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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

『深夜放送の黄金時代』   林美雄「みどりブタ」パック(その4)  2003/03/31

●ところで今、林美雄アナウンサーの名前を、いったいどれくらいの人が憶えているのでしょうか? いや、たぶんもともと知らない人がほとんどなのでしょう。時代の寵児 となれる人は、たいていすっごく頭が良くって、状況分析に長けているので、いつの時代でも自分のスタンスを確保できる器用な人が多いように思います。例えば、吉本隆明、例えば、糸井重里さん。例えば、吉田拓郎

ところが、林美雄さんは、すっごく不器用だったので、「東京放送」という巨大組織の中では、上手に立ち振る舞えなかったようです。あの1970年代、確かにぼくらのカリスマであったはずの林美雄アナウンサーは、糸井重里さんのように、群馬で金塊を掘り当てるというアクロバティックな企画をうち立てることもなく、何時しか時代から忘れ去られてしまいました。

でも、それは彼自身の責任なのではなくて、たぶん「TBS」というダメな体質の巨大「建前」企業によって押しつぶされてしまった悲劇の一つだったのかもしれません。実際、TBSのアナウンサーには悲劇的な人が多い。例えば、小島一慶、例えば、自殺した松宮アナウンサー

金曜第2部の頃の「みどりブタ・パック」のラストはいつも、井上堯之の『青春の蹉跌』のテーマでした。ショーケンと桃井かおり、そして、まだ初々しかった壇ふみ。ぼくはこの映画を、高校2年生の夏休みに「伊那映劇」で観ました。壇ふみの白い水着が、当時高校生のボクにはちょっと眩しすぎた(^^;;

林美雄アナウンサーが、水曜日のパック・イン・ミュージック「第2部」に移ってからの番組のラストで流れた曲は、『フォロー・ミー』のテーマへと変わります。このジョン・バリー作曲のテーマ曲が、孤独と哀愁に満ちていて、深夜にひとり、ラジオを聴きながら、心打ち振るわせたものです。

毎年3月になると、林美雄「みどりブタ・パック」では、受験生のために「みどりブタ大明神」という「おふだ」を作って送っていました。この「おふだ」は、林美雄さん自身が、黄色い短冊にマジックで手書きで書き記したもので、この「おふだ」を持ってさていれば、大学合格率が何と85%以上を保証していました。ものすごい御利益・効力ですよね! でも、ほんとうに効くんです。

実際、このボクも、この「みどりブタ大明神」のおふだのおかげで、大学合格することができたのでした(^^;;

その時の「おふだ」を、たしか大切に取ってあったはずなのですが、ここずっと探しているのに見つかりません。残念です。現物があればデジカメで撮ってご紹介できたのに……

林美雄アナウンサーは、5年前に「胃ガン」が見つかり手術を受け、一時元気に回復されたのですが、4年後に再発。残念ながら昨年の7月13日に亡くなられてしまいました。享年58。若すぎる死でした。自分の誕生日である8月25日を、「サマークリスマス」と称して、毎年その日にイベントを行っていた林美雄さん。昨年の「サマークリスマス」は、図らずも「林美雄追悼イベント」になってしまいました。その席上、松任谷由実さんは、深夜放送を止めた林美雄アナウンサーのために作ったとされる『旅立つ秋』を、しみじみと歌ったのだそうです。

去年読んで面白かった本(パート2)                 2003/03/29

●前回、『パイド・パイパー/自由への越境』をご紹介しましたが、まったく同じ設定の「絵本」があることを思い出しました。『ぼくは弟とあるいた』 小林豊・作絵(岩崎書店)です。ここの11月28日の日記にも書きましたが、日本画家で、絵本作家の小林豊さんに直接お会いできて、ほんとうれしかったです。ぼくが持っている『せかいいちうつくしいぼくの村』 と、『えほん北緯36度線』 にサインを入れていただきました(^^)

●ところで、『このミステリーがすごい!』(宝島社)と、まったく同じコンセプトで、その「絵本版」として編集された、驚くべき本が「平凡社」から出版になりました。それはこの本です。『この絵本が好き!』 別冊太陽編集部・編(平凡社)。宮部みゆきとか、京極夏彦とかの愛読者は、世間にはいっぱいいるだろうし、通勤電車でミステリを読むことを日課としているビジネスマンも多いことでしょう。彼らのニーズに応えた『このミステリーがすごい!』は、毎年12月末のお楽しみだったわけですが、混み合う通勤電車で「絵本」を読むビジネスマンはまず絶対にいないはずだし、『この絵本が好き!』をチェックして、未読の絵本を、本屋さんに注文して購入する人が、はたしてどのくらいいるのか? ぼくにははなはだ疑問です。

こんな本が出版されるほどに、「絵本業界」ミステリー業界と肩を並べるまでに隆盛を極めているとは、ぼくにはとても思えないのですが、「絵本」って、ほんとうに、そんなに、売れているんでしょうか??
でも、「絵本好き」には、たまらない1冊でありまして、ぼくは大歓迎です。内容もすっごく充実していて、絵本業界周辺の最近の動向とか、とても勉強になります。

●ただ、『この絵本が好き!』の「ベスト10」には、ぼくが「ベスト1」に入れた『クレーン男』は入っていませんでした。悲しかったです。ちなみに、絵本ではありませんが、ぼくが去年読んだ「日本の小説ベスト1」は何かというと、『流星ワゴン』 重松清(講談社)です。続いて、「ベスト・ノンフィクション」は何かと言いますと、『乞食の子』 頼東進(小学館)です。この本は凄かった。台湾人の主人公は、ぼくと同い年なんですよ! それなのに「乞食」なのです。日本では信じられないような半生記なのですが、決して「おしん」みたいな、暗い・汚い・辛い、の三重苦だけの話になっていないところが、凄かったです。

あとはランダムに、『ウンコに学べ!』 有田正光/石村多門・著(ちくま文庫)『目を閉じて心開いて』 三宮麻由子・著(岩波ジュニア新書)『海馬』 池谷裕二・糸井重里(朝日出版社)『調理場という戦場』 斉須政雄 ・著(朝日出版社)あたりが、すっごく刺激的で面白かった本です(^^)

