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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>  

 スキーは楽し                       2005/01/30

●この冬一番の寒波がやって来ると言われていたのに、土曜日の夜は雨になった。もうザーザー降った。日曜日は早起きしてスキーだ! と意気込んでいたのが、仕方ないので温水プールか屋内スケートリンクにでも行こうかと決めて寝た。ところが、一夜明けて快晴。雨は夜半に雪に変わるかとも思ったが、雨のままだったようだ。この分だとスキー場も雨だったかもしれない。

7時には起きて「怪傑ゾロリ」を見ていた子供たちも、最初は「えぇ〜、スキー行くのぉ?」と面倒臭そうに答えただけ。ちょっとくじけそうになったけど、当初計画していた、清里のサンメドウズ(やや遠い)を変更して富士見高原スキー場に向けて、9時過ぎに出発した。

●富士見にしては混んでいたな。やはり昨夜は雨だったようだ。でもこちらでは、明け方雪に変わったみたい。今日は暖かいんじゃないかと思って行ったのだが、いえいえさぶかった。リフトに乗っていると、正面からびゅうびゅう風が吹き荒んで、そりゃぁもうとてつもなく寒かった(^^;) 11時半前に早めにあがって昼飯にしたら、レストハウスで何と倉科ファミリーと遭遇。いやぁ、金曜日の夜はお疲れさまでした(^^;;

子供らのパワーに引きずられて、寒いながらも午後3時半過ぎまで滑っていましたかね。次男が、「ねぇ、おとうさん。そろそろ『イカの湯』行こうよ!」と言った。「あ、『鹿の湯』のことね(^^)」あはは、我が家の「言いまつがい」新作だぁ。ここの露天風呂は本当に気持ちいい。裸でドアを開けた瞬間の寒さがこれまた尋常ではないのだが、湯船に浸かれば首から上は氷点下でも、ぬくぬくとあったかいんだな。しかも、ここのお湯は出た後ずっと体の芯からぽかぽかと暖まって、湯冷めをすることがない。

スキーと温泉露天風呂、これは切っても切れない仲でんなぁ(^^;;

 パパ's 新年会 「いたや」に於いて              2005/01/29

●さて、六代目・笑福亭松鶴「初天神」を聞きながら書いてます。伊那市立図書館から、テープを借りてきたのだ。

今週は新年会が3つあった。火曜日の夜は、当院の新しい看護師さんの歓迎会&新年会が「青龍」であって、今日土曜日は境区公民館役員会で、年間事業計画と予算案の話し合いをして、そのまま公民館で新年会。そうして昨日の金曜日の夜は、伊那のパパ's の新年会が、伊那市駅そばの「いたや」で行われた。みな忙しい中にもかかわらず、パパたちはしっかり5人全員集合。昨年1年間の充実した活動を労い、本年度の豊富に関して、馬刺を食いながら皆で語り合ったのだった。

2月19日(土)午後3時〜 「長谷村公民館」でのライヴが、既に決定している。主催は、長谷小学校・親子文庫。

 3月には、駒ヶ根市の駅前にある「子育て支援センター」の父親グループからオファーが入っている。辰野町図書館の館長さんからは「ライヴ第2弾」の要請があるそうだ。ありがたいですねぇ(^^;)

●今年は是非、老人ホームや敬老会でもお年寄り相手の「絵本の読み聞かせ」に挑戦してみよう! という意見が、倉科パパからでた。落語絵本とか、浪曲絵本とか、お年寄りに受けそうなネタはいくらでもあるぞ(^^;)  こうなったら、かねてからの懸案であった「ねぎぼうずのあさたろう」寸劇にも挑戦せねばなるまい! 配役はすでに決まっているのだ。主演:あさたろう 坂本パパ、敵役:八頭の権兵衛 宮脇パパ、初恋の人:椎の実のおようちゃん 伊東パパ、暗殺者:きゅうりのきゅうべえ 倉科パパ、その他端役:あさたろうの父、小芋のちょうきち、街道筋の団子屋の婆さん 北原パパ、お囃子:北原パパ、浪曲師:北原パパ

脚本を書いて、衣装を買いに行って、劇の練習をして……、これは大変だぞ(^^;;)

 『お話を語る』 松岡享子(その3)「間の働き1」      2005/01/26

●彼女は、「間」には基本的にふたつの働きがあると言っている (p98)

 ひとつは、語り手がそれまでに語ったことを、聞き手に受けいれさせる働きです。語り手が、「おじいさんとおばあさんがいました」といえば、聞き手は、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と思い、心のスクリーンに、おじいさんとおばあさんを描きだします。これに必要な時間がです。(中略)

 のもうひとつの働きは、聞き手の気持ちを話の先へつなげていく働きです。さきほどの例でいえば、聞き手が、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と、その事実をのみこんで、さらに「そして、その人たちがどうしたの?」と、問いかける時間です。つまり、聞き手が、語り手に、話を先へすすめるよううながす時間です。(中略)

語り手に話の先をうながすは、同時に、聞き手に能動的な聞き方をうながすでもあることがおわかりいただけるでしょう。が与えられてはじめて、聞き手は、疑問をもったり、予想をしたり、期待したり、要するに、自分の中で話についてさまざまに、思いめぐらすことが出来るのです。これは、聞き手の側からの話への参加です。

 『落語への招待』 江國滋(朝日文庫)            2005/01/23

江國滋氏といえば、最近では作家江國香織の父親であったという認識しかないかもしれないけれども、週刊新潮の編集者を経て文筆業に転じた後、落語や俳句に関する粋で洒脱な名エッセイを多数書いている人だ。柳家小三治や永六輔、小沢昭一もメンバーの「東京やなぎ句会」に属し、おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 という辞世の句は、つとに有名。

その江國滋氏の「落語の本」をぜひ読んでみたいと、ずっと探してきてなかなか見つからず、ようやくこの『落語への招待』江國滋(朝日文庫)を入手した。最初に読んだのが、最後に収録されている「桂文楽との別離」。これは凄かった。名随筆とは、まさにこういう文章のことを言うのだな。CDでその高座の声しか聞いたことのないはずの桂文楽の人となりが、この短い文章の中に凝縮されていて、読んでいて、桂文楽の所作がありありと目に浮かぶのだ。

巻頭の「落語への招待」も素晴らしいが、読んでいて興味深かったのは「料簡・吟味・間」という章だ。それはこんなふうに始まる。

 円朝の『塩原多助』を聞いて、五代目菊五郎がいったそうだ。
「噺家さんは仕合せだ、どんな端役でも自分で出来るんだから……」
 落語という話術の特質は、煎じつめればこの一と言につきるだろう。舌先三寸、大名花魁からがさつな職人まで、すべての登場人物を、いかようにもおのれの器量と演出でえがくことが許されている、というより、それこそが、落語家に要求される芸なのである。(中略)

 そのために、すぐれた落語家が例外なく腐心しているのが、人物になりきることである。たった一と言しか喋らない場合でも、その人物になりきって喋るのと、そうでないのとではぐんとちがいが出てくる。
「いいか、その人物の料簡(りょうけん)でもって喋らなくちゃいけねえ」
 柳家小さんが口癖のように弟子にいいきかせている、これが落語の要諦だが、それはそのまま近代俳優術の第一課でもある。ただ、落語家はスタニスラフスキーシステムとか、感情移入とか、コケおどしみたいなことを口にしないだけのこと。「料簡」というのがうれしいじゃないか。

 りょうけん【料簡・了簡】かんがえをめぐらすこと。思案。所存。(『広辞苑』)
 そんな身近な表現で、落語家は芸の核心をつかんでいるのである。(p106)


『親子の聾』という有名な小咄がある。

 「おい倅や、おウい、……しょうがねえな、あいつは耳が遠いんで。おい倅ッ」
 「えッ? なんだい」
 「いま表を通ったのは横丁の源兵衛さんじゃねえかい」
 「(目で追って)いや、ありゃァ横丁の源兵衛さんだよ」
 「ああそうか、おれはまた横丁の源兵衛さんかと思った」

 どの一字を抜いても成立しないギリギリの言葉だけで作られたこの小咄を、弟子が演じたすぐあとで師匠がやったらどれだけちがうか、という意地悪な実験を、かつてNHKテレビが見せてくれた。気の毒な犠牲者にえらばれたのは、円生門下の三遊亭好生。(中略)その好生が演じたあとを引取って、もう一度一字一句ちがえずに円生がやると、これが同じ小咄か、と目をみはる思いがした。たったあれだけの会話、それも同じ文句のくりかえしで出来上がっているのだから、だれがやってもそれほどの開きのあろうはずがないのに、それが大ありなのである。

 どこでその差が生じるのか、間である。噺を活かすも殺すも、結局は間のとり方一つなのだ。けだし、落語の "話術" は、"間術" であり、間術はすなわち "魔術" でもあって、(p113)
●この「間」に関する考察が、前述の『お話を語る』松岡享子の中でも詳細に語られている。これは勉強になるよ!(つづく)

