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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月/7月><8月><9月><10月>

●「不定期日記」●

  Never Let Me Go ふたたび            2006/11/30 

●amazon に注文してあった、ジェーン・モンハイトのデビューCDが届いた。この人はまぁ、若いのにホントうまいね。感心した。特にバラードがいい。2曲目の「ディトゥア・アヘッド」(ビル・エバンズの『ワルツ・フォー・デビィ』に収録されている)や、6曲目「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」。リー・ワイリーが唄っていた「More Than You Know」もじつに小粋に歌いこなしている。8曲目「I Got It Bad」は、カーリー・サイモン『トーチ』にも入っている、しみじみと聴かせるいい曲だ。気に入りました。

      

同時に購入したのは、『Irene Kral LIVE』。松本の古本屋「アガタ書房」の小林さんが、このCDの「オススメ記事」を書いていて、前から欲しかったのだ。廉価盤で再発されていたのを見つけて、今回入手できた。これまた、すごくイイ! 変に力が入っていなくて、とてもリラックスして唄っている感じだ。晩年のものにしては、声の艶もよい。5曲目「ジェントル・レイン」から6曲目「Never Let Me Go」と、彼女お得意のバラードが続くあたりが白眉か。こうやって聴いてみると、Never Let Me Go は、アイリーン・クラールが唄っているのがやっぱり一番好きだな。

  最近の出来事の覚え書き                2006/11/26 

●今日は、松本文化会館へ「日本LD学会」の公開シンポジウム「特別支援教育に向けた就学前支援」を聴きに朝8時半過ぎ家を出た。特別講演の「軽度発達障害児の適性発見に向けた5歳児健診の取り組み」小枝達也先生(鳥取大学)が聴けただけでも、松本まで出向いた価値はあったな。なんて分かりやすい講演なんだろうと感心した。午後は、長野県下の現状に関して、6人のシンポジストと2人の指定発言者の発表があった。

この分野では、ぼくは未だに「お客さま」状態だが、これからどうやって積極的に一歩踏み出して関わってゆくことができるのか、まじめに考えてみたいと思った。

■11月14日(火)のよるは、伊那シネマクラブの例会。今月の映画は『奇跡の夏』。子供が「小児がん」と宣告されて入院すると、その家族は本当に大変だ。母親は、半年〜1年以上も病院に張り付いて、患児に付きっ切りとなる。その家族の中で、最も理不尽な思いをさせられるのは、じつは患児の兄弟なのかもしれない。この映画は、いろいろと問題があるかとは思うが、出色であった点は、小児がん(悪性の脳腫瘍)の兄を見守る弟を主人公に据えたことだと思う。

ぼくが映画を見ながら最も印象に残ったシーンは、主人公ハニの母親が病院の洗面所へ駆け込んで涙するシーンだ。そこへ、同室に入院している、もう助かる見込みはないと宣告されている子供ウクの母親が入って来る。すると彼女は、突然洗面器に水をいっぱいに貯めて、その中にバシャっと顔を突っ込み、3秒おいてから顔を上げ、「こうやって、水の中で泣けば、眼もむくまないし、顔が涙で汚れないわよ」と言うのだ。あぁ、ぼくがかつて勤務していていた信州大学付属病院の小児科病棟でも、きっと同じようなやり取りが交わされていたのだろうなぁ、そう思ったら泣けてきた。

■11月16日(木)は、昼休みに竜東保育園で秋の内科健診。健診終了後に、例によって年長さんのクラスで絵本を読ませてもらった。『きょうはみんなでクマがりだ』ヘレン・オクセンバリー(評論社)、『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成・絵(世界文化社)、『あめのひのえんそく』間瀬なおたか(ひさかたチャイルド)、『ふわふわくもパン』ペク・ヒナ(小学館)の4冊を読んだ。

1週間後の、11月22日(水)の午後は、今度は高遠第一保育園での内科健診。ぼくも、園の先生も、子供たちも、健診は早々と終わらせて、気持ちは「絵本」に行っているのが見え見えで、なんだか可笑しかった(^^;)

1)年長クラス: 『うみちゃんのまど』中川ひろたか、長新太(偕成社)、『おどります』高畠純(絵本館)、
         『きょうはみんなでクマがりだ』

2)年中クラス: 『うんんてんするのはだあれ』レオ・ティマース(フレーベル館)、
         『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成・絵(世界文化社)、
         『ふわふわくもパン』ペク・ヒナ(小学館)。

3)年少クラス: 『ぽんぽん』内田麟太郎・文、畑中純・絵(鈴木出版)
         『しろくまさんはどこ』ジャン・アレッサンドリーニ(ほるぷ出版)、
         『うちのかぞく』『あめのひのえんそく』>間瀬なおたか(ひさかたチャイルド)を読んだよ。

  断言できるひと                   2006/11/25 

●信濃毎日新聞夕刊のコラム「今日の視角」で一番好きな曜日は、火曜日の池内紀 氏のコラムで、いつもつまらないのが、金曜日の野田正彰先生だ。最も過激なのは、土曜日の長谷川さんか?