ぼくが反戦を意識した、去年読んだ「3冊」の本               2003/03/26

●去年はあまり本を読めなかった1年でした。特に小説はほとんんど読んでない。そんな中ですが、最も印象に残った翻訳小説はと言うと、『パイド・パイパー/自由への越境』 ネビル・シュート著、池央耿・訳(創元推理文庫)\700 です。戦時下では最も足手まといとなる「老人と子どもたち」が主役となって、第二次世界対戦初期、ドイツ占領下に陥ったフランスをドイツ軍兵士の目をかいくぐりながら何と「徒歩で」横断し、イギリスへの脱出を試みるという冒険小説です。

この本がイギリスで出版されたのは、第二次世界対戦下の1942年。今から61年も前に書かれた小説なのに、今こそ読むべき小説であると、ぼくは確信しています。ちっとも古くさくない。やっぱり、戦争で一番被害を受けるのは、子どもたちなのです。そういう大切なことを、アメリカのブッシュさんは、ちっともご存じないみたい。

●2冊目は、『カランコロン漂泊記』 水木しげる(小学館文庫)\533。水木しげる氏の半生記本は、いっぱい出ていますが、そのエッセンスをすっごく煮詰めて濃縮 して廉価で提供しているのがこの本です。信じられないような過酷な人生を、笑って語れる水木しげる氏の漫画を読んでいると、戦争って、なんて意味のない「アホらしい」行為なんだろう、しみじみそう思ってしまいます。

●そして3冊目の、『クレーン男』 ライナー・チムニク作画/矢川澄子・訳(パロル舎)¥1700。この本が、2002年にぼくが読んだ本の「ベスト1」です。この本は、読んでほんとうに感動しました。ぼくは、このクレーン男生きざまが、男としての理想の生き方だと思います。じつに羨ましい。クレーン男は、戦争には参加しませんでした。偉いぞ! >クレーン男。

ディズニー映画『リロ&スティッチ』見てきました           2003/03/21

●最近では封切り 映画館まで足をはこぶ映画は「ディズニー映画」と「ハリ・ポタ」と「ゴジラ」だけになってしまいました(^^;;

今日は岡谷スカラ座まで、子どもを連れて『リロ&スティッチ』を見に行ってきました。40分あれば楽勝で着けると思っていたら、丸山橋架け替え工事中のため回り道を強いられて、映画館の扉を開けた時には、すでに本篇は始まっていました。しかも、またしても前売り券を忘れてしまった! きょうび、幼児入場料も900円ですよ。

松本の中劇シネサロンくらいの大きさのスクリーンは残念でしたが、映画はなかなかに面白かったです。★★★☆(三ツ星半)といったところでしょうか。(ちなみに『千と千尋の神隠し』は、★★★★☆ の評価デス)アニメーションは伝統のディズニー映画の名に恥じない、すばらしい出来です。特にハワイのビッグ・ウェーブをサーフィンする場面の波の描写が凄いです。驚きました。それから、何故かプレスリーなのにも驚きました(^^;

前半から中盤にかけて、主人公のリロにつぎつぎと降りかかる過酷な現実がけっこうシビアで、いじめとか、虐待とか。でも、よくよく考えてみたら「シンデレラ」だって「細うで繁盛記」だって、同じ構造なんですよね。物語には必要なシチュエーションな訳で。でも、これが変に現代的なんで、涙腺が弱くなったお父さんは、途中まで、泣かされっぱなしでしたよ(^^;;

終盤の空中戦、あれはちょっと、宮崎駿のものまねなんじゃないかなぁ。それから、主人公の「リロ」と、そのお姉さん、ちっとも可愛くないんです。なんだか松任谷由実みたいな顔で。そういえば、『ムーラン』の主人公は、五輪真弓でしたねぇ(^^;;。

ハワイの原住民って、ミクロネシア人でしょ。沖縄の人とか、小錦とか、もっと濃い顔してますよね、本来は。でも、映画のキャラクター設定は何故か『スーホの白い馬』にでも登場するような、モロ、モンゴリアンの顔なんです。白人が西部劇で戦うインディアンの顔。これにはちょっと、納得できなかったかなぁ。ハワイにはもっと美人が多いですよ、行ったことないけど(^^;;;

帰宅後の夕食は、うどんです。千趣会の「今月の讃岐うどん」が、冷凍で送られてきたのです。「大円のぶっかけ」うどんでした。これは旨かった!!! このシリーズ屈指の傑作でしたよ!  あの「田村」のうどんよりも旨かったかもしれないな……  う〜む、恐るべし讃岐うどん!!!

結婚披露宴でも「絵本」の読み聞かせ                 2003/03/16

●今日は、結婚式によばれて行ってまいりました。じつにいい披露宴でした。人間って、本来自分のことを考えるだけで精一杯で、あまり人様のことまではどうこう思わないんじゃないかと、ぼくは今まで感じてきたのですが、この結婚披露宴というのだけは別で、招待されたみんなが、素直に新郎新婦の幸せな新生活をまず間違いなく願っているんですね。これって、じつはスゴイことなんじゃないかなぁって思ったんです。

他人の幸せを素直に喜べる、ということの一番の理由は「シアワセのお裾分け効果」にあると思います。招待された我々も、じつに幸せな気持ちになれるんですね。結婚式ってやっぱりいいなぁ(^^)

今回、生まれて初めて新婦側の主賓として、乾杯の前にお祝いの挨拶をさせていただいとのですが、いやぁ、緊張しましたよ。何度も練習してスラスラ言葉が出るようになっていたはずなのに、本番では、突然、頭の中がまっ白になって、言葉がつまってしまい、ホント焦りました(^^;; 慌ててアンチョコを取り出して「ちょっとスミマセン」と言って、文章を確認してから話を再開しました。格好悪かったけれど、スマートで完璧に挨拶を終えるよりも、結果的にはよかったんじゃないかなぁって(自分勝手に)思ってます(^^;;;

主賓の挨拶の場合、たいてい最後にはなむけの言葉 として名言を引用して何か言うじゃないですか。ぼくは当初、加島祥造さんが訳した、アイルランドの国民的詩人、イエーツの「心よ、ここに来ないか」を暗唱しようかと思ったのですが、カッコつけているだけで、何だかよく分からないので止めにしました。「そうだ! 絵本を読めばいいんだ!」そう気が付いて、結婚式向きの「2冊」をピックアップいたしました。どちらもウサギのはなしで、『しろいうさぎとくろいうさぎ』(福音館)そして『どんなにきみがすきだかあててごらん』(評論社)です。

