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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
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2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月>  

●「不定期日記」●

 八代目 桂文楽(その3)                2005/04/28

●TBS金曜よる10時からの『タイガー & ドラゴン』が面白い。第2回の「饅頭こわい」が、こういう展開になるとは思わなかったな。阿部サダヲ。いや、凄かった(^^;)

この1月にパイロット版で放送された「三枚起請」は見なかったのだが、数々の男どもを手玉にとって、それを屁とも思わないあの花魁の役が、伊東美咲なんだね。なるほどなぁ、よくできてるね >脚本家! で、次回の「お題」は「茶の湯」てんで、じつはこの噺を聴いたことなかったから、先週末に小児科学会で上京した際、銀座山野楽器へ行って、三代目・三遊亭金馬の「茶の湯」が入ったCDを見つけて買って帰りましたよ。知ったかぶりのご隠居と、いいかげんな小僧さんの噺。生意気な子供が登場する噺は、金馬さんの得意ネタ。いや、面白かった。さて、これがどんなテレビドラマになるのかな?

八代目 桂文楽に関して書かれた文章は多い。ぼくが目にしたのは、まだその極わずかだが、こんなのを見つけた。

 暑いにつけ寒いにつけ、桂文楽を思い出す。(中略)
つくづく思うけれども、昭和の落語家では文楽と志ん生が抜き出た存在だな。そのもっとも大きな理由は、二人ともそれぞれのやり方で、自分の落語を創りあげたことにあると思う。古典の方に自分から寄っていってしがみつくのではなく、自分の方に古典落語をひっぱり寄せた。

 古典というものは(落語に限らず)前代の口跡をただ継承しているだけでは、古典の伝承にはならない。前代のコピーでは必ずいつか死滅するか、無形文化財のようなものと化して烈しい命脈を失ってしまう。リレーというものはそうではないので、その時代に応じて新しい演者が、それぞれの個性、それぞれの感性で活かし直していく、それではじめて古典が伝承されていくのである。(中略)

 桂文楽は典型的な古典と思われているようだけれども、あれはコピーではないのである。速記本で前代の演者が同じ演目を演じているのを見ると、そのちがいがわかる。
 たとえば「寝床」は、往年は、周辺を辟易させる旦那の素人義太夫の方に力点がかかっていた。文楽のは旦那と長屋衆の心理のおかしさが見せ場になっている。
『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ2(芸能)』(ちくま文庫)p89〜p90 より。このはなし、もうすこし続く。

 八代目 桂文楽(その2)                2005/04/25

●落語「寝床」のサゲ近くの場面。

(旦那)「誰だ、泣いてんのァ? 定吉じゃねぇか、ええ? こっちイ来な、こっちイ」
(小僧)「(泣きながら)悲しゅうございます」
(旦那)「なにィ? 悲しい? ほおオ。番頭さん、ごらんなさい。ええ? こんな小さな子どもでさえ、義太夫を聴いて感に堪えて悲しいと言ってるんだ、ええ? いや偉いな。う、どこンとこだ、え? 何がそんなに悲しかった? 『佐倉宗五郎の子別れ』か?」
(小僧)「(泣きながら)ううん、そんなんじゃあないン、そんなんじゃあないン」
(旦那)「違うか? じゃぁ『先代萩飯炊き場』だな」
(小僧)「(泣きながら)ううん、そんなんじゃあないン、そんなんじゃあないン」
古今亭志ん輔さんは、この場面、それらの義太夫のさわりを節をつけて語ってみせたのだ。これには驚いた。他の噺家さんの「寝床」では聴いたことがない。なるほど、ここで義太夫を習いに行った成果が出てるんだね。

◆持ちネタを練りに練って、磨きあげ、洗練された完璧な話芸を誇った、昭和の大名人八代目、桂文楽は、その完璧主義からリアリズムを追求した人であった。
『船徳』を稽古したときには実際に船を雇って櫓や竿の扱い方を船頭から教わったそうだし、幇間が活躍する『つるつる』では贔屓の旦那に頼んでせっせと幇間(たいこもち)をあげてもらって、彼らの一挙手一投足を観察したという。
「『素人鰻』を習っていたときには、鰻をいっぺんにぎってみなきゃいけないと思って、そいからにぎりましたよ。なかなか、あなた、つかまるもんじゃござんせん。あのヌラてえもんはありませんからね」
  『落語への招待』江國滋(朝日文庫)p298 より
だから当然「寝床」を仕上げるために義太夫を習いに行ったはずで、それで木乃伊取りがミイラになってしまったというわけだ。高座ではない場所では、桂文楽はまるで幇間(たいこもち)の一八のように、常に周囲の人たちの機嫌がいいよう、心を配る人だったという。リアルを追求するあまり、落語の登場人物そのものになっっちゃったんだな。