今週、最もぼくの心に沁みたのは、水曜日の落合恵子さんだ。落合さんのコラムは、ときどき読んでいて鬱陶しくなることもあるのだが、今回は久々にヒットだったな。ぼくも、断言できる人が嫌いだ。人間やっていて、他者を白か黒か、たった2種類にはたして分別できるのだろうか? 白から黒の間には、様々なグラデーションの灰色があるはずではないのか?

灰色である自分を自覚している人は、決して断言などしないはずだ。ぼくも、そう思う。


■このところずっと、心の片隅に先だって読了したはずの『わたしを離さないで』が住みついてしまって困っている。ふと気が付くと、主人公キャシー・Hのことを考えている。何だか、ざわざわと落ちつかない気分になってしまい、次に読む予定でいた本を未だに手に取れないでいるのだ。だから今日も、この本を手にとって、最初のページから改めて読み返しているところだ。なるほどねぇ、じつによく書き込まれている。最初から最後まで全く破綻なく完璧に構築されているのだ。読み終わってずいぶんたって、今頃になってジワジワとボディブロウが効いてきた感じだ。いったい、何なんだろう? カズオ・イシグロ氏に、呪いの呪文でもかけられたのだろうか?


ネットをいろいろと検索してみても、ぼくと同じ不安を感じている人は、あまりいないのか。みな、ネタバレになるからと、突っ込んだ感想は書かれていないので、何だかすごく欲求不満な気分だ。そんな中で見つけたブログ、

<ここ>に書かれている言葉、

普通の常識では、過ぎ去った過去は変えられないが、これからの未来は意志によりなんとでも変えられるとされていますよね。でもカズオ・イシグロの世界では、過去は記憶の捏造によりいくらでも変えられるが、未来は運命として決まっていてその運命を静かに受け入れるしかない

を読んで、なるほどなあと思った。そうだよな、日本人は昔からそういう人生観で生きてきた。侍の時代も、平安貴族の時代も、戦前の昭和の時代も。クリント・イーストウッドの新作『硫黄島からの手紙』の予告編を、今日テレビで見て、同じなんだよなあと思った。宿命は受け入れるしかないんだ。


最近読んでいる、詩人の茨木のり子さんの本『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)には、こんなことが書かれている。

 たしかに詩は一文にもならず、役にたつんだか、たたないんだか、はっきりもせず、詩人は世間の人からは、うさんくさい白い眼でみられます。けれど、人間が水を飲みたい、花をかざりたいというのとおなじように、詩を読みたい、詩を書きたいと願う人々はあとをたちません。(中略)

すぐれた詩人はみな、その生きた時代の、息づかいを、脈拍を、魂の波を、おそろしいほどよく伝えてくれるのです。


すぐれた小説もまた、同じに違いない。

『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ著(早川書房) 読了      2006/11/23 

●じつは、数日前に読了していたのだが、これがなかなか感想を書けない本なんだな。

読みながら思ったことは、「イギリスの小説」であるなぁ、ということだ。その小説世界が、客観的な事実で出来上がっているのでなくて、主人公のモノローグによる回想録であることが重要だと思った。個人的な思いこみと事実とは、決定的に異なる。しかし、その人の人生にとって大切なことは、圧倒的な現実ではなくて、その人の個人的な思いこみにすぎないのかもしれない。そう思ったワケは、読みながら思い浮かべたテレビドラマ『プリズナー No.6 』や、クリストファー・プリーストの『魔法』(ハヤカワ文庫)によるところが大きいからだ。

小説の第2章に入ると、イギリスによくある寄宿学校「ヘールシャム」での日々へと、主人公の回想は導かれてゆく。登場するのは、主人公の親友の女の子ルースと、不器用で他者と上手に係わることができない男の子、トミーだ。青春恋愛小説の常道として「仲良し3人組」が登場するワケだが、たいていは、映画『冒険者たち』の、アラン・ドロン、リノ・バンチュラの男2人に、美人の女の子ジョアンナ・シムカスが絡む形や、トリュフォーのフランス映画『突然炎のごとく』のような、ジャンヌ・モローを囲む男2人の世界。それから、最近映画化された『ブラックダリア』も、たしか男2人女1人だったな。ところが、この小説は違う。「女2人+男1人」の話なのだ。少女マンガの世界観なのかな。その繊細で微妙な肌触りを、どうして男性作家が表現できるのか不思議だ。

たしかに、「あの頃」は仲良しの友人といかにトラブルなくその日々を過ごすかが、最も重要事項だったような気がする。この小説を読みながら、いま小学生や中学生をやっている子供たちの切実な気持ちが、判るような気がした。周りから嫌われないように細心の注意をはらいながら、他人の「いじめ」を傍観している自分。これって、いまの話じゃん!