 『お話を語る』 松岡享子  (その2)           2005/01/21

●この本の中で、特に興味深かったのは「声について」の章だ。73ページで、松岡享子さんは「声 --- わたしの場合」として、以下のように告白している。

 ここで、ご参考までに、わたし自身の声のことを少しお話してみましょう。わたしは、ながい間、声のことではずいぶんひどい劣等感に悩まされてきました。最初に自分の声がよくないということをはっきり自覚させられたのは、大学のときです。教職課程をとっていて、教育実習で、中学校へ英語の授業に出かけたのですが、そのとき担当の教官 --- アメリカ人の女の先生でした --- から、「あなたの声は、教師には不向きだ。あのような声で授業をされては、生徒は不快になる」と、いわれたのです。自分の声は、ハスキーだとは知っていましたが、人に不快な思いをさせるとまでは思っていなかったので、ショックでした。(p73)

●彼女が1967年に渡米した際、ニューヨークでヴォイス・トレーナーのレッスンを受けた話がその後に続くのだが、これがまたとても参考になる。そのヴォイス・トレーナー、マックス・マルグリウス先生が指摘したことは、以下の「3点」

1)にごりのない母音:よい声を出そうと思ったら、「母音を明瞭に発音する」ということを心がけねばならない。にごりのない母音、それがカギだ。

2)本来のピッチ(声の高さ):自分の声の本来の高さ(ピッチ)を知らないで声を出している人が案外多い。
わたし自身、明瞭な母音を追求していく過程で気がついたのですが、それまでは、自分本来の声の高さよりうんと低いところで、声を出していたのです。これは大きな発見でした。自然の高さでなかったため、聞き苦しい声しか出ず、疲れるのも早かったのです。先生のあとについて、いろいろな高さで声を出してみると、ある高さでは声がスポーンと上へつき抜けるようで、のどのまわりに全然力をいれずにいられるのです。そこが、わたしの本来の声の高さだというわけでした。

その声は、最初、自分の耳には、とんでもなくかん高く聞こえました。自分の声でないように感じられたのです。(p81)
3)声のイメージ
人は、自分がこういう声を出そう、出したいと思うイメージ、また、その社会や文化の中で、その人に要求されているイメージを、「自分の声のイメージ」としてもっていて、それに合わせて声を出すのです。出さない前に、もう声のイメージはちゃんと聞こえているわけです。ですから、声をよくしようと思ったら、まず、自分の声のイメージをよくすることです。(p84)
●本書では、さらに「発音とリズムについて」「テムポについて」(ゆっくり語る・速さと間・間の働き・間がさそい出す意味)など、大変興味不快記述はまだまだ続く。

 『お話を語る』 松岡享子(日本エディタースクール)     2005/01/20

●先日、伊那のブックオフで『お話を語る』松岡享子・著 (日本エディタースクール)を入手して読み始めたら、このところずっと考えてきたことが、なぁんだ、みんな「この本」に書いてあるじゃん! いや、ビックリしましたよ(^^;;

日本の「ストーリーテリング」と言えば、遠野のおばぁちゃんの昔話の語りを思い浮かべるけど、落語だって日本の伝統話芸であり、プロのストーリーテリングなワケで、その方法論は『お話を語る』と基本的には同じなのだ。ただ、読みながら「グサッ」とぼくの胸に突き刺さる記述が多い。例えば……

 わたしたちは、落語家や俳優と違い、語ることを職業にしているわけではありません。いうなれば、プロではなく素人なのです。(中略)つまり、素人には素人としての語りのよさがある、という意味で。

 わたしたちがお話を語るのは、自分たちの「芸」を見せるとか、娯楽を提供するためではありません。ごく素朴に、自分たちの好きな物語を子どもと分ち合うためです。わたしたちが子どもたちにさし出そうとしているのは、また、さし出すことができるのは、ある物語をおもしろいと思うわたしたち自身の気持ちです。その物語をどう表現するかということや、表現者としての自分をいかに印象づけるかといったことに重きがおかれているわけではないのです。わたしたちがお話を語るいちばんの目的が、子どもと一緒に物語をたのしむことにあるとすれば、わたしたちが求めるよい語りは、当然その目的がもっともよく達成される語りということになりましょう。(p50)
いや、まったくもって正論だと思います。ただ、それは「おかあさんの語り」だ。やっぱり根本的に「おかあさん」は真面目なのね。でも「お父さん」は、どうしても自分の「芸」を子供たちに見せたいし、娯楽を提供したいのだ。そのためには、ちったぁおふざけおちゃらけがあったって、いいじゃん。ぼくはそう思います。(この話は、まだまだ続く)

■昨日の水曜日の午後は、長谷村の乳児健診だった。もともと子供の少ない過疎の村なので、ぼくが健診に出向くのは年に3回しかない。行けば、生後2か月の赤ちゃんから3歳児まで、20数人の子供たちを診察する。たぶん、この子らが長谷村の3歳以下人口のほぼ全員じゃないかと思う。

水曜日だったから、午後の診察は休診だ。そこで、乳児健診が終わった後に絵本を読ませてもらった。持っていった絵本は、

1)『いいおかお』さえぐさひろこ(アリス館)。あの好評だった『ねんね』の続刊ですね。
2)『コップちゃん』中川ひろたか・作、100%オレンジ・絵(ブロンズ新社)。1歳半の子供も、「カンパイ!」が大好きなんだな。この絵本は、確かに赤ちゃんの注目を集めるスゴい絵本であることを再認識しましたよ。
3)『バルンくん』こもりまこと・作(福音館書店)。男の子の2歳児が多かったので、読んでみました。でも、この絵本もやっぱ凄いな。もう、男の子たちはみな「この絵本」に視線釘付け! もうちょっと、ゆっくりページをめくりながら、もっともっといっしょに楽しめるかな、そう思いました。
4)『わにわにのおふろ』小風さち・作、山口マオ・絵(福音館書店)
 先週の金曜日に「いなっせ」での子育て支援セミナーでもこの絵本を読んだのだが、その時は「じょろろ〜ん」、のタイミングを間違えてしまって失敗した。でも、今回は成功! それなのに、イマイチ受けなかったなぁ(^^;;  1〜2歳児にはまだ、難しいか?

 落語と絵本の読み聞かせ(拾遺2) 声の質・ピッチ・間    2005/01/19

●まぁ誰もが、ふだん頭の中で響く自分の声と、他人が聴いている実際の「自分の声」がぜんぜん違っていることを知って驚く時があるに違いない。ただぼくの声は、客観的に冷静に判断しても悪声なのだ。何て言うか、もさっとしていて、中途半端に低音で「ぼそぼそ」暗くしゃべるので、聴いていて不明瞭で相手はイライラしてくるんだな。妻が、辰野町「新町保育園」で行ったわれわれパパ's「ライヴ」 をビデオで撮ってくれていて後で見たのだが、絵本を読んでいた自分のイメージと実際は自分の「声質」がぜんぜん違っていて唖然とした。これじゃぁ、ダメだ!

それ以降、絵本を読む時はできるだけ大きな声で「腹筋に力を入れて」ハッキリと読むよう心がけるようにした。でも、何か違うんだな。カラオケに行ってサザンオールスターズの曲を、シャウトしながら歌っているみたいで…。大声を張り上げるだけでは喉は痛くなるが、子供たちには自分の声がちっとも届かないのだ。

これでは、聴いているほうが疲れてしまう。自分の「声質」は変えられない。音量を上げるだけでは結局はダメみたい。

●それじゃぁ、声のピッチを上げてみてはどうか? と思ったのね。そのきっかけは、外来診療中に電話の問い合わせがあったとき、ぼくは電話に出るまえに一回大きく深呼吸して、ふだんより高いピッチの声で、できるだけ明るく「お待たせしましたぁ!」と受話器に喋るよう心がけているのだ。でも、時間外の夜遅くに電話が鳴ると、何故かふだんの「その心がけ」を忘れてしまい、低い憂鬱そうなトーンで「どうしましたか?」と眠そうな声で電話に出てしまうのね。

これって、電話先の相手が受ける印象って、ぜんぜん違ってくるに違いない。声質は変えられなくても、声のピッチを上げるだけで、ずいぶんと雰囲気を変えることができるのではないか?

