しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月>

●「不定期日記」●

 リトルマーチン( Little Martin LXK2) 【その2】      2006/04/30

●かつてのフォーク少年も、この20年はギターを手にする機会もほとんどなかった。ところが、ちょうど2年前の4月24日から始めた「パパ's 絵本ライヴ」で、再びギターを弾くようになったのだ。そして、あの「いつかは、マーチン」の合言葉を再び思い出した。でも、さすがにマーチンは高値の花。かなわぬ夢とあきらめた。

あれは、今年の2月だったか、松本パルコの5Fに入っている「島村楽器」の店頭に、小さなギターが展示されているのが目に入った。手書きのポップが付いていて、「マーチン・トラベリングギター 並行輸入品特価! ¥45,000」と書かれていた。「えっ? ゼロが1個足りないんじゃないの?」と目を疑ったが、確かにこの値段だった。本当にマーチンなの? 疑わしいなぁ。と、その時はそのまま帰った。

4月に入って、長野県小児科医会の会合が松本であって、帰りにまたパルコへ寄った。やっぱり気になったので、島村楽器に見に行った。今回は店員さんに頼んで、ちょっと弾かせてもらった。<コレ>です。リトルマーチンは、ふつーのギターの3/4スケールで作られたミニギターだが、左手でコードを押さえる感触はなかなかよく、まったく不自由さは感じなかった。でも、音は 特別いい音がするとは思わなかったな。店員さんの話では、マーチンのロゴが入ったソフトギターケースも付いているという。ぼくは「マーチンのロゴ」欲しさにこのギターを買うのは、なんだか貧相な考えのように思えてしまい、結局購入を見送った。

でも、やっぱりずっと気になっていて、先日深夜にネットで検索してみたら、岩手県久慈市の楽器屋さんが格安価格で提供しているのを発見して、衝動的に購入を決めてしまったのだ。リトルマーチン( Little Martin LXK2)は、ウクレレで使われているコア色のボディ。というワケで、岩手県から宅急便で「あっ!」という間に届けられたのが、
           コレ↓ です。ケースに入ってきました。
           

                   

メキシコで作っていること、合板を使っていること(ネックも薄い板が何枚も張り合わされた合板!)、ミニギターであることが、この破格の値段の理由なのだそうだが、マーチン社の社長さんは「マーチンの名に恥じない製品として自信を持って送り出している」と言っているそうだ。ぼくは今までマーチンのギターを触ったことがなかったから、「これがマーチンの音だ」というのは、レコードでしか聴いたことがないのだが、確かに、マーチンの音がする。松本で試しに弾いてみた時とはぜんぜん違って、いい音がするのだ。

ホントうれしいな。大切に弾き込んでいこうと思う。

 リトルマーチン( Little Martin LXK2)が わが家にやって来た!    2006/04/28

「いつかは BMW」と、思ってきた。その願いはいまだ果たせずにいるのだが、じつは、もう一つ「いつかは……」というのがあって、こっちの方はまず一生涯かなわないだろうなぁと、夢のまた夢くらいに思っていたのだが、それが思いがけずかなってしまった。

それは何だったかというと、「いつかは、マーチン」という合言葉だ。マーチンというのは、アメリカのペンシルベニアに本社があるフォークギターの製作会社で、世界最高峰のギターを1833年から作り続けている老舗のメーカーだ。うん十万円〜うん百万円もするギターしか作っていない、世界中のプロミュージシャン御用達の楽器メーカーなのだ。

フォーク少年だったぼくがギターを初めて買ったのは中学2年生の時だ。あの頃、生まれて初めて買ったLPレコードが泉谷しげるの『春夏秋冬』(エレックレコード)で、それこそ、くる日もくる日もくり返し聞いていた。で、ギターがどうしても欲しくなってしまったのだった。同じころ「さなえちゃん」で有名になったフォーク・デュオグループ「古井戸」の加奈崎さんと仲井戸麗一さんが「エレック」のレコード・ジャケットの中で弾いていたのが、印象的なデザインのギブソン・ハミングバードで、そのそっくりコピーの安いギターを確か7000円ぐらいで買ったように思う。なんだか、中坊にはやたら大きなギターで、ギブソンのニセモノは、とにかく弾き難かったな。

