しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 最近買った本、読んでいる本             2006/07/30

『福耳落語』三宮麻由子(NHK出版)

  "sceneless"(全盲)のエッセイスト、三宮麻由子さんが書く文章を読むと、いつでも「はっ!」とさせられる。今回の本も、ビックリさせられどうしだ。それにしても、三宮麻由子さんがこれほどまで「落語」を愛しているとは! これは楽しくて、しかも凄みのある、今までにない落語本だな。

『風の影・上』カルロス・ルイス・サフォン著、木村裕美・訳(集英社文庫)

  「ダヴィンチ・コード」の柳の下のドジョウをねらっているのかな。<ここ>のサイトはまるで映画配給会社のサイトみたいだ。まだ読み始めたばかりだが、歴史ゴシック・ミステリーロマンといった感じで、なかなかに読ませる。面白そうだぞ、これは。ぼくは、スペイン映画『エル・スール』ビクトル・エリセ監督作品が大好きなので、スペインのバルセロナが舞台のこの小説に期待しているのだ。

『レクトロ物語(完訳版)』ライナー・チムニク著、上田真而子・訳(福音館文庫)

  あの傑作『クレーン男』には、脇役で登場した「レクトロ」が、主役を張った本。噂はずいぶんと前から聞いてはいたが、手にしたのは初めて。それにしても、福音館文庫は、何も宣伝もせずに突如すごい本を再刊するのだから困ってしまう。大道あやさんの自叙伝が文庫で出た時も、ぜんぜん気が付かなかったしな。

『「パパ権」宣言!』川端裕人+岸裕司+汐見稔幸(大月書店)

  川端裕人さんには、ちょっと期待しているのだ。

『絵本をひらく』谷本誠剛・灰島かり編(人文書院)

『子どもを叱りたくなったら読む本』柴田愛子(学陽書房)

『江戸っ子だってねぇ 浪曲師・広澤虎造一代』吉川潮(新潮文庫)

 『十五少年漂流記』(その2)            2006/07/27

●新潮社の季刊誌『考える人』に、椎名誠さんが「黄金の十五人と謎の島」という、『十五少年漂流記』の謎に迫るノンフィクションを連載している。最近でた、2006年「夏号」で、第四回になる。そこには、例えばこんなようなことが書かれている。(161〜162頁)
我々が向かっているのはハノーバー島である。ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』の少年達が漂流してたどり着いた無人島のモデルとされている。
地図を見ると濃密に島々が入り組んでいるマゼラン海峡にあり、そのあたりは無人島だらけである。

もう百年あまり世界中の子供たちに読まれている『十五少年漂流記』は純然たるフィクションだが、作者のジュール・ヴェルヌはどんな小説も詳細に科学的な論拠をつきつめて書くことでよく知られている。(中略)

多くのヴェルヌ研究者はこの小説のモデルとなったのはマゼラン海峡のハノーバー島であろう信じ、そう認識してきた。
けれど「違うのではないか」と疑問を呈したのが、前号で紹介した田辺眞人教授であった。
田辺教授は『ニュージーランド研究第九巻』にこのことをとりあげ、次のように書いている。(中略)

 ぼくはこれを読んで驚嘆した。『十五少年漂流記』は子供の頃から夢中になって読んだ愛読書であり、その後のわが”世界あちこちふらふら人生”のきっかけとなった一冊なのである。
『冒険にでよう』椎名誠(岩波ジュニア新書)を読むと、217頁にはこのように書かれている。
ほんとうのモデルはニュージーランドのチャタムという島ではないか、と教授はいろいろな事象をあげて説いている。それを確かめるための旅だった。(中略)

島の上空を軽飛行機で飛びまわってよくわかった。確かにヴェルヌの書いた十五少年の漂着した島とあらゆるところがそっくりなのである。

 『十五少年漂流記』ジュール・ベルヌ作、志水辰夫・翻案(講談社)  2006/07/25

●いろいろ言ってはみたが、『シルバーチャイルド・シリーズ』は面白かった。自分の息子(小4)に薦められた児童書に、これほどまで夢中になるとは思わなかった、というのが正直なところだ。だからといって、『ハリー・ポッター』のシリーズは、たぶんこれからも読むことはないだろうな。そこが天の邪鬼なのだが(^^;)

じゃぁ、『シルバーチャイルド』の何がぼくのツボにはまったのか? それは、この小説がファンタジーではなくて「SF」だったからだ。しかも、イギリス正当派冒険小説が持つ気品と気高さが、小説のはしはしに確かに感じられたことにも親近感を持った。それにしても、この著者はとてつもなく突拍子もないイメージを読者に強制して困ってしまうぞ。<プロテクター>の「エヴィッサ」って、いったい何なんだ? 心臓が7つあって、目が3つあって、拘束肢やシフトを体から突き出す怪物<ロア>の全体像って、ぼくは到底画像化できそうにない。しかたないので、息子に訊くと、ちゃんと絵を描いて教えてくれた。なるほど、お前はそういうイメージか、とうさんよりも、ずっとよくきちんと文章を読み込んでいて感心したぞ。

SFをいっぱい読み込んでいる人が、『シルバーチャイルド』を読んでどう評価しているのか? 大森望さんは読んだのか? そんなかんなが気になって検索してみたら、雨女さんは自分のHP「雨の日には本を読もう」(注意!ネタバレあり)で、「絶対のオススメです」と絶賛しているではないか! そうかそうか、うれしかったな(^^) ぼくが常に信頼を置いている「児童書読書日記」には、このように書かれていて、ずいぶんと落ち込んだ後だったから、「雨女」さんの言葉には助けられた。本当に力強かったな。よかったよかった(^^;)

■面白い本を教えてもらった恩返しのつもりで、一昨晩から『十五少年漂流記』ジュール・ベルヌ作、志水辰夫・翻案(講談社)を子供たちが寝る前に読み始めた。息子たちにとっては有り難迷惑だったのかもしれないな。7歳の次男は、「え〜っ」と言ったきり、かいけつゾロリの本をめくるだけで、ぼくの朗読に全く耳を傾けようともしない。嫌なものはイヤなんだな、じつにはっきりしている。9歳の長男は、父親にちょっとは気を使って、ちゃんと聴いてくれているみたいだ。

あれだけスピーディーで、奇想天外で、怒濤のイメージが駆けめぐる『シルバーチャイルド』を読み終わった、小学4年生に、はたして『十五少年漂流記』は、訴えるものがあるのか? エバー・グリーンが持つ力を信じることが、はたしてできるのだろうか? しばらくは父親と息子たちとの就寝前の攻防戦は続く!(^^;;

「お父さんと読む絵本」を更新しました。読んでみてね。


 シルバーチャイルド(III) 目覚めよ!小さき戦士たち     2006/07/23

『シルバーチャイルド(III) 目覚めよ!小さき戦士たち』を読み終わった。で、最初にお詫びしなければならないのだが、7月17日の日記に『シルバーチャイルド(II) 怪物ロアの襲来』をほめちぎって書いてしまったけれど、あれは褒めすぎでした。ごめんなさい。

前回は、読み終わって直ちに書いたから熱い感想になったのだが(まぁ、ぼくの感想は、本に限らず食べ物でも同じで、話半分もしくは話3分の1くらいが客観的評価と一致すると考えていただければ間違いないのです)、今回は水曜日に読み終わって4日も経っているので、ちょっと醒めた冷静な感想。

それにしても、この本の著者クリフ・マクニッシュは読者を引っ張る引っ張る! ちょっと引っ張りすぎだね。この最終巻を、3/4 近く読み進んでも、まだ先が見えないのだ。でも、物語はあと70ページで決着する。それはちょっと無理ってもんじゃない? だからだと思うのだが、最後のページを読み終わって、本をパタンと閉じた時に胸の奥からジワジワとこみ上げてくるはずのカタルシスが、「2巻目」を読んでいる頃に期待していたほどは得られなかったのだ。 ぼくが何を期待したかと言うと、例えば、光瀬龍『たそがれに還る』『百億の昼と千億の夜』や、小松左京『果てしなき流れの果てに』を中学〜高校生の頃読んだ時に味わった、自分のタマシイが瞬時にして遙か何百光年も彼方へ連れ去られてしまうようなカタルシスだったのだが……

