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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 今日の八ヶ岳山麓・原村は暑かったね          2007/04/30 

■土曜日はじつに変な天気だったな。お昼前だったか、俄に空が真っ暗くなり、雷が鳴って大雨となった。診療は午後2時半には終わっていたが、その時にはもう青空がのぞいてお日さまが照っていた。そして、日曜日は朝からピーカンだ。でも、5年生になった長男が友だちと午後1時に校庭で待ち合わせしていっしょに遊ぶ約束をしてあったので、どこにも出かけられない。仕方なく、午前中は自転車に乗って三峰川河川敷公園へ行って、息子たちと野球をする。久しぶりで走ったので、帰って疲れて昼寝。ちょいと寝過ぎたが、午後3時過ぎに起き出してカインズホームへ庭の芝生に蒔く肥料と目土を買いに行き、暗くなるまでめったにしない庭仕事。

■4月27日に書いた、「TEAM NACS」が登場した「トップランナー」だが、5月5日(土)16:00〜17:00に、NHK教育で未公開トークを含めたスペシャル版で再放送されるらしい。これは必見ですぜ! 同日、10:00〜11:10 で放送される「コブクロ・スペシャル」も、本篇を見たがこちらも面白かった。あの、向かって左側のヴォーカルの人は、じつはギターがぜんぜん弾けないんだってね(^^;;

■今日も朝からいい天気だった。10時半過ぎに車で家を出る。こういう時はとにかく、八ヶ岳に向かえばいいことになっている。諏訪南インターで下りて、最近ネットで見つけた「飯屋(mamaya)」へ。10年前、ここのすぐ近くの二ノ沢団地に住んでいて、富士見高校を越えてこのあたりの牧場までよく散歩に出かけたものだ。懐かしかったなあ。妻と長男は定食を、次男はカルボナーラ、ぼくはオムライスを注文した。ちょいと味が濃いめ&辛めだが、リーズナブルでなかなか美味しかった。オムライスはふわふわ玉子、しかもケチャップごはんが甘くない「大人の味」で、これは意外だったぞ。また来よう。

その後、八ヶ岳自然文化園へ行って再びキャッチボールとバトミントン。それにしても日差しが強い。もう夏になったみたいな暑い一日だった。ひとしきり汗をかいた後、すぐ近くの「岩田ペンション」でお茶する。息子たちは大好物の「野菜スティック」と「ボボリプレート」を注文。入り口の梅は満開だったが、桜はまだこれからだという。標高1350mだからね、ほとんど北海道の気候といっしょなんだって(^^;; 

 『僕の音盤青春記 1971〜1976』絵と文:牧野良幸(音楽出版社) 2007/04/29 

「この本」、まんま「ツボ」にハマったなあ(^^;) 傑作です! 著者の牧野良幸さんは「1958年生まれ」なのでぼくと同い年なのだが、どうも早生まれみたいで、学年は「1つ上」だね。著者の音楽的嗜好性の変遷は、ぼくとはちょっとズレているんだけれども、彼の青春時代とまったく同じ時代を「同世代」として生きてきた僕は、彼とほとんど同じ音楽的体験をしていてビックリしてしまう。お互い、地方出身の田舎者だからねえ、そういうシンパシイもあるのかもしれない。音楽には不思議な記憶覚醒効果があるみたいで、「そうそう! そうだったんだよねぇ」と、ページをめくるたびに「懐かしきあの頃」がありありと思い出されて、ちっとも読み進まないのだ(^^;; 月刊誌『CDジャーナル』連載中はモノクロのイラストだったが、単行本化するにあたってオールカラーとなり、見応えも読み応えもある1冊となった。

■例えば、初めて自分のお金で買ったレコード。(その1:シングル盤編)

この本の著者の場合は、『ある愛の詩』アンディ・ウィリアムス。あはは!アンディ・ウィリアムスだって。でもあの頃、NHKで「アンディ・ウィリアムス・ショー」やってたからねぇ。ちなみに僕の場合はと言いますと、今でもしっかり憶えていますよ、西澤デパートのレコード売場で買った『ポーリュシカポーレ』仲雅美と、『コンドルは飛んで行く』サイモンとガーファンクルの2枚でした(^^;; あの頃、TBSは「木下恵介劇場」というドラマをやっていて、その出演者であった仲雅美が挿入歌として歌っていたように思う。そして、当時の中坊はラジオで洋楽を聴いていたんだね。あの頃、一番人気だったのが「S&G」だったのさ。

■初めて自分のお金で買ったLPレコード。(その2:クラシック編)

1970年代初頭のあの頃、中学生はなかなかLPレコードなんて勝手には買えなかった。買うなら親の手前「クラシック」にするしかなかったな。著者の場合は『ベートーヴェン:交響曲第5番ハ長調「運命」作品67』(ワルター指揮、ハンブルグ放送交響楽団)だし、ぼくが前述のシングル盤を購入した後に、初めて買ったLPレコードが、『ドヴォルザーク:交響曲第4番「新世界より」』(カラヤン指揮、ベルリン・フィル)だった。なんだか似てるよねえ(^^;;  「名前にフィルがつくオーケストラが一流なんだぜ!」

■初めて自分のお金で買ったLPレコード。(その3:ポピュラー編)

この本の著者が買ったのは、サイモンとガーファンクル『ギフト・パック・シリーズ』(CBS/SONY)。ぼくはこのページを読みながら「あっ!」と声を出してしまった。ぼくが生まれて初めて買ったポピュラー音楽のLPも、この『ギフト・パック・シリーズ』の「映画音楽集」LP2枚組だったからだ。このLPは今でも持っているよ。その次に買ったのが『春夏秋冬』泉谷しげる(エレック・レコード)で、その後『親愛なるQに捧ぐ』加川良(URCレコード)、その次が吉田拓郎の『元気です』を買って、次第にフォークの世界へどっぷりと浸かることになるのだった。この本にも書いてあるけど、あの頃は買ったレコードを毎日毎日それこそ文字通り盤が擦り切れるほど繰り返し聴いていたよなあ。

■大学入学後に出会った、名簿順で一人前の仙台二高出身の菊池君は、プログレ・ファンだった。彼にはノートを貸してもらったり、代返してもらったり、ノートをコピーさせてもらったりと、ほんと大学時代は世話になりっぱなしだったなぁ。そんな彼から、ぼくはクリムゾンイエスEL&P、ピンク・フロイドのLPを、彼の6畳のアパートで昼下がりによく聴かせてもらった。でも、難しくてちっともわからなかったな(^^;; そんな菊池くんも、最初はサイモンとガーファンクルから洋楽の道に入っていったという。そういう時代だったのだ。