でも考えてみたら、広い披露宴会場ではスライドショウにでもしないと読み聞かせは無理だし、そもそも絵本を一冊まるごと読む時間はありません。もっと短くてインパクトのある絵本はないかなぁ? と探したら、一冊見つかりました(^^)

『いちねんせい』谷川俊太郎・詩、和田誠・絵(小学館)の中の、「あいしてる」っていう詩です。挨拶の最後に、このページを広げて左手に持ち、新郎新婦に向かっての読み聞かせのスタイルで、この詩を読みました(^^)


          あいしてる

    あいしてるって   どういうかんじ?
    ならんですわって  うっとりみつめ
    あくびもくしゃみも すてきにみえて
    ぺろっとなめたく  なっちゃうかんじ

    あいしてるって   どういうかんじ?
    みせびらかして   やりたいけれど
    だれにもさわって  ほしくなくって
    どこかへしまって  おきたいかんじ

    あいしてるって   どういうかんじ?
    いちばんだいじな  ぷらもをあげて
    つぎにだいじな   きってもあげて
    おまけにまんがも  つけたいかんじ


   『いちねんせい』谷川俊太郎・詩/和田誠・絵(小学館)より    


伊那保健所「母子保健部会」                      2003/03/12

●伊那保健所の主催で、年に一度「母子保険部会」というのが開かれます。子どもに関係した各分野の代表者が集まって、保健所の活動に対して答申を述べる会です。今日の午後、その会が合同庁舎3階の会議室で開かれました。ぼくは上伊那医師会を代表して出席したのですが、普段お話を聞けないような方々が多数集まって来ているので、とても勉強になる面白い会になりました。

例えば、県栄養士会伊那支部の代表者は、子どもたちの現在のに関して、たいへん危惧している、と話し、養護教諭を代表して来た先生は、学校教育の中で「性教育」タバコや薬物乱用防止への取り組みが、十分に行われていない実状が語られました。

保育園の園長先生の代表者からは、園児と中学生とのふれあい体験が、中学生にすごく評判がいい、みんな感激して帰って行くし、中学生の顔がじつにいい顔をしている、という希望が持てるステキなお話が聞けたのがうれしかったです。その他、福祉事務所、諏訪児童相談所、伊那教育事務所、駒ヶ根市環境保健課、郡市保健師会などを代表してみえた方々からも、それぞれ大変有意義なお話や提言が聞けました。オープンな会ではありませんので、詳しく内容に触れられないのが残念です。

謎のカレー屋さん「ムルギー」の噂(その3)              2003/03/08

●今日は、噂の居酒屋「いろり」に初めて行ってきました。いやぁ、美味しかった!

●さて、『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂですが、現在出回っている「新潮文庫版」では、p56 のカレー屋「M」カレー屋「Q」に、「ムルギー玉子入り」「ゴルドー玉子入り」に改変されています。たぶん、この本を読んで「ムルギー」に殺到した大槻ケンヂファンが相当数いたのでしょうね。「ムルギー」からクレームがついて、店を特定できないような配慮がされたのでしょう。

でもでも、p67 に載っている著者直筆のイラストには、ム…ム… ムルギー タ・タ・・玉子…と、書かれたままなので、これでは頭隠して尻隠さず状態ではありませか! (^^;)

「ヘンなカレー屋があるから行ってこいよ」
と友人に教えられ、やっと見つけた「Q」だったが、確かに、外観からして何か異様だ。若者の街にありながら、「若さ」から三万光年は遠く離れた存在という感じだ。建物自体、築四十年はたっているだろう。何やら、江戸川乱歩の小説にでも出てきそうな、かつてのモダンさを感じなくもない。

 友人によれば、このQは、カレー好きが最後にたどりつく店だという。
「Qのカレーを食わんでカレーは語れんね」と友人はしたり顔で言うのだ。
「うまいの?」と聞くと、彼はちょっと眉を寄せ、「……っていうもんでもない、なんというかこう、創り手のアレね、生きざまっての、そーゆーのを感じさせてくれる深い味なんだよね。十人が十人うまいとは言わんね。オレも最初はよくわからんかったけどね。通ううちに何というかこー」
「何というか?」
「何というかしみじみと……、ああ……、深い……と」
「ああ……、深い……ねぇ」

(中略)

 そこには老人が立っていた。
 しょぼしょぼ……とした感じのおじいさんが、スマナそうな顔をしてボクを見ていた。何か食べているように口元がむうぐむうぐと動いている。謝ろうというわけではないのだろう、元々そういう顔なのだ、多分。
「Q……タマ……か?」
 おじいさんは何やら言った。
「え? 何ですか?」
 聞き返すとおじいさんは、さらにゴメンナサイヨ〜、スイマセンネ〜という表情をして、もごもごとこう言った。
「ゴルドー・カレー・玉子入りですね」
「……ですね」
 という注文の取り方があるだろうか。

(中略)

 老人よ、勝手に確認してくれるな。
 食いたいもん食わせろよ!
 喉まで出かかった言葉を飲み込み、ボクはじいさんをキッと睨みつけた。正直、このじいさんの「ゴルドー玉子入りに勝手に決めつけ」攻撃に腹が立っていたのだ。どんなに態度のでかいと言われる寿司屋であってさえ、注文する前からいきなり、
「ハイお客さん、アナゴだね」
 とは言わないだろう。いや絶対に言わない。言ったらやだ、そんなの。「お客さんはカッパね」などと安物ばかり握られた日にゃあ、河流れの夢でも見てしまいそうだ。

(『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ・著、新潮文庫、p56〜73「カレー屋Q」より勝手に引用) ゴメンナサイヨ〜、スイマセンネ〜(^^;;


謎のカレー屋さん「ムルギー」の噂(その2)              2003/03/06

●水曜日の午後は休診です。昨日は、13:30〜15:00まで、労働基準監督署の医療機関向け講習会に出席して、その後伊那市図書館へ急行。しかし残念ながら『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂは図書館蔵書にないことが判明。しかたないので、別ルートで仕入れた情報を頼りに『完本 池波正太郎・大成(29)』 (講談社)を借りてきました。うちに帰ってさっそく本を広げて見ると、載っていました、194ページ。

