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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 画家・小林豊さんと「アフガニスタン」       2002/11/28

●日曜日に小淵沢へ行ったさい「リゾナーレ小淵沢」 のすぐそばにある「フィリア美術館」 を訪ねました。
この美術館では現在(10/5 〜 2003/1/13 まで)小林豊さんの「えほん北緯36度線」 原画全点+アフガニスタンを描いた日本画数点の展覧会が開催されています。

小林豊さんは『せかいいち うつくしい ぼくの村』 (ポプラ社)で、アフガニスタンに暮らす普通の人々の日々を絵本に描いたことで知られる絵本作家ですが、『えほん北緯36度線』 は見たことがありませんでした。絵本の原画展を見に行くたびに思うことは、印刷されて本になると何故か失われてしまう、画家の繊細な筆使いや微妙な色彩のニュアンスが原画には確かに残っていて、絵を見ていると、その絵を描いている絵本作家の息吹や体温までもがリアルに感じられる驚きです。

『えほん北緯36度線』の原画は、実際の絵本の絵のサイズよりも大きく迫力があって、それはそれは素晴らしかったです。で、絵を見ながら作者の小林豊さんって、いったいどんな人なんだろう? と、すごく興味がわいてきて、ぜひ直接お会いしてお話を聞いてみたい、そう思ったのでした。

じつは、その小林豊さんが 11月25日(月)の夜、飯島町の「風の谷えほん館」 開館1周年記念講演会の講師として「風の谷えほん館」に来られることになっていて、ぼくは月曜日の午後の診療がようやく終わった19時過ぎ、雨降る中を車をとばして広域農道を飯島へと向かったのでした。慣れない夜道で道に迷ってしまい、結局会場に着いたのが19:45ごろのことで、40人くらいの聴衆ですでにいっぱいの中、小林豊さんのアフガニスタンのお話の後半だけ、かろうじて聞くことができました。

小林さんは、繊細な日本画家のイメージとは違って、「七人の侍」にでも出てくるような、顎髭をはやした勇壮な野武士みたいな、ちょっと強面の感じの方で、でも人なつっこい笑顔が何ともすてきな人でした。話し方も雄弁で、ぐいぐい聴衆を引きつけるパワーがありました。最初から聴けなくて、とても残念です。

小林さんのお話の中で印象的だったのは、ソ連のアフガン侵攻で、何も知らずにアフガニスタンへ兵士として送り込まれたのは、ソ連の辺境に住む「まだ10代の子どもたち」だったということ、それから、「タリバン」はアフガンの初期の難民の2世3世の「子どもたち」がアラブ人のラディーンから先鋭的な宗教教育を叩き込まれて出来上がった組織であるということ。そして「対人地雷」 というのは、時計とか蝶々とかボールペンとか、ちょうど「子ども」が欲しがるようなものの形をしていて、子どもが手に取った瞬間爆発して、手や足をもぎ取る。対人地雷は人を殺すことはしない。ただ、犠牲になった「子どもたち」をほっといては、大人や年長の兄弟が働きに、兵隊に行かれないようにすること、それが目的なのだということ。

戦争で一番の犠牲になるのは、いろんな意味で「子どもたち」なのですね。

 森の中のおもちゃ屋さん「イカロス」のこと     2002/11/24

●小淵沢へ行ってきました。
 行けば必ず立ち寄るのが、森の中のおもちゃ屋さん『イカロス』

 ぼくが初めてここを訪れたのは7〜8年前のことで、当時はまだ「スパティオ小淵沢」も、その向かいの化粧品会社もなくて、小淵沢インターから八ヶ岳に向かって最初の信号を右折(左折すれば「八ヶ岳アウトレット」 )して、山梨県馬術競技場の手前を右に折れ、未舗装の凸凹道を20mほど森の中へ進むと『イカロス』はありました。三角形の看板が道路脇に出てはいるのですが、どこで曲がればいいのか、すぐ分かんなくなっちゃう。ところが現在では、その入り口の林は伐採されてしまい、ピザ屋さんと焼肉屋が通り沿いにできて、その間の凸凹道を入って行くことになります。なんだか寂しいな。

でも、『イカロス』は昔のままの佇まいで、今もちゃんと森の中にあり、ドアを開ければまた、たくさんの「木のおもちゃ」が出迎えてくれるのでした。子どもたちに大人気の「ロディの子馬」も、今でこそ「アピタ」でも買えますが、ぼくが『イカロス』で初めて「ロディ」を見つけた当時は、まだ誰も知りませんでした。それから、「ネフの木製パズル」に初めて出会ったのも、ここでした。「ネフ」 については、近いうちにまたお話したいと思っています。