なんだか、すっごく懐かしいなぁ(^^;; 菊池くんも買いなよ!この本(^^)

 『失われゆく鮨をもとめて』一志治夫(その2)      2007/04/27 

■つい先ほど読了した。面白かった。でも、読みながらすごく不安になった。マグロも赤貝も蛤も、ウニも鮑も青柳も穴子も、年々漁獲量は減り、貝なんかは型がどんどん小さくなって きているという。昔は干潟がいっぱいあって豊かな漁場であった江戸前(東京湾)から、魚も貝も姿を消しつつあるというのだ。干潟を埋め立て、湾岸工事で堤防を作り、下水処理場から大雨の日には大量の処理しきれない下水が流れ込む東京湾。本来は「江戸前」だけで商売がしたかったであろう、ここ目黒の鮨店○○○の親方は、それがかなわないので仕方なく、日本全国を行脚して納得のいく食材を求めて歩かざろうえないという訳だ。「鮨」という日本が誇る食文化は、やはり滅びゆく運命にあるのだろうか? そのうち、食べたくてもめったに食べられない超高級料理になってしまうのではないか? しかも、ここ数年のうちにそういう時代が確実にやって来る。そういう不安だ。

ことに「マグロ」は、いま現在でもお客から注文されればされるほど、お鮨屋さんは赤字になるのだという。鮨の王道は「マグロ」にありと、ぼくは思うのだが、この本の中で「親方」はこう言っている。
(親方)「この鰺、鮮度いいね。これは稚鰤だろ。やっぱり、漁場は魚が安いから。この仕入れ値でやれれば鮨ももっとやすくなるのにね。あるいは、うちは鮪ありませんってやればもっと単価下がるんだけれどね。赤身何がありますって訊かれて、うちは鰹だけ、とかね。冬はメジで。あんな高い本鮪を使うなんてね」

(一志)「でも、どうしてもお客さんは鮪を食べたいんじゃないですか」
(親方)「そこがねえ、半分疑問ですよ。そんなにまでして鮪を食わないといけないのかって思いますよ。結構うちって、鮪なしでもオッケーっていうお客さん多いんですよ。」(p184〜185)

■第九章「旨い鮨を食べるための旨い日本酒はどこにある」の 203頁で、親方の店に日本酒を卸している埼玉県蕨市の酒屋店主が苦言を呈している鮨屋は、世田谷区中町上野毛の超人気店「○○輝」のことに違いない。先だってTBSで放映された『情熱大陸』で、その若き店主の店に、彼が崇拝する師匠、いまはなき銀座の名店「きよ田」の新津武昭氏が「卒業試験」といった状況設定で登場してきたのを見た。弟子が握った渾身のマグロを、師匠はとうとう最後まで決して手を付けようとはしなかった。弟子は男泣きした。凄い映像だったな。

○○輝の店主の「本来の師匠」は、8年間修行させてもらった目黒の親方であるはずなのだが、そのあたりはどうなっているのだろうか?

 『失われゆく鮨をもとめて』一志治夫(新潮社)      2007/04/26 

『みずうみ』いしいしんじ(中央公論新社)を読み終わり(感想はまた後日)、昨日から『失われゆく鮨をもとめて』を読み始めたところ。まだ半分くらいだが、この本はぐいぐいくるね。著者が惚れ込んだ目黒の鮨屋の親方のキャラがめちゃくちゃ濃いんだ(ファッションもめちゃくちゃ奇抜)。その尋常でない素材へのこだわりと、昔ながらの伝統的な仕事をきちんとこなしつつも、鮨だけにとらわれず常に新たな創作料理を作ろうとするチャレンジ精神が凄い。とにかく一気に読ませる。先代の頃から、この店の常連であった尾崎亜美さんは『波 2006/12月号』に、この本に関する文章を寄せているが、こんなん読むと、よけいに行って食べてみたくなるよね。

しかし、この本には店の名前は出ていない。秘密にされているのだ。一志治夫さんのインタビューを読むと、マスコミ・取材嫌いで有名な親方に、さんざん頼み込んでようやく書くことを許してもらったみたいだ。さとなおさんの<鮨リスト>にも「この店」は載っていないので、ぼくはてっきり本を読んだ読者が店に殺到することを恐れた著者が、店の場所と親方の名前を「仮名」にしたのだなと理解したのだが、本に出てくる親方の名前は間違いなく本名だし、店も確かに目黒にあった。今どきググればすぐ判ってしまうのね(^^;; 要予約だが、お酒をあまり飲まなければ、一人1万5千円以内で満腹になれるみたいだぞ。さとなおさんは無視している店なんだろうか? 癖が強いんだろうな、きっと。親方は、最近体調を崩して入院されていたみたいだが、無事復帰された模様。でもな、わが家では家族4人で腹一杯食べさせてもらっても1万円でおつりがくるお店しか行ったことないからなあ(^^;;

■さとなおさんと言えば、最近読んだ<ここの記述>が興味深かった。ふぅん、『水曜どうでしょう』の大泉洋が所属する北海道の劇団って、いまや全国展開してるんだ。さとなおさんの観劇感想を読むと、結構よさそうじゃん。と思っていたら、NHK総合で再放送があった「トップランナー」に「TEAM NACS」の5人が登場した。これがめちゃくちゃ面白かったのだ。大泉洋恐るべし! さすが、ネズミ男!!

「TEAM NACS」は個性的な男の俳優5人から成る劇団だが、そう言えば、われわれ「伊那のパパズ」も5人編成だぞ! 5人がいいんだね、きっと(^^)

 パパズ、第5回こども読書推進賞「奨励賞」を受賞!    2007/04/25 

■水曜よる10時、日テレ『バンビ〜ノ』が面白い。これは期待できるかも。


■4月23日は、北原こどもクリニックの開院記念日だった。開院してまる9年、10年目に入ったことになる。早いものだ。と言っても、特別ふだんと何も変わりのない一日。夕方の6時前だったか、信濃毎日新聞東京支社の記者さんから電話が入った。「社会貢献支援財団主催の、第5回こども読書推進賞『奨励賞』受賞おめでとうございます。北原さんが、パパ's 絵本プロジェクト伊那の代表ということでよろしいのでしょうか? 受賞のコメントをお願いします」 じつは事前に、財団の方から受賞の連絡は受けていたのだが、新聞社からコメントを求められるとは思ってもいなかったので、ぼくはしどろもどろの対応しかできなかった。