 先日、渋谷へ出たついでに、十何年ぶりかで百軒店のカレーライスの店【ムルギー】へ立寄って見た。
 私は戦後、いつまでも株式取引所が再開されぬので、東京都の職員となり、戦前の自分の生活と、
「いさぎよく、手を切った」
 のであった。
             (中略)
 そのころの私は、昼飯時になると、M地区から自転車を飛ばして渋谷へ行き、毎日いろいろなものを食べた。その中で、もっとも頻繁に通ったのが百軒店の【ムルギー】だったのである。
 小さな店だが、売りもののカレーライスに独自のものがあり、日ごとに食べても飽きなかった。
 ライスを、ヒマラヤの高峰のごとく皿の片隅へもりあげ、チキンカレーを、ライスの山腹の草原のごとくみたす。
 どちらかというと黒い色の、辛いカレーで、香りのよさがたちまちに食欲をそそる。
 これが当時、一皿七十円であった。
 卵入りが百円。
             (中略)
 それが十何年ぶりに行って見ると、ムルギーカレーが二百五十円になっている。
(ウヘ……高くなったな)
             (中略)
 味は、むかしといささかも変らぬ……というよりも、むしろ、ぐっとうまくなっていた。
 この店も、大阪のシューマイ屋【阿み彦】と同じような商売の仕方をくずさないことが、はっきりと見てとれた。
 店は、むかしとくらべて大分にひろくなったようだが、依然、気取りも「てらい」もない、よい店であった。
 池波正太郎・著『食卓の情景』カレーライス(週刊朝日・連載/1972/09/01)
 

池波正太郎さん は、残念ながら、あの人生に疲れきった親父さんのことには一言も触れていませんでした。それでは「ムルギー」の不思議な魅力に関して、その半分も文章化してないではありませんか! そうじゃぁないんだよね。でも、ぼくが先日「ムルギー」を久々に訪れたシチュエーションが、まったく同じで、カレーの値段が高騰していてビックリした件もいっしょだったので、笑ってしまいました。

さて、ここでやっぱり『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂに登場願わなくてはならなくなってしまったのですが、TSUTAYAにもなかった「この本」が、なんとブックオフ・伊那店では \200 で売られていて、しっかり手に入れることができたのでありますよ。

先ほど、がまんできなくて「件のページ」を読んでしまったのですが、いやぁ、笑った笑った(^^) 大槻ケンヂさんって、ホント文章うまいね。終いには涙まで出てきてしまいましたよ。でもこれ、ここでどの程度「引用」してもいいのかなぁ(^^;;

謎のカレー屋さん「ムルギー」の噂                   2003/03/04

●渋谷「百軒店」の「ムルギー」たまご入りカリーのことが気になって、ネットで検索してみたら、さすがに昔から有名な(?)店なんで(昭和26年創業)いろいろ載っていました。

<こんなところ> や、
<こんなところ> には笑っちゃいました(^^;)
<こんなところ>もありました。

で、わかったことは大槻ケンヂ・著『行きそうで行かないところへ行こう』(新潮文庫)に、「ムルギー」のことが詳しく載っているらしい、ということでした。さらには、学研から出た「オリジナル単行本」には写真も載っているらしい、ということも分かりました。明日さっそく図書館へ行って探してみよう。

この本には、ぼくが知るあの親父さんのことが詳しく書いてあるらしいのです。でも、あの割烹着のおばぁちゃんのことは?  と思ったら、島田荘司さん のサイトに載っていました。 これは詳しい! 島田荘司さんが「ムルギー」に通った時期は、ぼくが通った時期と同じです。そうそう、あのおばあちゃん、永六輔みたいな髪型でしたよ! 思い出しました。さすがプロは文章が巧いなぁ(^^;;

でも、考えてみたら、あのカレーが「ぼくらの想い出の中にだけ」生きているのではなくて、今でもちゃぁんと渋谷・道玄坂・百軒店へ行けば、「ムルギー」はそこにあって、誰でも食べることができるっていうことは、ほとんど奇跡に違いないよなぁ。

久しぶりの渋谷                          2003/03/02

●今日は、日本外来小児科学会の 「第3回:園・学校保健勉強会」 に出席して、学校医・園医のあり方について、全国各地で積極的に精力的に活動を続けている小児科の先生方のお話を聴いてきました。外来小児科学会には、 本当に前向きで、子どもたちのために何ができるか を常に真剣に考えている小児科医が多数参加していて、お話を聴いているだけで 何だかパワーを分けてもらえた ような気分になって、よし、ぼくも明日から頑張るぞ! と、エネルギーを満タンに補充して、元気になれるのです。今回も、すっごく刺激になりましたよ(^^) さて、ぼくには何ができるだろうか?

●勉強会の会場は、渋谷・道玄坂の「フォーラム8」だったので、昼食はすぐそばの「渋谷百軒店」(ひゃっけんだな)にある「ムルギー」に行きました。じつに久しぶりです。医者になってから確か一度は行っているのだけれど、それでも「20年ぶり」くらいになると思います。大学生の頃は、東京に出てくると必ず昼飯はムルギーの「たまご入りカリー」でした。決して「すっごく美味しい」というワケではないのだけれど、何故かクセになる味なんですね。麻薬的な習慣性がある不思議なカレー。

ぼくが初めてこの店を訪れた25年前は、まだ渋谷の街が変貌をとげる途上のころのことで、道頓堀ヌード劇場の横の坂を上がって行くと、円山町のラブホテル街から、事を終えたばかりの「ワケあり風」カップルと、よくすれ違ったものです。つきあたりを左折してすぐ右手にあるのが「ムルギー」で、坂の左手前にあるのが「喜楽」です。喜楽は、食通で有名な山本益博さんにラーメンが絶賛されたあと、小ぎれいなビルに改装されたのですが、「ムルギー」は今も当時のままの佇まいを頑固なまでに維持しているのでした。

あの頃、何故あんなに渋谷に通ったかと言いますと、「渋谷百軒店」の奥に、ぼくが大好きだったジャズ喫茶「ブレイキー」があったからです。「ブレイキー」に行く前に、まずは「ムルギー」で腹ごしらえをするわけです。当時、店のおじさんはまだ元気で、初めて来たぼくの席に注文を取りに来て、ぼくがまだ何も言わないうちに、「あ、たまご入り ですね」と、勝手に決めてさっさと行ってしまったことを、今でもハッキリ覚えていますよ。で、今日も注文を取りに来たオバサンに「たまご入り辛口!」と一言で注文したら、横の席の男性が「おっ! おぬし出来るな!」という顔でぼくをマジマジと見てくれたことがうれしかったです(^^;)