とは言え、『シルバーチャイルド』の3冊が、寝食を忘れて「ハラハラ・ドキドキ」しながら読書に没頭できた幸福な時間を提供してくれた本であることは否定しようがない。しかも、息子と共通の読書体験というのも初めてだ。お互いに本の感想を述べ合うのは、何だかちょっと照れくさいのだが(^^;)

●物語の舞台となるコールドハーバーは、イギリスの海辺に朽ち果てた「夢の島」みたいな巨大なゴミ捨て場だ。その地に何故か吸い寄せられるようにイギリス全土から、いや世界中から子供たちが集まってくる。いつしかコールドハーバーには<バリア>が築かれ、子供は入れるが大人たちは一切足を踏み入れることができない土地(サンクチュアリ)となった。子供たちはこの地に留まり、サバイバル生活を送りながら、宇宙の彼方から攻め入ってくる怪物<ロア>の襲来に備えるのだ。

子供たちだけのサバイバルというと、それこそ『十五少年漂流記』だとか、『蠅の王』だとか、梅津かずおの『漂流教室』を思い浮かべて、ずいぶんと使い古されたネタには違いないのだが、こういう手がまだ残されていたんだね。それにしても、今の時代に「こども」をやっていなければならない彼らは、ほんとうに大変だね。ぼくが「この3部作」を読み終わって一番に感じたことは、そのことだった。そんな彼らを勇気づけるパワーを持った本。子供たちのことを基本的に信頼してる本だと思う。

 暴れ天竜                     2006/07/20

●信州伊那谷を流れる天竜川は、源である諏訪湖を発して南へ下り、上伊那を流れ潤しているのだが、その本流にはダムは一つもない。支流の三峰川には、美和ダム、高遠ダムがある。下伊那まで下ると、天竜峡を過ぎて、下伊那郡泰阜村に、初めて本流を堰き止めるダムが登場する。泰阜ダムだ。その下流には、平岡ダム、佐久間ダムと、大きなダムが存在するのだが、上伊那には天竜川を堰き止めるダムはないのだった。唯一、諏訪湖の端にある、岡谷の釜口水門がダムの役目を担っている。

今回の長引く大雨と天竜川の増水、堤防決壊の被害を目の当たりにして、その事実を初めて知った次第だ。釜口水門も諏訪湖の水位が上がり諏訪市街が浸水しないように、放流量を毎分400トンに上げざろうえない。そうなると、下流の上伊那地域はどうしようもないのだった。水位はどんどん上がり、危険範囲を超え、天竜川は怒濤の如く川幅いっぱいに流れ行く。幹線道路にかかる橋も、その橋脚がほとんど埋没するくらいに水があふれ、どうどうと、橋のコンクリートにぶつかる。雨足は衰えない。

天竜川の堤防が決壊すると多大な被害がでるであろう地域には、水曜日のよる9時半に、伊那市対策本部から地域住民へ避難勧告が出され、さらに勧告は「避難指示」に強められた。わが家は、幸いにして天竜川からやや離れているので、避難対象とはならず、平常どおり診療ができたが、伊那市内の開業医院のうち、6つの医院がその対象となり、水曜日と木曜日を臨時休診として、カルテなどの重要書類や機材を水が浸かる怖れのない2階に移動する作業に明け暮れたという。

また、避難場所となった伊那北小学校の体育館で眠れぬ夜を過ごした2歳女児が、体調を崩して熱を出し、今日の午後、当院を受診した。避難勧告は解除されたので、自宅に帰って、自分の布団で今夜は眠れることが何よりもの救いだと思う。ただ、夜になって再び雨が降り始めた。土砂崩れや、崩壊した橋の情報もある。しばらくは、まだまだ安心できそうにない。近隣にお住まいのみなさまで、大変な思いをされた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 シルバーチャイルド(II) 怪物ロアの襲来       2006/07/17

●今年は、ビートルズが初来日して40周年になるのだそうだが、時をほぼ同じくして、超大物ミュージシャンが初来日した。1966年7月、ジャズ界の巨星ジョン・コルトレーンが初めて日本の地を踏んだのだ。当時、彼は39歳だった。そうして、その1年後の7月17日(ちょうど39年前の今日)、コルトレーンは亡くなってしまう。享年40。少し前まで、彼の命日には、ほぼ必ず彼のCDをかけてきたのだが、今日はすっかり忘れていて、日付が18日に変わってしまった。でも、これから聴こうと思う。さて、何を聴こうか…… 「とらんじしょん」か「マイ・フェイバリット・シングス」か、それとも「サン・シップ」か、いやいや、やっぱり「ジャイアント・ステップス」か。

『シルバーチャイルド(II) 怪物ロアの襲来』クリフ・マクニッシュ著、金原瑞人・中村浩美・訳(理論社)を、この連休で読み終わった。面白い。ものすごく面白い!

物語の展開が、まったく読めないのだ。えっ? という方向へ、どんどん話がズレていってしまう。いったいどうなるんだ? 頁をめくる手が何とももどかしい。感想は最終巻を読み終わってから書こうかと思うが、このシリーズは、現代SFの傑作になるのでのではないかな? ジュブナイルにとどめておいたのでは、もったいないぞ! 圧倒的物語世界を構築する著者の豊かなイマジネーションは、スティーヴン・キングを超えているのかもしれない(と言うと、ほめすぎか)。何よりも素晴らしいのは、主人公たち子供の苦悩と戸惑いが、よく描かれていることだ。自らの使命を理解できないままに、それぞれの子供たちは「それぞれの特殊能力」を身につけ、いま、自分がしなければいけないと確信した行動を、それぞれが取り始めるのだ。

ただし、そのためには、信じられないような身体的苦痛と、精神的苦悩を経験しなければならない。その試練に、はたして子供は耐えられるのか? 第1巻最後の「ミロ」の苦痛を見よ! 第2巻後半で挫けそうになりながらも決して屈しない「トマス」の勇気を見よ! 自分が得た超能力の威力に畏怖しながらも、次第に自分の使命に目覚めてゆく「ヘレン」の健気さを見よ! そうして、身長3m以上にもなった優しき巨人「ウォルター」の、大切な人たちを守るべく立ち上がる覚悟を見よ!

本を読みながら、読者もみな、自らの血を流しているのだ。読んでいて、痛いのだ、苦痛なのだ。こういう読書体験って、なかったように思う。ディック・フランシスの競馬シリーズ『度胸』『大穴』、それに『利腕』を読んでいた時以上の、主人公の身体的苦痛と精神的苦悩に、今回ぼくは『シルバーチャイルド』のシリーズを読みながら、圧倒されている。第3巻の展開は、いったいどうなるのだ? 息子に訊いたが教えてくれなかった。しかたないので、長男が最終巻の残りあと後半1/3を読み終わって、父親に本を貸してくれるまで、じっとガマンして待っているしかないのだった(^^;)

 翻訳家・岸本佐知子さん その後          2006/07/14

『気になる部分』が、あまりに面白かったので、彼女の文章を探している。例えば、

http://media.excite.co.jp/book/special/honyaku/index.html

http://www.fellow-academy.com/fellow/magazine/userMailMagazineView.do?deliveryId=4

それから、『本の雑誌』2005年11月号で、大森望氏、トヨザキ社長との鼎談が笑わせる「フラメンコ書評」の話が楽しかったな。

あと、2002年から2004年にかけて、『母の友』(福音館書店)誌上で、彼女は隔月で書評を書いていて、ぼくはずっと読んできたはずなのに、あまり印象がなかった。で、書庫にとってある『母の友』を探してきて、片っ端から確かめて読んでみたのだが、予想に反して、岸本佐知子さんが好む本の嗜好性と、ぼくの嗜好性とは、ほとんど相容れないことに気が付いた。淋しかった。でもまぁ、彼女が書く文章を読んでいるだけで、幸せになれるんだから、それでもいいか(^^;;)

