しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

  『師匠噺』浜美雪(河出書房新社)2007年 4月30日刊  2007/06/30 

■気がつけば、今年も半分が終了してしまっていた。それにしても、「月日の過ぎ去る時間」は年々加速度的に速くなってゆくなあ。

今年は、思うように本が読めない日々が続いているのだが、面白かった本は多い。いま読んでいるのは『星新一 1001話をつくった人』最相葉月(新潮社)だが、これも面白い! あと残りは 1/3。 読み終わったら、感想書きます(^^;)

そうして、いま一番の「オススメ本」はというと、『師匠噺』浜美雪(河出書房新社)だ。一昨日の夜に、伊那の TSUTAYA で見つけて買って帰ったのだが、読みだしたら止まらなくなってしまい、あっと言う間に読み終わってしまってた。この本は凄いかもしれない。今のところ、本年度「上半期ベスト1」だ。ちなみに、第2位は『芝居半分、病気半分』山登敬之(紀伊國屋書店)だが、この『師匠噺』には負ける。

いま、「師匠と弟子の関係」が一番よく判っている人は、言うまでもなく『下流志向』を書いた内田樹先生だが、そのあたりの話は、『先生はえらい』内田樹・著(中公プリマー新書)を再読してから書こうと思います。

  伊那中央病院救急部崩壊に伴う、上伊那「小児夜間一次救急」支援のお願い  2007/06/27 

■…と題して、信州大学小児科医局「専用掲示板」に、ぼくは今晩、以下のような投稿をしました。
  はたして、いったいどれくらいの先生が目にとめてくださるのかな。

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伊那市で開業しております、北原文徳です。こんばんは。

いったい、どれくらいの方がこの掲示板を閲覧されているのか分かりませんが、
ぼくの話を聞いてください。

長野県下各地で「小児夜間急病センター」が立ち上がる中で、上伊那では、伊那中
央病院救急部の専属医師6名が、24時間体制の「ER」方式で1次〜3次救急まで
一手に対応して下さってきました。とは言え、入院が必要な小児がいれば、伊那中
央病院の小児科コール番の先生が深夜でも呼び出されて診療にあたりました。

そのおかげで、僕のような開業医はどんなにか楽をさせていただいたか分かりませ
ん。しかし、とうとう来週月曜日(7月2日)から、昨今の、大学各医局からの医師
引き上げに伴い、伊那中央病院救急部の専属医師は6名から2名に削減されてしまうのです。
これは、はっきり言って伊那中央病院救急部の崩壊にほかなりません。


この事態に対して、伊那中央病院院長から上伊那医師会に「場所は提供するか
ら、夜7時〜10時までの夜間一次救急を、医師会の開業医に診療していただきた
い」との要請が出され、今晩も、協力してもよいと手上げした開業医20名が
伊那中央病院の会議室に集まって、7月からの具体的な方針に関して話し合いが
持たれました。

この日参加した開業医は、内科医10名の他に整形外科医2名、耳鼻科医3名、産婦人科
医1名、外科医2名、それと小児科を主に診る医師2名でした。問題は、時間外に
受診する患者さんの3〜5割を占める子供の診療です。内科医の中にも「子供は責任を
持って診ることはできない」と言う先生が多いし、ましてや整形外科の先生には
無理な相談です。

そこで、伊那中央病院小児科部長の藪原先生は「小児科のローテーションは別に組む」という
案を出されました。

しかし、伊那市内で小児科を主に診る開業医は、ぼくと中村博史先生だけなので、
このローテーションには伊那中央病院の小児科勤務医4人が入るという構想です。
それでも全部で6人しかいません。

この6人だけで365日カバーするのは、はっきり言って自殺行為だと思います。
今日の話し合いでは、子供も診れる自信がある内科医が担当の日は1人で、そうで
ない開業医が担当の日は、小児科担当医がサポートで入り「2人体制」で診療に
当たるということになりました。

でも、今日の印象だと、小児科担当医は週1回(よくて10日に1回)の出動を
余儀なくされそうな雰囲気です。これでは長続きしそうにありません。自殺行為
には変わりないと思います。

どうか、信州大学小児科医局の先生方、ぼくらを助けてください。

週1回、定期で大学の先生が来てくだされば、ぼくらの負担はずいぶんと軽減され
るのです。上田の小児夜間診療所も、諏訪の小児夜間急病センターも、松本の夜間
急病センターもみな、大学から週1〜2回定期で応援を仰いでこそ、なんとか成立
しているのではないでしょうか?

