おとうさんと読む「絵本」 |
●おとうさん「が」読む絵本(その1) 平成14年10月〜11月に取り上げた絵本 |
『 冥 途 』 内田百ケン・作、金井田英津子・画
(パロル舎)¥2300 2002年 3月25日 第一刷発行
●ぼくが大好きな日本映画に『ツィゴイネルワイゼン』鈴木清順監督作品(ATG・昭和55年度作品)という映画があるのですが、その原作になったのが、内田百ケン(間ではなく、月なのですがパソコンでは出せないんです)の怪談話『サラサーテの盤』。
先日初めて、その『サラサーテの盤』を読んでみたのです。そしたら思いの外、映画が原作の雰囲気にに忠実だったんで驚きました。「私」(映画では、藤田敏八)の親友だった、死んだ中砂(原田芳雄)の後妻、おふさ(大谷直子)が、黄昏時になるときまって「私」の家の玄関に現れるのです。「中砂が昔お貸しした、サラサーテの十(とう)インチ盤を返してもらいたいのです」芸者上がりの「おふさ」がサラサーテなんて知る由もないはずなのに、そう言います。
そのレコードとは、サラサーテ自身が演奏している「ツィゴイネルワイゼン」で、吹き込み時の手違いか何かで、演奏の中途にサラサーテ本人が謎の言葉を口走っているのがそのまま録音された、幻の1904年盤「ツィゴイネルワイゼン」のことです。
清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』のパンフレットには、こう書かれていました。生きている人は死んでいて●で、漸く『 冥 途 』 の話題に入ります。パロル舎の「文学絵草紙 」と題された、このシリーズは、金井田英津子さんの素晴らしい版画が原作の文章と対等に競い合いつつ、尚かつ静かに共鳴しているという、まさにこれこそ理想的な「絵本」なんじゃないか、そうぼくは思います。
死んだひとこそ生きているような
むかし
男の傍らには
そこはかとない女の匂いがあった。
男にはいろ気があった。
「ライナー・チムニク」の本の装丁といい、この本といいパロル舎の装丁は本当にすばらしい! 本の表紙を開くと、扉にはごく薄いグレーで「村中の一本道」のイラストが印刷されています。でも光線の加減によっては、薄ぼんやりとしか見えず、まるで黄昏時の、この世ともあの世とも区別のつかない夢うつつの気分を見事に表現しています。さらに1枚めくると、半透明の紙に内田百ケンの後姿だけが印刷されており、ちょうど次の頁の一本道の上に重なるという凝った作りになっています。
『 冥 途 』 では、大正11年(1922年)内田百ケン33歳の時に出版された処女創作集『冥途』より、「花火」「尽頭子」「烏」「件(くだん)」「柳藻」「冥途」の6篇が選ばれ(「サラサーテの盤」は昭和23年発表で、未収録です)金井田英津子が版画による幻想的な挿画を描いています。
暗い闇を基調とした、細密なペンのタッチ、色使いから繰り出される幻惑的な景色は、ちょうど、つげ義春 の『ねじ式』 や『ゲンセンカン主人』 に登場する風景の印象とよく似ているのです。ちょっと不気味で怖いのだけれど、でも、何故か不思議と懐かしく、心休まる風景とでも言いましょうか。そう言えば、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』に出てきた「湯屋」の門前町の佇まいにも同じ印象を受けました。記憶の底の底で確かに見たことのある懐かしい風景。
●『 冥 途 』の冒頭に掲げられた掌篇は「花火」。ぼくはこの一篇がいちばん怖かった。黄昏時、海辺に続く長い土手。この土手がちょうど彼岸の此岸の境界線になっていて、あちらの住人であるらしい「女」は主人公にこう云って急かすのです。
「あの辺りはもう日が暮れているので御座います。早く参りましょう。土手の上で夜になると困りますから」
そして主人公が連れていかれた所とは?
