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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 ほほ日刊イトイ新聞の新連載「お父さんと、いっしょ。」が面白い   2003/05/29

ほぼ日の新連載「お父さんと、いっしょ。」 が、すっごく面白いです。横尾忠則・谷川俊太郎・糸井重里という超有名人を父親に持ってしまった子どもらは、その当時、父親に対してどう思っていたかが、すでに成人した彼らの子どもたちによる座談会で語られています。

「愛と涙の父親参観的座談会?!」というのがミソで、子どもらの発言を後日読んだ「父親」が、適宜コメントを寄せていて、これがとにかく面白い。特に、横尾忠則氏のとぼけたコメントには笑えます(^^)

以前、俳優の柳生博さんの息子、柳生慎吾さんが、NHK教育テレビの講演で「父親との葛藤の日々」をしみじみ語っているのを見たんですが、有名人を親に持ってしまった子どもの苦労も大変だなぁ、と思いましたよ。でも、「NHK 趣味の園芸」出演以来、今や父親よりも息子のほうが有名人 になってしまいましたねぇ(^^;)

『不肖の息子』森下賢一(白水社)は、世界の超有名人の息子たちが、どのような人生を歩んだのか分かって面白かったな。まぁ、じつにさまざまです。もうちょっと深く掘り下げて記述してあると、もっと面白かったのですが、いろんな資料を寄せ集めただけの「雑学のネタ本」の域を出ていないのが残念な本です。

でも、おや、さとなおさんは、けっこうほめていますよ(^^;)

 ステンレス2重構造の「蓋付き保温マグカップ」      2003/05/27

●最近の愛用品は、某薬剤メーカーのノベルティで頂戴した「蓋付き保温マグカップ」。これ相当にスグレモノです。ステンレス2重構造になっていて、しかも密閉したプラスチックの「ふた」付きなので、忘れた頃に飲んでも、けっこうまだ熱い。しかも「ふた」は外す必要がなく、そのまま飲めるのです。

「2月16日」の日記にも書きましたが、インスタント・コーヒー愛飲家としましては、外来診療の途中で頃合いを見て、コーヒーを飲みに行ったりするのです(ゴメンナサイ)。外来がヒマな時はいいんだけれど、混み合ってくると、のんびりコーヒー・ブレイクという訳にもいかず、それが何よりもストレスでした。

でも、この「蓋付き保温マグカップ」があれば、外来診療中でも、患者さんが診察室を出て、次の患者さんが入室するまでの間に、一口熱いコーヒーが飲めるんです。これはありがたい(^^) ネットで検索すると、いろいろ出ているみたいですね。日本酸素の子会社「サーモス」から出ている、「真空断熱デスクトップマグ THERMOS JMM-400」 あたり、底の面積が広くて、マグカップが倒れない構造だし、デザインも優れているし、ちょっと欲しいな、なんて思っていることろです(ところで、380ml は入る現在使用しているマグカップは中国製か? (^^;)

と書いてみたものの、THERMOSのマグカップは、現在メーカーでも欠品みたいで、入手できません(^^;) 他を探してみると、「アラジン・マグカップ」 というのと、「ピッコロマグカップ」 というのが、廉価で出ているみたいです。

ポイントは「ふたをしたまま」飲めるかどうか? 保温効果がどれくらい保たれるか? でしょうか。

 今週のいろいろ                   2003/05/25

5月21日(水):午前の外来終了後のお昼過ぎ、この4月から新しく園医となった、伊那市御園の「天使幼稚園」 に、内科健診に行ってきました。年小さん〜年長さんまで、全園児100人強の小さな幼稚園なのですが、じつはうちの長男がこの3月に卒園し、次男は年中組で現在お世話になっていて、園医としての義務以上の恩義を感じての執務なのであります(^^;)

健診は、園のホールで行われることになって、体育館みたいなホールだと、子どもたちが騒げば、音がやたら反響して、とても微妙な心雑音なんて聞き取れなくなってしまうのですが、驚いたことに、この幼稚園の子どもらは先生の言いつけをよーく聞いて、ほんとうに静かにしてくれましたよ。

当院の外来に、よく受診してくれる子どもたちも多いので「そう言えば、一昨日受診したサフラン組の川井美音ちゃんは、まだ登園してないんですね」とか先生に確かめることもできます(^^) そうすると、担任の先生は、ちょっとビックリした顔をして、尊敬の眼差しで(ホントか?)ぼくを見てくれるようになるんです(^^;)

健診が終われば、恒例の園医による「絵本の読み聞かせ」タイムです(^^;)  いや、じつは恒例でもなんでもなくて、今回から初めて行った試みなんですが(^^;;)

ぼくは当初、年小組で2冊、年長組で1冊、絵本を読むつもりで準備していったのですが、外に遊びに出てしまった「年小組」の子どもらを、教室に呼び戻すことは不可能とのことで、結局は、ぼくの次男が所属する「年中組」での読み聞かせとなりました。

当日読む絵本を、ぼくは結局絞りこめずに、10数冊の絵本を持ち込みました。『くろずみ小太郎旅日記』『ふしぎなナイフ』『ゴムあたまポンたろう』『バスにのって』『はつてんじん』『さるのせんせいとへびのかんごふさん』『ひとりぼっちのタツノオトシゴ』『ちへいせんのみえるところ』『じごくのそうべえ』『でんしゃにのって』『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』です。

読む本は子どもたちに選ばせようと思っていたのですが、収集がつきそうもなかったんで、結局ぼくが2冊選びました。

『ひとりぼっちのタツノオトシゴ』 『でんしゃにのって』 の2冊です。

『ひとりぼっちのタツノオトシゴ』は、遠くから見ていた子どもには判りにくかったかもしれないけど、「あっ、バナナ!」「ナス!」「ピーマン」とか、「亀はパイナップルだよ!」と、みな先を争うように答えてくれて、反応よかったでした。でも、もうちょっと読み方を研究したほうがいいかな? というのが今日の反省(^^;)

 潮干狩り日和(その2)               2003/05/21

●潮干狩りの話の続きです(^^;) 潮干狩りはいつでもできるわけではありません。潮が引いていないと潮干狩りはできないのです。当たり前のことですが、これが大切。その日の干潮時間の前後2時間が「潮干狩りタイム」なので、当日の干潮時間を知っていないと大変です。例えば、5月22日〜27日は、干潮が夕方〜夜と、夜中〜明け方になってしまうので、なんと潮干狩りはできないのです。