次に買ったギターは、高校2年生の時だ。伊那市中央区古町一丁目に、質流れの中古販売店があって、モーリスの2万5千円のフォークギター(1974年製造)を、当時1万円で手に入れた。あの頃、ラジオでアリスの谷村新司さんが「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」と盛んに宣伝していた。愛着があったこのギターは、17歳の当時から47歳の現在まで(この間、何度も引っ越しして来たのだが)ずっと使い続けてきた。おぉ、30年間も手元に置いてあったのだなぁ! それが、写真の右側に写っているギターです。(^^)

                  

(つづく……)
  

 これからは、抗生物質の使用をできるだけ減らそうと思う        2006/04/26

●以前から反省していることだが、ぼくは未だに抗生物質をやたらと処方する小児科医だ。長年培われたこの悪癖は、正直いってなかなか矯正できずに悩んできた。もちろん、季節によって抗生物質の使用頻度は大きく変わるのだが(夏カゼ・シーズンと、冬のインフルエンザの時期はすごく少ない)、春と秋、新規の保育園入園児が次々と風邪をもらってきて、いつまでもズルズルと風邪を引きずるシーズンは、どうしても抗生物質の使用頻度が増してしまう。

ちなみに、昨日の火曜日は受診患者さんの24%に抗生物質を処方した。今日、水曜日には33%も抗生物質を処方していた。3人に1人の割合だ。ゴールデン・ウィーク前なので、ぼくも親もあれこれ心配してしまうのだな。でも、やはり、これではイケナイ。なんとか15%以下に減らしたいと思っている。

おとうさんと読む「絵本」のほうも更新しました。見てね!

 日本小児科学会 in  金沢           2006/04/24

●先週の金曜日の午後と土曜日の診療を休診にして、金沢で開催された日本小児科学会総会に参加してきた。休診後の今日、月曜日の外来が、午前も午後も、ものすごく大変だったので、患者さんには臨時休診がどんなにか迷惑だったかが、よく分かったのだが、それでも毎年春にある小児科学会への参加は欠かせない。ホントごめんなさいね。

学会へ参加することの魅力は、年賀状のやり取りに似ていると思う。

よく、印刷された年賀状の片隅に、手書きで「お元気ですか?」とか、「ご無沙汰してます」みたいな一言が書かれているじゃないですか。そういうやり取りをしているくらいの付き合いの人と、学会場で対面するワケですよ。年に一度。顔と顔を突き合わせて、内密な話が延々と続く場合もあるかもしれないけれど、多くの場合は、お互いに「よく頑張っているね」とエールを送りつつ、「やぁ! お久しぶり」と言葉少なに別れる。それが、いいんじゃないかな。

メールやブログでは、相手の生の表情は絶対に見えない。でも、そんなことは直接面と向かって会えば、直ちに解ることじゃぁないか。それこそが、年に一度学会が開かれる意味だと思う。要するに、学会というのは、巨大なオフ会なのだな、たぶん。


それから、ふだんは孤立無援な小児科開業医なのに、毎年定期的に集まることができる小児科学会の場を利用して、お互いに最新の情報交換をすることができるという重要な意味もある。ぼくの場合は、飯田の矢野先生、上田の杉山先生、松本の花岡先生、そして長野の原山先生といった諸先輩方から、毎年貴重な助言をいただき、とても感謝しているのだった。今年も、たいへん有意義な小児科学会であった。「金沢まいもん寿司」は、ほんと旨かったよねっ! 特にノドグロ 杉山センセイ、ありがとうございました(^^)

 「美女と野獣」というコンセプト        2006/04/20

●4月19日(水)の夕方、高遠城址公園へ満開のコヒガンザクラを見に行ってきた。毎年この場に写真をアップしているが、夜桜ばかりだった。今回は久々に昼間のお花見。ただし逆光だったので、きれいには撮れなかったな。

