しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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2007年:<1月><2月>

●「不定期日記」●

 柳家一門は、やはり実力派がそろっているなぁ。特に、柳家さん喬がいい! 2007/03/30 

■昨年秋、六代目柳家小さんを、五代目小さんの実子(長男で柳家花禄の叔父)である柳家三語楼が襲名した。名人、五代目小さん亡きあと、柳家一門を統括するのは、その人気、実力、経験度からして柳家小三治であろうというのが衆目の一致するところであった。でも、小三治が小さん襲名を固辞するであろうということも衆目の見方だった。とすると、柳家一門で小三治に次ぐ位置にいた、柳家さん喬柳家権太楼の立場は難しくなるはな。小三治を差し置いて、自分が「小さん」を継ぐことはできまい。かと言って、三語楼が六代目柳家小さんを襲名したことは、やっぱり面白くないんじゃないか?  本当のところは判らないが……

■先週土曜日の午後のNHK教育テレビ『日本の話芸』に登場したのは、柳家さん喬だった。演目は「八五郎出世(妾馬)」。これがめちゃくちゃよかった。伊那市立図書館所蔵のNHKライブラリ・ビデオで、三遊亭圓生の『八五郎出世』を以前に見たが、圓生版よりも「さん喬」版のほうがいいんじゃないか。やくざ者で調子がいいだけの八五郎だが、じつは根はいい奴なんだということを、さん喬さんは過剰な演技をせずに、さりげなく演出していた。そこがまたよかったな。とにかく、いっぱい笑わせてもらって、そうしてオイオイ泣かされた。あぁ、落語っていいな。しみじみそう思った。聴いていて、八五郎と同じくらい幸せな気分になれた。さん喬は、やっぱ凄いや。

『妾馬』では、八五郎が殿様の御前で酒に酔っぱらううちに、次第に地が出る場面が見どころだ。さん喬さんは、じつに旨そうに酒を飲んでみせる。酒飲みが主人公の落語を演じさせて絶品なのは、先代の三笑亭可楽(「らくだ」「富久」など)だが、さん喬さんもいいね。

■息子たちが通うピアノ教室で彼らのライバルでお互いに切磋琢磨する立場にある「i ちゃん(小1)」が、教室を代表して武道館でピアノ演奏することになって、先日、家族みんなで東京へ聴きに行ったのだが、ぼくだけ別行動をとって、新宿から神田まで中央線で行き、地下鉄銀座線に乗り換えて田原町で下車、そこから歩いて浅草演芸ホールまで出向いた。ホールに着いたのは12時半ころだったが、場内はすでに満員。仕方なく2階席に上がって、立ち見で観ることになった。

  柳家さん吉 「蔵前駕籠」
  ぺぺ桜井  「ギター漫談」
  柳家権太楼 「子ほめ」
  三遊亭圓丈 「金さん銀さん」
  林家正楽  「紙切り」
  古今亭志ん五「長短」
  柳家喬太郎 「たらちね」
  花島世津子 「マジック」
  柳家さん喬 「かわり目」

  <仲入り>

  入船亭扇辰
  あした ひろし・順子 「漫才」
  入船亭扇遊
  古今亭志ん輔
  翁家 和楽社中 「曲芸」
  入船亭扇橋(昼の部・主任)


というのが、当日の昼席の出演者なのだが、考えてみると「ものすごい」面子がそろっていたなぁ、しみじみ。
とは言え、武道館を後にした妻子から午後3時前にメールが入ったので、結局は仲入り前で切り上げて「浅草演芸ホール」を出た。それにしても、2500円でこれだけ楽しめるのだから、やっぱり寄席は安いな。また来よう!

浅草演芸ホールの客席の平均年齢は、ものすごく高い。ほとんどがジジ・ババだ。浅草観光ツアーに組み込まれているみたいで、どんどん団体客が押し寄せる。結局ぼくは、午後3時前の10分間だけようやく坐って見ることができたのだった。浅草演芸ホールを侮ってはいけない。

この日は、ぺぺ桜井に次いで柳家権太楼さんが登場して、とにかく「どっかん、どっかん」ビックリするほど受けた。この人の実力を初めて知った思いがした。この次が出番の三遊亭円丈さんはきっと、どんなにか、やり難いだろうなぁということは、容易にに想像できたのだが、予想に反して円丈さんも「どっかんどっかん」受けた。円丈恐るべし! 紙切りの正楽さんは流石だな。芸と技の神髄を見せつけてくれたよ。古今亭志ん五さんは、古今亭志ん朝の弟子だが、与太郎ものを得意としている。なるほど、そうきたか。

ぼくの大好きな柳家喬太郎さんがこの日登場するんで、わざわざ浅草までやって来たのだが、この日の喬太郎さんは新作で勝負せずに古典の「前座噺」で軽く、でもきっちりと演じてきたので驚いた。喬太郎さん、寄席でも手を抜かないね、偉いね。そうこうして、<仲入り>前に登場したのが、柳家さん喬さんだ。

前回2月に、上野鈴本で聴いた時は、夜の部の主任(とり)だったので、『福禄寿』という、ちょいと地味な三遊亭圓朝作の人情噺で勝負してきた。今回は、浅草演芸ホールの昼下がりの<仲入り>前の出番だ。この人の聴きどころは、やっぱり「人情噺」にあるかとは思うが、「かわり目」みたいな、軽い酔っぱらいの滑稽噺も、手堅く本当にうまいと思う。いやぁ、いいな。もっと、もっと、ナマで聴いてみたいな、そう思った。

午後3時に「浅草演芸ホール」を後にして南へ向かうと、あの入船亭扇橋さんと道端ですれ違った。「あれ? 扇橋さんじゃない?」そう思ったのだけれど、浅草の道端で師匠を呼び止めることははばかれたので、結局そのまま何も言わずにすれ違った。扇橋師匠は、ジーンズの上下でじつにオシャレでしたよ(^^;)

この後、新宿南口の「東急ハンズ」8Fで妻子と待ち合わせして、高島屋9階へ。おもちゃ売場はどうも、ずいぶんと変革させられたみたいだな。 ぼくは「東急ハンズ」7Fで、ずっと探していた「ハワイアンのレイ」を入手できたことがうれしかった。これで「メケメケ・フラフラ」を公にできるぞ!