ですので、出かける前に、ネットで調べるか、地元漁協へ電話して、その日の干潮時間の2時間前に現地到着を目指します。5月4日当日の干潮時は、13時30分でしたので、8時過ぎに家を出ても楽勝だぁ! そう思ったのですが、その日の中央道下り線は空いていて小牧ジャンクションまでは順調だったものの、上りの東名高速に合流したら途端に大渋滞

当初、音羽蒲郡IC で下りる予定だったのですが、いつになったら高速を下りれるのかわからないので、ひとつ手前の岡崎インターで下車。それでも、1時間半近くもかかってしまいました。音羽蒲郡ICから蒲郡海岸までは、比較的わかりやすい道順なのですが、岡崎IC からの道のりは結構長くて、「ナビ」がないと、ちょっと難しいです。

それでも、自宅出発から3時間50分かかって、正午10分前にようやく東幡豆海岸に到着しました(^^) うさぎ島まですっかり地続きになった海岸は、ものすごい人の数ですでに埋め尽くされていました。このゴールデンウィークの間に、アサリはすっかり取り尽くされてしまうんじゃないかと、本気で心配しましたよ。

さっそく、ぼくは軍手、女房はゴム手袋をして、ケイヨー・ホームセンターで買ってきた、熊手で砂を掻くと、出るわ出るわ、大型のアサリがザクザクと(^^) (とまで書くと、ちょっと大げさ過ぎますが(^^;;) たくさん採れると面白くなって大人は夢中に砂を掻く作業に没頭できるのですが、子どもたちはすぐに飽きてしまうんですね。30分もしないうちにイヤんなって、あとはヤドカリと蟹とりに変更されました(^^;;

それでも、2時間半の採取で入場規定量の袋いっぱいのアサリが採れました。確か一昨年、家族で初めて南知多の美浜町に潮干狩りに行った時には、小粒のアサリが少ししか採れませんでした。漁協のオバチャンが「あそこの棒のあたりを堀りな。貝まいたるから」 って、教えてくれたのにですよ。

結局その時は、ご近所・親戚に配って歩くほどの貝は採れず、帰りに、 えびせんべいの里 へ寄って、おせんべいをおみやげ にして悲しく帰りました。しかも、帰路では名古屋高速ラビリンスにハマッてしまって、どこで抜けたらよいのか分からずに、5周くらい同じ所をグルグルと回ってしまいました。運転手は北に向かって運転しているつもりなのに、じつは南方向だったり、名古屋には同じかたちをしたビルがやたら多いなぁ、と思ったら、単に同じビルを何度も見ていたことが、あとになって分かったり(^^;;

●潮干狩りで一番注意が必要なのは、紫外線です。夏至に近いこの時期の日光は、一年で最も強い紫外線を出しているのですから。

 潮干狩り日和                    2003/05/20

森の林の木

史上最強の潮干狩り超人

わが家では、5月4日に三河湾の東幡豆へ、日帰りで「潮干狩り」に行ってきました。潮干狩り初心者のぼくは、有名な上記2つのサイトでしっかり予習もして準備万全。でも出かけるとき、プリントアウトした資料(裏道情報とか)を全部置き忘れてしまって大ひんしゅくでした(^^;)

それから、コンビニの「サークルK」で、東幡豆と知多半島・美浜町の「潮干狩り入場クーポン券」が、100円割引で購入できるという情報を仕入れまして、すぐ近くの「サークルK・伊那境店」で出発前日の夜に、しっかりクーポン券も手に入れました。東幡豆は、他の地区と比べて入場券が \1,400(小学生 \700)と、かなり割高なのですが、その理由は、行ってみてわかりましたよ(^^)

(つづく)

 日木流奈くんのドキュメンタリーへの批判に対する、NHKなりの解答なのか?  2003/05/17

●今日の夜10時からNHK教育テレビで放送された『ETVスペシャル』「あなたと話したい」障害者と向きあう医療教育最前線  ▼重度心身障害児が出す、かすかなサインで心をとらえる ▼障害児の脳画像で探る残された可能性 ▼療育・リハビリテーションの最新研究

は、たいへん地味に、注意深く作られた番組ですが、重度心身障害児と周囲の人間がコミュニケーションをとることが、はたして科学的に・実証的にどれくらい可能なのか? ということの最前線研究を真摯に取材した、なかなか見応えのある番組でした。テレビを見ながら、最初は気がつかなかったのですが、この番組って、もしかして以前、NHK総合テレビで放送された、重度心身障害児である日木流奈くんが、母親の介助で「あいうえおボード」を指さして 周囲と意志疎通を図るとともに、本まで出版してしまったという奇跡を、手放しで絶賛したドキュメンタリー番組、NHKスペシャル「奇跡の詩人」  というのがあったのですが、

あの番組に怒濤のように寄せられた批判・非難に対する、NHKなりの解答なのだ、ということに途中から気がついたのです。ぼくは、例の日木流奈くんの番組を見ていないので、正当な評価はできないのですが、当時インターネット上で盛んに流された番組の一部映像を見て、ものすごい速さで「文字ボード」を指さす仕草は、明らかに作為的であると感じました。あれは彼の言葉ではなくて、母親の言葉なのだと。

ただ、ぼくは重度心身障害児を収容した施設で働いた経験がないので、彼らの能力がどれくらいあるのかが、いまだによく解らないのです。脳のCT画像を見れば、脳皮質・実質ともにかなりの障害を受けているに違いない子どもが、自ら積極的に外部世界に対して情報発信しようとしているなどとは、正直思いもよらなかったのですが、ぼくは今日の番組を見て、大いに反省しました。

どんなに重度の障害を負った子どもであろうと、手足がまったく動かせない子どもであろうと、ごく微かなサインを、われわれに発しているのです。それに気づいて直ちに反応してあげれば、確かにそこからコミュニケーションが始まるんですね。

日木流奈くんのように、介助者が手を貸して、重度心身障害児が筆で字を書くシーンも出てきましたが、そのビデオが映された後、スタジオで識者が、「文字ボードを使っての、重度心身障害児とのコミュニケーションは、介助者の意志が介入する危険性が多分にあり、信頼性に乏しいという海外の報告が多い。しかし、北欧では確かに患児の意志であることが確認された例も報告されている」というようなコメントをよせていました。ちょっと苦しかったですね(^^;)

ぼく自身は、今日の番組を見て、日木流奈くんのほんとうの言葉が、もしかして聞くことができる可能性があるんじゃないかなぁ、て思ったのです。そのほうが、彼にとっては幸せなんじゃないかなぁ。