■読了して、それほどの傑作なのかなあ? というのが正直な感想だった。それから、こういう自らの定められた運命を、静かにただおとなしく受け入れる「世界観」を、イギリス人もアメリカ人も、はたして受け入れることができるのかどうかが、すっごく疑問だった。でも、欧米では絶賛の嵐なんだそうだから、みな理解しているんだろうな。不思議だな。

ラストシーンは好きだ。「ヘールシャム」のロスト・コーナー(忘れ物置き場)を象徴する、ノーフォークの海岸が、ここで三度登場する。人間、死んでしまっても、誰かが忘れ物置き場に立ち寄って、彼のことを静かに思い出してくれさえすれば、彼の人生は大成功だったのではないかな。だから、この小説のタイトル『わたしを離さないで』は、わたしを忘れないで! にしてもいいのかもしれない。

そんなことを、アイリーン・クラールの「 Never Let Me Go」を聴きながら考えている。

  伊那のパパ's 絵本ライヴ「vol.23」 伊那西小学校        2006/11/21 

●11月19日(日)の午後は、伊那西小学校と伊那西公民館合同の文化祭「西地区総合展」に呼ばれて、みんなで絵本を読んできた。なお、同地区各戸へ配られた「チラシ」には以下のような紹介文が載っていた(^^;;
「パパス」を知ってるかい? パパイヤの親せきの果物かって? 違う 違う。
 伊那のパパ達がやっている 愉快な絵本の読み聞かせグループのことさ。
 それも、ただの読み聞かせじゃない。
 ギター片手に歌あり手遊び歌ありの鳴り物入りのステージなんだ。
 大人も子どもも楽しめるとあって、今やテレビで紹介されるほどの人気ぶり。
 それが 今度の西地区総合展にやってくるんだ!!

 と、いうわけで、今度の日曜日。
 西地区総合展に、愉快な「PAPA's」の絵本ライブがやってくる!!
 どうか お見逃しなく。
■伊那西小学校は、中央道よりも山麓広域農道よりも上の山際に位置する、全校生徒数が100人に満たない小さな小学校だ。8月以来連日で近隣に「クマ」が出没し、この地区の「こどもの安全見守り隊」の皆さんは、変質者から子供たちを守ることよりも、通学途中でクマに襲われないように守ることが一番の役目なのだった。

午後1時半、会場となった伊那西小学校視聴覚室には1年生から6年生までの全校生徒と先生方、それに PTAの親御さん、保育園児たち、公民館関係のお年寄りが集まった。開演前の区長さんのあいさつでは「パパスのみなさんのご講演を、これから拝聴させていただきたいと思います」と言われ、公民館長さんは「パパスのコンサート」と仰って、いきなり恐縮してしまう。

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しかし、最初の『はじめまして』が始まると、ここの子供たちはめちゃくちゃ反応がいいことを直ぐに察知できたよ。伊東パパが『あらまっ!』(小学館)、倉科パパは『きょうはみんなでクマがりだ』ヘレン・オクセンバリー(評論社)、坂本パパは『ねぎぼうずのあさたろう』飯野和好(福音館書店)、ぼくはまたまた『おどります』高畠純(絵本館)で、宮脇パパは『いっきょく いきまぁす』長谷川義史(PHP)を読んだ。

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      「メケメケ・フラフラ」を楽しそうに踊る、校長先生



今回は何と言っても、黒ぶちメガネで「ミスターカラオケ」に変身し会場をわかせた宮脇パパが最高だったな(^^) 校長先生に「森のくまさん」を歌わせたあと、教頭先生、PTA会長さん、副会長さん、倉科パパ「いい湯だな」、ぼく「神田川」、伊東パパ「津軽海峡冬景色」と、次々と歌わされた。いやぁ、宮脇パパの名調子には参りましたよ。

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       「上野発の夜行列車下りたときから〜♪」熱唱する伊東パパ。

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       おじいちゃん、おばぁちゃんも頑張って「ちょっとグっとパ!」