■この日、最後に訪れたのは、新宿西口バスターミナルの地下2階にある、回転寿司「沼津港」だ。新宿で、回転寿司の美味しい店を探すのは難しい。とりあえず、ここ『沼津港』は、合格点をあげてもいいかな、混んでなかったし。そう思った。

『わたしのマトカ』片桐はいり(幻冬社)『詩人と絵描き』谷川俊太郎・太田大八  2007/03/27 

『わたしのマトカ』片桐はいり(幻冬社)

1987年8月、松本あがたの森の野外特設ステージで観た、ブリキの自発団公演『夜の子供』の印象は鮮烈だった。「過去はいつも新しく 未来は不思議に懐かしい」の名セリフとともに、芝居の最後でステージ後ろの「ついたて」が取り外されて、唐突に現れたあがたの森公園から花火が一斉に打ち上げられたラストシーンは忘れられない。出演していた女優陣も強力だ。カッコイイ銀粉蝶、可憐な山下千景、そうして超個性派女優、片桐はいり

その片桐はいりさんが、ひとり旅好きで、マッサージ好きで、しかも、なかなかの文章の書き手であるとは知らなかった。この本の前半の文章は特に密度が濃い。安易に読み飛ばされることを文章が拒否している。いや、読みにくい文章なのではない。むしろポンポンと入れられる読点の打ち方が、ぼくの呼吸のテンポとぴったし合ってじつに心地よい。しかし、まるで片桐はいりさん自身のナレーションが頭の中で聞こえるように感じられて、その朗読のテンポでしか読み進まないのだ。でも、中盤からは書き手も読み手も馴れてきたからか、一気に読み進んだ。ぼくは基本的に「旅行記」が好きなのだな。

映画『かもめ食堂』は、伊那旭座で観た。たしか感想も書いた。あのフィンランドの森と湖が、ほとんどスクリーンに登場しなかったことが一番の不満だった。でも、この『わたしのマトカ』には、フィンランドの森と湖がちゃんと登場する。ぼくは安心した。

「わたしのそばにいて」(59頁)の食べ物の話も楽しいが、その次の「夜にもまれる」(68頁)のマッサージの話が傑作だ。大笑いした。それから、フィンランドの人々はみな、まるで Mr. ビーンみたいに無表情で遊園地のジェット・コースターに乗っているとは知らなかったな(^^;)


いま、フジテレビのスポーツ・ニュースに出ている荒川静香さんを見ていて、ふと「あっ、片桐はいりとどこか似ている!」と思ってしまったぼくは、イケナイ人なのだろうか(^^;;;

■『詩人と絵描き』谷川俊太郎・太田大八(講談社)のはなしは、今日はもう時間がないのでまた次回。

 ビル・エヴァンズは、左利きだった           2007/03/24 

『ねにもつタイプ』138頁「床下せんべい」に出てくる『あしたのジョー』の特集を、いま、テレビの「ETV特集」でやっている。その少し前、テレビ東京だか日テレだか、よる10時前の5分間番組で、『ねにもつタイプ』147頁に出てくる「ゴンズイ玉」が実際にテレビに映っていて、これまたビックリした。おぉ、これがゴンズイ玉か!

ビックリしたと言えば、「あとがき」に「べぼや橋」の検索ヒット数は一件から三件に増えた と書かれていたので、試しに「べぼや橋」をググってみたら16200件もヒットして驚いた。岸本佐知子って、知らないうちにこんなにもメジャーになっていたのか!と驚嘆した。しかしよく見ると、実際の「べぼや橋」は8件のみで、あとは「ぼや」にヒットしたものだった。なぁんだ。

ちなみに、「秋元むき玉子」で検索すると、ぼくの「しろくま」のファイルの「2006/06/28の日記」1件しかヒットしない。いやはや(^^;;


Bill Evans.jpg

■写真は、『月刊 PLAYBOY 日本版』(No.364 2005年6月号)の、24頁に載っていたものだ。ピアノに向かったビル・エヴァンズが、楽譜に「左手」で何か書き込んでいる。ビル・エヴァンズは、やはり「左利き」だったのだ(そういう噂は以前から聞いていた) スケールの大きな演奏をする有名なジャズ・ピアニストに案外「左利き」が多い。マッコイ・タイナーがそうだ。あの、オスカー・ピーターソンもそうらしい。ブラッド・メルドーは定かでないが、ぼくは左利きだと信じている。ピアノという楽器は、左利き用に鍵盤を左右逆にするようなことはないので、そのピアニストが左利きかどうかの判別は、なかなか困難だ。こういう写真でもないとね。ようやく見つけた証拠写真のつもりだったが、『 The Tony Bennett Bill Evans Album』のレコード・ジャケットを見ると、ちゃんと左手でペンを持っているじゃん。昔からよく見ていたジャケット写真なのに、気が付かなかったな(^^;

■追記:Bill Evans は、一般的には「ビル・エヴァンス」と表記するが、同じスペルで「エバンズ症候群」という溶血性貧血の病名があるので、ぼくは昔からずっと「ビル・エヴァンズ」と言ってきた。そうだと信じてきた。でも、エヴァンスが正しいのだね。最近になって気が付いた。でも、あの村上春樹氏も「ビル・エヴァンズ」と表記しているのだ。なんだかうれしかったな。ただ、ぼくは「ジェイムス・テイラー」と言うが、村上さんは「ジェイムズ・テイラー」と書いているんだ。いやはや悩んでしまうねぇ(^^;)

