今月のこの一曲

 T O P ご案内 おとうさんの絵本  読書&CD  Now & Then リンク

北原こどもクリニック  



  今月 の この一曲


●最近の「個人的な」お気に入りの音楽に関して
  (読書に関しては日記のほうにに書くことにしました。すみません(^^;;)

今月の「この一曲」(その1)
    (ニーナ・シモン、エリス・レジーナ、森山威男、小坂忠、綾戸智絵、
     波多野睦美 &つのだたかし、押尾コータロー、イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ほか)

今月の「この一曲」(その2)
    (ジョアン・ジルベルト、ブロッサム・ディアリー、広沢虎造、
     ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ファラオ・サンダース、中川ひろたか、
     ウーゴ・ディアス、ジェイムス・テイラー、鈴木慶一、ほか)




『 イントゥ・ホワイト』

カーリー・サイモン(Vo)
(Sony Music/ SICP 1184)
(2007年01月01日発売)

----------------------------------------------------------------
いろいろあったけど、今日まで生きてきたよ! そういうCDだな、これは。
----------------------------------------------------------------

●カーリー・サイモンが好きだった。全米 No.1 ヒット・シングル『うつろな愛』がラジオから流れてきたのは、ぼくがまだ中学3年生の頃だったと思う。ヘレン・カーペンターよりもさらに低い彼女のアルトの歌声は、その不思議なメロディーラインと、口のデカさと共にものすごく印象的だった。憧れているけれど、話をすることもできない大人の女性の雰囲気だったんだな、きっと。

次に彼女の歌声を聴いた時には、すでにジェイムス・テイラーの奥さんに納まっていて、幸せそうな毎日を過ごしていた。それが、LP『ゴリラ』の頃だ。ジェイムス・テイラーの項で書いたけれど、このLPはほんと、よく聴いたな。彼ら夫婦は一男一女の子宝に恵まれた。長男の名前はベン、長女はサリー(サラ)。

ところが、当時はまだ髪の毛がふさふさしていたジェイムス・テイラーは女性にもててもてて、浮気を繰り返していたんだね。そうして何時しか、浮気が本気となって、女房に「三行半」を突きつけた。ずっと愛し続けてきた夫の言葉が、どうにも信じられない妻、カーリー・サイモン。その切ない思いを歌に託したLPが、この『トーチ』だ。さとなおさんと同じく、ぼくもこのLPはほんと、よく聴いたなぁ。めちゃくちゃ切ない、圧倒的名盤です。

●それからずっと数十年、その後の彼女の歌声を聴くこともなく過ごしてきたわけだが、ジャズ評論家小川隆夫氏のブログを読んでたら、カーリー・サイモンの新譜の話が載っていた。これはちょっと気になるなぁと思いつつもネットでは入手せず、結局、先月に松本へ行った際に「パルコ」でやっとこさ手に入れたのだった。今年の年頭に国内発売されたこのCDは、彼女の大好きな曲を、彼女の好きなアレンジで歌ったカバー・アルバムだ。

1 Into White(キャット・スティーブンス)
2 Oh! Susanna(オー!スザンナ)
3 Blackbird(レノン&マッカートニー)
4 You Can Close Your Eyes(ジェイムス・テイラー)
5 Quiet Evening
6 Manha de Carnaval (Theme from "Black Orpheus" カーニバルの朝)
7 Jamaica Farewell(さらばジャマイカ)
8 You Are My Sunshine
9 I Gave My Love a Cherry (The Riddle Song)
10 Devoted to You/All I Have to Do Is Dream
11 Scarborough Fair(スカボロー・フェア)
12 Over the Rainbow(虹のかなたに)
13 Love of My Life
14 I'll Just Remember You
15 Hush Little Baby / My Bonnie


●CDを買ってきて、最初はラジカセで聴いたのだが、流れてきた彼女の歌声を耳にして、ちょっと驚いた。声が深く沈んでいたからだ。『トーチ』の頃の艶や華やかさがまったくない。たぶん録音条件やミキシングによるところが大きいのだろうが、それにしても彼女の歌声はこんなに暗く淋しかったっけ?