●さて、本日買ってきたのは、ギリシャ製の「木の絵合わせパズル」、ドイツ「HABA社」の「ネズミ取りゲーム」、それから、ドイツ「ベリ・デザイン社」の、12個の色違いの立方体が「ゴムひも」で繋がった木製パズル。この木製パズルが面白い! 大人がハマってしまいます。ちょうど、むかし流行した「ルービック・キューブ」が、12個の木製立方体として単純化され復活した、とでも申しましょうか。両手でカシャカシャ動かしていると、次々と形が変わるのです。木の手触りとぬくもりが心地よく、しかも、手のひらに収まるちょうどよいサイズ。でも、12個の木製立方体すべてが、ゴムひもで繋がっているので、動かし方にはかなりの制限を伴うのです。

なかなか、思うような形にはならない。でも、工夫すると、こんな形や、こんな形や、こんな形にだってなるのです(^^)
このパズルは楽しいです。¥2,700。これはオススメです(^^)。


 『田村』のうどんが来た!             2002/11/23

●このところ連続で話題にしていた「小澤俊夫さん」って、じつは知らなかったのですが、あの「小沢健二」のお父さんで、かつ「小澤征爾」のお兄さんだったんですって。いやぁ、ビックリいたしました(^^;)

●昨日は「ユニクロ・ベルシャイン伊那店」のオープンの日でしたが、何かと忙しくて見に行けませんでした(^^;;

●でも、待ちに待った「千趣会プロデュース・恐るべきさぬきうどん・第2弾!」『田村のうどん』が送られてきたのです。今回は、あらかじめ茹でた麺の冷凍だったので、解凍は「1分!」。さっと冷水でしめた冷たい麺に、熱いつゆをかけた「ぬるかけ」で頂戴いたしました。薬味は例によって「万能ネギ&生姜」。これは旨かった!! 第一弾の「山下のうどん」よりも数倍、讃岐うどんの神髄をかいま見る思いがいたしましたデス。

腰のある麺を噛みしめると、ガムみたいに「ぐにゅっ」と歯茎に「粘着」するんです。う〜む、これは今までに経験したことのない食感! すっごい粘り。何なんだ、これは!

この感覚を絶妙の文章で表現できる人は「さとなお」さんしかいません。彼は、その著書『うまひゃひゃ さぬきうどん』の中で、こんなふうに言っています。

麺は黄色味を帯びており、太い。歯ごたえは相変わらずのゴチッだ。歯が侵入していくと麺が歯に抱きついてくる。思いがけない麺の優しさに歯が相好を崩す・・・そう、強いのに優しいうどんなのだ。で、じっくりと噛みこんでいくと薄皮一枚で見事に粘りよる。うーん、こりゃすごい。
●あぁ、香川県で「小児科学会」やらないかな。「うどんツアー」してみたいよう。

 『かちかちやま』拾遺(その3)これでおしまい   2002/11/20

●「かちかち山」の話は、まだ続くのでした(^^;; でも、今日でおしまい。

小澤俊夫さんは、著書『昔話が語る子どもの姿』の中で、さらに続けてこう書いています。

私は赤羽末吉さんに絵をかいていただいて「かちかち山」を絵本にするときに、狸の婆汁といわれる前半の部分を入れようと考えました。というのは、いきなり兎が出てきて、狸をかちかちやってやっつける、あそこだけで話を作っては話にならないのです。なぜあんなにしつこく狸をやっつけたのか、それではぜんぜんわからない。しかも、私は、前半のあの部分がきわめて大事だと考えているので、あのような絵本を作ったのです。そうするとずいぶん強い反応がありました。ある大きな書店では、入荷した絵本を社長が見てびっくりしてしまって、こんなものは子どもに見せられるものじゃない、といって長くお蔵にしまっておいたということです。

冒頭の部分はどうですか。お婆さんが殺されるので、お歳を召した女性が特に強く反発を感ずるようですけれど、あれは人間の代表としてであって、別にお婆さんを狙ったわけではない。人間の代表として狸に攻撃されているのです。(中略)

畑があって、その畑で爺さんが仕事をしているところに、狸が来てちょっかいを出す。(中略)畑というのはまさに、耕されたもの(カルチャー)でしょう。だから、これは人間の文化の世界であるというようにいいかえることができるのです。そうすると、まわりの無限定の自然の世界から、その自然のなかに住んでいるものが、人間の世界に、襲ってきたのです。からかうという形ですけど。これは自然の中からの来襲である。(中略)

