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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月/7月><8月><9月><10月><11月>

●「不定期日記」●

  年末恒例、2006年「今年のベスト10」  2006/12/31 

●ということで、今年も大晦日を迎えました。毎年のことだけれど、読みたい本の 1/10 も読めていないのが現実。そうは言っても、僕に残された時間はあとどれくらいあるのか? それは分からない。できるだけ無駄な「読書の時間」だけは過ごしたくはないというのが本音だ。最近は「つまらない本」は最初から無視できる「それなりの目利き」になってきたのではないかと自負している。

しかし、こういう方向に進むと、冒険ができなくなる。意外な本、自分の興味の対象外にある本とは絶対に出会えない。そういう意味では、今年初めて「ぼくの息子に薦められて読んだ本」が、自分ではまず手に取ることはないであろう本で、しかも、めちゃくちゃ面白くて「ベスト2」を獲得したという事実は、すっごく重要だと思う。そんなかんなを振り返りつつ、今年読んだ僕のベスト本を選出したい(^^;;

<今年読んだ、フィクション ベスト15>

1)『安徳天皇漂海記』 宇月原晴明(中央公論新社)
2)『シルバーチャイルド I,II,III』クリフ・マクニッシュ著、金原瑞人・訳(理論社)
3)『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ著(早川書房)
4)『てのひらの中の宇宙』川端裕人(角川書店)
5)『チョコレートコスモス』恩田陸(毎日新聞社)
6)『僕らの事情。』デイヴィッド・ヒル著、田中亜希子・訳(求龍堂)
7)『落下する緑』田中啓文(東京創元社)
8)『フラッシュ』カール・ハイアセン著、千葉茂樹・訳(理論社)
9)『鴨川ホルモー』万場目学(産業編集センター)
10)『夏の洞窟』荒川じんぺい(くもん出版)
11)『クライム』樋口明雄(角川春樹事務所)
12)『暁の密使』北森 鴻 (小学館)
13)『輝く断片』シオドア・スタージョン(河出書房新社)
14)『一瞬の風になれ(1)』佐藤多佳子(講談社)
15)『チーム・バチスタの栄光』海堂 尊(宝島社)


<今年読んだ、ノンフィクション ベスト15>

1)『脱出記』 スラヴォミール・ラウイッツ(ソニーマガジンズ)
2)『絵本があってよかったな』内田麟太郎(架空社)
3)『福耳落語』三宮麻由子(NHK出版)
4)『気になる部分』岸本佐知子(白水社 Uブックス)
5)『脳は空より広いか』ジェラルド・M・エーデルマン(草思社)
6)『いま、子どもたちがあぶない!』斉藤惇夫、脇明子、中村征子ほか(古今社)
7)『行きて帰りし物語』斉藤次郎(日本エディタースクール)まだ前半だが、しっかり読もう
8)『今日も友だちがやってきた』野田知祐(小学館)
9)『スピリチュアル・ジャズ』小川充・監修(リットーミュージック)
10)『グーグル・アマゾン化する社会』森健(光文社新書)
11)『日本という国』小熊英二(理論社)
12)『子どもの場所から』小沢牧子(小澤昔ばなし研究所)この本もまだ買ったばかりだけど、要注目
13)『絵本をひらく』(人文書院)
14)『江戸前の男』吉川潮(新潮文庫)
15)『東京人生』荒木経惟(バジリコ)


●ノンフィクションのほうは、数が足りなくて、読み終わっていない本を3冊も入れてしまった。ごめんなさい。今年発見した注目の作家は、川端裕人さん。『みんな一緒にバギーに乗って』(光文社)『川の名前』(早川書房)『今ここにいるぼくらは』(集英社)と読んだが、どれもよかった。『てのひらの中の宇宙』は、決して傑作ではないけれども、著者の志の高さをすごく感じた。小説でこんなことできちゃうんだ! 


■このところ、すっごく気に入っているCDは、ノルウェー在住のおばさんジャズ歌手、インゲル・マリエ・グンナシェン『 Make this moment』(ボンバ・レコード)と、彼女の最新作『バイ・マイセルフ』インガー・マリエ(コロンビア)だ。英語読みだと、インゲルでなくてインガーなのね。2年ほど前に、HMVのジャズコーナーで女性ジャズボーカルの売り上げ1位の人気盤となったCD。ぜんぜん知らなかったが、最近 TSUTAYA で見つけて購入した。これは、たしかにいいや。今日も、レセプトチェックの仕事をしながら、くり返しくり返し聴いている。デビュー盤は、オランダの歌姫アン・バートンの『ブルー・バートン』を今風にした感じで、選曲がこれまた渋くて、ジャズ・ヴォーカルとしては決して上手くはないが、雰囲気でしみじみ聴かせる。

2枚目は、もう少しポップな感じで、2曲目の「I don't want to talk about it」が特によい。ぼくは、Everything But The Girl のヴァージョンでこの曲をよく聴いていたが、インガー・マリエはじつに淡々と唄う。それからこのCDでは、ビリー・ホリデイの愛唱曲が何曲も取り上げられている。 "By Myself Alone" "Don't Explain" "You don't know what love is" "The Man I Love" などで、決して「脱ジャズ化」を計っているわけではないんだ。長くなったので、この辺で。


それではみなさま、よいお年を!