なんか期待はずれだなあ、そう思ったのだが、繰り返し繰り返し聴くうちに、じわじわと沁み入ってきたのだ。このCDには深い深い味わいがある。ビートルズの「ブラックバード」もいいが、何と言っても、ファミリーで歌う「目を閉じてごらん」がいい。「君の友だち」をA面2曲目に収録したジェイムス・テイラーの初期のヒットLP『マッド・スライド・スリム』のB面に、何げなくひっそりと収められた名曲だ。この曲では彼女は脇に下がって、メインヴォーカルは彼女の長男ベンが担当している。驚いたことに、この長男の歌声がジェイムス・テイラーそっくりなのだ。

■大切なことは、ただ昔を懐かしんでかつての名曲を歌ったCDではないということだ。あくまでも「いま」ぼくらの心に響いてくる歌を、彼女は目指したに違いない。それは、明るく希望に満ちた歌ではない。どの曲も、深い諦観ののちに「それでも生きていくのよ!」という決意のような、不思議な力強さを感じさせる歌ばかりなのであった。

今年62歳になる、1945年生まれのカーリー・サイモンだが、これからもずっとずっとフォローして行こうと思うぞ。

(2007/08/06 記)
  
『 INTO WHITE 』
カーリー・サイモン (Vo)
(Sony Music/ SICP 1184)
(2007年01月01日発売)






  
『TORCH』
Carly Simon (Vo)
(Warner Bros./ 3592-2 / 1981)









       

『 オスカー・ピーターソンの世界』

オスカー・ピーターソン(p)
(ユニバーサル/ UCCM-9213)
(2005年09月21日発売)

----------------------------------------------------------
ぼくにジャズのドライブ感、グルーブ感、スウィング感を教えてくれた
----------------------------------------------------------

●「スウィングすること」を、言葉で説明するのは案外むずかしい。例えば、山下洋輔さんは「こういうふうに」言っている。体感すれば、一発で解ることなのにね。

ぼく自身は、オスカー・ピーターソンに「ジャズがスウィングすること」を初めて教わった。あれは、昭和52年(1977年)だったか、大学生になって一人暮らしを始めてラジカセだけでは淋しいから、土浦のイトーヨーカドー家電売場でテクニクスのダイレクト・ドライブのプレーヤーとトリオのアンプを買った。スピーカーは次兄が使っていたフォステクスのフルレンジを東京から貰ってきた。

そのコンボで、はるばる高遠からリュックを自分で担いで持って来た大切なフォークのLPレコード(加川良、友部正人、中川イサト、泉谷しげる、六文銭、ボブ・ディラン、ジェイムス・テイラーなど)をとっかえひっかえ聴いていた。そんなある日、ふと新しいジャンルの音楽に挑戦してみたいと思い立ったのだ。それがジャズだ。何か大人の匂いがして、粋でカッコイイ音楽。昔から憧れてはいたのだが、手は出せないでいた。

そこで、東京に住む長兄を訪ねて、兄おすすめの初心者向けジャズ・レコードを10数枚借りてきた。ハービー・ハンコック「処女航海」、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ、ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン、チック・コリア「リターン・トゥ・フォーエバー」、キース・ジャレット「ケルン・コンサート」、アン・バートン、シンガーズ・アンリミテッド、そうして、オスカー・ピーターソンのMPS盤が2枚。

最初にターン・テーブルにのっけたのは、たしか『処女航海』だった。ぜんぜん解らなかった。ただうるさいだけの苦痛で退屈な音楽。ちょっとガッカリだったな。その次にプレーヤーにのせたLPが、この『オスカー・ピーターソンの世界』だったのだ。

レコードのA面に針を落とす。ライヴ盤で、前の曲が終わった後の拍手で始まる。これが何だか気合いの入っていない拍手で、酔っぱらったオヤジが同僚の歌うカラオケに適当に手をたたいているような感じなのだ。どこかのジャズ・クラブなのか、狭い会場で演奏者も観客もリラックスしたアットホームな雰囲気が聞き取れる。と、いきなり「ぐわわ〜ん」と1曲目が始まるのだ。オスカー・ピーターソンの10本の指が、88個の鍵盤の上を右へ左へ自由自在にダイナミックに駆けめぐる。その圧倒的な迫力にぼくは度肝を抜かれた。すんげぇ〜!!

