しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月>

●「不定期日記」●

 絵本作家、とよたかずひこ さんのファンサイトを見つけた     2006/02/26

『小児科医が見つけた えほんエホン絵本』(医歯薬出版)の、104ページ『おっとっと』の紹介記事の中でも書いたのだが、自分の息子のために初めて買って帰った絵本が、とよたかずひこさんの「この絵本」だった。たしか8年前、富士見高原病院から厚生連下伊那診療所に月に1度出向いて、高森町と豊丘村の乳児健診をしていた頃のことで、夕方「平安堂書店・座光寺店」に寄ってこの絵本を見つけ購入したのだった。レコードや本を買う時もそうなのだが、何げない出会いが、のちのち大きな意味を持ってくることはよくあること。

絵本にはまったく興味のなかったぼくが、それ以来、次第に絵本の魅力に気づいていくわけで、その最初にファンになった絵本作家がとよたかずひこ さん。保育園での健診のあとに読む絵本の定番はきまって『でんしゃにのって』(アリス館)だし、2002年11月に伊那市立図書館に とよたかずひこ さんが講演に来た時にはもちろん聴きに行って、丁寧なサインをいっぱい描いてもらった。(妻子とともに4人で並んで、一人一冊づつサインしてもらったのだ(^^;;)



■そしたら、ぼくと似たような「おとうさん」がいたんだね。彼は、絵本作家・とよたかずひこ さんのファンサイトを作っていたのだ。これがファンにはうれしいデキのよさ! 頑張っているねぇ、すごいねぇ、うれしいねぇ(^^)

            ●「どんどこ同好会」● だ!

 

 フィギュア・スケート がんばれ!          2006/02/24

「おとうさんと読む絵本」を、久しぶりに更新いたしました。もう少し続く予定です。


 インフルエンザ流行の勢いが収まらない!        2006/02/23

●2月中旬をピークに、次第に患者数が減少してくるのではないかと予測していたインフルエンザだが、予測に反して再び勢いを増してきた感じだ。当院の外来も連日「発熱」の患者さんであふれ、午後は夜8時近くまで終わらない勢いだ。しかし、相変わらず「A型」のみで、「B型」はまだ1例も出ていない。ただ、1月にすでに流行ったクラス(伊那東小1年柏組や、高遠小2年西組)で再び流行してきており、なんか変だなぁと思っていたら、1昨日、高遠小学校の生徒で2人、竜南保育所で1人「今シーズン2度目の A型インフルエンザ感染」を確認した。

2月11日の「高遠だるま市」あたりを境にして、どうも同じ「A型」でもインフルエンザ・ウイルスが変化したようなのだ。これはあくまで僕の想像だが、「Aソ連」→「A香港」 と、入れ替わったのではないかと考えている。したがって、今シーズンすでに1度インフルエンザに罹患している人も安心はできませんよ。もう一度罹るおそれは十分にあるのです。

■先週の金曜日、木曽から「権兵衛トンネル」を抜けて初めて患者さんがやって来た。薮原在住の母子で、木曽福島の県立木曽病院に行くのにも30分はかかるから、伊那に来るのと時間的にはそうは変わらないんだって。伊那中央病院の救急部にも、すでに木曽から救急車が来ているらしい。新しい医療圏が出来上がっているのだな。

 荒川じんぺい さん「伊那のちびっ子木工教室」(その2)        2006/02/19

●2月18日(土)の午後、「いなっせ」5F創作室にて、荒川じんぺいさんを再び講師に迎えて「伊那のちびっ子木工教室」第2回を行った。今回は、みんなで「鹿」の製作に挑戦だ!

 

  

  

  



 

 イラク・イラン合作映画 『亀も空を飛ぶ』(その2)        2006/02/18

●この映画を撮ったバフマン・ゴバディ監督はクルド人で、現在はイラン国籍を持ち、イラン映画界の巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の元で映画修行をしたのだそうだ。彼のデビュー作『酔っぱらった馬の時間』(2000年・イラン映画)をぼくは未見だが、障害児の兄と子供たちとの交流を記録した傑作との評価を世界中で得ていて、これまた必見の映画に違いない。

■さて、『亀も空を飛ぶ』についてのはなし。

この映画を見る上で、是非とも押さえておきたいポイントは「クルド人」だ。かつてのユダヤ人のように、自らの国を持たないクルド人は、現在、トルコ・イラク・イランの3カ国の国境付近にまたがって居住している。フセイン統治下のイラク時代には、彼らクルド人はものすごい弾圧を受けてきた。毒ガス(マスタード・サリン)散布がくり返され、イラク軍の侵略・略奪は凄惨を極めたという。特に、ハブラジャという街での被害が大きかったそうだ。