 『ねにもつタイプ』岸本佐知子(筑摩書房)           2007/03/23 

■2月初めに本やCDをまとめて Amazon に注文したら、いつまでたってもちっとも発送されて来ない。例の村上春樹氏推薦のシダー・ウォルトン(p)トリオのCD『ピットイン』が入手困難となったためで、結局、それ以外の注文品が今週の火曜日になってようやく届いた。その中の一冊に『ねにもつタイプ』岸本佐知子(筑摩書房)があった。なんか、発刊当初の「旬」で読みたかったなぁ、という残念な思いも強かったが、その他の注文本(例えば『三位一体モデル』中沢新一や『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』金井美恵子)は一切ほっぽっといて、この本を真っ先に手にしたのは言うまでもない。

一字一句ねめるように味わいつつ、ページが進むのを惜しみつつ、でも止められない止まらない「かっぱえびせん」状態になってしまい、あっと言う間に読了してしまった。あぁ面白かった(^^)

■以下の文章は『考える人』に載ったエッセイからの引用で、本書『ねにもつタイプ』からのものではないのだが(同じネタの文章はある)こちらの方が「岸本佐知子らしさ」がよく出ていると思うので、以下引用。
 今日も幼稚園で泣いた。お弁当を食べるのがビリだったせいだ。きのうもおとといも泣いた。入園してから泣かなかった日が三個ぐらいしかない。幼稚園なんてなくなればいいのにと思う。
 家に帰ると、たいてい近所のSちゃんの家で遊ぶ。行くと必ずお人形遊びをさせられる。Sちゃんがバービーを手に持って、変な高い声で「お買い物に行きましょう」とか言う。そしたらこっちもタミーの声で「そうしましょう」とか言わないといけない。(中略)

 お人形遊びなんかやりたくない。でもそのことは、なぜだか絶対に言っちゃいけないような気がする。ばれちゃうから。ばれるって何が? わからない。地球人のふりをして生きてる宇宙人も、こんな気持ちかもしれない。
 Sちゃんちで出されるのはいつもカルピスで、飲むと喉の奥に変なモロモロが出る。そのモロモロを口の中で持て余しながら、あーあ、早く大人になりたいな、とか思っている私は、大人には大人の幼稚園やお人形遊びがあることも、「地球人のふりをしている宇宙人の気持ち」が、その後の人生でずっとついて回ることも、この時はまだ知らない。(『カルピスのモロモロ』より)

『考える人』季刊誌2004年秋号(57ページ「子どもをめぐる八つのおはなし」より)。
■ほとんど転載で著作権違反かもしれないがごめんなさい。凄い文章だな、と思う。彼女が味わっていた、こどもの頃の場違いな感じ、居心地の悪さは、ぼくもよく感じていたのでよーくわかる。基本的には『火星の人類学者』と同じ感覚だと思う。カルピスを飲む度に、ぼくも「カルピスのモロモロ」が喉の奥に引っかかって気になって仕方なかった。うちの2階にも「シンガーミシン」があって、「マシン」(p13)に書いてあることと、まったく同じ記憶がある。もちろん「ちゃっちゃらちゃ〜、ちゃらちゃ、ちゃっちゃらちゃっちゃっちゃー」というサンダーバードのテーマが、頭の中ですぐ鳴るし、「どろろ」も「オオカミ少年ケン」も、彼女より2年早く生まれたぼくは、同時代で経験してきたので共感率が高いのだな。

それにしても、よくもまぁ手を替え品を替え、決して読者をワンパターンで飽きさせないような文章を次から次へと紡ぎ出すものだ。全てのパートが甲乙付けがたい傑作だと思う。ぼくも「マイ富士山」が欲しいぞ。

■それから、ビックリしたのが「くだ」(p49)の冒頭部分だ。(以下引用)

 小学三年生の冬、鰻のあとにプリンを食べたらお腹が痛くなった。いつまでも治らないので、盲腸ではないかと大人たちが言いだした。盲腸なら手術だ。手術は嫌だ。だから「もう痛くない」と嘘をつき、そのまま年を越した。そのうちとうとう歩けなくなって嘘がばれ、病院に担ぎ込まれて即入院、手術の運びとなった。
いや、驚いた。ちょうど先週の火曜日の午後8時過ぎ、その日最後の患者さんが左下腹部痛を主訴とする「小学校3年生の女の子」Rちゃんだった。連れてきたおばあちゃんの話では、2〜3日前からお腹を痛がっているのだが、B型のインフルエンザがよくなったばかりだし、学校へ行きたくなくて「そう」言っているんだろうと思っていた、とのことだった。で、彼女に「お腹のどこが痛いの?」と訊くと、左下腹部を人差し指で示して「ここが痛い」と言う。「左には盲腸はないから、急性虫垂炎じゃぁないな」ぼくは自信を持って言った。

でも、触診でお腹を押すと、どうも痛がり方が尋常ではない。「本当にここが痛いの?」と左下腹部を押すと、彼女はちょっとだけ痛そうな顔をして「うん」とスマして答える。これはよく言われていることだが、急性虫垂炎の患者さんは診察室に入ってくるところを見れば判ると、よく言われる。いかにも痛そうに右下腹部を右手で押さえながら、前屈みになって足を引きずるようにして入って来るからだ。ところが、Rちゃんは背筋を伸ばして普通に歩いてきた。試しにその場でジャンプさせてみたが、平気で10回くらい「その場飛び」をして見せてくれた。