不条理な状況に、不思議な渇いたユーモアをたたえた名作『件(くだん)』 でも、画家の 絶妙な絵が呼応して、読む者にかつて味わったことのないような読書体験をさせてくれるのです。怖いのに何度でも手にとって頁を繰りたくなる、麻薬的な魅力を持つ危険な絵本です。ご注意下さい。
(2002年11月22日 追記)
『 冥 途 』
内田百ケン・作
金井田英津子・画
(パロル舎)
『かちかちやま』 おざわとしお・再話、赤羽末吉・画
(福音館書店)¥1200 1988年 4月20日 第1刷発行
●ぼくを含めて多くの人が記憶している昔話の「かちかち山」では、お爺さんにとっ捕まった「いたずらタヌキ」が、うそ泣きしてお婆さんをだまし縄を解いてもらったあと、餅つきの杵でお婆さんを殴り殺して山へ逃げて行く、確かそうでした。でも本当はそうじゃなかったんですね。
今年の1月末に『物語の旅』和田誠(フレーベル館)\2000 を買ってきて読み始めたら、54の物語に関するエッセイの一番最初が「かちかち山」の話で、そこにはこんなことが書かれていて、びっくりしてしまいました。ぼくが幼い時にお伽噺をきかせてくれたのは、母親より祖母の印象が強い。それは表現の仕方がユニークだったからかもしれない。おばあちゃんは「桃太郎」で桃が川を流れるシーンで「ドンブラコッコ、スッコッコ」と言った。その語感が子ども心に面白かったようだ。もっと強烈だったのは「かちかち山」である。●ぼくが太宰治の『お伽草子』 を読んだのは高校生のころだったと思いますが、ウサギは16歳の少女、そうして狸は、そのウサギに恋してしまった37歳の醜男であるという解釈に、なるほど!と唸ってしまいました。確かに狸は悪い奴ですが、その狸を「生殺しにして、なぶって、なぶって、そうして最後は泥舟でぶくぶく」というウサギの復讐行為はあまりに残虐すぎます。「惚れたが悪いか。」という狸の最後のセリフが切なくて切なくて、以来ぼくはすっかり狸の肩を持つようになっていたのです。(^^;
「かちかち山」の冒頭で、お爺さんが狸を捕える。狸汁にしようと縛っておくが、お爺さんが出かけたあと狸は言葉巧みにお婆さんに縄を解かせ、お婆さんを殺した上、鍋に入れて煮る。狸はお婆さんに化けてお爺さんの帰りを待ち、お爺さんに汁を食わせたところで正体を現して言う。「婆あ食った爺いめ。縁の下の骨を見ろ!」
このセリフをおばあちゃんは芝居っけたっぷりに抑揚をつけ、「バーバア食ったジージイめえ、縁の下のホーネ見ろお」とやるので、子どものぼくは怖がりながらも面白がり、またやってくれとせがんだものだった。(p6〜8)
でも、お爺さんに「婆汁」食わしたんじゃぁ、仕方ありませんねぇ。
つい最近になって初めて、この(福音館版)小澤俊夫・再話、赤羽末吉・画 『かちかちやま』を読んでみたら「例のくだり」の部分の会話が、もっとリアルなんで心底たまげてしまいました。曰わく、やがて、じいさまが かえってくると、ばあさまに ばけた たぬきは、「じいさま、じいさま。あわもち ついたし、たぬきじるも こしらえた。あったかいうちに あがってください」と いいました。●お爺さんは「ババじる」とも知らずに「婆さま臭いなぁ」なんてのんきに言いながら、全部食べちゃうんですよ! 凄い話だなあ。この絵本でさらに凄い点は、赤羽末吉さん描くところの「タヌキ」の人相が、狼みたいにとがった口に、ギザギザの歯を剥き出しにして、何とも嫌な目つきで描かれていることです。おまけに真っ赤な「でべそ」。このタヌキには、子どもたちは絶対に感情移入も同情もしませんよね。この世の「悪の権化」みたいな顔してるもの。
じいさまは、「それでは いただくか」と はしを とりましたが、すぐに、「ばあさまや、このたぬきじる、なんだか ばあさまくさいなあ」と いいました。 ところが、ばあさまに ばけた たぬきが、「じいさま。たぬきは ふるくなると、ばあさまくさくなるもんだよ」と いうので、じいさまは たぬきといっしょに、たぬきじるを すっかり たべてしまいました。
そうして圧巻はラストのページ。松居直さんは『絵本の森へ』(日本エディタースクール)の中で、カッポレを踊りながら水中に沈んでゆく狸は(本を天地逆にひっくりかえしてみてください)花道を踊りながら舞台裏へ消えてゆく名優の風格がある、そう仰っています。なるほどなあ。