この映画のヒロイン、10代前半の少女アグリンは、地雷で両腕を無くした兄と、毒ガスの後遺症のために失明して生まれた幼い弟と伴に、ハブラジャから映画の舞台となるトルコ国境に接するイラクのクルド人の山村に設置された難民キャンプにやって来る。もちろん、両親はすでに亡い。

彼女は、映画の冒頭で断崖絶壁に裸足で立っている。ドキッとするファースト・シーンだ。次のシーン、この映画のもう一人の主人公サテライトと皆から呼ばれる利発な少年が「アンテナ」を手に登場する。彼もまた、身寄りのない戦争孤児なのだが、この少年がじつにいい。ヒロイン・アグリンは、村の便利屋であるサテライトのもとを訪れ「ロープをくれ」と言う。いつも「お金」のことしか頭になく信じないサテライトは、彼女を一目見て恋に落ちてしまうのだった。だから、無料でロープを渡す。なぜ彼女がロープを必要としたのかも知らずに……。彼女は、いつも背中に背負っている盲目の幼い男の子が、夜な夜なうなされて難民キャンプのテントから抜け出し、さまよい歩くのを防ぐために、幼児の足首にロープを結ぶのだった。

■ぼくは、この映画を見終わって「子供時代」とは何なんだろう? と思った。イラク北部、トルコ国境に生きるクルド人の子供たちに、はたして「子供の時間」はあるのか? アメリカとの戦争が始まるのを察知し、マシンガンで子供たちを武装するサテライトを、小学校の教師がたしなめるシーンがある。ほとんど無意味で空絵事であることが一目瞭然だ。両親をフセインによって失ったサテライトは、現実を見つめ生き抜くことしか頭にない。大人顔負けの彼は、村の子供たち・難民テントの子供たちを組織して、イラン・イラク戦争時代に設置されたアメリカ製の地雷を撤去する作業で、大人たちから金銭を得て日々の「かて」としていた。

彼はたぶん、生まれた時から戦争の中にいた。イラン・イラク戦争、湾岸戦争。だから、「子供の時間」を味わう暇なんてなかったに違いない。でも、そんな妙に大人びた彼にも「切ない青春」はやってきた。どんなに金を積んでも、一生懸命親切にしても、彼女アグリンの心は、彼になびいてくれないのだった。それが映画を見ていて、じつに切なかったな。

この映画の中には、異なった考えの子供たちが「3人」登場する。現実の状況(イラク軍がアメリカ軍に変わったって、なにもよくならないことが判っている)に絶望しきったアグリンと、どのような過酷な状況下でもたくましく生き延びようと考えるサテライト、そうして、アグリンの兄 は予知能力があるがために、かえって妹を不幸のどん底に突き落とし、自らも地雷で両腕を無くす。ちょうど『デッド・ゾーン』スティーヴン・キング(新潮文庫)の主人公のように、下手に未来が見えてしまうがために、かえって周りの人を不幸に陥れてしまうのだった。彼は、アメリカによってフセイン体制が終わったイラクが、決して幸せにはならないことを既に知っているのに、自らは何もできない。

ぼくは、このアグリンの兄に最も共感した。彼が初めて画面に登場するシーンは鮮烈だ。両腕のない彼は、地面に這いつくばって、口を使って注意深く地雷を撤去しようとしていたのだ。映画の終盤、彼が泉に潜水するシーンがある。地雷で吹き飛ばされた腕は、肩から5cm ぐらいしか残っていない。その腕は、まるで「亀の足」そのもののようだった。はたして、亀は空を飛べたのだろうか? この兄を見ていて、ぼくは大好きな映画『エル・スール』ビクトル・エリセ監督作品(スペイン映画)を思い出した。彼は、あの映画の登場したヒロインの父親とよく似ている。不思議な予知能力のあるあの父親は既に知っていたのだ。内戦後のスペインでフランコの独裁政治が長く続くことを。

アグリンの兄が予言した、あれから275日後に、いったい何が起こったのだろうか?