伊那だけ見捨てられてしまっているのでしょうか?
だとしたら、ものすごく悲しいです。

とにかく、来週の月曜日からの話なのです。
何とかご検討のほど、よろしくお願い申し上げます。


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【北原こどもクリニック】 北原文徳 
   長野県伊那市境東1290
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  伊那のパパズ「絵本ライヴ(Vol.30)」at the 新山集落センター  2007/06/24 

■今日はあいにくの雨降りの一日だったが、午前と午後の2度、家族で伊那市新山へ出かけた。

午前中は、伊那市富県上新山「とんぼの楽園」でハッチョウトンボの観察会。土曜日は天気もよく、ハッチョウトンボの乱舞が見られたそうだ。トンボというと秋のイメージだが、全長2cmしかないミニチュアサイズのトンボ、ハッチョウトンボは、今が一番の見頃。今日は雨の中飛ぶこともできず、葉っぱにとまったままじっとしていた。オスは鮮やかな紅色をしているので見つけやすいが、メスはボディが黄緑色をしているので、なかなか分からない。「ほら、あそこにいるよ!」と息子に教えてもらっても、目が悪いぼくにはさっぱり見えないのだった。

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■午後2時からは、新山集落センターで社会貢献支援財団「第5回こども読書推進賞」 奨励賞の授賞式と、記念「絵本ライブ」。この日わざわざ東京から、財団理事の横山さんがわれわれを表彰するために伊那市新山までやって来てくださったのだ。ありがたいことです。会場には、新山小学校の子供たちもみな、お祝いの花束まで用意して集まってくれた。それもこれも全てみな、伊東パパのおかげです。ホント、ありがとうございました。

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●この日のメニューは……

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『あらまっ!』(小学館) → 伊東
3)『ふってきました』もとしたいづみ・文、石井聖岳・絵(講談社) → 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館)
5)『おふろ』出久根育・作(学習研究社) → 坂本

6)『うちのかぞく』(世界文化社)
7)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版)
8)『さかさのこもりくんとおおもり』あきやまただし(教育画劇 )→ 宮脇
9)『とんぼとり』長谷川集平 → 倉科
10) 『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)
11) 『世界中のこどもたちが103』新沢としひこ・中川ひろたか(講談社)

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  アンデルセン『火打ち箱』赤木かん子・文、高野文子・ペーパークラフト  2007/06/21 

■今日は、美篶中央保育園で春の内科健診。午後1時40分に園に着いたら、みんな未だお昼寝中。ちょっと早く来すぎたね(^^;;

健診が終わって、また無理言って「年長さん+年中さん」の子供たちに絵本を読ませてもらった。

1)『ぐやんよやん』長谷川摂子・ぶん、ながさわまさこ・え(こどものとも年少版/1999年6月号)
2)『うちのかぞく』谷口國博ぶん、村上康成え(世界文化社)
3)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版)
4)『ふってきました』もとしたいづみ・文、石井聖岳・絵(講談社)
5)『おおかみペコペコ』宮西達也(学習研究社)

今日はね、ギターなしで歌った。美篶中央保育園のリズム室は、いい感じで音が響いて、歌っていて気持ちがいい(^^;;

それから、読みながら今日初めて気が付いたのだが、『ふってきました』って、ちょうどこの「梅雨の季節」にぴったしの絵本じゃん。このところ毎回読んでいるが、ホントすきだなぁ、この絵本(^^) 今度の日曜日の午後2時、新山コミュニティセンターでも読んでみよう。


■夜になって、わが家の夕食後にリビングで息子たちに読んだ絵本はこれだ。『火うちばこ』アンデルセン・原作、エリック・ブレグバッド文絵、角野栄子・訳(小学館)。長男が、伊那東小の図書館から借りてきてくれたのだ。「おとうさん、このおはなし好きだったよね!」と。

これは不思議なおはなしだ。アンデルセン作とは信じられないような、不条理で残虐でご都合主義的なストーリー展開。真面目で教条的な母親ならば、「グリム童話以上に子供の教育上問題がある話」だと言って、眉をひそめるに違いない。だからこそメチャクチャ面白いのだが(^^;;

「このお話」の一番のポイントは、登場する3匹の犬の「目の大きさ」にある。一匹目は、ティーカップほどの目をした犬。二匹目、こんどは水車の輪ほどの目をした犬。そうして三匹目は、町の円塔ほどの大きさの目を持っていた。って、いったいどれくらい「大きな目」なんだよって、突っ込みたくなるよね。これを絵本で「絵」にしちゃうと、ダメなんだ。やっぱり。「ぐりぐり目玉」の犬が、具体的に「絵」になっちゃうと、途端に面白くなくなっちゃうんだよね。だから、この絵本は失敗していると思う。

それに比べると、わが家に以前からある、アンデルセン『火打ち箱』赤木かん子・文、高野文子・ペーパークラフト(フェリシモ出版)は、間違いなく傑作である。もう惚れ惚れするデキのよさだ。なにせ、あなた。あの伝説の高野文子ですよ! 『黄色い本』以来の、高野文子なんですよ!

凄いよなぁ、高野文子。この人はやっぱり天才だ。彼女の存在を初めて教えてくれたのが、以前にも書いたことがあるが、『芝居半分、病気半分』の著者、山登敬之くんだった。『絶対安全剃刀』という不思議なタイトルの漫画本。天才、高野文子女史は、あの3匹の犬の目を、ペーパークラフトでどのように表現しているのか? ぜひ本を手にとって、確かめてみて欲しい。

  高遠第一保育園で、たっぷりと絵本を読ませてもらう        2007/06/20 

■と言うよりも、たっぷり歌わせてもらった(^^;;) マーチン・トラベリングギターを持参したからね。

午後2時前、まだお昼寝で熟睡している「未満児さん」の部屋から健診を始める。90人弱の全ての園児の健診が終わると3時前。こどもたちの「3時のおやつ」が済むのを待ってから、まずは「年長さんのクラス」で絵本を読む。