 上伊那の「SARS」対策                      2003/05/15

●今日の夜、伊那保健所主催で上伊那の医療機関向けの「SARS」に関する説明会が、伊那市役所で開かれました。情報がマスコミからあふれているようでいて、じつはわれわれ医療関係者もよく知らない「SARS」。今日の解説で、ようやくその輪郭が少しだけ浮かび上がってきました。

・飛沫感染(空気感染ではなく)、接触感染なので、患者から2m以上離れていれば感染しないと思われる。
・香港の総患者数の何と20%が医療従事者であった。
・抗体で(血液検査)診断するキットが最近発売された(ただし感染後2週間以上たてば85%で診断可能)
・RT-PCR法(遺伝子診断)を用いれば、痰・便・尿で感染初期でも診断できるが、患者の40〜60%でしか何故か陽性にならない。
・日本では今までに疑い例が46例、可能性例が16例報告されているが、確定例は皆無で、59例が否定された。
・15歳以下の子どもでの死亡例はない。
・不顕性感染キャリア(発症しないでウイルスだけまき散らす人)はいない。
・SARSウイルスは熱には弱いので、熱湯消毒(80℃、10分以上)で死滅する
・熱湯消毒できない場合は、次亜塩素酸ナトリウム(ミルトン・ピューラックス)、消毒用アルコールが有効。
・予防マスクは、現在 N95マスク(95%以上ウイルスの侵入を予防できる)は入手困難だが、外科用マスクでも40%は予防できる。
・感染の疑いがある患者が、医療機関を受診する場合には前もって電話連絡してから受診するように啓蒙する。

●説明を聞いた出席者からは、われわれ開業医では、二次感染・院内感染を防ぎようがないので、患者受入可能な県の指定病院(上伊那では伊那中央病院) で疑い例も最初から対応していただかないことには、開業医での対応は無理、という声が相次ぎました。また、一般市民への情報提供と、消毒方法や医療機関を受診する場合の注意点など、広報や公民館での説明会などで徹底して普及できないものか? という意見もでました。

●「SARS」対策は、われわれ医療機関にとって切実な問題です。無用な不安をかき立てることなく、的確な対応が求められているわけで、絶えず新たな情報収集に努めていく必要性を痛感しました。もはや対岸の火事ではありません。

唯一救いだったのは、子どもは感染しても(何故か)重症化しないということです。

『江戸の子育て』中江和恵(文春新書)                2003/05/13

●このあいだ買ってきた「この本」 を読み始めたら、ぐいぐい引きつけられて止められなくなってしまいました。江戸時代の原本から直接引用された文章がたくさん出てくるので、けっして読みやすい本ではないのですが、現在ちまたに氾濫する数多の「子育て指南書」を蹴散らすパワーが、この本にはあります。「父親の子育て」論として読んでも面白いです。

明治初期に来日し、東京から北海道まで旅行したイギリス婦人、イザベラ・バードは、日光からの手紙で、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」と書いている。常に子どもを抱いたり背負ったりしていて、歩く時には手を引いてやる。子どもの 遊んでいる様子をじっと見守り、時に一緒に遊んでやったりもする。いつも何かしら新しい玩具を与え、遠足やお祭りに連れて行き、子どもがいない時は、さみしそうにしている。(中略)

一方、幕末にイギリスの初代駐日公使として来日したオールコックは、赤ん坊はいつも母親の背中に負ぶわれているが、父親が子どもを抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた風景だ、と記してその様子を写生し、「ここには捨て子の養育院は必要ないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」と書いた。

このように幕末・明治初期に来日した欧米人は、日本人の子育てを驚きの目で見、盛んに賞賛した(序にかえて p7〜10)
どうです、面白そうな本でしょ(^^)

で、次に登場するのが、徳川家康の子育て論なのですが、爺になってから、あれやこれやと心配して、孫の子育てに対して、息子の秀忠や、その恐妻として名高いお江与の方に、いろいろと意見しているのが残されているのですが、これが面白いんです。秀忠の長男は早世し、引っ込み思案で臆病な家光が次男、我が儘で元気がよく、母親お江与の寵愛を一身に浴びて育ったのが、三男「国光」でした。そして、秀忠が密かに側室に生ませた子が、四男「保科正之」です。

恐妻のお江与の方に、側室に子を産ませたと知られると生きてはゆけない秀忠は、生まれた四男を信州高遠藩の保科氏に預けたのでしたが、三男国光を自害に追いやった家光は、じつはもう一人弟がいることを知りました。それが保科正之だったのですが、家光は腹違いの弟のために、当時たかだか三万三千石の過ぎなかった「高遠藩主」から、一気に20万石の山形藩主に命じ、その後、合津若松23万石を命じたのでした。

そのあたりのことは『名君の碑』 中村彰彦(文春文庫)に詳しいですが、この本には書いてありませんので悪しからず(^^;;)

 先週のいろいろ(つづき)                     2003/05/10

●昨日は、ぼくが校医をしている伊那東小学校1,2年生の内科健診でした。1年生は4クラスあって、1クラス15分の時間配分で診察しないと予定時間内に終了できないので、かなり大変です。でも、保育園や幼稚園のころからよく知っている子がいっぱいいて、ぼくは毎年、この内科健診をとても楽しみにしているのです。大きい子、小さい子、太った子、痩せた子。ちょこまか落ち着きのない子に、威風堂々とした子。顔つきも体格も性格もみんな違っていて、人間ってほんと「人それぞれ」なんだなぁって、毎回感心させられます(^^)

この子どもらを、一つにまとめて行かなければならない1年生の担任の先生って、ホント大変ですよね。でも、入学してまだ1カ月しかたってないのに、ぼくが知っている保育園の頃の子どもらの幼さが消えて、みな小学生らしい、しっかりしたたくましい表情になっているのが、なぜか不思議です。

●わが家の連休(つづき)です。

 5/3(土): 長谷村市野瀬の三峰川の河原で、BBQをしました。場所は杉島の「ざんざ亭」の少し下流になるのですが、川の左岸は河川改修が行われてすっかり変わってしまったのだけれど、右岸の河原は有り難いことにそのまま残っています。ぼくらの他には2組しか来ていず、ゴールデンウィークというのに静かなもんです。

「ためしてガッテン」のBBQ特集で「炭火」の使い方をよーく勉強したので、今回は上手に肉が焼けましたよ(^^) ポイントは、炭の火が消えて白っぽくなるくらいに時間が経った「おき火」の状態になってから、はじめて肉を焼き始める、ということです。遠赤外線でむらなく程良く焦げずに焼けます。