それでも、ぼくは気になったので血液検査をしてみたら、白血球増多とCRP↑の所見があったので、伊那中央病院救急センターに「急性腹症の疑い」で紹介することにしたのだ。

その次の日のお昼に、彼女のお母さんから電話が入った。ちょうど彼女のお兄さんが小学3年生だった時に急性虫垂炎になって緊急手術をしていて、その時の記憶が「ものすごい恐怖=手術は怖い!」となって彼女の心に刻まれたのだという。だから、お腹が痛い→急性虫垂炎→手術 という公式が彼女の中で出来上がっていて、怖ろしい手術だけは絶対にイヤだったから、本当は右下腹部が「ものすごく痛かった」のに左下腹部が痛いと嘘を言ったのだという。結局、彼女は本当に急性虫垂炎で、その日の深夜、緊急手術が実施され間一髪で破裂前(腹膜炎前)の虫垂は切除されたのだった。

虫垂は破裂していなかったけれども、腹水が大量に貯まっており、用心のためドレナージの「くだ」が彼女のお腹にも立ったという。幸い腹膜炎は起こしておらず、3月18日に無事退院できたそうだ。いやはや驚いた。ものすごく痛かったであろうに、ぼくの前で平気な顔をして10数回ジャンプして見せてくれたのだよ! 信じられないな、こどもって(^^;;

 今日は当番医                         2007/03/21 

■今日の春分の日は当番医だった。予想以上に忙しかった。朝8時45分から診療を始めて、午前の部が終了したのが午後2時5分。すでに午後の部の患者さんが待合室に待機している。あわてて自宅リビングに引っ込んで、8分で昼飯。もちろん、ちむら寿司の「ちらし」だ。これがあるから、忙しい当番医も頑張れるというものだ。ほんと旨いなぁ。もっとゆったりとちゃんと味わって食いたかったなぁ。

2時14分から午後の診療開始。午後の予約は30人だったので、これは楽勝かなと思ったら甘かった。午後4時半を過ぎてからじゃんじゃん電話が鳴り、次々と患者さんがやってくる。5時終了のはずが、いつも通り7時過ぎまでだらだらと終わらず、結局は50数人を診察。仕事を終えたスタッフが家路についた頃、また電話が鳴って、長谷から発熱の11カ月男児が7時半過ぎにやってきた。「おだいじに」と言って玄関の鍵をかけ、診察室の電気を消した時には午後8時をまわっていた。いやはや疲れたな。120人を診た。

しかも、10歳代へのタミフル投与原則禁止令が厚生労働省から急きょ出されて、患者さんへの説明に一日明け暮れた。3月23日の誕生日で10歳になる女の子がB型インフルエンザで、もちろんタミフルは処方しなかった。10歳はダメで、じゃぁ、8歳9歳ならよいのか? という問題もある。今日は原則として、小学生のB型インフルエンザの場合は、春休みだし、しっかり5〜7日間寝て休めば治るからと、タミフルは処方しなかった。

ただ6歳の弟が明後日の金曜日に保育園の卒園式という子もいたり、週末に富山へ引っ越しするという子もいたりで、一律「ダメ!」ではいけなかったのかな、と反省しているところ。いろいろと難しいね。

 『べけんや わが師、桂文楽』柳家小満ん(河出文庫)         2007/03/20 

■先だって上京した際、銀座「教文館」2Fで河出文庫から出ている「落語関連本」をまとめて買って帰った。

『あちゃらかぱいッ』色川武大
『寄席はるあき』安藤鶴夫
『完本・突飛な芸人伝』吉川潮
『寄席放浪記』色川武大
『べけんや わが師、桂文楽』柳家小満ん

最初に読了したのが、『べけんや わが師、桂文楽』だ。
これは面白かったな。謎であった桂文楽の人となりが、よーく分かったような気がした。
特に面白かったのは、以下の部分(引用)
 さて、師匠がいよいよ本格的な『寝床』になるのはこれからで、ある時、神田明神下の鰻料亭「神田川」へ一門の芸人を招待し、お膳をつけて義太夫を聞かせたのである。
 当日は小勝、小さん、円蔵、三平、円鏡の各師をはじめ、アダチ龍光(奇術)、英之助・染太郎(太神楽)……等々が全員出席のうえ、神妙に師匠の義太夫を聞き、昼間からのご馳走に恐縮の体であったが、第二回目の時には、いかなる訳か欠席者が相次ぎ、師匠の顔色が変わった。

「小さんはどうしたい」
「剣道の試合があるそうで……」
「撃剣かい。……円蔵は」
「風月堂のゴーフルを持ってまいりまして、”ゴーフル、ゴーフル”(どうする、どうする!)と洒落を云って帰りました」(事実)
「小勝は」
「病気です」(半身不随)
「三木助は」
「死にました」(昭和36年没)
「三平は」
「すいません……」(『べけんや わが師、桂文楽』 頁147〜148)
いやはや、「ゴーフル、ゴーフル」には笑っちゃったね。この橘家円蔵さんは、今の円蔵さん(元の月の家円鏡)の師匠の先代のことです。

  ウン・ポコ・ロコ                     2007/03/18 

■ここ3週間というもの、休日の日曜日も予定が入って、三重県まで行ったりと平日も週末も忙しい日々が続いていたので、妻はずいぶんと心配していたようだ。そこで、久々に予定がなかった今日の日曜日(来週の日曜は名古屋で会議が入っている)、妻は八ヶ岳でのわが家の定宿「ん路湖」を予約しておいてくれたのだった。