1)『どうぶつしりとりえほん』薮内正幸さく(岩崎書店)
2)「チョッとグットパッ!」湯浅とんぼ+中川ひろたか(ジャンケンを使った手遊び歌)
   足ジャンケンもやったら、収拾がつかなくなってしまった(^^;;

3)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版)
4)『うちのかぞく』谷口國博ぶん、村上康成え(世界文化社)

ここで、ある男の子がこう言った。「歌はもういいからさ、ちゃんと、おはなし読んでよ!」
「あっ、そう。」と、ぼく(^^;;。

5)『うみやまがっせん』長谷川摂子・文、大島英太郎・絵(こどものとも年中向き/1998年4月号)
6)『ふってきました』もとしたいづみ・文、石井聖岳・絵(講談社)
7)『おどります』高畠純(絵本館)


■続いて、年中組+年少組のクラス。

1)『ぐやんよやん』長谷川摂子・ぶん、ながさわまさこ・え(こどものとも年少版/1999年6月号)
   この絵本は、坂本さんから教えてもらったのだが、最近、ブックオフ児童書コーナーで50円でゲットした(^^)
   噂に違わず、ものすごく子供たちの反応がよい。ホントたまげた。何故ハードカバー本が出ないのか?
2)『がたごとばんたん』パット・ハッチンス作絵、いつじあけみ訳(福音館書店)
3)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版)
4)『おーいかばくん』中川いつこ・詞、中川ひろたか・曲、あべ弘士・絵(チャイルド本社)
5)『ふってきました』もとしたいづみ・文、石井聖岳・絵(講談社)
6)『おどります』高畠純(絵本館)

保育士のおねえさんにレイを首にかけてもらって、フラダンスを踊ってもらった。上手だったね。もちろん、子供たちもみな「のりのり」で踊ってくれたよ! うれしかったな(^^)


■よるの9時。わが家の息子たちが寝る前に読んだ絵本は……

『セーラーとペッカ、町へいく』ヨックム・ノードストリューム・作絵、菱木晃子・訳(偕成社)だ。

これが、予想をはるかに超えて、子供たちに大受け! ビックリした。彼らが大笑いした場面はというと、

・犬のペッカが新聞を読んでいるところ
・セーラーが上半身「はだか」のまま、ズボンつりをつけて町へ出かけて行くところ
・セーラーの車がエンストして、仕方なく二人で海岸端の道をトボトボ歩くところ
・セーラーが『見習い水夫ヤンソン』の鼻歌を歌うところ
・ウサギの夫婦が、屋根の上から手をふっているところ
・「ちわあす」と、ビーバーが声をかけるところ
・洋服屋の中に、ブリーフが並んでいるところ

どうもこの、スウェーデン生まれの不思議な絵本は、子供たちの「笑いのツボ」を刺激して止まないみたいだ。さて、続きも買ってこなくっちゃ(^^;)

  北原こどもクリニック待合室で「こども向け落語会」を開催します  2007/06/19 


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■■北原こどもクリニック待合室で「こども向け落語会」を開催することになりました!■■


日 時: 7月3日(火)午後5時半〜6時の30分間(午後5時開場)
場 所: 北原こどもクリニック「待合室」             
出 演: 三遊亭金翔(プロの二つ目の落語家さん)三味線のお囃子付き
「入場無料」です。ただし、小学生以上の子供とその保護者が対象   

お問い合わせは: 電話 0265-74-2236 まで。          

●なお、当日は、午後5時で診療を終了いたします。ご了承ください。●

  忘れてしまいたい日もあるさ          2007/06/16 

■今週の火曜日、6月12日の昼休みの午後1時半〜3時に、伊那市役所5階会議室で「伊那市主任児童民生委員、保育園園長・主任の合同研修会」の講師を仰せつかった。演題は「子供の心の発達と、軽度発達障害について」。いままで何回も講演を頼まれてはきたが、今回はまた特別ダメだった。ワースト3に入る出来の悪さ。もうボロボロだった。

会場に入ると、40人以上の聴衆が待っていた。その1/3 を占める児童民生委員のオジサンたちに見知った顔はなかったが、残りの2/3 は、常日頃お世話になっている伊那市内の保育園の園長先生と主任の先生方ではないか! もう、よく知った顔ばかりがそこに並んでいて、これは参ったなぁと、ぼくの心臓は急にバクバクと鼓動を高め、一気にあがってしまったのだ。と言うのも、今回は準備不足もあって、きっちりした原稿は用意せず、その場の反応を見ながら好き勝手に話題を展開しようなどと、ちょうど「小林秀雄の講演」をマネする感じで、大胆にもそのまま「この日」に臨んでしまったからだ。

ぼくは何とか気持を鎮めて、講演の導入でよく使う手段「いきなり絵本を取りだして読み聞かせを始める作戦」にでた。読んだ絵本は『ぜつぼうの濁点』作・原田宗典、絵・柚木沙弥郎(教育画劇)。これはけっこう受けたと思う。児童民生委員のオジサンたちは白けていたが、保育園の園長先生方の反応はよかった。ここまではよかったのだ。その後がいけなかったな。ぼくは調子にのって「パパズ伊那」の話や、『かいじゅうたちのいるところ』の表紙に登場する足だけ人間の素足をした怪獣はいったい誰か? といった話を始めたものだから、絵本の読み聞かせから始まってそれだけで20分が経過してしまったのだ。