この日の持ち時間は、90分と普段の倍の長さだったので、「かごからとびだした」「かいじゅうのこんだて」「うちのかぞく」「ちょっとグッとパ」「ふうせん」など、持ち歌をいっぱい披露した。それでも時間があったので、地元のパパに飛び入りで絵本を読んでもらうコーナーも用意した。倉科パパが「会場におこしのお父さんで、どなたか絵本を読んでくれる人いませんか?」とふると、事前の打ち合わせ通りに、PTA副会長のお父さんが手を挙げて『もうよわむしじゃない』西本鶏介・宮西達也(鈴木出版)を読んでくれた。落ち着いて堂々と、途中アドリブも交えてなかなか見事な読みっぷりだった。続いてもう一人、今度は PTA会長さんが手を挙げて『こいぬのうんち』(平凡社)を読んだ。

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      一生懸命に絵本を読む、PTA会長さん。 がんばれ!


「何を読んだらいいのか困っていたら、娘が『お父さん、これにしな!』って選んでくれたのが、この絵本なんです」と、ちょっと照れながら読んでくれた。これまたなかなかに上手だったぞ。PTA会長さん、副会長さん、お家でもっと絵本読んであげてね(^^)

●終了後、近くの「ますみ荘」で開かれた慰労会にみなで同席させていただき、御馳走になった。小さな小学校だから、学校の先生方も家族のようだし、地区の大人やお年寄りが、みんなで子供たちの健やかな成長を願って「地域で子育て」しているという雰囲気がよくでていた。いや、楽しい一日でした(^^)

           ■■「伊那のパパ's 絵本ライヴ」レポートへ行く ■■

  映画『さらば愛しき大地』  2006/11/17 

  ●村上春樹さんから、カズオ・イシグロ氏に贈られたCDは、相変わらず不明のままだが、博識な「歩きながら話そう」をチェックすると、最近めきめきと頭角を現してきた(らしい)ジェーン・モンハイトのデビューアルバムあたりが、一番あやしいのかもしれない。恥ずかしながら、ぼくのまったく知らない女性ジャズ・ヴォーカルだ。さっそく、アマゾンへ注文した。

■あの頃、映画 『十九歳の地図』を見て(どこで見たんだろう?)感動したぼくは、柳町光男監督の次回作 『さらば愛しき大地』を心待ちにしていた。メジャー映画会社ではなく独立プロ製作配給の映画だが、茨城県オールロケだったからか、ぼくは土浦の「霞浦劇場」で封切り公開されたのを見に行った。長くて、どうしようもなく暗く重い映画だったが、何故かとても印象に残っている。秋吉久美子がいい。蟹江敬三がいい。そして、根津甚八だ。すばらしかった。

彼が昼下がりのアパートで、ひとり覚醒剤を注射しながら、ふと窓の外を眺めるシーンがある。田んぼの稲穂の上を一陣の風が吹き抜け、その風はさらに向こうに鬱蒼と繁る木々をざわざわと揺らす。音は一切入らない。この静寂が何とも印象的なシーンだった。

最近できた 「根津甚八さんのブログ」が、なかなかに面白い。状況劇場に入ったころの話から始まって、ちょうど今、『さらば愛しき大地』の撮影の頃のことが書かれている。


■マイナーな映画の話と言えば、大好きだった映画監督の田中登さんが、先だって亡くなった。田中登監督のはなしは、また次回にでも。

 "Never Let Me Go"  村上春樹から、カズオ・イシグロに贈られたCDとは?  2006/11/15 

●先週の土曜日の夕方、高遠町図書館へ借りていた本を返しに行ったら、新着図書のコーナーに『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(早川書房)があった。たしか1カ月前も、そこにあったような気がしたが、一度手にとってはみたものの先月は読まなければいけない本が山とあったので、そのまま本棚に戻してしまった。またまた目についたということは、本のほうから「ねぇ、読んで!」と言っていたのであろうな。だから、今度は借りてきた。

読み始めて、不思議な居心地の悪さを感じる小説だと思った。表紙のイラストはカセットテープだ。最初のページから意味不明な単語が並ぶ。「介護人」はまだいい。「提供者」「提供者の回復ぶり」「四度目の提供以前でさえ」「ヘールシャム」「ドーバーの回復センター」「ルースとトミー」「わたしたちはもう十三歳です」「交換会」「展示館行き」「マダム」「怖がってるのよ」「先生の言ったことでもう一つ、よくわからんことがある。君に訊こうと思っていた。先生が言うには、おれたちはちゃんと教わっているようで、教わってないんだってさ」

なんだかこれらの言葉の断片を拾い集めるごとに不安が増すのだ。不気味な閉ざされた空間に閉じこめられたかのような気分になる。というところで、ただ今、45ページを読んでいるところ。今後のストーリー展開に関しては、まだ皆目見当もつかない。

