットワーク受講決定の通知が来ていた。これを終了すれば、やっと、退職前から考えていた仕事に近づける。上記手法もコンピューター無しでは素人には無理だ。情報は、インターネットで収集せざるを得ない。また、その分析もコンピューター無しには考えられない。ある程度、コンピューターに詳しくないと、人に頼まざるを得ず、個人では何もできない。3ヶ月間睡眠も減らして頑張ろうと思う。今は充電期間として十分に体力をつけておこう。
地図は大きいサイズにして見てください。左方向の滝の沢から右方向の飯田高校まで、帰りは野底川に沿って飯田警察署下を通りポインター部まで上がる。
02.11.25  日夏耿之介(ひなつこうのすけ)  
今日は朝から雨、1日中降っていた。午後からシルクホテルで共同通信社の人の講演を聞きに行きたいなと思っていたのだが、体がだるい、風邪かなと思い今日は家でゆっくりしていることにした。スキャナーの使い方、デジカメの達人の使い方を少し勉強した。今ではもうじき81歳になる母のほうが私よりよっぽど使いこなしている。甥っ子に(私の従兄弟)昌利さんというすごい人がいて毎週のように教えに来てくれているためだ。しかしあの分厚いマニュアルにはまいる。また、昨日買ってきた本にも目をとうす。日夏耿之介という人は、すごい交友をしていたのだなと驚く。与謝野鉄幹、山田耕筰、萩原朔太郎、永井荷風、坪内逍遥、島崎藤村、西条八十、北原白秋、江戸川乱歩ざっと見ただけでも私の知っているいわゆる有名人との交友歴を持っている。宙丸さんから始めて聞いてそんなすごい人が飯田にいたのかと思ったくらいで、気にも止めていなかったが何たる不勉強。全く申し訳ないことをした。飯田図書館には確かいっぱいあったと思うので読んでみよう。

02.11.24  伊那谷の文化財 日夏耿之介 蘭ミュージアム・高森
朝食後、飯田美博に行き、「伊那谷の文化財(飯田下伊那の特質を探る)」と、「日夏耿之介宛書簡集」今までほとんど読んだことのない分野だが、内容はどうであれ、今後の我々や、子供たちには影響することなのでじっくり読もうと思う。午後、新しくできた高森町の「蘭ミュージアム・高森」にも行って見た。開館3週間で、1万人の来場者とのこと。瞬く間に13:30〜16:00になってしまった。(詳細はホームページ参照下さいと言いたいところですが、まだ工事中の所が多く、いらいらするかもしれません)見たい人は見て下さい。これから自宅にジョギングで帰るには日が落ちてしまいそうなので、今日は中止。しかし良いことを言っていた。花をきれいに咲かせるには、栄養を遣りすぎてはいけない、適度な寒さを与えなくてはいけない。人間も植物も、環境にバランスして生きていく生物なので、種の保存作業が必要な状態になれば、花を咲かせ、昆虫を呼び寄せるのだそうで、原産地の気候を研究して、それにあわせた環境維持をすれば良いとのこと。なるほどと思った。今からいろいろ勉強して、60歳を過ぎたら、川島、飯田なら、ランの原産地に近い環境維持ができるかもしれない。(冬場が問題だが)花いっぱいの生活を送って見るのもいいかもしれないと思う。ナビゲーター、地図にもまだ載っていませんので、およそ、このウェブ地図を参考に来られるといいです。インターは松川が一番近いです。
ラン植物園へリンク   本邦初公開ランの写真   
02.11.23  野底山森林公園上
朝から、いろいろのソフトをインストール。10:30頃妻の友人が来る。パソコン教室に妻含め3人で通うとのこと。どんな機械をそろえればいいかというので、息子さんと、旦那さん、自分と3台使うなら、無線ラン設備、プリンター、スキャナー、デジカメがあれば大丈夫と話し、実際に送受信したメール、ホームページを見せて説明した。80歳の母の自分史にはびっくりしていた。自分史に関心があるようだ。是非やりたいと張り切っておられた。ジョギングは、妻が野底山の奥のほうに案内してくれて、子鈴橋というところから森林公園駐車場まで約6.5キロを走り下り、家に帰ってきた。汗をぬぐい、すぐ、国際交流会に参加。やはり家でパソコンと、ジョギングと新聞ばかりではだめだ。人との交流が必要だと感じた。明日は、また違った催しがあると思うので出かけてみよう。図書館にも行き、昨日見てきた展示会の全資料が収まった本を買って来よう。2200円だが、十分に価値はありそうだ。本の山ができそうだが、子供達のためにもいずれ必要になりそうだし、自分自身も楽しめそうだ。
 1/5万で見てください。ポインターの位置から野底山森林公園駐車場まで。ポインターより上はガードレールが無く運転危ないのでここから妻が車で折り返す。
02.11.22   飯田美博と、飯田人の気質