そういう自然と人間の文化との関係のなかに、「かちかち山」の場合には、つきあいの一番もとであるところの、食うか食われるかという生命の問題が関わっている。(中略)婆さんが殺されて、しかもそれを爺さんが食べてしまったというのがかわいそうだ、けしからんということになるのですが、あれは仕方がないのです。狸の側からすれば、自分が殺されそうになったわけです。あのまま狸がおとなしく縛られていたら、狸汁になっていたのです。食われているわけです。

だから、仕返しとしては、それの逆をやるわけです。自分が食われそうになったのだから、相手を食ってやる。これはあたりまえです。仕返しというのは常に等価でなければなりません。(中略)目には目を、歯には歯をというでしょう。あの考え方です。(中略)しかも、仇討ちの一番厳しいのは何かといいますと、相手をだまして自分の肉親を食わせること、あるいは、肉親を殺させることなのです。これは、古い文学や伝説にときどきでてくるモティーフです。たとえば、王様に仕返しするときに、王様が知らずして自分の子どもを殺すことになってしまうような仕掛けをすること。これが最大の仕返しです。(p101〜105)
●先月末に辰野町であった、松居直さんの講演会でも「かちかち山」の話がでました。松居直さんは、こんなお話をされました。
今の子どもたちは「怖い」とか「残酷」「悪」ということを知ってますか?「悲しい」「悔しい」とかも。知らないんじゃないかな。今の教育では「善」だけ教えているけど、善は悪があってこそ「善」なのであって、「悪」を教えないと本当の「善」は分からない。「悪」というものをちゃんと語らなければならないのです。

幼いころの私は「かちかち山」のお話を聞いて、婆汁をお爺さんが知らずに食べちゃったあとの、お爺さんの「悲しみ」と「悔しさ」が痛いほど感じられ、もう、お爺さんが可哀想で可哀想で、たまりませんでした。ですから、兎が仕返しする場面になると「もっとやれー、もっとやれー」と思いましたね。それゆえ、小澤俊夫さんと赤羽末吉さんの絵本『かちかちやま』を手にしたときには、これだこれだと大満足でした。そうして、たくさんの昔話を聞いて私が思ったことは、「結局、悪は滅びる」ということなんです。

 『かちかちやま』拾遺(その2)          2002/11/17

●今日もしつこく「かちかち山」の続き(^^;;

絶版になった福武文庫から出ていた『昔ばなしとは何か』小澤俊夫・著を、最近手に入れて寝る前に少しずつ読んでいるのですが、この本 がとても面白い。でも、今日はその話題ではなくて、同じ著者の別の本の話題。  『昔話が語る子どもの姿』小澤俊夫(古今社)\1800  を、図書館から借りてきました。

この本の第2章は「昔話は残酷か」というタイトルです。昔話に必ずと言っていいほど登場する「残酷な場面」は、1)古代の信仰に由来する出来事、2)古い刑罰の名残り、3)生命をめぐる戦いの話、4)敵との戦い、5)まま子いじめ、6)真心の表明、の6つに整理される、そう書かれています。中でも最も重要なのが3番目にあげた「動物の命をめぐる食い合いの物語」としての残虐性で、三匹目の子豚が煙突から落ちてきた狼をそのまま鍋で煮て食べてしまう、オリジナルの『三匹の子ぶた』に触れながら、著者はこんなことを言っています。

豚と狼の食うか食われるかの話です。子ぶたが食われるか、狼が食われるかという戦いの物語です。命をめぐる物語です。私はそのような話は非常に大事だと思っているのです。あの話は、動物というのは自分の命を維持するために他の動物や植物を食べるという冷厳な事実を語っていると思うのです。そのことは非常に大事です。なぜかというと、私たちも動物なのだから。人間も動物の一種で他の動物の命をもらって生きているのだから。(中略)

自分の命が他の動物や植物から命をもらって成り立っているのだということを知ってはじめて、生きていることへの感謝の念が生まれるのではないでしょうか。自分はひとりで勝手に生きているのだと思っているかもしれないが、実は他の生命に支えられて生きているのだということを知るのは、大切なことです。人間が傲慢にならないためにも大切だし、自分や他人の生命を粗末に扱わないようになるためにも大切だと思うのです。

生命は愛を生み、美しさを生み、感動することを知っている美しいものです。しかしその生命は、他の生命を奪うという残酷な面をどうしてももっているのです。これはどうしようもないことです。この、生命の両面をしっかりと子どもたちも知りつつ成長しなければいけません。おとなが、子どもには美しい面だけをみせて育てよう、と思うことは危険なことだと思います。自然体で、生命の両面を伝えなければならないのです。