昨日の土曜日、外来が終わったのは午後4時だった。この日終日、医院の薬局に立って調剤をしていた妻は、それから宿泊の準備をしてMPVに荷物を積み込み、5時15分過ぎに北原家一同はようやく出発と相成った次第。で、それから大泉の「ん路湖」に到着したのは午後6時半過ぎ。温泉(大泉パノラマの湯)へは行かずに、そのまま夕食とあいなった。今までの経験から、腹を空かせていた方が「ん路湖」の夕飯は美味しいことが分かっていたので、この日は(忙しくて昼飯を食う時間がなかったこともあるが)昼飯抜きでガマンしていたのだ。これはやはり、正解だったな。

前回も、前々回も、食べきれずに「おかず」を残してしまう失礼をしでかしたのだが、今回はほぼ完食だった。もちろん、いつものことではあるが、ここの女将とご主人が丹精込めて作る夕食に、満足しきってのことなのだが。

翌朝の朝食は洋食だった。食パンを半斤そのままトーストした迫力の一皿にビックリするのだが、テーブルの向かいに坐る妻を見やると、何故か昨日の大食漢の迫力がまるでない。昨夜の彼女は、最後までテーブルに居座り、ごはんも3度おかわりして、残ったお皿の品々を全て平らげたのだから不思議だった。後で訊いたら、木金土と医院受付と薬局に立った彼女は、その時ロタ・ウイルスに感染してしまったようなのだ。ロタ・ウイルスの潜伏期間は、36〜48時間。こうして日曜日の朝になって、ウイルス性胃腸炎を発症してしまったのだな。苦労をかけるね。ごめんな。

ところで、「ウン・ポコ・ロコ Un Poco Loco」というのは、"THE AMAZING BUD POWELL Vol.1" A面1曲目に収録されている有名曲。若き天才ピアニスト、バド・パウエルが満を持してブルーノート・レーベルに吹き込んだ初リーダー・アルバムだった。トリオのベースは、カーリー・ラッセル。ドラムスは、マックス・ローチ。1951年5月1日録音とジャケットにはある。関係なかったかな。単なる「ん路湖」に引っかけたダジャレです(^^;;

甲斐小泉の「平山郁夫シルクロード美術館」と、小淵沢で「イカロス」に寄っただけで昼飯も食べず早々に帰宅。この日伊那で開催された「春の高校駅伝」が今年からコースが変わって、男子はナイスロードを高遠まで行って帰ってくるコース。せっかくなので、ヤマダ電機の前まで出てみんなで復路の高校生選手を応援した。トップの佐久長聖が通過した後、続々と有力校が続く。颯爽とフォームも軽やかに速い速い。中には苦しそうに顔をゆがめ、歯をくいしばりながら走る選手も。ずいぶん時間が経ってから、地元校の選手たちが続く。最後尾のランナーが通過するまで、声援を送った。

  忙しい日々は続く               2007/03/15 

■小学校、中学校の終業式、卒業式を間近にして、インフルエンザB型の流行が伊那市内で蔓延している。困ったものだ。今日も美篶小6年生の女の子がB型(+)だった。卒業式は20日。東部中の卒業式は明日、伊那東小は明後日だ。先週から午後の診療は夜8時近くまで終わらない日々が続いている。月曜日は午前の診療が午後3時に終わって、そのまま休みなく午後の診療に突入した。ほぼ12時間連続で働いたことになる(それは当院スタッフ全員同様)。伊那市の3歳児健診や、南箕輪村の4カ月健診が入る日もお昼休みの時間は取れない。健診会場への移動の車の中でホッと一息つきながら、昼飯の肉まんをそそくさとほおばることになる。

今日は最後の患者さんを見終わったのが7時過ぎ。でも、上伊那医師会理事会が7時から始まっていて、ぼくは15分遅刻で医師会館講堂に到着した。他の理事の先生方は全員すでにテーブルについていた。冷ややかな視線が一斉にぼくに集中する。いやはや辛いなぁ。

■3月7日(水)夜が上伊那医師会医療情報伝達委員会、3月9日(金)昼は、「いなっせ」7Fちびっこ広場で「おはなし会」。テーマは「タバコが子供に及ぼす害について」。同日の夜は「しみずや」で伊那北高校29回生卒業30周年記念同窓会の準備委員会。11日(日)は、駒ヶ根市立図書館で「伊那のパパズ絵本ライヴ」。14日(水)の午後2時からは、箕輪南小学校の6年生に「薬物乱用防止」のための授業を90分。昨年度まで伊那東小の養護教諭だった塩澤先生が箕輪南小に転勤したので、ぼくをわざわざ呼んでくれたのだ。うれしかったな(^^) そして、今日木曜日の夜が医師会理事会だ。なんだか慌ただしくて、よく分からなくなってしまったぞ。

■「いなっせ」でも「箕輪南小学校」でも、『子供たちにタバコの真実を』平間敬文(かもがわ出版)付属の CD-ROM をパソコンからプロジェクターに映して話をしたのだが、どうも Windows XP とは相性が悪いみたいで、設定がうまく行かず手間取ってしまい苦渋した。最終的には、PDFファイルを Acrobat Reader で開いて何とかスライドを見せることができた。これなら、ぼくの PowerBook G4 をプロジェクターにつないで見せたほうが早かったかな。いろいろと、なかなかうまく行かないものだなあ。

  パパズ伊那「絵本ライヴ(その26)」 駒ヶ根市立図書館の巻      2007/03/11 

■深夜から降り続いた雪はそこそこ積もったが、朝には雨に変わった。今日は伊那市内一斉河川清掃の日で、雨の中午前8時に出かけていったが、べちょべちょのみぞれ雪でなんだか分からないうちに終了してしまった。帰宅後、こどもといっしょにテレビを見ていたら、ふと気が付くともう9時半過ぎ。いけないいけない、今日はこれから駒ヶ根市立図書館でわれわれパパズの絵本ライヴがあるのだ。開演は10時半。