 

■1950年代にアメリカで活躍したSF作家、シオドア・スタージョンを初めて読んだ。『輝く断片』の中から、「マエストロを殺せ」と、表題作の「輝く断片」のまだ2篇のみだけれど、この人はぼくの好みかもしれない。この短編集にはSFではなくミステリ色の強い作品が収録されているみたいだが、これって、ノワールだよね。しかも何とも切ない話ばかりだ。

特に「輝く断片」冒頭の、緊迫したリアルな文章のタッチが素晴らしい。読者は何だか分からないうちに、ほぼ強制的にこの主人公と一体化させられているのだ。で、ネタバレしてしまうのだが、この話は「美女と野獣」なんだね。ついでに言うと、キング・コングも「美女と野獣」の変奏曲だ。アンソニー・ブラウンはこう言っている。「そして、私はいつも、『キング・コング』を、私の好きなフェアリー・テイルの一つ『美女と野獣』のシュルレアリスム版であると思ってきました」と。

人間が異類のモノ(動物や異界の生き物)と結婚する話を「異類婚姻譚」と言うのだそうだが、この手の話は、神話の時代から世界中に様々なバリエーションで、いろいろな伝説・昔話として言い伝えられている。「美女と野獣」は、その代表的なおはなしだ。しかし、日本の場合を考えてみると、夫である男が人間で、妻が鶴だったりキツネだったり雪女だったりする例が多い(もちろんタニシ長者とか逆の例もあるが)のに対し、ヨーロッパでは魔法をかけられた王子がカエルだったり野獣だったりするのは面白いなあと思う。何か意味があるのだろうか? もう少し勉強してみよう。

 

写真、左から

『輝く断片』シオドア・スタージョン著、大森望・編(河出書房新社)
『アンソニー・ブラウンのキング・コング』アンソニー・ブラウン作、藤本朝巳・訳(平凡社)
『美女と野獣』ローズマリー・ハリス再話、エロール・カイン絵、矢川澄子・訳(ほるぷ出版)

 信毎夕刊「今日の視角」       2006/04/19

●信毎の夕刊で楽しみにしているのは、1面右下のスペースの日替わりで執筆者が変わる「今日の視角」だ。中でも、毎週火曜日担当の池内紀さんのコラムは、ハズレがない。

今週火曜日のタイトルは、「ちいさなこと」だった。わずかなスペースの短い文章なのに、しみじみと感じ入ってしまった。信毎は記事をスットックしないので、すぐにリンク切れになってしまうと思うが、1週間くらいはつながっていると思います。

 春日公園で、パパ's お花見      2006/04/17

●先週の土曜日の午後は、伊那の春日公園で パパ's ファミリー恒例のお花見。風の冷たい肌寒い午後だったが、パパたちは同公園内で開催された地元造り酒屋7軒が集まる「新酒まつり」で日本酒を次々と飲み比べして、まだ明るいうちにすっかり出来上がってしまったのだった。

            

   

 福音館書店のポスター       2006/04/14

●南信こどものとも社の坂本さんが、見て楽しい「福音館書店の、こどものとも50周年記念ポスター」を下さったので、当院の中待合いの壁に貼った。



■このポスターにでてくるキャラクターが登場する絵本のタイトルをどれだけ言えるかな?

うちの長男は、まず最初に「ぶたぶたくんのおかいもの」に登場する、八百屋の早口おねえさんを発見した。坂本さんが「おっ! なかなか通だねぇ」とほめてくれたよ(^^;)

 

 タイ映画『風の前奏曲』      2006/04/12

●話題の医学ミステリー『チーム・バチスタの栄光』海堂尊(宝島社)を読了。噂に違わず、抜群のリーダビリティに感心した。特に中盤から登場する「ホームズ役」の厚生労働省調査官、白鳥がハチャメチャなキャラクターで面白く、後半は一気読みだった。<ここ> とか <ここ>に載っているインタビュー記事を読むと、著者は東京都内在住の44歳になる現役勤務医(外科医から病理医へ転身)であるという。しかも、初めて応募した本作で見事「大賞」を射止めた。凄いねぇ、たいしたものだ。