 小学校における「読み聞かせ」は、どうあるべきか?(その4)      2006/07/11

●つまり、何が言いたいかというと、小学生の子供自身は「絵のない本を、黙読して物語を楽しむ」技術を未だ獲得していなくとも、子供が大好きな、信頼する大人に(それは、担任の先生であり、父親母親であるはずだ)絵本ではない本を、毎日少しづつ読み聞かせしてもらえば、子供たちは知らず知らずのうちに、自分の想像力を最大限に駆使して、彼の頭の中にイメージの映像を独自に作り出す能力が育ってゆくのではないか?  ぼくはそう思うのだ。

物語が持つパワー、二転三転する展開にハラハラドキドキするストーリーの面白さ。自分の人生とは全く無関係のように思われた話が、ある瞬間に自分の実人生と交差していることに気付いた子供たちは、そのうち必ず自ら進んで本を読み始めるはずだ。

ただ、そこまで持ってゆくには大人の手助けが必要なワケだ。本当に面白い物語は、実際にはそのイメージを絵では表現出来ないし、語れば大変な時間がかかる。最近は、小学校にボランティアの「絵本の読み聞かせ」が入って、かなりの成果を上げていると言われているが、小学校の低学年の子供たちにはそれでもいいかもしれないが、小学校高学年の子供たちには「絵本にはない物語のめくるめくイメージの奔流」を味わせてあげる必要があるのではないか?

となると、不定期で小学校を訪れるボランティアには荷が重すぎる。定期的に週4〜5回決まって本を読み聞かせする時間があれば、ぜひ、絵本ではなく「ドリトル先生のシリーズ」『ナルニア国ものがたり』それに、ダールの『チョコレート工場の秘密』などを、一日に15分づつ、1カ月かけて読んであげて欲しいと思う。『マジック・ツリーハウス』のシリーズや、『ドラゴン・スレイヤー・アカデミー』のシリーズでもよい。大切なことは、大人が子供たちのために、本を読んであげるということだ。それから、NHKの朝の連続テレビ小説と同様に、毎日連続して続けることが重要だと思う。ちょうど話が盛り上がったところで「はい、今日のお話はここまで。続きはまた明日」と、子供たちの関心が途切れないように引っ張って行くのだ。

■ぼく自身は、そうやって我が子に本を読み聞かせしてきた。ところがある日、小学4年生の長男は、突然自分で本を読み始めたのだ。父親の読み聞かせの助けを借りずに。ぼくはちょっと悲しかった。息子に読み聞かせしたい本は、『宝島』『十五少年漂流記』に、『飛ぶ教室』『長靴下のピッピ』など、まだまだいっぱい残されていたのだ。それなのに、息子は『ダレンシャン』を読み始め、『バーティミアス』にも手を付けた。そうして、伊那市立図書館で見つけて借りてきたのが、『シルバーチャイルド』3部作の第一巻だった。

「お父さん! この本、凄いよ! スゴすぎる!」息子は興奮して、ぼくに訴えた。「そうか、お前がそれほど入れ込む本なら、父さん、読んでみるか……」そう答えて読み始めたら、わが息子の発言に嘘はなかった。これは面白い。あっという間に第一巻を読み終わった。こいつはスゴイや。ぶっ飛んでいる。本の文章を読んでいても、正確なイメージが浮かんでこない。著者の創造する世界が、あまりに突拍子もないので、読んでいて画像化できないのだ。でも、話を聞くと、息子は正しくイメージしているみたいなんだな。読んでいて不可解な部分を息子に質問すれば、たちどころに正解が返ってくる。

『シルバーチャイルド』クリフ・マクニッシュ著、金原瑞人・訳(理論社)を読みながら、最初に思い浮かべたのは、1950年代の傑作SF『人間以上』シオドア・スタージョン(ハヤカワ文庫)だ。特殊能力を獲得した不幸な境遇の子供たちが、それぞれに呼応しあって出会い、団結することで人間以上の能力を発揮する物語だ(と言っても、まだ50頁くらいまでしか読んでいないが) 訳者の金原氏は、平井和正の『幻魔大戦』になぞらえている。ぼくは恥ずかしながら読んでない。でも、変態(メタモルフォーゼ)を遂げたシルバーチャイルドの「ミロ」って、ウルトラマンのようなイメージなんじゃないか?。そう思い当たると、ちょいと引けるが、第2巻を読み始めたら、また考えが変わるかもしれない。それにしても、自分の読書傾向が息子に影響されるようになるとは、思いもよらなかったぞ。


ところで、この本の原題は「Sliver Chaild」となっていて、発音すれば「スライバー・チャイルド」、「引き裂かれた」という訳になるが、どうもこれは誤植みたいだね。二巻目の原題は「Silver City」になってるから、やっぱり一巻目は「Silver Chaild」でいいんだね。

 小学校における「読み聞かせ」は、どうあるべきか?(その3)      2006/07/09

●今日は当番医だった。けっこういっぱい患者さんがやって来た。ヘルパンギーナなどの夏カゼがほとんどだが、午前中は切れ目なく診察が続き、午後1時すぎにようやくお昼にありつけた。お昼はもちろん、「ちむら」ちらし寿司。旨い! 「これが食べられる!」と思うから、当院のスタッフはみな、当番医の一日を頑張れるのだった(^^)

●小学生だった頃、ぼく自身はほとんど本を読まない子供だった。放課後の時間は、野球の練習に裏山の秘密基地作りなど、とにかく本を読んでいる時間なんてなかった。そんな時、ぼくの4年〜6年の担任だった竹内一先生が、授業中によく本を読んでくれた。学級文庫に『坊ちゃん』があって、「これを読むか」と、先生はおもむろに本を広げると読み始めた。毎日少しずつ読んでくれた。小学生には夏目漱石はちょっと難しいのではないかと、今は思うが、当時のぼくらは先生の朗読の時間をすっごく楽しみにしていた。赤シャツが小学生なりに憎らしかった。うらなりを気の毒に感じた。

ぼくらは、尊敬する大好きな担任の先生が、ぼくらのために本を読んでくれているという事実が一番うれしかったのかもしれない。

7年前に高遠小学校・6年東組の同級会が、高遠さくらホテルで30年ぶりに開催されたのだが、その時にも竹内先生を囲んで「先生が本をたくさん読んでくれたことが。とってもうれしかった」と発言する同級生が多かった。幼なじみの井東広君も、そう力説した。ぼくだけじゃなかったんだ。本との出会い、物語の面白さ体験。小学校の担任の先生の影響は、かくも大きかったのだ。敬愛してやまない竹内一先生であったが、同級会から半年後に亡くなってしまった。(つづく)

 小学校における「読み聞かせ」は、どうあるべきか?(その2)      2006/07/08

●昨日は、なんだか「かいけつゾロリ」を否定的な感じで書いてしまったので、誤解なきよう、ここで訂正しておくが、ぼくは「かいけつゾロリ」のシリーズが大好きだ。「ほうれんそうマン」の頃から数えると何十冊になるか解らないが、最新作を除けば、ほぼ全作を息子たちに読み聞かせしてきたように思う。ぼくは基本的に、子供が「読んで!」と持ってきた本を、父親の好みとは関係なく素直に読むようにしている。だからと言えば変だが、知らず知らずとゾロリには詳しくなった。自信がある。双子のイノシシ兄弟「イシシ」と「ノシシ」の何処が違っているのか? ゾロリ・ママと、ゾロリ・パパが乗る飛行機、それに作者の原ゆたか氏が、よく見ると必ず挿し絵の中に登場することだって、ちゃんと知っている。

「毒ドリフ」や「アンダコリア」の花の秘密だって、もちろん知っている。数ある「かいけつゾロリ」のシリーズの中で、ぼくが最も好きなのは『ちきゅうさいごの日』だ。これは傑作だと思う。ただ、この巻では当時流行っていた「タイタニック」のデカプリオもどきが登場するが、他にも、モー娘。とか、長野冬季五輪とか、時代の限定ネタで勝負しているケースが多いのが気にはなるシリーズだ。これらの本は、5年後、10年後に子供たちが読んでも、はたして面白いのだろうか?