  自戒を込めて「絵本の読み聞かせ」についてもう一度考えてみる(その3)  2006/12/29 

●昨日は、他の話を書く予定でいたのが、なんだか勢いで支離滅裂な文章になってしまった。ぜんぜん自分を戒めてなんていないじゃん。

月刊誌『母の友』(福音館書店)で現在連載されている、斉藤惇夫さんの読む歓びは生きる歓び「子どもを本好きにするために」は、毎回いろいろと視点を変えて「子供と読書」に関する問題提起がなされていて、たいへん読み応えがある連載だ。昨日は、最新号(1月号 /2007)に載った、その第9回「学校で読み聞かせるということ」の話しを書こうと思っていたのだ。
はたして今、小学校に出入りしている多くの方々をボランティアと言えるのかどうか、とても疑問です。子どもの本についての知識をほとんど持たず、子どもたちに本を通して伝えたいものを持っていない人が、突然目の前に現れたときの子どもたちの困惑を思うと寒気がします。ある本を読んでやることによって、子どもたちを一時的に沸かせることは誰にでもできることかもしれません。ただそれが、子どもたちの成長に少しは関わる経験になりうるかどうか、本を読む歓びを子どもたちに伝えることができるかどうか、はなはだ疑問です。なんだか、リズム音痴の私が子どもたちに音楽を教えるようなものではないか、とついつい思ってしまうのです。本を、言葉を、物語を、絵を、人間を、あまりに甘く考え過ぎてはいないでしょうか。さすがにその弊害に気づいた地域では、公共図書館などを中心に慌ててボランティア養成講座を開き、それなりのカリキュラムも組まれているのですが、その前にしっかりと考えておかなくてはならない問題があるはずです。

 それは、担任の教師と子どもの読書体験の問題です。私は行政が、あるいは学校自身が、読み聞かせのボランティアを募る前に、何故、担任の教師にもっと本を子どもたちに読んでやろうじゃないか、と言わないのか不思議でなりません。今ボランティアがやっていることなど、簡単に担任がやってのけられることです。いや、いつも目の前にいる子どもたちに、たくさんの、子どもたちの成長を促し、読む歓びが生きる歓びにつながっていくような本を選び読んでやることは、担任の教師にこそできるはずのことです。少なくとも子どもたちにとっては、ボランティアから読んでもらうよりも、そちらの方がうれしいに決まっています。(『母の友』 2007年1月号 p63〜64)
■ずいぶんと長く引用してしまったが、大切な部分なので、そのまま載せさせていただく。

もう、まったくもって仰るとおり。学校では、担任の先生と図書館司書の先生が本を読んで、家では父親母親が子供たちに本を読んであげれば、それでよいのだ。ぼくも、今年の7月7日〜11日の日記の中で、同じようなことを書いているよ。

ただ、1点だけ気になることがある。それは、「子供を本好きにする」必要がはたしてあるのかどうか? ということだ。斉藤惇夫さんは、子供にとって、「読む歓びが生きる歓びにつながっていく」と仰っているわけだが、『30冊の宝物 「岩波少年少女文学全集」の思い出』須田純一(雲母書房)という本の「あとがき」で、著者はこんなことを書いているのだ。

 私は十五歳から二十歳にかけて、ほとんど人との接触を絶っていた。いや、すでに十一歳、5年生の頃からそういう傾向を見せていたかもしれない。わずかな人生経験ととるにたらぬ読書。しかし、一番真剣に自己なるものについて考えはじめたのは、この頃であったと思う。そして、自分は一瞬のうちに年を取ってしまったと感じたのもこの頃である。
 長らく私は不幸なことに、十代にして自分は心、精神、感性を腐らせてしまったと思っていた。が、しかし、ここにこの全集を読んだことの意味を振り返ってみて、あながち十代の「愚行(考)」も意味のないことではなかったと思い返している。もっとも愚行といっても大したことはない。受験勉強もせずに読書三昧に浸っていたわけであるが、少年の頃に身につけた聖俗の区別、正邪の基準というものを壊しにかかっていたのかもしれない。聖俗の境を明確にして、分別し切り捨てることによって、自己のアイデンティティを守ろうとは思いたくなかった。<中略>

 今の時代こそ、子どもたちに読書を、豊かな本の世界をと、安易にはいいたくはない。時に読書は毒書ともなりうる。もちろん、本だけでなく、子どもの世界に押し寄せる、全てのメディア、全ての文化には、良悪、二面がある。私の心の歩んできた道も、決して、清く、正しく、明るいといったものではなかった。年早くして多くの本を読むということは、たとえそれが、子ども向け、子どものためとして書かれたものでも、時には深い傷を与えることがある。
 未熟なままに卵殻を取り去られた、無防備な感性につけられた傷である。傷、これもまた、悪いばかりではない。タトー、ピアス、リスト・カット。身体の傷と同じく、心の、魂の傷もまた、自己存在の証明たり得るのだ。願わくば、あまりに深く傷つき、生還できないということのないように、本の世界を楽しみたいものである。(p177〜179)
■著者の須田純一さんは、この本の巻末に載っている、きどのりこさんとの対談の中で、こうも言っている。
「また、私の青春のつまづきの一歩も、逆にいえば読書のなかでかなり厳しい道徳観みたいなものを養ってしまって、それが自分を縛ったという面もあると思うんです。<中略> そういう自己規制の内面を持って生きていくことが、とてもつらかったんだと、今になって思いますね。それを崩そう崩そうとすごく苦しんだんです。」

●昨日書いた文章は、何だかとっても嫌らしいが、ここに載っている「田中尚人さんの発言」は、読みながら感心してしまった。そうそう、そういうことなのだ。田中さんはホントうまいこと言うなあ。


田中尚人さんのブログ

  自戒を込めて「絵本の読み聞かせ」についてもう一度考えてみる(その2)  2006/12/28 

●おちゃらけで子供たちに「絵本」を読んでいるぼくは、どのような批判を浴びても文句は言えないと思っている。正直に言えば、開き直っているだけなのだが(^^;; ただ、ひとつ言えることは、フリー・ジャズを演奏しているミュージシャンは、ただデタラメに演奏しているのだはない、ということだ。彼らは、きちんとした音楽理論と技術を習得し、長年の音楽活動を経験した上でフリー・ジャズをやっているのだということ。

ぼくだって、人知れず努力を重ねてきた。絵本の読み聞かせ関連本は、もういっぱい読んだよ。講習会にも積極的に参加してきた。茅野市立図書館長、牛山先生と奥様の講演は2回も聴いた。JPIC読書アドバイザー養成講師、越高一夫さん(ちいさいおうち)の読み聞かせ実践講座も行った。伊那市立図書館で開かれる「絵本講座」にも、スケジュールさえ合えば、できるかぎり参加したよ。それから、市立図書館で夜に行われる「大人のための読み聞かせ会」にも参加させていただいて、プロの図書館司書さんたちの「ストーリーテリング」の実力に目を丸くしたこともあったっけ。

こうした講習会に参加するたびに、ぼくは何とも居心地の悪い、場違いな感じに付きまとわれた。具体的には、その会場に男性の参加者がほとんどいないことが一番の違和感の元であったのだが、もっと別の「嫌な感じ」を敏感に嗅ぎ分けていたように思う。それは、「絵本はこう読まなければならない、こう読むのが正しいのだ」という押しつけがましさだった。

●いつだったか、越高一夫さんが「オコサ、オコサ、ウラパン!」と言う声に合わせて合唱するかのように、会場のおばさんたちが実に気持よさそうに「オコサ、オコサ、ウラパン!!」と声高らかに張り上げているのを隣の席で聴きながら、ぼくはゾクゾクと寒気がした。これって、ありがたい教祖さまを前にした、新興宗教団体のセミナーじゃなかったよね?


