しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月><4月>

●「不定期日記」●

 仕事がたまっているのだ        2006/05/28

●昨日の午後は、講演依頼が入っていて、12時半で診察を切り上げ、あわてて着替えて車に乗り、中央道を飛ばして会場へと急いだ。道が渋滞していてやきもきしたが、講演開始5分前の午後1時55分に会場へ到着した。いやぁ、あぶないあぶない(^^;;; ほとんど、好き勝手言いたい放題の講演だったが、聴衆のみなさまの感想はどうだったのだろうか? すっごく気になるのだった。

今日は、ほんとうは境区運動会に妻子とともに出場しなければいけなかったのだが、早急に片づけなければならない仕事が山とたまっていて、申し訳ないのだけれど、ぼくだけ区民運動会はパスさせてもらった。ごめんなさい。で、朝からずっと診察室にこもって残務整理に追われているのだが、今の時間になっても予定の半分も作業は終わらない。校医をしている伊那東小学校の心電図判読は、いまだに手つかずのまま。いやはや。

■先週の金曜日の夜、この日は妻が1日フルタイムで医院の受付に出ていたので、子供たちは学校から直接義母の家に向かい、夕食まで食べさせてもらって、ドラえもん、クレヨンしんちゃんを見終わるまで自宅には帰ってこなかった。だからだったんだろうな、珍しく金曜日のこの時間帯にテレビを付けてNHK の夜7時半からの「特報首都圏」とかいう番組を見ることができた。最近、ビジネス関連雑誌を多数出版している、日経とかプレジデント社とかが、相次いで「子育て雑誌」を創刊し、しかも結構な売り上げで部数もどんどん伸ばしている、というのがこの日のテーマだった。

妻とテレビを見ながらビックリしたのは、若い夫婦と子供たちが真剣になって「日経 Kids+」を読みながら、あれこれ話し合っている場面だ。「日経 Kids+」は、創刊準備号から当院待合室の雑誌スタンドに置いてある。いい雑誌だと思ったから、置いてあるのだ。でも、そんなに真面目に記事を読んだことなんて、一度もないよ(^^;)  をいをい! この雑誌の情報を、盲目的に「全て正しい」と信じちゃっていいのか?

■いつも見に行くブログ、「絵本と……」のサテライトブログ「絵本を知る」に、こんな記事が載っていた。たしかにねえ。おとうさんも大変だよなぁ。

 天使幼稚園での内科健診        2006/05/25

●小児科専門医なので、医師会の「介護保険・認定審査会」メンバーからは免除してもらっているのだが、厚生労働省は、この4月から障害者・障害児に対してのサービスも、1割自己負担で、重傷度のランク別に利用できるサービスを決定したのだそうだ。それに伴って、障害者の等級は、これからは各市町村が召集する「障害者・障害程度認定審査会」で個別に審査して決定されることとなった。厚生労働省の目論見としては、将来的に「介護保険」で一元化するつもりのようだ。

障害児も審査対象になるから、小児科医には審査会に是非参加していただかなければ困る、そう言われて、上伊那医師会から推薦され認定審査会委員に任命させてしまった。これから1年間、月に一度月末の金曜日の午後「審査会」に出席しなければならない。でも、月末の金曜日は、ほとんど乳児健診か3歳児健診が既に入っていたのだ。困ってしまったぞ。しかも、先週の土曜日の午後講習会があって県から来た担当者に訊いてみたところ、今回対象となるのはほとんどが成人で、障害児は含まれていないみたいなのだ。しかも、身体障害者よりも、精神障害者の数のほうが圧倒的に多い。

いったい、なんのための小児科医だったのだろうか? これでは話が違うではないか!


●昨日の午後は、1時から天使幼稚園での内科健診。「ゆり組」の年少さんは、まだ赤ちゃんぽさが抜けないような子が多くて、ほんとかわいい。入園して一月かそこらだもんな。でも、高橋園長先生にお訊きすると、今年の「ゆり組」さんは、ものすごく元気がよくてやんちゃなので、絵本をおとなしくじっと聞いているなんて無理でしょう、とのことだった。「そこを、なんとかぜひに!」とお願いして、園児がおやつの牛乳をお部屋で飲んでいるところに乱入し、絵本を読ませてもらってきた(^^;) 高橋園長先生、無理言ってすみませんでした。

1)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(ちいさなかがくのとも)福音館書店
     →これは、いまいちだったな。入園したての3歳児には、ちょっと難しかったか。

2)『これなーんだ?』のむらさやか(こどものとも 012)福音館書店
   →これで一気に食いついてきた。 けっこう反応がよかったぞ!