「いや、あのぉ、ぼくが代表という訳ではなくて、5人のうち誰がリーダーというのはないんです。みな対等の立場で参加しているんで。ぼくは事務対応の窓口にすぎません。受賞に対するコメントですか? はい、えっと、う〜んと、うん、とにかくたいへん光栄です。なんか、申し訳ないような気がします。日本全国各地には、地道な文庫活動や読み聞かせ運動を20年、30年続けている人たちがいっぱいいるはずなのに、そういった方々を差し置いて、ぼくらみたいなぽっと出の連中が、ちょっと目立つ活動をたった3年間してきただけで、このような立派な賞をいただけるなんて何だかとっても申し訳ないです」

ほんとうにそれがぼくの正直な気持だ。でも、われわれの活動がこうして社会で認められたという事実は、素直に本当にうれしい。どうもありがとうございました。ただ、今回の受賞は「奨励賞」であって、残念ながら「大賞」ではなかった。大賞の賞金は、50万円分の図書券だ。全国から、自薦他薦181件の応募があり、第5回こども読書推進賞1件と、奨励賞4件の受賞が決まったのだ。

■以下が、毎日新聞に載った新聞記事。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20070424k0000m040031000c.html

■われわれの活動は、地元の伊那谷以外ではまだまだほとんど無名なのが実状だ。今回こうして受賞できたのは、メンバーの一人である伊東パパが、自薦のレポートをまとめて応募してくれたからなのだった。このレポートが審査員の目に留まって評価していただけたのだ。200件近い応募からね。これは凄いことじゃないか! 伊東パパ、ほんとにどうもありがとう(^^)

財団担当者がわざわざ伊那まで出向いて、5月の連休明けに授賞式をして下さるらしい。なんとも光栄なことだ。ありがとうございます。ほんと、うれしいです(^^)

 パパズ伊那・絵本ライヴ(その28)「伊南子ども劇場」  2007/04/23 

■4月21日(土)午後5時〜6時「低学年向けライブ」プログラム■

1)『はじめまして』新沢としひこ・作、大和田美鈴・絵(すずき出版)
2)『ちゃんとたべなさい』ケス・グレイ文、ニック・シャレット絵(小峰書店)→ 伊東
3)『カニ ツンツン』金関寿夫ぶん、元永定正え(福音館書店)→ 北原
4)『ねんどぼうや』ミラ・ギンズバーグ文、ジョス・A・スミス絵(徳間書店)→ 坂本
5)『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成(世界文化社)→ 全員
6)『かごからとびだした』(アリス館)→ 全員

7)『ぞうの金メダル』斉藤洋・文、高畠那生・絵(偕成社)→ 宮脇
8)『じごくのそうべえ』田島征彦(童心社)→ 倉科
9)『ふうせん』湯浅とんぼ・作、森川百合香・絵(アリス館)→ 全員
10) 『世界中のこどもたちが 103 』新沢としひこ・作詞、中川ひろたか・作曲(講談社)


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■伊東パパが読み進むうちに、子供たちは知らずと身を乗り出して絵本に集中してゆく。「え〜、しんじられなぁい!」子供たちから大きな声が飛ぶ。その場の空気が、リラックスしながらも濃密に充実してくる。みな実にいい顔をしている。いい雰囲気だなあ。ぼくは横から眺めながら、この場面に立ち会える幸せを噛みしめる(ちょっと大げさか(^^;;)これがあるから、子供たちに絵本を読むのをやめられないんだね。

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■同日 午後7時〜8時「高学年向けライブ」プログラム■

1)『はじめまして』新沢としひこ・作、大和田美鈴・絵(すずき出版)
2)『やさいのせなか』→『アボガドベイビー』ジョン・バーニンガム作、青山南・訳(ほるぷ出版)→ 伊東
3)『おどります』高畠純(絵本館)→ 北原
4)『ぜつぼうの濁点』原田宗典・作、柚木沙弥郎・絵(教育画劇)→ 坂本
5)『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成(世界文化社)→ 全員
6)『かごからとびだした』(アリス館)→ 全員

7)『いいからいいから』長谷川義史(絵本館)→ 宮脇
8)『3びきのかわいいオオカミ』ユージーン・トリビザス/文、ヘレン・オクセンバリー/絵(冨山房)→ 倉科
9)『世界中のこどもたちが 103 』新沢としひこ・作詞、中川ひろたか・作曲(講談社)

■坂本さんの『ぜつぼうの濁点』は、こういう機会でもないとなかなか読めないねえ。ぼくも好きな話で、鬱病に苦しんでいた原田宗典さんのオリジナルが載っている幻冬舎文庫版『ゆめうつつ草紙』も持っている。 宮脇さんの『いいからいいから』は、聴くたびに「おじいちゃん」のすっとぼけた味わいに磨きがかかって、じつにいいなあ(^^)

この日、寄席で言えば「昼の部」「夜の部」の両方で主任(トリ)の重責を担った倉科さんは、『じごくのそうべえ』も『3びきのかわいいオオカミ』も本当に熱演だった。けっこう長いはなしなのに、子供たちを引きつけて決して離さない。すごいな。ぼくは子供たちといっしょになって大笑いしたよ(^^)

■ほんと、疲れたけれども、終わってみれば我々が味わっていたのは「心地よい充実した疲労感」だったのかもしれないな。昨日はずいぶんと愚痴ってしまってごめんなさい。じつに貴重な体験でした。「伊南子ども劇場」のみなさま、ほんとうにどうもありがとうございました。

 パパズ伊那・絵本ライヴ(その27)「伊南子ども劇場」  2007/04/22 

■4月20、21、22は、京都で日本小児科学会が開かれていた。小児科専門医の研修履歴として10点をくれる年に一度の唯一の学会なので、土曜日を休診にして毎年出席してきた。ところが今年は京都へは行けなかったのだ。「伊南子ども劇場」からぼくのところに「パパズ」出演オファーがあって、ぼくはすっかり小児科学会のことを忘れて、4月21日(土)午後、駒ヶ根文化会館小ホールでの「パパズ絵本ライヴ」を引き受けてしまったのだ。他のパパが請けた依頼ならぼくだけ欠席も許されたかもしれないが、ぼくが請けたオファーだからね、そういうワケにはいかない。

今回の依頼には、もうひとつ大きな問題があった。全国的な活動である「おやこ劇場(子ども劇場)」は、「市民劇場」のジュニア版とでもいうか、地方在住でも東京や名古屋、大阪に住む人たちに負けないくらい「ホンモノ」の演劇やミュージカル、人形劇にマジック、曲芸団サーカスや落語まで、親子で楽しんで観ることができるよう企画された団体だ。入会金を払って、月々人数分の会費を納め、だいたい3カ月に1度くらいの割合で観劇をする。保育園児から小学1〜2年生くらいまでが対象の「低学年例会」と、小学3年生〜中学生が対象の「高学年例会」が別々に、それぞれ年4回企画されている。