同じ医療現場に身を置く者として感心したことは、舞台となる大学病院の描写がじつにリアルであることだ。つぎつぎと登場する医者と看護師が「こういう人、いたいた!」とその顔が目に浮かぶくらいリアルに、枝葉の脇役、ちょい役の登場人物に至るまで、じつによく書き込まれている。よく言われる「キャラが立っている」というヤツだが、きっと一人一人実在のモデルがいるに違いない(^^;;

四肢麻痺の元NY市警科学捜査部長、リンカーン・ライムのシリーズで有名な、ジェフリー・ディーヴァーの小説ような、どんでん返しに次ぐどんでん返し のジェットコースター・ミステリーを期待すると期待はずれになるかもしれないが、ちゃんと「密室殺人」テーマの本格推理小説であり、ワトスン役&ホームズ役が登場して名(迷)推理を展開するし、ラストはお決まりの、全員を部屋に集めたうえで、名探偵が「犯人はお前だ!」というシーンもある。事後談もぬかりない。何よりも文章の軽妙なリズムとテンポが心地よいのが一番の魅力だ。再び「白鳥」が登場するであろう次回作に期待したい。

ただ、個人的な好みで言うと、本格推理小説よりも冒険小説やハードボイルド小説が好きなので、先に読んだ『暁の密使』北森鴻(小学館)のほうが、ぼくには「ぐっ」とくるものがあった。

■先日火曜日の夜は、「伊那シネマクラブ」の月に一度の例会だった。3月の例会は忙しくてパスしてしまったのだが、4月の新学期が始まってヒマになったので、昨夜は伊那旭座に出向いた。今回の映画はタイ映画だ。しかも、タイ伝統音楽の巨匠の伝記映画と聞いて、とんでもなく地味な映画なんじゃないかと、まったく期待しないで見に行ったのだが、これがエンターテインメント映画としてじつに面白かったのだ。思わぬ拾いものをして得した気分だ。

それは、『風の前奏曲』という映画だった。(つづく)

「長野県立こども病院」の存在意義を、田中康夫知事は勘違いしている      2006/04/09

■「長野県立こども病院」が揺れている。田中知事は、2月県議会での議案説明で、長野県立こども病院では小児高度専門医療だけでなく一般的な小児科、産科診療も受け入れる意向を表明、「首脳部の一新」も示唆した。すでに新しい病院長は内定しているという。現院長は、県衛生部への異動を命じられたが「院長の任命権者は知事。知事が新しい人にすると決めた以上、辞めざるを得ない。県全体で確立してきた小児高度医療の供給態勢が崩れることを危惧している」と批判し、県衛生部への異動を拒む形で退職を決めた。(信毎記事より一部改変)

●県立病院が抱える、毎年積み重ねられる大きな「赤字」は、長野県政にとって頭痛の種である。長野県下には5つの県立病院があるが「阿南病院」と「木曽病院」は、とんでもなく過疎地の病院で、「駒ヶ根病院」は精神科の病院、「須坂病院」は長野市近郊の総合病院ではあるが、改築後の多大な借金を抱えている。そしてもうひとつ、県の財政的お荷物なのが「長野県立こども病院」なのだ。

田中知事の矛先は、何故か真っ先に「長野県立こども病院」へ向けられた。ぼくは、本来なら他の4つの県立病院にこそ矛先を向けるべきだと思うのだが、県衛生部のお役人公認の上で、たぶん一番簡単に「いろいろ」好きに言い易いのが「長野県立こども病院」なんだろうな。県衛生部と田中知事は、周囲の反論を阻止するために先例があることを挙げている。東京の国立成育医療センターと、埼玉県立小児医療センターが、地域の一般救急外来を受け入れているから、「長野県立こども病院」でも当然、一般外来診療や普通のお産を受け入れるべきだというのだ。