撤収後、すぐ近くの「入野谷」 で、「気」が込められた温泉に入ってきました。ここも空いていましたね。入浴後、休憩所でくつろいでいると、隣の席のおじさんが「今朝、新宿から首都高にのって八王子を抜けるまでに既に3時間もかかった」と話していましたが、ぼくらは伊那からたった25分でここに来ているワケで、なんだか申し訳ないような気がしてしまいました(^^;)

 先週のいろいろ                          2003/05/07

●うちの「連載企画」林明子さんの「絵本」に隠された秘密の楽しみ に、初めて新たな情報が寄せられました(^^) 諏訪郡在住の岩田杏菜ちゃん(9歳)から、以下のようなメールをいただいたのです。


林明子さんの書いた本『おふろだいすき』の本の、男の子が、『いもうとのにゅういん』の 21ページにピンク色の女の子とお母さんの後ろにいる男の子といっしょ!?
わたしも、見つけた!!
                               岩田杏菜 

いや、『おふろだいすき』はノーマークでしたよ(^^; 本の扉で服を脱いでいる少年は、髪型・服装ともに、たしかに間違いなく『いもうとのにゅういん』「21ページ」で、母親のコートを左手でつかんでいる男の子と同一人物でした。スゴイ! 大発見です(^^)

   ありがとうございました >杏菜ちゃん。


●うちからリンクしている、絵本作家・内田麟太郎さんのページには、「リンクフリーです / ご連絡だけください」と書かれていて、じつは「連絡しないまま」今まできてしまったことが、すっごく気がかりだったのです。そこで先日、勇気を出して(^^; 内田さんにリンク許可のメールを出したんです。そしたら、なんと内田さんの 4月30日付の日記に、当院HPをアドレス入りでご紹介してくださったのです!! 感謝感激、雨あられであります(^^)

   ありがとうございました >内田麟太郎さま


●わが家のゴールデン・ウィークは、結局「宿泊ありの遠出」は「なし」のまま終わってしまいました(^^;)

4/29(火): ハロー安曇野の釣り堀で、ニジマスを10匹釣って、その場で塩焼きにして1匹づつ食べました。これはけっこう旨かった。その後、人工芝のスロープ(かなり長くて、随時水まきすれば、スピードが増して面白い)でのそり遊びをしてから、すぐ近くの安曇野いわさきちひろ絵本美術館で開催中の「荒井良二展」 を見てきました。やはり、原画で見ないとほんとうの色使いは、わかりません。

「すずむし荘」で温泉に入ってから帰路についたのですが、夕飯をどうしようか? ということになって、寿司・焼肉・ラーメンで多数決をとったところ、ラーメンが勝ちました。で、以前から噂に聞いていた、春日街道沿い右手の「じゃげな」 に初めて行ったのです。

ぼくは「浜塩タンタンめん」というのを注文してみたのですが、これが大当たり! とんこつ九州ラーメンのスープをベースに、醤油を使わずあっさりと仕上げた上品なスープの中で、唐辛子で炒めた辛〜いひき肉シコシコ麺が絶妙にマッチして、これはちょっと、他では味わえない絶品(ちょっと褒めすぎ(^^;;)でありました。トッピングに「半熟煮たまご」というのを追加注文したのですが、これまた旨かった。卵の白み全層に、しっかり煮豚のタレが染み込んでいて、でも何故か黄味は半熟なんです。一体全体、これどうやってつくってんだろう?? とにかく、また来ようっと(^^)

長くなりそうなんで、続きはまた次回。


 由貴奈ちゃん                          2003/05/06

●5月5日付、こどもの日の「朝日新聞」 朝刊の「天声人語」に、宮越由貴奈ちゃんの「いのちの詩」が取り上げられました。びっくりしました。 天下の朝日新聞の、あの「天声人語」ですよ!。 やったね! 由貴奈ちゃん(^^)

12月3日の日記 に、ぼくも書いてますので、未読の方は、よかったら読んでみてください。

ぼくは直接の主治医にはならなかったのだけれど、由貴奈ちゃんの発病当初から、信州大学の大学病院で彼女の治療に係わり、こども病院での自家骨髄移植の時には、大学から石井先生のお手伝いに駆けつけました。そうして、富士見高原病院勤務時代には、由貴奈ちゃんのお母さんとおばあちゃんに家庭菜園の畑作りの世話までしていただいたのでした(^^;;

でも、考えてみると、ぼくは由貴奈ちゃんに辛い思いばかりさせて、あんまり楽しい想い出は残してあげれなかったんじゃないかなぁ。

ごめんね。由貴奈ちゃん。


 『シャクルトン』                        2003/05/02

NHK・BS2 で、5月1日、2日の2夜にわたって、イギリス「チャンネル4」が2001年に製作したテレビ映画『シャクルトン』が放映されました。ビデオにはしっかり録画したのですが、まだ部分的にしか見ていません。でも、自他ともに認める?シャクルトン・フリークの僕にとっては、不満なところが多々ある映画ではありました。

一番の不満は、映像の中のシャクルトンが真面目で、一生懸命すぎることです。ぼくが思うに、実物はもっとフランクでユーモアにあふれ、けっこうアバウトな人だったんじゃないかなぁ(^^;;

そうは言っても、現地ロケの迫力は相当なもので、充分に見応えはありましたよ。ほぼ100年前の「実話」なのですが、何度聞いても信じられないような話だよなぁ。はじめてこの話を読んだ時に、パソコン通信・ ニフティのフォーラムに書いた感想文が残っていました。


06036/06036 PXE02170 ぶん     感想>『エンデュアランス号漂流』
( 4) 99/01/28 01:37

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題名:『エンデュアランス号漂流』
原題: ENDURANCE - Shackleton's Incredible Voyage
作者: アルフレッド・ランシング  Alfred Lansing
訳者: 山本光伸
発行: 新潮社   1998/10/30 発行  \2200(税別) 
  ======================================================
久々の「五つ星」進呈本。もの凄い本です。一気読みでした。本の腰巻きには

>>故星野道夫の座右の書 待望の完訳。この一冊が、勇気を与えた---。
>>オーロラ撮影のため厳冬期のアラスカ山脈で一ヶ月に及ぶ単独キャンプ生活
>>を送った星野道夫は、携行したこの一冊の本によって、困難な状況に耐える
>>勇気を与えられた---。

と書いてあって、ちょうど『星野道夫の仕事/第2巻/北極圏の生命』(朝日
新聞社)を手に入れたばかりだったぼくは「星野道夫座右の書」ならそりゃぁ
読まずに死ねるかってなわけで、この本も買ったのでした。つい先ほど読み終
えたばかりですが、この感動をぜひアリステア・マクリーンに代表されるイギ
リス海洋冒険小説をこよなく愛するFADVのみなさまに伝えたくって参上いたし
た次第です。