今回、「伊南子ども劇場」からの当初の依頼は、3月の例会から次の例会まで3カ月も間があいてしまうので、その「つなぎ」の例会として企画されたようだった。そういう意図を、ぼくはまったく理解せずにいて、でも、少しは感じたのかなぁ、最初の電話依頼の際に確かこう言った。「おやこ劇場は、いつもプロの劇団を呼んで例会を開いているワケでしょう。会費を取って。もし、われわれパパズが出れば当然、会員のみなさんはいつもの演者と同じく、それ相応のギャランティーをもらって出演したと思うでしょう。でも、それは困る。われわれはプロではありません。ひとさまからお金を取って見せるような芸ではないのです。ぼくらは単に絵本を子供たにち読んであげることが好きな、普通のおとうさんにすぎない。だから、ぼくらの活動はあくまでもボランティアなので、ギャランティを頂くことはできません。そこんところを、子ども劇場の会員のみなさんに周知させていただけないことには、今回の依頼をお請けすることはできません。ましてや、例会扱いとなれば、当然会員のみなさんはプロが出演するいつもの例会と同等に評価するでしょう。それでは困る」と。

結局、参加者は「伊南子ども劇場」の会員に限るが、例会とは別枠の扱いで、会場費のみ一人200円徴収するということで折り合いが付いた。

■行きがかり上そういう訳で、交通費も謝礼も一切「なし」で、ぼくは今回のオファーを請けた。でも、今回はえらく疲れた。ほんとに疲れた。4月21日(土)午後5時〜6時「低学年向け絵本ライブ」、午後7時〜8時「高学年向け絵本ライブ」と、なんと!同日2回公演のダブルヘッダーだったのだ。今どきプロ野球でもダブルヘッダーはあまりやらない。それを承知で請け負ったワケだから、文句は言えないが、テンションを3時間も維持し続けることは、かなりしんどいことだ。こんなに疲れるなら、お弁当と交通費くらい請求してもよかったか(^^;; この次からはよくよく注意してオファーは請けないといけないね。

■そんなかんな裏ではいろいろあったのだが、わざわざ「ぼくらの絵本ライヴ」を見に来てくれた子供たちとお父さんお母さんがたには、全く罪はない。だからぼくらは、いつも以上にパワーアップして、お客さまに喜んでいただけるよう一生懸命パフォーマンスを繰り広げたのだ。そこんところの苦労を、「伊南子ども劇場」のスタッフの皆さんはどの程度ご理解いただけたのだろうか? 少なくとも、会員のみなさんには満足していただけるような「絵本ライヴ」を2回も!成し遂げた自信はある。5人そろった「伊那のパパたち」は、みなそれぞれにほんと熱演だったからなあ。

なにせ、ぼくら「パパズ伊那」は結成3周年を迎えるのだからね(^^;)。
「3年も、よく続いたねえ」 ライブ終了後、会場近くの中華料理屋の2階で、同伴した家族といっしょに遅い夕飯を食べながら、倉科さんがしみじみそう言った。 ほんとうそうだねえ。始めた当初は、まさかこんなに続けていくとは考えてなかったもんなぁ。

つづく。
 

 『荒野へ』ジョン・クラカワー(集英社文庫)       2007/04/20 

■今年の3月31日で、歴史あるパソコン通信「ニフティー・サーブ」のフォーラムは閉鎖された。

モデム付きの PowerBook Duo270c を大学生協で購入したぼくが、初めて「ニフティー・サーブ」に参加させてもらったのが、1994年9月のことだった。所属したのは、FADV(冒険小説&ハードボイルドフォーラム)。世間知らずで、口の聞き方もネチケットも何も知らないこのぼくを、シスオペのシュンさんを始めフォーラムの諸先輩方は、暖かく見守ってくれた。みなさんじつに大人の方ばかりだった。ぼくは「ここ」で文章修行をさせてもらったように思う。

とにかくレベルの高い人ばかりだったなあ。あのころ、まだ社会のしきたりも何も知らない、無知で生意気盛りな「こども」にすぎなかった僕を、そっとたしなめるように優しく「レス」を付けてくれた、スマイリーさん、小太郎さん、ダークピットさん。それに、ザンスさんに紫野さん、キムチさんにディックさん。彼らのサイトは、現在も引き続きよく読ませていただいている。どうもありがとうございます。昔も今も感謝です。


■10年前に「ニフティー・サーブ」に書いた文章がパソコンから見つかった。『荒野へ』という本が、ものすごく好きなのだ。そしたら、最近になってようやく文庫化されたのだという。しかもこの本は、ショーン・ペン監督で映画化されるらしい。ジョン・クラカワーは、自らも参加し、主催者ガイド以下大量遭難を招いた「ヒマラヤ観光登山」をリアルすぎるほどにレポートした『空へ』(文春文庫)が有名だが、彼の本の中では、やはり『荒野へ』が一番いいと思う。あんなに凄いと思った本なのにほとんど注目されず、文庫化されるのに10年を要した。でも、すごくうれしい。


04214/04214 PXE02170 ぶん 感想>『荒野へ』ジョン・クラカワー
( 4) 97/05/25 05:45

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題名:荒野へ
原題:INTO THE WILD
作者:ジョン・クラカワー
訳者:佐宗鈴夫
発行:集英社         1997/4/30 第1刷発行
価格:2000 円 +税
============================================================

ほんとうを言うと、この本はノンフィクションなので【 ブックエンド 】にアッ
プするのが妥当かもしれませんが、1992年の夏、アラスカの荒野の直中でたった
独り、寝袋にくるまり餓死していった24歳の青年クリス・マッカンドレスの人生
はまさしく冒険小説だし、生前の彼の足跡を追って関係者にインタビューして歩
く作者の姿はそのままハードボイルド小説の私立探偵のようでした。

何一つ不自由のない裕福な家庭に育ち、成績優秀で大学を卒業した青年はその夏
突然、家族から消息を絶ち放浪の旅に出る。2年後、アラスカの山中で無惨な姿
となって発見されるまでの彼の「さすらい」の目的とはいったい何だったのか?
何故「北」を目指したのか? そして何故死んでしまったのか?