この「ワルツィング・イズ・ヒップ」という曲と、B面2曲目の「不思議の国のアリス」は、繰り返し繰り返し聴いたなぁ。どちらも3拍子の曲なのにね、猛烈にスウィングしてるんだ。ピアノとベースとドラムスが3者一丸となって、前へ前へとぐんぐん迫ってくる。今思い起こしてみれば、これが初めて体験した「ドライブ感」だったのだな。ジャズ界広しと言えど、ワルツで無理なく自然にスウィングできるのは、オスカー・ピーターソンしかいないんじゃないかと思うよ。とにかく凄い。

アップテンポで、がんがん弾きまくるオスカー・ピーターソンもいいが、ミディアム・スローで思い切り「貯め」を作りながら「サテンドール」を弾き始めるオスカー・ピーターソンが好きだ。じわじわとベースとドラムスが刻むリズムに乗っかるようでいて、オフ・ビートに外しまくりながらも、最終的にはぐんぐんスウィングしているんだから、ほんとうに不思議だ。名曲、名演奏ぞろいのこのCDでも、やはり「サテンドール」が最高だな。

オスカー・ピーターソン・トリオと言えば、ベースに天才レイ・ブラウン、ドラムスはエド・シグペンを従えた、ヴァーヴ時代の黄金の「ザ・トリオ」が一番有名だが、ぼくはその後に結成された新しいトリオでの演奏のほうが好きだ。お目付役、女房役のレイ・ブラウンが去って、いい意味での「ワンマン・トリオ」として、遠慮なく思い切り好き放題ガンガン弾きまくる、オスカー・ピーターソンの姿が微笑ましいからだ。ワンパターンと言われればそれまでだが、聴き手のぼくがどんなに落ち込んでブルーな日でも、『ガール・トーク』1曲目の「オン・ア・クリア・デイ」のタイトルどおりに、オスカー・ピーターソンはぼくの心の雨雲を、あっというまに吹き飛ばしてくれるのだ。いつだって。

『ガール・トーク』のライナー・ノーツを読むと、これらのレコードは南ドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)を抜けたフィリンゲンという田舎町に自宅を構える、ドイツのレコード会社「MPS」社長、ハンス・ゲオルグ・ブルナーシュワー氏の自宅の居間で、1967年11月〜1968年4月にかけて、プライベートに録音されたものだという。オスカー・ピーターソンはレコード化されるとは思いもよらずに、ただ普段着のままで、気心の知れた仲間たちとうち解けて、くつろいだ雰囲気の中で演奏したのだという。

あ、そうか! あの「気のない拍手」はきっと、「MPS」社長のハンス・ゲオルグ・ブルナーシュワー氏のものに違いない。うらやましいなぁ、ぼくだって、わが家のリビングにオスカー・ピーターソンを呼んで、ピアノを想い向くまま弾いて欲しいものだ。これぞ、この世の最高の贅沢に違いない。

(2007/01/09 記)
  
『 オスカー・ピーターソンの世界 』
オスカー・ピーターソン(p) サム・ジョーンズ(b)
ボビー・ダーハム(drs)
(ユニバーサル/ UCCM-9213)
(2005年09月21日発売)


  
『トリステーザ・オン・ピアノ』
オスカー・ピーターソン(p) サム・ジョーンズ(b)
ボビー・ダーハム(drs)
(ユニバーサル/ UCCU-9229)
(2006年04月05日発売)


















       

『 WHERE IS LOVE ?』

アイリーン・クラール
(創美企画/ SHCJ-1016)
(1990年06月25日発売)

----------------------------------------------------------
こんな、木枯らし荒ぶ夜には……
----------------------------------------------------------