●よく言われることに、志ん生が草書だとすれば、文楽は楷書。志ん生がジャズだとすれば、文楽はクラシック というのがある。ぞろっぺぇの志ん生の落語が、ジャズのアドリブ・ソロ演奏のように一度として同じデキのことがないのに対し、文楽の落語は、同じ噺を百回聴けば百回とも寸分たがわぬ出来だったという。だからクラシックなのだ。(まだつづく)

 八代目 桂文楽                     2005/04/21

●今週日曜日は、20日(水)の午後、茅野の聖母幼稚園で行う「上伊那・諏訪幼稚園協会」での講演準備のため、午前3時頃起き出して、しこしこと作業を続けていた。明け方、外が白々と明るくなってきたころ、ふとテレビを付けてチャンネルを回すと、TBSで、あの古今亭志ん輔さんが、「寝床」を演じていた。ちょうど 「ここ」を読んだあとだったので、よけいに興味深く面白く聴かせてもらった。

志ん輔さんは、「寝床」をやるなら、ちゃんと義太夫の勉強をしてからでないといけないと、銀座のお師匠さんに入門したんだって。ぼくがテレビを付けた時には、すでに中盤にさしかかっていて、すっかりへそを曲げて「店子にはね、明日の12時には店を開け渡して出ていってもらいますからねっ!」と啖呵を切った旦那さんの機嫌を、番頭さんが上手に上手に回復させるところからだった。

あ、これは古今亭志ん朝の「寝床」だよォ!。

吉兵衛さんって、ご存じィ? え? あの番頭さん、いい番頭さんだった。あの番頭さんだってそうですよ。ね? うん。あの旦那の義太夫のために、人生が狂っちゃったン(中略)

近い距離でまともにくらってんだからたまんないよォ。ええ?おお。吉兵衛さんはねェ、もう体はぶるぶるぶるぶる震えてくるねえ、顔がこうひきつっちゃう。脂汗は出てくる。ああ、もうこれまでだと。命には換えられないから、「旦那ァ、勘弁してくださァいっ!」って庭へパアッと逃げるってェとね、旦那が見台を持って、「待てェェッ!」、追っかけながら義太夫を語ったんだよ。ねえ? しょうがないから吉兵衛さんは蔵ン中へ入っちゃったン、ね?

戸を閉めて中から鍵をかっちゃった。さあ、蔵のまわりを旦那は見台を持ったまんま、「ふんんんんーーーーー」ってんで回ってた。そのうちに蔵の窓に気がついたんだね。梯子を持ってきてそこイかけて、上へ上がって窓から蔵ン中へ義太夫を語り込んだんだよォ。あの狭い蔵ン中にあの義太夫が渦を巻いたんだよォ。中にいる吉兵衛さんは七転八倒の苦しみだよォ。そのあくる日だよ、あの人は書き置きを書いて逃げちゃったのはァ……
●これは『志ん朝の落語(3)』(ちくま文庫)「寝床」p77〜p78 からの抜粋で、志ん朝さんの演じた「寝床」だが、志ん輔さんも同様に語っていた。まさに正しい古今亭だよね。志ん生志ん朝の路線を正統に継承している。もう、うれしくなっちゃうな(^^)

 桜は満開                        2005/04/19

      

●4月16日(土)の夕方は、パパ's の倉科ファミリー、宮脇ファミリーと共に、伊那の春日公園で満開の桜の下にシートをひいてのお花見。この日は、地元上伊那の酒造メーカーと、西町商工組合が共催する「新酒まつり」が春日公園内で開かれていて、パパたちは、1000円で7枚綴りのチケットを手に、1チケットで小グラス1杯の日本酒を次々と試飲。おつまみコーナーも充実していて、空きっ腹に冷や酒で、ぼくは一気に酔っぱらってしまいましたよ。

各ファミリー持ち寄りで、御重に食べ物はいっぱい。あったかいおでんもある。パパたちはおおいに酔っぱらって満足だったのだけれど、ママたちは、帰りの車の運転があるので飲むことができず、ちょっと不満が残ったみたい。ほんと、すまんなぁ(^^;;

●4月18日(月)は、診療終了後の夜7時過ぎに高遠へ。満開の夜桜見物だ。実家で夕飯をご馳走にになったあと、母もいっしょに高遠城址公園へ。夜8時半過ぎだというのに、公園への道は渋滞が続いていた。写真は、満開をちょっと過ぎた18日夜の高遠城址公園・コヒガンザクラ。きれいだったよ。