あの頃、ムルギーの「たまご入りカリー」は¥450くらいだったはずなんだけど、今日の値段はなんと、¥950(税込み)でした。最後にこの店を訪れた20年前には、既に「ブレイキー」は潰れていて、でも、ムルギーのおばあちゃん(当時で90歳近かったと思う)は元気だったし、親父さんも健在でした。今日訪れて感じたことは、店も味も「当時のまま」のはずなんだけど、あの親父さんも、下町風情のおばぁちゃんもいない「ムルギー」は、もう、ぼくが知る「ムルギー」ではないんだ、という冷たい現実でした。

そのジャズ喫茶「ブレイキー」で、よく聴いたLPが、ビリー・ホリディの『レディ・イン・サテン』でした。A面1曲目が「I'm Fool To Want You」というトーチ・ソングで、麻薬でボロボロになった声なのに、まるで処女のような恥じらいあふれた気分で彼女は唄うのですが、そのミス・マッチが何とも言えない哀愁を醸し出していて、ぼくの忘れられないレコードの1枚なのです。特に、4曲目の「あなたなしでも暮らせるは」は、今聴いても絶品!だと思いますね。

そんなかんなを思い出して、今のぼくには異様に怖い雰囲気の若者たちであふれた渋谷センター街に位置する「HMV」のジャズ・フロアで、『レディ・イン・サテン』のCDを見つけて、買って帰りました(^^;)

本屋さん経営はキビシイ                      2003/02/27

●不況に強いといわれた 出版業界 も、音羽町の巨人 「講談社」 が今期数十年ぶりで赤字を計上しました。町の書店はもっと悲惨です。ただでさえ 薄利多売 の商売なのに、近年 「万引き」 による被害が急増していて、そのために廃業に追い込まれている書店があとを絶たないのだそうです。

先日の夕方のニュースの特集で、とある大型郊外書店における「万引き」の実態を取材した番組を見たのですが、そりゃぁもう、酷いもんです。中学生・高校生が、2人〜4人で徒党を組んで 確信犯で 計画的に犯罪を犯しているのですよ。一人が「見張り」をして、安全を確かめると、実行犯が素早く コミック本 を何冊も手さげバックの中に忍び込ませるのです。

で、その万引きした本を、 彼・彼女ら が家に帰って読むかというと、決してそうではないんですね。盗んだ本は直ちに 「ブックオフ」 に持ってゆかれて、その場で下取りされるのです。下取りの利率が最も良いのは、人気の最新コミック本です。だから、彼らは コミック本 しか万引きしません。泥棒が盗んだ 宝石 を質屋に持って行けば、そこで「足がつく」ワケですが、 「ブックオフ」 では、それが盗品と知りながら、よろこんで高価買い取りしてくれるワケです。

そういうことで、少年少女たちは、お小遣い稼ぎのために、日夜本屋さんで万引きに励むワケですよ。1冊200円で買い取ってくれれば、10冊持ち込むと2000円になるのです。ちょろいもんです。最近の CDショップ では警戒が厳しくなったので、そうそう易々とは万引きできません。で、みんな書店に集中するんですよ。そうこうするうちに、その本屋は潰れてしまうのです。

おい、テメーら! ちゃんと額に汗して、自分で金稼げよな! 

じつは、当院待合室でも「万引き」が横行しているのです。悲しい話ですが…… 不思議と 「絵本」 で盗まれた本は1冊もありません。しかし、ぼくが本屋さんで吟味して購入した 大人向けの「子育て本」 を、今までに 十数冊 盗まれているのです。これらの本は、申請していただけば 「貸出自由」 にしているのですが、無断で持ち出して、返してくれない人がいるんですね。

たぶん 確信犯 だと思うんですが、うちで盗んだ本を 「ブックオフ」 に持ち込んでも、買値は高々 10円〜100円 ですよ。そんなにその本が欲しけりゃ、 「図書館で借りろよ!」 。どっちみち「タダ」なんだから。

先日さらにショックな出来事がありました。 松本「井上」 のおもちゃ売場で見つけた 木製のワニのおもちゃ を知らない間に盗まれてしまったのです。たぶん12月末のことだと思います。けっこう大きなオモチャですよ。いったいどうやって待合室の他の人の目をかいくぐって持ち出したのでしょうか? ホント、信じられませんね。ぷんぷん!!

それから、忘れもしません、平成12年12月23日。当院玄関に置かれた「大きな植木鉢」の中の 樅の木 を、7,000円かけて 電飾 していたのですが、その日の深夜、高価だったその電飾を 持ってゆかれました。 ほんとうに悲しくて、しばらくは立ち直れそうもない クリスマスイヴ でしたよ。

やっぱり焼肉は美味しい!                     2003/02/24

●土曜日の夜はみぞれ混じりの雨だったし、日曜日もはっきりしない天気だったりで、スキーにはなかなか出かけられない週末です。来週の土日には、東京で学校医・園医の研修会があるので、また行けない。このまま結局、春になってしまうような気がしてます(^^;)

日曜日の夕飯は、久々に 「美華」 へ「揚げ焼きそば」か「おこげ」を食べに行こうと提案したら、子どもらは 「お肉が食いたい!」 と言うので、 「木曾の権兵衛」 に行き先を修正。時間帯が早かったせいもあるけど、店は珍しく空いていて、給料日前の日曜日だからか、はたまた 「牛角」 の大攻勢の影響か? と、ちょっぴり心配になってしまいました。

でも、ここの牛タン、上カルビはやっぱり旨い! それから 「サンチュ」 が柔らかくて、みずみずしくって、ぜんぜんスジがないんです。もちろん、締めの カルビクッパ は欠かせません。この深い味わいは、「牛角」では決して得られません。いわば、 「モスバーガー」と「マクドナルド」の違い とでも申しましょうか。頑張れ! 「木曾の権兵衛」

ところで、 『焼肉は好きですか?』 鄭 大声(新潮選書) という、たいへん面白い本があるんです。
ちょうど運悪く、日本初の 狂牛病発生 直前の 2001/07/20 発行の本だったんで、ほとんど話題にもならず闇に葬り去られてしまった じつに不幸な本 なのですが、この本は単なる安直なグルメ本ではなくて、焼肉屋のメニューに載っている「ユッケ」「センマイ」「チヂミ」「子袋」「ミノ」「ハチノス」「豚足」などの専門用語の解説に始まって、その歴史的背景から具体的な美味しい食べ方に至るまで、懇切丁寧に記載されているのです。