●なお、この昔話の「残虐性」について河合隼雄さんが『おはなしの知恵』 の中で書かれていることを、こちらに、載せました。ご参照ください。 (2002年11月14日 追記)
『かちかちやま』
おざわとしお・再話
赤羽末吉・画
(福音館書店)
『物語の旅』
和田誠・作・絵
(フレーベル館)
『とうだいのひまわり』 にいざか かずお 作・絵
『こどものとも年中向き 2002年9月号(通巻198号)』(福音館書店)¥380 1973年 9月1日 第1刷発行 2002/09/01 第4刷発行
●この絵本は、今から19年前に「月刊こどものとも」誌上で発表されましたが、その後、ハードカバーの絵本として出版されたことは一度もありません。ところが、「こどものとも編集部だより」 によると「子どもの頃読んで、一番心に残っている絵本はこれ、という声をよくききます。ていねいに描かれた気持ちのいい絵とさわやかなストーリーが、子どもたちの心を打つのでしょう。」 そう書かれていて、いわば「幻の絵本」 の一冊なのでありますが、今回3たび再版されました。
映画でいえば、ちょうど『まぼろしの市街戦 』 とか『フォローミー 』 みたいな映画の感じで、レンタル・ビデオでは何故か発売されておらず、でも、深夜のテレビ映画劇場では昔から人知れず密かに、何度も何度も放映されていて「別にどうってことないのだけれど、何故か記憶の奥底に沈殿して忘れることができない、そんな映画」を思い浮かべていただければ、この『とうだいのひまわり』 の不思議な魅力を解っていただけるのではないかと思います。
ストーリーはいたってシンプルです。人里離れた岬の灯台に暮らす、ちいさな女の子が、ある日遠くから風に乗って飛ばされてきた赤い風船を発見します。風船には「ぼくんちの にわにさいた ひまわりの たねです。ひろったひとは だいじに そだててください。しげる」と記された手紙とともに「ちいさなタネ」が結び付けられていました。彼女は灯台に隣接した職員官舎の庭に、そのひまわりのタネを蒔きます。少女が一生懸命ひまわりを育てる様子ともに、岬の灯台に夏が来て、秋と冬とが静かに通り過ぎてゆきます。
この絵本の一番の魅力は、嘘のないリアルな描写にあると思います。特に、岬の灯台 の向こうに海と空とが遙かに拡がるその果てのない空間を読者に体感させうる構図が見事で、じつに素晴らしい。p9 のひまわりの芽をつつこうとしたカモメを竹ぼうきで追い払う小さな女の子を、灯台の100m くらい上空から俯瞰でとらえたシーン、それからラストのたくさんの風船が空に舞い上がる場面を灯台の下から見上げる絵を見てください。作者は舞台となった州崎灯台に何度も足を運んで、実際にひまわりも同じ場所に植えてもらって成長の様子を観察したのだそうです。
作者の新坂和男さんは、いろんな職業を転々とした後、ヨーロッパ・中近東・アジアを放浪。帰国後、絵本作家としてデビューした方なのだそうですが、ぼくは他の絵本を見たことがありません。また「日本の凧の会」会員として凧作りに熱心だった人で、『たこあそび』新坂和男(岩崎書店)という本を、きのう伊那市図書館で見つけました。
青い空高くどこまでも上がってゆく「風船」と「凧」。ここより他の遠くのどこかへ自由に漂って行った作者のことを、ふと考えてしまいました。新坂さんは、1987年、43歳の若さで亡くなりました。さとうわきこさんのお話によると、餓死に近いような死に方だったそうです。 (2002年11月09日 改訂)
『とうだいのひまわり』
にいざか かずお作・絵
(こどものとも年中向き
2002年/9月号)
(福音館書店)
『ナヌークの贈りもの』 星野道夫【小学館】1996年1月1日初版 \1460 (税別)
先週の土曜日の夜8時から、NHK教育で大鶴義丹が進行役をつとめて、 アラスカをこよなく愛した動物写真家『星野道夫』の特集番組がありま した。
うちのクリニックの「ロゴ」には「しろくま」を使用しているのですが、 この「しろくま」は星野道夫の写真絵本『ナヌークの贈りもの』 小学館 (初版発行:1996/1/1)を見ながら、ぼくが自分で[CANVAS]を使って図案化したものなんです。「ナヌーク」とは土地の人々の言葉で「北極グマ」を 意味するのだそうです。星野道夫のアラスカの写真を見たのは、ぼくはその絵本が初めてだったのですが、以来すっかり彼の写真のファンになってしまいました。 ところが、この絵本が出版されたその年の夏、