子供たちはきっと、言うだろう。「善意の押し売りはいらない!」と。それから、「人まねはもう見飽きた」とも。

子供たちはきっと、こうも言うだろう。「本を一冊も読まなかったら、人間生きていけないのですか?」

子供たちはきっと、こうも言うに違いない。「あなたは、本を読んだから、充実した人生を送っていると、自信を持って言えるのですか?」


ぼくは、本を読むことがこの上なく好きだが、それを他人に強要しようとは思わない。所詮、読書なんて「ひまつぶし」に過ぎないし、単なる趣味なんだから。人間、本だけ読んでいても生きてはゆけない。そういうことも、ちゃんと子供たちに教えていかなければいけないんじゃないの?

 年の瀬はあわただしいねえ          2006/12/26 

●ついさっき、来年の年賀状が刷り上がった。今回のアイデアは、息子6割、ぼくは3割、残りの1割が妻のアイデアだ。(事実と違うと怒られてしまったよ(^^;;) さて、出来映えは如何に?

■このところ忙しくて、さすがに本は読めない。南箕輪村図書館から借りてきた『一瞬の風になれ(第一部)』佐藤多佳子(講談社)は、先だって何とか読み終わった。「四継」って、カッコイイなあ。ゾクゾクするなぁ。高校2年生の陸上部「第二部」、高校三年生のインターハイ「第三部」と、早いとこ読み継ぎたいのだが、どこの図書館も貸出中。買えばいいじゃん。でも、買わない(^^;;


<年内もしくは1月のうちに読了する予定の本>

『クライム』樋口明雄(角川春樹事務所) いま、ちょうど100頁。ようやく物語が動き出した。20億円の争奪を巡る、雪の南アルプス山中が舞台の怒濤の「第2部」まで、あともう少し。

『脳は空より広いか 「私」という現象を考える』ジェラルド・M・エーデルマン(草思社) この本は、なんだかとっても難しいぞ。でも、すっごく解りやすい。一つ一つの説明が、すとんと胸に落ちる。あぁ、そうだったのか! これはじつに面白い本だよ。

『風の影(上・下)』(集英社文庫) 読み始めて、もうずいぶんと経つのに、読み進まないなぁ。登場人物の誰が誰だったか、もうすっかり忘れてしまったよ(^^;;

確かに、汐留に雪が降るのが見えたような気がする。立川志の輔『しじみ売り』 2006/12/23 

●1週間前の松本「ほんやらどう」で仕入れた「落語CD」は以下の8枚。新作落語がほとんど。

『柳家小三治トークショー(3)玉子かけ御飯&駐車場物語』
『三遊亭円丈・落語コレクション1st.  悲しみは埼玉へ向けて』
『喬太郎・落語秘宝館(2)白日の約束、結石移動症』
『喬太郎・落語秘宝館(3)寿司屋水滸伝、バイオレンスチワワ、諜報員メアリー』
『キング落語名人寄席・柳家喬太郎 すみれ荘201号、夜の慣用句』
『NHKCD・新落語名人選 川柳川柳 テレビグラフィティ、ジャズ息子』
『志の輔のらくごのごらく(3) みどりの窓口、しじみ売り』
『志の輔のらくごのごらく(2) へっつい幽霊、雛鍔』

 立川志の輔の『しじみ売り』は、この季節に聴くのがぴったりの人情噺で、泣けてしまったなぁ。


■今日は、当番医だった。忙しかった。9時に始まって、終わったのは夜の7時過ぎ。122人の患者さんがやって来た。診察室のBGMはずっと『TAKE6 のクリスマス・アルバム』が流れていた。あぁ、クリスマスなんだねぇ、しみじみ…… そんな気分に浸れるCDだ。お昼はもちろん、ちむらのちらし寿司。美味しかったね(^^)。

「ノロウイルスじゃないですよね? 大丈夫ですか? 検査してください!」と訊いてくる母親が実に多い。もう「耳タコ」状態だ。そう感じていたら、どうも日本全国の小児科医がそう感じていたみたいなんだな(^^;;

「かたおか小児科ブログ」 を読んで笑ってしまったよ(^^;)


それから、もう一つ、笑ってしまったブログがある。

「さとなお.com」だ。

先週の日曜日、箕輪町での絵本ライブのあと、お昼のお弁当を御馳走になりながら、主催者の白鳥さんが、わが家「北原家」の事情に異様に詳しいのに驚いた。訊いたら、「だって、北原こどもクリニックのHP、よく見に行ってるもの!」との答え。いやはや、まいったなぁ(^^;; そんなに一生懸命、真面目にチェックしなくてもいいのに。だって、ネットに載せる「北原家」の話題は、ウソではないけれども、所詮事実を微妙に脚色して(書きたくないことは書かずに)載せているにすぎないのだから。日記と言ったって、きれい事を並べてるだけなんですよ! だまされないでね(^^;;

  ★James Taylor "Have Yourself A Merry Little Christmas"

  自戒を込めて「絵本の読み聞かせ」について、もう一度考えてみる    2006/12/21 

●つい先日も、ぼくが箕輪町でやった『バナナです』川端誠(文化出版局)は、ちょうど2年前の「北原こどもクリニック」忘年会での余興で、ふと思いついてみんなの前でやった宴会芸が最初だった。BGMに「ガラスの部屋」を流しながら、「ヒロシです……」の口調そのままに「バナナです……」と、延々と続ける。ただそれだけ。