ぐぐると、いろいろ憶測されているみたいだが、たぶん「サダム・フセイン拘束」が、正解なんじゃないかと思う。

 イラク・イラン合作映画 『亀も空を飛ぶ』(その1)        2006/02/15

●信州の田舎に住んでいると、ミニ・シアター系で上映する「知る人ぞ知る」映画を見ることは不可能だ。いや、半年我慢すれば「TSUTAYA」でレンタルされるDVDを借りてきて見ることはできる。でも、偏屈なぼくは見たい映画はどうしても映画館の暗闇の中で胸をドキドキ・ワクワクさせながら、スクリーンに投影される画面で見たいのだ。いつだって、そうやってぼくは映画を見てきた。テレビのブラウン管に再生されるビデオ映像では、あの暗闇の映画館の銀幕に映し出される「ほんものの黒色」を再現できないからだ。

伊那には老舗の映画館がある。「伊那旭座・映劇」だ。ぼくがここで初めて映画を見た日のことを、今でも鮮明に記憶している。X星人が登場する、東宝映画『怪獣大戦争』だった。宇宙人の怪しげなコスチュームに身を包んだ水野久美が、当時7歳になったばかりの少年には、妙に色っぽくて変な気分がしたものだ(^^;;

その「伊那旭座」で、昨夜7時から1回のみ上映のイラク・イラン映画『亀も空を飛ぶ』を見てきた。珍しく午後6時過ぎには外来が終了したからだ。伊那には、1982年から続く「映画愛好家の自主上映会」がある。「伊那シネマクラブ」と言って、毎月第2火曜日の夜に「伊那旭座」で会員が見たい映画を1回こっきりで自主上映しているのだ。今日の例会で280回というから、大したものだな。ぼくも以前から注目していたのだが、いかんせん忙しくて、毎月見に行く時間が取れないのであきらめていた。フランス映画『コーラス』が来た時には、どうしても見に行きたいと思ったのだが、午後の診療が時間までに終わらなかった。

ここで映画を見るのは、『誰も知らない』以来だ。はからずも、『亀も空を飛ぶ』もまた、救いのない子供たちの映画だった。見終わって、あまりの衝撃に言葉はない。感想を述べるには、もうあと数日必要かと思う。

 「立川談志 日本の笑芸百選」(その2)          2006/02/14

●2月11日・12日の連休は、伊那のパパ's のメンバーである、倉科ファミリー、宮脇ファミリーとともに、泊まりで栂池高原にスキーに行った。この3家族で連れ立って「お泊まりスキー」に行くのは、一昨年に続いて2度目だ。「お泊まりスキー」は、やはり何家族か集まっての大人数で行くのが楽しいね(^^) それにしても、スキー場人口の 3/4 がボーダーだ。これには正直驚いた。ふだん、スキーヤー専用の富士見高原スキー場白樺高原スキー場にしか行かないので、こんなにたくさんのスノーボーダーを見たのは初めてだった。スキー場も様変わりだね。ぼくらは『私をスキーに連れてって』世代だが、スキー場ファッションもあの頃とはぜんぜん違う。でも、たしかにスノーボードって面白そうだな。

          

立川談志の偉いところは、安藤鶴夫みたいな通人の落語評論家がバカにして無視してきた落語家たち、例えば、三遊亭金馬、先代の三遊亭円歌春風亭柳好春風亭柳枝柳家金語楼林家三平をちゃんと認めて、番組でも十分に時間を取って正しく評価していたことだ。

彼らは、当時の寄席で爆笑王と言われた大衆受けする落語家たちだった。人情噺みたいな泣かせる話は、決して高座にはかけない。出囃子にのって登場しただけで、客席からはやんやの喝采が上がったのだそうだ。でも、当時の彼らの高座を記録した録音は少ない。ぼくは今まで一度も聴いたことがなかった。

ところが、先だって高遠町図書館へ行ったら、今月の特集が「落語本」で、展示してあった本の中に『観賞古典落語・下』(ぎょうせい)があったのだ。昭和56年初版のこの本には、カセットテープが6本入っていて、(1)「品川心中」先代・三遊亭円歌、(2)「王子の狐」「大山詣り」春風亭柳枝、(3)「らくだ」三笑亭可楽、「野ざらし」春風亭柳好、「きゃいのう」柳家金語楼、(4)「紙屑屋」桂小文枝、「高津の富」笑福亭松鶴、(5)「居残り左平次」三遊亭圓生、「百年目」桂小南、が収録されている。

さっそく借りてきて、毎晩取っ替え引っ替え聴いているのだが、「らくだ」三笑亭可楽、「野ざらし」春風亭柳好が、やはり聞き応えがあったぞ。彼らの落語を聴いていると、つくずく落語って、ジャズだなぁて思う。落語はやっぱりリズムとテンポさ(^^)