人類の先祖たちは、そのことを昔話という物語の形でやってきたのです。小さい子どもに、理屈としてでなく、興味深い物語として、生命とは如何なるものか、生命とはどうやって成り立っているかを伝えてきたのだと思います。(p88〜91)

 『かちかちやま』拾遺               2002/11/14

●昨日の夕飯は、生協で入手した「山形芋煮セット」(こんにゃくとネギのみ別途用意が必要)。予想外に旨かったデス。また食いたいな。山形の人は最上川河川敷の「芋煮会」で、こういうのを食っていたんですね。

●「おとうさんの絵本」のコーナーで、『かちかちやま』を取り上げたのですが、書きそびれたことがあったので、こちらで追加します。『かちかち山』に関して書かれた面白い本がもう一冊あって、手持ちの本ではなかったので、昨日の夕方、高遠町図書館へ行って借りてきました。 それは、『おはなしの知恵』河合隼雄(朝日新聞社)2000/12/01 (\1300) という本です。

『かちかち山』のお話の「婆汁」までの前半と、ウサギの復讐の後半とは、じつはまったく別の独立した話だったのだそうです。特に後半の話はウサギとクマの話で、クマは別に悪いことをした訳でもないのに、ウサギにさんざんイタズラされるだけという話で、後代になって、二つが統合され、単なる悪戯者だったはずのウサギが俄然正義の味方になり、悪人の狸をやっつける勧善懲悪の物語へと変わったのでした。だから、この話は前半と後半でバランスが悪いんですね。

このお話の「残酷性」に関して、河合隼雄さんは本の中でこんなことを書いています。

「かちかち山」の話は残酷すぎて嫌だという人がある。(中略)婆汁を爺さんに食べさせるのはあんまりだ。(中略)兎の狸に対する仇討ちも残酷すぎると言う人がある。しかも、すべてがだまし討ちである。(中略)

人間に内在する、このような残酷さは根源的なものと言っていいのかもしれない。現代においても、あちこちの内戦において、善悪の判断がまっぷたつに分かれると、「悪」を懲らしめるという名目において残虐なことが行われる。これは一度歯止めを失うと止まるところがない。(中略)

子どものときに「かちかち山」の話を聞かせると、子どもが大きくなってから残酷なことことをするようになるのではないか、と考える人があるが、私はそう思っていない。このような話を通じて、自分の心のなかの残虐性についてもある程度自覚しておく方がいい、と考える。多くの場合、もっとも危険な人は、自分を徹頭徹尾「善」であると信じこんでいたり、一度も自分の残虐性などに思い至ったことのない人である。昔話は、人間の心の本質にかかわることを、拡大して知らせてくれ、それを語ったり聞いたりすることで、実感しながら感じとるようにできている。
●それから、爺さんが婆汁を食うシーンで、ひと口食べて変な味がする、と首をかしげると、「狸が煮られるとき、苦しっ屁たれたので、その味だよ」と狸婆がそ知らぬ顔をして言う、なんて原典にはあるそうです。

 加島祥造さんの講演会に行ってきました       2002/11/10

●この10月・11月は、秋の特別文化事業として 各地の図書館でさまざまな講演会が催されており、見逃せません。11月30日(土)午後2時からは、中川村図書館で、痛快時代劇絵本『ねぎぼうずのあさたろう』の作者、飯野和好さんの自作読み語りの会があります。こいつぁ、聞きのがせませんぜ!!旦那(^^;  ぼくは、飯野和好さんの話を昨年12月の高遠町図書館での講演と、今年の9月に穂高の「森のおうち」と「2度も」聴いていますが、中川村図書館での講演もぜひ聴きたい! でも土曜日の午後2時からなので、無理そうなんです。残念……

で、昨日の土曜日には駒ヶ根市立図書館で、「伊那谷の老子」 の「加島祥造さん」の講演会がありました。幸い午後3時からだったので、間に合いました。夏に2回も骨折されたと聞いていたので心配していたのですが、元気なお姿でいつものように飄々と登場され安心いたしました。今年78歳。この夏も、天竜川で泳いだそうです(^^;

●加島さんは、こんなことをおっしゃいました。

伊那谷へ来て「wonder」を感じ始めた。都会にはない「驚き」を。自分の普段の日常の「sense」から抜け出たときに「wonder」は現れる。そして、30代以降まったく書けなかった「詩」だが、伊那谷へ来て、詩の言葉がまた湧き上がってくるようになった。 poetry(詩)は「驚き」からでてくるんだ。

