しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

  「感染症情報」 再開                2007/01/30 

■ずっとサボっていた「感染症情報」を、先週分から再開いたしました。

当院では、まだほとんどインフルエンザの患者さんを見ていないけれど(先週1人:春富中1年3組男子、B型。今週1人:ブラジルのお母さん、A型 のみ)他の医療機関からの報告を見ると、上伊那地域でもインフルエンザの発生が先週から増加しているようだ。箕輪中で流行が始まったという情報あり。保育園や小学校での流行はまだないようだ。

いずれにしても、要注意です。

  最近読んだ本(その3)                2007/01/29 

『しゃべれどもしゃべれども』佐藤多佳子(新潮社) の続き。

前回、この本を「恋愛小説」と書いてしまったが、確かにそういう面もあるけれど、一番の魅力はもっと別なところにある。この小説には意固地な人々がいっぱい登場する。誰が何と言おうと、自分の存在理由に関わるどうしても譲れないところがあるから、ちょっと無理して尖って生きている。だから、世間とは衝突することばかりで、人間関係でもいろいろと上手くいかず何かと孤立する。不器用な人間と言われればそれまでだが、どうしよもなく意固地で頑固なのだ。夏目漱石ではないが、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(「草枕」冒頭より) まさにその通り!

ぼく自身、そう思いながら日々過ごしているワケで、だから、この小説に登場する人々が悪戦苦闘するさまが、とても他人ごととは思えないのだ。夏目漱石と言えば、佐藤多佳子さんはたぶん意識して、主人公の今昔亭三つ葉に「坊っちゃん」が乗り移ったかのような江戸っ子の啖呵をきらせているのだと思う。なるほど、漱石は落語の口調で小説を書いていたのだな。妙に納得してしまったよ。


『制服捜査』佐々木譲(新潮社)

これは面白かったな。短編集だが、主人公と舞台は同じで、最後まで読むと「おぉ、そういうことだったのか!」という感嘆が思わずもれてしまうような、実にベテランの書き手ならではの熟練の味わいがあった。正直、最初の2篇は読んでいて欲求不満ばかりが残った。それは、この本の主人公の駐在所勤務に配置換えされた川久保巡査部長の気持ちそのままだ。この「もやもや」を抱えたまま読み終わるのはイヤだなと思っていたら、すべては最後に置かれた中編「仮装祭」の伏線だったんだね。佐々木譲さんの警察シリーズは、今後も要注目だ。

  最近読んだ本(その2)                2007/01/27 

『しゃべれどもしゃべれども』佐藤多佳子(新潮社)■

『一瞬の風になれ(1)』を読んで、作者の佐藤多佳子さんは徹底的に取材する人だな、と思った。とにかく、あの飯島和一とならぶ寡作の作家だ。テーマを決めたら、納得がいくまで取材を続けるのだろう。ぼくは富士見高原スキー場に夏も冬もよく行くから、あの合同夏合宿の陸上グラウンドはよく知っている。佐藤多佳子さんも、ここに通ったんだろうなぁ。

さて、小説『しゃべれどもしゃべれども』も取材のたまものだ。たぶん作者は、売れない若手落語家の日常を小説にしたいと、漠然と思いついて取材を始めたんだと思う。それが最終的には「こういう小説」に仕上がるんだから、やっぱりこの作家はタダ者ではないな。ぼくも「この本」を読み始めた当初は、まさか「こういった展開」になるとは思いもよらなかったよ。

ところで、佐藤多佳子さんはどの落語家の元へ取材に行ったのだろうか? この小説の主人公、今昔亭三つ葉の師匠は、今昔亭小三文という。滑稽話を得意とする飄逸な噺家で、地味な芸風ながら、うまさでは五本の指に入ると言われる、という設定だ。十八番は「茶の湯」と「笠碁」。今昔亭というと、古今亭の落語家を思い浮かべるが、古今亭にそういう芸風の噺家はいない。「笠碁」を得意としたのは、先代の金原亭馬生と、柳家小さんだ。ということは、今昔亭小三文のモデルはたぶん、柳家小三治なんだろうな。そうなると、師匠の弟弟子として登場する破天荒の落語家、草原亭白馬は、立川談志がモデルということになるな。ただし実際は、柳家小さん門下では立川談志のほうが小三治の兄弟子となるが。そんなふうに想像しながらこの小説を読むと、また楽しい(^^)