でも、彼はけっして「世捨て人」ではありませんでした。たいへん社交的で人間
関係も(父親のことを除けば)うまくこなして、それどころか旅の途中で出会っ
た多くの人々は誰もが彼の不思議な魅力に引きつけられ忘れ得ぬ印象を残してい
るのです。特に、第6章に登場する81歳の孤独な老人ロン・フランツと青年との
しみじみとした交流の様子を読むと、泣けてしまいます。

この本を読みながら「猿岩石」のことを考えていました。(実際、マッカンドレ
スの日記の最後のあたりは空腹と食べ物のことばかりなのです)  ところで、
「猿岩石」に関する論評では斎藤美奈子が雑誌『鳩よ!』(マガジンハウス)で
連載している『本とうの話』(鳩よ!No.155/1997/3月号/p114-115)が最も優れ
ていると思うのだけれど、

>>いまどき、旅は新しい自我をつくるものである、というテーゼを無邪気に信じ
>>きっている(中略)これは感傷的な若者のいう『自分探しの旅』である。いま
>>の自分と決別したい、異文化の中で新しい自分と出会いたいとかいっちゃって
>>彼らは旅立つのだが、自由自由と唱えるわりには、自己規制めいた禁忌が多い
>>不自由な旅。自発性を重んじているようで、じつはハプニングを待ち望む他力
>>本願な旅。
         『鳩よ!』(No.155/1997/3月号/p114)(マガジンハウス刊)


  という彼女の言葉をそのままマッカンドレスに当てはめることはできます。
でも、何かが違う。
彼は芭蕉のような「漂泊の旅人」というよりも、むしろ植村直巳のように自然に
対峙し、大地に畏怖し、自己の限界に挑んだ孤高の冒険家だったのではないか、
そう思うのです。

この本で一番すごい所は、著者が突然「第14-15章:スティキーン氷冠」で自分
自身のことを語り始めるところです。著名な登山家でもある著者のこの体験談は、
主人公の青年と作者、そして本を読んでいる読者の波長をシンクロさせる不思議
な効果がありました。それはまさに優れたハードボイルド小説を読む醍醐味とい
っしょだと思いました。

例によって、読後感はかなり重たい本ですが、本年度注目の1冊であることは間
違いありません。

  引き続き『森の聖者 -- 自然保護の父ジョン・ミューア』加藤則芳(山と渓谷社)
を読み始めた  ぶん(PXE02170) でした。

電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード



04345/04345 PXE02170 ぶん RE:感想>『荒野へ』ジョン・クラカワー
( 4) 97/06/20 00:00 04330へのコメント

ボーさん こんばんは

ノンフィクションである『荒野へ』の感想を4番に書いたのは反則でしたが、
ボーさんのような方がきっと目にとめてくれるかもしれない、そう期待して
の確信犯的仕業した。どうもすみませんでした(^^;)

この本を本屋さんで手にした時、いつになくその本の表紙に魅せられてしま
い、吸い寄せられるように見入ってしまいました。そこには左端に白ぬきで
縦に「荒野へ」横に「INTO THE WILD」と書かれていて、その字の上あたりに
アラスカの荒地の中に棄てられ朽ち果てた「おんぼろバス」が1台、雪に埋
もれて静かに佇んでいる風情のモノクロ写真が写っていました。不思議な写
真で何となく哀しく、静寂で美しい、この本に書かれている内容そのものを
表していたのですね。

五木寛之やフォーク・クルセダーズの『青年は荒野をめざす』の頃から、日
本でも「青年」と「荒野」はいっしょに語られることが多いのですが、どう
もアメリカ人の考える「荒野 =WILD」は、われわれ日本人が想像する「それ」
とは根本的に違うのかもしれない、そうも思いました。

アメリカの名高いナチュラリスト、ジョン・ミューアも青年の頃、荒野に魅
せられ、アメリカを縦断する1000マイル徒歩旅行を敢行しています。ちょう
ど南北戦争が終わった頃『ダンス・ウイズ・ウルブス』の時代のことです。
引き続きアマゾンを目指す予定がひょんなことからシエラネバダ山脈・ヨセ
ミテの山や谷、巨木と出会い、彼はその後の生涯をこの渓谷に捧げました。

この本に登場するもうひとりの印象的な青年エヴェレット・ルースはジョン
ミューアと同じ年の生まれで、日本で言えば明治維新の頃になる訳ですが、
マッカンドレス青年とまったく同様に荒野に魅せられてその中に分け入り、
消えていった青年がそんな昔に存在したとは、まったくの驚きでした。

ぼくもマッカンドレス青年の本質的な部分を理解することはできません。
でも、20歳前後の頃リュックをかついで日本各地をさまよい歩いていた昔の
自分のことがこの本を読みながら思い出され、今でもマッカンドレス青年に
共鳴する何かが、ぼくの中に確かに残っていたことを確認いたしました。
そして、ほんとのことを言うと「7番会議室」にアップされている方々が、
この本を読んでどのような感想を持たれたか是非訊いてみたい、そう思って
いるのです。ヘッセの『荒野の狼』をもう一度読んでみようかな。
                           ぶん(PXE02170)
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 レストラン「伊勢屋」にて             2007/04/17 

■ついこのあいだ『メニューは僕の誇りです』斉須政雄(新潮社)を読み終わったばかりだったので、めちゃくちゃ「フレンチ」が食べたくなっていたのだ。そして今晩は、北原こどもクリニックのお花見会。毎年この時期に、冬場のめちゃくちゃ忙しい日々をなんとか無事に乗り切ってくれたスタッフに感謝して開いている。お花見とは言っても毎回「花より団子」で、実際にはお花見はせずに「おいしいもの」だけ食べておひらきとなる。

今夜のお花見会場は、伊那市錦町「伊勢屋」。鯛萬をはじめとして、フレンチの名店が数ある松本や、菅の台の旅館・ホテル群が競い合う駒ヶ根市と違って、伊那市内には本格的フレンチを食べさせてくれる店は、ここ「伊勢屋」と「ル・ムートンブラン」の2軒しかない。しかし、侮るなかれ、レベルは高いぞ!