今日は、3日連続して走ったので、ジョギングはお休み。朝からハードディスクを交換したパソコンにソフトを入れなおしだ。先ずは何と言っても無線ランができないと困るのでこれをやる。次々と入れて、昼になり、2時までやって、JMAMに行き、飯田美博に行く。2時間たっぷりとかかった。飯田、下伊那の歴史全集版のようだ。各地から仏像や、古文書が寄せらていて、たいしたものだと感心してきた。小学生が先生に引率されていっぱい来ている。資料の中に、飯田人の気質が今のようになったのは、古く、稲作が始まったころからだそうで、その理由が説明されていた、天竜川を中心にした台状地形が原因とのこと)。なるほどと思った。物事にはたいてい因果関係があるもので、飯田人特有の気質は、こうしてできたものかと納得した。しかしそれが今では命取りにつながっているのだ。聞いた話だが、大手企業がリストラをする時、まず飯田から始めるのだそうだ。また、飯田は一人あたりの収入が市レベルでは、全国下から2番目、一人あたりの付加価値では、伊那市の半分。この数字は私がS54年に八十二銀行で調べた時と、次男がつい最近飯田信金で調べた時と変化していないから、いかに歴史の制約というものが重いものかと思い知らされる。これを打破しなければ、飯田の今後は無いものと思わなければいけない。つい最近でも、世界的レベルの地ビール、ハムなど飯田でできたのだが、これらを育てるという気概が無い。優秀な人材が生まれてもこの地方で活かしていくことができないのだ。丘の上商店街の店主達は、我々が行っても「なんだこの貧乏人、何が欲しいのだ」といった態度だし、お店の奥さんは、お客が待っているのに長電話で一向にお客の事を気にしない。これではお客を、接客訓練された店員を配置している大型店に取られてしまうわけだ。(全部が全部こういったお店ばかりでは有りません、前にも書いたように、三宜亭のような優秀な所もあります)歴史を良く知り、世界の現状を勉強し、先を見据えて今を考えるというあたりまえで難しい仕事をやりきった所だけが生き残れるという話は、極めて現実的なのだと思った。何とか、飯田を元気ある街にしたいものだ。そんなことを考えて、帰ってきて信毎、中日の飯田版を見ていたら、いろいろの地域活性化の取り組みが載っていた。どういうものか、効果がありそうなものか一歩足を踏み入れてみるかという気持になった。
02.11.21  愛宕神社、水の手、三宜亭下、飯田美博、追手町近辺
今日妻は朝から午後まで用事があるとのこと。午前中、妻にも無理の無いコースを探して歩き、午後JMAMに行く。パソコン講習に女性がたくさん来ていて賑やかだ。1時間ほどしたら、パソコン講習午後の部が始まり、パソコンを空け雑談。所長さんとお話をし引き上げる。3時から1時間走ろうと思い、扇町公園(大きなサイズで見て、左側)上の愛宕神社を出発、もみじが真っ赤に紅葉している、階段を西鼎方向に下り、水の手の運動場まで来て、時計を見たらまだ10分もたっていない。1時間走るにはとても持たないと思い、今度は川に沿って逆戻り。扇町公園下の橋を渡り下に下る。三菱さん下の橋(ポインターの所)を渡り運動場へ。追手町2丁目を東中央どうりに向けて登り、飯田美博に向かう、まだたっぷり時間がある。街中をあちらこちらと走り回っていたら、妻とご友人に出会う。閑散とした街になってしまったものだと思いながら公園に戻る、40分。早すぎるがもう行く所が無い。しかし明日からどこを走るか。同じところでは、数回走れば飽きてしまうし、初めての道は遠くなるし。贅沢な悩みだが、まあ帰ってゆっくり地図を見れば良いかと家に帰る。勤め始めたら、こんな自由な時間はなくなるなとお風呂に入り、どうしたものかと考える。19:00就寝。

02.11.20   毛無山下から加々須川に沿って  キャリア分析シート着手
今日で失業してから2ヶ月目、結構毎日忙しく過ごしてきた。義父の死があり、ジョギングとホームページ作成、1台のパソコンが壊れたためだが、そろそろ、計画に沿って、新しい仕事につく準備をしないといけない時期になった。就職できるかどうかは別として、準備だけは進めておかないと、頭がボケてくる。昨日就職斡旋会社JMAMから電話が有った。朝から、キャリア分析シート作成に乗り出す。昔のことはあまり覚えていない。53歳の時、オムロンの研修で使った同じようなシートがどこかにあるわけだと探し出した。下書きをエクセルシートに作った。西暦、年号の表示が簡単にできるのが良い。後は、これをワードで作られた、JMAMの分析シートにコピーするだけだ。そうこうしている内に妻が、今日はどうしようかと言ってきたので、何も無いのなら、この前から行こうと言っていた伊那山脈の一番深い所を走ろうかと、早昼を食べて出かけた。最初は、大曲と言う所に車を置き、山脈の突きあたりまで往復しようと思っていたのだが、一応妻にどんなコースか確認させておいた方がよいと思い、突き当りまで行って見た。ここが突き当たりかと思っているところまで来たら、更に奥に道が続いている。ほんとに行き止まりの所までいってみる。すぐそこに見える峰の向うは上村だ。片道7k。どうする?相談の結果、妻は大曲まで車で帰り山に向かって走る、私はここから走り下り、途中であったら妻は引き返すことにした。なんともいい気分だ。こんなことができるのも、29年間、残業と休日出勤で身を粉にして働いたご褒美だと思えば安いものだが、早期優遇退職制度のお蔭だ。帰りにアスティー喬木でお風呂に入り、ヤマダ電機で修理に出しておいたパソコンを受け取り家に帰る。次はどこを走ろうかと床につく。今度からはできる限り妻と一緒に走ろう。