 さよなら、高田渡さん                  2005/04/17



●土曜日の未明、フォークシンガーの高田渡さんが亡くなった。北海道のライヴツアー中、4月4日の公演の後に倒れ、救急車で釧路市内の病院へ入院。彼の意識は、そのまま回復することはなかった。享年56。

2月11日に、伊那市内の「 Jazz Cafe "Base"」 で、彼のライヴを聴いたばかりだったのに…… そういえばあの時、糖尿病の薬やら何やら1回に10錠以上の薬を飲んでいると言ってたし、奥さんからは「あなた、あんまり働かないで下さいね。都営住宅に居れなくなってしまいますから。それに、お酒もダメですよ!」そう言われてるんです、と苦笑していた。だから、体にキツい厳寒の信州や、早春の北海道をわざわざ巡業しなくてもよかったのに。ねえ、渡さん。

悲しいな、ほんと悲しい。

あの日、サインしてもらった2枚のCD。まだ、どうしても聴く気になれない。辛くてね……


●ところで、『タイガー&ドラゴン』だが、もう一度よく見直してみたら、「芝浜」というモチーフを実に上手く使って物語を展開しているので感心した。しかも、テンポがもの凄くいい! 落語はリズムとテンポが命だからね。脚本家は、そのことをよーく心得ているみたいだ。前回は悪口言っちゃってごめんね(^^;) これは毎週楽しみだな。それから、春風亭昇太さんが出てるのは聞いていたが、高田文夫さんが出演してるとは知らなかったよ、と思ったら、高田文夫ではなくて阿部サダヲさんだったんだね(^^;) 彼の「怪演」も見ものデス。

さて、明日月曜日の「ほぼ日」テレビガイドでは、どのような評価が下されるのか、ちょいと楽しみ(^^)

 映画『美女缶』を 見た。               2005/04/15

●で、『タイガー&ドラゴン』(TBS・金曜日よる10時〜)のHD録画を見ながら書いているのだが、いきなし初回で、何故「芝浜」なんだ? だって、「芝浜」は大晦日の噺でしょ。桜が咲く春の噺じゃ、ないよね。こういうことって、大事じゃない? もしかして、根本的なことが分かってないんじゃないか? >脚本家!

春の噺なら、やっぱ、『愛宕山』だよね。


ところで、水曜日に『世にも奇妙な物語』をテレビで見た。いや、たまたま電源を入れたら、ちょうど4話目の『美女缶』をやっていたんだが……。

妻夫木聡って、ほんと上手いな。いや、それ以上に監督:筧昌也って、マジ凄いな!

ずば抜けていたよね、この日の話の中で。テレビのレベルを、軽々と超越していたな。あんまりビックリしたんで、翌日の木曜日の晩に「TSUTAYA」に行って映画版『美女缶』DVDを借りてきて見たんだ。(続く)

 『花岡ちゃんの夏休み』清原なつの(りぼんコミックス)  2005/04/12

●翻訳家大森望氏のホームページが、開設満10周年を迎えた。1995年4月6日オープンだから、ぼくが初めて見に行った時には、すでに1年半が過ぎていたのだ。それにしてもスゴイねぇ。まるまる10年間も「日記」をアップし続けているのだから(しかも現在進行形で)。

最近の【狂乱西葛西日記520◆中江有里と……編】は面白かったな。日曜日の深夜、時々BS2にチャンネルを変えて『週刊ブックレビュー』を見る。で、思うことは大森望氏と同じだ。女優、中江有里って、本当に芸能界一の(もしかして児玉清以上の)読書家かもしれない(^^;)

【2月17日(木)】の日記を読むと、少女マンガの話題が載っている。大森望氏は、昭和36年の2月生まれだから、ぼくの2学年年下になる。ということは、大学生の時にリアルタイムで毎月『りぼん』を購入していた時期が、たぶん僕といっしょだ。その大森氏の「少女マンガ・ベスト1」『花岡ちゃんの夏休み』清原なつのと知って、ぼくはビックリした。だって、ぼくの「少女マンガ・ベスト1」も、『花岡ちゃんの夏休み』清原なつのだったからだ。ちなみに、ベスト2もおなじで、ぼくも倉多江美(^^;) ベスト3は違うな。ぼくは『絶対安全剃刀』高野文子だ。

あの頃は、男子大学生が「少女マンガ」を夢中になって読んでいたのだ。大島弓子、小椋冬美、陸奥A子。それに、岩館真理子もいた。一条ゆかりが『砂の城』の連載を終えて『有閑倶楽部』の連載を始めた頃のことだったと思う。同級生の林竜介くんが、じつに面白そうに『りぼん』を読んでいた。「少女マンガの何がそんなに面白いの?」って訊いたら、「北原らぁ〜これ、読んでみなよ」と、彼が差し出したのが、清原なつの『花岡ちゃんの夏休み』だったのだ。で、半信半疑で読んでみた。面白かった。いや、ものすごく面白かった。正直、カルチャーショックだった。