確かに、埼玉県立小児医療センターの場合、一般救急外来を受け入れるようになってから、赤字の幅は減少したそうだ。しかし、本来目指していた高度先進医療のレベルはがた落ちになったそうだ。それでは、本末転倒ではないか! 救えるべき子供たちが、助けることができなくなったのだから。国立成育医療センターの一般救急外来受け入れは、また事情がぜんぜん異なる。世田谷区には夜間小児救急を受け入れる病院が、「国立成育医療センター」より他になかったので、地域住民の切なる願いのもと一般救急外来が開かれたのだという。

世田谷区在住70万人の願いがあったのだ。ところで「長野県立こども病院」で夜間一般救急外来を実施して、その恩恵に預かれるのはどれくらいか? 飯田市上村の子供? 飯山市富倉の子供? 伊那市長谷市ノ瀬の子供? 上田市菅平の子供? 彼らは、高速道路を父親運転の自家用車で(または、地域自治体の救急車で)こども病院まで向かうのだろうか? いや、よっぽどのこと(三次救急の超重症患者)でなければ、こども病院までは行かないだろう。長野県は想像以上に、ものすごく広いのだ。

こども病院のお膝元の松本市では、昨年4月から「小児夜間救急」のシステムが確立した。松本医師会立の夜間救急診療所に、365日無休で、開業小児科医と、信州大学小児科の医師、県立こども病院の医師が詰めて、時間外の小児科医療に奉仕しているのだ。松本近郊の時間外一次救急は、それで大きな成果を上げているのに、田中知事は、いったい何を期待しているのだろうか? たぶん、次期知事選挙をねらっての発言なんだろうが、現場を無視して思いつきでいろいろ言うのは、もうやめたほうがいいんじゃないかと、ぼくは思うな。

 書店員は「目利き」であるべきだと、ぼくは思うぞ    2006/04/07

●本年度の「本屋大賞」は、リリー・フランキー氏の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)に決定したそうだ。ぼくは未読なので、作品に関してとやかく言う権利はないのだが、それにしても、すでに130万部を売っている本に「賞」なんてあげる必要があるのだろうか?

昨年度は、恩田陸『夜のピクニック』(新潮社)だったが、これはね、よかったのではないか。どうしても直木賞をもらえない恩田陸さんに「すごく価値のある賞」をあげることができたのだから。でもね、「本屋大賞」が発足した本来の意味って、違ったんじゃないの? 本当はすごくいい作品なのに、地味すぎて、しかも出版社の営業努力もなくて、人知れず「品切れ」あつかいに陥ってしまう本を、街の書店員さんがサルベージしてきて、独断で平棚に積み、手書きのポップを立てて、一生懸命必死に一冊でも多く売ろうとする。そういう、書店員の心意気が感じられる本が「本屋大賞」に選ばれたのではないの?

ポプラビーチの人気連載、ジュンク堂池袋店副店長田口久美子さんの「書店日記」が終わってしまってすごく残念なのだが、この連載を読んでいて、つくづく思ったことは、やっぱり本屋さんて凄いな! ということだ。尊敬しているのだ、書店員さんを。ぼくは。

なんだか裏切られたような失望感の中で、『暁の密使』を検索していたら、「ブックストア談・錦糸町店」のサイトに行き着いた。ここの書店員文芸担当者シロー君は凄いぞ! 北上次郎氏よりも、上手い文章の書き手なんじゃないだろうか? 彼は「本屋大賞」にどの本を投票したのだろうか? なんだかすごく気になるなぁ(^^;;

 『暁の密使』 北森鴻(小学館)       2006/04/05

『暁の密使』北森鴻(小学館)は、荒川じんぺいさんが NHK BS2 「週刊ブックレビュー」で紹介していた本。月曜日に読み始めたのだが、ぐいぐい引き込まれてしまって、水曜日の午前1時半過ぎには読了した。おかげで今日は寝不足で、休診にしている水曜日の午後、1時間半も午睡をしてしまった。という訳で、日付が変わったのにまだ眠くはならない。