3)『トイレとっきゅう』織茂恭子(福音館書店)
   →これはダメだったな。ちっとも受けなかった。まだ難しいか?

4)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
   →これはよかったな。一安心。みな満足してもらえたようだ。

4冊も読んだのに、「ゆり組」の年少さんはずっと、みんな静かに絵本に集中してくれてたよ。園長先生もビックリしていた。

■年長さんのクラスでは、『これなーんだ?』と、久々に『じごくのそうべえ』を読んだが、 読み手のテクニックとか関係なく、子供たちにその魅力がずんずん伝わる「底力のある絵本」というのが、確かにあるんだな、ということをしみじみ実感した。『じごくのそうべえ』は大受けだった。『もけらもけら』も、年少さんに大受けだった。これは絵本自身が持つ力に違いない。すごいな。

 伊那のパパ's 結成満2周年       2006/05/21

●20日(土)は、夕方から伊東家でホームパーティ。倉科家、宮脇家、北原家の全員と、それに坂本さんが集まって、われわれ「伊那のパパ's 」の結成満2周年を祝って盛大に宴会が開かれたのだ。楽しかったね(^^)  伊東パパ、遅くまですみませんでした。

今日は朝から二日酔いの我が身にむち打って車に乗り、ひとりで松本へと向かった。長野県小児科医会の総会・研修会があるのだ。一日しっかり勉強して、高速を伊那まで帰り、帰宅後、今週火曜日が締め切りの原稿を苦労して書き上げた。『地球元気村通信』のための原稿だ。(やはりフライングはよくないと自己判断しまして、アップ当初載せていた以下の原稿は消去いたしました。すみません。)


●そのかわり、といってはなんだが、「今週のダーリンコラム」になかなかいいことが書いてある。なるほどねえ、ほんとそのとおりだよなあ。

 iPod Hi-Fi を買ってしまった     2006/05/19

●PowerBook G4 の AC アダプターが断線して、コンセント側だったので自分で修理して使っていたのだが、今度は Mac 側が断線してしまったため、しかたなく購入し直すことにした。AC アダプターだけ買うんじゃつまらないなぁ、ふとそう思ってしまった。で、発売時に一目見て欲しくなったのだが、値段が高くて後込みしてしまっていた、iPod Hi-Fi を思い切っていっしょに購入してしまったのだ。

 

8年間愛用してきたケンウッドのラジカセだったが、以前故障した時に一度CDのピックアップを交換したのに、最近またしてもCDがちゃんと聞けなくなってしまっていたので、ちょうどよかったのかもしれない。大きさもラジカセと同じくらいだ。でも、すごくしっかりした作りで、しかもとっても重い。6.6kg(電池なし)もある。この小さなボディからは信じられないくらい豊かな低音が鳴るのだから驚きだ。中高音の響きは好みの別れるところかもしれないが、ぼくはなかなか気に入っている。

しかし、想定外なことがあったのだ。ぼくが持つ 初代iPod だと、iPod Hi-Fiに直結できず、接続コード経由になってしまうのだ。これだと、ちょっと格好悪いんだな。でも、PowerBook G4 の中の iTunes にいっぱい入れてある音源を、やはり接続コード経由で直接聴くことができるので、これは便利。 iPod Hi-Fi は、ものすごくシンプルな作りで、イコライザーは付属せず、ボリュームコントロールができるのみ。実際に使ってみると、それで充分だということがよく分かる。iPod Hi-Fiは、講演会とかでも使えるような気がするな。いろいろと使い勝手を工夫してみようっと(^^)

 『落下する緑』田中啓文(東京創元社)    2006/05/16

●昨日の話の続き。土曜のよる7時すぎに「JAZZ CAFE BASE」の店内に入ると、よく知っている僕の大好きなレコードがスピーカーから鳴っていた。ファラオ・サンダース『LIVE 』(Theresa record) A面1曲目、"You've Got To Have Freedom"の、熱狂&怒濤のライヴ・ヴァージョンだ!