3種類の前菜も、春の香りに満ちたアスパラのスープも、メインディッシュのお肉料理もデザートも、みな実においしかったが、ここの一番のオススメは魚料理だと思う。今日は「マダイのポワレ」だったが、皮がかりかりで香ばしく、鯛の身はしっとりほんわり柔らか塩味も絶妙で、めちゃくちゃ美味しい。前回食べた時は「スズキ」だったが、これまた旨かったな。

 では、日本人のお客さまに喜ばれる調理法はなにか。おのずと日本の家庭ではできない操作ということになります。すなわち、パリッと焼くという調理法。魚の塩焼きなら当たり前でしょう。しかし、パリッと焼くわけではない。こういう料理をお出しすると日本人のお客さまにはウケがいい。納得していただけるのです。
 この調理法による店の代表的な料理が <豊後水道産平スズキ皮つきかりかり焼き クミン・ソース>です。ポイントは「かりかり」にあります。といっても、特別な焼き方をするわけではない。フライパンで焼くだけなのです。火をどう駆使するかがポイントになります。(中略)

 僕は片面だけをずっと最後まで焼きつづけます。ひっくり返すのは仕上がってお皿に盛りつけるときだけ。この方法で焼くと、焼いた面はカリッとなり、もう片面はジューシーになります。
 魚に関して、両面を同じような状態に焼かなければいけないという先入観が日本人にはありますよね。でも、そんな法律はどこにもない。なぜ魚の両面を焼かなければいけないのか。ふとそう思ったんです。片側だけ焼いても、火が通っていれば問題はない。それ以来、皮つきの魚であってもなくても、僕は同じ方法で魚を焼いています。

 魚の体積と熱量のバランスさえとれていればむずかしいことはありません。フライパンの上の魚に色がついてきたら火を弱くして、あとはじっくりと長期戦。八割ぐらい火が入ったら、再び火力をあげます。ただ、料理人がつきっきりで焼かないとうまくできない。この操作だけではなく、基本的に料理というものはつきっきりで作ることが必要だと僕は思っています。
(『メニューは僕の誇りです』斉須政雄 117、118頁より)

 高遠城址公園の桜は満開              2007/04/15 

■金曜日の夜は雷鳴とどろく「春の嵐」が吹き荒れて、せっかく開いた桜の花もみんな散ってしまったのではないかと心配したのだが、どっこい大丈夫。きのうの土曜日、「産直新聞」主宰・毛賀澤くんの結婚披露宴二次会が行われた春日公園の桜も見事だったが、今朝は6時起きして見てきた高遠城址公園の桜は素晴らしかった。高遠さくらホテル手前の「ほりでいドーム」横の駐車場に車を置いて、そこから歩いて公園へ。驚いたことに、まだ朝7時前だというのにもう結構な人出だ。露店も早々と店開きしていて、熱々のおでんとたこ焼きにありつけた。

今日はとにかく山がキレイだったな。写真は、中央アルプス西駒ヶ岳と、高遠さくらホテルと高遠湖の背後にそびえる南アルプス仙丈ヶ岳。

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 君は『怪奇大作戦』を見たか?           2007/04/13 

■ぼくが住んでいた長野県上伊那郡高遠町に、円谷プロの『怪奇大作戦』ロケ隊がやって来たのは何時のことだったか? そう言えば、今日は13日の金曜日だ。

1968年放映とあるから、ぼくは小学4年生だったようだ。ロケ隊は、蓼科でのロケを終えて高遠入りした。宿泊は竹松旅館だった。ぼくは幼なじみの達朗くんと井東広くんと連れだって竹松旅館へ行ってみたが、宿泊している役者さんはなかなか姿を見せてはくれなかった。ずいぶんと待ってから、勝呂誉さんが旅館の玄関に顔を見せてくれた。みなに親切にサインして回ってくれた。あとは誰が来ていたのだろう? 岸田森さんはいなかったな。松山省二さんはいたかもしれない。高遠でテレビドラマのロケが行われたのは、それまではなかったのではないかな。その後ずいぶん経って、小林正樹監督の『化石』(1975年、井上靖・原作)高遠ロケが、タカトオコヒガンザクラ満開の高遠城址で岸恵子・佐分利信が参加して撮影された。

こちらの『怪奇大作戦』ファンサイトを見ると、あの時、高遠町でロケが行われたのは、『霧の童話』だったようだ。

NHKBS2で、5月1日〜4日の深夜帯に『怪奇大作戦』のうちの15本と新作3本が再放送されるらしい。これは要チェックでっせ、旦那!

 先週〜今週の「週刊日記」      2007/04/11 

■しばらくずっと「お休み」していた「テルメ通い」を再開した。気がつけば、すっかりリバウンドしていて、ズボンのバンドの穴も1つ元に戻ってしまっていた。4kg 減量したはずなのに、恐る恐る体重計に乗ったら、3kg も太ってしまっていた。痩せるのはほんと苦労するが、太るのはじつに簡単なんだな。いやはや。「テルメ通い」再開で誓った目標は、週4回通うこと。これはなかなかに厳しいぞ。結局、先週は3回。今週はまだ1回。

■7日(土曜日)は、ふだんは午後2時までやっている診療を1時半前に終了して、急いで車に乗り込む。午後3時から松本市医師会館で長野県小児科医会役員会があるのだ。松本への車中で聴くのは、立川志の輔『はんどたおる』。もう3回目だが、ほんと傑作だね。何度でも笑える。志の輔さんは、老若男女を区別しない、本当に「わかりやすい落語」をいつも心がけている。言ってみれば、現代の三遊亭金馬だ。この立ち位置は、じつはもの凄く難しいのだが、案外わかってくれている人は少ない。

長野県立こども病院のこと、インフルエンザとタミフル問題など議題は多く、役員会は5時半前にようやく終了した。そそくさと医師会館を出て、同日の午後、松本でピアノの発表会があった妻子と井上デパート2Fで合流。喫茶店で一息したあと、伊那へ帰宅。松本は曇りだったのに、帰ってみれば伊那は雨降りだった。この日、毎年恒例の「パパズ伊那」お花見会が春日城址で開かれていて、ぼくはすっかり遅れて、午後7時過ぎにようやく「つばめタクシー」で春日公園に乗り付けた。桜はまだ3分咲き程度で、いつしか雨は土砂降り。テントの下に敷かれたゴザからも水がじゃんじゃん浸みだしてくる。

そんな中で、われわれ「パパズ」のメンバー5人は、今年度も変わらぬ活動を誓って、皆で乾杯したのであった。みなさん、待たせてごめんなさい。すみませんでした。

■8日(日曜日)この日は快晴。家族みんなで長野市の信濃教育会館へ「信州子どもの絵画100年館、平成18年度中央入選作品展」を見に行く。どの絵もみな画用紙を目一杯使って、迫力の構図、個性的な筆使い色使いで圧倒された。長新太さんがよく言っていたが、「こどもの絵には敵わない」。ほんとうにそのとおりだ。息子たちも刺激になったのではないか。