まあ、欲を言えばいろいろと不満はあるのだが、実在の主人公が歩んだ史実まで変えることはできないから、それは仕方ないかもしれない。とにかく、これは面白い本だったな。ちょうど 『脱出記』を読み終わったところだったので、チベット関連の本を読みたくなったのだ。こういうのを「歴史の水面下に埋もれてしまった、人知れぬ史実を巧みに組み込んだ、歴史冒険小説」とでも言うのだろうか? 浅田次郎『蒼穹の昴』、船戸与一『蝦夷地別件』、それに、佐々木譲氏の諸作。実在の人物の周りに、作者が創作した脇役を配して、波瀾万丈の物語世界を作り出す。もしかすると、本当にそうだったのかもしれないなぁ。読者をそう思わせたら、作者の思うツボさ。

この本の登場人物のうち、半分以上が実在の人物だ。主人公の東本願寺の学僧、能海寛、同じくチベットを目指す学僧 寺本婉雅、外務省秘密工作員 成田安輝、そして、インドからチベットに潜入した河口慧海。彼らが生きた時代の史実は変えることができないが、その制限の中で、作者は精一杯の空想を繰り広げる。

時は明治末期の19世紀末。日清戦争に勝利した日本が、シベリア鉄道をハバロフスクまで延長しようとするロシアの南下政策に怖れ、イギリス・フランス・ドイツがさまざまな権謀術数を駆使してアジアの覇権を握ろうとする中で、外交政策上の秘密工作を画策した。チベットのダライ・ラマ13世に密使を送るのだ。しかし、密使がその使命を知っていると、かえって不都合なことがある。敵対勢力に気付かれ捕まった時に、全てをしゃべってしまう怖れがあるからだ。したがって、自らが「密使」であるとは思いも寄らない、ただひたすら宗教的信念(不惜身命)のもとに、チベットの教典を日本の持ち帰ることを夢見る能海寛に、その認を委ねるという大胆な作戦に大日本國帝国外務省は打って出たのだった。

なぜチベットなのか? 密使は何を携えているのか? この謎は後半まで明かされないので、読者は本から目が離せなくなってしまい、一気読みだった。

こういう奇想天外な発想って、好きだなぁ(^^) 大きな歴史のうねりの中で翻弄されながらも、ただひたすら西蔵(チベット)の聖地・拉薩(ラッサ)を目指し突き進んでいく主人公たちの姿に心を打たれた。 

 ジャッキー・マクリーン 逝く        2006/04/03

内田樹先生のブログを読んでいたら、4月1日(現地時間の3月31日)に Jazz のアルトサックス奏者 ジャッキー・マクリーンが死んだ、と書いてあってビックリした。毎日新聞には載っていたそうだが、信毎夕刊の死亡欄には松本竜介さんの記事しかなかった。1日の夜は、フジテレビで「海筋肉王バイキングスペシャル」の放送があって、「おかあさんといっしょ」に出ていた佐藤弘道お兄さん親子をはじめ、熱血親子ペアが雨のお台場で果敢に難コースをチャレンジする場面に、見ていてこちらも熱くなった。

以前から熱烈なバイキング・ファンであるわが家の次男は、もう興奮しっぱなし。「おとうさん! ぼくも出場したい」と連呼した。息子の願いをかなえてあげたいと、番組終了後、妻もいっしょになって腹筋と腕立て伏せを始めた。さて、困ったのはこのぼくだ。弘道お兄さんのような身体能力は元々持ち合わせていないし、ここ数年の肥満と体力低下は目をおおうばかり。でも、今日から新年度になって、ちょうどいいタイミングではないか。「よし、これからテルメに行って、おとうさんも鍛えてくるぞ!」そう宣言して車で出かけようとしたら、妻が「なにそれ? エープリル・フール?」だって。この日記での記載を確かめてみると、昨年12月6日からほぼ4カ月ぶりのテルメだ。いやはや、これではいけません(^^;;