カウンター席に座っていた大沼志朗さんが、ふと言った。「これ、いいよねぇ! 10年前、ドイツのメールス・ジャズフェスティバルに出演した時に、僕らの前にステージに上がっていたのが、ファラオ・サンダースだったんだよ。この曲ナマでやってるのを見たんだけどさ、めちゃくちゃカッコよかったよ!」 大沼さんは、マスターにリクエストしてこのレコードをかけてもらったところだという。うれしかったなあ。これ、じつはぼくのレコードなんですよ(^^;)

あれは、まだ学生の頃だったねぇ、1982年に出てすぐに購入し、以来くり返しくり返し聴いてきたレコード。元気なく落ち込んだ時、ターンテーブルにのせてヘッドホンを大音量にして聴けば、パワー回復間違いなしの特効薬だった。2003年春に、待望のCD化がようやく実現したので、レコードにほうは「JAZZ CAFE BASE」に預けたのだ。

■ファラオ・サンダースの話は、このサイトでも何度か取り上げてきたが、忘れてならないのが田中啓文「あいうえ音楽座」だ。彼ほど熱烈にファラオのことを語ることができる人を、ぼくは他に知らない。その田中啓文氏の最新作『落下する緑』(創元クライム・クラブ 東京創元社)を読むと、「著者おすすめジャズレコード・CD情報」のページに、しっかり「このレコード」が紹介されている(161ページ参照)うれしくなっちゃうねぇ(^^)  でも同じ見開きページに、マシンガンのようにテナーサックスをブロウする、ドイツのフリージャズプレーヤー、ペーター・ブロッツマンのレコードも紹介されているが、この本を読んで本気でブロッツマンのレコードを買いたいと思う人がいるのだろうか? 止めておいたほうがいいと思うぞ。ぼくも彼のレコードを4〜5枚持ってはいるが、最近は聴いたことないなぁ(^^;) この本には、著者おすすめのレコードが21枚紹介されているが、ぼくが持っているのは7枚だけだった。それにしても、田中氏の好みは、相当に偏っていると思うぞ。でも、そのこだわりが好きさ(^^;)

『落下する緑』は、なかなかの傑作だ。ホームズ役のテナーサックス奏者、永見緋太郎のキャラクター造形が抜群にいいし、本格ミステリとしての完成度もなかなかだ。ことに、著者デビュー作である、表題の「落下する緑」とラストの「砕けちる褐色」がいい。「挑発する赤」もいいね。この性格悪いジャズ評論家、石倉康宏は、ぼくはヤスケン(安原顕)さんをイメージして読んだ。彼は中央公論の編集者→文芸評論家だったが、雑誌「ジャズライフ」にレコード評を書いていた。このあたりのことは、最近の本格ミステリ作家と一部の文芸評論家との間で繰り広げられている「論争」とも関係してくるのだろうな。そういえばジャズ雑誌の老舗「スウィング・ジャーナル」にも、ヤスケンさんによく似た癖のあるジャズ評論家がいたなぁ。岩○洋○とかいう人だった。小説の中に登場するジャズ評論家の重鎮、大熊晋一とは、亡くなった油井正一氏のことに違いない。

それから「反転する黒」に登場するドラマー、林葉幸生の名前は、ぼくの大好きな森山威男さんをイメージさせる。虚実取り混ぜて登場するジャズマンの立ち振る舞いが、じつにいいのだ。五木寛之、河野典生、筒井康隆、ナット・ヘントフらが昔さかんに書いていて、でも最近はまったく目にすることのない「ジャズ小説」の傑作として、ぼくはこの本を評価したい。スウィングするとはどういうことか? 即興演奏とは何か? 伝統と革新の重要性とは? この小説の中で、ジャズの本質がしっかりと語られているのだ。例えば、以下の部分を読んでみて欲しい。
「おい、カタギリ。あんたとはセオドア・ダグラスのバンドで一緒だった仲だから、ひと言忠告しておいてやる。インタープレイってのはな、単に音に対して音で反応するだけじゃない。心に対して心で反応するんだ。共演者と心を通わせられないあんたにはインタープレイはできない。あんたがやっているのはうわべだけ……音だけの反応だよ。それでは、聴き手の心を打つことはできん」(p260「砕けちる褐色」より)
■しかし、ネットで「この本」の感想を探してみると、「私はジャズのことはよく解りませんが……」という人がほとんどだった。もったいないなぁと思う。あまりミステリを読まないジャズファンにこそ、ぜひ読んで欲しい本だと思うし、ジャズのことをあまり知らないミステリーファンの方々も、JAZZ の魅力の一端をこの小説を読むことで充分に味わってもらえる力を秘めた「凄い本」であることを、ぼくは、これらのネット上の感想を読んで確信したよ。だからこそ、田中啓文氏には、ぜひ続編を書いて欲しいものだと思うのだ。

