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Tarot FILES #56

占いがなぜ禁止されるのか

2005-09-01T19:20:51+09:00


旧約聖書には「偶像礼拝、占いやまじないごとの禁止」みたいなのがとこどころにあります。

クリスチャンは日々祈り、聖書に触れつつ神様を感じ、日常のふとしたこと(それだけではありませんが…)から神様のメッセージを受けて神に従って人生を歩む…というようなスタイルが良しとされています。占いを使って無理に神様からの御心を聞いてはいけないようです。

話は前後しますが、タロットを禁止した中世のキリスト者たちも単に「占いは気持ち悪いから…」ではなくて、占いの未来や心理に対する的中率のようなものの高さを知っていたからではないでしょか?

偶像崇拝やまじないごと、そして占いがなぜ禁止されるのか

占いを悪いものと決め付ける確かな理由というのは、なかなか理解しにくいものです。上に引用した話のように「神への冒涜」というだけの理由で今の人たちが納得できるでしょうか。

また、「占いは気持ち悪いから」というわけでもないし、的中率の高さを知っていたからというわけでもないと思います。

的中率については賢明な人物であればむしろ「当たらない」ということに気づくはずで、「当たる」と信じている人たちは盲目的にそれを恐れているに過ぎないでしょう。そもそも的中率が高ければ、たとえそれが恐ろしい結果を招くであろうとわかっていても、禁止しなければならないほどのものではないはずです。むしろ権力のある者たちによって利用されることが推奨されても良いはずです。当たらないのに当たると信じる人たちの行動を恐れて禁止したと考えれば つじつま は合います。

当たる当たらないの話はともかくもう一度引用しますが、以下の部分に注目してみましょう。

クリスチャンは日々祈り、聖書に触れつつ神様を感じ、日常のふとしたこと(それだけではありませんが…)から神様のメッセージを受けて神に従って人生を歩む…というようなスタイルが良しとされています。占いを使って無理に神様からの御心を聞いてはいけないようです。

先ほどは「神への冒涜」などという言葉で簡単に説明しましたが、この部分の考え方が重要だと思うのです。

つい先日、「顔文字」についての私なりの考え方をお話しました。顔文字は相手に感じ方を強制してしまうから使いたくないというお話です。言葉には人それぞれの感じ方がある。それを尊重したいのです。

タロットカード、聖書、経典なども、それを受け止める人によって様々な感じ方があるという事も書きました。ここで少しだけ先ほどの引用部分につながってきましたね。聖書や日常のふとしたこと、いたるところに神様のメッセージはちりばめられています。占いを使って神様の御心を聞いてはいけないというのは宗教的な教え方ですが、占うことによって神様から与えられているものへの感じ方を強制してしまうためだと考えれば、なぜそれが禁止されなければならなかったのか私たちにも理解できるような気がしませんか。

確かに占いは物事のある一面だけを限定的に示します。それによって私たちは、パラレルワールド理論で説明したように、占い結果に出た未来に向かって収束され始めてしまいます。神様によって与えられた無限の可能性、いわば自由意志を制限されることになるのです。

「当たる」と信じる気持ちが強ければ強いほど、人間は自らの可能性を制限してしまっているのではないか。「良い結果だけを信じます」という考え方が本当にポジティブで、より良い未来を導くことになるのだろうか? そんな疑問がわいてきます。

「当たる」と信じて占いを続ける限り、人を幸せに導くことができる占い師などいるはずもありません。そのことをいにしえの賢者たちは知っていたのです。

それでも私の占い師という仕事を続ける気持ちが揺るがないのは、「当たらない」ことを認めた上で占いをしているからです。そのことに気づかなかったら私は自己矛盾に耐えられなくなって狂人か廃人にでもなっていたでしょう。タロット占いを長く続けると発狂するというような噂は、ある意味では真実だったのかもしれません。少なくとも道を誤ることは確かです。

私が占いの仕事をするのは未来を言い当てるためではありません。「では、何のために?」という問いに対する答えはここには書かないほうがいいでしょう。もしそれをはっきりと言葉にしてしまったら私の仕事の意味も限定され、ただそれだけのための仕事となってしまうかもしれないので、書かないほうがいいのかもしれません。(既にどこかに書いてあるとは思いますが。)

私がなぜ占うのか。今はみなさんの感じ方にゆだねます。

「偶像崇拝」についての説明も少しだけ付け加えておきます。「顔文字」の話を思い出していただければ何となくわかっていただけるのではないでしょうか。顔文字とはまさに偶像です。神様からのメッセージを偶像によって表すことによって感じ方を限定してしまう。あとは先に述べたとおりです。偶像崇拝が占いと共に禁止されているのは、実はどちらも同じ理由からだったんですね。(あくまで個人的な考え方ですが。)

追記

先ほどはキリスト教などの西洋の宗教における考え方を踏まえて「占いがなぜ禁止されるのか」ということについて書きましたが、これは何も西洋に限ったことではないのです。

むしろ私の頭の中にあったのは、もっとごく身近な場面での話です。

実は昨年末ごろ、冥界の旅を終えてこの世に戻ってきたばかりの私は、近所のお寺のお坊さんと何度かお話をする機会がありました。その時お寺のお坊さんに「これからどうする?」と問われ、「占いの仕事をします」と答えたところ、あまりいい顔をされませんでした。お釈迦様もまた占いを禁じていたというのです。しかし、私の目的はお釈迦様と同じように人々の救いになる仕事をしていきたいというだけのことで、たまたまその手段が占いに過ぎないのだと、お坊さんに話しました。

そもそも私の場合、両親を始め、周囲の人たちのほとんどに占いという仕事を反対されています。理由はそれぞれでしょうが、そのために私は常に「占いがなぜ禁止されるのか」ということを考え続けなければなりませんでした。自分がやっていることは本当に正しいことなのだろうか? その問いに対する答えが必要だったのです。

結論が出たわけではありません。ただ言えることは、私は自分の宿命、もしくは運命といったようなものにしたがって生きているということです。100パーセント正しい生き方をしているわけではない。たまたま今の自分は占い師という道を選んだパラレルワールドに存在しているだけなのだ。そこでの使命を果たして死のうではないか。それが、今の私の考えです。

33歳の誕生日を迎えて決意を新たにしています。

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