■ところで、噺家はみな、声のピッチが高い。地声は低い三遊亭円楽さんも、ガマガエルみたいな鈴々舎馬風さんも、高座では思いのほか高い声を出している。たぶんみな、意識的に声のピッチを上げているに違いない。(もう少し続く)

 落語と絵本の読み聞かせ(拾遺1) 声の質・ピッチ・間    2005/01/17

●ぼくは、自分の声が嫌いだ。あれは小学校6年生の時だったろうか、その日「声変わり」した僕の声を初めて聞いた母親は「○○ちゃん、そんな変な声になっちゃったの?」と、いかにもガッカリして言った。その言葉は、ものすごくショックだった。母親に否定されたその「声」と、それからずっと一生つき合っていかなければならない自分に気付いたからだ。

そうは言っても、結婚して子供ができるまでは、すっかり「そんなこと」は忘れていた。ところが、生まれたばかりの自分の子供を撮ったホームビデオに収録された自分の声を聴いて、思い出しちゃったんだな。普段「骨伝導」で聴いている自分の声を、純粋に耳から聴くとぜんぜん違って聞こえる。悲しいくらいに。音楽家は、その音色が気に入らなければ楽器を変える。ところが自分の声は、どんなに気に入らなくても取り替えることはできないのだ。この事実は淋しい。(つづく)

 『お父さんのバックドロップ』中島らも(集英社文庫)    2005/01/15

『今夜、すべてのバーで』『ガダラの豚』も、『アマニタ・パンセリナ』も、ハードカバーが出てすぐに読んだ。ものすごく面白かった。この頃の中島らもはホント凄かったのだ。アル中に、せき止めシロップなどの薬物依存。彼はクスリで脳を麻痺させて、崩壊してしまいそうな自己をなんとかつなぎとめながら、ほとばしる才気を文章にしたためていた。14〜5年前のことだと思う。結局らもさんは、最後まで自殺することはなかった。偉かったよ。

でも、この『お父さんのバックドロップ』は知らなかったな。初版は学研で 1989年12月に出ている。『今夜、すべてのバーで』よりも前のようだ。映画になったので、今回初めて読んでみたのだが、これはいい話だなぁ。泣けたよ(^^;) 4人のお父さんが登場するオムニバスなんだけど、何と言っても最初の下田牛之助が最高にカッコイイ。そう言えば上田馬之助って、いたよねぇ(^^;) 懐かしいなぁ。

らもさんは、「あとがき」でこんなことを書いている。

 ぼくは小さいころ、早く大人になりたくてしかたがありませんでした。これはすべての子どもが思っていることで、今の君たちも、きっと同じだろうと思います。
 大人はとても自由で楽しそうに見えます。だれからもしかられずにすむし、映画だってすきなときにひとりで見にいけるし、お金だって自分のすきに使えます。(中略)

 そしていま、こうやって念願の大人になって、この本を書いています。じっさいに大人になってみると、子どものころにあこがれていたほど、大人というのは、いいものではありません。
 大人になると、だれからもしかられないと思っていたのは大まちがいで、大人もいろんなえらい人からしかられているのです。そのえらい人は、もっとえらい人からしかられています。大人は、そんなことが子どもに知られるとかっこうがわるいから、だまっているだけだったのです。(中略)

 ただ、おもしろいのは、大人というのは子どもが大きくなって、まったく性質のちがう「大人」というべつの人間になるのではないということです。大人には、子どもの部分がまるごと残っています。子どもにいろんな大人の要素がくっついたのが大人なのです。そう思って、きみたちのお父さんを観察してみると、このことはすぐにわかるはずです。(中略)

きみたちのお父さんにもきっとそういうへんなところ、子どもっぽいところがあるはずです。それがわかると、きっとお父さんのことを、もっとすきになると思います。
いや、そのとおりだよ、らもさん! ありがとうね!

 ダイエットは難しい              2005/01/13

●ふだん「キリン淡麗<生> グリーンラベル」(糖質 70% オフ)を飲んで我慢しているのだが、この年末年始は本物のビールをずいぶん飲んだし、体をぜんぜん動かすことなく食っちゃ寝、食っちゃ寝して過ごした。そしたら、今まで46年間生きてきて過去最高のデブになっていた。

そういえば、食事や間食に対しての節制は何もしてなかったし「テルメ」に通うことも2か月近く止めたままだ。ほんと、油断するとあっという間に太る。

「ためしてガッテン」で、「計るだけダイエット」というのを提唱していて、体重計は「100g 単位」で測れるものがいい、と書いてあった。うちで今まで使ってきた体重計は、デジタルだけど500g 単位の体重計。これではいけないと思い、映画を見に行った帰りに、南松本のコジマ電機に寄って、TANITA製の最新鋭「体重計」を買ってきた。

「ためしてガッテン」でも言っていたのだが、朝と夜の「2回」、毎日体重を量ることが重要なんですね。この体重計なら、体脂肪率も筋肉の量も、内臓脂肪も、基礎代謝量も計算してくれる。先週から「テルメ」のジム通いも再開した。「ほぼ日手帳」も、ダイエット日記として活躍中だ。もちろん、ダウンロードしたグラフも付けている。ただ、なかなか右肩下がりのグラフにはなってくれない。食事制限をもっときちんと考えなければ。「あるある大辞典」で先日やっていた「炭水化物ダイエット」はどうなんだろうか?

さとなおさん とこの「BMグラサン・ダイエット」も読み直してみよう。

 鹿児島芋焼酎『黒壱』             2005/01/12

●芋焼酎で(比較的に入手可能という条件下)飲みやすく、しかも美味しいのは「吉兆・宝山」「富乃・宝山」だが、そうは言っても、どっちも一升瓶で5,000円以上する(酒のスーパー「たかぎ」価格)。だから、安くて美味しい芋焼酎として「天孫降臨」をこのところずっと飲んできたのだが、最近「たかぎ」で『黒壱』(鹿児島県加世田市・萬世酒造)の一升瓶を見つけ、冒険して2,100円で買ってきた。でも、これは大当たり!。まろやかで、喉ごしがよくって、「吉兆・宝山」とほとんど遜色がない(とは言え、直接飲み比べてみたワケではないデス)。値段的には「天孫降臨」とほぼ同じだが、『黒壱』のほうが、芋焼酎としては美味いと思う。

芋焼酎といえば、2004年の秋に信州伊那谷産の地元の芋を使って蒸留した芋焼酎『風太』(喜久水酒造)を、昨年末「ニシザワショッパーズ・西春近店」で見つけて買ってきたのだが、これは正直言ってハズレだった。同じ「喜久水酒造」が出した麦焼酎「今此処」が、なかなかに飲みやすくて美味しかったので、すごく期待していたのに。本場「鹿児島」の芋焼酎の足下にも及ばない。まだ誰も言わないけれど、これは失敗作なんじゃないか?

 『Mr. インクレディブル』           2005/01/10

●この冬は、『ハウルの動く城』『ポーラー・エクスプレス』も、岡谷スカラ座に行って家族みんなで見たのだが、どちらも期待の半分くらいのデキで、コメントを控えていたのだ。いや、決してダメな映画だったワケではなくて、★★★☆☆(三ツ星 / 五つ星が満点)クラスの映画ではあった。(でも、どちらの映画も正直言って「失敗作」だと思うな。これらの映画を高く評価している皆さま、ゴメンナサイ。)

 映画館で映画を見る場合、案外「スクリーンの大きさ」が重要なのではないか? ということを、じつは最近すごく感じている。とにかく、最近流行の「シネマ・コンプレックス」的映画館の場合、へたすると、自宅のビデオプロジェクターで映しているのと同じくらいの小さなスクリーンで見ることを強要されることがあるのだ。特に、その傾向は「岡谷スカラ座」で多い気がする。『ハウルの動く城』『ポーラー・エクスプレス』も、岡谷スカラ座では画面が特別小さいスクリーンで見させられた。せっかく、大金をはたいて家族全員で映画館に行ったのに、TSUTAYA で3か月後にDVDを借りてきて見た方が、よっぽどいいんじゃないか? そう思ったワケですね。

●そんな反省もあって、前売り券を持っていた『Mr. インクレディブル』は、岡谷スカラ座は止めにして、松本まで車を飛ばして、山形村にある「アイシティー・シネマ1」で見たのだ。これは正解だった。ここの「シネ・コン」はいい! スクリーンは大きいし、座席は頭まであって座り心地は抜群、音響も完璧だ。座席は後ろに行くに従って高くなっているので、子供でも見やすい。しかも、松本市内の映画館と違って、駐車場の料金を心配する必要はない。案外、この事実は大きい。

現在、松本市内の映画館は、「中劇」「東宝セントラル」「松本東映」も、いつの間にか無くなって、「松本銀映」「松本・エンギザ」の2つの映画館が残るのみ。でも、座り心地のいい座席にいて、何故「中劇」が潰れてしまったのか、ものすごく納得してしまったことも事実。残念ながら、時代は変わっていくのだな。

■ところで、『Mr. インクレディブル』だが、これは面白かった。さすが「ピクサー・アニメーション・スタジオ」製作の映画だ。★★★★☆(四つ星)。ピクサーの映画にハズレはない。その事実は分かっていたのだが、前作『ファインディング・ニモ』を見た後は、涙で目をウルウルさせながら「ちょっと、ヤバいんじゃないか?」正直そう思った。ずいぶんと父親の家族愛を強調した、嫌らしい映画に仕上がっていたからだ。

この『Mr. インクレディブル』の予告編を見た時も、「家族愛」が強調されていて、何だか「お涙頂戴の」嫌らしい映画なのではないかと、見る前からずいぶん危惧したのだが、実際の映画はぜんぜん違ったな。ものすごく、面白かった。

押しつけの「正義」というのは、結局、世の中では「迷惑」にすぎないのだ。そういうことは、あの、9.11 以降、アメリカ人以外の人なら誰もが感じていることだろう。それがまさにこの「Mr. インクレディブル」の存在なワケね。でも、その事実にアメリカ国民はみな納得していないんだな。いや「正義」はいつの時代も絶対に正しいのだ、そう信じている。そういうジレンマが、この映画『Mr. インクレディブル』にはきちんと、描き込まれていた。

この映画を造ったスタッフの多くは、たぶん、イギリス映画の「007 シリーズ」が大好きだったに違いない。ヒーローの敵役は、やっぱり南海の孤島秘密基地を築いている必要がどうしてもあるのだ。大きな滝つぼの奥に、最新鋭の設備が隠されていたり、火山の噴火口からロケットが発進したりとか、サンダーバードとか、ドクター・ノウとか知っていれば、この映画はものすごく面白い! スクリーンを見ながら、ドキドキ・ワクワクの連続間違いなしだ。