1996年8月8日早朝、カムチャツカ半島の山中の湖の畔で一人野営して いた星野道夫は、就寝中のテントをヒグマに急襲され、突然この世を去 ります。享年43歳でした。
番組は、アラスカに魅せられ、アラスカに定住し、遠いむかし、アリュ ーシャン列島をアジアからアメリカ大陸へと移住していった我等の祖先 に遙かな思いを寄せる星野道夫の実像を、じつに丹念に描いてはいたの ですが、ぼくはテレビを見ながら、何か決定的に欠けているものを感じ ていました。アラスカの自然を映し出す、NHKのビデオカメラの映像 が何故かよそよそしく、星野が撮った写真と違って、ちっとも見ている 僕らに迫って来なかったからです。
写真とは、それを撮った写真家の目を通して映像化されたものです。だ から知らずと、その写真家の思想、世界観が写真に反映され、見る者に 訴えてくるのだと思います。
卓越した写真家であった星野道夫は、卓越した文章家でもありました。 NHKの番組を見終わったぼくは、何だか未消化な気分で読みかけのま ま、ほっぽってあった『旅をする木』星野道夫著(文春文庫 1999/3/10) を久々に取り出して読み始めました。そして、僕がテレビを見ながら違和感を感じた、その答えの全てが、じつはこの本にあったのです。
前半、退屈なこの本を、ぼくはすっかり見限っていました。ところが、 それは大変な間違いでした。66ページから始まる II,III,が、とにかく すばらしい。彼がアラスカで得た人生観の全てが、この本の後半に収録 されていたのです。
なぜ、人は「北」を目指すのか?
なぜ、人は、それでも、ひとり生きてゆかねばならないのか?
写真絵本『ナヌークの贈りもの』にも、その答えは書いてあったのです が、未熟な僕には、まだ理解できなかったみたいです。
★『ナヌークの贈りもの』より、以下引用
少年よ、わたしたちはアザラシを食べ、アザラシは魚たちを追い、
魚たちは海の中の小さな生きものを口にふくむ。
--- 生まれかわっていく、いのちたち
人間はクジラに向かってもりを投げ、
クジラはサケをのみこみ、
サケはニシンをのみこむ
--- 生まれかわっていく、いのちたち
オオカミはカリブーをおそい、カリブーはコケモモの実をついばみ、
フクロウは鳥たちのヒナをおそい、鳥たちは小さな虫を食べる。
--- 生まれかわっていく、いのちたち
おまえのおじいさんの最後の息を受けとった風が、
生まれたばかりのオオカミに、最初の息をあたえたのだ。
--- 生まれかわっていく、いのちたち
われわれは、みな、大地の一部。
おまえがいのちのために祈ったとき、
おまえはナヌークになり、
ナヌークは人間になる。
いつの日か、わたしたちは、
氷の世界で出会うだろう。
そのとき、おまえがいのちを落としても、
わたしがいのちを落としても、
どちらでもよいのだ
★星野道夫はきっと、自らが死ぬ瞬間も、あらかじめ判っていたのに
違いありません。
(1999年 8月6日 記)
「ナヌークの贈りもの」
表紙画像使用の許可は
認められませんでした
(小学館)
『ねぎぼうずのあさたろう』 (その1/その2)飯野和好【福音館書店】
(その1)1999年11月20日初版 \1100 (税別)
(その2)2000年 4月20日初版 \1100 (税別)
絵本のご紹介です。 絵本の世界に時代劇の「股旅もの」を取り上げるたぁ、びっくりでぃ! てな 感じですかね。しかも主人公は「ねぎぼうず」あさたろう。これでなかなかカッ コイイのです。いきで鯔背で、きりりと涼しい眉に切れ長の大きな目。幼なじみ の「椎の実のおようちゃん」を救うため「勇気のネギじる」を「ぴゅるるるるる るっ」と絞り出せば、憎っき敵役「やつがしらの権兵」や謎の浪人者「キュウリ の久兵」だって、ひとたまりもありません。
まさに痛快時代劇絵本、これは楽しいです。飯野和好さんの「こてこて」した絵 がまた、雰囲気を盛り上げてくれるのです。映像的には、木枯らし紋次郎と言う よりも若かりし頃のの萩原健一かクリント・イーストウッドを思い浮かべてしま いますね。ページをめくる度に、見開き2ページにわたって迫力の大きな絵が、 「どーん」と目の前に迫ってきて、子どもたちは大喜びです。