この小説は恋愛小説ではあるが、児童文学でもある。もともと児童文学出身の佐藤多佳子さんは、とにかく子供を描かせたら本当にうまい。村林優少年の生き生きとした描写を見よ! 彼が目の前で「桂枝雀」の落語を喜々として語っているのが、まるでDVDで見ているかのように目に浮かぶではないか。ぼくはあわてて、今まで聴いたことのなかった「桂枝雀版まんじゅうこわい」を伊那の TSUTAYA へ借りにいったよ。聴いたら、それほどでもなかったな。桂枝雀なら、もっともっと面白い落語がいっぱいあるじゃないか。「くやみ」とか「代書屋」とか「夏の医者」とか「寝床」とか。

でも、本を読んでいると、村林少年が語る「まんじゅうこわい」を、聴衆といっしょになって、腹を抱えて笑っている自分がいるんだ。これぞ、小説の力だな。

  最近読んだ本(その1)                2007/01/26 

『世界一周恐怖航海記』車谷長吉(文藝春秋)■

 車谷長吉さんと言うと、無頼の人、孤高の純文学作家というイメージがあったのだが、この本を開いてまずビックリしたのは、あれ? 車谷さん、赤目四十八滝の頃に比べて、ずいぶんお顔がふっくらとなさったんじゃないですか? 血色もよさそうだし。でも、お腹の調子はイマイチみたいですね(^^;

文学者は「詩人の魂」を持っていなければならない。と同時に、小説家の場合は「俗物」でもあらねばならない。ここが辛いところである。俗物でないと、小説は書けない。詩人の魂と俗物根性とは本質的に、相容れないものである。矛盾するものである。この矛盾に私は絶えず苦しんできた。(154頁)

ある日、種村季弘のエセーを読んでいたら、文学者・藝術家になるには世俗的に「役立たず」であることが一つの条件である、と書いてあった。「役立たず」の私は嬉しかった。その時、何の根拠もなく自分が文学者になれそうな気がした。(105頁)

人生を棒に振る。これが私の一つの理想だった。三十歳で旅館の下足番になった時、人生を棒に振る覚悟だった。けれども結局するところ、私は人生を棒に振ることが出来なかった。「直木賞作家」という世俗の成功者になってしまった。(92頁)

人間の三悪。高い自尊心(プライド)、強い虚栄心、深い劣等感。(82頁)

男は絶対に、愚痴、泣き言、小言を言うてはいけない、という掟をみずからに課して生きて来た私(42頁)

 この船に乗って痛感するようになったことの一つは、人生の一回性、一過性ということである。見るもの、聞くものがもう二度と目にすることはないのだという哀切さで感じられる。(中略)人はみなこの世の過客である。過客にすぎない。みな、もうすぐ死んで行くのである。若い人はそんなことは思わずに騒いでいるが、人の一生は短い。すべてが過ぎて行くのである。一回限りのものとして。(61頁)
これらの、彼が旅の途上でふと漏らす一言一言が実に面白かった。あの辻元清美サンが作った「ピースボート」の評判がどうなのかはよく分からないけれど、3カ月に渡る「世界一周クルーズ」はやっぱりあこがれだ。パタゴニア・フィヨルドにイースター島。ぼくも行ってみたいなぁ。

  久方の〜 「わかまつ食堂」(松本市)                2007/01/24 

■休診にしている水曜日の午後だが、普段は乳児健診とか何かと予定が入っている。今日はめずらしく何もなかったので、松本まで一人で出かけることにした。ちょいと気になっていた患者さんのお見舞いに、信州大学医学部付属病院へ行く必要があったからだ。ぼくが大学にいたのはかれこれ15年近く前だが、すっかり様子が違ってしまって迷ってしまったよ。正面玄関を入って外来棟は昔のままだが、入院病棟が何処にあるのかが分からない。ぼくがいた当時の小児科病棟は「南3F」と「中4F」だったが、今はそのどちらの病棟もないのだ。いやはや、浦島太郎のような気分だったよ。でも、彼と彼のおかあさんは、思いのほか元気そうで本当によかった(^^)

もう一件、松本で用事を済ませると、時計は午後の5時半過ぎ。さて、このまま伊那に帰るのはなんだか惜しいじゃないか。国体道路を車で南へ向かいながら、ふと思ったんだな。ちょうど「あがたの森」の前の信号のあたりだったか。おぉっ、そういえばこの近くに「わかまつ食堂」があったぞ。ここは日曜休業なので、平日に松本に来ないと食べられないのだ。