同じく同級生の山登敬之くんは、ぼくに椎名誠・著『さらば国分寺書店のオババ』と、『絶対安全剃刀』高野文子を貸してくれた。こちらも、大変なカルチャー・ショックだったよ。あれは、昭和53年〜57年のことだったと思う。なんだか、とっても懐かしいな(^^;)

 パパ's 絵本ライヴ in 駒ヶ根市            2005/04/10

●今日、日曜日の午前10時半から、駒ヶ根駅前のビル「アルパ」3Fにある「アルパ子育て交流支援室」で、伊那のパパ's「10回目の絵本ライヴ」をやってきた。3月〜4月は、われわれパパたちは皆それぞれにものすごく忙しいので、今回は打ち合わせをする時間が取れず、当日の10時に会場に集まってから段取りを決定した。段取りと言っても、ただジャンケンをして「絵本」を読む順番を決めただけだが(^^;;

ところで、そのジャンケンを提案したのはこの僕なのだが、言ってから自分がめちゃくちゃジャンゲンに弱いことを思い出したのだ。案の定、僕が一番負けて、トップバッターに決まった(^^;) 本日の順番は、「歌1」→「北原パパ」→「宮脇パパ」→「坂本パパ」→「歌2(手遊び)」→「倉科パパ」→「伊東パパ」→「歌3」 ということで決定。

今日の会は「駒ヶ根の若いパパたち」の企画と聞いていたのだが、どうもそうではなくて「アルパ子育て交流支援室」の主催のようだ。せっかく父親同士で共闘して盛り上がろうと思っていたのに、ちょっと残念。でも、ぼくらのライヴにはめずらしく、5人ものお父さんが聞きに来てくれましたよ。うれしかったな。10組くらいの親子+いつもの身内のサクラという感じで、今回は0〜2歳児の、まだ保育園に通っていない小さい子供がほとんどだったのが特徴。人数が多すぎて収拾がつかなくなるより、これくらいの参加メンバーだとアットホームな雰囲気が出来上がって、かえってよかったのかもしれないね。

子供たちが小さいので、メンバーはみな絵本の選択に苦労したみたい。われわれの「パパ's」の一番いいところは、誰がどの絵本を読むかは、読む本人の自主性に全て任されていることだ。だからみな、その直前まで「なにを読もうか」ものすごく悩む。悩み抜いて選んだ絵本が、子供たちに受けるとは限らない。そのライヴ感がまた、たまらないんだな(^^)

さて、<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ・文、大和田美鈴・絵(すずき出版)の歌にのって、メンバー5人が自己紹介。

2)『バルンくん』こもりまこと・作(福音館)→「北原パパ」

3)『かいぶつかいぶつ』メラニー・ウォルシュ作、いとうひろし訳(徳間書店)→「宮脇パパ」

4)『ぐやん よやん』長谷川 摂子・文、ながさわ まさこ・絵(こどものとも年少版 267/1999/6月号・福音館)→「坂本パパ」

5)『いっぽんばしにほんばし』中川ひろたか・文、相野谷由起・絵(アリス館)→「パパたち全員」で手遊び歌

6)『あそぼうよ』五味太郎・作(偕成社)→「倉科パパ」

7)『かあちゃんのせんたくキック』 平田 昌広・作、 井上 洋介・絵(文化出版局)→「伊東パパ」

8)『世界じゅうのこどもたちが』新沢としひこ・詞、中川ひろたか・曲(講談社)→「全員で歌」


◆ということで、今日も無事終了いたしました。さて来週は、春日公園でパパ's の「お花見」だぁ!

 古今亭志ん輔さんのホームページ            2005/04/08

●このところ「ヒマ」なもんだから、患者さんが途切れると、ADSL常時接続のモニター画面をあてどなく眺めながら「ぼーっ」としている。ネット・サーフィンなんて言葉は、当の昔に死語となってしまったが、まさに「それ」をやっているのだ。最近では、滅多に「当たり!」はない。

でも今日は、その滅多にない金鉱を掘り当てた! 古今亭志ん輔さんのホームページだ。このサイトの「徒然日記」が凄い。これがじつに読み応えがあるのだ。日記とはなっているが、古今亭志ん輔・回顧録といったほうがよい感じで、古今亭志ん朝に入門したての見習い時代に始まって、前座のころのはなし、二つ目の頃のこと、そして真打ち昇進と、貴重な写真とともに思い出ばなしは続くのだ。楽屋裏の「素の表情」の噺家や芸人をデジカメで写真に撮ってあるのも、すごくいい。志ん朝さんをはじめ、柳家小さん・元落語協会会長など、鬼籍に入ってしまった名人の写真も多い。