●湯豆腐が好きだ。金曜日よるの「クレヨンしんちゃん」をテレビで見ていたら、しんちゃんのお父さんも同じだったんで、笑ってしまった。最近は、ベルシャインで「宮田どうふ」の絹ごしを買ってきてもらっているが、これがまた、じつに喉ごしがよくて旨いのだ。個人的には、季節限定商品でなくて1年中食べていたい、そう思っている。とは言え、やっぱり11月・12月のこの時期が一番似合っているかな。

もう一つ、この時期になると必ず聴きたくなるのが 白人女性ジャズ・ボーカル なのだ。学生の頃は、もっぱら Lee Wiley 『Night in Manhattan』 というLPレコードの A面を、11月になると毎晩ターンテーブルにのせていた。特に、つらい神経内科の病棟実習をたった一人で廻っていた時は、このレコードにずいぶんと救われた。姉御肌のリー・ワイリー(白人だけれど、ネイティブ・アメリカンの血が混ざっていたらしい)が、こう語りかけてくるのだ「あんた、何やってんのよ! いじいじくよくよしてても、しょうがないでしょ。明日はまた別の風が吹くわよ、きっと」そんな感じ。

それから、オランダ人 アン・バートン の歌声にも、ずいぶんと助けられたかな。ピアノだけの伴奏で、歌詞を噛みしめるように語りかけるように、静かにしみじみと唄うアン・バートンには、派手さはまったくないが、まさに湯豆腐のようなぬくもりがあった。 『ブルー・バートン』 1曲目の「.捧ぐるは愛のみ」や「グッド・ライフ」「サニー」それから、 『バラード&バートン』 の中の「 Bang! Bang!」などは、何度も何度も聴いた。

でも、近ごろは専ら、 アイリーン・クラール 。それも、 『 WHERE IS LOVE ?』 というCDばかりくり返し聴いている。このレコードはすごい。何て言うか 歌い手の凄み がびんびん伝わってくるのだ。1974年に収録された『 WHERE IS LOVE ?』は、歌手が自ら癌に侵されていることを知って録音された。2曲目の 「When I Look In Your Eyes」 を聴いて欲しい。歌い手の死を覚悟した上での限りないやさしさが、そこに表現されている。

(2005/12/11 記)










  
『 WHERE IS LOVE ? 』
アイリーン・クラール(vo)、アラン・ブロードベント(p)
(創美企画/ SHCJ-1016)
(1990年06月25日発売)






       

『 ラグタイム 』

おおはた雄一
(ワーナーミュージック・ジャパン/WPCL-10175)
(2005年03月09日発売)

----------------------------------------------------------
彼の歌声とギターの音色が、しっとりと「たゆたう」のだ
----------------------------------------------------------

●つい先だっての日曜の夜。たしか「テルメ」から帰る車の中で、FMラジオから印象的なギターの音色が聞こえてきた。繊細にして大胆なタッチ。これは オープン・チューニング だね。もの凄いテクニックなのに、これ見よがしにギターを弾いているワケではない。とすると、 押尾コータロー のスタジオ・ライヴか? あれ? でもヴォーカルが入ってるよ。いったい誰?

耳をそばだてラジオのヴォリュームを上げると、 おおはた雄一 という名前がインプットされた。いつだって、これは!という音楽は、ラジオから流れてくるのだ。大西ユカリ、押尾コータロー、永積タカシ。

その時流れていた曲は、ギターの インスト・ナンバー で、ぼくの大好きな映画 『パリ、テキサス』 ヴィム・ヴェンダース監督作品のサウンドトラック、4曲目に入っている "Cancion Mixteca" じゃないか! ライ・クーダーが弾いている、陽気なメキシカン・ミュージック。

でも、どこか違うんだな。 ライ・クーダー のギターは、まるでテキサスの砂漠の中で弾いているみたいに乾ききっているのに、 おおはた雄一 が弾くギターは妙に 湿っぽい のだ。雨の日の日曜日の午後、水族館の大水槽の中をゆっくりと たゆたう まるで、ジンベイザメみたいに……