この本を読んで、何よりもまずビックリしたことは、朝鮮半島の 辛い唐辛子文化 というのは、じつは古来伝統の文化なのではなくて、何と、あの悪名高き 豊臣秀吉の朝鮮出兵 の際、南蛮渡来の 唐辛子 が、日本から朝鮮半島へと伝来されたという事実です。これは知りませんでした。豊臣秀吉がいなかったら、 キムチ は現存しなかったワケですよ。歴史って、面白いなぁ(^^;)

近頃、ネタ切れです。                       2003/02/21

●夜、テルメで走ったあと、ニシザワショッパーズ(西春近店)に寄ったら、あの オリオンビール が大量に入荷していました。元祖「地ビール」とも言える、沖縄ではメジャーな オリオンビール は、本土では輸入ビールみたいな扱いしかしてもらえず、販売ルートもわずかしかなかったのですが、今回アサヒビールと業務提携して全国展開を図っているのでした。で、ここ信州伊那谷でも オリオンビール が買えるようになったというワケです。でも、買って帰ったのは、サントリーの発泡酒 「ダイエット・生」 でした(^^;;

●月曜日の夜11時から、NHK教育テレビで放送している 「NHK 人間講座・人はなぜ歌うか … 六輔流・日本音楽史」 永六輔 が、毎週なかなかに面白いです。奥さんを亡くされてしばらくは、ずいぶんと太ってしまった永さんでしたが(何でも、卵ぶっかけごはんを3杯食べていたらしい)テレビを見ると体重も戻ったみたいで、かつて 男のオバサン との異名をとった「語りの妙」も復活していて、ほんと楽しいです。

先週の「第2回・古墳から歌は…」の中で面白かったのは、 坂本九と三味線 のくだりです。(以下抜粋)

 どう歌い継いでいくかということについて、坂本九の話をしましょう。この人はロックシンガーでした。しかし、あの人の歌い方を一度、じっくり聞いていただくとわかるんですが、完全に邦楽の歌い方なんです。つまり、『見上げてごらん夜の星を』とか、『上を向いて歩こう』の歌い方は洋楽ではないんです。「♪ふえほむふひて あはるこおほほ」と聞こえてきませんか? あれは邦楽の歌い方なんです。新内、常磐津、端唄、これが全部彼のロカビリーの中に入っているんです。

 同じことですが、さだまさしもそうです。谷村新司もそうです。伝統として受け継いできた日本の歌い方が、今、歌っている人たちの歌の中に生きているということ、本人たちも気づかないままに伝統を受け継いでいるということ、これがとても大事なことだと思います。坂本九の場合でいうと、ご兄弟はみんな三味線の名手で名取の方もいます。だから、「この子は三味線で育ててきたのに、中学に行くようになったらギターを持ってロカビリーなどやかましいことをして」というのがお母さんの言葉でした。

そのときに僕は、「えっ、やっていたのか、三味線を。やっていたのか、邦楽を」と驚きました。それまで『上を向いて歩こう』を、「♪ふえほむふひて」とか、「♪みひゃあげてごらんうんうん」という邦楽独特の歌い方をロカビリーだと思っていた僕もお粗末でしたけれども、そういうふうに埋め込まれているものを掘り起こさなければいけないと思うのです。

   今いちばん最先端の新しい世界では、宇多田ヒカルに感じるのですが、ひょっとすると伝統的な日本の歌い方を掘り起こせるのではないか。これは多くの若い今の歌い手の中に、そして、あなたの歌の中に潜んでいる日本の古くからの歌の歌い方があるのではないか。( NHK人間講座テキスト「人はなぜ歌うか」永六輔  p35,36)
今週は、 高橋竹山と淡谷のり子 の話が面白かったです。見逃しても、再放送・再々放送があります。


●全国の小児科開業医を結ぶ「メーリングリスト」、 外来小児科FTML に、なかなか「しみじみいい話」が投稿されました。転載してもOKとのことですので、こちらでもご紹介いたしますね。オリジナルは <ここ> か? と思ったのですが違って、 皐月パパ という、スポーツ新聞の記者の方が、昨年の7月に自分のサイトの日記に書いたものだそうです。その後、この文章のことで何かトラブルがあって、 皐月パパ のサイトは閉鎖されてしまったんですって。まぁ、そんなワケで、リンクを張るだけで、文章を転載するのは中止いたしました。

いくら ネタ切れ だからといって、他人の文章を乱用しちゃぁいけませんよね(^^;;;

あなどれない「インスタントコーヒー」の魅力           2003/02/16

●コーヒー好きなんです。でも、自分で豆挽いてドリップで入れるのは面倒くさい。そこで、ここ10数年は もっぱらインスタントコーヒー を愛飲しております(^^;;

だから、インスタントコーヒーには ちょいとうるさい 。何がうるさいか? といいますと、やはり新品を買ってきて開封するときの 密封した紙の内蓋 の処理の仕方ですね。これにはうるさい。無造作に人差し指で「ブスッ」と穴を開けてあるだけの瓶をよく見かけますが、紙がささくれ立ってコーヒーの粉をカップに注ごうとしても、粉末がひっかり適量を入れることができません。こういうのが何と言いましても 最も許せない 内蓋処理の仕方であります。

大胆にも、紙の内蓋を 全部はがしちゃう 人もいますが、ぼくにはこれも許せない行為です。ラーメンを食べる時に、コショーを振ろうとしたら、 穴の開いた内蓋 もろともコショーが大量に「ドサッ」とラーメンに山盛りになってしまった悲劇を経験されたことはありますか?  ぼくはあります。 インスタントコーヒーも、スプーン使ってちまちま粉を入れるような面倒なことはイヤなんで、味の素を振りかけるような感覚でインスタントコーヒーの瓶を左手に持って斜めに傾け、左手の人差し指で瓶を「とんとん」しながら微妙な粉の量を調節したいのです。

でも、紙の内蓋が全面的にない状態だと、この 「とんとん微調整」 がたいへん難しい。ベストの状態とは、ハサミかカッターで半円の最大口径が 約 1cm くらいになるように、内蓋をきれいに切り取ってしまうのがよろしい。これが「最大口径 5mm」だとダメなんですね。なんか、湿気って内蓋が詰まってしまった「味塩」をトウモロコシに振りかけながらイライラしてしまう気分をご想像下さい。