 「立川談志 日本の笑芸百選」          2006/02/11

●昨年の12月に、NHK BS2 で放送された「立川談志 日本の笑芸百選」を録画してあって、前半の「落語」の部分だけ見終わった。NHKなら、もっともっと貴重な蔵出し映像がいっぱいあるはずなんだけど、ちょいと出し惜しみしてたんじゃないの。でも、立川談志の声帯模写・形態模写は見応えがあった。特に、落語「富久」を演じる桂文楽古今亭志ん生が、同じ演目でありながらぜんぜん違った演出をしていたことを、具体的に分かりやすく解説してくれて、うれしかったぞ。

主人公、幇間の久蔵が、火事場に駆けつける場面。CDでは、桂文楽と古今亭志ん生の両バージョンを持っていて何度も聴いているのだが、映像はイメージできなかった。そうか、桂文楽の久蔵は「サイッ、サイッ、さいこらせ!」と掛け声あげながら、こういう動作で走っていたんだね。

 伊那東小学校6年生に「薬物乱用」の授業をする         2006/02/08

●卒業を控えた6年生に、中学校に行くようになると「いろいろな誘惑」があるから、先輩から「そういう誘い」があっても、絶対に「 No !」と言える覚悟が必要なんだ、という話をしてきた。この話も、今年で3年目だ。毎年工夫を凝らすようにしているのだが、今年は「実験」をしてみることにした。

昨日、閉店前の「カインズホーム」に行って、「ラッカーうすめ液」を購入してきた。その後、自宅の納戸から発砲スチロールを見つけてきて、カッターで 5mm くらいの薄さに切って、ハサミを使って整形し「脳」と「青年の顔」(レーザーラモン・HGみたいになってしまったが)の形を作り、マジックとクレヨンで色を付けた。それを当日持って行って、先生に頼んで用意してもらった理科室の「シャーレ」に「ラッカーうすめ液」を注ぎ、「さて、おたちあい! いいかい、シンナー(有機溶剤)は君たちの脳味噌を溶かしてしまうんだよ!」と言いながら、発砲スチロールの「脳」をシャーレに浸すと、ブクブクと泡をたてながら、見事に「脳」は跡形もなく溶け去ってしまったのだった。

続けて、レーザーラモン・HGの顔を「シンナー」に浸した。溶ける溶ける、どろどろ溶ける! これには、6年生の子供たちも、そうとうのインパクトがあったに違いない。その後は、『子供たちにタバコの真実を』平間敬文(かもがわ出版)に付属したCD-Rをプロジェクターで映しながら、タバコの怖さについて説明した。「ねえ、君たち。タバコ1箱に何故20本入っているかわかるかい? タバコ1本吸って、ニコチンが脳細胞に作用している時間は45分なんだ。1日24時間のうち、脳が目覚めていて働いている時間を15時間としよう。15時間=900分だよね。900分を、45分で割ってごらん。ほら、20本だろ! つまりは、タバコ吸いにとって、20本というのが丁度良い1日分のおくすりの量なんだね」てな感じで授業は進む。

最後にもう一度、算数の計算をしてもらった。「もしもだよ、君たちのお父さんが禁煙してくれたなら、どうなるか? ちょっと計算してみよう。1日に2箱のタバコを吸っていたとしよう。1箱=250円として、1日に500円。1カ月で、15,000円。1年で、180,000円になるよね。ということは、10年では、180万円だ! 君たちの家族全員で、3回はハワイ旅行ができる金額だよ!」 ぼくの、ちょっと詭弁に満ちた話にも、子供たちは目をキラキラさせて真剣に聴き入ってくれたよ。うれしかったな(^^)

 心の奥の美しい芽              2006/02/05

●岩波少年文庫の50年『なつかしい本の記憶』を、伊那市立図書館から借りてきた。この本のおしまいに収録されているのが、石井桃子さんの「心の奥の美しい芽」という文章だ。

 成長期に、ごく自然に文学を生活にとりこみ、いい本にめぐりあえた人は仕合わせである、なぜならば、その人は、半ば無意識のうちに、自分の中に、生きてゆくのに必要な美の標準を心の奥ふかくとり入れ、目の前のものに流されずに生きていくことができるから、という信念めいたものを、私は持っている。例が、個人的になって恐縮だが、私は八十歳をこえ、いまだに子どもの本を大人の本と同時に心の御馳走として、たいくつを知らない。(p231)
●先日送られてきた『母の友 2006/3月号』(福音館書店)をめくっていたら、毎月楽しみにしていた連載「絵本のとびら」伊藤明美(浦安市中央図書館司書)が、今月号で最終回だった。残念だなぁ。その一部を引用させていただきます。
ゆたかな本の世界へ