■今週の火曜日、久々に TSUTAYA へ行ったら、『ひとつ、村上さんでやってみるか』村上春樹(朝日新聞社)があったので、買って帰った。で、読みだしたら止まらない。面白いじゃぁないか! ずいぶんと読み進むうちに、村上春樹氏とカズオ・イシグロ氏が仲好しであることが判った。お互いに尊敬し合っていて、2001年には東京で、その後はロンドンで2度、2人は会っているのだそうだ。

で、2人が東京で初めて会った時に、村上春樹氏からカズオ・イシグロ氏に、ジャズのCDがプレゼントされたのだという。そのCDの中に収録されていたのが、"Never Let Me Go" だ。『わたしを離さないで』の中では、80ページに、ジュディー・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』というアルバムが収録されたカセットテープとして登場するのだが、ディー・ディー・ブリッジウォーターというジャズ・シンガーはいるけれども、ジュディー・ブリッジウォーターなる女性ジャズヴォーカリストは実際には存在しないのだ。

レコーディングされたのは、1956年。LPジャケットには、紫色のサテンのドレスを着たジュディの写真が写っているという。その3曲目に「わたしを離さないで」が入っていて、スローで、ミッドナイトで、アメリカン。「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……」このリフレーンが何度も繰り返されるのだそうだ。

"Never Let Me Go"は、ジャズのスタンダード・ナンバーで、いろんなミュージシャンがこの曲を録音している。いま思い浮かぶのは、キース・ジャレット・トリオ『スタンダーズ VOL.2』の4曲目と、ビル・エバンズ『アローン』のB面だ。それから、カーメン・マクレエも確か録音していたと思う。すっごく地味なバラードで、「モナ・リザ」などで知られるリビングストン〜エバンズの作品、映画『ザ・スカーレット・アワー』の中のナンバーで、ナット・キング・コールが、1956年に歌ってヒットした曲なのだそうだ。

村上春樹氏がイシグロ氏に贈ったCDは、インストではなくヴォーカルが入った "Never Let Me Go" だったろうから、ぼくの個人的な想像だが、そのCDとは、アイリーン・クラールの 『WHERE IS LOVE ?』ではなかったか? このCDの5曲目に、"Never Let Me Go" が収録されている。しばらく絶版だったが、この秋、久々に日本版が再発された。彼女の歌声は、まさに「スローで、ミッドナイトで、アメリカン」だと思うぞ。はたして、事実はどうだったのか? 村上さんに訊いてみないことには判らない(^^;;

 かんてんパパ 「寒天麺」シリーズ        2006/11/13 

恩田陸さんの読書遍歴は『小説以外』を読むと詳しく書かれているのだが、<ここ>にも載っている。

■川端裕人さんの「ブログ」も面白い。

それから、作家さんのブログで最近よく見に行くのは、

樋口明雄さんのブログ『晴耕雨書』

『佐々木譲のプッシュピン』

内田麟太郎さんの「広告する日記」



●ダイエットは、82kg 前後で停滞中である。今日は 81.6kg だった。やはり、食事制限をしないと、なかなか体重は落ちない。

最近は、昼飯のカロリーを制限している。昔はカロリーメイトの「チョコレート味」+牛乳200ml だったが、これだと、昼飯が虚しいのだ。だから近頃はかんてんパパの「寒天麺」にしている。かんてんだからね、ノンカロリー。でもそれなりに腹の中で膨れるので案外腹持ちがいい。

ぼくのオススメは、この「寒天麺ミニ カレー味」だ。「カレーうどん」の麺を、かんてんで作ってあるのだが、ガラムマサラソースを追加して食すと結構いける。

あとは、この「寒天麺シリーズ」を、味違いで日替わりで食しているのだが、もうちょっと、頑張れるかな。1食、250円です。これもオススメ(^^;)

 『小説以外』、『チョコレートコスモス』 恩田陸        2006/11/11 

●テルメの帰りには必ず、ニシザワ・ショッパーズ西春近店に寄ることにしている。今夜もそうだった。一番の目的は、今週発売の週刊誌を立ち読みすること。2番目は、アルコール飲料を買って帰ること。今日の立ち読みは『婦人公論』。江國香織&五味太郎 の対談を読むためだ。これは以前に他の雑誌でも読んだことがあるが、江國さんは9歳から自分がぜんぜん変わっていないということを、大人になった自分が改めて感じているというようなことを、ここでもまた、五味さんに話していた。