好きなことをおやんなさい。夢中になってできることは、体に残る。そうしたものをたくさん自分の中に貯め込んでいくと、子どもや若い頃には「無能なダメ人間」と思われても、年をとっていつかは、意味のある人になれるよ。

その人の中の「freedom」が死なない人というのは、他の人にも「freedom」を与えることができるんだ。もちろん、自分の子どもにもね。
●加島さんって、ホントかっこいい「ジイちゃん」だなぁ。しみじみ。

 高遠第一保育園で「絵本」を読んできました     2002/11/07

●11月3日(文化の日)に、伊那市図書館で絵本作家「とよたかずひこ」さんの講演と、作者自身による自作絵本、紙芝居の読み聞かせの会がありました。

ぼくが絵本に興味を持つようになったのは、自分の長男が生まれてからのことで、絵本歴はたかだか6年ちょっとなのですが、一番最初に好きになった絵本作家が、とよたかずひこさんなのです。『おっとっと(しろくまパパとあそぼう1)』『でんしゃにのって』など、パステルカラーの優しい色彩に動物たちがほのぼのしたタッチで描かれており、ぼくは髭をはやした「カールおじさん」みたいな人が作者なんだろうなぁと、かってにイメージしていました。

ところが、実物のとよたさんはぜんぜん違って、細身の体にコーデュロイのジャケット、首にはスカーフを巻いて、中田英寿のようなお洒落なサングラスでの登場でした。とても50歳過ぎには見えない、アーバンでハイセンスな紳士でホントびっくりしましたよ。絵本作家のお話は、飯野和好さん、川端誠さんといった超個性的な作家さんしか聞いたことなかったんですが、とつとつと誠実に、自作絵本の製作秘話を語ってくれた「とよたさん」も、なかなかにお話が上手でしたね。ワニのバルボンさん誕生の謎や、うららちゃんの名前の由来にはホント笑ってしまいました(^^)

講演会の後、うちから持っていった絵本にサインをしてもらいました。筆ペンにマジックで鮮やかな色まで添えて、一冊一冊とても丁寧に書いてくださいました。うれしかったです。当院中待合いの本棚に置いてありますので、ぜひ見てください(^^)



●昨日は、高遠第一保育園の「秋の内科健診」だったのですが、健診のあと園長先生に無理やりお願いして、年少さん・年中さんのクラスで「絵本の読み聞かせ」をさせていただきました。持っていった本は『さつまのおいも』中川ひろたか・文、村上康成・絵(童心社)と『でんしゃにのって』とよたかずひこ作絵(アリス館)です。

保育園での読み聞かせは初体験でしたが、1クラス十数人しかいない少人数の保育園でしたので、園児はみんな絵本に集中して聞いてくれましたよ。特に『さつまのおいも』はバカうけでした(^^) こんなに反応が良いとは思ってもいなかったので、すっごくうれしかったです。よく、役者さんが一度舞台に立つと芝居の魅力の虜となってやめられなくなる、という話を聞きますが、絵本の読み聞かせも同じですね。こりゃ、癖になりそうだ(^^;;

 「ヴィレッジヴァンガード」のこと       2002/11/06

「ヴィレッジヴァンガード」というのは、菊地敬一さんが1986年に名古屋で始めた「摩訶不思議な本屋さん」の名前です。本屋さんなのに、新刊書やベストセラー本や、売れ線のミステリーもいっさい置いてありません。たしか週刊誌もなかった。一歩店内に入ると、そこはお祭りには必ずある「怪しげな」夜店の駄菓子屋といった風情で、無国籍の雑貨があふれ、衣類やCD、アウトドア・グッズまで売られており、肝心の「本」は雑貨の影に隠れて、申し訳程度に店内の彼方此方に少しづつ置かれているだけなのです。

『菊地君の本屋』という本で得たぼくの知識はそんなものだったのですが、先日久しぶりに松本の「パルコ」へ行ったら、6Fにその「ヴィレッジヴァンガード」が入っていたのです! いったい、何時できたんだ? (ヴィレッジ ヴァンガード:全国展開中! 「松本パルコ店」 0263-39-7130)さっそくエスカレーターを上っていって店内に入ってみると、想像以上に雑然とした怪しげな雰囲気で、ちょっと引いてしまったのですが、漫画コーナーをみると、ぼくの好きな「花輪和一」や「つげ義春」のマンガ本が平積みされているし、絵本のコーナーでは、これまた僕の大好きな「オールズバーグ」や「エドワード・ゴーリー」の本、それに「ライナー・チムニク」の『クレーン男』他2冊が、当たり前のように、さりげなく陳列されているのでした。

