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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月>  

●「不定期日記」●

 「絵本おじさん」って、すごいぞ!          2005/07/28

●ネットでいろいろ見ていると、世の中にはけっこう「絵本を読んでいるお父さん」がいることが確認できてうれしくなってしまう。ただ残念なことに、その多くの場合は自分の子供に絵本を読むことで満足して完結してしまっていることだ。これはじつにもったいない。自分の子供に絵本を読むことと、見ず知らずの不特定多数の子供たちの前で絵本を読むことは、まったく異なる体験だ。後者のほうが、その満足感、達成感、充実感において圧倒的にまさっている。ただ、そのことに気付いている父親は少ない。だから、その快感を「読み聞かせボランティア」のオバサンやおばあさんたちに奪われてしまうのだ。これは本当にもったいないことだと思うぞ。だって、父親が読んだほうが絶対に子供たちに受ける絵本を、教育的で良心的なオバサンたちは絶対選ばないからだ。

●全国でも先進的な「不特定多数の子供たちの前で絵本を読むオヂサンたち」をここに紹介しよう!

1)「エプロンおじさん」

2)中川良孝さん

3)ブックドクター「あきひろ」さん

4)絵本パフォーマー岸田典大さん

5)岐阜市「おおきな木」店主・杉山三四郎さん

6)S出版営業部の篠原さんが中心となって千葉県・茨城県で活動する『出前 絵本の会』

7)松本市沢村の絵本専門店「ちいさいおうち」店主でJPIC読書アドバイザー養成講師でもある越高一夫さん

8)そうしてトリに控えしは、「絵本おじさんの東京絵本化計画」。その意気込みはほんと凄いです。感服します。

 笑福亭鶴瓶「鶴の間」          2005/07/26

●笑福亭鶴瓶の一番の魅力は、まったく打ち合わせなし、出たとこ勝負、100% アドリブでのやり取りの中で最も発揮されるように思う。上岡龍太郎との長年に渡る掛け合い番組「パペポTV」、新野新との「ぬかるみの世界」などのラジオ深夜放送の中から培われてきたものだとは思うが、これは鶴瓶の持って生まれた天才的な才能なのではないだろうか?

まったく打ち合わせなしとは言っても、相方が決まっていれば二人の息もぴったり合って、あうんの呼吸で「こう出ればああ返す」といった予想もできるだろう。ところが、日テレ 火曜日よる 24:20〜24:50 『鶴の間』では、鶴瓶には舞台に上がるまで「その日の相方」が誰なのか? まったく知らされていないのだ。とにかくこれが面白い。ちょうど、斑尾ジャズフェスティバルの夜のジャムセッションで、共演するのは初めてのジャズメン同士が、丁々発止のアドリブソロの応酬を繰り広げるのをライブで見るのと同じ興奮と緊張がある。

放送されるのが毎週火曜日の深夜という、1週間のうちでも記憶にとどめ難い中途半端な時間帯なので、どうしても見逃してしまうことが多いのだが、ぼくが見た、中川家のお兄ちゃん、キングコング梶原、キャイ〜ンのウド鈴木、そうして今日の次長課長の河本と、みなすごく面白かった。ただ、明石家さんまが登場した回はつまらなかったな。

 『ドリトル先生航海記』         2005/07/21

『魔法のことば』柚木沙弥郎・絵、金関寿夫・訳(福音館書店)とは直接関係ないけれども、ジョン・ドリトル先生はすごいね。さまざまな「動物語」を駆使して、あらゆる生き物と会話できるのだから。

■小学3年生の長男は、『コロコロコミック』なら毎日いくらでも一人で読んでいるのに、いまだに「本を自分で読む」ということがない。同学年の子供の中には「ハリー・ポッター」や「デルトラ・クエスト」のシリーズを一人でどんどん読んでいる子もたくさんいるというのに。図書館から借りてくるのも図鑑か「マンガ偉人伝」のようなシリーズものばかりだ。でも考えてみたら、ぼく自身が小学校3年生だった頃、本なんかぜんぜん読まなかった。放課後は校庭か裏山へ遊びに行って、暗くなれば家に帰ってテレビ見てマンガ読んで。そんな毎日だったような気がする。