ところで、映画が終わったあと、妻が「あの悪役のシンドロムって、「くりーむしちゅー」の有田さんにそっくりね」と言った。いや、なるほどホントにそっくりだな(^^;)

 『もひとつ ま・く・ら』柳家小三治           2005/01/08

●「絵本」の読み聞かせと「落語」の共通点(その3)として、季節ネタを大切にすることがあげられる。12月には「クリスマスの絵本」が読まれるのに対し、落語では大晦日が舞台の「芝浜」が旬のネタだ。お正月なら、「初天神」か。寒いこの季節に、初夏の船遊びを扱う「船徳」や、春の遠足のような「愛宕山」が演じられることはまずない。絵本の読み聞かせでも、その時期に合った絵本を選ぶのが基本だ。

共通点(その4)。「寝床」の聴き比べじゃないけれど、絵本も読み手によって、ずいぶんと印象が変わる。テキストは同じでも、母親が読むのと父親が読むのではぜんぜん雰囲気が異なるし、読むテンポ、抑揚、ページをめくるタイミングとかでも違ってくる。お師匠さんとまったく同じに語る必要はなくて、むしろ読み手が自分なりに工夫を重ねたオリジナルな読み方のほうが価値がある。それは落語とて同じだ。

『もひとつ ま・く・ら』柳家小三治(講談社文庫)では、いろいろと面白いことを小三治さんが言っている。

あたしね、司会はダメなんです、司会は。
大体、決まったことを決まったとおりに運ぶっていうのはとてもダメなんです。だからここへ来ても、あたしの場合には、ネタは出しませんよ、何をやるっていうのが、決められるということが、とても窮屈でイヤなんです。心が解き放たれない(笑)(p340)

なんてんでしょうね。一つのお客さまの出会いとでも言いますかね、ウーン、そこから話ができていくんで、これはまああたくしよく申し上げるんですが、映画やなんかと違いますよ。映画ってぇのは、フィルムの機械にかけてね、スクリーンに光が写っているだけでございましょ。ですから、お客さんがいようといまいと、寝てようと起きてようと、やることはやるんですよ、映画の場合には。あら生きてないんですから。
 われわれ生きもんですからね。これ、生身でございますよ(笑)。

ですから、お客さんが聴いててくださるなっと思うと、すぐバカぁ調子に乗っちゃってね、その気になっちゃうもんでございます。
 あべこべに、あ、ダメだな、こりゃ。蹴られてるなとか、あ、今日のお客さまはおれと肌合いが合わねぇな、なんて思ったりすると、不思議なもんでね、自分じゃ三十分やったつもりが、終わってみたら七分しかなかったなんて(爆笑)。(p218)

 だいたい、あのーなんてんですか、落語が芸術だとか、これは何か生きた文学だとか、なんかそういうのを言われるのがいやなもんですから、しょせん落語は落語だけじゃないかと。それをどうやったって、それは演るものの側の……。いいじゃないかっという……。(中略)

 だから、誤解を覚悟していうならば、なるべくぼくは人情噺というものをなくしたいと思ってるくらいで、人情噺ができるような噺家にいつかはなって下さいなんていうことを、若い時よくお客さまから言われたもんでしたが、つまり人情噺が難しい高度な噺だとお考えの方が、世の中には多いということでしょうか。ある意味では否定はしませんが、ほんんとに難しいのは、世の中の日常よく見かける風景、いわゆる滑稽噺、ほんとに難しいのは滑稽噺だと、あたしは信じて疑いません。(p277)

 落語ですから肩の力を抜いて、ぼんやりとお過ごしいただこうと。
 これがよろしいんです。落語っていうもの、そういうものだと思いますよ。肩の力を抜いていただきます。

 ぼくがいつも言ってるのに、たかが落語なんですから、時どき聴いて、ああ、そんなものあったっけなあ、ぐらいでいいんです。(中略)

 ただ、楽しきゃいいんじゃないの、は、お客さま側からのことで、演者側からしてみれば、さっきも言ったように、どんなお客さまが聴いているかわかりませんから、口から出た、つまり表面に表れた噺の部分は、氷山の一角で、水面下には心を大きく、広く間口を開けていろんなことを備えておかないといけないなって思うんですね。(p282)
●聞き手であるお客さまをリラックスさせるためには、演者自身が肩の力を抜いてくつろいでいる雰囲気を作らなくてはならない。でもそれは、じつを言うと「落語」の水面上に表れた氷山の一角に過ぎなくて、海面下には、長年に渡る厳しい修行と鍛錬、研究と実践とのたまものがあることを、あらためて知ろしめされた一冊でありました。

つまりは、芸の道は厳しいぞ! ってことだな(^^;;)

 「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その3)2005/01/07

●赤木かん子さんの『ねえこの本読んで! 赤の巻』(リブリオ出版)では、読み聞かせに関して辛辣な発言が相つぎ、読んでいてビックリしてしまう。例えば、こんなことが書いてあるのだ。

 人に本を読んでやったり、お話してやったりすることの一番の基礎は、そういうことはすべてサービス業であるということです。これはプロもアマチュアも同じです。
 そうしてサービス業だということは、当然、お客さま、という相手が存在していて、その一番の目的は「お客さまに喜んでいただくこと」です。だって、喜ばなかったら、お金払ってくれないでしょう? もう二度とくるもんんか、と思われたらアウトです。
 それを「本」に応用するとどうなるかというと、あなたが読んでやりたいと思う本を読んでやってはいけないということになります。(6ページ)


<文庫や朗読ボランティアのかたに>

 まず、赤の他人の集団にお話をしたり本を朗読したり芝居をすることはすべて「芸能」です。そうして「芸」をするにはふつう「才能」がいり、そのうえその「才能」をみがく「練習」もいります。
 つまり、基本的にそういうことは「だれにでもできる」ことではありません。「才能」が必要なのです。(15ページ)
■つまるところ「読み聞かせ」は、落語「寝床」の旦那さんが店子たちに語る義太夫になってはいけないと言っているんだな。てなワケでまた「落語」の話にもどることができたぞ(^^;)
(まだまだ、つづく)

 「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その2)2005/01/06

●えっと、この場で「絵本の読み聞かせ」というのは、不特定多数の子供たちに対して絵本を読む状況を想定しています。自分家(ち)の子供が寝る前に「読んで!」と持ってくる絵本を「わかった、じゃ読むぞ」と読むのとは違うわけだ。ぼくは基本的に、子供が寝る前に読む絵本は「これ読んで!」と息子が自分で本棚から選んで持ってきた絵本を読むことにしている。ただ、時々どうしても自分で読みたい絵本があって、そういう時は、兄が選んだ絵本+弟が選んだ絵本+お父さんが選んだ絵本、と一晩で3冊読むことになる。大切なことは、そういう場合でもできるだけ父親の好み子供に押しつけないという姿勢だと思う。

保育園へ行って絵本を読む時は、時には子供たちのリクエストに応えて本を決めることもあるけれど、だいたいは自分で決める。これは「パパ's 絵本ライヴ」で図書館で読む時も同じ。ということは、その時点で既に「趣味の押しつけ」状態になっている訳だ。言っておくけど、自分で「これはイイ!」と信じるものを、子供たちに紹介することは、決して間違ってはいないと思う。重要な事は、胡散臭い「これは、生きる力を育む、教育的に大切な絵本だから是非聞きなさい」という態度とか、「私が読む絵本を、ありがたく聞きなさいね!」といった高飛車で高圧的な「絵本の読み聞かせ」は、止めたほうがいいんじゃないかということだ。こういう言い方は偏見だらけかもしれないけれど、最近の「読み聞かせボランティア」の方々は、知らず知らずのうちに「その落とし穴」にはまってしまっているような気がしてならないのだ。絵本の読み聞かせに「意味を持たせること」は必要ないと思う。大切なことは、絵本を読んでもらうことは単純に楽しい、面白い!という、子供たちの気持ちなのではないかな?

■基本的に、おかあさん方はみなすごく真面目なのね。だから、毎月「絵本の勉強会」とかには欠かさず出席して「絵本はこういうふうに読まなければいけません」という呪文に、からめ取られてしまうのだ。をい、をい! そういった「意味がある絵本の読み聞かせ論」で「絵本」を語ろうとすると、道を誤るぞ!

●「絵本の読み聞かせ」には、もっと自由でフットワークの軽い足回りが必要だと思う。その解決策に「落語」があるのではないか? と考えているわけね(^^;)
 (つづく)

 「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その1)2005/01/04

「寝床」みたいに「噺のサゲ」がそのまま演目になっている落語はけっこうありますよ。「夢金」とか……、う〜ん、あんまりないか(^^;;;

「寝床」の聴き比べで取り上げなかった、古今亭志ん朝さんだけど、聴いたことないんであげなかった。『志ん朝の落語3 / 遊び色々』(ちくま文庫)に載っている「寝床」は読んだ。これ、めちゃくちゃ面白い。だから『志ん朝復活/ 色は匂へと散りぬるを (に)』を、今度ぜひ聴いてみよう。

●このところメインで読んでいるのが『もひとつ ま・く・ら』柳家小三治(講談社文庫)。これは面白い。読んでいて、ふと思いついたのだが、「落語」を語るのと「絵本」を読み聞かせするのは、じつはよく似ている、ということだ。

■ぼくは今まで「絵本の読み聞かせ」てぇのは、ライヴ・コンサートお芝居見物みたいなもんだと思っていたのだが、芝居もコンサートも、舞台はライトアップされるけれども客席はふつう真っ暗だ。だけど、落語の寄席は違う。客席は明るいのね。何故かというと、舞台の演者からも客席の反応がよく分かるようにしてあるから。「絵本の読み聞かせ」だって、客席は明るい。でも、それはすごく大切なこと、でしょ?