 大沼志朗(drms) ブルース・アイゼンバイエル(guitar) Duo Live at the JAZZ CAFE BASE 2006/05/15

●先週末の土曜日の夜、雨降る中、ぼくは7時過ぎにホテル・センピア前の「JAZZ CAFE BASE」に到着した。ジャズ・ドラマー大沼志朗さんと、アメリカから来日ツーアー中のジャズ・ギタリストブルース・アイゼンバイエルのライヴがこれから「ここ」で始まるのだ。

大沼志朗さんは地元の駒ヶ根市出身で伊那北高校の先輩だ。「フェダイン」や「渋さ知らズ」のドラマーとして活躍しだした頃には、ぼくが最前線のジャズからは遠ざかっていたので、恥ずかしながらお名前を存じ上げていなかったのだが、昨年の9月24日(土)の夜、やはり「JAZZ CAFE BASE」主催であった、新進気鋭の女性サックス奏者小森慶子さんと大沼さんとのライヴを初めて聴いてビックリ仰天したのだ。伊那北高校の先輩に、こんなにも凄腕のプロのジャズ・ドラマーがいたとは! 驚きだった。

細身の体から叩き出されるドラムの音は、シャープでタイトでありながら、ものすごくパワフルで、しかも変幻自在ときてる。それから耳がとてもいいんだね、相手の繰り出す音に直ちに反応して、絶妙のタイミングで逆に仕掛けてくる。大変な集中力だ。

●ぼくが店に入った時には、まだお客が2〜3人しかおらず、どうなることかと心配したが、ライヴが始まった夜8時前には、20人以上の人が詰めかけて「JAZZ CAFE BASE」のキャパシティからすると大入り満員状態になった。マスターよかったね(^^)

今回は、ドラムスとギターとのフリー・インプロビゼーションとのことで、しかもこの狭いスペースで、いったいどうなることかと思ったが、アットホームでなかなかいい雰囲気の中、迫力のフリージャズの応酬を久々に思う存分堪能することができた。ブルース・アイゼンバイエルというギタリストを、ぼくはぜんぜん知らなかったのだが、プロフィールを見ると、超一流ジャズマンと百戦錬磨を繰り広げてきた強者で、今までに聴いたことがないようなギター演奏を間近(60cmくらいの距離)で見せてくれた。不思議な演奏法を駆使して、ギターでもいろんな音が出せるのだねぇ。面白いなあ。でも、ぜんぜんドラムの音に負けてなかったのが凄かったな。

フリージャズの即興演奏なので、知ってる曲というのはないのだが、ラストの曲の前に、コルトレーンの「ナイーマ(ネイマ)」をギターで演奏してくれた。しみじみと心に沁み入るものすごくいい演奏だった。雨の中、わざわざ聴きに出かけてよかったな。満足しました。

 近ごろ読んでいる本                    2006/05/13

●前回紹介した「御宿 ん路湖」のHPを見てみると、ご主人も料理を作っておられるのですね。失礼いたしました。この「調理師3」とあるのは、東京に住む娘さんで、宿泊のお客さんが多いときには、助っ人として東京から駆けつけて来るのだそうだ。

■いろいろとやらなきゃいけないこと(学校心電図判読、5月末締め切りの原稿書き、上伊那医師会情報伝達委員会に、講演会の準備など)が山ほどあるのだが、そういう時にかぎって読書に逃避してしまうのだな。

『昔話と日本人の心』河合隼雄(岩波現代文庫)

    ・異類婚姻譚である西洋の「美女と野獣」と日本の「鶴女房」の違いとは?
     これは面白い。いろいろと勉強になるねぇ。いま半分くらいまで読んだ。
     つん読状態の『昔話の深層』のほうも、ちゃんと読まなきゃな。

『落下する緑』田中啓文(創元クライム・クラブ  東京創元社)

    ・落語に続いて、今度はジャズ界を舞台にした連作短編ミステリー。
     これも面白い。短編の合間に著者のジャズコラムが載っていて、これがまた読ませる。
     ジャズ好きにはたまらないね。ファラオ・サンダースやローランド・カーク、ウディ・ショウに
     山下洋輔と、著者のお気に入りミュージシャンが、ぼくとかなり似通っているのもウレシイ(^^)

『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド(ハヤカワ・ミステリ)

    ・これは評判通りの凄さ! まだ最初の2篇しか読んでないが、今までにない書き手だ。
     リアルというよりも、めちゃくちゃ「生々しい」。上手く言えないけれど、ぼくは解剖実習の
     頃のことを、ありありと思い出した。