あとは「しどろもどろ」だったな。残り40分で「子供の心の発達と、軽度発達障害について」語ることはどう考えたって無理がある。いや、無理があった。本当に言いたかったことの 1/10 も伝わらなかったのではないかな。悲しいな。

この日のとどめは、質問タイムにやって来た。ある保育園の園長先生から、「サリーとアンの課題」(心の理論)を説明して下さいと言われたのだ。「はいはい、分かりました。心の理論ですね」ぼくは得意になって説明を始めた。ところが突然、頭の中が「まっ白」になってしまい、「サリーとアンの課題」の意味が分からなくなってしまったのだ。ぼくは焦った。カッコ悪かったなぁ。無知をさらしてしまったからなぁ。それにしても不思議だ。翌日に「サリーとアンの課題」を読み直してみると、なんも疑問なく説明できるのに、何故あの時、ワケ判らなくなってしまったのか? 檀上で絶句して立ちつくしたのは、今から20年近く前に千葉で行われた「日本免疫学会」で、不勉強で無知だった演者のぼくがフロアからの鋭い質問に何も答えられなかったとき以来のことだ。 あぁ、忘れてしまいたい日もあるさ(^^;;


■そんな気分も、三遊亭円丈師匠のサイトを読んでいたら救われた。三遊亭円丈さんが寄席で主任(トリ)を取った20日間の演目と観客の反応が日々詳細に書かれているのだが、落語が上手くいかず受けない日がけっこう多く、悶々とした思いがつづられている。落語家さんも日々大変なんだねえ(^^;;

  『芝居半分、病気半分』山登敬之・著、紀伊国屋書店(その2)  2007/06/15 

■この本は売れるのではないか? そんな気がする。

とにかく、読んでいて面白い。シャイで照れ屋で江戸っ子であるところの著者は、ささっと短い文章を仕上げてみせる。そのリズムとテンポが実に小気味よい。くいくい読ませる。ちょうど、蕎麦を一口ズズッとすすって、その喉ごしを堪能したり、マグロの握り鮨をひょいと口にほおばった後に口の中へ広がる、あの、あっさりとした爽やかな味わいとでも言えばよいか。ちょいと短いくらいの、この文章の長さが今の時代の読者諸兄にはちょうどよいのではないかな。ただし、こういった文章は一朝一夕には書けない。技と芸がないと書けないのだよ。

ぼくと同い年の坪内祐三氏がよく言っていることだが、「芸がある文章を書くことは難しい」のだ。「技」さえ学べば、小手先で文章を書くことはできる。しかし、「芸のある文章」を書くには地道な修業が必要となる。今の世の中、難しいことをさらに難しい言葉で文章にするのは、もはや流行らないのではないかと思う。それではあまりに芸がなさすぎる。山登くんの文章には芸があるよ。しかも、その芸を仕込むのに四苦八苦したであろう苦労を微塵も感じさせない、江戸っ子の芸がね(^^;)

■この本の表紙で、著者の後ろに立っている女優さんは、あの『時効警察』に出ていた(前列左から2人目)女優さんだよね。それにしてもこの女優さん、婦警さんにしてもナースにしても、妙に制服姿が似合う人だなあ(^^;;

  

  『芝居半分、病気半分』山登敬之・著、紀伊国屋書店(その1)  2007/06/12 

■大学の同級生だった、山登敬之くんから本が送られてきた。『芝居半分、病気半分』山登敬之・著(紀伊国屋書店)だ。山登くんは知る人ぞ知るベテラン児童精神科医である。現在は東京恵比寿で「東京えびすさまクリニック」を開業して、そこの院長に納まっているのだが、

彼は学生時代から「演劇人」だった。山登くんと言うと、ぼくは瞬時に「平砂学生宿舎共用棟2F娯楽室」の佇まいが思い浮かぶ。このリンクを辿ると、「若き日の山登くんのポートレート」も見ることができるが、ぼくが観た彼の芝居は、たしか「初級革命講座・飛龍伝」だったように思う。実際には狭い舞台上なのに、ものすごく広い空間だと観衆が錯覚してしまうくらいに、彼は舞台の上手から下手へと、肉体の極限ぐらいな勢いで飛び跳ねて演技していた。若かったんだね。

大学院を卒業後は、新進気鋭の児童精神科医として拒食症の少女たちに対峙し、と同時に、東京乾電池の文芸部に所属して、プロの劇団員としても活躍してきた。まさに『芝居半分、病気半分』の日々を過ごしてきた訳だ。まあ、世界中探し回れば、児童精神科医&プロの演劇人 という風変わりな人も見つかるかもしれないが、少なくとも日本国内においては、そんなヘンな医者はいないと思うぞ。

だからこそ、山登くんの独自な視点は、非常に価値のあるものだと思うのだ。特に第一章での、人間は「他者」がいる場面においては「どうしても演じなければならない」宿命にあるのだという指摘には、「目ウロコ」の思いがした。