そういう疑問を感じつつ、ぼくは子供たちが寝る前に「かいけつゾロリ」を読んできた。で、わかったのだが、時代とともに風化してしまったネタでも、子供たちはちゃんと笑ってくれるのだね。どんなにつまらない「おやじギャグ」にだって、子供らは愛の手を差しのべてくれるのだ。つまり、何が言いたいかというと、作者の一生懸命さや、てんこ盛りのサービス精神が、ちゃんと子供たちに伝わっているのだ。

「かいけつゾロリ」のシリーズで儲けたポプラ社は、いま間違いなく勢いがある。注目の単行本を次々と出しているし、Web 上でも面白い展開を繰り広げている。今後も、要注目に違いない。(さらに続く)

 小学校における「読み聞かせ」は、どうあるべきか?         2006/07/07

●たまたま見つけた「ぐんま見聞録第185号別冊付録 協働の現場から/八巻祐子さんに聞く」は、たいへん興味深い内容だ。中でも「なるほど、その通り!」と思った箇所は、以下の部分だ。

 私が接するのは、小学生が多いのですが、「本を読める子が少ない」というのを感じます。
今の子どもは、テレビゲームとか、ビデオとか、そういう速いテンポに慣れています。そのテンポと、目で文字を追う速さのギャップがあるんじゃないでしょうか。

 例えば、子どもたちに人気がある映画のハリーポッターや、ハウルの話にしても、原作の本はすごく分厚くて、文字が多いわけです。大人でもなかなか読むのは大変なんですね。子どもたちが「読める」本というのは、幼年の本というか、字があまりなくて、絵がたくさんあって・・・というような本なんです。
 ハリーの話はおもしろいけれど、それを本で読んでもおもしろいと思えない、っていうことだと思います。おもしろいと思えるスピードで、本が読めないんです。だったら、すぐに見られる映画を見ようと思うわけです。うちの学校にもハリーポッターはありますけれど、悲しいことにほとんど読まれてないですね。読めないんですね。でもみんな映画は見てるんですよ。

 それに、きれいなものに慣れすぎていて、本が少し古くなったりすると読まないんですね。これは、本に限ったことではないんですけど。だから、手をかえ、品をかえ、読んでもらうことを考えます。おもしろいなって思ってくれれば、自然に読んでくいれると思うんですけど。

 それから、彼らが読めるスピードで読んでおもしろいもの、っていうことですよね。字が多すぎないものとか、そういうものから入ってもらって、だんだんと字を追うことに慣れていってくれれば、と思います。そしてだんだんと読み応えのあるものへ進んでいってもらえれば、と思いますね。そういう誘導も必要かなと思います。「おもしろいな」と思えるきっかけ作りは大事ですね。(八巻祐子さん 談)
■このあたりのことは、『読む力は生きる力』脇明子(岩波書店)で、著者が危惧していた点と重なる。今の小学校低学年の子供たちは、絵本に満足しなくなると、児童書に興味が移って行くわけだが、結局は、「怪傑ゾロリ・シリーズ」で留まってしまう。字が大きくて、カラーの絵が楽しくて、まるで『コロコロ・コミック』のマンガを読むような感じで、30分以内に読み終えることができる本。それが、彼らの能力にあった本なのだ。彼らは、本の字だけを追って、物語世界に入り込む下地ができていないのだな。視覚的に受け身で提示されたイメージでしか、頭の中で主人公を動かす術を知らないのだ。

本来ある物語の楽しみ方は、言葉だけを聞いて、子供が自分の中の想像力を最大限に駆使して、彼の頭の中にイメージの映像を独自に作り出すことにあると思う。今の子供たちは、そんな面倒くさいことは努力してやろうとは思わないのだな。じゃぁ、どうすればよいのか? (つづく)

 内田樹も、橋本治も、「男のおばさん」である             2006/07/04

●理論社の本続きで、『日本という国』小熊英二・著(よりみちパンセ 理論社)を読み終わり、積ん読状態だった『街場のアメリカ論』内田樹(NTT出版)を読み始める。どちらの本も、とっても勉強になって面白い。歴史に対するいろんな解釈、物語があっていいと思うのだが、読者に優しいとでもいうか、特に、自分とは異なる世代の読者に対して、懇切丁寧に分かりやすい言葉で自説を説こうとする態度が両者に共通していると思う。「話の分かる人にだけ分かってもらえれば、それでいい」というような発言は、とても簡単だ。ネットで検索した同好の「おたく」同士で好きな話題に明け暮れればよいのだから。

でも、世代を越えて、趣味や好みも越えて、幅広く多くの人を対象に踏まえて、共感を呼ぶような自説を分かりやすく発言することは、じつはとっても難しい。戦略的にその路線を突き進んでいるのが、内田樹センセイだと思うが、その著書の多くに「おじさん的」と掲げているにも係わらず、じつは「おばさん的」であると思うのは、ぼくだけだろうか? 「男のおばさん」の先輩格には、まず、永六輔さんがいる。それから、橋本治氏がそうだ。明石家さんま もそうに違いない。

みな多弁で、話し出したら止まらない人たちばかりだ。頭の回転も、ものすごく速い。おばさん的思考回路が確立されているんだろうなぁ。ぼくにはとても無理だけど。

 『フラッシュ』カール・ハイアセン(理論社) 読了          2006/07/02

『フラッシュ』カール・ハイアセン著、千葉茂樹・訳(理論社)を、土曜日の夕方に読了した。これは面白かったな。しかも、読後感がとっても爽快だ。いいではないか! これでお終いかと思ったら、最後にもう「ひとひねり」あったんだね。" FLUSH " という原題は、訳者あとがきによると、水洗トイレを使用後に「ジャーッ!」と水を勢いよく流すさまを表しているのだそうだ。

フロリダ半島の突端マイアミから、南へ点在する島々を次々と橋で渡ってキーウエストへ。そう、パパ・ヘミングウェイが愛した場所だ。もちろん、この本の著者カール・ハイアセンだって愛して止まない島々と海(フロリダ・キーズ)に違いない。その海に、ギャンブル専用のカジノ船「コーラルクイーン号」は、営業終了後の深夜に平気で船のトイレの糞尿を海へそのまま垂れ流ししていたのだ。

前作では、地面に穴を掘って巣を作り子育てする、絶滅危惧種の「アナホリフクロウ」の巣を、新規開業のパンケーキ・チェーン店建設予定地から子供たちが知恵と勇気で守り抜く話だった。今度は、海亀が産卵にやって来る美しいフロリダの海にウンコをそのまままき散らす悪徳経営者、ダスティ・ミュールマンに、怒りの鉄拳を突きつける父親とその息子・娘の物語だ。いやぁ、読ませるね。ぐいぐい読ませる。

6月30日の日記に書いた、カジノのバーテンダー、上腕に有刺鉄線の刺青のある、金髪の大女「シェリー」は、50頁でこんなことを言っている。
「たのむから、平気でウソをつくような大人にならないで。たいがいの男はそうなっちゃうけど……ほんと」(中略)「男どものウソのせいで、この世の中はめちゃくちゃ。歴史の本が胸がつぶれるような悲劇だらけなのは男のウソのせいよ。政治家、独裁者、王さま、いんちき聖職者、どいつもこいつも男だし、平気でウソをつく。大人になっても、そんな男になるんじゃないわよ!」
なかなか、グサッとくる一言じゃないか。

「フラッシュ」には、もう一つの意味があって、カメラのフラッシュを焚くの「FLASH」=閃光 だ。フランスの映画監督エリック・ロメールの映画に『緑の光線』(1985) というのがあったが、水平線に太陽が沈んだその瞬間に、Green Flash が輝くのだそうだ。ぼくはまだ見たことがないが、是非見てみたいものだ。

■今日の夕食は、久々に「いなっせ」の通りを挟んで右側の、中華料理店「美華」だ。カシューナッツと鶏肉の和え物・春巻き・ワンタン麺・中華あんかけお焦げ・冷やし中華、を注文した。おっと、それから、キリン生中2杯。やっぱり、ここの中華は「伊那で一番」だと思うぞ! 