『人間以上』シオドア・スタージョン(ハヤカワ文庫)

    ・『輝く断片』をようやく読了した。世の中には変なことを考える不思議な作家がいたものだ。
     「ニュースの時間です」は特に変な小説だったが、「ルウェリンの犯罪」が一番好き。
     「君微笑めば」もよかった。というワケで、もっと読んでみたくなって買ってきたところ

 御宿 ん路湖(その3)                   2006/05/10

●ここのもう一つの魅力を忘れていた。それは、よる9時からの「ティータイム」だ。前回訪れた時には、囲炉裏ばたで大きな栗を焼いてくれた。それから、台湾産の不思議なスイカのたね。いろんな香辛料が入ったタレに漬け込んで乾燥させた種の皮を歯で囓ってむき、中のまっ白な芯だけを食べるのだが、これが食べ出すと止められない癖になる味なのだ。

 わが家に持ち帰った、例の噂のスイカの種 (実物大よりやや大きめ)



今回は、このスイカのたねに加えて、やはり台湾産の不思議な果物から抽出したというゼリーのような食感のものを、レモンと蜂蜜の汁であえたデザートに、中華料理でよく出される「みつ芋(大学いも)」が出た(すまぬ! 写真を撮り忘れたのだ)ただ、これが普通の「みつ芋」ではなくて、何て言うか「かりんとう」みたいな味わいの薄茶色の黒糖?で包まれた、胃にもたれない上品な甘さの「みつ芋」だったのだ。以上のお茶請けに、美味しい烏龍茶が出される。

●わが家の子供たちは、前回泊まった時によっぽど印象に残ったのであろうか「岩魚とスイカの種、また食べに行きたい!」と、ずっと言っていた。そうして、子供たちに絶大な人気を博したのが、ここのご主人だ。すっとぼけたような飄々とした雰囲気で、すまして「おやじギャグ」やダジャレを連発するものだから、もう子供らには大受けで、みなが大笑い。子供のあしらい方をよーくご存知のご主人なのであった。子連れだと、何かと嫌われて気を使うペンションだが、ここではその心配はないのではないか?。

ご主人はふと姿勢を正すと、我々を見渡しながら、おもむろにこう切り出した。「いいですか? この烏龍茶は台湾の阿里山で採れたお茶なんです。本当に美味しいお茶を入れるためには、茶葉を一枚一枚数えながらポットに入れる必要があるのですよ。私は何枚入れると最も美味しいお茶を入れることができるか、ずっと研究してきました。長年の経験で解ったことは、茶葉を65枚入れると濃すぎるのです。かと言って、63枚だと少し薄い。茶葉を64枚入れた時が一番おいしいお茶になることを発見したんです。だって、はっぱろくじゅうし、と言うでしょ(^^;)」 あはははは! これには一本とられたね(^^;)

■それにしても、ここでも台湾の話題には事欠かない。阿里山の話もでた。奥さんの友人が台湾在住の人で、例のスイカの種とか、台湾でしか手に入らない食材を定期的に送ってくれるのだそうだ。わが家のトラウマ「台湾」 が主役となるのだから、なんとも不思議な縁(えにし)だなぁと、しみじみそう思うのだった。

一般的なペンション宿泊価格設定からすると、ここはやや割高な印象を受けるかもしれないが、それだけのモノはあります。ここの食事に魅せられて、毎月やって来るリピーターもいるのだとか。分かる気がしますね。開業以来ずっと毎日の料理の内容を記録してあって、前回出した料理と同じものは出さないようにチェックしているそうだ。逆に、お客さんから「また、あれが食べたい」とリクエストがあれば、できるだけ応えるようにしているという。

■不思議な「宿の名前の由来」を、ご主人に訊いてみたら、奥さんの名前が「ひろこ」さんなので、ご主人はいつも奥さんのことを「ロコ」と呼んでいたことから「ん路湖」にしたんですって。じゃぁ、最初の「ん」は何なの? その謎は、「御宿 ん路湖」に泊まった時に、直接訊いてみてくださいね(^^)

 御宿 ん路湖 へ泊まりに行ってきた(その2)        2006/05/09

●子供が次第に大きくなって小学校も高学年となると、スポーツ少年団の活動やら何やらで週末や連休はそちらに時間を取られてしまう。中学生ともなれば部活が忙しいし、そもそも親といっしょに旅行なんて鬱陶しくてイヤになるだろう。だからこそ、わが家の場合「今しかない」そう思うのだった。子供は、あれよあれよと大きくなる。知らないうちに、どんどん大きくなるのだ。だから、いまこの時を大切にしたいと思う。