■精神科医で、文章が上手い先生はいっぱいいる。古くは、北杜夫や、なだいなだ、加賀乙彦、北山修、帚木蓬生。最近では、春日武彦に斉藤環、ちょいとオマケで香山リカ。そうして、山登敬之氏だ。山登くんが、これらの手練れの精神科医と一番異なる点は何かというと、彼が生粋の「江戸っ子」であるということだ。春日武彦先生の出身は京都。だからあれだけ屈折しているのだね。斉藤環氏は東北の岩手だ。道理でねちっこいワケだ。香山リカ先生は北海道。なんだみんな「地方出身の田舎者」じゃあないか。

江戸っ子の特徴は何かというと、野暮が大嫌いで粋で鯔背が格好いいと思っていること。「わたし、努力してますだ」と世間に見せつける、ねちっこい田舎者を「へん」と鼻で笑って、人が見てない所で一生懸命努力して、人前では汗もかかず「へへん」と、いとも簡単にやってのけることを信条としている。とにかく「あっさり」しているのだ。だから彼は、斉藤環氏のような難解で「こってりした文章」は決して書かない。潔いのだな。言うなれば、春風亭柳朝の心意気。江戸以来の洒落、諧謔を好み、とてもシャイで繊細な都会人。それが江戸っ子気質だ。(つづく)

  上伊那地区の小児夜間一次救急を何とかしなければ(パート3)  2007/06/10 

■今朝は7時半に起きた。郵便受けから新聞を取り出して、リビングに戻って新聞を広げて驚いた。最初に「伊那毎日新聞」、続いて「長野日報」の一面を読む。「え〜ぇっ! 小坂伊那市長、あんた、ぜんぜん判ってないじゃん!」 ホント情けなくなった。以下はその新聞記事。この記事を書いた記者さんも、言っちゃあなんだが、ぜんぜん判っちゃいないね。「ウソ」が真しやかに書かれているのだ。本当に、これらの文章の全てが真実なのか? 伊那市民は当然、事実として信用するに違いない。われわれが直面している現実とは、ぜんぜん違うというのに。地元メディアは、その自覚があるならもうちょっと、まともになっていただかないと困るなぁ。ぼくは正直、これらの記事を読んで憤りを覚えた。

今日の「伊那毎日新聞」一面の記事
今日の「長野日報」一面の記事

■伊那市長は、7月からも「24時間体制で」伊那中央病院の救急医療を維持して行くと断言している。この言葉を、市長本人はたぶん「嘘ではなく」言っているつもりなのだろうが、ぼくから言わせていただけば、それは「85%ウソ」だ。

確かにこの4年間、伊那中央病院救急部の医師たちは、テレビドラマ「ER シリーズ」に登場する医師たちと同じ活躍を続けてきた。特に、小児夜間一次救急には、絶大な力を発揮してきてくれた。救急担当医が自分の手に負えないと思った患者さんの時だけ、その日拘束の伊那中央病院小児科医が呼び出されて、診察と入院処置に当たればよかったからだ。この救急医による「ワンクッション」があったおかげで、中央病院の小児科医はどんなにか助かってきたことか。(もちろん、ぼくのような開業小児科医は、最もその恩恵を受けてきた訳だが……)

7月以降、小坂市長が保証したように「24時間体制」で 伊那中央病院の救急医療が維持されるなら、今までどおり「セブンイレブン感覚」で受診する子供の母親・父親たちに、その日拘束の伊那中央病院小児科医が連日何度も呼び出されて、診療にあたることになるに違いない。もちろん、翌日は朝から平常通りの勤務が待っている。それが週に2〜3回(土曜日曜も含む)繰り返されることになる。となれば、早晩、疲れ切った小児科医の誰かが倒れてしまうに違いない。小坂市長は、そこまで責任を取ってくれるのだろうか?

■伊那市長が、いま伊那市民に言わなければならないことは「この7月からは、伊那中央病院は24時間いつでも時間外患者さんを受け入れることが物理的にできなくなりました」と、正直に認めることではないのか? 深夜に発熱した子供を、即時に専門の小児科医が診察することは不可能であり、翌朝の診療時間まで待ってもらう必要があること、そして、ほどんんどの場合は、朝まで待って全く問題がないこと、それを判っていただかないと、伊那中央病院の小児科医も救急担当医も過労死してしまうということを、市長自らが伊那市民にきちんと説明する義務があるのではないか?

もちろん、開業医や、伊那中央病院の平日の診療時間(午後5時〜6時)が終了してから、翌日の診療開始時間(午前8時半〜9時)まで、空白の12時間が生まれてしまうことは、やはり大きな問題だ。そのために、われわれ開業医は、夜7時から10時まで伊那中央病院救急部に詰めて、小児一次救急に対応する覚悟はできている。しかし、24時間はどう考えたって無理だ。翌日の朝までこのまま自宅で見ることが不安で心配な患者さんは、どうか夜7時〜遅くとも10時までに受診して欲しい。そういうことも、小坂市長はきちんと広報や地元マスコミを通じて、繰り返し何度でも市民に伝えるべきだと思うぞ!