 高遠第一保育園の、春の内科健診                2006/06/30

●今日は夜9時半に「テルメ」へ。45分間のステアマスターしながらの読書で、このところずっと読んでいるカール・ハイアセン『フラッシュ』(理論社)も、いよいよ終盤の佳境に近づいた。こいつは、前作『HOOT』以上に、ハイアセンっぽくて個人的にはかなり気に入っている。前回は不思議な友達との友情の物語だったが、今回は、父と子、兄と妹、夫と妻、それに…… つまりは「家族の絆」の物語なのだ。お約束の、ものすごく憎たらしい悪役が登場する。その息子も、とことん憎たらしい。もちろん魅力的な女性も出てくる。上腕に有刺鉄線の刺青のある、金髪の大女「シェリー」だ。彼女がこれまためちゃくちゃカッコイイのだよ!

大胸筋と上腕二頭筋、三頭筋の筋トレのあと、ジョグを3.5km 。iPod でのBGMは、渋さ知らズ『渋星』から「ナーダム」と、「本多工務店のテーマ」だ。この2曲を聴きながら走ると、エンドルフィンがいっぱい出るような気がするのだ。苦しくても頑張れる。最近一番のお気に入り。

体重計に乗ると、82.7kg。 焦ってはいけない。

■ところで、今週水曜日の高遠第一保育園の内科健診のあとの「絵本の読み聞かせ」の話。

「年長組」
『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 福音館書店)
『わにわにのおふろ』小風さち・文、山口マオ・絵(福音館書店)
『わにわにのおおけが』(こどものとも 年少版 2006/7月号)
『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(ちいさなかがくのとも 2004/3月号)
『こぶたのブルトン なつはプール』中川ひろたか・文、市居みか・絵(アリス館)

「年中組」
『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 福音館書店)
『わにわにのおふろ』小風さち・文、山口マオ・絵(福音館書店)
『トイレとっきゅう』織茂恭子・さくえ(福音館書店)

「年少組」
『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 福音館書店)
『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(ちいさなかがくのとも 2004/3月号)
『ゆかいなさんぽ』土方久功・さくえ(福音館書店)

さすがに、3クラス続けて読むと疲れるね。
『わにわにのおふろ』の、わにわにが洗面器をかぶって歌う場面で、アドリブで「じょじょび、じょばー! じょびじょばぁ〜!」と歌ったら、受けた(^^;) それから、年少さんで読んだ『ゆかいなさんぽ』も受けたぞ! 「おなが」が「じえ」と鳴く場面だ。それにしても、この「トラ」は気持ち悪い顔だね(^^;)

 『気になる部分』岸本佐知子(白水 Uブックス)\920+ 税    2006/06/28

●『フェルマータ』ニコルソン・ベイカー(白水社)という、へんてこりんな小説を読んだのは富士見に住んでいた頃だったか。主人公の男が「時間よ止まれ!」パチンと指を鳴らせば、周囲の世界は一瞬にして固まってしまう。その中を彼一人だけが動き回れるのだ。さて、彼はいったいどういう行動をとったのか? 透明人間の話とちょっと似ているがぜんぜん違う。この本の訳者が、岸本佐知子さんだった。

変な小説を好んで訳す、岸本佐知子さんも相当に「変な人」だ。彼女のエッセイ集『気になる部分』を読んでたまげてしまった。これは久々にホームランだ。大笑いしたあと、しみじみ懐かしくなって、読んでいるうちに次第に現実感覚が崩壊してきて、夢ともうつつともつかない奇妙な宙ぶらりんな感覚にもってゆかれるのだ。いや本当に凄い書き手だね。もっともっと読んでみたいぞ。

笑った話は、「私の健康法」の中の数々の「ひがみネタ」。<飲食店で邪険にされた思い出> <自分だけ仲間はずれにされた> <旅先でボラれた> <自分の並ぶ列が必ず一番遅い>など、その時の気分に応じて好みのネタをセレクトし、心ゆくまでひがみエクスタシーを味わったあと、すっきりした気分で安眠するのだという。変な人だね(^^;) 「ラプンツェル未遂事件」も笑った。これは脚色はないんだろうな、きっと。

彼女が某洋酒メーカー(ぼくが想像するに、サントリーではないかと思うのだが)の宣伝部に勤めていたころの話も抱腹絶倒だ。中でも傑作なのが、「国際きのこ会館」の思ひ出 だ。全て本当の話なんだろうが、語り口がシュールなのね。ぼくは、筒井康隆の傑作短編『熊の木本線』の、あの不気味な雰囲気を思い出した。終いまで読んだら、彼女はどうも相当な筒井フリークであるらしい。やっぱしな(^^;)

「寅」の、”流しの OL”もよかったな。あと、個人的に大笑いしたのは、「じっけんアワー」の懐中電灯で月を照らしてみて、しかし、どんなに目を凝らしても、月の私が照らしているあたりが明るくなったようには見えなかった、という子供の頃の話と、「真のエバーグリーン」の中の、『秋元むき玉子』の話だ。ぼくも、「秘本むき玉子」とかいうタイトルを高校生の頃見て、ドキドキしたことがある。エッセイ中には「腰元むき玉子」という映画があったとあるが、これは絶対『秘本むき玉子』(1975年、日活ロマンポルノ)のことだと思うぞ。

■しかし、このエッセイ集の中で一番に読み応えがあるのは、彼女の子供の頃の話だ。「気になる部分」の新幹線の一番前の、あの丸い部分。よく泊まりにいった祖母の家の枕に住んでいた「日本兵」の行軍のはなし。「カノッサの屈辱」という、彼女が通ったカノッサ幼稚園の思い出。あと、すごく好きなのが「石のありか」と、それに続く「夜の森の親切な小人」「夜になると鶏は……」(これって、サイモンとガーファンクルの曲「四月になれば彼女は」なんだろうね)「サルの不安」、そうして「トモダチ」だ。 この路線が、彼女には一番合っていると思う。

ここを読んで思い浮かべるのは、『人形の旅立ち』長谷川摂子(福音館書店)や、内田百けん『冥途』だ。夢か現(うつつ)か、知らないうちに読者の足下をすくわれるような現実崩壊感を、ぼくらは読みながら味わうことになるのだ。現実虚構の境目なんて、じつはないんだよね! 岸本佐知子さんには、ぜひ小説を書いて欲しいように思うのは、ぼくだけだろうか?

■今日は夜9時に「テルメ」へ行って、45分間のジョグ。7.3km 走った。体重は、83.1kg。もっと、摂取カロリーを制限しないと、ダイエットは厳しいのかな。

 伊那東小学校親子文庫の皆さんから感想が届いた!       2006/06/27

●ほとんど受けなくて、完全な失敗だったんじゃないかと個人的に反省していた「伊那東小学校親子文庫」のお話会だったが、昨日、会長さんが当日の子供とおかあさんの感想を届けてくれて、ひとつひとつ広げて読んでみたら、皆さん好意的な感想を書いて下さっていて、本当にうれしかった。なんか、失礼な書き方をしてしまい、申し訳なかったかな。

一通ご紹介しましょう。
北原先生へ
この前は、おもしろかったです。
とくに一番おもしろかったのは、
『バナナです』や『いちごです』と、大さかの
絵本がおもしろかったです。

学校に『とんことり』と『バムケロ』の本もありました。

学校でも、やってほしいです。

                   登内美紀
美紀ちゃん、ありがとうね!