てなワケで、じつに久しぶりの「わかまつ食堂」訪問とあいなった次第。まだ早い時間帯だったんで、客はぼく一人。注文は、もちろん「半チャン・ラーメン」(\800)だ。スープは「あっさり」で、麺は「硬め」にしてもらった。宮尾すすむのような雰囲気のオヤジは相変わらずで、おばぁちゃんが元気そうなのがなによりだ。この店は昔から「家内工業的運営」なのだ。オヤジがラーメンを作る横で、ばぁちゃんが炒飯を炒める。その絶妙のコンビネーションが見物の店なのだ。そしたら今日は、なんとチャーハンを炒めているのはばぁちゃんではなくて、眼鏡をかけたまだ若いここの息子さんだった。おぉ、息子があとを継ぐのか! うれしいじゃないか! 親子三代にわたって、わかまつ食堂のラーメンの味は引き継がれてゆくのであるなぁ(^^;) いやぁ、よかったよかった。

久しぶりで食べる「わかまつ食堂」のラーメンは、じつにうまかった。しみじみ旨かった。やはり、ここのラーメンはこの「黄色い細打ち、ちぢれ麺」が「いのち」なんだな。前回、数年前に来た時には、ちょいとスープの臭みが気になったが、今日はスープも完璧だったな。いや、うまかった。ばぁちゃんが野沢菜の漬け物を出してくれたよ。息子さんが作った半チャーハンも、美味しかったサァ(^^) 

  千早振るぅ〜(その2)                2007/01/22 

■昨日の日曜日は、権兵衛トンネルを抜けて「きそふくしまスキー場」に行ってきた。車中では落語のCDをかけながら行った。先代の柳家小さん「千早振る」と、立川志の輔「みどりの窓口」の2本。途中、サークルKに寄ったので少し余計に時間はかかったが、それでも1時間弱でもうスキー場に着いてしまった。ここは近くていいや。スキーヤー・オンリーだし、眺めはいいし。木曽駒ヶ岳に、南に恵那山、正面には御嶽山がデーンとあって、その右奥に遠く加賀の白山が遠望できる。北側には乗鞍岳から北アルプスの山々が連なる。コースも長くて大満足。また来よう!

■先日聴いた「千早振る」は、ぞろっぺぇの志ん生版だったが、どうも柳家小さん版のほうが「正統派」みたいだな。志ん生は「落ち」もきちんと言わないで終わっちゃてたが、本当は、龍田川に突き飛ばされた後、よろよろと起きあがった千早が、自ら井戸に飛び込んで自殺してしまうのであって、「水くぐるとは」の「とは」は、千早(源氏名)の本名だ、というのが落ち。

立川志の輔の「みどりの窓口」は、子供たちにも大受けだった。志の輔は分かりやすいんだね。帰りは、柳家喬太郎の「寿司屋水滸伝」をかけてきたが、これまたバカバカしくて子供らにも受けた。しかし後半は、みんな疲れてたんで、運転手以外は寝ちゃってたね(^^;)

 『かんかんかん』のむらさやか・文、川本幸・製作(こどものとも 0.1.2./2007/1月号)  2007/01/20 

■デビュー作が「白かった」からね、次回作は「黒!」と決めていたんだろうな。そんな気がした。

『これ なーんだ?』のむらさやか・文、ムタラ有子・絵(こどものとも 0.1.2. /2006/1月号)を初めて手にしたのは一年ちょっと前だが、ぼくの感知器が「ピピッ!」ときたんだ。こういう時には、中味をあまり吟味せずに即購入することに決めている。そうやって入手した絵本で、今までほとんんど「ハズレ」はなかったからだ。実際、この絵本は「大当たり!」だった。西箕輪南部保育園、西箕輪北部保育園、高遠第一保育園、天使幼稚園、辰野町立図書館、竜東保育園と、この一年間にずいぶんたくさんの保育園で内科健診の後に読ませてもらったが、その度にいろんな子供たちの反応があって、じつに楽しかったよ。これからも「導入」用の絵本として定番になるに違いない。

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■さて、処女作がけっこう評判になると、2作目の製作は力が入りすぎて、なかなか思うような作品ができないものだが、この作者は果敢なチャレンジ精神を持っているようだ。だって、「写真絵本」だよ! 写真絵本は難しい。子供のイマジネーションを、リアルな写真が限定してしまうから。すごい冒険したねぇ >福音館。

でも、この絵本は「当たり!」だ。次々と現れる身近なものを工夫して使った造形が、なんともオシャレでセンスがいい。それに写真の暖色系の色合いが、ぬくぬくと暖かい感じで、これまたいい。