  竜東保育園で春の内科健診  2007/06/07 

■このところ、ちっとも熱が下がらない乳幼児や、嘔吐下痢症の小学生、急な発熱で受診する保育園児で大変な混雑が続いている。伝染性紅斑や溶連菌感染症も多い。毎年6月に入ると、溶連菌感染症は確かに流行するのだが、小児科外来そのものは本来こんな混雑はみせない。地球温暖化の影響なのか? 子供たちに影響を及ぼしているウイルスの勢いが、例年よりも強い印象がある。

■6月6日(水)は、午後1時から竜東保育園の内科健診だったのだが、そんなワケで外来が終わらず、1時半に自転車で園へ駆けつける。200人近い子供たち全員に聴診器をあてて診察を終えれば、すでに午後3時をまわっていた。3時のおやつを食べ終えた年長組の部屋で、お迎えの時間まで絵本を読ませてもらった。時間がなかったので、下読みの練習もせず「ぶっつけ本番」の絵本も多く、子供たちには失礼だったかもしれない。でも、みんないい子で静かに最後までじっと聴いてくれた。うれしかったな。

1)『どうぶつしりとりえほん』薮内正幸(岩崎書店)
2)『ハエくん』グスティ・作、木坂涼・訳(フレーベル館)
3)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版 2007/5月号)
4)『ドオン!』山下洋輔・文、長新太・絵(福音館書店)
5)『ふってきました』もとしたいづみ・文、石井聖岳・絵(講談社)
6)『あくたれラルフ』ジャック・ガントス作、ニコール・ルーベル絵、いしいももこ訳(童話館)

『ハエくん』は、先週の土曜日に伊那市立図書館へ行ったさい、長男が見つけてきて「おとうさん、これ読みなよ!」と推薦してくれた絵本。確かに、小学生にはバカ受けかもしれないが、年長さんとは言え「オチがよくわからない」子供も多かったのか、保育園児にはイマイチだった。このあたりの選書の基準は、いまだに難しいな。『パンツのはきかた』と『ふってきました』は、予想通りの反応のよさだった。『ドオン!』は、下読み不足かな。再検討の必要あり。次回、高遠第一保育園の健診の際には、ギターを持っていこう!(^^)

  柳家喬太郎・駒ヶ根独演会(その8)at the 「安楽寺」 2007/06/05 

■毎年この時期に、駒ヶ根の安楽寺本堂で開かれている「柳家喬太郎独演会」を家族みんなで聴きに行ってきた。一昨年は独りで行った。去年は、「ぜったい面白いからいっしょに行こう」と妻子を誘ったのだがまったく乗ってこず、結局、挫けて僕も行かなかった。今年の独演会は今日だったのだが、近頃の落語漬けが功を奏したのか、長男と妻が興味を示し独演会に同行してくれることになった(小学3年生の次男はイマイチ乗り気でなかったが)。

午後6時半過ぎ、水泳教室が終わった息子たちをペアーレ玄関で拾って一路駒ヶ根へ。駒ヶ根文化会館に車を置いてから急いで安楽寺へ向かう。7時過ぎに本堂へ到着し、ぎりぎり開演に間に合った。はじめの一席は『金明竹』だった。最近、車中で先代三遊亭金馬の『金明竹』を時々かけてきたから、子供たちもよく知っている噺だ。これは嬉しかったな(^^) 喬太郎さんは、何故か主人公の与太郎を「松公」と名前を変えて演じていた。柳家は「松公」を使う流派なのか?

この松公、与太郎と違ってどこか確信犯的な悪賢さがある。喬太郎さんが演じているからそう見えたのかも(^^;; 「おいさん! よくしゃべる乞食が来たよ。ひょうごろひょうごろ 言ってるよ!」セリフは三遊亭金馬の与太郎と同じなのだが、なんか雰囲気違うねえ。こっちもいいなぁ。ところで、例の「早口の大阪弁」は何度聴いても理解できないのだが、喬太郎さんの言い回しが、これまた特別早口で凄かったな。ちなみに、何て言ってるかというと、
「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度仲買の弥市が取り次ぎました道具七品のうち、佑乗・光乗・宗乗三作の三所物(みところもの)、ならびに備前長船(おさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗眠小柄(こづか)つきの脇差、柄前(つかまえ)はな、旦那はんが古鉄刀木(ふるたがや)と言いはって、やっぱりありゃ埋木(うもれぎ)じゃそうに、木が違うておりますさかい、念のためちょとおことわり申します。次はのんこの茶碗。黄ばく山金明竹寸胴の花活け、『古池やかわずとびこむ水の音』と申します。あれは風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物で、沢庵・木庵・隠元禅師張り混ぜの小屏風、あの屏風はな、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、表具へやり、兵庫の坊主の屏風にいたします」
  なのだそうだ。主人公の松公ではないけれど、ぼくだって何度聴いても「ひょうごろ ひょうごろ」としか聞こえないなぁ(^^;;


■15分間の休憩のあと、後半2席目は『子別れ』だった。喬太郎さん、これは熱演だったね。ものすごくよかった。いっぱい笑ったあとで、熊五郎の息子「亀吉」に泣かされた。もう、オイオイ涙が止めどなく出ちゃって、父さんちょっと恥ずかしかったな。この一番の泣かせどころで、すっかり泳ぎ疲れた次男は、ぼくの膝の上で熟睡してしまい、なんと「いびき」をかき始めたのだ。「ヲイヲイ、この間はウンコで、今度はイビキかよ!」焦ったぼくは慌てて息子の首を曲げて、いびきの音が場内に響かないよう苦心したのだった(^^;;