彼女が言いたい感じは、何となくよく判る。ぼくも、まったく同じに感じてきたし、糸井重里さんも「むかしのダーリン・コラム」かどこかで同じようなことを言っていた。人間の脳は、この頃シナプスの髄鞘化が出来上がり、無駄が省かれた高速情報ハイウェーが完成するのだ。教育界では「9歳の壁」と呼ばれている。9歳を越えれば、その後は人間それほど根本は変わらない(変われない)のだな。

■読書ネタが続いて恐縮なのだが、恩田陸『チョコレートコスモス』(毎日新聞社)は本当に面白かった。寝食忘れて読みふけった。ぼくはめったに自分が読んで面白かった本を妻に薦めることはしないのだが、この本は久々に「ぜったいに面白いから、是非とも読んでみて!」と妻に渡した。それってもしかして、宮部みゆき『火車』以来なんじゃない? 12〜3年ぶりか? いや、もう2〜3冊はあったかな(^^;;

恩田さんは早稲田大学の卒業で、学生時代は「体育会系文化部」に所属していたそうだから、ぼくはてっきり演劇関係のサークルに入っていたんじゃないかと思ったのだが、『小説以外』(新潮社)を読むと、彼女が属していたのは「JAZZ のBig Band」で、サックスを吹いていたらしいのだ。早稲田の学生ビッグバンドは「ハイソ」だ。大先輩に、一ノ関「ベイシー」の菅原さん(ドラマーだった)がいる、伝統ある学生ビッグバンドなのだが、恩田さんは、ここでサックスを吹いていたのだろうか?

●恩田さんと言えば、転校生だ。『今ここにいるぼくらは』川端裕人(集英社)の帯に、恩田さんは推薦文を載せている。この小説は、小学校転校生の主人公が自分の「いま・ここ Here & Now」の居場所を見つけるはなしだから。

『小説以外』の、p237 「月世界」を読むと、彼女の変遷がわかる。宮城県に生まれ、幼稚園から小学校1年生までを長野県松本市で過ごし、その後は富山へ引っ越し、小学6年生の春から1年間は秋田、中学生になって仙台に引っ越し、中3の時にまたまた引っ越して、茨城県水戸市に移ることになる。転校を一度も経験したことがないぼくには、やっぱり川端裕人氏の「川ガキ・小学生小説」は理解できないのかな? 決してそうではないと思うのだが。

『今ここにいるぼくらは』もよかったな。川端さんは、どんな分野でも器用にこなす手練れの作家だが、特に小学生を描かせたら本当に上手い。『川の名前』でもそうだったが、主人公が感じる「自分の居場所」はここではないどこか他の場所にあるのではないか? という感覚は、ぼくもあの頃よく感じていた。転校生ではないけどね。

川端裕人さんと恩田陸さんは、1964年生まれ。宇月原晴明さんが 1963年生まれで、田中啓文さんが 1962年生まれだ。いま最も生きがいい作家さんは、この世代なのかな。1958年生まれの僕が小学6年生の時に大阪万博があった。彼らの小学生時代はその後ということになる。『今ここにいるぼくらは』の時代背景は 1970年代なんだな。だから、ぼくの小学校時代の雰囲気とは、やはりちょっと違う気がする。うまくは言えないけれども。

 『安徳天皇漂海記』宇月原晴明(中央公論新社) 【その2】    2006/11/09 

■言うのを忘れていたけれど、「いたや馬さし店」は却下された。仕方がないね。たしかに、「当図書館に、あの!『いたや馬さし店』が伊那からやって来る!」なんてポスターが貼ってあっても、肉屋がいったい何しに来るんだか意味不明だし、第一、こどもたちには受けないネーミングだわな(^^;;

『安徳天皇漂海記』は、今年の山本周五郎賞を受賞した。「山周賞」は、たしか選考会で受賞決定までの過程が『小説新潮』に掲載されて公にされることで有名だったことを思い出して、今週の火曜日の昼休みに南箕輪村の3・4カ月健診出かけた際に南箕輪村図書館に立ち寄って、「山周賞」の選評が載っている『小説新潮 7月号』を借りてきた。でも、今は選考会での合評の様子は掲載されていないんだね、残念。

先にリンクした「文学賞メッタ斬り!」第135回 直木賞レース予想(前編)では、大森望氏も、トヨサキ社長も手放しで誉めていたな。ここで大森氏も言っているけど、『小説新潮 7月号』での北村薫氏の選評がもの凄い! 何せ、北村薫氏は高校の古文の先生だったからね、ウルサイんだ文法の活用とかには。でも、あれやこれやイチャモンも付けつつ、最終的には最大限の賛辞を送っている。これはなかなかできない、立派な態度だと思いましたよ。

『小説新潮 7月号』では、文芸評論家の縄田一男氏が、著者宇月原晴明氏にロングインタビューを行っている (p102) これがまた、なかなかに面白い。例えば、こんなことが書いてあるのだ。