7曲入りのミニアルバムだが、通して何度聴いても飽きることがない。そういうCDって、最近なかったよね。中でも、2曲目の 「おだやかな暮らし」 は名曲だ。クラムポンの原田郁子も、カバーしているという。3曲目が、例の "Cancion Mixteca" で、4曲目の「あの娘の居場所」と言う曲は、歌詞も曲調も まるで加川良 なんで、笑ってしまったよ(^^;) バックで スチール・ギター をボトルネック奏法で弾いているのは、 中川イサト か? って、マジで思ってしまいました(^^;;。それにしても、おおはた雄一はほんとギターが上手いな。

声もいいね。 スガシカオ 永積タカシ を足して2で割ったみたいな感じか。永積タカシは、最新CDを自宅プライベート録音して、 ネオ・アコースティック の世界を構築していたが、 おおはた雄一 は、このCDを小淵沢のログハウスのスタジオで録音したという(ほとんどが一発取りだったそうだ)。そのスタジオって、もしかして藤森先生の「八ヶ岳・星と虹歯科診療所」にある 「星と虹レコーディング・スタジオ」 のことか? あの伝説の 『世界中のこどもたちが』 中川ひろたか・新沢としひこ(クレヨンハウス)が録音されたスタジオだ。確かに、鳥のさえずりや虫の音もBGMで入っているよ。

このCD、しばらくハマりそうだな。

(2005/04/03 記)











『ラグタイム』
おおはた雄一(g, vo)
(ワーナーミュージック・ジャパン/WPCL-10175)
(2005年03月09日発売)

   
『パリ、テキサス』
ライ・クーダー(g)
(ワーナーミュージック・ジャパン/WPCR-2549)

     
『帰ってから歌いたくなてもいいように思ったのだ』
ハナレグミ/ 永積タカシ(g, vo)
(東芝EMI/TOCT-25579)

 





       

『 ニューヨークのアストル・ピアソラ 』

アストル・ピアソラ
(ポリドール/POCP-1248)
(1992年09月26日発売)

----------------------------------------------------------
最も過激なピアソラ
----------------------------------------------------------
●秋ですねぇ。しみじみと秋を感じるなら タンゴ でしょう(あまり意味はないけど(^^;) 「ブエノスアイレスの秋」 という曲があります。 「四季」 といえば ヴィヴァルディ を皆さん思い浮かべるでしょうが、南半球のアルゼンチンには 「もう一つ別の四季」 があって、タンゴ界の異端児 アストル・ピアソラ が作曲した「ブエノスアイレスの夏」「ブエノスアイレスの秋」「ブエノスアイレスの冬」「ブエノスアイレスの春」の4曲が「それ」です。ちなみに、この4曲は同時に発表されたのではなく、夏・秋・冬・春の順番で作曲されました。 浅田次郎・著『プリズンホテル・シリーズ』 といっしょですね(^^;) 曲としては 「ブエノスアイレスの夏」 が一番有名かな。

ただ、日本から見て地球の裏側であるアルゼンチンでは 今が春 なワケですが…… ピアソラ・ブームを作り上げた ギドン・クレーメル は、大胆にも「ヴィヴァルディの四季」と「ピアソラの四季」とを交互に演奏したCD 『エイト・シーズンズ』 も発表しています。クラシック・ファンには評判はイマイチだったみたいですが、ぼくは面白かったな。

■ピアソラ自身が演奏した 「ブエノスアイレスの四季」 全曲は、1970年に地元ブエノスアイレスでライヴ録音された 『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』 でしか聴くことはできないのです、意外にも。しかも、この時の演奏はピアソラ・キンテートの最高のパフォーマンスであったとされ、数あるピアソラのCDの中でも、このCDを 「ベスト1」 に挙げる人が多い(ぼくもそう思います(^^;) 1980年代に録音されたピアソラ・キンテートの 「ブエノスアイレスの夏」 は重厚なアレンジがじゃましていて、本来のスピード感とグルーヴ感を失ってしまったと思うぞ。日本が誇る若きバンドネオン奏者、小松亮太の 「ブエノスアイレスの夏」 は「レジーナ劇場版」を踏襲していて好感が持てます。