■10日(火曜日)。この日は、伊那シネマ倶楽部の例会が「伊那旭座」で開かれる日だったが、伊那市医師会の幹事会が7時からあるため、お金だけ伊那旭座に払いに行って、その足で医師会館へ向かう。結局、3回に1回しか映画を見ていない計算になるな。1本4500円。TSUTAYA でDVDを買って見たほうがずっと安いじゃないか。いやはや。会合は9時半で終了。こちらでも課題は山積みだ。帰りに「JAZZ CAFE BASE」に立ち寄る。自転車で帰るには、案外夜風が冷たくゾクゾクと寒気がしたからだ。ここのカウンターに坐ったら、久しぶりでMさんと会う。いろいろと思わぬことに気を使わなくてはならなくて、世の中面倒なんですね。ビールとラフロイグをストレートで1杯。合計1300円なり。自転車を引いて自宅まで帰る。

■11日(水曜日)。午後1時半からは、南箕輪村で3〜4カ月健診+BCG接種。南箕輪村図書館と、伊那松島のブックオフに寄ったあと、午後3時半に帰宅。あとは読書。いま読んでいる本は、『脳と仮想』茂木健一郎(新潮文庫)、『メニューは僕の誇りです』斉須政雄(新潮社)、『時計のない保育園』渡辺一枝(集英社文庫)、『エムズワース卿の受難録』P・G・ウッドハウス(文藝春秋)。みな同時進行形。

読了したのは、『タイムカプセル』折原一(理論社)。伊那市立図書館から借りてきた本だ。まだ、本のラストの「袋とじ」は未開封のままだった。叙述ミステリーの帝王である折原氏の本を、ぼくは『異人たちの館』しか読んだことがなかったので、この本は十分に楽しめたな。面白かった。そうくるとは思わなかったよ。ジュブナイルをバカにしてはいけない。

読後の感想は、ネタバレになるので書けないのだが、昔からの「折原一ファン」の人の感想は「ここ」にあるような感じで、なかなか手厳しい。ぼくは「袋とじ」を焦って「まるで週刊現代の袋とじ」のごとく、はさみも使わず「指で」開封してしまったため、ぺージがギザギザ・よれよれになってしまった。次に読む人、ごめんなさいね。

外山恒一氏は、結局15,059 票しか取れなかった。桜金造氏は、69,526票も取ったのにね 2007/04/09 

■「最後に、一応言っておく。もしも、私が当選したら、奴らはビビる。 …… 私も、ビビる。」

YouTube で、3月末に初めて彼の政見放送を見た時は、ぼくはてっきり「ものすごく精巧に作られた、めちゃくちゃセンスのいいパロディ」だと思った。すごいパフォーマンスだ。感心した。2度目に見た時に、どうも本物の「東京都知事選挙・政見放送」らしいと気づいて、ビックリした。しかし、一番ビックリしたのは、当の外山恒一氏であっただろうな。YouTube のおかげで、一気に世界中でその名前と顔が知られるようになったのだから。赤尾敏の時代とはえらい違いだね。知名度アップのために「こういう方法」があったとは! 今まで、誰も気が付かなかったんじゃないのか? ネットのニュースでも、以下のような記事がでた。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0704/03/news048.html

しかし、誤解しないでほしいことは、誰でもマネができることではない、ということだ。外山氏のパフォーマンスは、再見・再々見に耐えうるセンスのよさがある。何回見ても面白い。これはすごいことだね。そのことが分かる東京都民が、ぼくは意外と多いんじゃないかと密かに期待したのだが、結局外山氏は、15,059 票を獲得するに留まった。まぁ、面白がることと、実際に投票する行為はぜんぜん違うワケではあるのだが、それにしても何となく残念だな。石原も浅野も「イヤだ!」という意思表示が、投票に行くことで出来たかもしれないのに、YouTubeで、繰り返し外山氏の政見放送を楽しんだ東京都民の多くは、選挙に行く気もないのかねぇ(^^;;

 福音館書店のブログ、そのほか            2007/04/06 

福音館 子どもの本ブログが興味深い。特に、絵から絵本へ――「こどものとも」の製版をつづけて 精興社小俣直包技術担当部長に聞くと題された、4回にわたる連載がたいへん読み応えがある。絵本の印刷・製本の歴史(ぜんぜん知らなかったな)。そして、最新技術を駆使し、如何に絵本の原画を忠実に再現することができるか苦心する小俣さんの姿に、デジタルの時代においてなお、その類い希な職人芸を見たような気がするのだ。すごいぞ。

『母の友』のブログも最近できた。『母の友』最新号(5月号)で最も注目すべき記事は、「石井桃子の仕事」だ。ブログには出ていないが、実際の雑誌には石井桃子さんの今年2月に撮影された写真が載っている。この頁の写真と文章は、必見必読ですよ!

■児童書出版社のサイトでは、ポプラビーチが充実していて有名だが、理論社のこのサイトも連載陣が充実していてなかなかに見逃せませんぞ。4月から5年生になった長男は、先日、松本パルコ地下のリブロで購入した『雨の恐竜』山田正紀(理論社)を読み始めたらしい。山田正紀はな、父さんも好きなんだ。読み終わったら、父さんにも読ませてな(^^;) そのかわりに『神狩り』を貸してやろうか。まだちょっと無理だな(^^;;

 『下流志向』 内田樹(講談社)            2007/04/04 

『オレ様化する子どもたち』諏訪哲二(中公新書ラクレ)を読み終わったので、その解説書的な意味合いを含めて『下流志向』を読んだ。この本は、数ある内田センセイの著書の中では異例のベストセラーを続けているのだという。読んでみてなるほど納得した。一本すじが通っていて、いつも分かりやすい内田センセイの本の中でも特別また分かりやすい本だからだ。

「一本のスジ」とは、消費社会における「貨幣」に象徴される「等価交換的な取引」は、「いま、ここ」のみの「空間的表象」=「無時間的表象」=「変化しない主体」であるのに対して、「子育て」とか「教育」と「労働」には、必然的に「時間」が必要であり、その結果、主体は変化する。そうして、子育てをする親や学校で教える先生が子供たちに求めるものは、決して等価交換なのではなく、それは「贈与」なのだということ。 なるほどなぁ、と思った。

それから感心したことは、リスクヘッジとしての相互扶助的(迷惑をかけ、かけられる)地縁共同体の役割と対極に位置する、自己決定・自己責任という言葉の意味だ。リスクを個人ひとりで請け負えば請け負うほど、下へ下へと落ちて行くことになるのだな。