いったいどこが「本屋」なのかわからない「いかがわしい」雰囲気と同居して、店主の確固たる「こだわり」の主張が確かにある、とでももうしましょうか。

で、ふと思ったことは、このホームページも「ヴィレッジヴァンガード」のような雰囲気になればいいな、ということでした。小児科医院のHPなのに、小児科関連の情報が「皆無!」。でも、ぼくの「心意気」は訪れてくれる人に解ってもらえるに違いない! そんなホームページにしたいな、そう考えているのです。

●ちなみに、「ヴィレッジヴァンガード」というのは、ニューヨークに現存する老舗のジャズ・ライヴハウスの名前です。ここで数々の名盤が録音されてきました。コルトレーンも、ビル・エバンスも。それから、ソニー・ロリンズに、アート・ペッパーも。

 「恐るべき さぬきうどん(その2)」       2002/11/02

●「千趣会」のホームページに、「恐るべきさぬきうどん」の特集 がのっていました。これは詳しい!

で、10月末に待ちに待った「最初のうどん」が送られてきたのです。それは、『恐るべきさぬきうどん・麺地創造の巻』麺通団(新潮OH! 文庫 \600)の栄えある「トップ・バッター」として紹介されている幻の名店、【山内】のうどんでした。その本にはこう書かれています。

麺通団顧問のH氏(42才・某社の営業室長)が、とんでもない店を発見したと報告してきた。
「俺な、たいがい怪しい店行ってきたけど、あんなすごいとこにある店は知らんわ。仲南の山の中や。道路からは絶対見えん。建物自体が見えん。山しか見えん。」
と言ったあと、しばらく考え込んだH氏はこう言った。
「営業する気あるんやろか。」
<中略>
「ちょっと、どんな店なんですか。」
「とにかくすごい。あれは見つからんで。」
「いや、それはええですから、うどんの味とか・・・」
「うどんか? うまい。 けどあれはわからんとこにある。」
「わかりました。いっぺん行ってきますのでほな道順教えてください。」
「とにかく山の中や。見えん。もういっぺん行け言われても行けんわ。ひょっとしたらもうないんちゃうか?」
私は一瞬"タヌキが経営してるのか"と思ったが、そんなこともまさかあるまい。しかしあまりにも情報が少なすぎるので、そのまま行けずじまいで時は過ぎていった。

さとなおさんの『うまひゃひゃ さぬきうどん』では、<ここ>  に紹介されていました。


●まぁ、やたら期待が大きすぎたせいもあってか、歯に食い込む「もちもち」した「うどん」が、「かときち・冷凍さぬきうどん」と比べて「むちゃくちゃ」うまかったかと言うと、じつはそうでもなかったのです(^^;;
でも、付属の「つゆ」は確かにうまかった。「ひえひえ」よりも「あつあつ」で食ったほうが美味しかったです。薬味は「しょうが」がオススメです。

さて、11月のうどんは【田村】。これは期待できるかな? (^^)

 「恐るべき さぬきうどん」         2002/10/31

●わが家は「とことん麺好き一家」なんです。蕎麦にラーメン、冷や麦、ビーフン、郡市民会館よこ「美華」の『特製あんかけ揚げ焼きそば』。それからそれから「乾麺」の最高傑作、稲庭うどん。ほんと、なんでも好き!です。父親である僕の影響が大きいのでしょうか? 私の「ラーメン」に対する思い入れに関しては、 <ラーメンがかかえる諸問題についての1考察> をぜひ読んでみて下さい(^^;;

さて、そんなわが家にも「麺類における唯一の弱点」がありました。それは【うどん】です。じつは、うどんには個人的に辛い想い出があるのです。ぼくは筑波大学医学専門学群の開設「第4期生」なのですが、当時の「筑波学園都市」は「都市」なんて名ばかりで「茨城県新治郡桜村」という地籍にありました。どこもかしこも工事中で、一雨降れば「洪水」のようになってしまうので、外出するのに「ゴム長靴」が学生仲間の「必需品」でした。

当時のぼくの移動手段は、中古で買った「50cc の原付バイク」で、クラスメイトが「自家用車」で遠く20kmも離れた下妻市や水海道市に「家庭教師」のアルバイトに出かけるのを横目に羨ましく眺めながら、筑波大学「平砂学生宿舎」うらにあった、ジャズ喫茶『アクアク』の店員アルバイトとして、接客作業に精を出していたのでした。「50cc の原付バイク」で移動できる範囲内に「家庭教師」の働き口はなかったからです。