■ところで、ぼくが一番好きな「ピアソラ」は何かといいますと、それは 『ニューヨークのアストル・ピアソラ』 なんですね。初めて聴いたピアソラは 『タンゴ・ゼロ・アワー』 でした。中村とうようさんが星5つ付けていたんで買ったのだけれど、でも、当時はよく分からなかった、ぜんぜん、ピアソラ。あれは1986年のことでした。それからしばらくして1995年頃だったか、 斉藤純・著『テニス、そして殺人者のタンゴ』 (講談社文庫)を読んだら、もう一度登場したのです、あのピアソラが。斉藤純のメジャー・デビュー作となったこの作品がぼくは大好きなのだけれど、彼と同じくジャズに傾倒した 村上春樹 のエピゴーネンにすぎないとして、当時はあまり注目されなかった作品だ。でも、個人的には 日本版「長いお別れ」 の傑作だと思っています。(もう少し続くよ)

●この本に登場する、ジャズ喫茶 「天竺茶屋」 のマスター 菅野さん は実在する人物だ。岩手県一関市に 「ベイシー」 という古い土蔵を改造したジャズ喫茶が今もある。店内の正面にはJBLの巨大システムが鎮座し、 Sure V15TYPEIII というカートリッジで、ジャズレコードをもの凄い音量で聴かせてくれる。日本で最も「音がいい」ことで有名なこのジャズ喫茶の名物マスターが 菅原昭二さん (菅野さんではなくて)なのだ。ぼくも学生時代に一度、大変お世話になったことがあるのだが、詳しいことは恥ずかしくて書けない(^^;;;

『テニス、そして殺人者のタンゴ』 の p193〜196 には、こんなことが書いてある。
 音楽の間からはときどき音に含まれない、それ以上のものが漂う。確かにそんなようなものを感じるときがある。アントニオ・カルロス・ジョビンを聴いたとき、ウェス・モンゴメリーのギターを聴いたとき、ビル・エバンスのピアノソロを聴いたとき、アストル・ピアソラのバンドネオンを聴いたとき、そして伊豆田の音楽を聴いたとき。それぞれが音とは別なもの、音には含まれないものを持っていた。
 それが匂いなのかもしれない。(中略)

 誰もピアソラを評価していなかった二十年も前の日本で、伊豆田はアストル・ピアソラに影響を受けていた。(中略)ユーモアと緊張。氷の剣のような音色と暖かな響き。ぶっきらぼうなくらいの朴訥さと洗練された音使い。ひとつの音からまったく異質の印象を与える演奏。彼のピアノは相反するものの衝突だった。いや、衝突というほど激しくはない。それらによって磨かれた刃先の上を滑るようなタッチ。そして、彼の演奏には常に死の陰がつきまとっていた。どんなに明るい曲の演奏でも、彼のピアノから死が感じられないことはなかった。
 それが彼の音楽だった。
■さて、いま 『銀輪の覇者』 斉藤純(早川書房)を読んでいるところなのですが、これは面白い。すっごく面白い。斉藤純さんは盛岡市長選には落選しちゃったけれど、もっともっと傑作を書いてほしいぞ。だって、ぼくに ピアソラ の凄さを教えてくれたのは斉藤純さんなのだから。

『テニス、そして殺人者のタンゴ』 を読み終わって、あわてて買ってきたのがこの 『ニューヨークのアストル・ピアソラ』 。1曲目が始まるなり、いきなし耳をつんざくようなバンドネオンとバイオリンの不協和音。 えっ、これがタンゴなの? というのが最初に聴いた正直な感想だった。ところが3曲目の 「悪魔をやっつけろ」 で、ぐぐっときたのだ。タンゴには珍しく パーカッション が入って「タタタタンタンタン・タンタンタ」とシンバルが急き立てるような変拍子リズム(4+3)を刻む。 この緊迫感はジャズだよ!