 今週のいろいろ                    2006/06/24

●水曜日の午後は、美篶中央保育園の内科健診。健診が終わって、そのまま帰されそうな雰囲気だったので「あのぉ〜 絵本、読ませてもらえますか?」と園長先生に言ってみた。

というワケで、遊戯室に年長さんがみな集まってくれた。

導入の1冊は、『ふしぎなナイフ』(福音館書店) 不思議なことに、年長さんの一人もこの絵本を知らなかった。しめしめ(^^)

2冊目は『わにわにのおおけが』小風さち・文、山口マオ・絵(こどものとも年少版 2006/7月号)

3冊目は『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(ちいさなかがくのとも 2004/3月号)

4冊目は『しってるねん』いちかわけいこ・文、長谷川義史・絵(アリス館)


■金曜日の昼休みは、月に一度の「いなっせ・7階、子育て支援センター」でのおはなし会。今回のテーマは「小児の漢方」だ。漢方素人のぼくが、何の予習もなく、漢方に関して知ったかぶりをするのには、やはり無理があった。世間はお見通しだったのだな。今回集まってくれたおかあさん方は、それなりに漢方に興味がある人ばかりだったから、漢方に関して何にも知らない僕の化けの皮は、あっというまに剥がされてしまった。

ただ、一つ気になったことは、ぼくが話し始めて10分ほどたってから遅れて入って来た一人のおかあさんが、ぼくの右手2mくらいの所にドカッと座ったかと思ったら、直ちに携帯電話を取りだして、夢中になってメールを打ち始めたことだ。 ぼくの話なんて、ぜんぜん聞いていない。唖然とした。聞く耳をまったく持たないのだ。それでいて、ぼくが話し終わって「何かご質問はありますか?」と訊いたら、真っ先に手を挙げてこう言った。「遅れて来たので、もし既にお話があったら御免なさい。例えば、自分が飲んでいる、小青竜湯を体重に換算して減量して親の判断で勝手に子供に投与してもいいのですか?」 ぼくはかなりカチンときていたので、「あんた! 人の話も聞かないでおいて、よくもまぁ、しゃぁしゃぁと質問なんかするねぇ!」そう言いたいのを「ぐっ」と堪えて、笑顔で質問に答えた。人間、辛抱さ(^^;;; それから、おしまいに読んだ絵本は『ちびゴリラのちびちび』あまり反応はなかったな。残念。

■今日土曜日の午後は、松本の信州大学医学部の研究棟9Fで、長野県小児保健協会の総会。シンポジウム「子どもをタバコから守る」と題して、基調講演に静岡の加治正行先生をお迎えして、加治先生のお話を伺った後、松本歯科大の音琴淳一先生が「歯科医の立場から」発言し、続いてこのぼくが「小児科医の立場から」話しをさせていただき、さらに続いて、川上第二小学校の養護教諭、下郷はるか先生のお話、長野県衛生部健康づくりチームの行政を代表して、中村明さんの話。さらに、佐久保健所の花岡佐喜子さんが、保健所として何ができるか? というお話をしてくれた。養護の先生も保健所も、みんな頑張っているなあ。

シンポジストの皆さんはみな、きちんと準備されてきたのに、ぼくは例によって、行き当たりばっかりのおちゃらけな話だったな(^^;)

事務局の信州大学医学社会予防医学講座、古庄知己先生、ごめんなさいね。いろいろありがとうございました。

●会合が終わって、パルコ・ブックセンターへ。前から欲しかった『気になる部分』岸本佐知子(白水社)と、『不思議のひと触れ』シオドア・スタージョン著、大森望・編(河出書房新社)を購入。

午後7時半に伊那に帰って夕食を食べ、テルメリゾートへ。45分間「ステアマスター」の後、3km のジョグ。トータルで1時間5分の有酸素運動だ。トレーニングの後、体重計に乗ったら、82.8 kg。相変わらずの、体から水が抜けただけの結果だ。さらに頑張らねばな。

 かなりヤバイ                    2006/06/20

●ここ半年ほど、意識してタニタの体重計に乗らないようにしてきた。現実を直視するのが怖かったからだ。漢方の「防風通聖散」を毎日飲んでいたので、ちょっと油断していたのだな。気が付けば、すっかりリバウンドしていて、体重は85キロになっていた。これは、かなりヤバイ

あわてて、先週から再び「テルメ」に通いだした。子供たちは「今さら遅すぎるよ」と言った。

日曜日のトレーニング後は、82.7kg まで落としたが、体の水分が減っただけだった。
それにしても、ダイエットって、年をとるに従って年々難しくなってゆくなぁ。

 先週のいろいろ                   2006/06/18

●火曜日の昼休みは、保健センターで3歳児健診。水曜日の午後には、伊那東小学校の1年生4クラス+3年生2クラスの内科健診。木曜日の昼休みは、竜東保育園の内科健診。金曜日のお昼は医院の勉強会で、土曜日の午後3時半からは伊那東小・親子文庫に頼まれたお話会。相変わらず何だか慌ただしい。

竜東保育園の今年の年少さんは4クラスもあるぞ! 診れども診れども終わらない。未満児さんも含めて、200人近くもいる。午後2時20分に健診が終了し、子供たちお待ちかねの「絵本タイム」。年長さんのクラスで持っていった絵本を読ませてもらった。

1)『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵(こどものとも 012 福音館書店)
  左サイドに、この絵本を家に持っている女の子がいて、ページをめくると直ちに「キリンのセーター」「ダチョウのいす!」などと、つぎつぎと正解を大きな声で発せられるのには参った(^^;; 

2)『わにわにのおおけが』小風さち・文、山口マオ・絵(こどものとも年中版 福音館書店)
  わにわにシリーズ最新作! これいいねぇ。「ちっとも大けがじゃないじゃん!」と子供たち。でも、君たちだって同じじゃない? 大げさに痛がってさ、包帯いっぱい巻いてさ(^^;)
 
3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(ちいさなかがくのとも 2004年3月号 福音館書店)
  これは思いの外うけた(^^) 今まで何度か読んできた中で、一番受けたのではないか? ちょっと、自信を持ったぞ!

4)『しってるねん』いちかわけいこ・文、長谷川義史・絵(アリス館)
  これも、受けたね! すっごく受けた。これは「売れる絵本」かもしれない。それにしても、ここの子供たちは凄いな。絵本をとことん楽しもう! みんながそう思っていて、本当に心から楽しんでくれているのだ。うれしくなってしまうではないか!

■ 土曜日の午後は、会場となった当院の待合室に伊那東小学校親子文庫に所属する親子30人弱が集まってくれた。今回は、伊那のパパ's 絵本ライヴではなくて、ぼく一人で絵本を読んで、いろいろと絵本の話をする会だったので、盛り上がりと雰囲気次第では、ギターで「トラや帽子店」の歌を2曲ぐらい歌う予定であれこれ考えていたのだが、小学生の女の子がメインであるここの親子文庫では、クールな反応しか帰ってこず、ぜんぜん受けない。『でんしゃはうたう』も、『しってるねん』も、まったくダメだった。これは歌う雰囲気ではないなと諦めて、得意の『もけらもけら』を読んでみたが、これもイマイチ。

開き直って『ねぎぼうずのあさたろう その1』を読んでみたが、広沢虎造のCDに合わせて読むワザは、かえって緊張感が途切れてしまい失敗だったな。iPod HiFi を駆使したのだが、なかなか思うようにいかないね(^^;) ここで『落語絵本ばけものつかい』川端誠(クレヨンハウス)を読む予定だったのだが、すっかり自信を喪失してしまったので、安全パイの『うんちっち』(PHP)に変更。これは、まぁまぁ受けたかな。

会場、観客が違うと、絵本の受け方もまったく違う。恐ろしいね、ホント。最後に、「世界中のこどもたちが」のサンバヴァージョンを、ギターを弾きながらみんなで歌うつもりだったのだが、予定時間を15分以上オーバーしていたので、止めにして中途半端のまま終了。伊那東小学校親子文庫のみなさん、ほんと、ごめんなさいね(^^;) やっぱり、一人はむずかしいなぁ。