第一次世界大戦が始まった1914年。イギリス人探検家シャクルトンは南極大陸
横断に挑戦すべく26人の隊員+1人の密航者と伴に南極大陸へ向けてエンデュア
ランス号を出航させました。その後の1年半にわたる、まったくもって信じら
れないような彼らの冒険を記録したノンフィクションがこの本です。原著は、
1959年刊行で、数々の「デイヴィッド・マレル本」の訳者として名高い山本光
伸氏を訳者に得て、昨年秋ついに完訳本が日本で初めて出版されたのです。

「エンデュアランス」とは、忍耐・不屈の精神といった意味で、シャクルトン家
先祖伝来の家言「不屈の精神で勝利する」から採られたものだそうですが、そ
れにしてもこの船の乗組員が次々と遭遇する難題、絶望的状況はすさまじい。
エンデュアランス号は南極大陸に着く以前にウェッデル海の流氷群に挟まれて
まるで「チョコレートバーの中のアーモンドのように」身動きがとれなくなっ
てしまいます。氷漬けの船は風の向くまま流氷とともに漂流が始まります。

その後は一難去ってまた一難。これでもかこれでもかって、まぁ最後の最後ま
でハラハラ・ドキドキの連続でした。28人全員無事奇跡の生還というラストは
始めから判ってはいるものの、後半、小型救命ボートで荒れ狂う海へ乗り出す
ところからの展開は、へたな冒険小説よりは数百倍、読みごたえがあります。

そして、個性的な登場人物たちの簡潔かつ的確な描写と、指揮官シャクルトン
のリーダーとしての立ち振る舞い。何としても全員無事生きて帰すのだという
責任感の強さに、イギリス人のジョンブル魂を見る思いがしました。

とにかく一家に一冊の、超おすすめ本であります。
ぼくも「座右の書」にしようっと(^^;)
                            ぶん(PXE02170)
電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード



 日本小児科学会で福岡に行っていました            2003/04/28

●じつは、今年の4月23日で、当院は「開院満5周年 」を迎えました。前年度まで、厚生連富士見高原病院の小児科勤務医であったぼくは、伊那ではまったくの無名人でした。5年前もたしか、小雨がぱらつくお天気で、開院初日は、なかなかお客さん(もとい、患者さん)はやって来ず、お祝いの植物でまるでジャングルのようになってしまった待合室で、看護婦さん、事務スタッフといっしょに「はぁ…」とため息をついたことを、昨日のようによく覚えています。

あれから5年。なんとか伊那の皆様に受け入れていただくことができました。ほんとうにありがとうござました。

それなのに、皆さまへの迷惑をかえりみず、土曜日を臨時休診にしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。小児科学会で勉強するために、福岡まで行って来たのです。田舎の小児科開業医と言えど、最新情報を入手すべく絶えず努力しています。全国の開業小児科医を結ぶメーリング・リストへの参加は、日々勉強の毎日なのですが、年に一度の小児科学会総会は、特別勉強になる機会なのです。

今回もとても勉強になりました。先週の『ためしてガッテン』にも出演していた、海老澤元宏先生が座長を務めた「子どものアレルギーと食生活」や、低身長児や小児肥満児への対応方法、小児腎疾患の最新治療、乳幼児の急性下痢症の新しい治療など、明日からの診療に直結する最新知識を仕入れてくることができました(^^)。

それから、長野県下で共に働く小児科開業医と直接会って意見交換ができることも、たいへん有意義です。同じ長野県下と言っても、長野市・松本市・上田市・飯田市・伊那市では、ずいぶんと行政の対応が異なることが解るからです。常日頃、メールでは情報交換を活発に行っている仲間なのですが、面と向かって会話することの重要性を、このインターネット時代
においてこそ、再認識した次第です。

福岡空港発、18:40 の日航の飛行機に乗って、自宅の玄関に帰り着いたのは、いったい何時だったと思いますか?

正解は、22:20 でした。九州の福岡から、たった3時間40分で帰り着いたその謎は? と言いますと、つばめタクシー「名古屋空港直行便」にあるのです。ここだけの話ですが、この「名古屋空港直行便」は本当に便利です。土曜日の早朝、出発する時にはどしゃ降りの雨でした。自家用車を自分で運転して行くことももちろん可能なのですが、雨の中央道を寝不足のまま運転する危険性を考えれば、片道4,000円の運賃でも、乗り合いタクシーのほうが絶対に便利だと思います。

福岡から名古屋空港に到着したのは、20:10 でした。到着ロビーに着いてしばらくすると、携帯電話が鳴って、出るとつばめタクシーの運チャンからでした。予定では名古屋空港発が 21:00 だったのですが、国内線での利用はぼくだけで、あとは国際線の建物へ廻って、すでに到着しているハワイ帰りのオバチャン2人組を拾えば、時間前に出発できる、という話になったのでした。

もし、自家用車で名古屋空港まで来て、車を空港周辺の「私営駐車場」に置けば、1日=1,000円が相場ですので、2泊3日の旅行なら、駐車場料金だけで 3,000円。それに高速料金にガソリン代、運転することの疲労感までも加味すれば、絶対につばめタクシー「名古屋空港直行便」のほうがお得です。

 今日の笑い話(でも、これって実話です)           2003/04/23

●昨夜、子どもたちを寝かせ着けていたら、実際に交わされた兄弟間での会話

 (4さい):「ようちえんで、おんなのこに、『ミニモニ』って、にんきなんだよ!」
 (6さい):「ふ〜ん。兄ぃにも好きだよ、 『ミニモニ』。とくに、かごちゃん!
 (4さい):「えっ!? ぼくもすきだよ、  かぼちゃ!