それにしても、先だってテレビで見た柳家さん喬師の『八五郎出世』を聴いたときと同じような、落語の主人公が味わうのと同じ「幸福感」を、今回の喬太郎師の『子別れ』でも噺を聴きながら感じることができた。あぁ、落語っていいな。しみじみそう思えたのだ。一昨年に聴いた『お菊の皿』は、喬太郎さんがずいぶんと改変して現代風にアレンジし、大受けしていたが、『子別れ』はあまりいじってなかったね。それがまたよかった。どことなく、師匠の柳家さん喬師の雰囲気を感じさせる、上品で江戸の粋が漂う、じつにいい噺だった。柳家喬太郎さんはいいぞ!! 今さらながら、声を大にして皆に宣伝したい気分だ。

■終わってみれば、もう9時前。2時間近くの長講だったワケだが、ぜんぜん時間を感じさせなかったな。「お父さん、よかったね。ぼく泣けちゃったよ」 長男は安楽寺の本堂を後に、そう感想を述べた。満足してくれたようだ。次男は「うちに旦那も1匹おりますが、近頃さかりがつきまして、家にはちっとも寄りつきません。古い海老の尻尾でもくわえて来たのでしょう、腹をこわして座敷じゅう、ピーピー垂れ流し……」の部分だけが面白かったそうだ。小学3年生には、落語はまだ無理か。

まだ、夕飯前だったので、明治亭でソースカツ丼でも食って帰ろうかと思ったら、もう店じまい。幸い、奥の「トラットリア小椋」はまだ開いていて、スパゲティとピザにありつけた。伊那のウエスト・ビレッジにあった頃以来だから、じつに久しぶりだな。ここは美味しいや。生ハムのサラダも、ピザも、トマトとナスのパスタ、にんにくと唐辛子のパスタ、みなじつに旨かった。そう言えば、明日の日テレ夜10時「バンビーノ」も楽しみだね(^^)

  伊那のパパズ「絵本ライヴ」(その29)at the 山梨県北杜市「ながさかコミュニティホール」 2007/06/03 

■山梨県北杜市ながさか図書館へは、昨年の3月に出向いていて、今回が2度目の「絵本ライヴ」。また呼んでもらえて本当にうれしかったデス(^^)

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『はじめまして』に大型絵本があったとは、知りませんでした。ながさか図書館からお借りしてご披露とあいなった次第。
1)『くだものなんだ』きうちかつ(福音館書店)→ 伊東
2)『ハエくん』グスティ・さく、木坂涼・やく(フレーベル館)→ 北原

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3)『パンツのはきかた』岸田今日子・さく、佐野洋子・え(こどものとも年少版 /2007年5月号 福音館書店)
4)『かごからとびだした』

5)『さかさのこもりくんとおおもり』あきやまただし(教育画劇 )→ 宮脇
6)『どろんこそうべえ』たじまゆきひこ・作(童心社)→ 倉科

7)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)
8)『世界中のこどもたちが103』新沢としひこ・中川ひろたか(講談社)

9)『うちのかぞく』谷口國博・文、村上康成・絵(世界文化社)
10) 『おどります』高畠純(絵本館)

 

  与太郎、与太っ子、与太ばなし        2007/06/02 

■先だって東京から送ってもらった『東京かわら版』6月号を読んでたら、こんな文章にぶつかってビックリした。
 ここ数ヶ月のいくつかのこと。新聞の投書欄に「落語の与太郎はよくない」という趣旨の一文が掲載されたことがあった。与太郎は時代にそぐわない、という着眼には何を言ってんだか、という思いを持ったが、与太郎を現代の何らかの病気の人に置き換えられたら、果たして理路整然とした反論を試みることができるのだろうかと、自問。投書の意見は広がっていないが、その投書を「一つの意見」と認め、掲載に踏み切った新聞社の担当者がいたという事実を事実として受け止めないといけない。
(「演芸ノ時間」第8回、渡邊阿Q『東京かわら版』6月号、35頁)
まぁ、こういう投書を載せるのは朝日新聞に違いないから、「与太郎 投書欄」で検索してみると、あったあった。やっぱり朝日新聞だ(^^;;

【与太郎モノの落語は慎重に】 (2007年1月23日 朝日新聞朝刊)

いや、まいったなあ。6月12日(火)の昼休みに「軽度発達障害」に関する講演を頼まれていて、はてどうしたものかと、ずっと悩んでいたのだが「そうだ! ぼくの好きな落語を聴きながら解説できるかも」と思いついたばかりだったからだ。江戸時代の昔から、現在なら「軽度発達障害」と診断されるかもしれない人たちはたくさんいた。ごく普通にね。例えば、落語界の人気者「与太郎」は、軽度MR(精神発達遅滞)だろう。IQ が70前後の、ちょっとだけ「ボーっ」とした男。間が抜けてはいるが、変なところだけ機転が効いて周囲を「あっ」と言わせたりすることもある。長屋の大家さんやご近所さんに親戚一同がみな、彼の日々の暮らしを心配していて、あれやこれやと世話をやいている。それが与太郎だ。

■与太郎が活躍する噺は、柳家門下の噺家さんが得意としているが、先代の三遊亭金馬も、与太郎モノがじつに上手かったな。『錦の袈裟』に登場する与太郎には、ちゃんとよく出来た女房がいる。しかも、この噺で一番いい思いをするのが与太郎だ。『孝行糖』に、『金明竹』もいいね。「おいさん、面白いよ! ひょうごろ、ひょうごろ言ってるんだ、この乞食」。あとは、『道具屋』『大工調べ』『かぼちゃ屋』『ろくろっ首』、いっぱいあるねぇ(^^;) これ、みんな、ダメなのかい?