トレッドミルで5km走ったが、久しぶりで苦しかった。iPod をシャッフルにして聴きながら、なんとか目標の5キロを走り終えたのだが、途中でイヤホンから印象的なリフが聞こえてきた。ジャッキー・マクリーン「ジャッキーズ・バッグ」の A面1曲目に収録された「クァドラングル」だった。このCDの中では「アポイントメント・イン・ガーナ」が1番好きなのだが、久しぶりで聴くマクリーンのアルトサックスは、ぶっきらぼうに響きながらも切実で、一生懸命で、ぼくは何だか「ぐっ」ときてしまった。この時、走りながら聴いた曲の中で妙に印象的な1曲だったのだ。そしたらこの日、彼は死んでしまったのだねぇ。

iPod はときどき、こういった運命を感じさせるような計らいをしてくれるのでビックリしてしまう。ジャッキー・マクリーンのレコードは今もいっぱい持っているが、1番好きなのは、プレステッジ時代の「 A Long Drink of the Blues」B面で、聴こうと思ったらなくて、「Jazz喫茶 Base」に預けたままだったことを思い出した。今度行ってかけてもうらおう。 

 古今亭志ん朝 「文七元結」        2006/04/01

●家族に関して書かれた本を、2冊同時に読んでいる。『家族のゆくえ』吉本隆明(光文社)と、『家族の痕跡』斉藤環(筑摩書房)だ。

『家族の痕跡』は、著者の「日本的ダブルバインド」理論がすごく納得いって、これは面白い展開が期待できそうだぞ! と思ったのだが、だんだんと訳わからなくなってしまった。もうちょっと、ゆっくりと読み直してみようっと。斉藤氏も取り上げていた「対幻想」のオリジナルは、吉本隆明氏。『家族のゆくえ』も読み始めたばかりだが、こちらの方が「すっ」と入ってきて解りやすい。

吉本氏は、日本の文豪がみな不幸な幼少時代を過ごしていたことを指摘する。太宰治、三島由紀夫、そして、夏目漱石。『漱石と落語』水川隆夫(平凡社ライブラリー)を読むと、江戸の草分名主の末っ子4男として生まれた漱石が、庚申の日に生まれたために父親から疎まれてしまったことが指摘されている。この日に誕生した子供は大泥棒になる。しかし、名前に「金」の字をつけると、その運命を避けることができると信じられていたのだそうだ。だから、夏目金之助。漱石は、まるで役者か芸人のような「金之助」という名前が嫌いだったようだ。

父親から歓迎されざる子供だった漱石は、生まれてすぐに里子に出される。しばらくして連れ戻されるが、1歳9カ月で再び、塩原昌之助・やす子夫妻の養子となり、浅草で幼年時代を過ごすことになる。この時、養父母に「寄席」へ頻回に連れていかれて、講談や落語の洗礼を受けることになるのだ。夏目漱石が寄席通いをしていた明治時代初期〜中期、三遊亭円朝が高座に出ていた。この人も天才だった。「真景累ヶ淵」「怪談牡丹灯籠」などの怪談や、人情噺を得意とした落語家だ。

円朝・作といわれる数々の名作落語の中でも、人情噺の傑作と誉れ高いのが「文七元結」(ぶんしちもっとい)。ぼくは6代目・三遊亭圓生の「文七元結」のテープを、伊那市立図書館から借りてきて聴いたことがあったが、昼寝のBGMで聴いていたので、ちゃんと耳に入らず泣けなかった。で、先だって初めて、古今亭志ん朝・版「文七元結」をCDで聴いてみたのだが、これがめちゃくちゃよかった。志ん朝さんの演出はドラマチックで盛り上がり、しっかり泣かされてしまいましたよ。

この志ん朝・版「文七元結」を巻頭でほめているのが、『今夜も落語で眠りたい』中野翠(文春新書)だ。この本は、中野翠さんの「落語への愛」があふれていてじつにいい感じ。特に、桂文楽への言及は鋭い。



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