子どもが本を好きになるためには大人の力が必要です。その一つは心の栄養になる本を選ぶこと。もう一つは、子どもに本を読んであげること。三つめは、共に楽しむこと。最後は、本を身近においてやることです。(中略)

 今、目の前にないものを想像すること、今この瞬間に違う人生を生きている人々がいること、自分と違う考えを持っている人がいること、どうしてそうなったか思い巡らすこと、それが想像力です。本のなかに描かれたたくさんの人生は、子どもたちに、自立した人生を生きてゆくエネルギー=想像する力を養います。

 ちいさいおうちをたてたひとはいいます。
「どんなに たくさんの おかねを くれるといっても、このいえを うることは できないぞ。わたしたちの まごの まごの そのまた まごのときまで、このいえは、きっと りっぱに たっているだろう」

 この「いえ」は、「想像する力」と置き換えることはできないでしょうか。お金では買えず、どんな権力でも曲げることのできない、想像する力こそ、人間を真に自由にします。孫の孫のそのまた孫のときまでも、しっかりと心の中に、想像する力が育っているように、子どもたちに本の扉を開き、さあ、本の世界に一緒に行こうと誘うことができるのは、子どもたちの身近にいる大人、わたしたちです。

 どうぞ、子どもたちに、本を。 (p84)
■これらの文章を読んで、ずいぶんむかしに書いた文章を思い出した。このPowerBook G4にする前に使っていた、PowerBook Duoの頃のフォルダーを探してみたら、出てきた出てきた(^^;)

11395/11395 PXE02170 きた 物語のちから
(13) 2000年/11/04  00:33 11390へのコメント

#11389 ひまわり さん

>> 絵本の世界のおもしろさは、ドキドキ、わくわくの冒険
>> 探検、出来ない経験の想像、主人公と自分を重ね合わせる
>> 作業(子どもがよく役になりきりますよね)
>> そして最後はホッとする結末がいいのだと思います。

#11390 KAZUE さん

>>ハリー・ポッターシリーズやミヒャエル・エンデの童話は、絵本の次の
>>ステップとして親子で楽しめるのではないでしょうか。

まとめレスで、たいへん申し訳ありませんが、まったくおっしゃるとおりだと 思います。それを換言すれば「物語が持つ力が、読み手に対して豊かなイマジ ネーションを与えてくれる」とでも言えばよろしいでしょうか。

先週の土曜日の夜、NHK教育テレビの「朝の読書」に関する番組で見たので すが、静岡県のとある私立高校野球部で、練習前の部員に対して絵本の読み聞 かせを顧問のおばあちゃん先生が始めたところ、びっくりしたことに、最初は バカにしていた野球部の高校生たちが、いつしか真剣に集中して聞き入るよう になった、というんですね。

さらに驚いたことには、その野球部員たちが自分らが感動した絵本を、付属の 中学校の生徒たちの前で、今度は自ら読み聞かせしているのです。しかも、あ くまで自発的な行為として。そうこうするうちに、同野球部は何故か次第に強 くなって、県大会ベスト4に進出するまでになった、とのことでした。不思議 な話ですよね。

同じ番組で、作家の井上ひさし氏はインタビューに答えて、こんなふうに言っ ていました。「本を読むことによって、まず語彙が増える。それが一番大切。 それから、物語の楽しさを知ることができる。人間は生きていく上での自分の 行動決定をするための基準として、自らに内包された物語をその判断の拠り所 にしている。その多くは、過去に自分が経験した事を物語として頭の中に記憶 して、その物語をいろいろと引き出してくるのだ」と。

「そして、その物語は何も自分で経験した事だけに限らない。本で夢中になっ て読んだ物語の記憶もまた、十分にその判断の拠り所となるのだ」とも。いや、 じつに上手いことを言いますね。人間たかだか人生80年。その間に一人で経 験できることって本当に限られていますよね。でも、本を読めば、まったくの 他人の、しかも時には外国人の人生だって何度でも生きることができる。これ はじつに素晴らしいことです。