この絵本の姉妹編に、落合恵子さんがやっている「クレヨンハウス」から出てい る『くろずみ小太郎旅日記シリーズ』飯野和好・作、というのがあって、こちら の方が「あさたろう」より早くて、先日(その3)が出版されたみたいです。 なんで「炭」が主人公なのか分かりませんが(^^;)忍術使いの小太郎が、これまた カッコイイのです。
この『ねぎぼうずのあさたろう(その1)』と『くろずみ小太郎旅日記(その1) おろち退治の巻』が、ビデオになって発売されています。『飯野和好痛快活劇ビ デオ(その1)』TDKコア株式会社 2800円(税別) (25min)。
作者の飯野和好さん自身が講釈師となって、お囃子の三味線をバックに、浪曲調 に語り部を演ずるこのビデオは、一見の価値があると思いますよ。あさたろうの 主題歌まで入っていて、笑ってしまいます(^^;) こちらのビデオもご好評にお応 えして(その2)(その3)が早くも発売になったみたいです。
(2000年 10月23日 記)
ねぎぼうずのあさたろう(その1)
飯野和好・作・絵
(福音館書店)
ねぎぼうずのあさたろう(その2)
飯野和好・作・絵
(福音館書店)
くろずみ小太郎旅日記(その1)
飯野和好・作・絵
(クレヨンハウス)
『うろんな客』エドワード・ゴーリー作絵、柴田元幸・訳
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題名:『うろんな客』
原題: THE DOUBTFUL GUEST Copyright 1957
作者: エドワード・ゴーリー Edward Gorey
訳者: 柴田元幸
発行: 河出書房新社 2000年11月20日 初版第1刷 \1000 (税別)
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手のひらサイズのビデオカメラよりもちょっとだけ大きめな版型(132x160x8mm) のこの本が、はたして現在、本屋さんのどのコーナーに置かれているのか、ぼく にはまったく見当がつきません。絵本だからといって子どもの本の棚には似合わ ないし、今月の新刊本のコーナーにはもうなさそうだし、案外、詩歌の棚に収納 されていたりして(^^;)
作者のエドワード・ゴーリーはアメリカ人で、昨年の4月25日に心臓発作のために 75歳の人生を閉じた、大人のための絵本作家としては世界的にカルトな人気を 誇るアーティストです。その作風と同じくとても風変わりな人で、築200年になる 古い屋敷に半ダースの猫を伴に生涯を独身で過ごしました。ニューヨークシティ バレエ団の公演を、長身に毛皮のコートを羽織って、白いテニスシューズを履い て、イヤリングにほとんどの指には指輪、ふさふさの顎髭といった、摩訶不思議 ないで立ちで観に行くのが最上の楽しみだったそうです。
日本では今までほとんど無名に近かったこの作家が、今ちょっとしたブームです。 良心的な訳者としてかねてから信頼が厚く、最近『翻訳夜話』村上春樹との共著 (文春新書)がベストセラーにもなった柴田元幸氏が、エドワード・ゴーリーの 本を3冊、立て続けに邦訳したからです。その3冊とは『ギャシュリークラムの ちびっ子たち』『うろんな客』『優雅に叱責する自転車』です。
ナンセンスでシュールで、やがて哀しいといった奇妙な味わいがするエドワード ゴーリーの絵本の魅力は、文章ではとても説明できないのだけれど、一度目にし たら、必ずや癖になります。なかでも『うろんな客』が一番面白く、僕には特別 な愛着があります。
「うろんな」という日本語を、僕は理解できなかったのですが、「新明解国語辞 典第四版」を引いてみると「怪しげで信用できない様子」そう出ていました。こ の本を読んでみると、怪しげなではなくて「うろんな」じゃなくちゃならない理 由が、よくわかるような気がします。