縄田: 拝読していて、ふと諸星大二郎の『海竜祭の夜』という漫画を思い出しましたが、ご存じですか? 草薙の剣の話で、安徳天皇が登場するんです。今回の作品と結びつく部分もあるのではと思ったのですが。

宇月原:さすが、手の内をご存じですね。あの諸星版安徳を超える安徳天皇像をどうにか創造してみたいというのも、大きな執筆の動機です。『平家物語』の竜神伝承を踏まえた諸星さんの安徳像は、本当に強烈でした。


ちなみに、マンガ『海竜祭の夜』は、現在『妖怪ハンター 地の巻』諸星大二郎(集英社文庫)で、読むことができる。なお、この漫画には『黒い探究者』や『生命の木』など、著者・宇月原晴明氏をインスパイアーしたであろう漫画がいっしょに収録されているのだった。

 『安徳天皇漂海記』宇月原晴明(中央公論新社) 【その1】       2006/11/07 

●読み終わるのに10日もかかった。受験が世界史だったので、日本史は苦手な(でも、高3の1学期にちゃんと履修したぞ)ぼくは、特に本書前半はとても苦労したのだが、我慢して読み続けてほんとうによかったと思う。最終章を読みながら「おぉっ、そう来たのか!」と、あっ!と驚いた。そうして、安徳天皇と「ぼく」の荒ぶる魂の漂流が、こういうふうに終着駅のホームにたどり着いたことを、本当に有り難く思った。読了後、ぱたんと本を閉じて目を瞑る。目眩くイメージの奔流が渦巻く。何とも言えない幸福な読書体験だった。これだから読書はやめられない(^^;) 今年一番の圧倒的な読後感。慎んで 「五つ星」★★★★★ を進呈しようではないか。

今のところ、僕の「今年読んだ本のベスト1」である。第2位は『シルバーチャイルド』になるとたぶん思うのだが、荒唐無稽、時空を越えた宇宙規模での圧倒的なスケール感、めくるめく極彩色の視覚イメージ、大風呂敷を広げた最後に迎えたラストでの、読者の納得がいくカタルシスが得られる本となると、『シルバーチャイルド』ではなくて、やはり『安徳天皇漂海記』が、その数段上を行っている。たぶん読者を選ぶ本だとは思うが、こういう本にはなかなか出会いない。(明日につづく)



 伊那のパパ's 絵本ライヴ(その第22回  下伊那郡松川町図書館)  2006/11/06 

●昨日の11月5日(日)は、秋晴れのじつに気持ちのいい1日だった。この日は、午前11時から松川町図書館で「伊那のパパ's 絵本ライヴ」。久々にメンバー全員がそろった。会場には入りきれないほどいっぱいの親子連れ。おとうさんもけっこう見に来てくれているぞ! ありがたいねぇ。うれしいねぇ。

           


   

伊東パパは『ちゃんとたべなさい』、ぼくは、また『おどります』、坂本パパは『うみやまがっせん』


           

   

宮脇パパは『カミさま全員集合』、   倉科パパは『とんぼとり』 を読んだよ。


           ■■「伊那のパパ's 絵本ライヴ」レポートへ行く ■■


●帰りに、みんなで風の谷絵本館(飯島町)に寄って、それから、連れていった子供たちを宮田の公園に放牧して、ピクニック気分でセブンイレブンのおにぎりとお弁当を食べました。「いたや馬刺店」の提案は、なんとなく切り出せなかったな(^^;;

 「いたや馬刺店」  2006/11/04 

●この所ずっと、ぼくら「伊那のパパ's」の正式な名称をどうしようか、あれこれ考えている。

結成以来3年近く、東京の本家「パパ's 絵本プロジェクト」から「のれん分け」していただいて「パパ's 絵本プロジェクト伊那」と名乗ってきたのだが、そろそろ「由緒あるこの名前」がちょっと重荷になってきた。結成当初から、ぼくらは、ぼくら独自の道を歩んできたはずではなかったか?

だとしたら、やはりオリジナル名称が必要なのではないか? 東京のパパたちも、以前から「本家・分家という言い方は、ちょっと勘弁して欲しいな。そういうつもりじゃないんだから」と言っていたっけ。

先月、飯山に行った際、倉科パパが言った。

「いたや」とかでもいいんじゃない? 「いたやって何?」って訊かれたら、ぼくらがいつも呑みに行っている伊那市駅前の居酒屋の名前です〜、ゆうたら、えぇんちゃう? 