■それから、一般に噺家は高座に上がるまで、その日の「演目」を決めていない。もちろん「まっ白」な訳じゃなくて、頭ん中に2〜3候補は考えてあるんだけれども、高座から客席を眺めながら、まくらを振って、その日の客の反応を確かめた上で「今日はこの噺で行こう!」そう決めるのね。このやり方は、ぼくら「パパ's」の絵本の読み聞かせ会と、まったく同じだ。その日の客層(乳幼児が多いか、小学生が多いか? 若いお母さんが多いか、お父さんが来ているか? スクエアーなお堅い真面目な人が目立つか、それとも、ちったぁ羽目外しても許してもらえる雰囲気か? などなど)を見極めた上で、その日読む絵本を決める。最近の若手芸人さんがよく口にする言葉に「その場の空気を読め!」というのがあるけど、まさにそれだ。ただ、これはなかなか難しい。

「その場の流れ」てぇのもあるな。前に登場した芸人が何を演じたか? 次に登場する人はアレをやる。じゃぁ、オレはこれで行こう!なんてね。寄席の楽屋には「ネタ帳」というのが置いてあって、その日に、もしくは過去何年分にも渡って、何時誰が何を演じたかが分かるようになっている。絵本の読み聞かせでも、こういうことにはものすごく気を使う。(つづく)

 落語『寝床』の聴きくらべ     2005/01/02

○明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

●元旦は、午前のうちから日本酒呑んで酔っぱらってしまった。というのも、伊那市境区の公民館副主事に今年は任命されてしまったので、1月1日の午前10時から毎年境区公民館で開かれる「境区新年会」に出席して挨拶をしなければならなかったからだ。大晦日は高遠でお年とりだったから、9時半に白川タクシーを呼んで伊那まで戻ってきた。式典が終われば宴会が始まって、ビールは用意さてなく仙醸の熱燗のみが並んだ。公民館の役員ということで、何だか知らないが「ま、ご苦労さんだけど、宜しく頼むわ」と、次々と知らないオジサンがやって来てはお酒を注いでくれるので、ふだん呑み慣れない日本酒で、すっかり酔っぱらってしまったのだ。

新年会は12時過ぎには終わった。ポストの中の年賀状を持って、今度はつばめタクシーを呼んで高遠の母の家へとんぼ返り。午後もその続きでだらだらと呑み続け、日も暮れる頃にはもう宿酔い。今年は元旦からこの日記を更新しようと心に決めていたのに、頭ががんがんしてしまい、結局そのまま寝てしまった。

●で、今日の2日は、朝から診療報酬請求書(レセプト)のためのカルテ整理。
ところで、去年の1月2日は何をしていたのか? ふと気になって、こういう時こそ「ウェブ日記」は便利ですな。ちょいとクリックすればすぐ見ることができる。そしたら、まったく同じ。朝から診療報酬請求書(レセプト)の整理をしている。BGMは古今亭志ん生の『寝床』だ。

いや驚いた。今年も落語『寝床』を聴きながら仕事をしていたのだ。だだ、今年の『寝床』は八代目・桂文楽の『寝床』。これがまあ、同じ噺なのに、志ん生文楽とではぜんぜん違う噺になっちゃうのね(^^;) 先日、カインズホームで、六代目・三遊亭圓生の『寝床』のカセットテープを見つけて買ってきたのだが、圓生の『寝床』はつまらなかった。どうしてだろう? と不思議だったんだけど、糸井重里さんの話(その1)と、(その2)とか、(その3)を読んで、その訳がよーく判った。

ぼくは、好きな落語家の「寝床」を、
全員ぶん集めたいんですよ。
それで聞き比べるのがたのしいんです。
「寝床」って、いちばん
その人らしさが出るものだから。

つまり、
あそこに出てくるダンナさんのことを、
愛して演じる場合と、
イヤなやつだと思って演じる場合と、
2種類ありますよね……
その微妙な好みが、入ってくるんです。


つまり、圓生さんは、あのご隠居の旦那が嫌いなんだな。だからつまらないんだ。そこいくと、文楽さんはこの旦那を愛してやまないのね。ほんとにいい人なんだ。義太夫さえ語らなければ(^^;;) そういうことが判ってるから、番頭は一生懸命「店子」の家を回って出席するよう頼む訳だし、ぷつんと切れてしまった旦那の機嫌を何とか取り持とうとするのです。文楽さんの『寝床』で一番凄いのは、この後ですよ。さっきまでカンカンに怒って、明日の12時に「店子」のみなさんには全員、家を明け渡して出ていってもらいますからね! とまで言っていた旦那さんが、ヨイショされるうちにすっかりご機嫌がなおって「え、そうですかい? あんたがそこまで言うなら、ひとつやってみましょうかねぇ」という場面。スタイリッシュな文楽さんならではの迫力がある。

でも、古今亭志ん生さんは、旦那さんなんてもうどうでもいいのね(^^;)
『寝床』を語っているうちに、「寝床」の落ちはどっかへ行ってしまって「もう我慢できなくなった番頭さん、とうとう逃げ出して蔵に入って戸を閉めちゃった。すると旦那は、蔵の周りをぐるぐる回りながら義太夫語って、終いには蔵の窓から頭突っ込んで義太夫を語り込んだからたまらない。狭い蔵の中で旦那の声がぐるぐる渦巻いちゃって番頭さんは七転八倒の苦しみ。気の毒にその番頭さん、明くる晩、書き置き残して行方不明になっちゃった。だんだん聞いたら、今あの人はドイツにいるって」

この志ん生バージョンでは、旦那が「だいたいね、義太夫聴くのに咳とかクシャミはいけないね。」と言ったとたんに、客席の女性が大きなクシャミを実際にしてしまって大笑い(^^)

あと、伊那市立図書館から借りてきたビデオで橘家円蔵の『寝床』を見て、昨日DVDレコーダーで録画した『日本の話芸』特集版「8人目」の桂文朝の『寝床』も見た。二人とも師匠は桂文楽だから、出だしは文楽を踏襲しているのね。でも何故か途中から古今亭志ん生バージョンに変わっちゃうのだ。それって、何だか寂しいよね。もっとオリジナルを追求すればいいのに。

今日の最後に聴いた『寝床』は、桂枝雀バージョン。もしかすると、聴いていて枝雀さんの『寝床』が一番笑えるかもしれない。文楽からも、志ん生からも解き放たれて、自由に演じてるからだね。だからこそ面白い!

と言うわけで、『寝床』聴き比べの僕個人的な順位を付けさせていただくならば、こうなります。


第一位: 桂 文楽
第二位: 古今亭志ん生
第三位: 桂 枝雀
第四位: 三遊亭圓生
第五位: 橘家円蔵
第六位: 桂 文朝



 寒仕込み     2004/12/29

●中川村の米澤酒造は、明治40年創業の老舗の造り酒屋。「今錦」という銘柄を出している。

大正初期に建てられた酒蔵は凛とした冷たい空気で満たされ、酒の神様がこの中に確かにいるに違いないと思わせる神聖な雰囲気だった。 正面には、大きな木製の槽(ふね)が「でーん」と鎮座し、これで「もろみ」を絞る。この昔ながらの製法を今も頑固に続けているのは、長野県内ではここだけとのこと。

酒造りも、当然この12月〜2月しか行わない。いわゆる「寒仕込み」というやつだ。

その出来立ての「生酒」(火入れしてない原酒)と、槽(ふね)で絞ったあとの板状の酒粕を買ってきた。12月31日の「お年とり」の時に開封して飲むのだ。今からたのしみ(^^)

●年末の更新作業は今日までです。
地震に津波、台風と、大変な天変地異の一年間でしたが、来年こそ平穏で希望に満ちた年になるよう、願ってやみません。

 それではみなさま よいお年を!