●富士見町に住んでいた頃、隣に住んでいた「おませな姉妹」との会話

 (6さい):「ねぇねぇ、おじちゃん、けつえきがた 、なにがた?」
 (?さい):「A型だよ。まいちゃんは何型?」
 (6さい):「わたしも、えーがた 。いもうとは、おーがたなの」
 (4さい):「うんとねっ! おかあさんは、えーがたでぇ、おとうさんが、おーがたなんだよ」

 (4さい):「でもね、おばあちゃんは、にいがたなの!」

                             チャンチャン!(^^;;)

 土曜日の夜、高遠は「満開の桜」              2003/04/20





 今週のいろいろ                      2003/04/18

「平安堂書店・伊那店」が、なんと4月いっぱいで閉店だそうです。正直「やっぱりね」という感じでしょうか。だって、このところの集客力の著しい低下と、やる気のなさ。それはそれは悲しくなるくらいに、ありありとダメになっていく様が分かっていたからです。

地理的条件、店舗規模、レンタル・ビデオを含めた品揃えの多さ、全てにおいて「TSUTAYA」にかなわなかったということなのでしょう。でも、本当のことを言うと、われわれ「本屋さん愛好家」 にとっては、多大な打撃であることを認めざろう得ません。あの「新刊書の棚」の充実ぶりは、平安堂書店でしか実現不可能だったからです。ベストセラー本しか置かない「TSUTAYA」や、どのフロアにどんな本が入荷したのかさっぱり分からない都会の巨大書店と違って、わずかなスペースに、ありとあらゆる分野の新刊本を「ぎゅーっ」と濃縮させて、さらに、ちょいとひねりも加えてレイアウトする、そのセンスのよさには、ぼくはいつも感心していたのです。いつの日か、ぼくら「本屋さん愛好家」 を唸らせるような、個性的で、ワクワクするような書店として復活してくれると、ぼくは信じていますよ! ねえ、平安堂書店さん!

●西春近といえば、「テルメリゾート INA」の、3F「フィットネスジム」の終了時間が、今週月曜日から、よる11時まで延長されました。これはありがたい(^^)  これで、夜9時に子どもを寝かせつけた後でも、「テルメ」へ走りに行くことができるようになったからです。みなさまには、たいへん申し訳ありませんが、もし準夜帯(21:00〜24:00)に当院に電話して、留守電になっていたならば、ぼくは「テルメリゾート INA」に行って走っていると思ってください(^^;;

●日曜日の午後は、岡谷の「小さな絵本美術館」『ともだちや』内田麟太郎・作、降矢なな・絵(偕成社)の原画を見に行っていたのです。原画は、実際の絵本のサイズよりも少し大きめに描かれていて、その鮮やかでいて微妙な色使いや、細部まで画家の神経が完璧に行き届いた確かな筆運びは、原画を見てこそ初めて理解できるものですので、ぜひ、少しでも多くの「絵本ファン」に見に来て欲しい、そう思いました。この春から新しく来た「おねえさん」が、美術館の喫茶部にいましたが、すっごく感じのいい人で、うちの子どもたちも、すっかり馴染んでいましたよ。ほんとは夕方5時閉館なのに、5時半まで居座ってしまって申し訳ありませんでした(^^;;

●せっかくここまで来たんだからと、夕食は茅野まで足をのばして、ひさびさに『ディ・モア』 を訪れました。ここのレストランのすばらしさは、オーナー・シェフの確固たるポリシーが常に貫かれていて、決して妥協がないということでしょうか。そんなふうに言うと、頑固一徹の「ラーメン屋」みたいな店をイメージしてしまうかもしれませんが、そうじゃぁないのです。接客を担当する奥さまがすばらしいから、本当は日曜日のディナー・タイムで、最も歓迎されるはずのないうるさい小さな子連れ家族を、嫌な顔まったく見せずに迎えてくれるのです。

いや、ちょっと勘違いしないでくださいね。基本的に『ディ・モア』は、われわれファミリー向けのレストランではありません。 恋人どうしのカップルや、老年を迎えた夫婦が「しみじみと美味しいものを味わうべき店」なのです。だから、そういったお客さんの迷惑になる「子連れ」では、行かないほうがいい。どうしても子連れで行くなら、ディナー・タイムではなく、昼食時が狙い目でしょうか。自家製野菜の繊細な味わい、真心のこもったイタリアンの前菜の数々。てま暇かけたことがしっかり伝わる絶品のスープに、絶妙の焼き加減のステーキ 。そして、これでもか!というくらいの自家製デザートの数々。もちろん、ピザやパスタの美味しさは言うまでもありません。でも、この店の一番凄いところは「ワイン・セラー」の充実ぶりにあるんだそうです。でも、ぼくはいつも運転手なんで、ハウスワインの味すら未だに知りませんが(^^;;

 高遠の桜は、まだ2分咲き                 2003/04/17

●昨日の水曜日は、日中ぐんぐん気温が上がって、伊那の街場にある桜は一気に開花しました。「北原こどもクリニック」東側の中村さん宅前にある2本の桜も、ほぼ満開で、それはそれは見事だったので、診療終了後に写真を撮りました。バックの白い山は、南アルプスの貴婦人仙丈岳です。





●桜をバックに「鯉のぼり」が元気に泳ぐ、当院前の昼下がり。



●夕方、高遠城址公園の桜を見に行ってきましたが、公園内はまだ「1〜2分咲き」といったところでした。今週末の土曜日・日曜日が、たぶん最高の見ごろとなるんじゃないでしょうか(^^)

 内田麟太郎さんのこと                  2003/04/14

●日曜日の午前中は、鯉のぼりのポール立てに費やされました。これがけっこう大変なんですよ、三脚上ってネジ締めて、埋め込んである杭の穴にポールの穴が巧く合わずに四苦八苦したり。1時間後、汗をかきかき見上げれば、青空に元気に泳ぐ鯉のぼり。風をいっぱいに吸い込んで、じつに気持ちよさそうだなぁ(^^) あれ? そういえば、これと同じシチュエーションの絵本あったよね。  『ワニぼうのこいのぼり』 内田麟太郎・文、高畠純・絵(:文渓堂)

この絵本が、息子もぼくも大好きでね。なんていうか、春のほのぼのとした、うららかな日曜日にピッタシとでも言うか、のほほん としたお父さんの描写が絶妙で、こんな親子、いいよねって、そんな感じ(^^)。 高畠純さんには、『おとうさんのえほん』(その1)(その2)というのがあって、この2冊の絵本に登場するおとうさんたちもみな、じつに魅力的なんだな、これが(^^) がんばれ!! おとうさんたち(^^;)

ところで、内田麟太郎さんは、いま絶好調で、出す絵本全てが面白い。最近では、新人の女流画家・早川純子さんと組んだ『しんじなくてもいいけれど』 が特に傑作でした。まさかセミのおしっこが「滝」になるとは思いもよりませんでしたよ(^^;;

じつは内田麟太郎さんには一度お会いしたことがあって、去年のゴールデン・ウィークの5月6日、初めて八ヶ岳・大泉の「絵本の樹美術館」を訪れた時に、たまたま「絵本の樹美術館」に内田麟太郎さんがいらしていたのです。美術館ではちょうど『けんかのきもち』 柴田愛子・文、伊藤秀男・絵(ポプラ社)原画展が開かれていて、ボクらが訪れたその日に、次回作『ぜっこう』 の打ち合わせが、ポプラ社の編集者、原作者の柴田愛子さん、そして名古屋から電車を乗り継いでやって来た、画家の伊藤秀男さん との間で、この大泉の「絵本の樹美術館」で行われることになっていたのでした。