物語には確かに「そういう」ちからがある。ぼくが一番好きな物語作家は、ア メリカのスティーヴン・キングなんですが、最近の彼の訳者として活躍してい る白石朗氏は『グリーン・マイル』に関してこんなことを書いています。

     自分が逆立ちしても生きられない人生を紙の上で体験できる
     のも小説の魅力なら、紙の上の人生が自分と重なりあう一瞬
     もまた、小説の醍醐味かもしれない。『グリーン・マイル』
     は、ぼくにその両方を味あわせてくれた稀有な、それゆえに
     忘れがたい一冊なのである。
             (アサヒグラフ:1998/9/25 p44 より)

まったく上手いことをおっしゃいますねぇ。
秋の夜長の、読書にまつわるお話でした。長々と失礼いたしました(^^;

                           きた(PXE02170)
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 権兵衛トンネル 開通            2006/02/04

●表題とはぜんぜん関係ない話。今晩9時半、『ライオンと魔女』(ナルニア国ものがたり1)C.S.ルイス・作、瀬田貞二・訳(岩波書店)を読了した。何だか知らないうちに、9歳の長男は自分で本を黙読するようになっていた。昨年の秋から突然にだ。学校の図書館から『ダレンシャン・シリーズ』を借りてきては次々と読み進み、新シリーズの『ロード・ロス』2巻目も先日読み終わった。息子は夢中になって「ねぇねぇ、おとうさん。ロード・ロスって、○○○○なんだよ!」と話してくれるのだが、読んでいないぼくにはちんぷんかんぷんだ。

父さんは何だか淋しいぞ。子供に読み聞かせしながら自分も物語を楽しみたかったのに、それができないじゃないか。そんな不満もあって、子供が寝る前に、勝手に『ライオンと魔女』の読み聞かせを始めた。瀬田貞二さんの言い回しは音読すると難しくて、最初はつっかえてばかりいたので、息子の食いつきは悪かった。でも、ディズニーが映画化して3月には本邦公開と知った息子は、毎晩おとなしく聴き入るようになってくれた。そうして1章づつ読み進んで、今晩最後の章を読み終わったのだ。父さんとしては、この1冊だけでは何だかちっと物足りないぞ。あと6冊残っている「ナルニア国ものがたり」だが、息子は最後まで父親につき合ってくれるだろうか?


■最近、注目しているブログ・ウェブサイトの話題

1)「リヴァイアさん、日々のわざ」の、「ゲーム脳・森昭雄氏の講演会の話題」

2)「内田樹の研究室」の、『え段を使わないようにしよう』のはなし。

3)「ほぼ日」の、「ミヒャエル・ゾーヴァ 糸井重里 対談」

4)「安田ママ」の、「2人目の出産」

 西箕輪南部保育所・北部保育所 での内科健診          2006/02/01

●保育園の秋の内科健診は、ちょうどインフルエンザの予防接種の時期と重なるので大変なのだ。健診はたいてい休診にしている水曜日の午後に入れているのだが、この時期は水曜日の午後を「インフルエンザ・ワクチン集中接種」に当てるので、フリーの時間が作れないのだ。結局、高遠第一保育園の健診は12月の年末になった。西箕輪の保育所の健診はどうにも時間が取れなくて、2月1日になってしまった。今日は、この時期には珍しい大雨の午後となった。

ちょっと遅れて1時半過ぎに南部保育所到着。健診そのものは30分ほどで終了。夏前に来た時には、まだ赤ちゃんぽさが残っていた「年少さん」も、ずいぶん成長したね(^^) その後、例によって年長さんのクラスで絵本を読ませてもらった。

『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 /2006/1月号)福音館書店
『いいないいなこのおうち』軽部武宏(小学館)
『マジック絵本』佐藤まもる(岩崎書店)
『だるまのマーくんと はいたのおばけ』小沢正・作、片山健・絵(ポプラ社)

●車で北に移動して、今度は西箕輪北保育所へ。ここの園児は全部で20人そこそこ。あっという間に健診は終わり、またまた絵本タイム(^^;)

『マジック絵本』佐藤まもる(岩崎書店)
『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 /2006/1月号)福音館書店
『へんしんマラソン』あきやまただし(金の星社)
『みみずのオッサン』長新太・さく(童心社)

『これ なーんだ?』が、特に面白かったな。子供たちは、けっこう当てるのだ。これにはビックリ。西箕輪北保育所では、絶対に当たらないと思っていた最後の「トナカイ」を当てられた。やっぱ、子供ってスゴイな(^^)



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