そうして7曲目 「天使のミロンガ」 。『タンゴ・ゼロ・アワー』でのピアソラ屈指の名演も捨てがたいですが、こちらが初演。しみじみ心に沁みる演奏だ。これはピアソラ愛好家ならみなよく言うことだが、日本で初めて 『ピアソラ』 (河出書房新社)というピアソラ紹介本を書いた 小沼純一 氏が、ピアソラのCDは 1980年代以降のものを聴けば十分で、1970年代以前の演奏は音が悪くて聴く気がしない、みたいなことを言っていて、あっと驚いたものだ。あんた、嘘いっちゃぁいけないよ。ぼくもそう思った。

噂によると、この本を書き上げた当時、 小沼純一 氏はどうもまだ傑作の誉れ高いこの 『ニューヨークのアストル・ピアソラ』 を聴いたことがなかったらしいのだ。え〜ぇ!嘘でしょ。そんなんで本を書いちゃったのぉ(^^;;)

確かに『ライヴ・イン・ウィーン』や『AA印の悲しみ』は(ぼくも持っているけど)名演ぞろいだ。80年代ピアソラ・キンテートの傑作には間違いない。でも、1965年当時、意気揚々とニューヨークから凱旋帰国したピアソラをアルゼンチン本国で待っていたのは名声でも栄誉でもなかった。タンゴの破壊者としての非難と罵声。そんな周囲の無理解の中で このレコード は録音され、スランプに陥ったピアソラはヨーロッパへと脱出するのだった。
(2004/11/18 記)

『ニューヨークのアストル・ピアソラ』
アストル・ピアソラ
(ポリドール/ POCP-1248)
(1992/09/26発売)

   
『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』
アストル・ピアソラ
(BMGジャパン/BVCM-35001)

 











































       

『 落語名人会(28) 古今亭志ん朝20 堀の内・化物使い 』

古今亭志ん朝
(ソニーレコード/SRCL-3364)
(1995年11月22日発売)

----------------------------------------------------------
ぜったいに噛まない「志ん朝」の真骨頂!
----------------------------------------------------------
●もしも、 タイムマシン に一度だけ乗れて、過去に旅できるとしたら、ぼくなら何処に行くか? その答えは、もうずっと前から決まっていた。それは、 1961年7月16日 のニューヨーク、 「FIVE SPOT」 という名前のジャズクラブ。この日、新進気鋭の若きトランペット奏者 ブッカー・リトル をメンバーに引き入れた エリック・ドルフィー は、自信満々で「FIVE SPOT」のステージ上に立っていた。1964年6月29日、36歳の誕生日を迎えたその数日後ベルリンで客死することになるドルフィーと、23歳の若さで尿毒症で死んでしまうブッカー・リトル。この2人の天才ジャズマンを擁した双頭コンボの奇跡のライヴ録音が、まさに ここ で行われていたのだ。

数あるジャズレコードの中で、ライヴ録音された音源のものでは、この 『Eric Dolphy at the Five Spot vol.1&2』 が、ぼくは一番好きなんです。だから、このレコードの中に自分の拍手や「イェ〜ィ!」なんてかけ声が収録されていたらうれしいな、そう思っちゃったんだな。もちろん、ライヴの「その場」に居合わせることができたなら、レコードで聴く感動の数百倍の喜びを味わうことができるに違いない。(もう少し続く・2004年8月05日記)

●この長年不動の第一位の場所が、じつはつい最近変わってしまった。 1981年4月15日 の、場所は 本駒込「三百人劇場」 に。この年、 古今亭志ん朝 は一世一代の大勝負に打って出る。 「志ん朝七夜」 と題された、三百人劇場で7日間連続で開かれた独演会だ。毎夜2〜3話、違った噺を演じ続けなければならないという、演者(噺家)の緊張感と集中力と技量とが試される恐ろしい修羅場であったはずだ。その演目は以下のとおり。

第1夜 (1981/04/11) 「大山詣り」「首提灯」
第2夜 (1981/04/12) 「百川」「高田馬場」
第3夜 (1981/04/13) 「代脈」「蔵前駕籠」「お化け長屋」
第4夜 (1981/04/14) 「大工調べ」「甲府い」
第5夜 (1981/04/15) 「堀の内」「化物使い」「明烏」
第6夜 (1981/04/16) 「火事息子」「雛鍔」
第7夜 (1981/04/17) 「真田小僧」「駒長」「干物箱」