これが思いのほか受けたので、その3週間後に中川村図書館であった「伊那のパパズ絵本ライブ」で、おっかなビックリ、子供たちの前でやってみた。図書館だからね、絵本を冒涜している! とか、作者の川端誠さんに対して失礼だとか、非難ごうごうに違いないと思ったから、ビクビクしながらやった。仲間のパパたちの反応も心配だった。単に子供たちの受けを狙うだけの「絵本の読み方」をして、それでいいのか? 宴会芸を子供たちに見せて満足しているのは間違っているんじゃないか? と。

しかし「慣れ」とは怖ろしいものだ。月日は流れ、あれから2年も経つのに、ぼくはまだ平気で「受け狙いのため」だけに、自分が目立ちたいがためだけに、『バナナです』を、いまだに読んでいるのだった。


最近でた『別冊太陽 144 絵本屋さんが選んだ絵本 100』を読んでいくと、92ページで、山梨県甲府市にある絵本専門店「ゆめや」店主の長谷川敏夫さんが「おとなの絵本おとな好みの絵本」と題して、かなり思い切った発言をしている。詳しくは、実際に本を手に取って読んでいただきたいのだが、以下の部分だけ引用させていただきます。
 絵本は子どもが成長の各段階で楽しむもの。読み聞かせボランティアたちの絵本好きを否定はしないが、「おとなの本を読まない人が子どもにどういうふうに本をガイドしていくの? 子どもだってだんだんおとなの本を読んでいかなくてはならないのに……」と余計な心配も出る。二歳児にも五歳児にも、そして小学生にも年齢などおかまいなく同じ本の読み聞かせでは場を得て光りたいだけのパフォーマンスにすぎないわけで、子どもにとっては迷惑な話である。
              『別冊太陽 144 絵本屋さんが選んだ絵本 100』(p92 より)
なかなか厳しいこと言ってるなぁ。ぼくなんかまさに、「場を得て光りたいだけのパフォーマンスにすぎない」そのものだもんなぁ。

そしたら、月刊誌『母の友』(福音館書店)最新号(2007年1月号)の中で「学校で読み聞かせるということ」と題して、斉藤惇夫さんは、ぼくのように勘違いしている「読み聞かせボランティア」に対して、さらに厳しい発言をしていた。(つづく)

  パパズ伊那「絵本ライヴ」(その24) 箕輪町文化センター      2006/12/19 

●このページを更新し、いつものようにファイルをプロバイダのFTPサーバーにアップしようとしたら、何故かエラーになって受け付けてくれない。何度やってもダメ。おかしいなぁ? と、プロバイダにメールで問い合わせたら、使用可能容量をオーバーしているのではないか? とのこと。確認してみると、何と!すでに28Mも使っていた。使用限度は30Mだ。このうち画像データだけで25M近くを占めていた。無駄な画像が多すぎるのだ。これは何とかしなきゃいかんぞ! というワケで、アップしてある画像をいくつか削除した。それから、これからは画像の画質を落として小さく載せないといけないな。ということで、今回の画像は以下の1点のみ(^^;; ごめんなさいね。


■12月17日(日)午前10時から、箕輪町文化センターで行われた、われわれの「絵本ライヴ」の詳細は、こちらの「伊那毎日新聞」の記事をご参照ください。今回の主催は、白鳥さんが代表を務める「箕輪町おはなしを楽しむつどい」で、箕輪町で活動する「読み聞かせグループ」が3〜4つ集まって「子どもゆめ基金」の助成に応募し、年間4つの催しを企画開催してきたものだ。偉いねえ。頑張っているねぇ。

当日は畳の部屋に、座りきれないほどの親子連れが詰めかけてくれた。200人近くもいただろうか? はるばる塩尻市から、塩尻市子育て支援センター所長の牧野さんが結成1年になる「塩尻パパ友の会」メンバーのお父さんたちとその妻子を引き連れて大挙して見に来てくれていた。うれしいねぇ、ありがたいねぇ。こうなったら、今度はこちらから塩尻まで出張して行かないといけないね。

<本日のメニュー>

『ぼくのかわいくないもうと』 伊東パパ
『バナナです』『いちごです』『りんごです』川端誠(文化出版局) 北原パパ
『うみやまがっせん』長谷川摂子(福音館書店) 坂本パパ
『いいからいいから』長谷川義史  宮脇パパ
『メリークリスマス おおかみさん』宮西達也  倉科パパ
『クリスマスの12にち』(福音館書店)
『かごからとびだした』
『うちのかぞく』
『ふうせん』
『世界中のこどもたちが』

             ■■「伊那のパパ's 絵本ライヴ」レポートへ行く ■■

  今年も、クリスマスの夜がやって来る               2006/12/16 

●午後2時過ぎに伊那を出て、中央道を松本へ向かう。3時からの信大小児科同窓会報の編集会議に出席した後、「ほんやらどう」で、ジャズと落語の中古CDの掘り出し物を物色し、さらにパルコへ寄ってから伊那に帰り着いたら、午後8時近かった。すでに夕食を終えていた子供たちと風呂に入ると、長男(小学4年生10歳)が、ふと言った。「あのね、おとうさん。○○君のおかあさんは、今年のクリスマスプレゼントは3000円以内のものにしなさいねって、言ったんだって。クラスのみんなが言ってるよ。おかあさんがみんなバラしちゃうんだって、本当のサンタさんのこと。でもね、ぼくは信じてるんだ、サンタさん。だって去年、ぼく宛の英語の手紙が玄関に置いてあったんだもの!」

 

そう言われても、ぼくは「気のきいた返答」がなにもできなかった。数日前に、「くまパパ」のブログを読んでいたはずなのにね(^^;) たぶん、8割がたはサンタの存在をすでに信じていない長男は、父親にカマをかけてきたのだな。でもぼくは、くまぱぱのように自信を持ってシラをきることができなかった。なぜなんだろう?