「がたんごとん〜、がたんごとん〜」。電車のリズムはそうなんだが、踏切は「カンカン、カンカン」なんだね。つまり、電車は3拍子で、遮断機は2拍子だったんだ。そういうことが、この絵本を読んで初めてわかった。

「夜の踏切」というのが、よかったのかもしれないな。ぼくがよく通る踏切は、伊那市立図書館からアルプス信用金庫を過ぎて、JR「いなし」駅に抜けるところにあるのだが、昼間の踏切では思いもよらなかった経験を、夜の踏切ではするのだ。「カンカンカン」と遮断機が下りたとき、まず思うのは、右左、どっちから電車がくるのか? という問題だ。これが案外当たらない(これは昼間の踏切も同じか)。でも、最近の遮断機には「矢印」が点灯するようになっているので、間違えることはない。この絵本でもね、横組みの絵本の場合は、左→右、と決まっているから間違えることはない。それから「夜の踏切」で印象的なのは、警報機の赤い点滅だ。「この絵本」の遮断機も、ちゃんと「右左で点滅」しているのがうれしいな。

えっと、話が横道にずれてしまったが、「夜の踏切」で一番楽しいのは、電車に乗っている人々の佇まいが、電灯のもとで「よく見える」ことだ。ぼくの生きてきた人生と、ほとんど交差することない人生を歩んでいるに違いない人々が、飯田線の電車の中でふと、誰かに見られているとも知らずに「その素の顔」を僕に見せてくれる。その一瞬、彼(彼女)の人生が、ぼくの心の中に流れ込んでくるような錯覚を覚えるのだ。不思議な瞬間。いろいろあるけれど、あんたもがんばってな、おいらも、頑張るから。そんな、優しくなれる場所が、ぼくにとっての「夜の踏切」なのだった。

踏切といえば、映画の中で印象的なシーンに使われている「踏切」を思い出した。小津安二郎の『麦秋』だ。これは「昼間の踏切」だったのだが、おじいさんがカナリヤの餌を買いに行った帰り、踏切の遮断機が下りる。もうすぐ家族がバラバラになってしまう悲しみの思いがあふれ出て、この祖父はへなへなとその場にしゃがみ込んでしまうのだった。

 千早振るぅ〜                2007/01/18 

■小学4年生の長男はいま、百人一首に萌えている。クラス全員で、百人一首の暗記を競っていて、もらってきた「百人一首チャレンジカード」には27人分の絵札が縮小コピーされて載っており、間違えずにきちんと一首みんなの前で暗唱できたなら、担任の先生がその句の絵札に「合格」の赤い判子を押してくれるという仕組み。現在「まる合」の判子は9個だ。

「ねぇねぇおとうさん、これ知ってる?」 このところ毎晩、息子から「その日暗記した百人一首」を聞かされるのだが、恥ずかしながら、上の句・下の句を完璧に覚えている句はなかった。ただ一首を除いて。それは、

千早振る 神代もきかず 龍田川  から紅に 水くくるとは (在原業平)



何故おぼえているかというと、「落語」にあるからなんだな。そこで、古今亭志ん生のCDを出してきて、息子に聴かした。いきなり「吉原」とか「太夫」とか出てきて困ってしまったが、さすがに小学4年生に「志ん生の落語」はまだ高度すぎたのか、途中で「おとうさん、つまらないからもういいや……」と言って、弟が付けたテレビに気を取られて、そちらに移動して行ってしまった。

ぼくはちょっと残念だったので、この和歌の意味を息子に説明してやったよ。

江戸時代の昔、龍田川という大関にまで昇り詰めた強い力士がいたんだ。ある春の夜「たにまち」に連れられて夜桜見物に吉原に出向いた龍田川は、千早という花魁にすっかりぞっこんになってしまった。ところが悲しいことに「あんな相撲取りなんて、あたし嫌よ!」と、いとも簡単に千早に振られてしまうんだな。じゃぁ、千早の妹の神代でもいいと節操のないことを龍田川が言ったもんだから、妹の神代も「姉さんが嫌なもんなら、あたしだって嫌よ!」ときかなかった。

失恋のショックで、すっかり落ち込んでしまった龍田川は、関取を廃業して田舎へ帰り、両親が営む豆腐屋を継いだ。すっかり豆腐屋家業も板に付いてきた10年目のある夕方、おちぶれた女乞食が店先で物乞いをしている。可哀想に思った龍田川は「こんなものでよかったら、いくらでもお上がンなさい」と、卯の花(おから)を握って差し出す。「ありがとう存じます」と受取ろうとする女乞食。見上げ、見下ろす、互いに見交わす顔と顔。驚いたのは龍田川。なんとこれが、千早太夫のなれの果てだったんだよ。