1/10万で見てください。ポインター部まで車で行き、加々須と書いたあたりまで走る。一山越えれば、国道152号線上村です。日本の原風景がありました。
02.11.19   松川会館付近
今日は、朝から叔父さんにメールを書いた。午後、八十二銀行へ行き世界の経済状況を聞いた。まあ混沌としているようだ。いろいろ勉強が必要だと言うことは、痛いほど判る。図書館に行き、新聞を読み漁る。しかし毎日、新聞を賑わかせることが続くものだ。一体どうなっているのだこの国は。ジョギングは松川会館の近くに車を置き、30分走る。マレットゴルフをしている高齢者が多い。俺もそろそろ仲間に入れてもらう年かななどと考えて走った。天気は良いが手袋をしていなかったので寒い。それでも汗はかく、家に帰り風呂。母からパソコンの件で問い合わせがあった。小学生が家庭訪問してくれたとのこと。パソコンで皆で遊んで帰ったようだ。そういえば、我が母校だけが、辰野町の中でホームページを持っていない。力になろうかななどと考えている。JMAMからも電話が有った。
愛宕町下の橋から、平安閣までの橋を一周。体調が良くなくあっさりとやめる。
02.11.18   源上の過疎化  章叔父さん
いつものことだが、私は一番早く寝て、一番はやく目がさめる。新聞を読み、コーヒーを飲み皆が起きてくるのを待つ。朝食から、山芋を頂き、上機嫌。母の話を聞き、村内を一回り。どうしたものかと考える。子供の声が聞こえなくなってから久しい村だ、もうこれまでかなと思うが、1軒だけ新築した家がある。土地を譲ってあげた人がいたのだ。上村でもここと同じ状況で過疎化が激しい。上村にすみたい人はいっぱいいるというのに、村を捨てた誰もが、土地を売らないと言うのだ。ご先祖様から引き継いできたこの土地を自分の代で売ってしまったら申し訳ないというわけだ。そういうことは良くわかる。しかしだ、国全体の発展を考えるとどうしたものか。リタイアして農業をしたい人はいっぱいいる。この辺をうまく調整して何とかできれば、過疎、過疎と言わなくても賑やかな村になるかもしれない。これを考えるのは、長男、裕の仕事かな。お金だけでなく、人間の感情的な面にも理解が行かなくてはできないことだ。私だって誰かが譲ってくれと言っても譲る気持にはなれないものな。公共事業で明渡せといえばすんなりできるのだが、この複雑な心境。昼過ぎ、あちらこちらによって、章叔父さんのところにも寄ってきた。叔父さんは74歳まで現役で、JAの理事長、理事をされていた人で、自分史を是非残してもらいたい人だ。書いてもらえれば、ホームページに載せさせていただき、後に続く我々にたくさんの勇気と知恵をいただけると思う。そんなことをお話したら、俺も書いてみたいとおっしゃていた。近日中に具体的なお話をしてみよう。あれやこれや考えながら飯田に帰ってきた。今日はジョギングはお休み。
02.11.17   猿庫の泉
今日は午後川島に行くので、午前中にジョギング。近くを走ることにして、猿庫の泉に行ってきた。全体としては紅葉は遅い時期だったが、木によっては真っ盛りと言うものもあって気持が良かった。猿庫の泉にはいっぱい人が来ていて、水を汲み取っている人もいた。その昔、教科書にも載ったくらいの所だから、全国的に有名なのか、県外車も多い。午後、川島に向かった。途中、りんご農園に寄り、お盆に来て頂けなかった人達にお土産を買う。夜は、母と夕食を食べ、私は6時半には寝てしまった。
大きいサイズでみて、右の滝の沢から左の猿庫の泉までポインターの位置を通過して往復45分。坂ばっかりで汗びっしょり。
02.11.16  天白公園〜千早原  亀工房
朝から石田さんの義弟の経営するいくつかの会社のホームページ検索をして、アドレスを知らせてあげた。その後、我がホームページの手直しをし、昼食、図書館に行く。今日は人が多い、独習室は学生でいっぱい。調べ物をして、ジョギングに出る。今日は、11月10日の続きで、不動の滝に登ろうと考えていたのだが、登り口、天白公園に着いたら14:30なのに滝方向は山陰で日陰になっている。風が冷たいので帰ってくる頃には寒くてどうしようもないだろうと、この近辺を1時間走ることにした。公園を一周し西側の段丘の上に上がってみたら、家族中でりんごの収穫をしていて、小さな子供2人が周りを飛び回っている。親子3世代だ。爺ちゃん婆ちゃん、子供夫婦、孫達、こういった温かい家庭環境、で、地域の人達に守られすくすくと育った子供達なら、今問題になっているような子供は生まれないだろうと思う。