小学校の高学年になって、江戸川乱歩の「怪人二十面相シリーズ」や、「名探偵ホームズ」「怪盗ルパン」のシリーズをようやく読むようになって、その後はハインラインのジュブナイルSFから国内外のSFへとぼくの興味は移っていった。だから、ぼく自身がいわゆる「児童文学」と呼ばれるジャンルの中の有名な本の数々をほとんど読んでいないのね。恥ずかしながら。

河合隼雄さんの著作とか読むと、面白そうな児童文学小説がたくさん紹介されていて、今までぜんぜん知らずにきたことが、何だかものすごくもったいないことのように最近感じていたのだった。そんなある日、こんな名案を思いついたのだ。毎晩寝る前に少しずつ、小学3年生の息子に「児童文学」の有名な本を音読して読み聞かせるのだ。そうすれば、ぼくも息子も楽しめて一石二鳥というワケだ。

じつは、いつの日かその時が来るであろうと、7年前からこつこつと児童文学本を集めてきたのだった。「ファーブル昆虫記」「シートン動物記」「ナルニア国シリーズ」「ゲド戦記」「くまのパディントン・シリーズ」「冒険者たち」「二年間の休暇」「海底二万里」「宝島」「大どろぼうホッツェンプロッツ・シリーズ」「トムは真夜中の庭で」「ルドルフとイッパイアッテナ」「日本少国民文庫、世界名作選(一)(二)」などなど。岩波書店の「ドリトル先生物語全集」は『ドリトル先生と秘密の湖』以外はハードカバーで全巻そろった。「ケストナー全集」はこれから購入する予定。

というわけで、まずは『ドリトル先生アフリカゆき』ロフティング、井伏鱒二・訳(岩波書店)から読み始めた。たしか、5月中旬のことだと思う。ドリトル先生シリーズの良いところは、チャプターが短くてしかも各チャプターごとに山場が用意されているので、読み手としてはすごく楽な点にある。毎晩、よる9時過ぎに読み始めて、2チャプターぐらい読むのにちょうど15分。物語が始まってすぐに、小学3年の息子はもうドリトル先生に夢中になった(しめしめ(^^;) ええっ! いったいどうなるの?? と息子が言ったところで「この続きは、また明日」というのを1か月も続けると、ちょうど1冊読み終えることができる、といったあんばいだ。

●先日、長かった(でも、ものすごく面白かった)『ドリトル先生航海記』を読み終わり、息子のリクエストで3冊目の『ドリトル先生の郵便局』に突入した。この本もじつに面白いぞ! でも本当は、父さんとしては『点子ちゃんとアントン』ケストナー を読みたいのだよ(^^;;

 松本文化会館へ「お笑い」を見に行ってきた         2005/07/18

●昨日の日曜日は当番医だった。予想をはるかに超える患者さんが大挙してやって来た。9時から夕方5時までのはずが、99人目の最後の患者さんを診終わった時には、午後6時を回っていた。正直疲れたなぁ。これじゃぁ普段の月曜日となんも変わらんじゃん! でも、お昼の「ちむら」のちらし寿司があったからこそ、スタッフ一同なんとか乗り切れたのだった。「ちむら」の大将、ホントありがとうございました (^^;) おいしかったよ!

●日付が変わって月曜日。今日は朝から「ピーカン」。どうやら梅雨は明けたのかもしれないね。午前10時過ぎに家を出て一路松本へ。お盆しか夏休みが取れない開業医にとって、今年のお盆は「公民館の夏祭り」が入ってしまったため、夏休みにどこへも行けなくなったので、今日はプレ夏休み第一弾!となったのだった。昼飯をどうするか何も相談してはいなかったのだけれど、伊北インターを過ぎたあたりで妻がふと言った。「かつ玄の新しい店って、国道沿いにあったよね」なんとその15秒前、ぼくは「久々の松本! となれば、カツが食いたいよな。確か、国道19号を左折してしばらく行くと、かつ玄の出店があったよなぁ」ほんとそう考えていたのだ。まさにその時、妻の一言があったのだ。以心伝心とはよく言ったものだな。不思議なテレパシーを最近よく感じるのだった(^^;;;

と言うわけで、昼飯は「かつ玄」

古い民家を改装した「この店」は、じつにいい佇まいをしている。背景となる裏庭もよく手入れされているし、注文した「カツ」が来るまで、卓上の「4つの小鉢」が舌を楽しませてくれる。この夏一番の暑さだったのに、風が通り抜けて不思議と涼しいのだ。今回は(ちょっとケチって)「ひれカツ & 大海老フライ 定食」を2人前。「かつ玄」と言えば、おかわり自由のキャベツとご飯だ。でも、なんと! 冬瓜のみそ汁までおかわり自由だったのだ!