内田麟太郎さんは、伊藤秀男さんとは、海が空から落ちてくる「超怪作」『ひたひたどんどん』 や、『わらうだいじゃやま - 大牟田の絵本』と、すでに2作で共演があって、この時に、次回作『やまのむにゃむにゃ』 の打ち合わせを、新緑の八ヶ岳で行うことになっていたのかもしれません。

ぼくらが訪れた時には、まだ伊藤秀男さんは到着してなくって、ちょっと手持ちぶたさな感じの内田麟太郎さんに無理にお願いして絵本『ともだちや』 にサインをしていただきました。例によって内気なぼくは緊張しちゃって、何もお話できませんでしたが(^^;;

写真で拝見するよりも、もっと細身でオシャレな着こなしの物静かな紳士で、目の感じなんか谷川俊太郎さんに似ているなぁ、と思いましたよ。

 林明子・絵本原画展(八ヶ岳小さな絵本美術館)      2003/04/10

絵本『ともだちや』シリーズ(内田麟太郎・作、降矢なな・絵)偕成社で有名な、スロバキア在住の絵本作家、降矢ななさんの絵本原画展が、岡谷市の「小さな絵本美術館」 で現在開催中です。

http://shinshu.online.co.jp/museum/chiisanaehon/event.htm  

こことか見ると、次々回の特集展は、なんと!<林明子・原画展>だそうです。かつてない規模の絵本原画展になりそうな雰囲気で、これはちょっと、見逃せませんぜ! 旦那!!(^^;;

ところで、『ナショナル・ジオグラフィック/2003/4月号』を読むと、チンパンジー研究家として有名な、ジェーン・グドール女史の特集号になっていて、彼女が1960年から40年以上に渡って観察してきた、タンザニア・ゴンベ国立公園のチンパンジーが、現在滅亡の危機に瀕していることが訴えれていました。雑誌には、人工衛星から撮られたゴンベ国立公園の写真が載っているのですが、ぼくはこの写真を見て愕然としました。

部族間の内戦が続く周辺諸国から難民が何千人とタンザニアに流れこんでいて、彼らは食うためにジャングルを燃やして、畑を作っているのです。衛星写真では、かろうじて緑におおわれたゴンベ国立公園の周囲すべてが、焼かれてまるはだかになっているのです。国立公園内でも、密猟が後を絶たないんだそうです。つい最近焼かれた山が、衛星写真では、しっかりと黒く写っていました。

ゴンベ国立公園は、広大なアフリカの国立公園とは言っても、タンガニーカ湖沿岸の長さ13km、幅 1.5〜3km しかない狭い小さな国立公園です。その中に現在チンパンジーが約100頭(1960年代には、150頭いた)住んでいるそうですが、以前は別の地域に住むチンパンジー(メス)が流れてきて群に加わることで、種の多様性の確保と道具を使う文化の伝道の役割を果たしてきました。しかし現状ではゴンベ国立公園はまったく孤立していて、チンパンジーの移動はできません。

このまま近親交配が進めば、早晩ここのチンパンジーは絶滅してしまうでしょう。ジェーン・グドールさんは、いま、ゴンベ国立公園の北側に植林をして「緑の木の道」を作り、チンパンジーが自由に移動できるようにしようと計画しています。

彼女の日本語の「ホームページ」 があります。あなたもサポーターになってあげてください。

 やおき食堂の夕暮れ                   2003/04/08

●飯山赤十字病院勤務時代に書いた文章です。ラーメン屋さんの話で、病院の季刊紙のために、当時同じような話をいくつか書きましたが、残っているのはこれだけでした。何となく愛着がある文章なんで、再掲します(^^;;


<やおき食堂の夕暮れ>

午前11時半も過ぎると腹もへる。おまけに今日は寝坊して朝食ぬき。聴診器をあてながらシブイ顔して「おかあさん、コリャ肺炎になってるわ」と決めたところで、小生の腹が「グフ、グルルルル」と鳴る。あわてて視線をそらせる小生、ニヤリとする母親。

13時55分ようやく外来を終了し食堂へと走る。「あっオバチャン!ラーメンまだできる?」実は2時間前から今日はラーメンと決めていたのだ。なんやかや言ってココのラーメンはうまい。ただし291番にTELし出前してもらってラップをはがしているよーではシロウト。ゆでたてのチリチリ麺にスープをからませハフハフ食うにはやはり食堂まで走らなきゃ、なんてひとりごちでコショウをふりかける。しあわせの瞬間ってやつだ。

と、向こうのテーブルでさっきの肺炎親子が一杯のラーメンをなかよく分けあってすすっている。母親とまた目が合う。こんどは視線をそらせない。連帯。言い換えると「今度こどもが熱だしたら、木島平診療所へは行かずにまっすぐ飯山日赤に連れていくからネ、先生!」そんな信頼関係が同じラーメンを食いつつ結ばれる、てなわけないか。バカなこと考えているうちに早々と夕暮れはおとずれる。

「ヤマダ電機」左隣の木工場の屋根裏から無数のコウモリたちが乱舞し始め、日勤の看護婦さんが更衣室で「ねえ、今日の夕飯なんにする?」なんて話している頃、ようやく「やおき食堂」は活況を呈するのだ。

狭い店内はワークマンあたりで売っている紺色(もしくはカーキ色)したジャンパー姿でいっぱいになる。飯山建設事務所が移ったので、藍色の作務衣姿のオヤジサンも客が減るのをちっとは心配したかもしれないが、何のことはない。今日も「やおき食堂」はいっぱいだ。確かにラーメンは旨い。大盛りのオムライスもほれぼれする。

しかし、底冷えのするこんな夜にはやはり「もつ煮(400円)」しかないでしょう。コイツは本当に癖になる。唐辛しを目一杯ふりかけ、黒ラベルをグビグビやれば誰でも「今日も一日ごくろうさん」という気分になれる。そしてツマヨウジを手に店をでるとき「いい仕事してるね、オヤッサン!」と聞こえないように小声でつぶやいてしまうのだった。
(1992/02/13 記)