10時15分にようやく会場へ到着。坂本さん、宮脇さん、伊東さんはすでに控室で待っていた。先週の鈴鹿は3人だったが、今日は久々にフルメンバーの5人が集合するのだ。と言っても、倉科さんはまだ来ていない。倉科さんは今日、地区の小学生の「6年生を送る会」も担当していて、その段取りを済ませてから駒ヶ根に向かう手はずなのだ。とにかくめちゃくちゃ忙しいらしい。というワケで、今日は打ち合わせなしのまま(ギターのチューニングもなしのまま)本番に突入した。

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駒ヶ根市立図書館の司書さんの話によると、今日は130人近くの申し込みがあったのだそうで、会場に入りきれないので、ずいぶんことわったのだという。申し訳なかったですねぇ、ごめんなさいね。この雪とインフルエンザ流行の影響で、キャンセルがだいぶ出たみたいだったが、それでも親子合わせて100人近く集まってくれたのではないか。お父さんの姿もずいぶん目についたよ。うれしかったな(^^)

(1)『はじめまして』新沢としひこ・作、大和田美鈴・絵(すずき出版)
(2)『コッケモーモー!』ジュリエット・ダラス=コンテ・作(徳間書店) → 伊東
(3)『かんかんかん』 のむらさやか・作、川本幸・製作(こどものとも 0.1.2. / 福音館) → 北原
   『ぽんぽんポコポコ』長谷川義史・作絵(金の星社) → 北原
(4)『もっとおおきなたいほうを』二見正直・作絵(こどものとも / 福音館) → 坂本

(5)『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成(世界文化社)
(6)『かごからとびだした』(アリス館)

(8)『イカタコつるつる』長新太・作(講談社) → 宮脇
(9)『くろずみ小太郎旅日記 その5 吸血たがめ婆の恐怖の巻』 → 倉科
(10)『ふうせん』湯浅とんぼ・作、森川百合香・絵(アリス館)
(11)『世界中のこどもたちが 103 』新沢としひこ・作詞、中川ひろたか・作曲(講談社)


■高校1年生の時に「C組」で同級生だった猿田くんが、こどもを連れて見に来てくれていた。「やぁ、北原ひさしぶり! へぇ〜、こんなことしてるんだ。ビックリしたよ。そう言えば、高校生の頃も三味線弾いてたよね」 そうそう、あの頃、おふくろさんの三味線を勝手に持ち出してきて、教室でバンジョーみたいに弾きながら、石沢や栗林とフォークを歌っていたっけ(^^;;

■■「駒ヶ根市立図書館」のHPに載った、ぼくらのライヴ写真です■■


           ■■「伊那のパパ's 絵本ライヴ」レポートへ行く ■■

 『死への祈り』ローレンス・ブロック著、田口俊樹・訳(二見書房)      2007/03/10 

■石井桃子さんで検索したら、あの有名な「松岡正剛の千夜千冊」に、『ドリトル先生アフリカゆき』があった。世間では、『ドリトル先生航海記』を最初に読む人が多いのかもしれないけど、ロフティングの処女作『ドリトル先生アフリカゆき』を読んでからでないと『航海記』は楽しめないんでないの? そう思うぞ。とは言いつつ、わが家では『郵便局』の途中で止まったまま、その後のドリトル先生はまだ読まれていないのであった(^^;; 月まで行くには、あとどれくらいかかるのだろう?

■4年前に購入してずっと「つん読」状態だった、『死への祈り』ローレンス・ブロック著、田口俊樹・訳(二見書房)を、先日ようやく読み終えた。昨年末に発売された『すべては死にゆく』ローレンス・ブロック著、田口俊樹・訳(二見書房)が「この本」の続編であると訊いて、これは読まないワケにはいかないなぁ、となったのだった。

それにしても、ローレンス・ブロックは上手いなぁ。ぐいぐい読ませる。すっかり安定してしまった生活を満喫する私立探偵マット・スカダーに、新たな試練を課すにはどうしたらよいか? たぶん、作者はそう考えたはずだ。そこで、不出来な自分の実の息子を登場させた。それから、得体の知れない冷血漢の「頭がいい」殺人鬼も。で、書いているうちに1冊では物語の収拾がつかないことに気づいたんだな。だからの「前編・後編」構成となったワケね。なるほどなぁ。

■ぼくが初めて読んだ私立探偵マット・スカダーのシリーズ『暗闇にひと突き』(ハヤカワ文庫)は、飯山の平安堂書店で買った。それまでは、ミステリーもハードボイルド小説も読んだことがなかった。アル中探偵のマット・スカダーが、ただただいろんな人を訪ねて歩く「ハードボイルド」を、雪がしんしんと降り積もる飯山日赤の官舎で読んだ「あの日」から、もう20年近くが経っていることになる。その後、『八百万の死にざま』も『聖なる酒場の挽歌』も『墓場への切符』も、ほぼリアル・タイムで読んできた。シリーズものは、リアル・タイムで追っかけないと面白くないのだ。やっぱり。

作中の主人公も、知らないうちに年を取った。読者である「ぼく」も、負けないほどに年を取った。自分の足で街を歩き回り、ドアからドアへ人と直接面会して情報を一つ一つ得ていたスカダーも、『死への祈り』では助手のTJがインターネットで検索して必要な情報を得ている。時代は変わったものだ。最新作『すべては死にゆく』で、このシリーズも終わりになるという噂もある。なんか淋しいなあ。

 石井桃子さんは、この3月10日で満100歳になる      2007/03/07 

■新潮社の新しい季刊誌『 yom yom』(第2号) は、何と! 石井桃子さんの特集号だ。先日、いなっせ西澤書店で見つけた時にはお金が足りなくて買えなかったので、じつはまだ中味を読んではいないのだが、これは「買い」でしょう。なにせ、最新の「石井桃子ロング・インタビュー」が掲載されているのだから。これは本当に貴重だ。

『考える人』(2004年秋号)「特集:子どもをめぐる耳よりな話」 p60〜69 に掲載されている「石井桃子の百年 子どもの幸福の翻訳者」尾崎真理子・著は、ぼくはてっきりインタビュー記事だと思って楽しみにして読み始めたのだが「総説」だったんで、すごくがっかりしたものだ。そうすると、石井桃子さんのインタビューが載るのは、『ユリイカ臨時増刊・総特集=絵本の世界/2002/2月』(青土社)以来なんじゃないだろうか?