 「パパ's 絵本ライヴ in 中川村」(その2)     2004/12/28

●写真のアップは年明けになりますが、われわれパパ's のメンバー5人が、中川村図書館でどんな絵本を読んだかだけ記載しておきます。

1)地元の音楽クラブに所属する男の子と女の子の二人が最初に登場して、運動会のリレーに使うバトンのような、長さの違うプラスチックの筒を何本も駆使し「きよしこのよる」「ジングルベル」の2曲を演奏してくれました。。続いて、同クラブの高学年の女の子たち3人が、ハンドベルで「アベマリア」を演奏しました。じつに素晴らしい演奏でしたよ。

神聖で敬虔な雰囲気がただよく中、われわれ「パパ's」のライヴは始まりました。

2)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版) → 全員で歌
3)『ゆめのゆき』エリック・カール(偕成社)  → 伊東パパ
4)『バナナです』『りんごです』川端誠(文化出版局)  → 北原パパ BGM:「ガラスの部屋」
5)『きつねのホイティ』 シビル・ウエッタシンハ(福音館書店) → 坂本パパ
6)『いっぽんばしにほんばし』中川ひろたか(アリス館) → 全員で「手遊び」
7)『ひとのいいねこ』作: 南部 和也、絵: 田島 征三(小学館)→ 宮脇パパ
8)『メリークリスマスおおかみさん』 宮西達也・作絵(女子パウロ会) → 倉科パパ
9)「赤鼻のトナカイ」 → 全員で歌。


うん、なかなかいい雰囲気で終えることができたんじゃないかな。中川村図書館の館長さんもほめてくれたし(^^;)
今回はみな、ライヴでは初挑戦の絵本を取り上げました。パパ同士、毎回刺激し合って、絶えずチャレンジ精神とモチベーションをお互いに高めあっているのだ(^^;;

この後、われわれパパ's の面々は、中川村にある小さな造り酒屋「米澤酒造」に出かけ、酒蔵を見学した。大きなタンクの中の「もろみ」が、ふつふつと音をたてているのをタンクの上から見ながら、杜氏さん、蔵元さんがていねいに細かく説明してくれて、スッゴく興味深い話が聞けたぞ!

 「パパ's 絵本ライヴ(その7)」中川村図書館       2004/12/26

●今年の4月に、ひょんなことから「勢い」で結成されたわれわれ「伊那のパパ's 」は、今年のラスト・ライヴをクリスマスの翌日の今日、中川村図書館に於いて華々しく盛大に(^^;;) 執り行った。11月の連続3公演に続いての、今回で7回目のライヴだ。

中川村は同じ長野県上伊那郡圏内なので、十分に日帰りで行ける距離だったのだが、われわれ「パパ's 」を陰で支える妻たち&子供たちへの慰労も兼ねて、前日の土曜日の夕方、家族みんなで下伊那郡松川町入りして、泊まりで打ち合わせ&慰労会+忘年会を行った。でも、考えてみるとこの忙しい年の瀬に、土日の予定を全て潰して参加を強要したことは、パパ's のそれぞれのファミリーにとっては、はた迷惑も甚だしかったに違いない。ごめんなさいね! >関係者のみなさま。

■わが北原ファミリーは、幼稚園のクリスマス会で頑張りすぎたために土曜日の朝に 38.7℃の熱発した次男と、看病に残る妻が参加取りやめとなって、ぼくと長男の2人だけの参加。子供は何故か不思議と土曜日に熱を出すんですよね。

●日曜日の明け方には雪も積もってものすごく寒かったので、こんな年の瀬の寒くて雪も舞った日曜日に、わざわざ図書館まで出向く親子連れなんてほとんどいないんじゃないかと思ったのですが、ここ中川村図書館は違いましたよ。ぼくは自称図書館愛好家なので、判るんですね、瞬時にして「その図書館」がいい図書館かそうでないかが。で、中川村図書館は間違いなく富士見町図書館レベルの素晴らしい図書館だぞと、ピピッときたのだ。

その嗅覚に間違いはなかったな。若い親子連れがたくさん聞きにきてくれました。お父さんの姿も多かった! こういうのって、日ごろの地道な図書館活動のたまものだよな、しみじみそう思いましたよ。(詳細は次回を待て!)

 クリスマスの前の前の晩                 2004/12/23

●週のまん中に休みがあると、なんだかすっごく得した気分になる。ハッピイマンデイの連休は、翌日の火曜日がキツいので、かえってアンハッピイなのだ。飛び石連休とか、2日勤めてまた休みとか、こっちのほうが絶対いいと思うのはぼくだけか?

とにかく今日が休みでほんと助かった。ようやく出来上がった年賀状の図案をプリントアウトして、あとは宛名の印刷だけ。ただ、20日締め切りの「上伊那医師会報12月号」の編集作業を、今日中に終える予定だったのだが、こっちは手が回らずじまい。さて、どうしたものか。気が付くともう夕方で、2日早いクリスマスの夕食の準備に取りかかる。明日は午後7時近くまで診察が終わらないだろうから、今晩お祝いをするのだ。

  

昨年に続いて、桜町の吉野屋鶏肉店で買ってきた「鶏のもも肉」を、数ヶ月ぶりに登場したダッチオーヴンで1時間かけて焼く。蓋には豆炭を15個のせて、上からも加熱。一酸化炭素中毒にならないように外に出て焼いたのだが、火の番をしなければならなかったので、ものすごく寒かった(^^;)

●テーブルに並んだのは、子供たちの大好きな「マカロニグラタン」と「押しちらし寿司」。それから女房自家製のクリスマスケーキ。どれもみなおいしかったよ。

★みなさまも、よきクリスマスをおむかえください。

   メリー・クリスマス!


 DVDレコーダーを買った                2004/12/21

●ビデオの「予約録画」の設定が昔から苦手で、今あるビクターの「ビデオ+DVDプレーヤー・一体型機種」も、購入時のチャンネル設定が面倒で、結局何もせずそのまま使っている。だから未だにGコード入力による「予約録画」ができないのだ。何故そんなにチャンネル設定がわずらわしいかというと、ケーブルTVなので「取り扱い説明書」に載っている「かんたん設定」が使えず、手動でいちいちチャンネルを合わせなければならないからだ。

■しかし、世間ではビデオテープは過去の産物となりつつあり、「DVDレコーダー」が主流の時代になりつつあるようだ。大容量HDにどんどん録画して必要なものだけDVDに落とすこの新しいTV録画スタイルを、メーカー各社は今ばんばんTVCMで流している。前に一度テレビを見ながら「あれ、欲しいなぁ」と言ってみたが、妻は「ビデオがまだちゃんと使えるでしょ」と、にべも無かった。それが12月に入って「うちのビデオはどうして予約録画ができないの?」とか「録画しながら他のチャンネルは見れないの?」とか「そのDVDレコーダーなら、予約録画は簡単なの?」とか、妙にうるさい。どうも風向きが変わったようだ。

■その訳は、12月20日(月)の夜10時からBS2で10日間連続で放送される『冬のソナタ・オリジナルノーカット(字幕スーパー)版』にあった(^^;)

ということで、日曜日の夕方、ヤマダ電機に「DVDレコーダー」を買いにいったのだ。TSUTAYA で「日経トレンディ」を立ち読みしながら事前調査したら、売れ筋は松下電機・東芝・ソニーが出している中堅機種のようだ。夕方のヤマダ電機は駐車場も満杯で凄い人。ボーナス+クリスマス商戦でごった返している。特に「DVDレコーダー」を置くコーナーは人が多い。みな考えていることは同じなのね(^^;) 人気の松下・東芝製品はすでに売り切れで予約扱い。どうしても現品を今日中に持って帰らなければならなかったので、ぼくは迷わず在庫のあった「SONY / RDR-HX90 / スゴ録」を購入。田村正和がCMに出ているヤツだ。HDは250GB。現金特価で、6万円台(税込)だった。

その夜遅くまでかかって、何とか「チャンネル設定」を完了。ビックリしたのは、今やGコード録画も時代遅れで、画面に映る「電子番組表(EPG)」を見ながら録画したい番組をクリックするだけでいいのだ。これならぼくにもできるぞ。ケーブルTVでも、ちゃんとこの機能は使える。時刻設定も、電波時計と同じ仕組みで自動制御なのだ。

さて、こうして万全の構えで月曜日の夜を迎えた訳だが、夜9時半には子供といっしょに寝てしまったので、ちゃんと録画できているかどうか、じつはまだ確認してない(^^;)

 映画『誰も知らない』(その2)             2004/12/18

●どうもこの映画は、見た印象を言葉でうまく表現しにくい映画みたいで、「泣ける映画」とか「感動する映画」とか「いい映画」とか、そのどれとも違っていて困ってしまう。でも、ボディーブローのように見終わった後になって、じわじわ効いてくる不思議な映画だ。

前回、神さまはこの4人の兄弟(姉妹)のことを知らなかったのか! と書いたが、だからこそ是枝監督は「この話」を映画にした訳で、映画を見ている観客はみな、最初は「神の目」で4人の兄弟(姉妹)と向き合うこととなる。で、YOUが演じる自分勝手で理不尽な母親に腹を立て、彼らが隠れ住むマンションの住人や大家といった周りの大人たちが事態をぜんぜん気が付かないことに苛立つのだ。

でもそのうちに、いつしか観客も子供たちの視線になっていることに気が付く。きっかけはカップ麺だ。特に「まるちゃん・そばどんべい」がじつに美味そうに画面に映る。箸を持つ手を見ると、次男は左利きだ。食べ終わった発砲スチロールの容器が、何故か植木鉢へと変身する。子供たちは道端や空き地の隅に咲く雑草の種を採ってきて、この「特製植木鉢」に蒔くのだ。意外なことに、ベランダに置かれたこの植物たちの世話を最も一生懸命するのがやんちゃな次男。映画の中での季節の移ろいと、特製植木鉢の中の雑草植物の成長と、子供たちの髪の毛の伸びが奇妙なシンクロを見せていて、何だか可笑しい。限りなく絶望的な状況の中でも、この子供たちは植物を育てはぐくむ。それは、彼らが未来を信じているからに他ならない。