あぁ、それいいかもしれんなぁ。

でも、「いたや」だけだと、ちょいと寂しい。店の名物「馬刺」を入れたい。となると、「いたや馬刺店」はどうだろうか? ぼくが個人的に敬愛する伝説のバンド「トラや帽子店」(福尾野歩、増田裕子、中川ひろたか)と、見事に同じ韻を踏むことになるぞ。

明日、下伊那郡松川町図書館に、久々にメンバー全員が揃う。その場で、ぼくの考えを披露しようと考えているのだが、はたして受け入れられるか、それとも、却下されるか? (^^;;

 叱られること、批判されることに、耐性ができていない「ぼくたち」  2006/11/02 

●個人的お気に入りサイトを、あまり公にはしたくないのだが、吉野仁さんの「弧低のつぶやき」10月28日 を読んで「う〜む」と考えさせられてしまった。これって、俺のこと言ってるんじゃないか?

宮部みゆき『名もなき毒』は、八ヶ岳オーガニック日記版でも読まているらしい。これはぜひとも読まなきゃ(^^;)

今朝の、11月2日付信濃毎日新聞朝刊1面下段「斜面」は、村上春樹氏「カフカ賞受賞」の話題。来年こそは、ノーベル文学賞を取って欲しいものだが、ぼく自身は村上氏の近作をほとんど読んでいないのだった。初期の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』から、『アンダーグラウンド』あたりまではリアルタイムで読んできた。しかし、『ねじまき鳥クロニクル』も『海辺のカフカ』も未読のままだ。

信毎「斜面」には『海辺のカフカ』の読後感想が書かれている。(以下引用)
◆「海辺のカフカ」は文章一つ一つにも味わいが深い。<これは戦争なんだよ。いったん始まった戦争を中止するのはとてもむずかしい>

<(僕がほしいのは)不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解 -- そういうものごとに静かに耐えていくための強さです>。そんな表現に打たれる。
う〜む、『海辺のカフカ』も読んでみたくなったぞ!


 レセプトの点検をしながら聴くCDたち      2006/11/01 

●11月に入り、今日からレセプト(診療報酬請求書)用コンピュターのハードとソフトを、まったく別のもの(ORCA)に入れ替えた。正直言って、多難な船出だ。事務スタッフへの負担は計り知れない。慣れない作業やデータの再入力に追われ、受付は大変だったようだが、水曜日は幸い午後休診だったので、何とか乗り切ってもらった。でも、漕ぎ出した船はもう後戻りできないのだよ。院長のわがままで始まってしまったこのプロジェクトだが、みなで協力して何とか成功裏に遂行しましょう。ほんと、スタッフのみなさん無理させてごめんなさい。許してね。

■月初めは、深夜診察室に数日こもって、前の月のレセプト点検をしなければならない。カルテとレセプト(診療報酬請求書)を1枚づつ照合しながら、病名落ちの不備はないかどうかチェックしてゆくのだが、これが結構大変な作業なのだ。まず、事務スタッフがプリンタから打ち出されたレセプト(診療報酬請求書)1枚づつに対応するカルテを棚から取りだしてきて、もろもろチェックした後、レセプトをカルテにはさみダンボール箱に順に並べてゆく。ぼくはそのカルテを取りだして、一人一人間違いがないかどうかチェックするのだ。



■深夜ひとりで診察室に居ると寂しいものだ。だからいつも、窓を閉め切って、ラジカセの音量を目一杯上げ、CDを聴くことにしている。最近では、ラジカセを iPod Hi-Fi につないで聴いているのだった。今宵ラジカセで聴いたCDはご覧のとおり。近頃は、ほとんどジャズしか聴かないなぁ(^^;)

マイルス・デイビスの「コンプリート・ブラックホーク」CD4枚組は、先月末に茅野のブックオフで、1920円で入手した。レコードは持っていて、特に『Volume II』がお気に入りで昔はよく聴いたものだ。マイルスのライブ盤で最もカッコイイのは『フォア&モア』だと思うが、緊張とリラックスのバランスが不思議とよいのが、このサンフランシスコにあるジャズ・クラブ「ブラックホーク」でのライブ盤だ。特に、ウイントン・ケリー (p) がいい。それから、ハンク・モブレイ(ts) が案外いいんだよね。

『メセニー メルドー』は、やっぱりいいな。個人的にここ数年最も注目しているジャズ・ピアニストがブラッド・メルドーなのだ。前から不思議に感じていたことだが、ブラッド・メルドーの左手は尋常ではない。彼はきっと左利きに違いないと思うのだった。(ちなみに、バッハも同様に左利きだったのではないかと勝手に思っている) やはり6曲目が、しみじみすばらしい!

板橋文夫『ワタラセ』に関しては、場所を改めてまた、じっくり語らせていただく予定(^^;)



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