●というワケで、お腹一杯になったわれわれは、R19を北上してしばらく行ったところを左折。吊り橋を渡ってすぐの信号を右折。目指すは「ラーラ松本」。でも、波のプールはやっぱ、リゾナーレ小淵沢だよなぁ。梅雨明けのこの日、「ラーラ松本」はものすごい人の波であったぞ。

■午後2時半にはプールをあがって、そこから目指すは「松本文化会館」「松文お笑い祭り〜ホリプロコムライブ番外編」平成17年7月18日(月・祝)中ホール 1回目13:00 2回目16:00全席指定 2,500円(子供料金はなし)
出演:江戸むらさき、ホリ、号泣。の「2回目」を見るのが本日の主目的であったのだ。

とにかく、うちの息子たちは「お笑い通」なのだが、中でも一番好きなのがほとんど「笑いの金曜日」や「エンタの神様」などのテレビに登場しない「江戸むらさき」なのであった。たまたま録画した「お笑い番組」がテレビ東京の番組で、そこに登場した「江戸むらさき」を見て、うちの息子たちはすっかりファンになってしまったのだ。だから、ライヴで「生」で観たい! そう思ったのね。

でも、会場となった松本文化会館中ホールって、キャパが中途半端に大きいんだな。開演10分前になっても、会場の席は5分の1も埋まっていなくてがっらがら。伊那文化会館の「小ホール」のほうが、よっぽどよかったのに。それでも、ライヴは始まった。最初に登場したのは、長野県出身(長野市篠ノ井の幼なじみで、屋代高校、佐久長聖高校出身)の漫才コンビ「号泣」だ。彼らが思いのほか面白かった。テレビでは見たことなかったのに(^^;)

ボケ役の赤岡典明が、絶妙のタイミングでボケをかますのだが、これが大笑い。雰囲気としては「フットボールアワー」岩尾望のボケの感じなのだが、本当に面白い。何となく地味で、あまりテレビ向きでないことがじつに惜しいと思うぞ! がんばれ!「号泣」

ホリは、ちょっと「だるい地方廻りの営業で客の入りも悪いし、やる気しねぇよなぁ」といった感じがモロでてたかな。それでも後半は力を入れて演じてくれたよ。特に「キムタク」『赤ずきんちゃん』の朗読には笑った笑った。

さて、本日のトリは「江戸むらさき」。前半、松本の地方ネタで外しまくって心配したのだが、後半は手堅く「ショート・コント」集。いやぁ、面白かったなぁ(^^)

ステージから3列目の正面席で観ていたのだが、この距離だと、時々演者と目が合うのね(^^;)

途中で、「江戸むらさき」のコント・ネタの「リクエストに応える」コーナーがあった。
「ハイ!」うちの長男が手を挙げた。「小悪魔やってください!」

そうそう! 「江戸むらさき」と言えば、このネタさ。さっすが「お笑いフリーク」の我が息子よ、 偉いぞ! 彼らはちゃんと息子のリクエストに答えてやってくれましたよ! しかも、超熱演だったよなぁ(^^) 

ありがとうね、江戸むらさき

 『魔法のことば』            2005/07/17

●福音館書店から出ている絵本のタイトルは、『魔法のことば』柚木沙弥郎・絵、金関寿夫・訳(福音館書店)でした。

オリジナルの詩は、『おれは歌だ おれはここを歩く』(アメリカ・インディアンの詩)金関寿夫・訳(福音館書店)に載っている。再掲すると、こんな詩だ。

ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、時には動物だったり、
互に区別はなかったのだ。
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。
その時ことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、不思議な力をもっていた。
ぐうぜん口について出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった---
したいことを、ただ口に出して言えばよかった。
なぜそんなことができたのか
だれにも説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。
●金関寿夫・訳と、中沢新一・訳とでは、ずいぶんと印象が異なる。アラスカ・エスキモーの言葉を英訳したアメリカ人の原詩が違うからなのだろう。どっちがいいかは個人の好みだが、ぼくは中沢新一・訳のほうが「スッ」と心に入ってくるかな。