『この本読んで』(2007年 春号)の特集も「石井桃子の100年」だ。これまた、たいへん読み応えがある。それに、岩波書店のサイトでも「石井桃子さん特集」をやっている。いや、ほんとうに、ぼくらは石井桃子さんにどんなに感謝しても感謝しきれないのではないか? そう思うぞ。

石井桃子さんがいなかったら、ぼくらはドリトル先生にも、ちいさいおうちにも、マイク・マリガンとスチーム・ショベルにも、くまのプーさんにも、海のおばけオーリーにも、ピーター・ラビットにも、「こすずめのぼうけん」にも、あくたれラルフにも、こけももを摘むサリーにも、「幼なものがたり」や他にも他にも、出会えなかったであろうから。この3月10日は、もっともっと、みんなで盛大にお祝いしてあげなきゃいけないんじゃないのかなぁ?

最近たまたま、伊那のブックオフで『子どもと文学』石井桃子ほか(福音館)と、『子どもの本の現在』清水真砂子(大和書房)を入手した。伊那市立図書館には、岩波書店の「石井桃子全集」が揃っている。『子どもと文学』や『子どもの図書館』に目を通しながら、清水真砂子さんの石井桃子論「使命感と自己解放のあいだで」を読むと、たいへん面白い。

ぼくはいま、清水真砂子さん以上の「石井桃子論」をぜひ読んでみたいのだが、いまの日本の児童文学評論の世界で、それをやってくれる人が、はたしているのであろうか?

 パパズ伊那「絵本ライヴ(その25)」三重県鈴鹿市子育て支援センター「りんりん」 2007/03/04 

■今朝は早起きして、午前8時20分にはMPVに一人乗り込みわが家を出発。坂下神社前で宮脇さんを拾い、川北町で倉科さんを乗せ、中央道伊那インターへ向かう。これからわれわれパパズ・メンバー3人で三重県鈴鹿市に行くのだ。鈴鹿市役所「子育て支援課」の河合さんが、地元のお父さんたちにハッパをかけるべく、ぼくらの「パパズ絵本ライヴ」を企画してくれたのだ。うれしいじゃないか。

そうは言っても、鈴鹿市へは行ったことがないので、伊那からいったいどれくらい時間がかかるのか分からない。幸い今日は、中央道も東名も名古屋高速も、東名阪自動車道も渋滞なくスムーズに進んで、午前11時半過ぎには現地に着いてしまった。ちょっと早すぎたか? 開演2時間も前だ。ここ鈴鹿市子育て支援センター「りんりん」は、市街地からずいぶん外れたところにある。ちょうど鈴鹿サーキットの南側に隣接する位置だ。車を降りると、サーキットの方からレーシングカーのエグゾーストノートが盛んに聞こえてくる。それにしても、冬の信州と違って、まるで春真っ盛りのような暖かさだ。

会場には約20組の親子が集まり、それぞれ父子、父母子たちの親子連れで、18人ものお父さんが見に来てくれた。こんなにたくさんの父親が見に来てくれたことは、かつてなかったことだ(辰野町新町保育園の父親参観以来か)。子育てに真剣に取り組もうとしている父親の息吹を感じたな。子供たちは、1〜2歳児が14人、3〜6歳児が13人と、小さい子が主体だ。はたして1時間もってくれるかどうか心配だ。

■例によって、開演直前の簡単な打ち合わせのみ。今日は3人だけなので、2冊づつ読むことにして間に歌を入れた。

(1)『はじめまして』新沢としひこ・作、大和田美鈴・絵(すずき出版)
(2)『バナナです』『いちごです』川端誠・作(文化出版局) → 北原
(3)『うんちっち』ステファニー・ブレイク作・絵(PHP) → 宮脇

(4)『いっぽんばし にほんばし』中川ひろたか・作、相野谷由起・絵(アリス館)
(5)『ぷるぷる たまちゃん』アランジ・アロンゾ(ベネッセ) → 倉科
(6)『おどります』高畠純(絵本館) → 北原
(7)『かごからとびだした』(アリス館)

(8)『いいから いいから』長谷川義史(絵本館) → 宮脇
(9)『まめうし あいうえお』あきやまただし(PHP) → 倉科
(10)『ふうせん』湯浅とんぼ・作、森川百合香・絵(アリス館)
(11)『世界中のこどもたちが 103 』新沢としひこ・作詞、中川ひろたか・作曲(講談社)

ちょうど1時間で終了した。楽しんでもらえたかな? そうだといいな(^^;;)
今回は、デジカメを車の中に置き忘れてきてしまったため、画像はなしです、スミマセン。

■帰りも順調で、午後6時半には伊那に帰り着いた。案外早く帰れてよかったな。
 鈴鹿市子育て支援課のみなさま、呼んでくださって本当にありがとうございました。


■■ぼくらのことが載った、鈴鹿市役所のホームページ■■


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 「自己肯定感」とは、いったい何なのか?             2007/03/02 