頭を洗いながら、目にシャンプーが浸みたふりをして、息子の話題をうやむやにした後、ぼくはふと『冬の犬』アリステア・マクラウド著(新潮社)の巻頭を飾る短編、「すべてのものに季節がある  To Every Thing There Is Season (1977)」のことを思い出していた。この小説のことは、確か1年前のこの季節にも話題にしたように思う。この小説の主人公の少年の年齢が11歳だった。既に家を出て独立して働く19歳の兄の他に、15歳、13歳の姉がいて、11歳の主人公の男の子に、6歳の双子の弟が2人と、まだ2歳半の末弟がさらに1人、それに父と母とがカナダ東端の辺境の島でいっしょに暮らしている大家族だ。
 私はサンタクロースの正体について頭を悩ませていて、なんとかサンタクロースにしがみつこうとしていた。たしかに、十一にもなればもうサンタクロースの存在を心から信じているわけではないのだが、それでも、サンタクロースがいるという希望の光がかすかでも見えることなら何でも必死に信じてきた。暗い海で溺れかかった人間が、通りすがりの船の明かりに向かって必死に手を振るように……。溺れかかった人間にとっての船と同じで、サンタクロースがいなければ、私達のような弱い人間の生きてゆく状況はもっと悲惨なものになるからだ。<中略>

父は私がいつまでも信じていたいと思っていることをすべて支持してくれて、私たち皆に人生の「よいこと」をできるかぎり手放さないようにしっかりつかんでおきなさいと言っている。(p7〜9)


 しばらくすると、眠くなってくる。小さい子供たちはベッドに入る時間だ。ところが今夜は、父が私に、「おまえはもうしばらく、われわれといっしょに起きていなさい」と言うので、言われたとおり、年上の家族たちと起きている。 <中略> 私より年下の弟たちへのプレゼントには「サンタクロースより」と書いてあるが、私へのプレゼントにはそれがない。そして、もうそれが二度とないことを、私ははっきり悟っている。でも、驚いているわけではなく、むしろ大人の世界に仲間入りしてここにいるという喪失の痛みを感じている。突然ほかの部屋へ入れられて、背後でドアがカチャッと音を立てて永遠に閉められたみたいだ。(p14)

                     『冬の犬』アリステア・マクラウド(新潮社)より引用

たぶん、境界線はこのあたりで引かれるべきなのであろうなぁ。

そう考えると、『いちばんすてきなクリスマス』の主人公の「こぐまくん」はやけに老成しているなぁ。最初読んだ時には、ぼくもこの amazon のレビューアーと同じ誤読をしていた。でも、おとうさんがサンタさんじゃないんだ。次の日の朝、息子が先に気が付いた。ラストのページを見て。あっと思って、最初から読み返してみると、文章には書かれていないけれども、確かに「絵」の中ですべてが描かれていた。う〜む。久々にやられたなぁ。寺田順三さん風の淡くて渋い色合いの絵がじつに素敵で、これはちょっと注目のクリスマス絵本です。特に、サンタさんを信じられなくなった大人にね(^^)

  飯野和好さんと、パパ's のみんなで「チャンバラ」をする        2006/12/13 

●12月10日(日)の午後1時半から、南箕輪村図書館で、絵本作家、飯野和好さんの「絵本読み語りライブ」が行われた。
当日取材に来ていた「伊那毎日新聞」に載った「記事と写真」はこちら

股旅人の衣装できめた飯野和好さんの後ろで、刀を鞘から引き抜こうとしているのは、われわれ伊那のパパズの面々(左から、倉科さん、宮脇さん、坂本さん。写真には写っていないが、その隣に、ぼくと伊東さんがいる)。味噌玉親分一家の下っ端子分5人衆が、飯野さん扮する「ねぎぼうずのあさたろう」に斬りかかろうとしているのだ。この後、旅回り一座の時代劇の一幕そのまま(?)にチャンバラの立ち回りがあって、5人ともバッサ、バッサと飯野さんに斬り倒されたのだった。

■飯野和好さんが南箕輪村図書館にやって来るなら、ぼくら「伊那のパパズ」もジョイントしたい。どうせなら、チャンバラの立ち回りがいいな。そんな希望を南箕輪村図書館司書の小野さんにお願いしてあったのだ。100円ショップかどこかで、プラスチック製の「おもちゃの刀」を買ってきて、着物は浴衣かちゃんちゃんこで代用して、それぞれ持ってくればいい、なんて話していた。ところが実際は、みなそれぞれに忙しくて打ち合わせの時間が取れない。前日の夜に伊那入りする飯野さんと打ち合わせをする計画であったが、ぼくと伊東パパが欠席で中止になってしまい、結局この計画は立ち消えとなった、はずであった。

ところが、南箕輪村図書館司書の小野さんは、あきらめていなかったのだな。「伊那の勘太郎」歌謡ショーを趣味でやっている、南箕輪村「大芝荘」支配人から本格的な日本刀を5本と三度笠を一つ借り受けてきて、飯野さんの控室に用意しておいたのだ。当日会場入りした飯野さんは、その日本刀を見るなり「こりゃぁ、みんなでチャンバラやるしかないでしょう! でも、着物がないとさまににならないな」そう言ったという。そこで小野さんは急きょ実家へ電話して、用意してもらった着物と帯を5着、開演30分前に持ってきたのだった。そこまで頑張ってくれたのだ。凄いね、ほんと。

何にも知らないぼくが会場入りしたのは、開演15分前で、伊東パパにいたっては、開演5分前だった。その場で刀を手渡され、着物を着て、飯野さんから簡単な段取りを教えてもらって、いきなし本番。いやぁ、まいりました。でも、楽しかったな、チャンバラ。

●飯野さんは、講演会をするにあたっては事前の入念な会場チェックと、スライド係や照明係との段取り打ち合わせをするために、開演の2〜3時間前には会場入りすることに決めているという。その日来てくださったお客さんに、最高のパフォーマンスをご覧頂きたいがため、地道な努力を惜しまないのだ。そのあたりのことは、「ここ」でも語られている。飯野さんは、まさに「プロの芸人」だね。恐れ入りました。この日も、開演3時間前の午前10時半には南箕輪村図書館に到着していたという。いつも本番30分前が勝負の「われわれ伊那のパパズ」とは、えらい違いだ(^^;;

笑いに笑った絵本講演会は2時間近く。終了後は恒例のサイン会。このサイン会は、講演よりも時間がかかって午後6時過ぎまで2時間半も続いたという。飯野さんは一人一人丁寧に絵入りのサインをするので有名だ。しかも、それでもサインは終わらずに、飯野さんはサインを託された絵本をホテルに持ち帰って続きのサインを書き続けたのだそうだ。絵本作家さんて、ほんとうに大変だね。プロはどんなに大変でも嫌な顔一つせず、何よりもファンサービスを大切にするのだな。感動しました。見習わなければ!