この兄弟4人が信じる「未来」とは、結局は「母への愛」なのだな。母親には確かに今まで愛されてきた。だから、これからもおかあさんに愛されている自分でありたい。その思いが、彼らが生きる原動力になっているに違いない。だからこそ、長女の京子は母親の衣装タンスの中が最も心落ち着く場所であって、長男の明は、母親に「あなたはしっかり者で、妹たちの面倒もちゃんと見て偉いわね」そう言ってもらいたいがために、ほかの大人たちの力を借りずに、何とか自分で事態を切り開こうとしているのだ。

そう思うと、なんだか余計に切ない。母親から虐待を受けている子供は、それでも自分の母親のことを愛しているから虐待を受けている自分の人格を隠蔽消去して、別の人格を立ち上げた上で、それでも母親を愛して生きていこうとする(多重人格)という説を読んだことがある。何故なら、子供はどのような状況下でも、未来へのベクトルを持つことを課せられた人類だからなのだ。

●ぼくが中学生のころ、ノストラダムスの大予言が大流行した。幸い1999年を過ぎても地球は消滅せず未だに生きながらえている。でも、外来で診察する生後1年未満の乳児を見ていると、彼らが成人する時にはたして「日本国」がまだあるのかどうか自信はない。

 映画『誰も知らない』、伊那旭座1にて上映中       2004/12/16

●水曜日の午後は休診にしているのだが、このところずっと「インフルエンザ予防接種の特別接種枠」として休診にしていなかったので、昨日は久々のフリーだった。そうは言っても、午後1時半〜3時までは南箕輪村の乳児健診で、午後6時半からは伊那市医師会の幹事会。だから実質フリータイムは3時間半。ふと信毎の映画欄を見ると、伊那旭座1で今週1週間のみ、映画『誰も知らない』を上映している。次回上映時間は3時半から。これは、見るっきゃないなと即決で旭座へ出かけた。

館内には、めずらしく10数人の観客がいた。照明が落ちて前方のスクリーンが輝きだすと、やっぱり映画は映画館で見るべきだなあと、あらためて思う。

■映画のファーストシーンは、夜のモノレール羽田線の車内だ。主人公の少年が薄汚れたピンクのボストンバッグを愛おしそうに右手でさすっている。そこに「誰も知らない」のタイトルが入り、ゴンチチのウクレレによるテーマが流れる。これはすごい映画だった。2時間半近くあるのに、最初から緊張感を維持したままラストまで一気に見た。

是枝裕和監督の映画は『ワンダフルライフ』しか見たことなかったが、あれはしみじみいい映画だったな。劇映画なのにドキュメンタリーみたいにカメラは回り、プロの役者に混じって素人がごく自然な表情をしてみせた。冬の雪の日にロケした、戦前に建てられた古い研究施設の佇まいもよかった。彼はもともとドキュメンタリー出身で、東京から伊那まで何度も通って、伊那小学校のあるクラスを取材した番組を作ったこともある。

『誰も知らない』の英語タイトルは、"Nobody Knows"だが、この文章には続きがある。

Nobody knows the trouble I've seen.
Nobody knows but Jesus.
Nobody knows the trouble I've seen.
Glory Hallelujah!
言わずと知れた、黒人霊歌だ。賛美歌にもなっている。
でも、神は、いまと明日だけを信じてひたむきに生きる、この4人の異父兄弟の存在を、はたして知っていたのだろうか?
そのことを思うと、たまらなく切なくなって涙があふれた。ただそれは、いま流行りの「世界の中心で愛をさけぶ」的なセンチメンタリズムからは極北に位置する涙だ。

カメラの視線はあくまでもクールだった。ちょうど主人公の少年の眼差しが限りなくクールであったように。


長女「京子」役の女の子は、役の上での父親の木村 祐一とホントよく似ていたが、まさかホンモノの親子じゃないよねぇ(^^;) 彼女の疲れてはいるけど、兄を信じきっている表情がすごく印象に残っている。

●それから、この主人公の少年に『ギルバート・グレイプ』ジョニー・デップを重ね合わせていたのは、ぼくだけだろうか?

 『ほぼ日刊イトイ新聞の本』読了&「ほぼ日手帳」が来た! 2004/12/14

『ほぼ日刊イトイ新聞の本』糸井重里・著(講談社文庫)が、2001年4月にハードカバーで出た時の本を持っていて、じつは今までちゃんと読んでいなかったのだけれど、今回通して読み終わった。なんか、インターネットが明るい未来に開いていた、1998年当時の雰囲気がリアルに再体験できたような気がした。2ちゃんねるも、ブログも存在しなかった頃の話だ。あの頃は、しみじみよかったなぁ。

この単行本が出た、2001年4月の時点で「ほぼ日」の1日のアクセス数は、35万件。そうして、1998年6月6日にオープンした「このサイト」が、6年間休まず続けられてきた証として、「ほぼ日」はこの夏以来、1日100万アクセスを維持している。ぼくは正直「ほぼ日って、宗教みたいなもんだよなぁ」と思っていたのだが、この『ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読んでいたら、同じフレーズが終盤に登場した。

「『ほぼ日』って、もう宗教じゃないの?」とからかうように言う人もいるけれど、そういうときのぼくの返事は決まっている。
「宗教だよ。出入り自由の」
ブランドにしたって、恋人選びにしたって、どの町が好きかというようなことにしたって、根本的な理由なんてありゃしない。理由の外に、それを選ぶわけがあるものだ。それを宗教と呼ぶなら、『ほぼ日』だってもうとっくに宗教かもしれない。ただ、出入り自由である、ということがとても重要なのである。

(p231 /単行本版)
なるほどね、カッコイイこと言うなあ糸井さんは(^^;)

■で、今日、「ほぼ日手帳」が無事届いた。本を読むと、『ほぼ日』最初のオリジナル商品「ほぼ日・Tシャツ」を売った時の大変な話が載っていて、あれから6年経ったいまずいぶんと、スマートにフットワークも軽く成長したんだな、そう実感いたしましたデス。

▼本日初めて、インフルエンザ第1号が、発生した。岡谷市・川岸保育園の年長組の女児。
 いよいよシーズン突入か?

 内田麟太郎さんの講演会 in 伊那市            2004/12/12

●今日、12月12日は映画監督小津安二郎の誕生日です。でもこれからは、内田麟太郎さんが伊那に講演に来て下さった記念日として、ぼくの記憶の中に刻み込まれることでしょう。それほど印象的な(可笑しくって、楽しくって、意外でビックリして。そして、つらく悲しくなって、でも最後にまた笑わされて…)すばらしい講演会でした。

伊那市立図書館のパンフレットには、午後1:30〜3:30 と書かれていて、2時間あるけど、たぶんこれは講演会の後のサイン会の時間も含まれているのだろうな、そう思っていました。まさか本当に2時間まるまるお話されるとは! しかも、1分に1度は皆を笑わせて。凄いな。その後、さらに延々とサイン会でしょ。これは相当のエネルギーがいることですよ。そんなにサービスしてくれなくてもいいのにって、心配になってしまいました。

以前ここにも書いたことだけれど、上伊那准看護学院で30人の学生を前に週に1度1時間半の講義をすると、ものすごく疲れました。講義中はハイテンションになっているので疲労は感じないのだけれど、翌朝どっと反動が来て気が抜けたようになってしまうのです。だから、全国を講演に回られる内田麟太郎さんが、どんなにかエネルギーを消費されているか、ちょっとは分かるつもりです。あ、生意気な口のききかたでしたね、ごめんなさい、内田さん。

今日は、ほんとうにどうもありがとうございました <(_ _)>

■追伸: 10月に、名古屋のメルヘンハウスに行った際、たまたま内田麟太郎さんの話になって、店主の三輪哲さんは、こうおっしゃいました。「内田さんはね、言葉を発想するセンスがものすごいんですよ。これは誰にも真似できないですね」なるほどなぁ。ホントにそうだよなぁ、とその時思ったのですが、今日は、その発想の仕方と創作の秘密の一端をお聞きすることができて、すごくうれしかったです。

え? どんなお話だったかって?  それはヒミツです(^^;;)

 加藤家へいらっしゃい!                 2004/12/11

『黒革の手帳』(木曜よる9時:テレビ朝日系列)が終わってしまった。『大奥:第一章』は来週が最終回だそうだが、結局どちらも通して見ることはできなかった。木曜日は、よる7時半から『テレビチャンピオン』(テレビ東京)があって、毎回なんやかやと子供たちも最後までいっしょに見てしまうので、その後2階に上がって寝かせつけるから『黒革の手帳』は見られないし、たいていそのまま子供といっしょに寝てしまうので『大奥:第一章』も見られない。

状況は金曜日とて同じ。でも、金曜日は『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』だけなので、夜8時にはお風呂に入って9時前には寝る。ハッと目が覚めると、夜11時半。あわててリビングに下りると、『探偵!ナイトスクープ』はまだやっている。続いて『タモリ倶楽部』を見て、チャンネルをそのままにしておくと(長野朝日放送)、不思議なローカル番組が始まった。それが、この『加藤家へいらっしゃい!』だ。

名古屋テレビ(メーテレ)製作のホームドラマ(シチュエーション・コメディ)なのだが、役者全員が「だがや」とか「おみゃぁ」とか名古屋弁で会話し、愛知県人でないと判らないローカルネタ・ギャグを連発するのだ。例えば、JR名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」は何故「ビルディング」でなくて「ビルヂング」なのか? とか。『中学生日記』で見たことがある役者さんがでているのも懐かしい(^^;)

中央道を飛ばせば、1時間半で行ける名古屋は、案外近くて遠い都会だ。人口220万人以上の人が住む大都市だから、たしかに都会のはずなのだが、いつ行っても不思議と東京へ出た時のような田舎ものが上京しました的な気後れを感じたことはない。何故なら、名古屋そのものが巨大な田舎だからだ。地下鉄に乗ったり、名古屋駅前地下街とか歩くと何となくあかぬけない感じがいつもするのだが、そのあたりの雰囲気を、名古屋出身の演出家、堤幸彦が軽妙にギャグに仕立てている。いわば自虐ネタなのに、名古屋の人はそのことに気が付いていないんだね、どーも。(^^;)

ところで、名鉄バスセンタービルの地下食名店街の「名物スパゲッチイおじさん」を、あなたは見たことがありますか?