『子どもプラス vol.17 / 絵本、大好き!』(雲母書房)を見ると、16ページに『魔法のことば』を編集した松田素子さんの、この本が世に出るきっかけが書いてある。ここなんか読むと、なんだかすごく安心してしまうのだ。あぁ、ちゃんと分かっている人が「絵本の作り手」の中にいるんだなって。

福音館書店の『いまは昔むかしは今』のシリーズを出版した編集者、菅原啓州氏が子供の本の送り手側にいたことも、日本の子供たちにとってどんなにか幸福であったことか。ほんと、つくづく、しみじみそう思ってしまうよなぁ。

菅原啓州さんは、立教大学で児童文化の講義をしているんだね。なんだか面白そうじゃないか。

 なぜ「絵本」の世界では、動物が2本足で立って言葉をしゃべるのか?  2005/07/15

●ということの謎が、ここ数年来のぼくの大きな疑問であったのだが、分かったようで判らない瀬田貞二さんの文章よりは、中沢新一さんの考えを借りたほうがもっとスッキリするような気がしてきた。例えば、『人類最古の哲学』中沢新一(講談社選書メチエ)を読み始めると、23ページに、こんなイヌイットの伝承が載っているのだ。

はじまりのとき、動物と人間のあいだには、ちがいがなかった。
その頃はあらゆる生き物が地上に生活していた。
人間は動物に変身したいと思えばできたし、
動物が人間になることもむずかしくはなかった。たいしたちがいはなかったのだ。
生き物は、ときには動物であったし、ときには人間であった。
みんな同じことばを話していた。
その頃は、ことばは魔術であり、霊は神秘な力を持っていた。
でまかせに発せられたことばが霊妙な結果を生むことさえあった。
ことばはたちまちにして生命を得て、願いを実現するのだった。
願いをことばにするだけでよかったのだ。
しかし説明したらだめになる。昔は万事がそんな風だった。

(ミッシェル・ピクマル編『インディアンの言葉』中沢新一・訳、紀伊国屋書店)
この話は、たしか福音館書店から「絵本」になった。タイトルを今日は思い出せないけれども。


『ポーの話』 から 中沢新一『カイエ・ソバージュ』へ        2005/07/14

●いしいしんじ『ポーの話』は、「わたし」が存在して「いる」ことに「気づいている」自分の「こころ」の在処を探求する物語だと思う。季刊誌『考える人』(2005年夏号)(新潮社)が「心と脳」をおさらいするという特集だったので買ってきた。気鋭の脳科学者、茂木健一郎『心を生みだす脳のシステム』(NHKブックス)をドキドキしながら読んだのは3年半前だが、結局あれから脳科学の分野では「心脳問題」に関しては何ら大きな進歩がないことを知って、ちょっとがっかりしてしまった。こっちの方向から攻めるのは、まだ無理なのかもしれない。

『意識と存在の謎』(講談社現代新書 1317)p33〜 34 で、高橋たか子さんは「クオリア」ことを語っている。何も最新鋭の脳科学理論を駆使しなくとも、中世16世紀スペインの人里離れた修道院で、瞑想と修行の日々の中、「自分の心のそこ」の底まで何度も潜って行った経験を持つ「サイコ・ダイバー」アヴィラの聖テレサのほうがよっぽど「人間の意識の謎」に関してよく判っていたのではないかと思ってしまう。

どうもこっちの方向から行ったほうが近道かもしれない。となると、中世スペインで留まることはできない。時代を一気に遡って、今から3万年前の旧石器時代〜中石器時代を振り返って注目する必要があるのだ。この時期、それまで栄華を極めたネアンデルタール人にとって代わって、クロマニヨン人(現ホモ・サピエンス)が全世界に広がってゆく。彼らの外観は、ネアンデルタール人とそうは変わらなかった。ただひとつ大きく違っていたのが脳の構造だったのだ。

中沢新一『対称性人類学』カイエ・ソバージュV(講談社)の24ページを読むと、こんなことが書いてある。

私たちは『カイエ・ソバージュ』の一連の講義の中で、一貫して、現生人類の知的能力は三万数千年前におこったと考えられる大脳組織の飛躍的な変化以来、本質的な変化も進化もとげていない、という現代の認知考古学の見解を支持する立場に立ってきました。神話の思考は、そのとき実現された現生人類の「心の構造」から、直接に生み出されたものにほかなりません。そのため、私たちの心の内奥の仕組みを知るために、神話はきわめて重要な意味をもっているのです。
というワケで、『カイエ・ソバージュ』第一巻『人類最古の哲学』中沢新一(講談社選書メチエ)を再々度、高遠町図書館から昨日借りてきた。今度こそ、ちゃんと読み通すぞ!