都会では親が忙しく、また、核家族では、子供にかまっていられないのは当然だ。よほど母親がしっかりしていないと、多情多感な子供達の成長を上手にコントロールしてやることはできないだろう。センテ・ナリアンがその向こうに見える。下にくだり左折れ瑠璃時に向かう、昔は300人ほど修業僧がいたと言う大きなお寺だったらしいが、今では、住職さんだけになっているようだ。走っているとハーモニックロード(サイクリングロード)に出てしまった。斜め上に突き抜け登って行くと、采の国と書いた大型バスがいて、嘉代を思い出す。りんご刈りの人達が、ぞろぞろ歩いている。山手山手と走っていたが、この先は山の中というようなところが多く、行っては戻り、行っては戻りしながら大きな橋に出た。そうだこの先は、数年前走った、心臓破りの坂(私が勝手につけたもの)だ。途中何回、休もうと思ったか知れないが、小さな子供2人と、母親が、声援してくれて、途中止るのも恥ずかしくなり遂に走り登ってしまった所だ。今日はやめよう。その家の手前を右に下って中央道まできた。南アルプスを左に見ながらのんびりと天白公園に戻る。1時間5分。夜は、弦楽器のコンサートへ。ハンマー・ダルシマーと言う聞いたことの無い楽器。ピアノの原型とか、行ってよかった。名前とは裏腹に繊細な音が出て、快い気持になれた。シタールとは全く違う。なんと言ったかシタールの伴奏をする弦楽器に似たような音もするが、それよりもっと柔らかい音だ。妻に連れられて、いろいろの楽器の演奏を聞きに出歩いているが、やはり皆さんプロだ。行って損をしたと思ったことは一度も無い。今は失業の身であまり贅沢はできないが、こういう田舎巡業の人達は安い料金で聞かせてくれる。是非皆さんも出かけてあげて欲しい。今日は私の誕生日パートUということで楽しい夕べだった。演奏者は亀工房。今後のスケジュール等見られるようリンクしておきますので是非聞きに行ってみられると良いでしょう。
◎ 地図は、大きなサイズでみると左下に天白公園、右上に田沢がありこの間を山手方向を走り田沢から中央道方向に走り下り突き当りを右折れして、田畑の中を戻ると言う道順です。
   聞きに行った亀工房のH/Pへリンク
02.11.15   伊那小沢〜中井侍  秘境天竜川
今日は私の誕生日、56歳だ。朝9:00からご近所の石田さんのところで、年賀状の作り方講習。1時間ほどで済んだ、妻にどこかに出かけようと相談。昨年妻が自然観察で行った長野県の最南端が良いということで、お弁当を急つくりで作ってもらい車で出かけた。車中から見る紅葉は素晴らしい。秘境という表現がぴったりだ。昼食は車中で済ませ、伊那小沢まで車、中井侍まで電車、帰りは徒歩でという道順。天竜川を左下に見て平坦な道を植物の説明を聞きながら戻った。道は木々に覆われ、真夏の暑い盛りでも直射日光の影響は少なそうだ。細い道で、対向車が来たら恐い。ガードレールのあるところは良いが、ない所で運転を間違ったら天竜川にどぼんとなりかねない。写真をいっぱいとって帰途に着いた。平岡で昨年できた温泉に1時間ほど入り、生ビールを飲み後は妻に運転してもらいのんびり戻ってきた。風呂の中で、こんな道があるなら、天竜峡から太平洋まで何とか走れそうだとわくわくしてきた。地図に載っていない小道が結構ありそうだ。入谷の一さんの話だと、その村、その村の役場へ行って村内地図を買えば、ほんとに小さな農道まで載っていて参考になるといっていた。早速取り寄せようと思う。楽しい56歳の誕生日だった。
  大きいサイズに変えれば、平岡から中井侍が1画面で見れます。
02.11.14   運動公園〜臼井
今日はハローワークに行く日。9:50に行って見ると、元オムロン社員は6人来ていた。いろいろ情報交換。皆さん元気だ、体重が増えたという人もいて、気楽な生活を送っているらしい。手続きはすぐ済んで、その後物セに行く。小牧のお二人が忙しそうに仕事をしているので、りんごを渡しすぐ帰る。運動公園に行きジョギング。温度は2℃寒いわけだ。手袋をはめ、臼井を走った。10分もすると汗が出始める。田はすっかり刈り取られ、今は柿もぎだ。27分で元の位置に戻る。4kmしかないのだが、坂があるので結構な運動になる。後30分は走ろうかなとも思ったが、腹がすいてきたし、どうしようかと思案の末止めてしまった。家に13:00頃帰り、昼食と風呂に入る。まあなんて幸せな日々だ。その後、ヤフーのスケジュール表に次回ハローワークに行く日、ついでに、家族中の誕生日、中野と、川島の父の死亡日等々、忘れてはならない日付を入力。その日が近づくと、指定した時間または日単位で2回メールがが送られて来る。その後、よく走るところの地図を作り始め、途中、XPには入っている葉書作成にチャレンジ。私のもっていバージョンに比べると格段によくなっている。