木枯らし寒き冬の夜、「かれ」は突然やって来ます。白いスニーカーを履いて、 アリクイのように長い鼻先を持った、ペンギンのような奇妙な生き物、それが 「かれ」です。彼の行動はわれわれの理解を超越しています。彼を仕方なく受け 入れることとなった家族も、もうほとんど諦めきっています。そんな「かれ」が その後どうしたかと言うと……
つげ義春の『李さん一家』みたいな話と言ってしまうと「ネタバレ」ですが、ま、 そんな感じの絵本です(^^;) 前述の如く、本屋で探すのに苦労しそうな本なので、 まぁだまされたと思ってインターネットで注文してみて下さい。 \1000 (税別) です。たとえつまらなかったとしても、僕は責任を負いかねますので、その点は どうか御容赦下さいませ(^^;) (2001年 1月16日 記)
(河出書房新社)
『クレーン男』ライナー・チムニク文・画、矢川澄子・訳(パロル舎)¥1700 2002年 2月25日 第1刷発行
童話作家の今江祥智さんが、昔から絶賛しているドイツの童話作家ライナー・チムニクが1956年に発表した傑作童話です。ぼくはつい最近、初めて読みました。過去とも未来とも判らない、でも不思議と懐かしいお話で、ちょうど『武装島田倉庫』椎名誠(新潮文庫)の雰囲気に近いでしょうか。
とある国で一番大きなクレーンが建造され、そのクレーンに心底惚れ込んでしまった、風変わりなひとりの男がクレーンの上に住み着いてしまいます。春が過ぎ、夏が来て、凍える雪の夜でも男は決して地上へ下りることなく、クレーンを我が手のごとく自在に操りながら「クレーンの操縦なら世界一!」という、絶対的な自負と誇りを持って、彼は自らの仕事に打ち込みます。
地上では戦争が起こり街には誰もいなくなって、そして、堤防が決壊してクレーンの周囲がいつしか大海原になってしまっても、男は決して休むことなくクレーンの歯車に油をさし、ボルトのゆるみを点検し、潮風に錆びてしまった鉄骨にヤスリをかけます。一途なこの主人公がなんとも魅力的なのですが、脇役で登場する人々がみな、じつにいい。いつもお花畑で夢ばかり見ているトレーラー係のレクトロ、びんに手紙を詰めて気長な文通を続けるジャガイモ畑の男、そしてクリスマスの夜に現れた傷ついた1羽のワシ。
彼らは、チムニク自ら描いた単純な黒い線一本のペン画で表現されているのですが、これがじつに味わい深いのです。特に、2回登場するクリスマスの夜のシーンが素晴らしい。モノクロなのに、いつしか総天然色の映画のようにイメージが拡がるのです。
それから特筆すべきは、矢川澄子さんの洗練された訳文のすばらしさです。ちょっと間違うと、教訓と寓意に満ちた『葉っぱのフレディ』みたいな安っぽい話になってしまうところを、この『クレーン男』が安易な解釈を拒絶して、なおかつ読者の胸にじんと沁み入る傑作となりえたのは、ひとえに矢川澄子さんの功績でしょう。
矢川澄子さんは、たいへん残念なことに、この春、黒姫高原の自宅で自らいのちを絶たれました。
(2002年7月15日 記)
(パロル舎)
『それでもへっちゃら』 "The OK Book" トッド・パール文・画、穂村弘・訳(フレーベル館)¥600 2000年 5月 第1刷発行
長野の北原です。今日は、最近見つけた楽しい絵本のご紹介です(^^)
8月に松本の「トイザらス」へ息子の自転車を買いに出かけた際、店内の一角に 赤・黄・緑・青のド派手な原色がモザイク状に散りばめられた、不思議なかたち の動物の(犬・猫・猿)ぬいぐるみを見つけました。初めて見るキャラクター・ デザインで、人工皮革のツルツルした肌触りも心地よく、ぼくは一目で気に入っ てしまい、さっそく待合室用に買って帰りました。デザイナーの名前は、トッド・ パール。アメリカ人。
(彼自身のホームページが http://www.toddparr.com にあります。)
トッド・パールが本当は絵本作家であることを知ったのはつい最近のことです。 アメリカでは既に8冊の絵本が出版されており(とは言え、最初の絵本が1999年 に出たばかりの新人作家)、日本でも翻訳本『それでもへっちゃら』『こんなか みのけ』の2冊がフレーベル館より出版されていました。
絵本のかたちと大きさは、ちょうどディック・ブルーナの絵本と同じ版型です。 大胆に原色を使って、シンプルな絵柄で、まさにアメリカのブルーナといった感 じもありますが、もっとハチャメチャでアヴァンギャルドで、とっても楽しい!