龍田川は怒ったね。「おめぇなんかにくれてやる、おからはねぇやい!」と千早をどーんと突き飛ばした。千早はよろよろとバランスを崩し、豆腐屋の横にあった井戸の中へドッボーンと落ちて水の中で溺れ死んでしまったとさ。チャンチャン(^^;)

 直木賞 該当作なし?          2007/01/16 

■昨日は、マイケル・ブレッカーが白血病で死去したという新聞記事を読んだ。まだ50代だった。黙祷。

■今日は、北村薫氏が絶対取るに違いないと思われていた「直木賞」を、取れなかった。よのなか、やはり間違っているよね。最近の直木賞は、出版界への貢献度の大きさから賞をあげているような人選だったから、だとしたらなおさら北村薫氏にあげるべきだったんじゃないの? 佐藤多佳子さんは、仕方ないかな。3冊分冊だもんな。ここ2〜3日ずっと更新を怠っていたのは、彼女の出世作『しゃべれどもしゃべれども』佐藤多佳子(新潮社)を読んでいたからなのだが、これはしみじみ傑作だ。寝る間も惜しんで一気読みだった。なんで今まで10年近くも読まなかったんだろう? 発刊当初、北上次郎氏が褒めちぎっていたのにね。今春、国分太一主演で映画化公開されるらしい。確かに、絵になる話には違いないか。でも、ヒロインは誰が演るの? 他に、伊東四朗、八千草薫が出るらしい。詳細は、また次回。

●先週の土曜日の夜は、われわれ「パパズ伊那」の新年会だった。楽しかったね。会場は伊東邸。去年、われわれの結成2周年記念の会を行った場所だ。前回は、運転手としてアルコール類を我慢しなければならなかったママたちの不平不満が予想外に大きかったので、今回は、ママたちも心おきなく呑めるようにと、各ファミリーはタクシーか代行を利用して集まった。われわれ「パパズ」は、それぞれの「ママたち」と「子供たち」あってのユニットだ。そこんところを、おろそかにすることはできないのだよ(^^;;

5人のパパたちは、それぞれに考え方も違い、個性豊かな面々である。だからいいのかもしれないね。お互いの立場を尊重し合いながらも切磋琢磨する関係なのだ。年末に僕がぐだぐだと書き連ねたが、「べつに、そんなん言わなくてもいいんじゃない? みんな違っているからいいんだよ」と言ってくれる大らかさが「パパズ」にはある。本当に、ありがたいと思った。メンバーそれぞれに年齢も仕事も違えば、絵本に対する考え方も異なる。でも、子供らに絵本を読むことが何よりも好きで楽しいから、利害関係も何もない僕らが活動を共にできる。この「ゆるい結束」にこそ、大きな意味合いがあるのかもしれない。

 中本賢さん家の「父と息子」のその後         2007/01/12 

■父親が息子の子育てに積極的にコミットして頑張ってやって行けば、どんなにか立派に子供は成長するに違いない、という仮説があって(あるのか?)でも例えば、読み聞かせを毎晩一生懸命続けてきても、子供が「本好き」になるとは限らないのが現実であって、仮説はあくまでも仮説にすぎないのだという、厳しい現実を図らずも「この番組」では明らかにしていた。中本賢さんの一人息子は、現在大学4年生でアメフトに燃えた日々を過ごしている。3月には卒業予定であったが、単位が足りなくて留年が決定したと、テレビでは流れていた。

いや、息子が留年したから「父親の子育て」が失敗したと言いたいワケではない。所詮、息子は息子自身の人生を生きて行くのであって、父親が「こうあってほしい」と願う人生を歩んではゆかない、という「当たり前」のこと。そういうことを、この番組はきちんと伝えていたと思う。偉いな。

彼の息子は、高校生の時にいろいろあって、結局その高校を中退してしまう。とことん悩む息子に対して、この時の父親はあまりに無力だった。でも、中本賢さんは偉かった。自分では息子をどうしてやることもできないんだということを、きちんと理解していたんだな。だから彼は、息子を長良川で川漁師を営む知人の兄弟に託したのだ。「父と子」の縦の関係では見えてこない人生の解答が、「おじさんと息子」という斜めの関係の中で、子供には初めて見えてくるのだ。それは、椎名誠さんの息子「岳くん」と野田知祐さんの関係でもある。