走ったコースは、運動公園に車をおきポインターの方向に走り、東方向に折れ川を渡り川に沿ってきた方向へ走り登る。三日市場で左折れし後援まで戻る。このコースが一番運動にもなるし、無理の無いコース。
  しかし、ナビゲーターを買っておいて良かった。これは、母を北海道旅行に連れていった時買ったものだが、こんな所で役立つとは思っても見なかった。ホームページを持とうと思っている方は、是非とも用意された方がいいと思います。経緯度表示ができることを確認されたうえで。
02.11.13   飯田市図書館   宏の本宣伝
朝からホームページへの追加をする。玉五郎さんのオモシロ科学、母の自分史、私の三保の松原ジョギング記録、それと昨日覚えたての日記への地図追加。原稿があれば追加自体は簡単だが、母の自分史、地図作成は手間がかかる。午後図書館と、ジョギングが目的で出かけたが、小雨がやまずジョギングは中止、その分図書館でゆっくりできた。見て歩いていたらビールコーナーがある。もしかして我が息子の本もあるかと見たら無い。端末で探すと登録されている。貸し出されているのだろうと思い、そうだ、親がホームページを持っているのだからそれで宣伝してもおかしくないなと思いながら他を見て回った。都会の図書館に比べると貧弱だが、そうは言ってもかなりの冊数だ、完全にリタイヤしたら全部読みきるつもりで読めば10年はかからないだろう。80歳の母は、1日1冊以上読むのだから、今から読書力を鍛えておけば、1.5冊は読めるかもしれない。図書館の周りの木々は紅葉して美しい。特に美術館の銀杏は真っ盛りだ。風が強いのではらはらと散り、風情がある。
飯田市中央図書館   宏の本の宣伝
  

02.11.12  運動公園
今日は朝から、日記の走った所に地図を入れる勉強をする。マップファンを使ってのものだが、サンプルを見ると細かい指定ができている。本のとおりだと目標地点がうまく出ない。有料のものを使わなくてはだめかなと思いながら、設定画面を良く見ると、経緯度を入れる方法がある。早速ナビゲーターを持ってきて地点を探し、経緯度表示をさせてそれを入力してみる。ばっちりだ。後軌跡がつかえればいいのだがそれは無理らしい。5日分入れてみた。今までのように、走った経路を表示できないのが悲しいが、毎日ではとても地図作成は無理だから、とりあえずこの方法を使おう。もっといい方法があるかもしれない、その時はその時だ。今日は妻は友人と阿南の方に行っているので、昼食は一人寂しく食べた。でも食器洗い機のおかげで、食器洗いは楽になった。3時半頃運動公園に行ってみた。元オムロン社員が二人いて体力作りに励んでいる。私も入れて3人になった。最近どんなことをやっているかなど情報交換をして帰ってきた。妻から携帯に帰りに肉を買ってきてと電話、豚のもも肉というのでJAにて探したら安い、100g100円。生姜焼きにしてもらい食べたらあっさりしていて美味しい。これなら私一人の時でも十分できるなと思う。
運動公園のみ表示
02.11.11   運動公園、物セ(水引工芸館傍)、上の平
今日は朝近所の石田さんから、パソコンを見てと頼まれたが、それは妻に任せて、ハローワークへ。相変わらず一杯だ。私の目的は、システムアドミニストレーター講習(3ヶ月間)受講申請と、年金と就職と言う講習会申込、すぐに終わった。図書館に行ったが、今日はお休み。そうか、月曜日は休みだ。車の中で本を読んでみる。小さな個室気分でどんどん読める。昼近くなったので家に帰り簡単な食事。午後関島さんの所へ義父への香典返しに行き、コーヒーをいただきながら、今後のことなどお話を聞いた。関島さんは電検免許を持っているのでその活用など考えているとのこと。また、会社の人の結婚式のビデオなど見せてもらった。NHKで講習を受けたとのことたいしたものだ。帰りに運動公園に行き、1時間走る。最初、グランド外周芝生の上を走っていたが5周したら嫌になったので外へ出た。物セへも行ったが皆忙しそうに働いている。オムロンがおかしくなると我々の年金に大きな影響がある。おかしな話だが、辞めてしまってからの方が、会社の成績が気になるなんて。16時半になったので、公園に戻る、この時間仲田さんも運動公園で、体力つくりをしていると聞いたのでもしかしたら会えるかもしれないと思ったのだ。残念今日はいない。17時家に帰り夕食。まあ今日もいい一日だった。


02.11.10   牛牧  御大の館〜センテナリアン