「軽度発達障害」と言えば、桂文楽や古今亭志ん朝が演じた『酢豆腐』に、「こんつわ!」と言って登場する横町の若旦那は、今で言うところの「アスペルガー症候群」に違いない。浮き世の世間知らずで、その場の空気が読めない。横町の若い衆の嫌われ者。でも、なんで嫌われているのか自分では分からない人の良さ。哀愁を感じさせる落語だ。

『堀の内』『粗忽の釘』『粗忽の使者』は、AD/HD(注意欠陥多動障害)の極端な誇張例に相当すると思う。当時は、自分もまわりも、みな分かっているからいいんだね。つまり、「軽度発達障害」という診断名は、その時代の「許容能力(包容力)」によるところが大きいのだ。江戸時代には、いろんな人がいることが「あたりまえ」の時代で、そんな病名は全く必要なく、軽度精神発達遅滞の人もアスペルガー症候群の人も注意欠陥多動障害の人も、しょうがないなぁとは周囲から思われつつも、仲間として受け入れられ、共に暮らしてきた人たちであったはずだ。

ところがこの現代は、朝日新聞の投書欄に堂々と「与太郎はよくない」と載るような、「軽度発達障害」の人たちには居心地の悪い住み難い世の中になってしまったんだよなぁ。嫌な世の中だねえ。ほんと。

■朝日新聞が嫌う「ハンディキャップのある人を扱った落語」は、じつはいっぱいある。特に「盲人」を主題にした落語に名作は多い。
"sceneless" が主人公の噺には、「景清」「心眼」「麻のれん」「九段目」「三味線栗毛」などがある。見えない人がちょっぴり出てきて噺に味を添えるものには、「お化け長屋・下」「猫定」「真景累ヶ淵 宗悦殺し」などがある。さらに、「文違い」の芳さんのように、盲人本人が登場するのではなく、見えないという状態そのものが話の材料になっているこのもあって、「ご盲人」は、実は与太郎や粗忽者と並ぶ落語世界の花形とさえ言えるかもしれない。(中略)

 落語は、ちょっぴり「やばい」こともあり、ちょっぴり「アヤシイ」ところもある大人の芸術と言われる。でも同時に、いじめられ役をつくらない「幸福の芸術」として世界に類を見ない話芸の道をたどってきた。もちろん、当初は社会の意識が低い時代のことでもあり、弱者を笑いの対象にしてしまう側面がなかったとは言えないかもしれない。しかし落語はそうした社会の限界を克服してきた。弱者の尊厳を尊重し、傷つけない方法を選ぶという独特の進化を遂げてきたのだ。そして現在では、「按摩の炬燵」の米市を幇間に置き換えるまでの配慮を発揮できる芸術に育っているのだ。(中略)

 安心して落語が楽しめるという意味では、寄席に "sceneless" が来たら盲人モノをやらないという配慮には心から感謝する。またそれ以上に、差別用語を使わないようにしていただいたことで、私たちはずいぶん幸せに落語を聴けるようになったと思う。でもこれからはむしろ、本人のいないところで高座にっかけるというよりも、「ご盲人」本人をも含めて全員に笑顔をプレゼントしてくれるような落語を作り上げていただけたら嬉しいという気もする。
 賛否はあるだろうが、盲目をテーマにした噺でも、琴線にふれる作品であれば、盲目を理由に避けるよりも、演者とお客さんみんなでさらに高い次元に作り上げることだって考えてもよいのかもしれない、と私は思うのだ。
 ただし誤解のないように書き添えておくが、これは差別用語や揶揄の表現を復活させてほしいという意味では断じてない。こういう言葉を「使わずに」うまい落語を作ってほしいという意味である。これらの言葉は昔は差別的に使われていなかったとして、言葉に目くじらを立てずに文化ととらえようとする見方もあるようだが、こうした言葉で実際に傷ついている立場の人がいるからには、やはりそうした言葉は封印してほしいと素朴に思う。

 本当の笑いは、すべての人、特にもっとも悲しんでいる人を救えてこそ普遍の価値をもつと言えるのではないかと思う。与太郎のぼんやりも、職人の無筆も、粗忽者の失敗も、そして盲人たちの悲喜劇も、全部同じ「笑える人間の姿」として描けるのが落語のすばらしさなのだから、一落語ファンの私としてはそこをいかしてほしいのだ。

『福耳落語』三宮麻由子・NHK出版 146〜154頁)
全盲のエッセイストである、三宮麻由子さんの「この文章」を、当の朝日新聞投書欄の担当記者は読んだことがないに違いない。


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