●役者さんやアナウンサーが、セリフやニュース原稿をつっかえたり、トチったりすることを、業界用語で 「噛む」 (「舌を噛む」からきている?)と言うが、この 「志ん朝七夜」 での志ん朝さんは 噛まなかった 。幸い、Sonny Record によって全演目が録音されたが、お蔵入りになった音源は、見立て落ちの「首提灯」の1つだけ。残りの16演目が、志ん朝公認(生前発売は13演目)の出来のよさでもって、レコードになっている。「これは一発勝負のライヴレコーディングとしては、神業のように高率な分留りなのだ。」と、録音プロデューサーの 京須偕充 氏は、その著書 『らくごコスモス』 の中で語っている。

この驚くべき完成度を誇る 「志ん朝七夜」 の中でも、今や伝説となっているのが 「第5夜」 だ。志ん朝さんが、トリに演じた 「明烏」 は、桂文楽の「それ」を軽々と超えたと言う人もいるほどのデキのよさ。こういうのを「粋だねぇ〜」って言うんだな。ほんと、この志ん朝さんの うぶな若旦那 には、ほれぼれしちゃうよ。

でもね、この日一番凄かった噺は、じつは 「堀の内」 だったんだ。落語ではおなじみの 「粗忽者」 (今でいう、ADHD ですね)を、志ん朝さんはちょいと軽く準備運動みたいに演じているのだが、バカにしちゃいけない。とにかくこれが凄い!。何しろ、桂枝雀をも凌ぐ 恐ろしいほどのスピード感 でもって、一瞬のよどみもなく一気に、畳みかけるように 喋りまくる のだ。これが聴いていて、なんとも気持ちがいい。なにせ、志ん朝さんは 絶対に噛まない のだから。

●志ん朝さんが亡くなったその日の深夜、NHKラジオ 「ラジオ深夜便」 では、古今亭志ん朝を追悼して、この 「堀の内」 を放送したんだそうです。NHKのプロデューサーも、何か思うところがあったんでしょうねぇ。(2004年8月06日記)

●もう一つ収録された 「化物使い」 のことを書くのを忘れていましたよ。この噺もじつにいい。絵本 『ばけものつかい』 川端誠・絵(クレヨンハウス) の「元ネタ」だけれども、絵本では、化物屋敷に引っ越した後から始まるが、志ん朝さんは、たっぷりと時間をかけて、主人公のご隠居の傍若無人な「人使い」を語ってくれるので、その後の「化物使い」の様子がめちゃくちゃ可笑しいのだ。

絵本では、女のお化けは「ろくろっ首」になっていたが、落語では 「のっぺら坊」 。ご隠居が、この「のっぺら坊の女」の顔がないことを慰めて 「いいんだよ、気にしなくって。そんなもんなくたっていいんだ。サバサバしてていいじゃぁねぇか。なまじ目鼻がついてるんで、苦労している女はいくらもいるよ。」 というくだりは、何度聴いても大笑いだ(^^)
(2004年8月09日追記)(8月11日、一部改定)


『落語名人会(28) 古今亭志ん朝20』
古今亭志ん朝
(ソニーレコード/SRCL-3364 )
(1995/11/22発売)

   
『Eric Dolphy at the Five Spot』
エリック・ドルフィー(as) ブッカー・リトル(tp)
マル・ウォルドロン(p)リチャード・デイヴィス(b)
エド・ブラックウェル(drs)
(1961/07/16N.Y.録音)

 
















       

  ● 今月の「この一曲」(その2)

   (ジョアン・ジルベルト、ブロッサム・ディアリー、広沢虎造、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、
    ファラオ・サンダース、中川ひろたか、ウーゴ・ディアス、ジェイムス・テイラー、鈴木慶一ほか)
  ● 今月の「この一曲」(その1)

   (ニーナ・シモン、エリス・レジーナ、森山威男、小坂忠、綾戸智絵、
    波多野睦美 &つのだたかし、押尾コータロー、イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ほか)



 T O P  ご案内  おとうさんの絵本    読書&CD    Now & Then   リンク 

北原こどもクリニック