今日妻は、朝から用事で不在。午前中エクセルで計算式を検討。昼、子供の森公園に行く。家族連れでいっぱいだ。風越高校吹奏楽部の演奏を聞きながら、五平餅と鹿の味噌汁を食べた。まだお腹が一杯にならないので、上郷のキラヤで弁当を買う。天気が良いので南アルプスがきれいに見える。どこを走ろうかな。そうだ今日は、風呂にもゆっくり入りたいし、御大の館に行き、南アルプスを見ながら、一汗かいて風呂に入り帰ってくるか。御大の館駐車場で昼寝をし、サイクリング道路の1本下の道を北に向けて走り出す。始めての道だが、りんごと南アルプスが良くマッチングしてきれいだ。20分ほど良くとサイクリング道路に出た。もう少し行って見るか、と走っていくと、妻が友人をつれてくると必ずといって良いほどお連れするレストランがあった。もう少し行くとと大きな橋があり、この川に沿って登っていくと、不動の滝がある。この滝は裕、宏が小学校の頃、川島のおじいちゃんに連れて行ってもらったり、我々が中野の義父を車椅子に乗せロープで引っ張りながら見に行った滝である。レストランまで戻り下にくだる。介護施設のセンテ・ナリアンを横に見て更に下る。ここには、ご近所のお世話になった小椋さんが長く入所していた所だ。そういえばここで、飯田の某有名キャバレーのママさんが老人たちに、愛想良く挨拶をしていたことを思い出した。小道を右に折れ、りんご畑の中を走っていくと畑の中に白いものが見え出した。近づいてみると桃の木にもう袋掛けがしてある。越冬する木の芽を寒さから守るためだろう。更に走ると左下に大きな神社が見えた。下ってみると社務所に子供達が一杯いる。何をしているのかは判らない。駆け上がり風呂に向かって走る。もう風が冷たくて、ジャージと手袋が無くては日中でも走りづらくなってきた。柔軟体操だけして、風呂に入る。1時間ほど入っていたら、横で、関西から来たらしい兄弟の話が聞こえた。87歳のお母さんを囲んでの旅らしいのだが、5kのりんごを24箱と10kのもの5箱毎年買っていて、彼らはお相伴で助かっているとのこと、来年は、米寿のお祝いだが、ご自分で全部段取りをして、皆様をご招待すると張り切っているのだそうで、聞いていてびっくりした。お母さんは東京に住んでいて毎年一人で新幹線に乗り往復して子供達のところに来て遊んでいくのだそうで、高森に来てりんごを買うのも楽しみの一つだとのこと。今でも踊りを習っていて、最近お師匠さんと喧嘩をしているのだが、本人は真剣だよと笑っている。踊り出せば、昔ほどではないがしゃきっとして見れないことは無いそうだ。うーん、私もそれくらい元気でいたいものだ。がんばって明日も走ろう。中野の義母も踊りでもやったら良いかと妻に話したら、私の母は無理だと全く話に乗らない。川島の母では、もう腰がかがんで無理だろうなと思いながら床に着く。それにしてもそういうお婆さんにお会いしたいものだ。外に出て待っていたら良かったなと今になり後悔する。今日も良い一日だった。


02.11.9
   義父納骨式
今日は、義父の納骨式が八王子のお墓であり、7時19分のバスで出発。八王子バス停に宏たちが迎えに来てくれていた。11時半から納骨式、大きな墓地でおじいちゃんも賑やかなところに入り結構皆と楽しくできるかもしれない。会社からは石松常務さんに参列いただき、義母から孫までのささやかな納骨式だったが、ご長男明さんの上手な進行で、皆から一言づつ義父の思い出話があり、義父の知らなかったいろいろの面に触れることができた。その後、高尾の橋本屋さんで昼食、また思い出話に花が咲いた。妻に10日の用事があり日帰りで帰ってきた。バスの時刻まで少し時間が有りお隣の喫茶店で一休み。子供達4人に囲まれて、「銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及かめやも」と誰か昔の人が歌ったそうだが、全くその通りだなと実感した。帰りも美奈さんの運転でバス停まで送っていただき助かった。今日は、裕も、嘉代も宏夫婦のところに泊めてもらうらしい。中野の家も遠くなってきたわねと妻は少し悲しそうだったが、これからは、明さんご夫婦とその孫達で義母のお世話をしてもらい、中野の家を守ってもらわねばならないのだ。よろしくお願いします。今日は疲れた、ぐっすりと眠る。
 八王子霊園地図です。
02.11.8   野田原
今日は朝からインターネットのデーターをエクセルに取り込み、データーの検討と今日のジョギングコースをマップファンで検討、午後は、ジョギングに出かける。場所は昨日の続き、喬木中学校前の駐車場に車を置き、山に向かって走り出す。広域農道を左折れ、そのまま、野田原に登る、加々須へ下り大曲を左に折れ更に下る。6キロぐらいの短い距離だが、坂があるので時間がかかる。大曲を右に折れれば、喬木大島、ここで道は終わる。それ以降は登山道だ。次回ここを走ろう。夜妻に話したら、私も走りたいという。往復10キロぐらいだから、ゆっくり走ればいいかなと思う。途中歩きになっても急ぐことは無いし、タイムを問題にすることも無い。夫婦わき合いあいにやることのほうがよっぽど重要だ。そうしよう。関島さんからメールをいただいていたので返信。石田さんにもメール送る。
  地図サイズを大きいサイズにしてみてください。左上に喬木中学が見えます。

02.11.7  帰牛原(きぎゅうばら)