■同日の土曜日は、千葉県富里市に住むぼくの次兄が、伊那北高校同窓会関東支部総会の幹事とのことで、7月に学士会館で行われる総会後の宴会で必要な福引きの景品とお土産選びのために高遠へ帰郷していた。当日の朝4時に千葉の家を出て、一人でずっと運転してきたという。スゴイね、たいへんな集中力だ。正月以来の再会だったので、高遠の兄とみんなでいっしょに夕方「小林のうなぎ」を食べに行くこととなった。

下諏訪のジャスコの裏に本店があった「うなぎの小林」は、知らないうちに「諏訪店」が本店と変わって、店主の小林さんは「諏訪店」の方に常駐しているという。というワケで、「諏訪店」には一度も行ったことがなかったが、中央道を諏訪インターで下りて信号を左折し、平安堂の角の信号を右折して「しまむら」の向こうで左折。でも、ここで道に迷ってしまった。平安堂の角で曲がらずに、もう1本先の信号を通りすぎて直ぐの信号のない十字路を右折して50mほど行けば、右手にあったのに。

店主の小林さんて、写真の印象では職人気質の気難しい人といった感じだったが、ぜんぜん違って、とても気さくでソフトな雰囲気だったので、ビックリ。四万十川の天然物も入荷していたみたいだったが、今回はちょっと自信がなかったので、いつもの特重を注文。もちろん、白焼きもね。口に入れたとたん、とろけてしまうこのウナギは、やっぱり「小林」が最高さ(^^)

 ドイツ映画 『白バラの祈り』 (その2)       2006/06/15

●実在した「白バラ」に関連した映画は、今までも何本か制作されているのだそうだ。でも、この映画が出色であるのは、1990年代の東ドイツで新たに発見されたゲシュタポの当時の調書を元に脚本が書かれたということだ。つまりは、映画の中でゾフィー・ショルとゲシュタポの尋問官が丁々発止のやり取りをした「あの」場面は、ほぼ脚色のない、当時の調書に載っていた言葉なのだそうだ。ほとんど史実に忠実なのだ。

だから、5日目の人民法廷の場面も、一語一句も違わずきっと事実なのだな。まるで歌舞伎役者みたいに、仰々しい言葉をヒステリックに大声でただ叫んでいるだけの狂気の最高裁裁判官フライスラーは、あの時ほんとうに、そのまま発言していたのだ。そう思ったら、ゾクゾクと身震いした。あの、捲し立てるフライスラーに、被告人席からゾフィー・ショルが発する言葉はとてつもなく重い。本当は、判決から死刑執行まで99日の執行猶予があるはずだったのに、午前中に裁判が終わって間もなく、その日の午後5時、彼女らの処刑は決行されたのだった。記録によると、8秒でことは済んだという。映画でも、実際にそのとおりだった。

■ Google で検索しても、これといった骨太の感想は発見できなかった。しかし、Yohoo! で検索したら、なかなか読み応えのある感想がいっぱいみつかった。Yohoo! の方が、ブログではない「昔からのHP」へのヒット率が高いようなのだ。いくつか以下に挙げます。

http://www.h6.dion.ne.jp/~yumejian/hihyou012.htm

http://www2.odn.ne.jp/miusworks/movies/2006movies/sophie%20scholl.html

「監督・主演女優、来日記者会見」

 ドイツ映画 『白バラの祈り』       2006/06/13

●今夜は、月に一度の「伊那シネマクラブ」の例会の日だった。相変わらず仕事が片付かなくて、今回はパスしようと思っていたのだが、伊那東小学校1年生の心電図判読がなんとか終了したので、思い切って「伊那旭座」へ出向いた。見に行って正解だったな。これは衝撃的な映画だった。『白バラの祈り』 というドイツ映画だ。

1943年2月、ヒトラー独裁政権末期のドイツ・ミュンヘン大学に実在し、戦争の非道さを訴え「打倒ヒトラー」のビラを配布していた、非暴力のレジスタンスグループ「白バラ」メンバーの紅一点、ゾフィー・ショル(21歳)がゲシュタポに捕まり、捜査官との手に汗握る心理戦の末、形ばかりの公開裁判の直後、処刑に至る最後の5日間を淡々と描いた映画だ。

冷静に考えれば、尋問は本当にあのように紳士的に行われたのだろうか? はたして拷問はなかったのか? という疑問は残るが、人間としての「良心」を信じて最後まで権力に屈することなく、たった一人でナチスドイツと戦った女性が実際に存在したとは! これは驚きだ。

不穏な空気が漂うこの時代に、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、自分の考えで(他者の追従ではなく)意見を公表することは、実はものすごく勇気がいることだ。ブログ全盛のこの時代に、ゾフィー・ショルと彼女の兄たちが、その命を賭してガリ版刷りしていた「ビラ紙」以上に覚悟ができているブログが、いったいどれくらい存在するのだろうか?

 『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』吉川潮(新潮文庫)  その2   2006/06/11

春風亭柳朝のビデオは、たしか伊那市立図書館のビデオ・ライブラリに、(NHK落語名人選)の1本として「宿屋の仇討ち」を収録したものがあったと思う。でも、市立図書館はいま蔵書整理週間のため休館中で、借りることができない。残念。検索してみると、DVDが出ていて「鮑のし」と「粗忽の釘」の2本が収録されている。これは買う価値があるかな。とにかく、この本を読み終わってからというもの、すっかり春風亭柳朝のファンになってしまったのだ。

それから、春風亭小朝のことを見直した。この人はほんとうに師匠思いだね。
 若手の落語家では談志と志ん朝にあこがれた。しかし、最も印象に残ったのは柳朝だった。
 柳朝はいつもいい着物を着ている。子供の目にも、着物だけでなく帯、羽織、紐までが他の芸人とは明らかに違うのがわかる。粋で、おしゃれで、かっこいい。
 噺のほうも、『天災』『鮑のし』『粗忽の釘』などが面白く、おなかの皮がよじれるほど笑わせてくれる。何よりも出てくるだけで高座がパーッと明るくなるような気がする。
 師匠にするならこのおじさんだ。宏行は迷わずに決めた。(368頁)


 柳朝は小あさに噺家の心得として、「嘘をつかないこと」「先輩に逆らわないこと」と教えた。そして、楽屋やお囃子部屋で他の師匠の落語を小あさといっしょに聞いて、「これが粋な芸なんだ」とか「これは野暮ったい」と的確に批評した。
 柳朝の価値基準のひとつに、「粋か野暮か」というのがある。それを理解しないと自分が最も嫌う野暮な噺家になってしまう。小あさにはそこのところをよくわかって欲しかった。(384頁)


 正朝は年末に優秀な二つ目に贈られる「にっかん飛切落語会」の奨励賞を受賞する。そして、「師匠に教えてもらった噺で取りました」と、その賞金の三十万円を柳朝のことろへ持ってきた。これは小朝に倣ったものだ。小朝は柳朝が倒れる以前から、フジテレビの放送演芸大賞、花王名人劇場大賞、芸術祭優秀賞など、獲った賞金は「師匠のおかげ」と、そっくりヨリ(柳朝の妻)に渡している。(532頁)
●この本の凄いところは、各章のタイトルがそのまま落語の演目となっていて、内容もその落語と密接にリンクしていることだ。特に、「らくだ」「子別れ」と続く2章がすばらしい。柳朝に実子はいなかったが、この人は本当に子供好きだったんだなあ。ここは泣けました。柳朝という人は、落語の世界そのものを自分の人生としても生きるのが「粋」なのさ、きっとそう思っていたんだろうな。しみじみいい本を読むことができ満足しましたよ。吉川潮さんは、芸人の評伝では定評がある作家で、あの広沢虎造の評伝も書いているらしい。今度はそれを読んでみよう。

「おとうさんと読む絵本」を更新しました。読んでね(^^)

 『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』吉川潮(新潮文庫)  その1   2006/06/07