「ちっちゃくても、のっぽでも、そばかすでも、つるぴかでも、べそっかきでも、 みんなオーケーだよ! ありのままの自分でいいんだよ!」っていう絵本です。
絵本関係の月刊誌『MOE/モエ』(白泉社)の最新刊11月号の第2特集が、この トッド・パールで、8月に来日した彼へのインタビューが掲載されています。 (以下その一部を引用)
子ども自身が絵本を見ながら、ああ、みんなそれぞれ違っていて、それはとっ ても大切なことだってことを発見してもらえばいいなあと思っています。そし て、大きくなったときに思い出してもらえると同時に、自分に自信を持つきっ かけになってくれたらと思うんです。なかなかいいこと、言うじゃありませんか! >トッド・パール
『こんなかみのけ』も、すっごく楽しい絵本です。こちらも自信を持ってオスス メいたします(^^) (2000年10月12日 記)
●トッド・パールの絵本は、その後も続々と出ています。
『どうぶつえんのきまり』←これ傑作(^^)『きぶんやちゃん』『ほんとのともだち』『パンツのきまり』←これも好き!
『おおきい ちいさい』『くろい しろい』『おかあさん』『おおとうさん』と、全部で10冊。
「トイザらス」に売っている、トッドのジグソー・パズル・セットも楽しいですよ。 (2002年11月22日 追記)
(フレーベル館)
(フレーベル館)
『好きッ!絵本とおもちゃの日々』 相沢康夫・文/画(エイデル研究所)¥1305 1994年 10月11日 初版発行
ぼくは行ったことがないけど、静岡市に『百町森』という名前の、絵本と木の おもちゃの専門店があります。オーナーは柿田友広さんで、『プーおじさんの 子育て入門』柿田友広著・相沢康夫絵(エイデル研究所)1997/11月刊 \1500 (税別)という本も出している人です。でも、この店には店主以上に有名な人が いるのです。それが相沢康夫さんです。
地元の高校卒業後、漫画家を志して上京。しかし、夢破れて静岡へ帰り印刷屋 さんへ就職。もんもんとした日々が続く中で、彼は『百町森』の開店を知りま す。もともと絵本が大好きだった彼は、たまらずこの店のスタッフとして就職 してしまいました。
その後の活躍の様子を、得意のマンガをふんだんに使って紹介しているのが、 この本です。3人の子どもの父親として絵本を読んであげたり、いっしょにゲ ームに興じたりする日々が、子どもたちの嬉々とした反応とともに生き生きと 描かれていて、思わず引き込まれてしまいます。
この本では、絵本よりもヨーロッパ製の輸入ゲーム・木製パズルの紹介に力が 入れられていて、ぼくは「キンダーメモリー」(ドイツ製の神経衰弱)や「ネ フ・スピール」(スイス製の木製パズル)を、この本で初めて知って購入しま した。特に、洗練されたデザインと予想外の面白さを秘めた「ネフ」の木製パ ズルとの出会いを綴った場面が、何と言ってもこの本の白眉でありまして、
相沢さんは、どんどんどんどん「ネフ」の魅力に取り憑かれてゆき、とうとう 自ら木製パズルをデザイン制作して売り出すまでにハマリ込んで行きます。 そのあたりの様子は、この本の続編『まだ好き… 続絵本とおもちゃの日々』 相沢康夫著(エイデル研究所)2000/9月刊 \1524 (税別) で、詳しく紹介され ています。
なお、静岡の『百町森』のHPは、たいへんよくできていて、子どもの年齢に 見合った絵本と木製おもちゃの紹介が充実しています。通販もやってます。(2001年8月29日 記)
http://www.hyakuchomori.co.jp/
(エイデル研究所)
(エイデル研究所)
(エイデル研究所)
北原こどもクリニック