 パパ's 絵本ライヴ(つづき)                   2005/07/12

●今回の絵本ライヴは、ウクレレが醸し出すホンワカとしたじつにいい雰囲気に包まれて、子供たちの反応もよく楽しかったな。小学校の親子文庫だが、兄弟関係で保育園児もけっこう来ていた。前から2列目のまん中に座っていた年長さんくらいの女の子は、ちょっとクールでおませな感じ。ぼくが『バナナです』を読み終わって拍手も鳴り止み、みんなで次の歌の準備にかかったその時、静かになった会場にその女の子の大きな声が響き渡った。

ばっかじゃないのぉ〜 『バナナです』ってぇ」

年格好に不釣り合いな、その醒めた大人をバカにしきった口調が可笑しくて、会場は大爆笑。ぼくも苦笑しながら「いや、それをいっちゃぁ おしまいよ」と小声で呟いたのだった(^^;;

当日は、読売新聞本社の記者さんが取材で僕らに同行した。わざわざ東京から電車を乗り継いで、4時間かけて伊那までやって来てくれたのだ。読売新聞の全国版で現在連載中の「教育ルネサンス」で、この8月に「親の教育力」という特集を組み、各地でいろんな活動をしている「親たち」を取り上げるのだそうだ。

でも、「バナナです」とか「うんちっち!」とか言っているお父さんたちが、はたして「親の教育力」のお手本になるのかどうか、ぼくにはまったく自信がないのであった(^^;)


●次回「伊那のパパ's 絵本ライヴ」は、8月27日(土)午後1時半〜3時 まほら伊那「地球元気村」伊那市・鳩吹公園の野外会場にて

初めての野外ライヴだよ。 飛び入りパパさんも大歓迎! いろいろと新趣向を検討中!
お天気になればいいな。

 パパ's 絵本ライヴ(その12) 伊那市東春近小学校・親子文庫   2005/07/10

●昨日の9日(土)午後3時から、われわれ伊那のパパ's 「絵本ライヴ」(その第12回)が行われた。場所は伊那市・東春近小学校、音楽室。主催は同校の「親子文庫」です。会場の音楽室には、親子合わせて50人強の人たちが集まってくれたよ。おとうさんも2人いるぞ! このところパパたちはみな忙しくて打ち合わせの時間も取れず、今回も直前に簡単な段取りの取り決めと歌の練習をちょこっとしただけだったが、そのまま勢いで本番に突入だ。

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版) → 全員で歌 & 自己紹介

前回の辰野西小学校からほほ2ヵ月。なんかずいぶんと久しぶりな感じだ。倉科パパは、アロハシャツにウクレレ持って、ジェイク島袋のような出で立ちでキメてきたぞ。ウクレレの伴奏で歌うと、ハワイアンぽく夏向きでいいねぇ(^^)
2)『きょうはなんてうんがいいんだろう』宮西達也(すずき出版) → 伊東パパ

3)『バナナです』『りんごです』『いちごです』川端誠(文化出版局) → 北原パパ

4)『かごからとびだした』いぬかいせいじ・藤本ともひこ(アリス館)→ 全員で歌・手あそび

5)『うんちっち』ステファニー・ブレイク(PHP研究所) → 宮脇パパ

6)『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子・文、降矢なな・絵(福音館書店) → 倉科パパ

7)『いっぽんばしにほんばし』中川ひろたか・文、曲、相野谷由起・絵(アリス館) → 全員で歌・手遊び

8)『世界中のこどもたちが 103』新沢としひこ、中川ひろたか → 全員で歌

9)『ぶうたんとかがみのぶうたん』あきやまただし(PHP研究所) → 倉科パパ(アンコール)