あれは確か、4年生の終わりの春休みのことでした。当時ぼくが仲間と暮らしてた「学都里荘」の2階一番奥の205号室に住んでいた斎藤保クンが、暇していたぼくのためにアルバイトを見つけてきてくれたのです。それは「学園西大通り」を荒川沖方面へ下ったところにある「土木技術研究所」周辺の「土方作業」のバイトでした。日がな一日スコップ片手に穴を掘る作業や、コンクリをこねる作業の毎日でしたが、確かに時給は破格でした。でも「無駄使い」は禁物! 斎藤保クンと僕は、昼休みになると毎日「土木技術研究所」の職員食堂へ行っては「素うどん」(¥ 130)を食べていました。春休みが終わるまでの、たしか35日間、来る日も来る日も。時には「オプション」で「生卵」(¥30)を追加することもありましたが…… もうイヤになるほど毎日毎日「素うどん」の日々でした。

それ以来、ぼくにとって【うどん】は「トラウマ」になってしまったのです(^^;;

そんな「暗い想い出」を一掃してくれたのが、名著『うまひゃひゃ さぬきうどん』さとなお・作、でした。この本のオリジナルの文章は 「ここ」 で読むことができます。この文章は、インターネット上に掲載された数ある文章の中でも「ベスト5」に入る名文だと思いますよ。

この本を読んで、猛烈に「さぬきうどん」を食ってみたくなったワケですが、長野県伊那市在住の身には、残念ながら「本場さぬきうどん」を食する手段はありません。唯一「かときっちゃん・冷凍さぬきうどん」で、その「片鱗」に触れるより他に手だてはありませんでした。

ところが、このたび「千趣会」が「恐るべきさぬきうどん」の「麺つう団」と「日清冷凍食品」と技術協定して「冷凍食品の通販」で「本場さぬきうどん」を提供してくれることとなったのです!!!(今までも「讃岐うどん」の通販はいろいろありましたが、みな乾麺か半生麺でした) 

ひと月8食分の「冷凍さぬきうどん」が、1年間にわたって毎月、香川県でも選りすぐりの名店(12店)のさぬきうどんを届けてもらう という通販なんですが、もちろん早速に申し込んだワケであります。

千趣会の申し込み先は、 <ここ> です。

(「さぬきうどん」の話はもうすこし続く)

 松居直さん の講演会に行ってきました   2002/10/28

●10/26(土)の午後、辰野町図書館20周年記念講演会として、『絵本の力』講師:松居直 先生 が、辰野町民会館で催され、聴きに行ってきました。松居直さんと言えば、「日本の絵本界のドン」とでも言うべきスゴイ人で、1960年代に始まる「福音館書店」の月刊絵本『こどものとも』の編集長として、 『ぐりとぐら』『はじめてのおつかい』『だいくとおにろく』など、現在でも燦然と輝くキラ星のような傑作絵本の数々を、怒濤のごとく次々と世に出した人です。

ぼくは、松居直さんの講演を聴いたのは今回初めてだったのですが、エラぶったり、気取ったりすることがぜんぜんない、気さくでユーモアにあふれた「下町のご隠居」といった風情で、聴衆をいとも簡単に魅了する、その語り口の巧さはまさに「絵本界の淀川長治」だと思いましたよ。


●講演会の中で、松居直さんが語った印象的な「ことば」をいくつか箇条書きにしてみますね。

「ことば」は誰からもらうのでしょうか?

「ことば」は「おかあさん」からもらいます。皆さんが、おかあさんからもらった一番大切なものは「いのち」です。これは厳然たる事実です。それと同時に「いのちの器」である「からだ」をもらいました。そして、この「いのちを支えている」のが「ことば」なのです。こうして私たちは「生きる」ことができるのです。

今の子どもたちは、常に騒音の中に曝されていて、沈黙するということができません。
沈黙・静寂がないと「ことば」は貧しくなります。
「ことば」を失うこと = 人間性を失うこと。その結果、子どもたちは「暴力」に訴えるようになるのです。
電子メディア時代における人間性の崩壊ということを、私は危惧しています。

しかも、「ことば」っていうのは本質的に「目に見えないもの」なのです。
人間にとって大切なものはみな、目に見えない。これは「星の王子さま」の口癖ですね。
ことば・時間・こころ・しあわせ・愛・かなしみ…… みんな「目には見えない」。