自分でも思い返してみると、「父親」というのは中学高校時代には何だか面倒な存在だったように思う。一人息子である彼の子供は、僕よりも何倍も何倍も、父親に対する憧れとそれ相反する嫌悪感、そして、自分は決して父親を越えることのできないに違いないと思い込む重圧の中で、一人悩んでいたんだろうな、可哀想に。

彼は、無事大学を卒業できたら世界放浪の旅に出るのだと、番組の中で答えていた。そうして、日本に帰ってきたら、一流のバーテンダーになるのだと、あっけらかんと笑顔でしゃべっていた。ぼくは正直、テレビの画面を見ながら「なに言ってんだ、コイツ」と思ったよ。彼の父親は、はたしてどう思っているんだろうか? 切ないんじゃないな、きっと。中本賢さんは何も言っていなかったが。ただ、彼の奥さんの話では、中本賢さんは「親の役目は、子供を早くきちんと自立させること」と繰り返し言っていたという。

番組を見ていて一番印象に残ったのは、この、中本賢さんの奥さんの発言だ。父と子の蜜月時代を、自分は黒子に徹しながら支えてきた奥さん。いや、世間では息子の子育ては父親がやってきたと思われているかもしれないが、「2人の息子(夫と子供)」の子育てをしてきたのは私なのよ! という自負と自信が画面からはあふれていたな。まるで、孫悟空を掌で遊ばせているお釈迦様みたいな笑顔だった。かっこよかったな。

奥さんはこうも言っていた。「いつか、息子が父親になった時に、彼はきっと、自分がしてもらってきたように子供に接すると思います。彼(中本賢)が一生懸命してきた父親としての子育ての成果としては、それで充分なんじゃないでしょうか?」

凄い奥さんだなぁ(^^;)

 多摩川の「川ガキ」 中本賢さん         2007/01/10 

「川餓鬼(かわガキ)」という言葉を初めて知ったのは去年のこと。絵本『川のいのち』に付録で付いてきた、立松和平さんの文章や、四国の吉野川で「川ガキ養成講座」を毎年開いている、野田知祐さんの活動。それから、川ガキが主題となった小説、『川の名前』川端裕人(ハヤカワ文庫)。

もう一人、大人の「川ガキ」がいた。昨年末、12月26日の深夜に何げなくテレビを付けたら、NHKで「川の記憶 父と子の多摩川」 という番組をやっていて、30年以上前にTBSテレビで放映された「ぎんざNOW」素人コメディアン道場から誕生した「ザ・ハンダース」 のメンバー(清水アキラ、桜金造、アゴ勇、鈴木末吉、小林まさひろ)の一員だった「アパッチけん」こと、中本賢さんが出演していた。

中本賢さんは、アウトドア・パパとして有名だ。椎名誠さんと同じく、20年近く前から、息子を大自然の中で育てることを実践してきた人だ。番組では、中本賢さんが多摩川沿岸のマンションに引っ越してきてから、小さな息子と二人で多摩川探検を繰り広げた(多摩川源流を探す旅とか)当時の回想を交えて、中本賢さんに「川ガキ」の弟子入りをした一人の少年とともに、彼が「父と子の多摩川」を再体験するという内容だった。年賀状を刷りながらだったり、途中でフジテレビ「松任谷由実のオールナイト・ニッポン」を見に行ったりと、ちゃんと見なかったことが悔やまれるな。なかなかにいい番組だったよ。再々放送を望みます >NHKさま

 「サテンドール」 オスカー・ピーターソン・トリオ      2007/01/08 

■去年の冬は雪が少なくて楽だったが、この冬はそうでもなさそうだぞ。30cm近く積もった昨日の午後は、一家総出で半日かけて雪かきだ。なにせ、医院の駐車場が広いものだから、雪かきは大変な作業。土曜日はみぞれ混じりの重たい雪で、人力ではどうにもならなかったので、日曜日の朝に重機を頼んで1度雪をかいてもらってあったのだが、その後も降り続く雪がさらに15cm以上積もってしまっていたのだ。ちょうど連休の時でほんとよかった。今日は、腕やら足やらそこいらじゅうが筋肉痛。

●アップテンポで、がんがん弾きまくるオスカー・ピーターソンもいいが、ミディアム・スローで思い切り「貯め」を作りながら「サテンドール」を弾き始めるオスカー・ピーターソンが好きだ。じわじわとベースとドラムスが刻むリズムに乗っかるようでいて、オフ・ビートに外しまくりながらも、最終的にはぐんぐんスウィングしているんだから、ほんとうに不思議だ。名曲、名演奏ぞろいのこのCDでも、やはり「サテンドール」が最高だな。