「御宿ん路湖」は、分類すれば「和風ペンション」ということになるのだろうが、全室和室の客室(手ぬぐい・タオル・歯ブラシ付き)が常に清潔に保たれていて、じつに気持ちいいこと(出窓のサッシは毎日拭き掃除をして、その度に布団も干すのだそうだ)と、毎回食べきれないほど出される夕食・朝食(料理研究家の奥さんが腕によりをかけて作る、和洋中華、エスニック、それにイタリアンとつぎつぎにテーブルに並ぶその料理の多彩な美味しさ)が、何といっても一番の魅力だ。それから、玄米を自家精米してガス釜で炊かれる「ごはん」もこれまたホントに美味しい。



ゴーヤチャンプルー、ウドの酢のもの、ほうれんそうの胡麻和え、ピータン味噌の冷や奴、
ちょっと酸っぱめの木耳と卵の中華スープ、岩魚の塩焼き(囲炉裏でじっくり焼いた)、お肉とサラダ。一皿一皿に奥さんの工夫と技が仕込まれていて、どれもこれもため息がでるほど美味しい。


       

これが、台湾から食材を取り寄せて作った「ピータン味噌」絶品!!  写真を撮る前に息子がすでに3個食べてしまったので、ちょっとバランスが悪いが、これまた美味しい餃子。




さらに、ふきのとうのスパゲティが出てきたよ。ちょっぴり苦いふきのとうが絶妙のイタリアンに変身するのだから、ビックリだ。



翌朝の朝食は、前回が和食だったので、今回は洋食で用意してくれた。なんと、トーストはパン半斤分だぁ(^^;) 凄い量だぞ。(つづく)

 北杜市大泉町 御宿「ん路湖」へ泊まりに行ってきた      2006/05/07

●5月6日(土)は、平常どおり外来診療を行った。連休前に具合の悪かった子供たちは、休みに入っても回復しない場合は、当番医か伊那中央病院救急センターを受診したのであろうか(ごめんなさいね)予想よりも落ち着いた外来で、午後2時半過ぎには終了した。

●GWの入念な計画が見事に頓挫した経験は、何も今年だけのことではない。そんなことはぼくだって学習済みだ。小さい子供を育ててゆけば、誰だって一度や二度は遭遇する事態には違いない。いつだって、子供というものは土日の夜か家族旅行に出発する前日の夜に熱を出すことになっているのだから……

あれは今から6年前の年末、成田に住む次兄が計画して北原家3兄弟合同の「台湾旅行」に出かけたことがあった。1999年の年末に成田空港を出発して、台湾の阿里山から2000年の御来光を拝もう! というツアーに参加したのだ。考えてみると、3歳の長男と1歳2カ月の次男を連れて初めて海外旅行に出かけたのは、かなり無謀な試みだったのかもしれない。ツアーも、3泊4日の日程を目一杯詰め込んだハードスケジュールだったが、子供たちは意外と平気で旅を楽しんでいた。

寝不足で出発したぼくは、さすがに後半体調を崩し、阿里山に到着してから水様下痢が容赦なく続き、ぼくだけ翌朝の御来光ツアーには参加できなかった。それでも、台湾は本当にいいところで、台湾ビールは旨いし中華料理も烏龍茶も絶品で、ぜひまた訪れたい! そう思ったのだ。

だから、2002年のGWに再度 2泊3日の「台湾ツアー」を計画したのだった。たまたま、妻の学生時代の友人が、前年から旦那さんの転勤で台北在住となったので、その友人を頼って、もう一度台湾へ行くことに決めたのだ。妻ははりきって旅行代理店に通い、現地の友人と連絡を取りつつ、一人で全てのお膳立てを整えた。ほとんど完璧だった。名古屋の小牧空港近くの駐車場までちゃんと手配してあった。

ところが、出発の前日に長男が熱発し、何度も嘔吐した。ぼくは焦って、長男に点滴をした。しかし、嘔吐は止まらない。悩んだぼくらは苦渋の決断を迫られた。 で、結局ドタキャンをしたのだ。旅行会社には、すでに全ての旅費が支払われていた。ぼくは未だに、あの時どれくらい旅行会社から返金されたのか、怖くて妻には訊けないでいる。あの時のトラウマは鮮烈で、特に妻はいまだにその傷を抱え続けているのだった。