午前中、ご近所の人が来て約2Hお話をされていった。世の中、我々とは全く違った世界があるものだ。何かお助けすることがあるかと思ったが、世界が違いすぎ何もできないことが判った。午後ジョギングにでる。今日は、先日走った伊久間の丘の東方にある帰牛原(きぎゅうばら)、喬木運動公園のハイジの碑公園駐車場に車をおき夕日の丘公園、アルプスが見える丘公園、ここは中野のご両親とお弁当を持って気晴らしに来たところだ。左下に加々須川を見て、川に沿って上る。この丘は柿木畑のみで、今は収穫期、畑に人が多い。広域農道まで走り登ると行き止まり、今日はここで引き返そう。次回かその次あたりに、更に奥へ行く道を確認して走ることにした。この向こうにある山脈は伊那山脈、その向こうに南アルプスがそびえ立っている。懐の深いところで走りでがある。楽しみだ。今度も左下の小川川に沿って下る。素直な道でなく、行き止まりのところもある、畑の人に聞いても知らない人もいる。ようやく喬木中へ出る。裏側を走ると、弓道場、女子学生7〜8人に中年の先生が付き添って、70〜80歳ぐらいの老人が一生懸命教えている。弓道は5拍子で矢を放つと言うことを始めて知った。こうやって老人の力を活かして小さい頃から教育しているから飯田、下伊那の弓道は強いのだなと納得した。その下に小学校がある。グランドは子供と先生で賑やかい。風向きのせいであの子供特有の匂いがする。なんとなく嬉しくなる校舎に沿って少し行ったら下に降りる道、下校途中の子供に聞いて、また戻り、運動公園に戻る。運動公園にもジョギング用のコースがあり、柔らかい海綿状の繊維が敷いてあり走りやすい。2時間は走ろうと思っていたのだが、45分、今日はこれで終わり。喬木の地図が欲しいと思い、椋鳩十記念館に立ち寄る。地図は無かった、小学生で一杯だ。入り口正面に椋鳩十先生の「活字の林をさまよい 思考の泉のほとりにたたずむ」という歌が刻まれている。こういう良い環境の下で育つ子供達は幸せだなあと思い、次は、飯田図書館に向かう。17時着、1Fには子供は少しいるが閑散とした雰囲気。ここには朱記した詩の現物が掲げられている。3Fの独習室で1時間調べ物。家に帰り夕食、床につく。今日も良い日であった。地図サイズを大きいサイズで見ると走った所全部が出ます。

02.11.6  ご近所のパソコン立ち上げ
今日は妻が朝からパソコンの前に座っているので、私が簡単な料理を作り朝食。食器洗い機に食器をセットし、久しぶりに、2Fの掃除。寒い、ストーブをつけたが中々温まらない。ごみ袋2つ分出して今日は終わり、しかし有るものだごみが。まだ半分も済んでいないようだ。しかし、ごみと化したいろいろの物を見て、我が家は本当に貧乏だったなと、子供達に対して申し訳無く思った。見方によっては、この貧困が、子供達を育てたかもしれない。ゲーム機などは出てこない。本は一杯ある。本には極力お金を出した。まあそのお蔭もあったか、3人の子供達が、塾と言うものに1回も行かず、ストレートで大学に行った。いいように解釈しなければやっていけない。11時頃から、銀行、郵便局、ヤマダ電機と回る。ハードディスクがやられているようだ。4〜5万かかると言う。やむ得ないので頼んだ。午後データー分析、ご近所で、パソコンを見てくれとのこと。プロバイダーから書類が届いたとのことで、インターネット接続のお手伝い。XPは、98、meなどとやり方が違う。フリーダイヤルでプロバイダーに電話して教えてもらいやっとつながった。まずはメールのやリ取りをしたいというので、我が家にメールを打ち、電話で妻に返信を依頼。川島の母宛にメールを送ってもらって、今日は終わり。嬉しそうだ。兄弟、子供達に早くメールアドレスを知らせて毎日やり取りした方がいいですよと話して帰る。こんな風にしてどんどんインターネットの輪がつながっていくと良いなと思い就寝。今日のジョギングはお休み。そうそう、今日仲田さんから、日記の日付誤りの指摘がメールで来ていて助かった。有難うございました。
02.11.5   運動公園のみ
朝からメールの作成。義弟や子供達に当てたもの。途中ジョギングにでる。雪が舞いだしたので運動公園に行き、足慣らしだけして帰ってきた。その後続きを書き夕食。今日は早めに床に着く。地図は11月12日と同じ
02.11.4   川島
今日は川島に行く。妹夫婦が来ていて、昼に合流。昨夜は、1時まで、妹夫婦の中国旅行写真の取り込みと、年賀状つくりで起きていたとのこと。門前の昌利さんも来てくれて賑やかだったとのこと。皆さんのおかげで母は元気でいられます。ありがたいことです。午後1時、宏たちが帰り、3時妹夫婦が帰る。我々は、4時頃帰途に着いた。途中、うどんを食べて帰宅。メールを見たら、仲田さんから、日記が2日で止っているよと忠告が来ていた。結構見ていてくれる人がいて張り合いがある。有難うございました。ゆっくり風呂に入り早々に床に入る。
02.11.3   石灯籠  トンキラ農園