えっと、何のことかと申しますと、今日1年ぶりに久々に書き上げた<こちら>で言おうとして忘れていたことなんだ。ずっと恥ずかしくて、オスカー・ピーターソンのことが大好きだってことを、今日まで言えないでいた。だってジャズファンの間では、「へっ、オスカー・ピーターソンなんてね。」というような扱いしかされてこなかった人だったからね。

 埴谷雄高の「夢について」     2007/01/06 

『脳は空より広いか』ジェラルド・M・エーデルマン(草思社)を読みながら、埴谷雄高氏の文章の中に似たようなフレーズがあったことを思い出した。埴谷雄高の本なんて、今までに1〜2冊ぐらいしか読んだことない(もちろん『死霊』なんて手にしたこともない)ぼくが、いったいどこで読んだのか? よく考えてみたら、『意識と存在の謎』高橋たか子(講談社現代新書 1317)の中で、埴谷雄高氏の「続・夢について」という文章が引用されて載っていたのを読んだのだな。

エーデルマンは本書の「はじめに」の中で、「意識は形而上学的にしか扱えない問題だとか、神秘的でなければならないと信じている人たちに、『そんなことはありませんよ』と科学の言葉で示せれば幸いである」(11ページ)と言ってはいるが、形而上学的な文学を追究した埴谷雄高氏や、作家であり神秘家、宗教者でもある高橋たか子さんの「深い深い思索」と思いのほかすごく近いところに、この脳科学者がいることに気づいて、ぼくはちょっとビックリしている。さて、その埴谷雄高氏はいったい何と言っているのか? 以下引用。

 私達の暗い頭蓋の奥に格子の縞のように交錯しているひとつの巨大なパネルがあって、格子によって区割されたそのひとつひとつの窓にそれぞれ仄明るい電気がついている景観を思い描いてみれば、覚醒時にはこのパネルの表面に見える殆どすべてのラムプが点いており、睡眠時には緩やかな点滅を繰り返しながら、そのパネルの上部の列からはじまって一列ずつ次第に消えていく意識の過程が直感的に理解できるであろう。

 ところで、私たちが睡りのなかで見る夢とは、その何処かの列の何処かの部分、例えば下から数えて五列目の右端の窓に黄色い光が不意と点くことである。その窓に点火されると思うまもなくやがて一本の横棒のように五列目全体に黄色い光の縞が通るのが望見されるが、(中略)私達の夢は、殆どつねに、五列目から八列目の中央の窓へ飛び、八列目の右半分がつぎつぎに黄色く点火され終ると、十三列目に飛躍し、さらに四列目にもどるといったふうに、とりとめなく切れぎれに進行する。

 この夢の断続性は一つの事象の切断と他への飛躍の驚くべき荒唐無稽なかたちによって夢ときり離し得ない類の特徴と見られるが、しかし、私達の思考の持続は、本来、このような性質をもっているのであって、私達が五分間と続けて論理的に思考し得ないことは、(中略)明らかな筈である。(中略)私達の思考の継続の仕方も、いってみれば、不連続の連続という経過をもっているもののごとく思われる。(中略)

 それは真夜中過ぎの深い静かな闇のなかに沈んだ遠い方形のビルディングであって、(中略)私達は闇のなかにおかれたこの暗い物体をぼんやり眺めつづけているが、ふと、あるかなきかの仄かに発光する何かがそのビルディングの何処かの階に動いているのを認めたような気になる。私達が眼をこらして凝っと眺めると、次第に闇に馴れてきた視界に、ひとつひとつの部屋を確かめるように立ちどまっては歩き、また歩いては立ちどまりながら、ビルディングの暗い廊下をゆっくり進んでゆくひとつのぼんやりした小さな影が映ってくる。

 不意と、そのとき、ひとつの想念が電流のように私達の内部を掠め過ぎるのである。<夜警だ!>黒い服装をしてカンテラ帽をかむっているらしくその周囲が時折ちらと写しだされるその影の本体は、そのとき、何か思いついたらしく、五階の右端で立ちどまってその部屋を調べてみるようにスウィッチをひねる。すると、黄色い光がひとつの窓を淋しく浮かびあがらす。(中略)