古今亭志ん輔さんといえば、ぼくは昔からよーく知っていた。ブタくんと登場する「おかあさんといっしょ」はもとより、『のりもの探検隊』のビデオには、息子ともどもずいぶんとお世話になったものだ。

当時1歳半になった長男は、平安堂の2階にビデオを借りにいくと決まって、2本のうちの1本は『のりもの探検隊シリーズ』を選んだ。おかげで、父さんも何故か地味な特急列車に詳しくなったものだ。丹後エクスプローラーとか、湯布院の森とか、東武特急「けごん」とか。でも、志ん輔さんの落語は未だに聴いたことがない。そうだ、ぜひ今度、聴きに行ってみよう。

●で、反則とは知りつつ、志ん輔師匠の文章が如何に上手いか実証すべく、以下に何篇か無断転載させていただこうとしましたが、やっぱりマズいので、リンクを張りました。

2004年2月22日(日) 真理

2004年3月30日(火) 電信柱、2004年4月3日(土) 石灯籠

金原亭馬生 (#1〜#3)2004/04/29 〜 05/01
金原亭馬生 (#5〜#7)2004/05/02 〜 05/07

2004年6月6日(日) 柳家

2004年7月24日(土) ボナ・植木

2004年8月18日(水) 真打前後 #17 番外 vol.1 桂 三木助

2004年10月2日(土) 志ん朝忌 #1
2004年10月13日(水) 志ん朝忌 #7
■噺家はみな、文章が巧い。でも、古今亭志ん輔さんの文章は、寄席と古今亭の空気がビビッドに伝わってくる名文だと思う。これを本にしようと思う編集者はいないのか? じつにもったいないね。

 「こん」のぬいぐるみ               2005/04/06

●妻が「こん」を作ったのは、もうずいぶん前のはなしだ。『母の友』2004/5月号の付録で付いてきた実物大型紙を使って、同号に載っている「作り方」を見ながら作ってくれたから、去年の4月下旬のことだと思う。ちょうどいいボア生地が見つからず「絵本のこん」よりも少しモコモコした感じ。写真には写っていないが、ちゃんと「しっぽ」もあるよ。

『母の友』2004/5月号は、現在品切れで入手不可能だが、福音館書店のサイトに行くと、「こんを作ろう」というページがあって、カラー写真入りの作り方が載っている。型紙もダウンロードできますよ。

    

 『お話を語る』 松岡享子(その5)「間の働き3」 2005/04/05

●今日でこの話はお終いです。

『子どもへの絵本の読みかたり』古橋和夫(萌文書林)を伊那市立図書館から借りてきて読んでたら、また、間の働きのはなしがでてきた。

読みかたりでの「間」について ◆ - 「間で聞き手を魔法にかける」 - ◆

「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある」
        フルトヴェングラー、芦津丈夫訳『音楽ノート』(白水社)

2つの「間」について
「間」の取り方というのは、休止のことです。この休止については、「論理的休止」と「心理的休止」があると言ったのは、演出家のスタニスラフスキー(『俳優の仕事』千田是也・訳、理論社)です。(中略)

スタニスラフスキーによりますと、「論理的休止」とは、「いろいろの小節や文を機械的に分けて、その意味をはっきりさせる」休止のことです。文章には、句読点がありますが、それが意味のひとまとまりをつくっています。論理的休止とは、この句読点のところに置かれる「間」のことです。

もうひとつの「心理的休止」とは、「思想や文や言語小節に生命を吹きこみ、その台詞の裏にあるものがそとにあらわれるようにする」「間」のことです。(中略)

たとえば、『おおきなかぶ』を例にとりますと、「おじいさんは かぶをぬこうとしました。『うんとこしょ どっこいしょ』……」というところで、「間」をとります。「うんとこしょ どっこいしょ」という言い方は、おじいさんが力を込めてかぶをにいている様子です。それにつられて、聞き手の方も思わず力が入ってしまいます。「ぬけるかな」という期待が高まります。

このような「間」を置いてから、「ところが かぶは ぬけません」といふうに語りますと、その場のイメージに力を感じていた分、抜けないという事実との落差に意外性を感じていくのです。また、それが楽しくおもしろい読みの体験です。このような「間」が「心理的休止」であるといってよいでしょう。(p64 〜 p74)

●何だか、分かったようなわからんような解説だが、またまた出ました、有名なスタニスラフスキー・システム。このあたりのことを、松岡享子さんは、もっと直感的に分かりやすく説明してくれます。例えば、こんなふうに……