サイン会をようやく終えて、われわれ「パパズ」が待つ伊那市入舟「万里」に飯野さんが現れたのは夜の7時をだいぶ回っていた。サイン会の疲れも見せず、飯野さんは「ローメン」に舌鼓を打った。「これが食いたくて、毎年伊那に来るんですよ」 飯野さんは満足そうにそう言った。

           ■■「伊那のパパ's 絵本ライヴ」レポートへ行く ■■

  原村「岩田ペンション」での クリスマス会       2006/12/12 

●先週土曜日の夜は、原村の 「岩田ペンション」で、ちょいと早い「クリスマス会」があった。

 

ちょうど雨が降っていて霧も出ていたので、有名な原村ペンション・ビレッジのイルミネーションはよく見えなかったな。残念!

         

この日のメイン・ディッシュは、七面鳥の丸焼き! 美味しかったね(^^) 最近はなかなか手に入らないんだって、七面鳥。 各種オードブルに、鮭のマリネ、サラダ、カキのクラムチャウダーを壺に入れてパン生地で蓋をしたもの(これ、美味しかったね)、バターライス、自家製キムチ漬、フルーツポンチ、白ワイン、そうしてデザートのシフォンケーキが2種類。みんな本当に美味しかった。

         

食後は「大演芸大会」。わが家の息子たちのマジックショーに始まって、おとうさんの絵本読み聞かせ。ギター伴奏に合わせて、みんなで「メケメケ・フラフラ」を踊ったよ。続いて養護学校の男の先生が、ジャズピアノのソロ演奏で2曲「酒とバラの日々」「オーバー・ザ・レインボウ」を聴かせてくれた。トリは、杏菜ちゃんがヴァイオリン演奏で3曲。上手いねぇ。最後の「冬のソナタ」のテーマ曲には泣けてしまったよ。

夜10時過ぎに、子供たちを寝かせ付けてから再び食堂に下りていって、深夜1時過ぎまで2次会。ちょいと飲み過ぎました。ごめんなさい。それにしても、アットホームな「岩田ペンション」は、とても居心地がよいのであった。楽しい一夜でした。お世話になりました。

  伊那東小学校2年柏組の生徒さん全員から、先日のお礼の手紙がきた! 2006/12/10 

●12月1日(金)に、伊那東小学校2年柏組でぼくが絵本を読んできた時の感想を、柏組の生徒さんたちが手紙に書いてまとめて、表紙を付けてプレゼントしてくれたのだ。「おとうさん、感動して泣いちゃかも? ハイ!」そう言う息子から手渡された。それが以下。

   

まだ小学2年生なのに、みんなきちんとしたきれいな字を書いていてビックリ。文章も人まねでなく、一人一人オリジナルの自分の感想がしっかりした文章で書かれており、これまたビックリ。1枚では足りずに2枚も書いてくれた子もいた。本当に感動して泣いちゃったよ(^^;;

たくさんの本をよんでくれてうれしいです。またおもしろい本もってまたきてください。
「あらま」と「りんご」とかがおもしろい本だなぁとおもいました。
おもしろい本をたくさんよんでくれてありがとうございました。
きいてて、いい気もちになりました。あとおもしろいなとか、やさしいなとかをおもいました。
よんでくれてありがとうございました。



本を読んでくれてありがとうございます。
おもしろかった本は「バナナ。」です。ぜんぶ「バナナです」がおもしろかったです。
ぼくはいろいろの本が知りませんでした。
ぼくも おとうさん、おかあさんに読ましてあげたいなあと思います。
ぼくは10かいくらいわらいました。
いつかまた本を読んでください。



おとうさんへ
読み聞かせしてくれて、
ありがとうございました。
ぼくは、読みおわったあと、
ぼくは、いっぱいれんしゅうしたんだなと思いました。
ぜんぶの本ものすごく楽しかったです!!
いな東小学校にこれるときがあれば、こんどはグループで
来てくれたら、「いいな」と思います。
読み聞かせほんとうにありがとうございました

●ぼくはうれしくて、直ちに返事の手紙を書いた。汚い幼稚な字で恥ずかしいのだが、柏組の黒板の横に、林先生はぼくの手紙を張り出してくれたそうだ。便箋4枚書いたのだが、何を書いたかもう忘れた。たしか、「絵本を読み始めて直ちに、このクラスの子供たちはみな、本を読んでもらうことが大好きなんだということが分かりました。きっと、皆さんが林京子先生から、毎日本を読んでもらってきたからなのでしょうね。すばらしいことです。

絵本も楽しいけれども、今度はぜひ、字の多いちょっと厚めの本にチャレンジしてみてください。『かいけつゾロリ』なら自分でも読めるかもしれないけれど、ぼくのオススメの本『ドリトル先生アフリカ行き』『チョコレート工場のひみつ』『おばけ桃の冒険』『ライオンと魔女』あたりは、君らが自分で読むのはまだ無理なので、寝る前に毎日少しずつ、おとうさん、おかあさんに読んでもらうといいよ。ほんと面白いよ!」というようなことを書いた。

  高遠の蕎麦屋「壱刻」(その3)プラス「谷川俊太郎親子ライブ」のこと 2006/12/06 

●店主の話では、「煮込み」と言っても「3分強」しか火にかけないのだそうだ。ほうとうのような蕎麦の上には、信州特産の食材が並ぶ。山菜+きのこ、ねぎ+ふ+馬肉。ぼくはてっきり牛肉だとばかり思っていた。それほど柔らかく甘くおいしく煮込まれていたな。普通、馬肉は煮込めば煮込むほど硬くなるのに、不思議だ。