●「絵本ライヴ」終了後、なんとパパたちそれぞれに子供たちから花束贈呈があった。花束をもらうなんて初めてだったので、パパたちはみな大感激だったよ。

 『ポーの話』 いしいしんじ(新潮社)     2005/07/08

●一人の作家が、言葉では到底説明できないような領域の「思索」を、まる2年間も四苦八苦しながら「一つの物語」に紡ぎあげてようやく出来上がった本。それを読者であるぼくは、たった3日間で読み終えてしまったのだから、作者に対して何だか申し訳ないような気がしてしまう。

それにしても、壮大なスケールでもって人間存在の謎に迫るような、深い深い物語であったよなぁ。すごく満足のいく読後感だったよ。本の腰巻きに「圧倒的書下ろし長編!」「最高傑作!」とあるが、ぼくもいしいしんじの最高傑作であると思う。『プラネタリウムのふたご』よりもずっと完成度は高い。ぼくの大好きな『麦ふみクーツェ』以上の出来ばえだ。芥川賞とか、取ってくれないかなあ。直木賞って感じの本ではないんだよなぁ、7月の候補作には間に合わなかったけれど。

●泥の川の両岸に広がる町のイメージは、人間の脳だ。左岸の「山の手」的街並みは「左脳」で、右岸の喧噪とした街並みが「右脳」。無数の橋がかかる「泥の川」は「人間の意識」を思わせる。うなぎ女を母親として、この泥の川で生まれた主人公の「ポー」は、泥のように混沌とした「意識」の中を自在に泳ぎ回り、ときには「無意識」の深い深い底の方まで潜っていって、意識の底で忘れ去られてしまった「いろんな物」をサルベージしてくる。川は流れ流れて、やがて海につながる。そして……

でも、そんなふうに無理に意味づけしないで、読者は主人公の「ポー」の行動に一喜一憂しながら、いっしょに川を下ってゆけばよいのかもしれない。ものすごく哲学的で形而上学的な小説ではあるけれど、エンターテインメントとしてじつによく出来ている小説だから。例によって、主人公と係わるさまざまな登場人物たちのキャラクター造形がすばらしいし、第一部、第二部の終わりには、ぐいぐい引きつける大きな山場が用意してある。とにかく一気に読ませる力があるのだ。

●ぼくはこの『ポーの話』を読みながら、以前に読んで(ワケわかんなかったのだけれど)圧倒された『意識と存在の謎』高橋たか子(講談社現代新書 1317)をもう一度じっくりと読んでみようと思った。

 意識とは何かについては本論でくわしく述べてゆくことになるが、意識は、人間ひとりひとりの悲喜劇の演じられている舞台を、内側から時々刻々つくりだしている、見えない巨大な演出家だ、と言ってもいい。それを知ることなしには自分というものがわからぬままとなってしまうけれども、知るといっても、その全貌を人間が知ることはできないほどまでに、茫洋と無限なる域である。
 そこへむけて、古今東西の宗教者・哲学者・芸術家の、ある種の人たちが、それぞれの仕方で、直感し、探索し測深し、見極めようとしてきたのである。

『意識と存在の謎』(p6 まえがき より)

 下諏訪 うなぎ「小林」        2005/07/05

●先週の土曜日の夕方、高遠の兄が下諏訪まで「うなぎ」を食べに連れていってくれた。名店として名高い「うなぎ 小林」だ。噂には聞いていたが、訪れたのは初めて。

早めの時間だったが、店はお客でいっぱい。幸い、食べ終わった家族連れと入れ替わりで、あまり待つことなく席につけた。目一杯お腹を空かせたみんなの前に最初に運ばれてきたのは「白焼き」だ。大分名産の柚胡椒か、安曇野の生わさび+醤油にちょいと付けていただく。口の中で「ふわっ」ととろけてしまう、そのウナギの旨いことといったら! こいつは癖になりそうだ。

その後、各人がたのんだ「せいろ蒸し」「うな重」「うな丼」がテーブルにならんだ。ぼくは、\1800 の「うな重」にしたのだが、これまた満足の逸品でしたよ。飯山日赤時代に食べた「本田のうなぎ」以来のうまさ。いやぁ、ご馳走さまでした。

●うなぎと言えば、泥水の川でウナギを採って働く「うなぎ女」たちを母として生まれた「ポー」の物語、いしいしんじ『ポーの話』(新潮社)を、日曜日に松本の鶴林堂書店まで行って買ってきた。松本在住のいしい氏は、ときどき鶴林堂書店を訪れては自著にサインをしていると「ごはん日記」に書いてあったからだ。購入した本には、確かにサインがあった。白いペンで、釣り糸と魚の絵が添えられている。まるで絵本作家みたいな丁寧なサインでうれしかったな。