ところで、には、ここに述べたふたつの基本的な働きのほかに、もっと微妙な、もっとおもしろい働きがあります。たとえば、場面転換に使われるとか、聞き手の気持ちをひとつにまとめるなどです。

お話には、パッと場面が変わるとか、長い時間が経過するとかいったように、そこで話が大きく変わるときや、生まれたときある予言をされていた女の子が、時が経ってその予言の成就する年頃になりました……といったときなど。これは、お芝居でいえば、いったん幕が下がったり、暗転したりするところです。ただ、お話では、それができませんから、そこで十分にをとることで、場面の転換を表現します。こうしたは、いわば聞き手の心のスクリーンをいちど白紙にして、そこに新しいイメージを迎え入れる準備をする働きをしているといえるでしょう。

もっと強力な、もっと効果的なは、話のクライマックスで用いられるです。これは、緊張を盛りあげるためのといえばよいでしょうか。たとえば、風船をふくらますときなど、強く息を吹きたいとき、わたしたちは、いったん息をとめて、それから勢いをつけて息を吐きだします。それと同じように、話のおしまいなどで、だんだん積みあげられていったサスペンスが一挙にくずれるとき、あるいは大きなどんでんがえしがあるときなど、もちあげられ、ふくらんだエネルギーが一気に開放される場面では、この「息をとめる」がとられます。「エパミナンダス」の話のおしまいで、「エパミナンダスは、足のふみ場に気をつけましたよ、気をつけましたとも」のあとに来るなどがそれです。

このは、語り手と聞き手の呼吸を共調させる動きをもっています。わたしは、音楽の演奏でも、物語の語りでも、演劇でも、演者と聴衆が時間を共有して行う芸術では、両者の間に一体感が生み出されるときには、両者は同じ呼吸をしているのではないかと思います。ともあれ、少なくとも、さきの述べたような、”劇的”瞬間には、両者の呼吸は一致していなければなりません。聞き手は、このときの語り手の一言で、ホーッと緊張をといたり、「ワァーッ」と笑ったりするわけで、そのときには、そろって息を吐かなければなりません。そのための時間、それがなのです。つまり固唾をのむ時間というわけです。

このことについて、亡くなった落語家の柳家金語楼が、たいへんおもしろいことをいっていました。金語楼は、あるインタビューで、「人を笑わせるこつはなんですか?」と聞かれたのに対し、言下に、「それは、人が息を吐く寸前におかしなことをいうことです」と、こたえていました。そして、「人間というものは、息を吸いながらでは笑えないものですよ」と、いっていましたが、なるほどと思いました。そういえば、落語の下げの前には、必ず、たっぷりしたがあります。その瞬間、聴衆が揃って、「……?……」と息をとめるからこそ、次の瞬間、一斉にドッと笑えるのです。には、まちまちに吸ったり吐いたりしている聴衆の呼吸を一致させる働きもあるわけです。(p99 〜 p101)『お話を語る』(日本エディタースクール)
■というわけで、もう一度「読み聞かせ」と「落語」との共通点が登場したのでした(^^;)

 他のページも更新しました 2005/04/03

●今日は、「おとうさんと読む絵本」と、「今月の1曲」を人知れず、更新しました。

松岡享子さんの「間のはなし」の続きは、また次回。

 『お話を語る』 松岡享子(その4)「間の働き2」 2005/04/01

●1月26日のはなしの続き。月曜深夜の日テレ、なぞなぞのクイズ番組『サルヂエ』に続く番組が、『爆笑問題の文学のススメ』だ。たいてい惰性で見ているのだが、その日のゲストによっては時々ものすごく面白いことがある。今週登場したのは、鴻上尚史さんだった。彼も、ぼくら1958年生まれであることは知っていたが、愛媛県人だったんだね。

彼は言った。役者の表現方法として、感情というものを一切排除しても、例えば「声」のさまざまな表情を活用することで、十分に表現できるのだ、と。役者が発する「声」は、どう変えられるか? 

1)声のピッチ(高い・低い)
2)声の強弱
3)声のテンポ(速い・遅い)
4)声の質(怒った声・甘えた声・悲しい声など)
5)声を発する「間」

これらのことを意識して自分の声を発すると、何も感情論うんぬんでなく、役者の多彩な表情を表現できるのだ。爆笑問題の太田クンは、日大芸術学部演劇科出身だが、演劇は「型から入ること」が重要であると力説していたことが、とても面白かった。なるほどねぇ。

高塚人志先生のコミュニケーション・スキルアップのWSに参加したことは、じつは一度もないのだが、演劇的技法を学ぶ、鴻上尚史さんや、平田オリザさんのWSも取り入れていったら、もっと面白くなるんじゃないかなぁ、ふと、そう思った。(つづく)