きしめんのような太い麺なのに、喉ごしはちゃんと蕎麦だったのでうれしかった。まったく煮崩れることなく、しっかりと自己主張する蕎麦だ。これにはビックリしたな。兄が訊いた。「煮込みそば、というのは日本のどこかにあるんですか?」店主は応えた。「いいえ、たぶんどこにもないと思います」と。

鍋の横には、薬味の「ゆず胡椒」と「味噌」がついてくる。最初、オリジナルの醤油味を味わったあと、「ゆず胡椒」をつゆに溶かして辛味を味わう。しばし堪能した後に、今度は味噌を溶かして、味噌味を体験。店主曰く、「一鍋で3度おいしい」と。まさにそのとおりだった。

ぼくはけっこう保守派なので、蕎麦屋では「ざる蕎麦」しか注文しない。どんなに寒い日でも、蕎麦屋で食うのは「ざる」だ。あったかい「かけそば」は、JRの駅のホームでしか食わない。「煮込み蕎麦」というメニューは、僕からすると邪道以外のなにものでもない。たぶん、多くの「自称そば好き」は皆、この新メニューには目もくれず、今日も「ざる蕎麦」を注文することだろう。

でもぼくは、この日「信州煮込みそば」を注文して本当によかったと思ったよ。ラーメン屋と違って、蕎麦屋には「自由度」がほとんどない。「やぶ」も「砂場」も「翁」でも、基本的なメニューはみな同じだ。違うのは、その日の温度・湿度、季節、そば粉の産地、製粉の仕方、そば粉のブレンド具合(そば粉同士+小麦粉、つなぎの違い)、その日の店主の体調、客の意気込み、それくらいか? 料理というよりも「そば道」といった精神論で語られることが多い世界だ。

それなのに、ここの店主は、自らの創意工夫で、いかに客を楽しませ満足させることができるか? ということに最大の関心があるようだ。研究熱心な店主は、そのためならどんな努力も惜しまない。その「心意気」に、おいら惚れたね。いいんじゃないかい? 明日の蕎麦屋にとって。明日の高遠にとっても。

谷川俊太郎、谷川賢作・親子ライブ『家族の肖像』は、なかなかによかった。詩人が自作の詩を朗読するのはいいなあ。聴いていてなんとも気持ちがいい。言葉が目から読んで頭に入ってくるのとぜんぜん違うのだ。「耳をすます」に、しみじみ聞き入った。『家族の肖像』もよかったな。アンコールで読んでくれた「朝のリレー」は、ネスカフェのCMで使われていたっけ。子供たちが一番気に入っていたのは、玄関で死んでいる父親をまたいで家に入る「ゆうぐれ」という詩。それから、タイトルは忘れたけど、娘がおとうさんをガリガリ食べちゃう詩。これも凄いね(^^;)

  高遠の蕎麦屋「壱刻」   (その2)      2006/12/05 

●この日次男が乗ってきた自転車は、兄からの「お下がり」ではあるが5段変速のカッコイイやつで、ぼくが乗ってきたのは、日頃愛用している変速ギアもなにも付いていない普通の「ママチャリ」だ。帰りは「ほとんど下り」とはいえ、息子は疲れ切っており、さっきから高遠の実家のこたつに潜り込んで、寒い寒いとブルブル震えている。風邪をひかせちゃぁマズイしなあ。「自転車は、ここに置いていって、タクシーで帰れば?」母にそう言われて、結局そうすることにした。

ぼく自身は何だか中途半端な達成感しか得られなかったが、時間内に「壱刻」で蕎麦を食って伊那へ帰り着くには、それ以外に方法はない。息子にとっては、高遠まで自分で自転車をこいでやって来れた事実こそが重要だから、おばあちゃんにも、おじちゃんにもいっぱいほめてもらえたし、大きな達成感が得られたのではないかな。

「壱刻」は、いまの店主になって、ちょうどまる1年が経った。1年前に来た時には、奥さんの背中に負ぶわれて、まだ4カ月に満たない赤ちゃんだった娘さんも、トコトコ店の中を歩いて愛嬌を振りまいている。息子は「天ぷらそば」を注文した。ぼくは「二八のざるそば」にしようと決めていたのだが、いっしょに行った兄と母が、新メニューの「信州煮込みそば」にしてみるというので、じゃぁぼくも「それ」をということになった。

それにしても「煮込みそば」とは珍奇なメニューだ。うどんはね、名古屋名物「みそ煮込みうどん」とか、「鍋焼きうどん」とか、ふたを取るとあつあつの土鍋の中でうどんがグツグツ煮えているイメージがすぐに浮かぶのだが、はたして蕎麦を煮込んじゃっていいのか? 煮くずれてて、蕎麦はどろどろに溶けてしまうんじゃないか? などとあれこれ心配していると、本当にあの鍋焼きうどんの土鍋がグツグツ音を立てながら登場した。

ふたを開けてこれまたビックリ。蕎麦が、ちょうど山梨名物「ほうとう」の麺くらいに幅広(1.5cm)に切られていたのだ。
(もう少しつづく)

  高遠そば「壱刻」店主の心意気には、感動したぞ!    2006/12/03 

●今日の日曜日は、午後2時から駒ヶ根文化会館で開かれる、谷川俊太郎、谷川賢作・親子ライブ『家族の肖像』を観に行くことになっていて、午前中は、長男のクラス・レクが小学校で行われるので、午前9時前には妻と長男は出かけていった。

残されたぼくと次男は、さてどうしようか? ということになって、取りあえずあれこれ言い付けられていた、食器洗いを息子が、リビングの掃除をぼくがして、最後に二人で協力して洗濯物を干した。時計はまだ10時前だった。ぼくはふと、息子(次男)と二人でちょっとした冒険旅行をしようと思いついたのだ。それは「自転車で高遠まで行って帰ってくる」というもの。高遠までは三峰川に沿って片道10kmのゆるやかなのぼりが続き、最後に大きなアップダウン、アップがある。上大島の橋までは、サイクリング・ロードをもう3回もいっしょに往復していたから、ちょっとくらい足を延ばしても子供だって大丈夫、30分は無理かもしれないが、1時間もあれば、高遠までの道のりは楽勝だろうとたかをくくって出発したのだった。