ネットで検索してみたら、 日本インスタントコーヒー協会 のサイトの中に、 インスタントコーヒー Q & A というのを見つけました。インスタントコーヒーって、1889年に日本人の加藤サトリ博士が発明したんですって。知りませんでした。他にもいろいろとためになることが書いてありますよ。例の「内蓋処理問題」にも触れられています(^^;)

ところで、ぼくが最近一番気に入っているインスタントコーヒーの銘柄は何かと言いますと、味の素AGF の MAXIM Specialties「こく深エスプレッソ」 です。これは美味しい。個性的で香り高く深みがあって上品なのにワイルドな感じ。でも何故か市場にはあまり出回っていなくて、ここ最近はスーパーでもお目にかかったことがありません。「炭焼珈琲」「香り咲きモカ」は売っているのですが……

しかたないので、やや味は落ちるのですが香りはよい ネスカフェ「香味焙煎」 を最近はもっぱら愛飲しております。ぼくは基本的には 砂糖もクリープも 一切入れないブラックで飲むのですが、最近発売になった ネスカフェ「カプチーノ」 は、一袋にコーヒーの粉と粉末ミルク、微量の砂糖がミックスされていて、お湯を注ぐと、生ビールのような きめ細かい泡 がカップの表面にいっぱい立って、じつに楽しいです。ノンシュガー・タイプも発売されています。でも「一袋50円」の計算になるので、ちょっと割高かもしれませんね。

ふたたび「みしま」のラーメンについて              2003/02/10

●先週の土曜日は、夜から雨になりました。2度目の 「みしま」 来訪の晩のことです。ガラッと戸を横に開けると、ラッキーにも4人掛けのテーブルが開いていて、ぼくらは席につけました。前回少し勉強したので、今回の注文は、カツ丼、麻婆豆腐、ラーメン、みそラーメンの4品に決めました。そしたら、ぼくらの注文を聞いていたカウンター席の常連らしきオジサンが、こう言ったのです「あ、俺にもカツ丼! 2/3 で 」。ぼくらは思わず 「おぉ!」 とのけぞってしまいましたよ。 半ライス とか 半チャーハン とかは聞いたことあったけれど、 カツ丼 2/3 とゆーのは初めて聞きました(^^;; すっ、スゴイな!

ぼくらが注文を待つ間にも、次々と常連さんがやって来ます。これは前回初めてこの店を訪れた時にも感じたことなのですが、優しいんですね。店の雰囲気が。アル中ぎみのオジサン、ちょっと人生に疲れた感じのオバサン、どんな人でも「いらっしゃい!」そう、あたたかく この店 は迎えてくれる。カウンターについて、みんな「ほっ」と、くつろいでいるのがよく判る。ささやかだけど、たしかな空間が「確か」に在るのです。

カツ丼は分厚いカツが迫力の量でのっっている ソースカツ丼 で、でも肉はジューシーで柔らかく、衣はサクサク。見た目ほどしつこくはありませんでした。噂では、ここの奥さんは あの「飯島食堂」 の娘さんなんだそうです。なるほど納得の「カツ丼」でありました(^^)  麻婆豆腐 も、ひき肉いっぱいで美味しかったですよ! 仕上げは ラーメン ですが、 やっぱり、しみじみ美味いなぁ。10数年前に、いつも昼休みに食べていた 飯山日赤の食堂のラーメン の味を、ふと思い出しました。あの頃書いたラーメンに関する文章が、このパソコンのどこかに残っているはずなんで、また探してみますね(^^;)

それから、前回書き忘れたことがあります。 「みしま」 では必ず 食後のデザート がサービスで付いてくるのです。前回はリンゴ、今回は オレンジ でしたよ。

『深夜放送の黄金時代』   林美雄「緑ブタ」パック(その3)  2003/02/08

●今日もしつこく深夜放送ネタの続き(^^;) 今テレビでは 「タモリ倶楽部」 をやってますが、タモリをラジオで初めて聴いたのが、 林美雄「ミドリブタ・パック」 でした。

山下洋輔トリオ (山下洋輔、中村誠一、森山威男)によって博多のビジネスホテルで偶然発見された タモリ は(山下トリオの面々がコンサートの打ち上げで3人で盛り上がっていると、突然、見ず知らずの男が クズかご を頭から被って、虚無僧みたいに「ほうき」を尺八がわりに吹きながら勝手に部屋に乱入してきたんですって。それが当時まだ素人のタモリでした。)その後上京して 赤塚不二夫 のマンションに居候します。そして夜な夜な新宿のとある飲み屋 「ジャックの豆の木」 で筒井康隆、奥達成ほか多数を前に 密室芸 を披露していた頃、同じく漫画家の 高信太郎 に連れられてTBSのラジオスタジオに登場し、タモリは初めて公共の電波を使って 「4カ国語麻雀」 や、変な外人牧師の説教の芸を聴かせてくれたのでした。

これはたぶん、景山民夫が東京12チャンネルで 「モンティパイソン日本語版」 をプロデュースした際、その番組内でテレビに初めてタモリを登場させたのですが(1976年春)それよりももっと以前の話だったと記憶しています。

それから、松任谷由実がまだ 荒井由実 だったころ(たしかメジャーデビュー前)深夜のスタジオに訪れた彼女は 「ベルベット・イースター」 をその場でピアノの弾き語りをしてくれました。ぼくの知っているフォークとは全く異なる曲調、歌い方で、当時そうとう強烈な衝撃を受けたことを今でもはっきり覚えています。それから、林美雄さんの放送に松任谷由実と 石川セリ がゲスト出演した際、酔っぱらった吉田拓郎と 井上陽水 がスタジオに乱入して放送が異様に盛り上がったことがあったのですが、その後、石川セリは井上陽水婦人となったのでした。

林美雄さん は「邦画」をこよなく愛していました。 『八月の濡れた砂』藤田敏八監督作品 は特にお気に入りで、ラジオで何度も流れた 石川セリ が歌う主題歌をぼくもシングル盤を購入して、今でも大切にとってあります。 原田芳雄 松田優作 が登場して、 「プカプカ」や「リンゴ追分」 を二人して歌ってくれたこともありました。 おすぎとピーコ をラジオで初めて聴いたのも、林美雄さんの放送によってでした。