 和泉流「狂言」と同じ、ダブル・ブッキングをしてしまった! 2005/03/30

●昨日の火曜日はたいへんだった。この日の午後は、伊那市の3歳児健診が入っていた。それは分かっていたのだ。ところが、午前の診療中に電話が鳴った。南箕輪村の保健師さんからだった。「今日の午後は、3か月健診です。よろしくお願いします」と。「えっ!? そんなバカな……」どちらの健診も午後1時半開始。まったくのダブル・ブッキングではないか! ひえぇ〜、どうしよう(^^;;;;;

同じ時間の二つの会場に、一人の人間が存在することはできない。でも、それぞれ30分ずつ時間をずらせば可能かもしれない。という訳で、南箕輪村の「3か月健診」を午後1時から始めて40分間で終了し、10分で移動して、午後1時50分からは「3歳児健診」を伊那市健康センターで始めた。乳児健診の「はしご」は初体験だったが、何とかこの危機を乗り越えることができたのだった。でも、もうこんな危ない橋は渡りたくはないな(^^;)

●日曜日のはなしの続き。「が〜ん!」スキーウエアーを着たまま固まってしまったぼくらだが、仕方ないので再び車に乗り込み、小淵沢へと戻ったのだ。目指すは久々のおもちゃの「イカロス」

ここでは、『おもちゃの王様』相沢康夫・著(PHP)に載っていた、ドイツの天才ゲーム・デザイナー、アレックス・ランドルフが作ったゲーム『すすめコブタくん』と、『ガイスター』を見つけることができて、うれしかったよ。『こぶたのレインボーレース』は、大小2つあって、小版は \2800 だった。こたつ板の上で遊ぶには、これで十分かな。『ガイスター』もなかなかに奥が深いゲームだ。じつに面白い。もっともっと研究する余地があるな。

■ところで、「おんぶ」することを、英語では"Piggy back"と言うらしい。『こぶたのレインボーレース』には、そう書かれている。ブタがおんぶするのだ。そこで、はたと気が付いた。先週買って帰った絵本『おんぶはこりごり』アンソニー・ブラウン著、藤本朝巳・訳(平凡社)の、オリジナル・タイトルは「 Piggy Book」なのだ。なんだ、オヤジ・ギャクだったんだね(^^)

さて、お昼の時間となった。昼食はどうしようか? と思ったら「イカロス」の斜め前にイタリアン・レストラン「マジョラム」があった。2001年夏のオープンだから、すでに3年が過ぎている。店の前は何度も通っているが、いつも駐車場がいっっぱいで、今まで訪問する機会がなかったのだ。ところが、ここは大当たり!これほど美味しいピザとパスタは近年味わったことがない(ちょっと大げさに褒めすぎなので、はなし半分で信じてね(^^;;)。人知れず小淵沢の山中で、このようにレベルの高いイタリアンを提供する店があったとは!……

う〜む、ますます小淵沢界隈が好きになったぞ! 

 富士見高原スキー場に行ったら、なんと既に閉鎖されていた。 2005/03/27

●スギ花粉が猛烈に吹き荒だ次の日は、急に冷え込んで雪が舞った。診察室から西の中央アルプスに目をやると、山際までまっ白。西箕輪では5cm ほど雪が積もったという。という訳で、イナバ物置に収納するつもりだったスキーを玄関に残しておいた。快晴だった今日の日曜日の午前9時半、さっそうとスキー靴とスキー板を積んで、今シーズン最後のスキーへと、車で出発したのだった。

目指すは富士見高原スキー場。小淵沢インターで下りて、右折。一路「富士見高原スキー場」へ。連休から1週間たったためか、スキーを積んだ車と、ほとんど会わないのだ。鉢巻き道路の突き当たりを左折しても、道路の周囲にはほとんど雪は残っていない。これは意外だった。

駐車場は空いていた。なんと、今まで一度も入ることができなかった最上階の駐車場まで、いとも簡単に入場することができたのだ。でも、スキーを滑っている人はひとりもいないよ! あれ? そうか! スキー場は先週で閉鎖されたのだった! 知らねぇよなぁ〜 そんなこと。(つづく)

 Flu とスギ花粉症で、体調絶不良         2005/03/25

●日曜日の八ヶ岳・原村が寒かったためか、月曜日の夜遅くになって「ゾクゾクッ」と嫌な寒気がした。火曜日の朝起きると、節々は痛み、頭は重く熱っぽかった。幸い高熱は出なかったから、タミフルとリポビタンゴールドを飲んで気合いで1日乗り切った。水曜日は半日なので、午後しっかり静養したらずいぶんと気分は良くなり、木曜日には体も楽になった。