13歳の少女シャーロッテが、アメリカ・メイン州の平和集会で、こうスピーチした 2003/04/04

●数日前の「ニュースステーション」の特集で、久米宏さんが紹介し、4月2日付の信濃毎日新聞夕刊「今日の視角」欄で、落合恵子さんも取り上げた、2003年3月3日にアメリカ東北部メイン州で開かれた平和集会で、シャーロッテ・アルデブロンという13歳の少女が、壇上に一人立って切々と訴えた歴史に残る名スピーチ 、その全文が以下のサイトに載っています。

       http://www.crayonhouse.co.jp/speech030322.htm

じつに素晴らしい文章です。まったくもって「そのとおり」だと思います。ぼくは読み終えて泣けてしまいました。一人でも多くの人に、この彼女のスピーチを読んでいただきたい、そう切に願っております。でも、転載自由になっているため、ネット上のいろんなサイトですでに紹介されているので、もうご存知かもしれませんが。

番組の中で久米宏さんが、アメリカがイラクの石油利権だけを目的に戦争を仕掛けたなら、分かり易いんだけれど、正義の押し売りをアメリカが何の疑いもなく掲げている点が、何とも厄介ですよねぇ、と発言していたことが、とても印象的でした。

『週刊文春(4/3号)』144ページ「私の読書日記」米原万里を読むと、たいへん興味深いことがことが書かれています。

岸田秀は、『アメリカの正義病・イスラムの原理病』(春秋社)などで、それは建国時代に原住民インディアンを大量虐殺した史実を隠蔽・正当化することによって成立した国家であることに端を発していると指摘してきた。このやましい過去の罪責を隠蔽・美化するためには、自分たちが絶対的正義の体現者であるという幻想 を持たねばならず、この幻想から目覚めないためにこそ、絶えず世界中で正義の戦いを続け、その正義を証明し続けなければならない、と。

このようなメンタリティーの背景を成すのは一神教だという切り口で岸田秀が語りおろしたのが、『一神教 vs 多神教』聞き手:三浦雅士(新書館) (中略)

「自分の側に正義があることを示すためには、悪魔が必要になってくるのです。一種の近親憎悪でもありますね。ぜんぜん無関係なものを悪魔にはしないわけですからね」(中略)「白人の有色人種へのルサンチマンは恐るべきものですね。白人は世界の文明の歴史からできるかぎり非白人を排除しようとしますね」
米原万里さんによると、この本のその後の展開は、かなり「トンデモ本」ぽくなるようですが、この本は読んでみたいです。『ものぐさ精神分析』のころの岸田秀には、ぼくもけっこうハマリました(^^;)

甲斐大泉「バックシュトゥーベ」の石釜ピザ              2003/04/03

●日曜日が休日当番医でしたので、3月31日(月)は申し訳ありませんでしたが「振り替え休診」にさせていただきました。開業後数年は「休みなし」でやってきたのですが、休日当番医でも、冬場は患者さんが100人近く受診されるので、当院スタッフの疲労がたまってしまい、休みなし2週間連続勤務は過酷過ぎて体調を崩すスタッフが続発したことと、ぼく自身も息切れがして、緊張感を維持できなくなってしまうために、患者さんにはご迷惑をおかけして大変申し訳ないのですが、当番医の翌日は、2年前から「休診」とさせていただくことにいたしました。

ところが、休診にした月曜日は朝早くからジャンジャン電話が鳴るのです。自宅でのんびり休息しようとしても、居留守を使うわけにもいかず(医院駐車場から携帯で電話してくる人や、すぐ近所に住む方が車があるのを確認してから電話してくる場合があるので(^^;;)電話に出ていると、結局何のための休診だかわからないまま一日終わってしまうことが多いのです。

春休みの家族サービスもしなければなりません。去年の3月末の当番医の翌日は、東京ディズニーランド日帰り強行軍を決行いたしました。富士見町の町民センターに車を停めて、早朝の「あずさ」に乗り換えてから、いざ東京へ! まる一日東京ディズニーランドで過ごして、花火も見終わってからJR京葉線に乗り込んだ時には、子どもたちはすでに疲れ切っていて、舞浜駅から東京駅まで、立ったまま満員の車内で子ども2人をおんぶに抱っこの地獄の苦しみ。ようやく東京駅に着いたと思ったら、今度はおんぶに抱っこ状態のまま、中央線のホームまで750mの「地獄の平行移動」 が待ちかまえていたのでした(^^;;)

新宿までの中央線も立ったままで、こんなことなら自家用車で高速を飛ばしたほうが楽だったかもしれないと、すっごく後悔いたしましたよ。これでは疲労がさらにたまるばかりで、何のための休診だかわかりませんね(^^;;

●そんな訳で、このあいだの月曜日は甲斐大泉へ行ってきました。「八ヶ岳倶楽部」「バックシュトゥーベ」の石釜ピザで昼食 →「絵本の樹美術館」 → 「八ヶ岳アウトレット」「レゴ」のブロックを物色。→「リゾナーレ」の波のプールで泳いだあと、中華を食べて帰宅という「家族サービス」コースでした。

今回の目玉は、何と言っても「バックシュトゥーベ」の石釜ピザです。「八ヶ岳倶楽部」「バックシュトゥーベ」「アフガン」の3軒は、鉢巻き道路から甲斐大泉駅に下る道の左側に並んでいて、迫力のベーコンエッグカレーで有名な「アフガン」へは、今までも4回ほど行ったことがあったのですが(日曜日には行列ができるこの店も、11時15分ころに到着して待っていれば、たいてい入れます) 、難攻不落の「バックシュトゥーベ」は、いつ行っても振られっぱなしで、今まで一度も入店したことはありませんでした。もっとも、夫婦二人きりで切り盛りしている店なので、日曜・祭日は、たとえシーズンオフと言えども予約なしではまず入店を断られてしまうこと必至なのです。

今回は、まだシーズンオフのしかも月曜日でしたので、なんと!予約なしで入れました。やったー(^^)。ちょうど実家に帰っていた女房の姉とその子どもたちもいっしょで、落ち着いた大人の雰囲気の店内に4人の子どもらのかん高い歓声が響いたので、接客係りの奥さんはちょっと不機嫌そうでしたが……(そういえば、「レストランかぶと」 の奥さんもいつも忙しそうで、日曜日はあまり機嫌よくなかったなぁ。あの店も夫婦二人きりでやっていましたね。)

それにしても、ここの石釜ピッツアは絶品でしたよ。ピザの生地が何ともサクサクしていて、表面はカリッと中はしっとり状態。トマトソースを使わない、薄い塩味だけのピザは、多彩なハーブの奥深い香りで、今までに一度も味わったことのない、あっさりだけど芳醇という絶妙のバランスの中にあって、いわば「ピザ界の塩ラーメン」といった感じでした。これは癖になりそうです。

今度はちゃんと予約してから行こうっと(^^)


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