『ポーの話』は、読み始めてさっそくに引き込まれてしまった。500年ぶりの土砂降りが町を襲ったところまで読み終わったのだが、この後どのように話が展開してゆくのか、まったく見当もつかない。ゆっくりじっくり読みたいものだ。

 長新太さんのこと(その4)      2005/07/03

●ところで、うちに長新太さんの絵本が、いったい何冊あるのだろうか? と、ふと思って、いま、待合室や書庫や子供部屋など、あちらこちらからかき集めてきました。

1)『ないた』中川ひろたか・文(金の星社)2004/9月
2)『ゴムあたまポンたろう』(童心社) 1998/03/25
3)『わたしのうみべ』(佼成出版社) 2002/03/30
4)『こいしがどしーん』内田麟太郎・文(童心社) 1992
5)『だぐちる だぐちる』V・ベレストフ 阪田寛夫 (福音館書店) 1993/11/25
6)『ゆうちゃんとしんくんと  へんてこライオン』(小学館) 1998/12/20
7)『まねっこねこちゃん』(ベネッセ) 1996/11/09
8)『ちへいせんのみえるところ』(ビリケン出版) 1998/10/
9)『へんてこへんてこ』(佼成出版社) 1988/03/15
10) 『ふゆめがっしょうだん』冨成忠夫、茂木透・写真(福音館書店) 1986/01/01
11) 『ごめんなさい』中川ひろたか・文(偕成社) 1999/07
12) 『せんせい』大場牧夫・文(福音館書店) 1992/04/01
13) 『おなら』(福音館書店) 1978/12/01
14) 『わたし』谷川俊太郎・文(福音館書店) 1976/10/01
15) 『おしゃべりな たまごやき』寺村輝夫さく オリジナル版(福音館書店)1967/03/01
16) 『おしゃべりな たまごやき』寺村輝夫さく 改訂版(福音館書店)1972/12/10
17) 『ろくべえまってろよ』灰谷健次郎・作(文研出版) 
18) 『ごろごろにゃーん』(福音館書店) 1976/01/01
19) 『キャベツくん』(文研出版) 1980/09
20) 『ブタヤマさんたらブタヤマさん』(文研出版) 1986/09/20
21) 『キャベツくんとブタヤマさん』(文研出版) 1990/07/
22) 『帽子から電話です』長田弘・作(偕成社) 1974/12/
23) 『シュレミールと小さな潜水艦』斉藤洋・作(講談社) 1989/01/13
24) 『やわらかい頭』(リブロポート) 1992/04/20
25) 『めのまどあけろ』谷川俊太郎・文(福音館書店) 1984/01/
26) 『にらめっこしましょ』こどものとも0・1・2(福音館書店)
27) 『よくばり たーこ』ちいさなかがくのとも 2004年6月号(福音館書店)

さがせば、もう少し見つかると思うけれど……


 長新太さんのこと(その3)      2005/07/01

●学研の雑誌『Pooka /vol.02』にも載った、長新太 × 西巻茅子 対談(2003/01/11 ちひろ美術館にて)の全文を、ネット上(ちひろ美術館のサイト)で読むことができる。これ面白いなぁ。

長新太さんのロングインタビューは、小野明さんの『絵本の作家たち I』(別冊太陽/ 平凡社)で読むことができるが、絵本館の編集長、有川裕俊さんによるロングインタビューが「2004年CBLの会ブックカタログ おもしろい図書館」の巻頭に載っていて、こちらも読み応えがある。さらに、「絵本館通信」にも長新太・特集があって、同じく有川さんが書いている。

安曇野ちひろ美術館が 2001年の春に「長新太展」を開催した時に、さまざまな人が寄稿した小雑誌『ナンセンス絵本の王様 長新太の世界』(編・安曇野ちひろ美術館 トムズボックス)¥600 +税 を出版して、ぼくも美術館で購入した。久々に取り出して見てみると、これまた面白い。今は手に入らないのだろうか? 次回、少し内容を紹介しよう。

●ネット上で最も充実した「長新太さん関連サイト」は、ねこギターさんの「長新太の世界」に違いない。この人はほんと凄いな! ぼくと同い年くらいか?
 



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