「絵本」は読んであげるものです。絵本というのは自分で読んだらダメなんです。
自分で読んだ時と、他の人に読んでもらった時とでは「絵本」の印象がぜんぜん違うんですね。「大人」は「絵を読む」ことができません。 それは、絵本の中にどうしても「絵」と「文字」の間の「すきま」ができてしまうからなのです。
子どもは、大人に絵本を読んでもらいながら、耳から「ことば」が入ってくるので、「絵」と「文字」を「同時に」体験することができます。そのことはすごく大切なことなのです。

(もう少し続く)

 絵本作家「さとうわきこ」さんのこと    2002/10/26

●先週の日曜日(10/13)は、原村の自然文化園へ行ってきました。隣接する「農業実践大学校」では、年に一度の「八ヶ岳クラフトフェア」も開かれていて、10月にしては汗ばむくらいの、青空の拡がるじつに気持ちよい日曜日でした。

その「原村自然文化園」では、やはり年に一度開催されている、小さな絵本美術館が主催する絵本セミナーがあり、ぼくは今回初めて参加したのです。セミナーは土日2日間に渡って開かれていて、1日目は児童文学者の今江祥智さんの講演と、新沢としひこさんのコンサートがありましたが、ぼくは土曜日は午後まで仕事なので、聴くことができませんでした。

2日目は、「ばばばあちゃん」のシリーズや「せんたくかあちゃん」で有名な、小さな絵本美術館の主宰者でもある、さとうわきこさんのお話と、川端誠さんの講演がお昼までありました。さとうわきこさんのお話で印象的だったことは、最近の絵本はみな何だか気負いすぎているのではないか? むかしの「なにげない」話がよかったなぁって、このごろ思うんですよ、例えば『しんせつなともだち』とか、『とうだいのひまわり』とか…… そう仰いながら、「『とうだいのひまわり』の作者、にいざか かずお さんって亡くなってしまったんだけど、変わった人でね、死因は餓死だったんだって。凧作りが得意でね、うちの天井にも、にいざかさんが作ってくれた大きな凧が今もぶら下がっているのよ。」と、お話されました。

それから、隣の家に住んでいた「幼なじみ」の男の子の話も「じーん」とする不思議な話でした。気だての良い優しい子だったのに、やくざ業界に入って、でも成人した「わきこさん」のことをすっごく慕っていて、彼女が夜遅く駅に着くと、改札口で彼は待っていて、彼女の自宅まで駅から30分くらいかかるのだけれど、彼はそっとエスコートして自宅まで送ってくれたんだって。でも、とある真夏の真っ昼間、池袋の交差点のど真ん中で、抗争中の相手ヤクザの組員に「ドス」で腹を刺されて、彼は命を落としたのでそうです。劇的な話ですよね。事実は小説よりも奇なり、とはまさにこのことです。

 待合室のテレビを撤去しました。    2002/10/24

●開業以来、ずっと悩み続けていた待合室のレイアウトですが、思い切ってテレビを撤去したら、ずいぶんとスッキリいたしました。なぁんだ! てな感じですかね。いや、じつは前々から欲しかった「子ども向け本棚」が、手に入ったのです。『こどものとも社』のカタログに載っている、北海道産の本棚なんです。それは「これ」です。



抗菌シンナーの「アセトアルデヒド」の臭いに問題ありでしたが、いい本棚だと思います。これを機会に「ディズニー」の絵本も 撤去いたしました (^^;) でも、『アンパンマン』のシリーズは残しました(^^;;;

 ホームページ再開しました(^^;     2002/10/22

●「北原こどもクリニック」のホームページを密かに作成アップしたのが、今からちょうど2年前の10月のことでした。でも、それっきり、ほったらかし。まぁ、こどもクリニックとはまったく関係のない内容(1996年 12月〜1998年 3月にかけて、僕が作成した「長野県厚生連・富士見高原病院」ホームページのファイルの一部)を、ただそのままアップしただけのシロモノでしたから、仕方ありません。

それは、こんなかんじ でした。今となっては「リンク」も無効になってしまったサイトがほとんどですが、そんな中で、いまだに「しぶとく生き残っている」サイトを見つけると、何だかとってもうれしくなってしまいます。

さて、今回一念発起して「北原こどもクリニック」のホームページを作り直し、新装開店することとなりました。相変わらず「小児科診療」とは、まったく関係のないページで占められています(^^;; もう、ほとんど「個人的な趣味」のHPにすぎません。しかも、画像は(今のところ)無許可転載です。ほんとうにどうもスミマセン。

こんな風変わりな「小児科医院ホームページ」が一つくらいあってもいいじゃぁないかって、開き直っています。スミマセン。何だか、あやまってばかり。そんなワケでまた、どうぞよろしくお願いいたしますね。





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