●「春風亭」と名がつく噺家はいっぱいいて、いまだに区別がつかない。春風亭柳橋、春風亭柳枝、春風亭柳好、春風亭柳昇、春風亭柳朝、春風亭小朝、春風亭昇太 etc. ぼくが生まれてじきに亡くなった、柳枝、柳好は、それぞれの十八番(おはこ)「王子の狐」「野ざらし」を、最近になってテープで初めて聞いた。ところで、春風亭柳朝って誰だっけ? と思いながら、ブックオフの「100円コーナー」にあった『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』吉川潮(新潮文庫)を手に取ったのだった。

その文庫本の右隣にあった『なつかしい芸人たち』色川武大(新潮文庫)も、いっしょに買って帰ったら、「春風亭柳朝のこと」という一章があった。その p171 に載っている南伸坊さんが描いた似顔絵を見て、あぁ、この人か!と気付いた。子供のころ、よくテレビで目にした、小太りでギョロ目の声の大きな噺家さんだ。似顔絵よりも髪の毛はもっと薄かった印象がある。柳朝と同じ昭和4年生まれで、生粋の江戸っ子、シャイでオシャレで、博打打ちで、女房泣かせで、おまけにギョロ目というところまでそっくりだった色川武大さんは、その中でこんなことを言っている。
 私は柳朝が大好きだった。落語家というより個人的に親しみを感じていた。彼のふだんのキャラクターは、頭の切れる与太郎だった。こういうと、利口がわざと与太郎ぶっているようにとられるかもしれないが、そうじゃないので、頭が切れて、諸事器用で、人並み以上の能力を持っているにもかかわらず、与太郎なのである。そこがたまらなくおかしい。(中略) とにかく雑学にくわしく、どんな話でも口を出して能書をいう。(中略)

 自分が主役でないと思ったら、一気に隅のほうにひっこんで、悪あがきを見せない。石にかじりついてもここで逆転してやろうなどという根性がない。淡泊、見栄坊、恥かしがり屋。 あるんだなァ、私にも。

 柳朝を眺めているとつくづく自分との共通点を感じる。よくもわるくも都会ッ子。意地っぱりだし、ファイトもあるのだが、それを絶対に表面に見せようとしない。それで好んで悪ぶった。服装なんかでも、変なアロハシャツを着たり、ギャングまがいのスーツを着たり、児戯に類するおシャレをする。それほど好きでもなさそうな酒にむりに溺れてみせる。(『なつかしい芸人たち』p173〜176) 
■春風亭柳朝のお師匠さんは、先代の林家正蔵(林家彦六)で、弟子が春風亭小朝。立川談志は、前座、二つ目時代に、柳朝からさんざんイジメられたという。道楽三昧の末、昭和57年の暮れに、脳血栓で倒れ口がきけなくなり、8年間寝たきりで結局復帰することなく平成3年2月7日に亡くなった。まるで、落語の主人公のような立ち振る舞いの一生だった。破天荒で破滅的な生き方しかできない多くの天才ジャズマンとも重なるものがある。何だかとても、いとしい人なのだ。

『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』を読みだしたら、止められなくなってしまい、一気に半分まで読み終わった。いま、p219 真打ち襲名の場面だ。真打ち披露口上での、桂文楽、三遊亭円生、林家正蔵の師匠たちの口上がいい。昭和37年当時の落語界の雰囲気がじつによく出ているのだ。この本は、春風亭柳朝を狂言回しとした、あの頃の落語界の群像劇と言ってもいいのかもしれない。特に、林家正蔵がいい。頑固だけれど、この人はホントにいい人だったんだね。シャキッと背筋を伸ばした林家正蔵(林家彦六)の高座すがたの描写を読みながら、何故だかぼくは自分の父親のことを思い出していた。(つづくかも……)

 天才パズル作家 NOB こと、芦ヶ原伸之さん     2006/06/05

●旅館に泊まったとき、よく客室の床の間に「 The - T 」という木製のパズルが置いてあって、ひとしきり皆で盛り上がることがある。木片を組み合わせてTの字を作るパズルだ。適度に難しく、幼児でも正解できるポピュラリティがある非常に優れたパズルだ。わが家にあるのは、たしか鳥羽の旅館の売店で買ったもの。次男がずいぶんとハマっていた。作者は日本人で、NOB こと、芦ヶ原伸之さんという。



今は亡き彼が作った傑作パズルに、「 DUALOCK 」という、2本の木片が十字に組み合わさったパズルがある(上の写真参照) おもちゃ作家、相沢康夫氏の『おもちゃの王様』(PHP)の 101ページにも載っている。このパズルを「イカロス」で買って帰ってから、すでに2年以上経っているのだが、ぼくは未だに解けないでいた(妻は、カチャカチャ耳元で音を確かめながらやって、偶然1回だけ二本の木片を外したことがあった。でも、再現はできない)

先日、イタリアンの小淵沢「マジョラム」でじつに美味しい昼飯を食べた後、「イカロス」に寄って、店主にその話をしたら「そうですか。正解をどうしても知りたいですか?」そう言って、ぼくらの目の前で鮮やかにこのパズルを外して見せてくれた。「おおおっ!!」っと驚いた。凄い! そうだったのか!

ネタバレになるので、写真はちょいと加工してあります)

最初のステップまでは、ぼくも試してみたことはあったのだ。でも、その次のステップが分からなかったな。天才パズル作家、芦ヶ原伸之さんはすでに亡い。でも、彼のパズル魂を引き継ぐ作家が現れたのだ。植松峰幸さんという。なんでも数学の先生だとのこと。彼が作るパズルは、もうめちゃくちゃ難しい。「市松の不安 5×5」「かごのとり」という2作品の新作パズルを買ってきたが、これまたぜんぜん歯が立たないぞ(^^;;



 愛育ねっと「子育て支援の実践」     2006/06/04

愛育ねっと「子育て支援の実践」には、ぼくも今年の1月号に載せていただいたのだが、毎月さまざまな活動を試みる人たちの文章が紹介されていて、たいへん興味深い。4月は、「イケメン保育士」として有名な菊地政隆さんだった。なかなかしっかりした文章で感心した。

今月号には、鳥取大学医学部教育支援室助教授 高塚人志先生の文章 が載っている。これまたたいへんに読み応えがある。


■ところで、ブログ「絵本おじさんの東京絵本化計画」を見に行くと、父の日を前にした6月14日(水)午後3時から、錦糸町olinas(オリナス)アベニューステージにて「絵本おじさんが自転車にのってやってくるvol.2」が行われると告知されていた。今回は「ゴリラ」がキーワードであるらしい。なんだか面白そうじゃないか。がんばってるねえ、絵本おじさん!

 エネルギー保存の法則        2006/06/02

●エッセイストの米原万里さんが亡くなった。卵巣癌で闘病中であることは、かなり以前から知っていたが、週刊文春の読書欄を広げては、大丈夫、彼女はまだまだがんばっている、そう思ってきた。享年56。希有な才能の若すぎる死。残念。

●このところ、サイトの更新が億劫になってしまってサボりがちだ。何故だかよく分からなかったのだが、はたと気が付いた。ここ連日、9月初めに横浜である外来小児科学会で、ぼくが担当する「WS34:小児科医と絵本(その3)」に関する打ち合わせを、いろんな人とメールで頻回に行っていて、さらに他にも、伊那のパパ's のスケジュール調整のメールのやり取りとか、その他もろもろ、とにかくメールをやたら書いている。つまり、文章を書くエネルギーが、メールを書くことでほとんど消費されてしまうのだな。だから、ここの日記に「何か書きたい!」という意欲もパワーも、残っていないのだ。

1日に何度もメールをチェックし返事を書く作業に加え、ブログの日記も毎日まめに更新して、コメントへのレスも欠かさず付けて、他の人のブログにコメントして、さらに mixi で仲間と盛り上がる、そういう人の文章を書くエネルギーというのは、無限大なんだろうか? うらやましいな。



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北原こどもクリニック