宏夫婦とべかちゃんで風越山に上ろうと、妻がお弁当を作り出かけた。石灯籠まで登り朝食。さてまた登るかという時になって、雨がちらつきだした。カッパもないので下ることにした。この間べかちゃんは元気で、時々後ろを振り返りながら、我々老夫婦を心配していてくれる。家に着いて一休み。今度は、治部坂へ向かうことにした。ここも紅葉と雪が混在している。ゆっくり降りてきて、トンキラ農園で紅葉を見ながら昼食。2回目だが今日は満席。途中山本のなんと言ったか有名な木(はなやの女将の日記を見ていて思い出しました。はなの木でした)を見て帰宅。夜は家で夕食。べかちゃんを抱いて寝たが、私が体を動かすので、べかちゃんは安眠できないのだろう、何度も階下のご主人の元に行きたがる。私も熟睡できなかった。
大きなサイズにして見てください。赤いポインターが、今回行った石灯籠付近で、その下方にある滝ノ沢という所が我が家付近です。上方には虚空蔵山、風越山が見られます。お天気の良い日虚空蔵山から見る飯田、南アルプスは絶景です。
   トンキラ農園です
02.11.2  伊久間の丘下段
朝から昨日の続き、おかしい、パソコンが立ち上がらない。リカバリーCDも受け付けない。もうこれは自分の手には負えないと諦めた。久しぶりにヤフーを見てみるか。スケジュールというのが有り、どんなものか見たところ、中々いけそうだ。いままで、アウトルックを使っていたのだが、パソコンが壊れるとまったくどうしようもない。内容はアウトルックに比べ数日にわたる計画をガンとチャートで表現できないところを除けばほぼ同じ。これならパソコンが壊れてもデーターは残っているのでほかのパソコンで見られる。また、スケジュールを一定のメンバー、または、一般公開も出来るのでこの機能、使い方によっては極めて大きな効果を発揮する。また、予定が近づくと2回にわったってアラームメールをくれる。これも良い。使ってみよう昼、妻と子供の森公園で昼食。妻が好きなパン屋さんへ行って、サンドイッチを買ってきた。すごい混み様だ。不況といっても元気のいいところは良い。昼過ぎ、ジョギングに出る。今日は、一昨日に続き伊久間の丘の下段。縄文の丘に車をおき更に下の擁護園まで下り、段丘に沿う形で東へ走る。行き止まりを藪の中を上に登る。数年前走った時はまだ人一人は通れる道があったが、誰もとおった形跡がない。こういうことがあるので、飯田でジョギングする時は、長いパンツをはいていないと傷だらけになる。下段をぐるりと回るつもりだったが、途中、道が上段方向しかなくなり、上段を走る。りんご収穫の真っ最中だ。のどかな風景を楽しみながら、畑の人たちに道を聞き聞き下に降りる道を探した。どうも幻の国道152号線に出たようだ。走り出してから40分風越山が雲ですっぽり覆われている、雪雲だ。早く車に戻らねばと、一騎に下る。様子が変だ。大きな牛舎にいた奥さんに道を尋ねた。確かこの道を右に行けば縄文の丘に行かれると思う、昔子供が自転車で行ったように思う、と教えてくれたので走っていくと舗装が途切れてしまった。上のほうに農家のおばさん達がお茶を飲んでいる。聞きに走り登る。おばさんたちは知らないという。畑の奥の方から、ご主人が出てきて教えてくれた。道は間違っていなかったようだ。また、山の中へ入って行く。沢を渡ると、りんご畑の中に出てきた。ともかく方向は良いようなので道なりに走っていると、縄文の丘が見えてきた。雪になる前でよかった。JA喬木のお風呂へ向かいゆっくり1時間は入る。後から後からお客さんが続いているようだ。ここも元気が良い。喬木農協で買い物をして家に帰る。宏夫婦が到着していた。べかちゃん(犬)が飛び上がって飛んできた。尻尾を盛んに振って嬉しいと言う事を表現している。可愛いワンちゃんだ。「ゆう」で夕食。
 大きいサイズで見てください。伊久間の丘の白い部分が下の段、薄い色のついた部分が上の段、保養センターとあるのが、JA喬木のお風呂。宿泊可能。古いですがいい風呂です。ポインターの部分は、渡った沢です。
02.11.1   パソコンリカバリー
今日は朝から雨、リカバリーの続きをやる。無線ランはうまくいった。ホームページビルダーでおかしくなった。もうだめかと思ったが、この機会だ徹底的にやってみようと、またリカバリーから始める。オフィース2000、無線ランまでやって、インターネットは見られる。次は、メールのやり取りだ先に取っておいたフロッピ−ディスクからアドレス帖のインポート、これもうまくできた。他のパソコンへ送ってみる、OKだ。他のパソコンからも送ってみる、OKだ。無線ランは極めて厄介だ。しかし、これがスピーディーに出来ないと街の小さな商店や、製造業のIT化のお役には立てない。ファイルの共有などもうまく出来た。次に、デジカメ、スキャナー、プリンター等々今までに買ったアプリケーションソフトのインストールがあるが、今日は疲れた。空を見た、まだ雨が降っている、ジョギングには冷たすぎる。走り出してからの雨は気持ちがいいが、雨の中へ飛び出す気持ちにもならない。こういう時フレクッスはとても良い。

02.9.20〜10.31の日記へ