出発予定だった2002年の5月3日、熱も下がり嘔吐も下痢も収まってすっかり元気になった長男を横目に、妻はリビングのカーテンを朝から閉め切って、放心状態で抜け殻のようにソファーに坐っていた。これはヤバイのではないか? と心配したぼくは、あちこちネットで検索して、八ヶ岳山麓の甲斐大泉「八ヶ岳ロイヤルホテル」の1室を5月4日に押さえた。台湾旅行が、八ヶ岳に化けてしまったのだ。でも、この時初めて訪れた「絵本の樹美術館」で、たまたま打ち合わせに来ていた内田麟太郎さんと、伊藤秀男さんから直接サインを頂くことができたのだから、人生万事塞翁が馬とでも言うか、災い転じて福となすとでもいうか、人生の不思議を実感した1日であった。

■と言うワケで、今回も八ヶ岳山麓・甲斐大泉方面に救いの手を求めた。5月5日(金)の夜、昨年の秋に一度泊まりに行ったことがある「御宿ん路湖」に、翌日の6日(土)の夜の宿泊が可能かどうか、ダメもとで妻が電話してみたのだ。そしたら、奇跡的にも「部屋が空いているのでどうぞ」という返事。じつにラッキーだったな。またしてもわが家は八ヶ岳山麓・甲斐大泉に救われたのだ。(つづく)

 続・薮内正幸美術館にて      2006/05/06

●前回は、タイトルとはぜんぜん関係のない話に終始してしまった。で、薮内正幸美術館のはなし。

原画でしか絶対に味わうことのできない絵本の絵の素晴らしさ、魅力があるのだということを、ぼくが初めて知ったのは、H14年6月末に茅野市立図書館・美術館で開かれた「薮内正幸 野鳥・動物絵本原画展」に於いてだった。わが家にもある絵本「日本の野鳥(1)にわやこうえんにくるとり」(福音館書店、1973)「日本の野鳥(3)やまのとり 」(福音館書店、1976)「どうぶつのおやこ」(福音館書店、1966)「冒険者たち」(斉藤惇夫、岩波書店、1972)などの原画をこの時初めて見たのだが、本当にビックリした。

そこには、絵本の印刷された絵からは絶対に伺い知ることのできない、細心の注意の元に膨大な時間をかけて入念に描かれたであろう画家の絵筆の繊細なタッチ、すなわち、鳥の羽毛のふんわりとした質感や、小熊の黒い毛が光の当たり具合で微妙に色合いが変わるリアリティなどが、ありありと描かれていたのだ。ぼくはそれまで、動物の挿画家ぐらいの認識しか持たなかった薮内正幸氏の真価を、この時初めて思い知らされたのだ。ショックだった。凄いと思った。感嘆した。

この原画展は、展示原画を一新して翌年も茅野市立図書館で開かれ、ぼくはまた見に行った。素晴らしかった。これらの薮内さんの原画が、いつでも常設で見ることができる美術館があればいいのに。その時そう思った。思いがけず、その願いがかなったのが薮内正幸美術館だ。白州町にできた「薮内正幸美術館」を初めて訪れた時のことは、2004年7月4日の日記に書いた。

●この時お会いした戸田杏子さん(薮内正幸さんの奥様)は、4月30日(日)にも美術館にいらして、ぼくらを笑顔で迎えてくれた。うれしかった。いま展示されている絵本の原画は、薮内さんの処女作『くちばし』『どうぶつのおやこ』それに、サントリー愛鳥週間キャンペーンのペン画だ。ペリカンの羽毛(朱ともピンクとも違う淡い色合い)が、なんとも美しい。

ぼくは息子たちに「どうだ、すごいだろう?」と言いながら、ゆっくりじっくり一つ一つの絵を見てゆこうとするのだが、子供たちは「ほんと、すごいねぇ!」と答えつつ、先にぐるっと館内を一周したかと思うと、さっさと入り口から外へ出ていってしまった。前回訪れた時に美術館の庭でトカゲを目撃したので、今度こそ其奴を捕まえてやろうという魂胆なのだ。彼らにとっては、原画の魅力よりも本物のトカゲのほうが重大な関心事なのだな。草薮を棒で突っつきながら館外を一回りして、とうとうお目当てのトカゲを捕まえたようだ。見せてもらうと、全長7cm にも満たない小さなトカゲだった。周囲の木々の林では小鳥がさえずり、芽吹きの柔らかな緑色がじつに心地よい。サントリー白州蒸溜所にも近く、この時期訪れるにはオススメの場所だ。