ところが、金曜日になって急にアレルギー性鼻炎と結膜炎が噴出した。生まれて40年以上、アレルギーとはまったく無縁だったのに、3年前、突如スギ花粉症を発症したのだ。今まで人ごとで分からなかったのだが、これは辛いね。苦し
いね。今年は特にきつい。昨日は強風が吹き荒んでいたからなぁ。

●今日金曜日の午後は、「いなっせ」7F「子どもネットいな」での、月に一度の「おはなし会」。今回のお題は「保育園に入園するにあたって」。不調でボーっとした頭はまったく回転せず、言いたかったことの半分も伝わらなかった。こういう時に限って、長野日報と伊那毎日新聞の記者が取材に来ていて、白衣ではない、冴えないラフな私服姿も写真に撮られてしまった。いやはや。

今日「いなっせ」で読んだ絵本は、

『こちょこちょこちょ』内田麟太郎・文、長野ヒデ子・絵(童心社)、
『それはすごいなりっぱだね!』市川圭子・文、高橋和枝・絵(アリス館)
『おんぶはこりごり』アンソニー・ブラウン /作絵、藤本朝巳 / 訳(平凡社)。

●おはなし会の終わりに、この会がまる1年間続いたことを祝して、「子どもネットいな」のみなさまから、素敵なランの鉢植えを頂戴した。本当にうれしかったです。無償の活動ということでお願いしてきたのに、こんなりっぱなものを頂いてしまうと正直困ってしまうのだが、内容はともかく1年間続けたという事実を評価していただけて、ほんとうれしかったです。井口さん、石倉さん、そして井上さん。ほんとうにどうもありがとうございました。

 COCO'S へ行った                2005/03/23

「パパ's 絵本ライヴ in 天使幼稚園 2005/03/12」をアップしました。見て下さい。

●今日は次男の卒園式。謝恩会も無事終わって帰宅した妻に、卒園式のビデオを見せてもらいながら、二人してまたウルウルきてしまった。息子よ、君が3歳で天使幼稚園に入園した当時は、まだまだ「赤ちゃん」が抜け切れていなかったのに、知らぬ間にたくましくなったのだなぁ…… 父さんはうれしいぞ。ウルウル。

夕方、妻が慰労会に出かけたため、父子で留守番。今日の夕飯は「COCO'S」へ連れていくと、以前から息子と約束してあったので、18時を回ったばかりのまだ早い時間帯を狙って、冷たい雨の中を車で向かう。

伊那高遠線と竜東線が交差する角にあった「グルメドール」が突如閉店して、改装工事のあと「COCO'S」に生まれ変わって再オープンしたのは、ちょうど1週間前のこと。ここは駐車場が止めにくいのが難点だったなぁ、などと思いながら店内に入ると、なんと、もうすでに満席に近い状態。ぼくらが座って待ている間にも、続々とお客さんが入ってくる。ものすごい人気だ。田舎の伊那市では、すでに供給過多かと思っていたのに、ファミレス需要がまだまだ高いことに驚いてしまった。とはいえ、ぼくらだって目新しさにやって来た訳で、リピーターをどれだけ掴めるかが、これからの勝負だな。

まだ時間が早かったので、5分ほどでテーブルに案内された。注文するものは親子ともどもすでに決まっていた。ここの看板商品である「包み焼きハンバーグ」。ドラえモンのCMで刷り込まれているからねぇ(^^;) ところが「申し訳ございません。ただいま売り切れてしまいまして、ご提供できません」ですって。まだ夕方の6時半前だというのにですよ。仕方なく、子供らは「お子さまランチ」を、お父さんは「2種類選べるツインパスタ、サラダ付」を注文した。混んでいる割には、それほど待つことなく注文した食べ物がテーブルに並んだ。これは合格。味は、可もなく不可もなくと言ったところか。子供らは「おいしい、おいしい」と食べていたが(^^;;

「COCO'S」の第1号店は、ぼくがまだ学生だった頃、当時住んでいた「学都里荘」というアパート近くの「学園西大通り」沿いにオープンした。今から20年ちょっと前のことだ。ぼくは何だか「カリフォルニアの風」とかいうキャッチコピーに気後れして、結局、1回しか行ってみなかったなぁ。ファミレスよりも、行きつけの食堂や、中華の「珍来」のほうが入りやすかったからだ。

その気持ちは、いまも変わらない。レジで3000円出して、おつりを333円受取ながらふと思った。あれ、この間「みしま食堂」で親子4人で食事した時は、たしか 2500円でおつりがきたよなって。その満足度といい、コストパフォーマンスといい、父さんはやっぱり「ご町内の食堂」のほうが好きさ。


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