■子育てにおいては、子供の人格を(もしくは、その存在自体を)全否定するような叱り方は絶対にしてはいけないと言われる。例えば、「あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ!」という一言がそれだ。来る日も来る日も、自分の親から「そう」言われ続ければ、子供は「そうか、おれは生まれる価値もない人間なんだ。どうせダメな人間のクズのような奴なんだ!」という、自信の持てない自己肯定感が得られない子供になってしまうだろう。

しかし、いまの日本の子供たちが「自己肯定感」を持てないのは、親の育て方に全てが起因するのだろうか? 「ありのままの自分でいいんだよ」と、育ててもらえなかったせいなのだろうか? むしろ逆に、自信がないんじゃなくて「自分以外はみんなバカ」とか、幼児期の全能感をそのままに「オレ様化する子どもたち」とか、自己チュウで、先生や社会の先輩たちへのリスペクトや、畏怖敬虔といった気持を一切欠いた子供たちが増殖しているのではないか?    そのあたりのことが、何だかよくわからなくなっていた。


『自信力はどう育つか』河地和子(朝日選書)と同様の、日本の高校生と、アメリカ・中国・韓国・フランスなどの外国の高校生とアンケートで比較検討した、財団法人・日本青少年研究所の研究報告を、『なぜ勉強させるのか?』諏訪哲二(光文社新書)の著者は、こう分析している。
 ついで、高校生の一人ひとりの「満足度」に注目してみよう(表2)。読者のみなさんは、日本の高校生が「自分自身」に23%しか満足していないのに、アメリカの高校生は89%も満足していることを、どう受け取られるであろう。日本の高校生がクールで冷静なのに、アメリカの高校生は自己過信が強くのぼせているとも取れる。アメリカ人は人生に積極的であるのに、日本人は消極的とも読める。

 だが、もう少し深読みすると、こうも読める。すなわち、日本の高校生は「自分」を百パーセント「自分」の思いどおりにしたいと強く思っている。「自分」で「自分」の思うこと、やることをコントロールできると錯覚しているのではないか。その「自分」の高い要求から言えば、現実の「自分」はとうてい容認することができないレベルなのであろう。日本人は、キリスト教やイスラム教の「神」に象徴される「全体」とか「絶対」とか「完成」とかのイメージがないから、「自分」で「自分」を判断できると思いがちである。「神」(全体や完成の象徴)に畏れを抱いていれば「自分」の判断はあくまでも部分的なものにすぎず、別のところに全体的な判断があるに違いないと思うはずである。アメリカの高校生たちは「自分」で「自分」を判断したり、「自分」で「自分」をコントロールすることはできないと見切っているとすれば、逆に、「自分」に対する評価は楽観的に高くなると考えることもできる。(『なぜ勉強させるのか?』 p207〜208)
なるほどなぁ、と思う。日本の子供たちは、理想が高すぎるのだ。だから、現状の自分自身に満足できず、「仮想的有能感」の幻想にすがって「自分以外はみんなバカ」と思いこむことで、折り合いをつけて何とか生きていけるのだろうな。これこそ、「オレ様化する子どもたち」なワケだ。こんなニセモノの「自己肯定感」を、子供たちに植え付けるような社会を、われわれ親たちの世代が作ってしまったのかもしれない。怖ろしいことだ。

 インフルエンザの流行が拡大している               2007/02/28 

■今まで各地区中学校を中心に流行していたインフルエンザが、先週から小学校や保育園の低年齢層に流行が拡大してきた。B型が主に流行ってはいるが、保育園によってはA型が流行っている所もある。

ぼくは、基本的にはインフルエンザの診断がついた子供には抗インフルエンザ薬を投与してきた。自分の子供たちにも、自分自身にもだ。タミフルを一回内服しただけで、すっと体が楽になった経験を自分で何度もしているし、劇的に解熱した子供たちを診てきた。発熱でふうふう苦しんでいる我が子を前にすれば、親としては何とかしてあげたいと思うのが当然だし、一日でも早く熱を下げる治療薬があるのなら使いたい。しかも、抗インフルエンザ薬を使えば患児からウイルスが排出される期間も短くなり、家庭内や学校、保育園での感染拡大を防ぐ効果も期待できるのではないか? そうも思ってきた。

ただ、ここ2年ほど「はたして、これでいいのかな?」と、ふと疑問に思うことがたびたびあった。人間は、有史以前からインフルエンザ・ウイルスとこの地球上で共存してきた。何千年も、いや何万年も。でも人類は生き延びてきたのだ。今までのインフルエンザであれば、抗インフルエンザ薬を飲まなくても、1週間ガマンしていれば自然と治癒する病気なのだ。つい数年前まで、みんなそうやってきた。そのことを、ぼく自身も親御さんたちも、すっかり忘れてしまったのではないか? インフルエンザに罹患したら、抗インフルエンザ薬を一刻も早く内服しないと治らないと、医者も患者も思い込んでしまっていたのではないか?

タミフルは日本中で明らかに使われ過ぎている。ごく私的感触だが、発売当初に比べて、ここ1〜2年は「切れ味」が落ちている印象がある。耐性ウイルスが少しずつ増えてきているのではないか?

高病原性鳥インフルエンザウイルスが、豚の体内でヒトのインフルエンザウイルスと遺伝子融合を起こし、ヒトからヒトへ感染する能力を獲得して「新型インフルエンザ」が世界中に蔓延し始めた時には、1週間がまんして寝ていれば自然治癒するとは限らない。命を落とす例も続発するだろう。その場合、新型ウイルスに対するワクチンと、タミフルが命綱となる。でも、この時「新型インフルエンザウイルス」がすでに「タミフルに対する耐性遺伝子」獲得していたとしたら、これは怖ろしい事態に陥るだろう。

今回の、タミフル服用による異常行動の報道をきっかけに、もう一度よく考え直す時がきたようだ。



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