ところで、現実の記憶の対応物をもたないその最初の点火が不意と起こるのは、そのパネルを真夜中過ぎの闇に沈んでいる遠いビルディングと置き換えてみれば明らかなように、その暗い廊下をさだかならぬぼんやりとした影となって歩いている夜警がスウィッチをひねることによるのであって、スウィッチに手をかけた夜警という音もない影絵に似たひとつの構図がここで測り知れぬほど重い意味をもっているのは、私達の夢のなかの映像と夢見る前から絶えずつづけられているところの私達の思惟作用との関係を微妙にそれが暗示しているからにほかならない。そこには、いわば、在るから見るというより、見るから在るという逆な関係があるのである。

 それは、いわば光源のみあって遮蔽する物体のないところの影絵なのである。また、それは、いわば、影絵のような黒いイメージを生むところの無始無終の時空のような白いイデエなのである。つまり、点火とともに私達の夜警がその暗い部屋の内部に思いがけず見るのは、その建物に属せぬ見知らぬ人々が机を囲んでカードをしているといった不思議な情景であって、いままで誰も住んでいない開かずの間であるその暗い部屋の内部は、絶えざる注意の命ずるままにふと立ちどまった夜警の点火によってのみしか、その思いがけぬ不思議な景観を示し得なかったのであった。

(「可能性の作家 -- 続・夢について」埴谷雄高) 『意識と存在の謎』高橋たか子(講談社新書 1317)p57〜61 より 

『脳は空より広いか 「私」という現象を考える』エーデルマン(草思社)  2007/01/04 

●宮沢賢治『春と修羅』の、有名な冒頭部分を引用させていただく

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

『新編宮沢賢治詩集』天沢退二郎編(新潮文庫)19頁より

ぼくは、特に
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
という部分が好きだ。ほんとうにそんな感じがする。


●「意識」とは何か? 「私がいる」と感じるもとは、何処からくるのか?

この、哲学的、形而上学的、根元的な「人間存在の謎」に対して、脳科学者エーデルマンは、この本『脳は空より広いか 「私」という現象を考える』(草思社)の中で、明解に(かどうかは、まだよくわからないのだが……)科学的に、論理的に、矛盾なく答えてくれている。読み始めて、とにかくビックリした。なんか、すごく納得のいく説明を初めてしてもらった感じだ。

新潮社の季刊誌『考える人』特集:「心と脳」をおさらいする(No.13 2005年夏号)の中では、このエーデルマンという人はほとんどまったく登場してこないのだが、世界の脳科学の最先端ではどのような立ち位置にいる研究者なのだろうか? そのあたりが、ちょっと気になるところ。でも、とにかく凄い人には間違いない。

彼が主張する理論の中核は、「神経ダーウィニズム」あるいは「神経細胞群選択説 Theory of Neuronal Group Selection = TNGS」と呼ばれる理論と、「ダイナミック・コア仮説」という脳の中(視床 - 皮質系と呼ばれる精緻で網細工のような回路網と再入力結合)で起こる「神経プロセス<C’>」に必然的に伴う(伴立する)のが、意識<C>である、という考えだ。

これだけ書くと、何が何だかワケ分からないが、
「毎日新聞書評」や、<こちら> とか、<こちら> とかに詳しい解説があります。(もう少し続く予定)

  新しい年を迎えて             2007/01/02 

新年 あけましておめでとうございます

2007年という年が、皆さまにとって、それから、世界中の子供たちにとって、よりよき年になることを願ってやみません。


今年は、平成10年4月23日にこの伊那の地で小児科医院を開業してまる9年。と言うことは「10年目」に入ることになります。この節目となる年に、伊那の地元に根ざした、子供たちと若い父親、母親たちのための、何か新たな活動が始められないかどうか、あれこれ考えているところです。具体的にはまだ何も決まってはいないけれども、何かしたいと思っているのです。乞うご期待(^^;;

■元旦、2日と思いのほか暖かで、おだやかな新年の始まりでした。今年は「お正月の当番医」を外れたので、のんびりとテレビでも見て過ごしています。今年は期待した「日本の話芸特選」が放送されなかったので、がっかりだったのだけれど、代わりに、NHKBS2では音楽番組が充実しているな。今夜は、トニー・ベネットにマイケル・ブーブレのライヴ。それに深夜には「フォークの達人」の再放送で、山崎ハコと三上寛が登場した。昨日はなんと、西岡たかしと、ぼくが中坊のころからずっとずっと大好きだった加川良のライブが放映された。まさか、正月一日の夜に加川良がテレビで見られるとは思わなかったな。

明日3日の夜の「フォークの達人」には、これまたぼくが敬愛する友部正人が登場する。これは見逃せないぞ!
おっと、その同じ時間帯(24:00〜25:30)で、NHK教育では、ETV特集「椎名誠の絵本を旅する」の再放送もあるぞ!



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