もうひとつ面白かったのは、映画「スターウォーズ」における師匠と弟子の関係の考察だ。「学ぶ」とはどういうことか? 弟子は自分が「知らない」ことを知っている。師匠は、その弟子が知らないことを既に知っている。そういう関係なのだ。弟子は師匠から「学ぶ」ことによって(それにはかなりの時間を要するが)「知る」前の自分とは「変化した自分」を知ることになる。「学ぶ」とは、そういうことなのだ。弟子は、自分が知らないことに謙虚であり、師匠に尊敬と畏怖の念をいだく。いまの教育に必要なことは、まさに「そういうこと」なのだと思う。(以下、内田樹著『下流志向』より抜粋 )
 つまり、起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないというところから始まるものなのです。というよりむしろ、自分が何を学んでいるのか知らず、その価値や意味や有用性を言えないという当の事実こそが学びを動機づけているのです。
 本来、学びはそのように構造化されています。(中略)
 子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません。
 これは戦後の教育現場ではあまり大きな声では言われなかったことですけれども、原則的なことですから、ここで声を大にして言っておきたいと思います。(p63 〜64)


 子どもがまず学ぶべきことは「変化する仕方」です。学びのプロセスで開発すべきことは何よりもまず「外界の変化に即応して自らを変えられる能力」です。「学び」の人類学的意味はそれに尽きます。「学び」は人類と同じだけ古い。それに比べれば、市場経済や等価交換の原理が人間世界に入ってきたには、ごく最近にすぎません。(p69)


 まことに奇妙な話なのですが、リスク社会とは、そこがリスク社会であると認める人々だけがリスクを引き受け、あたかもそれがリスク社会ではないかのようにふるまう人々は巧みにリスクをヘッジすることができる社会なのです。(p84)


「師であることの条件」は一つでいい、ということだと思うんです。
「師であることの条件」は「師を持っている」ことです。
 人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあるということです。それだけで十分なんです。弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その環はとぎれてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件だ、と。

 弟子が師の技量を超えることなんかいくらでもあり得るわけです。そんなことあっても全然問題ではない。長い鎖に中には大きな環もあるし、小さな環もある。二つ並んでいる環の後の方の環が大きいからといって、鎖そのものの連続性には少しも支障がない。(p178)

 iPod HiFi のスピーカーがつぶされていた!      2007/04/03 

■3月のレセプト(診療明細)点検作業を、ジャズか落語でも聴きながらやろうかと、1カ月ぶりで iPod HiFi を箱から取りだしてみたら、何と! 3つあるスピーカーの中心部(丸く突出している部分)が、すべてボッコリと潰れていた。
HiFi1.jpgこれは購入当初の写真で、潰れる前の状態。

iPod HiFi1.jpg  iPod HiFi2.jpg
そして、これが「つぶれた」あと。真ん中の大きなスピーカーもペコンと完全に凹んでしまっていたのだが、事態に気づいた一昨日の晩に、危険とは思いつつ掃除機で無理やり吸引して何とか復旧させた。しかし、左右の小さいスピーカーは掃除機の吸引力ではぜんぜん歯が立たない。こりゃあダメかとあきらめた。それなりに音も鳴るし、仕方ないかと。

それにしても、なんで潰れたんだ? 購入した時に梱包されてきた箱に入れてあったので、蹴飛ばしたってスピーカーが潰れる訳がない。どう見ても人間が故意に指でスピーカーを突っついて潰したとしか考えようがない。ちょうど春休みで、連日のように友だちが遊びに来ていた息子たちに、スピーカーをいたずらしなかったかどうか訊いてみたが「いじってないよ。箱から出したこともないし……」との返事。いや、疑って悪かった。

■前回、 iPod HiFi を箱から取りだして使ったのは、三重県鈴鹿市の子育て支援センターで「絵本ライヴ」を行った時だ。『バナナです』のBGMを流すのにいつもはラジカセを使うのだが、この時はちょっと格好つけて iPod HiFi に iPod を接続し迫力の重低音を響かせたのだった。待てよ、記憶が少しずつ甦ってきたぞ。あの時、60分間の会が無事終わってホッとしたところに、片づけに入る間もなく親御さんたちが集まってきて、質問やら感想やら絵本の紹介やらの対応に追われていた時、そう言えばぼくの視界の片隅で、 iPod HiFi を置いたテーブルに男の子が2〜3人たむろしていたシーンが思い出された。

そうだ、きっとあの悪ガキどもの仕業に違いない。してやられたなあ。その男の子は、今まで見たこともない不思議な箱を見せられて、ライブの間じゅうずっと気になって、いじってみたくてしかたなかったのだろう。で、その機会を今か今かと、うかがっていたのだ。それにしたって、指でスピーカーをぐりぐり突っついて凹ませるか? そこまでするか? 絵本を読んだメガネのオジサンに悪意でも抱いたのか? いやいや、子供はするんだね、してみたかったら。ぼくはそこまで想像力が働かなかったな。 iPod HiFi を車に積み込んで鈴鹿を出るときには、ぜんぜん気づかなかった。結局、自分の大切なものを、無敵の破壊者である子供らの前に無防備にも曝してしまったぼくが悪いんだよな。 次回からはまたラジカセにしよう(^^;;;
 
iPod HiFi3.jpg ■そうは言ってみても、どうにも悔しくて諦めきれなかったので、昨晩はセロハンテープを持ってきてスピーカーの潰れた部分に貼り付け引っ張ってみた。ぜんぜんダメ。粘着力が足りない。そこで今度は、梱包用の布製ガムテープを貼り付けて「えいやっ!」と引っ張ってみた。すると見事に大成功! やったぁ(^^) 写真は復旧後のスピーカーのアップ。これが文字通り爪痕も生々しくというヤツだな。いやはや。


 ネットで落語を聴く(見る)にはどうしたらいいか?    2007/04/02 

■東京在住の人は、寄席に行けば生で落語が聴けるからいいが、われわれみたいな地方に住む人間が「いま」がんばっている落語家を聴くには、土曜日昼下がりのNHK教育テレビ『日本の話芸』を見るか、TBSで月に一度深夜にやってる『落語研究会』をチェックするか、テレビ東京で木曜日だかの明け方密かに放送している落語番組を寝ずに待っている(12チャンネルは予約録画ができないのだ)しかない。あとは、地元の地方新聞を日々チェックして、近隣で催される落語会に行くかだ。

いや待てよ、ネットがあるじゃぁないか! なんで今まで気が付かなかったんだろ(^^)

調べてみました。そしたらちゃんと、「こういうサイト」があった。でも、うちの Mac や、Windows Me のPCでは見れないんだね。悔しいなぁ。

仕方ないんで、頼みの綱は「 YouTube 」ですよ。でも、ここには「変な落語」しかストックされてないんだな。まいったな。例えば……

「これ」とか

「こんなん」とか

「こりゃぁ、女枝雀そのものてな感じで、あんがい掘り出しもんでっせ!旦那っ」とか

「これ」なんかは、今じゃ貴重な映像だわな、とか(^^;;




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