■正しいキムチ鍋の作り方■ は、また次回。

 ほぼ日手帳と『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一・著(集英社新書) 2004/12/09

『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一・著(集英社新書) 読了。これは面白かったし、いろいろな事がよく解った。「モ・ノンクル」はフランス映画だが、父−息子の関係では絶対に得られないものが、叔父−甥の斜めの関係ならば可能なことが確かにあるのだ。あの「日本地図をひっくり返した」網野史観が、どのような土壌で醸し出されたのか、その片鱗が覗けたこと。それから、網野善彦氏の著書は難しくて読んでもよく解らないのだが、この本で中沢新一氏が丁寧に分かり易く解説してくれたことで、理解が進んだことがうれしかった。

意外なことに、この本の中で最も魅力的に描かれている人物は網野善彦氏その人ではなく、中沢新一氏のおとうさんだ。そのことに何よりも感動した。それにしても、この「中沢家の人々」はみな不思議すぎるぞ(^^;)。この家に生まれた宗教学者・中沢新一がどうしてそのような人生を歩むことになったのかが、なんだかすっごく納得できたし、網野善彦氏の話とコラボレートしながら、中沢氏自身の「出自」に関わる話に終着するその展開は、読みながらスリリングだった。中沢新一、 網野善彦、両氏に興味がある人には絶対のオススメ本。

●12月7日(火)は、ほぼ日手帳の、ネット上での追加販売日だった。午前11時から受付開始だったのだが、診療の合間にアクセスしても、ぜんぜんつながらない。昼休みになって、もう一度チャレンジしたらアクセスできた。でも、一番欲しかった「オレンジ色の牛革オイルコーティング」は、既に sold out。売り出しからまだ2時間も経ってないのにね。

ぼくは昔から自分のスケジュール管理が苦手で、今年も、すっぽかしとダブルブッキングが数件あって、関係者には多大なご迷惑をおかけした。ごめんなさい。そんな反省もあって、2005年は「スケジュール手帳」を購入して、ちゃんとしたスケジュール管理をしよう、そう決めたのだ。という訳で、どうしても「ほぼ日手帳」が欲しかった。

数回のアクセスを繰り返して、ようやく「グリーン・ティ」色のナイロン・カバーの手帳をゲットできた(^^) でも、その日の夜には、用意された1万冊の「ほぼ日手帳」は完売したそうだ。これって、もしかすると、ちょっと怖い話かもしれない。

「キムチ鍋」の話は、スミマセン、また次回ということでお許し下さい。

 手作りのメサイア演奏会                  2004/12/05

●寝不足+二日酔いのボーっとした頭で、ふと気が付くともうお昼過ぎ。あわてて子供たちを高遠の母に預けに行って、その足で妻と伊那文化会館へ。午後1時半開演の「手づくりのメサイア演奏会」を聴きに行くのだ。付近の駐車場がどこも満杯だったことと、時期はずれの嵐が去った後の名残りの強風、それと横殴りの雨に見舞われたために、会場入りした時には既に演奏会は始まっていた。

3Fに上がって、2階席中ほどに落ち着く。女性(中学生〜80歳のおばあちゃん)100人弱+男性40人弱の大合唱団が、迫力のコーラスを響かせていていきなりビックリ。地元一般公募でこの日のためだけに結成されたこの合唱団は、2年前から練習を重ねてきたのだそうだ。凄い!うまいじゃん! ソリストも地元出身の声楽家で、すばらしい歌声を聴かせてくれた。PAなしであれだけ大きな会場の隅々まで一人の人間の声が染み渡るとは、これまた驚きだ。演奏は、伊那フィルの精鋭メンバーが担当。弦がよく鳴っていたねぇ。チェンバロもトランペットのソロをとった人もすごく上手かった。指揮は田中真郎先生。ぼくが高校の時の合唱部の顧問の先生だ。

クラシック素人のぼくは、ヘンデルの「メサイア」全曲を聴くのは今回が初めて。ヘンデルはドイツ生まれだけど、イギリスで作曲されたので英語の歌詞なんだね。第二部最後の曲「ハレルヤ」だけは知っていた(^^;)

●じつを言うと、あまり期待しないで仕方なく妻のお供で出かけたコンサートだったが、いやいや素晴らしい演奏会でした。感動しました。

 「ヒロシです。」                  2004/12/03

●明日の土曜日は、北原こどもクリニックの忘年会です。

毎年、スタッフ一同、薬問屋さん一同、北原ファミリー一同のそれぞれが出し物を何かやります。
さて、今年はどうしようか、じつは今日まで何にも考えていなかったのでした。悩んだ末に「ヒロシです。」をやることに決めた。Google で検索したら、ヒロシのバックで流れている「あのBGM」は、1969年のイタリア映画『ガラスの部屋』の主題曲で、ペピーノ・ガリアルディというイタリアの男性歌手が歌っていることが判った。

さらに深く検索すると、この曲が収録されたCDは、『僕たちの洋楽ヒット vol.4』(BMGファンハウス/ BVC2-34002) で、その7曲目であることが判明。さっそく TSUTAYA へ行ってみたら、このCDはレンタルコーナーには置いてなく、CD販売コーナーで探したら、vol.4 だけが何故か売り切れだった。残念!

しかたないので、アピタ横の「ゲオ」まで行って探したら、ありましたありました(^^) 300円で無事レンタルできましたよ。「よかったとです!」

■てなワケで、これから「ネタ」を仕込まなければなりませぬ。今夜はまだまだ眠れないぞ!

 岩波ジュニア新書 『野口英世』井出孫六・著 読了   2004/12/01

●新しい千円札を手にする度に、何かこう落ちつかない毎日が続いていたのだった。と言うのも、同じ医者でありながら、ぼくは野口英世のことをほとんど知らないのだ。小学生の頃、伝記を読んだ記憶はある。だから、幼い頃の左手の火傷の話と、遠くアフリカの地で黄熱病に倒れ亡くなったことを知っている。でも、それだけ。大学を出ているわけではない野口英世が、どうやって医者になったのか? 徒手空拳で渡米したと言われているが、本当に「空手の先生」としてアメリカに渡ったのか?(徒手空拳を辞書で引くと「事業などを始める時に資本などの用意が無いこと」と載ってた(^^;;)

そんな思いもあって、本屋さんでたまたま目についた岩波ジュニア新書 『野口英世』 井出孫六・著 を読んだのだ。新書だから、2日もあればさっと読める。これも、なかなかに面白かったな。

野口英世という人は、日本人の中で最も数多く伝記が書かれている偉人だそうで、現在300冊以上の本が出版されているのだそうだ。井出孫六氏のこの本は、あくまでも歴史的事実を淡々と記述することに徹していて、その点がすごく好感が持てる。ただちょっと冷たいような気もするな。それから、もっともっとゴシップ的下世話な話題が、野口英世の場合はあるはずなのに、岩波ジュニア新書であるからか、排除されているような気がする。本当の野口英世は謎に満ちていた人で、事実は伝記作家でさえも分からないのだろう。「こんなサイト」もあった。

明治時代の当時、政府の肝いりで官費で医者が留学したのは、みなドイツだった。森鴎外がそうだ。長州藩・津和野の出身で、東京帝国大学医学部卒業後、ドイツへ留学。当時、医学界で名を成すためには、東大医学部卒業 → ドイツ留学 → 凱旋帰国 という道しかなかったのだ。ところが、野口英世は違った。大学を経ずに医師国家試験に合格し、順天堂→北里伝染病研究所を経てアメリカに渡った。このアメリカに行ったというところがスゴイ! 先見の明があった。

野口英世が生まれた会津では、どんなに優秀な人材でも明治政府の中で出世することはできなかった。明治以降は、会津人は逆賊だったからだ。そのことを痛感する恩師や友人が、彼を熱烈にバックアップするのだ。そのあたりのことは、「ここ」を読んでもらうとよくわかります。SF作家の星新一の父親で、星製薬の創業者である星一(はじめ)氏が、野口英世と親友だったとは知らなかった。今度は、星新一が書いた「星一の伝記」を読んでみようかな。


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