●セブンイレブンで飲み物を調達してから、二重になった霞堤防を越えてサイクリング・ロードへ。初めは快調に飛ばしていた息子もまだ小学2年生なので、次第に疲れが見えてきた。今日はぼくのペースが思いのほか速いみたいだ。なにせ、11時までには高遠の母の家に到着する予定だったからね。上大島の橋までは何とか息子も頑張った。ただ、そこから高遠までの道のりが想像以上に長かったのだ。下山田の三峰川堤防道を延々と走って、下水処理場あたりで専用道路が途切れてしまったので、仕方なく2人で歩道のない県道を自転車を押しながら歩いて坂の途中を左折し、そのまま小原の上の段まで押して歩いた。ここで息子のエネルギーは切れてしまったみたいだったが、無情にもどんどん先を行く父親を泣き言ひとつ言わずに必死で付いてきた。偉いぞ!

高遠小学校の横の急坂を命懸けで下って多町に出て、左折後さらに坂を下って天女橋を渡り、二十二夜さまの急坂を、今度は自転車を押しながら必死で登り切ったところで息子は力尽きた。ばたんと自転車を倒して、自らも地べたにへたりこんでしまったのだ。「おい、大丈夫か?」と駆け寄るぼくを制して、息子は立ち上がった。ポンポンと膝とお尻のほこりをはたいてから、自転車を起こし黙って再びペダルに足をのせたのだ。「さぁ、ここまで来れば高遠ばぁちゃん家まではもうすぐだ。がんばれ!」ぼくはそう励ましながら、泣き言ひとつ言わない息子の根性に感動していた。よくここまで頑張ってやって来たよな! 凄いじゃないか!

高遠の実家に到着したのは、11時20分近かった。自転車のペダルをこぎながら、「壱刻」で蕎麦を食べることだけを楽しみに頑張ってきたのに、この分だと蕎麦をゆっくり食べている時間なんてないぞ。だって、午後1時には自宅に戻って駒ヶ根に向かわなければならないのだから。(つづく)

 『江戸っ子だってねぇ 浪曲師 廣澤虎造一代』吉川潮(新潮文庫)  2006/12/02 

●息子たちが通う伊那東小学校では、12月1日(金)から「読書旬間」が始まった。その関連企画として、以前から次男のクラス2年柏組の担任、林先生に「ぜひ一度、おとうさんに学校へ来ていただいて、クラスのみんなの前で絵本の読み聞かせを披露して欲しい」と依頼されていた懸案が、今回実現する運びとなったのだ。午後の清掃が終わった、この日の5時間目。ぼくは 13:50 に、伊那東小2年柏組の教室に入っていった。

すでにクラスの子供たち30数名は、机を後ろに下げて体育座りで待っていてくれた。何だか緊張してきたぞ。小学校で、それもひとりで絵本を読むのは、今回が初めての体験だ。保育園では何度も読んではきたが、小学2年生のレベルに合う絵本て、どんなんなんだろう? 皆目見当がつかない。事前に息子に訊いてみてはいた。「これこれしかじかで、金曜日にお父さんが柏組で絵本を読むことになったんだけれど、何を読んで欲しい?」 彼はちょっとだけ考えてからこう言った。「『あらまっ!』がいいな。たぶん、だれも知らないから。それから『シナの五人きょうだい』も」と。

見渡すと、次男は右側中ほどの列に、何となくきまり悪そうに座っていた。あとで聞いたら、おとうさん以上に緊張していたんだって(^^;;

■iPod HiFi をセットして、いよいよはじまりはじまり

1)『バナナです』『いちごです』川端誠(文化出版局) →「ヒロシです」はまだまだ大受けだぞ!よしよし(^^)
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(ちいさなかがくのとも/2004年3月号)
3)『カニ ツンツン』金関寿夫ぶん、元永定正え(福音館書店)→この本も予想外に受けたな。へんに自信持っちゃったぞ(^^;;

ここまではよかったんだ。けどなぁ、

4)『ねぎぼうずのあさたろう(その1)』飯野和好さくえ(福音館書店)

  この絵本には「こだわり」があって、最初のページにある「二代・広沢虎造風浪曲節で」をきちんと踏襲しなければ気が済まないのだな。

   はるがすみ〜
   むさしのくにの    つちのかおり
   とある のどかな    むらのなは
   ちちぶごうりは    あさつきむらよ
   いとじろまぁるく    ピリリとげんき
   はたけそだちの    おとこのこ
   そのなも
   ねぎぼうずの    あさたろうー


  この詞にピタっとはまる節は、『浪曲名人選 二代目・広沢虎造(第二集)』「次郎長伝」より「勝五郎の義心」の始まりの部分。

   旅ゆけ〜ば〜
   駿河の道にぃ〜   茶のかおり
   ここは名に負う東海道   名所古跡の多〜い所
   中に知られる羽衣の、  松と並んでその名を残す
   街道一の親分〜は
   清水港の〜     次郎長ぉ〜〜


この節回しは、なかなか覚えられないので、結局 iPod HiFi で「ホンモノの広沢虎造」を流しながら、それに合わせて節をつけた。ところが、これが思いの外難しい。広沢虎造の節回しがゆっくりすぎて間が持たないのだ。みるみる子供たちが引いていくのが分かる。ちっとも受けない下積み芸人の焦りの気持ちが理解できたよ。けっこう自信あったんだけどなぁ、ダメだったなぁ。芸の道はキビシイねぇ。これはまずいと続けて読んだのは、

5)『落語絵本 ばけものつかい』川端誠(クレヨンハウス)
6)『あらまっ』ケイト・ラム、エイドリアン・ジョンソン(小学館)
7)『クリスマスのほし』ジョセフ・スレイト文、フェリシア・ボンド絵(聖文舎)


●ちょっと、無理して早口でたくさん読み過ぎたなぁ。子供たちはきっと、印象が散漫になってしまったんだろうなぁ。やっぱり、欲張っちゃあイケナイねぇ(^^;; でも、めったいにできない貴重な体験でした。2年柏組の林先生、子供たち、ほんとうにどうもありがとうございました。



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