■せっかく白州まで来たのだからと、金精軒に寄って、かしわ餅と草餅、それに酒饅頭を買って帰った。帰りに尾白川の堰堤まで行ってみた。ここもいいところだ。夏には「小川のテント」を持ってキャンプに来よう。

 薮内正幸美術館にて        2006/05/04

●今年は3日間連続で休みが取れるのが、5月3日、4日、5日の3日間だけだった。お盆休みは8月14日が当番医で、その夜には高校の同級会の幹事をして、翌日の15日は境区の夏祭り役員でまる一日潰れることになっているのだ。妻と息子たちは「沖縄に行きたい!」と言ったが、平日に休みが取れない開業医にとって、それは無理な相談というものだ。

と言うわけで、この「ゴールデン・ウィーク3連休」を最大限有意義に過ごすべく一大プロジェクトが組まれた。協議の末、ディズニーをすっかり卒業した子供たちが「行きたい!」と言ったのは大阪ユニバーサルスタジオ・ジャパンだった。妻は伊那市入舟の日本近畿ツーリストに何度も通って、5月3日のオフィシャル・ホテルを何とか押さえた。2月か3月に入ってすぐのことだったと思う。

計画では、1日半券を購入して、当日はお終いまで過ごし、翌朝一番にゲートに並び、開門と共に妻が走って(中学では短距離走の陸上選手だった)スタジオ内のチケット販売所に急ぎ「ユニバーサル・エクスプレス・パス ブックレット7」を4人分購入して(ネットでの販売分はすでに売り切れ)、あとはゆっくり、まる一日スタジオ内を楽しむ、ということになっていたのだ。その日の夜は、大阪駅の「ホテルグランディア大阪」に泊まって、最終日の5日は奈良に向かい、興福寺宝物館、東大寺大仏殿、三月堂、戒壇院、新薬師寺をまわり、仏像三昧に浸る。それから京都に向かい、新幹線「こだま」に乗って岐阜羽島で下車し、南口駐車場に停めておいた自家用車で深夜前には家まで帰る。まぁ、それが今回の企画だった。よく錬られた、まず抜かりのない、ほとんど完璧な計画だったな。

●しかし、現実は厳しかった。物事にはいつでも予測不能な事態が付きまとうのだ。ぼくらは、さすがにそこまでは保険にかけることはできない。5月1日の昼前、医院に電話がかかってきた。次男の小学校担任の先生からだった。「自宅に電話したけれども留守だったので、こちらにかけました。○○さんが、3時間目から頭を痛がって保健室で休んでいます。熱も出てきたみたいです。迎えに来ていただけますか?」という内容。ぼくは慌てて、ベルシャインに買い物に行っていた妻に連絡を取り、学校まで次男を迎えに行かせた。

帰宅した次男の顔色は悪く、夕方からどんどん熱が上がって39度を超えた。深夜には嘔吐もした。翌朝(5月2日)すこし熱が下がって元気も出てきた次男だが、午後から再び高熱が出てうなされた。アデノ迅速検査は(−)、インフルエンザでもなさそう。でもCRPは高い。点滴をしてロセフィン(抗生剤)点滴静注をしたが解熱せず、深夜には40℃を超えた。この時点で、今回の計画をすべてキャンセルした。しかたないよね。

■という訳で、本日の5月4日は計画では大阪にいるはずだったのだが、何故か伊那にまだいます。昨日に引き続き、あまりに天気がよいので、今日になってようやく元気になった次男を乗せて、自家用車で権兵衛トンネルを抜け、渋滞のR19を走り、開田高原まで行って御嶽山を初めて見てきた。大きかったなぁ! 帰りも渋滞のR19をとろとろ走り、トンネルを抜け、伊那に帰り着いた。いろいろあったから、今日はちょっとだけ贅沢しようと思い「ちむら」でお鮨を食べてきた。ウニとトロ! それに、赤貝に平目に鯛、それから、久々のアナゴ。どれもこれも、ほんと美味しかったデス! ごちそうさまでした(^^)

●よる7時、帰宅して郵便受けに入っていた「母の友」を開封すると、薮内正幸美術館のことが載っていた。ついこの間、次男が熱を出す前日の4月30日(日)に、白州の「薮内正幸美術館」へ行ってきたばかりだった。(つづく)

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