大学生になった当時、ぼくはモロ、林美雄気取りで、邦画や日活ロマンポルノの オールナイト を、「池袋文芸地下」に見に行っては、翌朝 山手線 を3周くらいしてから 常磐線の始発 に乗り、土浦へと帰ったのものです。今こうしてしみじみ思い返してみると、ぼくの 偏屈なマイナー指向 の基盤の多くは、 林美雄アナ にあったことがよーく分かります(^^;)

彼が惚れ込んで取り上げたアーティストは、その他に、 山崎ハコ、中山ラビ、ミスタースリム・カンパニー、上田正樹 などがありました。

林美雄さんのパックイン・ミュージック最終回の時、彼はこう言ったそうです(残念ながらぼくは聴けなかった) 「僕が学んだことは、レッテルとか世間のある風評で物事を判断してはいけないということです」 彼は、自分の目で見ることの大切さを伝えたかったのでしょう。 「自分のアンテナを信じろ!」 ぼくは今でも「その一言」があるからこそ生きていけるような気がしています。 (この項はさらに続く……)

『深夜放送の黄金時代』   林美雄「緑ブタ」パック(その2)  2003/02/06

林美雄 アナウンサー は、1967年にTBS(東京放送)入社。1970年より病気降板した同期入社の 久米宏 に代わって、 那智チャコ・パック が終わった後の午前3時から、 金曜日パックイン・ミュージック「第2部」 を担当しました。1970年というのは、 大阪万博 のあった年で、ぼくは小学校6年生の時にお祖母ちゃんに連れられて万博を見に行った記憶があるので、金曜パック「第2部」を初めて聴いたのは、たぶん高校生になってからだと思います。

林美雄さんは当時、TBSアナウンス室きっての美声と正確な発音の持ち主として知られる存在で、その特技(?)を生かした金曜パック「第2部」名物コーナーが、 下落合本舗提供「苦労おおかるローカルニュース」 の時間でした。まったくのパロディで、 ウソのニュース原稿 をTBSの現役アナウンサーである 林美雄 さんが落ち着いた口調で真面目くさって読み上げるのですが、これは傑作でした。

その「苦労おおかるローカルニュース」の前後に 下落合本舗のコマーシャル が流れるのですが、これがまた奇妙キテレツな架空の製品のコマーシャルで、BGMとかも結構それっぽく、毎回凝って作られていて笑ってしまうのでした。

これらはリスナーの投稿から作られているのですが、じつは高校2年生の時にぼくが投稿したハガキが 下落合本舗のコマーシャル に採用されたのです。毎年春になると 国鉄はストライキ に突入して、バス通学・電車通学のぼくらは多大な迷惑を被っていたので、それをネタにしました。ストライキが解決すると電車の車体に書かれたアジテーションのペンキの文字が不思議と消える 「ストラインキ」 を使った 順法闘争 ならぬ 「順法塗装」 はいかが? とかいうものでした。

面白くはないけれど、季節ネタとして読んでくれたみたいです。当時、ハガキが採用されると TBSのネーム入りライター を送ってくれることになっていて、ぼくのところにもちゃんとライターが送られてきました。高校生にライターはマズイんじゃないかと思うのですが、ぼくはうれしくてうれしくて、翌日高校にそのライターを持っていって休み時間に廊下で友達に見せびらかしました。そしたら、ちょうどそこに 現国の伊藤先生 が通りかかって 「い〜ッ、オメェ〜何しとるダ!」 と言いながら、ぼくのライターを取り上げてしまったのです。

伊藤先生は結局、そのライターを返してはくれませんでした(^^;;

『深夜放送の黄金時代』   林美雄「緑ブタ」パック(その1)  2003/02/03

●昨年末の信毎朝刊に載っていた 週刊ポスト の広告の横に、季刊 「文芸ポスト」 の広告が出ていて <特集・深夜放送の黄金時代> 「伝説の深夜放送」(那智チャコ・パック最終回ほか)収録CDを特別付録! そう書かれていました。 「おっ!!」 そう思ったのは僕だけではなかったみたいで、その後、いろんな本屋さんを探しましたが 「文芸ポスト」 はどこにもありませんでした。

なかば諦めかけていたところ、きのう松本の「ブックス63」で見つけたんです、>「文芸ポスト」。本文の特集記事は、インタビュー・亀渕昭信「ラジオは永遠に」、爆笑対談・谷村新司 vs ばんばひろふみ、「深夜放送が今の僕をつくった」秋元康、「傷のピーター」大村麻梨子、「セイ!ヤング21」誌上再録・吉田拓郎。まだちゃんと読んでないけど、期待したほどの記事じゃなかったな。ただ ぼくより2つ年上の秋元康 さんの記事は世代が同じなので、共感する点がすごく多かった。

で、付録のCDには何が収録されていたかと言いますと、

(1)亀渕昭信「オールナイトニッポン」ビアフラ食料支援!呼びかけ編(1970/1/25)
(2)谷村新司&ばんばひろふみ「セイ!ヤング」(1977/11/24)
(3)林美雄「パックインミュージック・最終回」(1982/07/31)
(4)桝井論平「桝井論平30歳になる」    (1969/11/16)
(5)野沢那智&白石冬美「那智チャコ・パック最終回」(1982/07/30)

ただ、このCDもそれほどのもんじゃなかったな。当時の雰囲気をありありと思い出したのは 「那智チャコ・パック最終回」 だけだもの。この放送は、大学生の時にリアルタイムでオンエアーで聴いた覚えがあります。

一番期待していた 林美雄「パックインミュージック・最終回」 は、林美雄さんが歴代のパックインミュージック・パーソナリティーを連呼するだけでフェイドアウトしてしまっていて、すっごく残念でした。だって、ぼくは高校生のころ、 林美雄の「緑ブタ・パック」 を毎週欠かさず聴いていた優良リスナーだったんですから(^^;)

ぼくには年の離れた 兄貴 が2人いて、中学・高校の頃は 兄貴とは絶対に越えられないモノである という認識のもと、2人の兄貴から 圧倒的な影響力 を受けて、ぼくは育ちました。そうして、ぼくにとっての大切な もうひとりの兄貴 と言ってよい存在、それが TBSの林美雄アナウンサー だったのです。(この項、もう少しつづく)








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