しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
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2007年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月>

●「不定期日記」●

  『八月の濡れた砂』         2007/08/31 

■八月の終わりに、どうしても見たい映画があった。『八月の濡れた砂』藤田敏八監督作品(1971年日活)だ。7月28日の夜に、NHKBS2でフランス映画『冒険者たち』(1967年、ロベール・アンリコ監督作品)の放映があって、昔から大好きな映画なのにビデオでは持ってなかったから、録画しながら見ていたのだが、ジョアンナ・シムカスが愛おしくって、切なくて、結局そのまま最後まで見てしまった。水中葬のシーンが、昔見て目に焼き付いていた通り、やっぱり素晴らしかったな。

脚本は、あのジョセ・ジョバンニだったんだね、知らなかった。それから、ジョアンナ・シムカスはこの映画でしか見たことなかったから、美人薄命で若くして死んでしまったものと思っていたのだが、『夜の大走査線』のシドニー・ポワチエと結婚した後に映画界を引退したんだね。原節子と同じく、今もどこかで生きているんだな。

『冒険者たち』は、8月の映画だ。暑い暑い夏に見るのが正しい映画だ。そう思いながら映画を見ていて、ふと、夏の終わりに見るべき映画が「もう1本」たしかあったよなぁ、と思った。それが、この『八月の濡れた砂』だ。監督は藤田敏八、脚本はあの伝説の大和屋竺。そして主題歌を歌っているのが、井上陽水夫人の石川セリだ。



あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が血潮を 流しているの
あの夏の 光と影は
どこへ行ってしまったの


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このシングル盤、大切に仕舞っておいたはずなんだけど、いま納戸を探してみたら見つからない。あれあれ?

■確かまだ中坊のころ、林美雄のTBSラジオ、パックイン・ミュージックで、さんざん聴かされたから、高校生になって東京へ行った際、新宿アンダーグラウンド・シアター「蠍座」で、1人でこの映画を見た。文字通り、映画館「新宿文化」の地下の、天井が異様に低い、基礎の鉄筋の柱が乱立していて、スクリーンが見にくい変な映画館だった。その後、大学生になって都内の名画座をあちこち通うようになった時には、既に新宿の「蠍座」はなくなっていた。池袋文芸座、銀座並木座、大塚鈴本シネマ、上板橋東映……。何処でだったかもう忘れてしまったけれど、「この映画」は確か、もう一度だけ映画館のスクリーンで見た記憶がある。

いま、これを書きながら手持ちのビデオで流しているのだが、改めて見ると『冒険者たち』と比較しうる傑作であるかどうかはわからない。でも、ぼくにとっては絶対に忘れられない「夏の終わり」の青春映画なのだった。

  最近読んでいる本について(その1)         2007/08/29 

■1年が経つのは早いもので、今年も上伊那医師会付属准看護学院1年生への「小児看護」の講義が、今日からまた始まった。10月17日(水)まで「8回」あるが、毎年時間が足りなくて四苦八苦している。今日も、予定では乳児死亡率と、年齢別死亡原因ランキング、それから乳児突然死症候群のところまで話すつもりだったのだが、結局今年も、予防接種のところで時間切れとなった。ぼくの講義では、黒板への板書の時間が多いので、その時間が無駄になっているのかもしれない。でも、学生さんが僕の下手な字を一生懸命ノートに書き写すことで、新たな知識が脳味噌にインプットされるという利点も捨てがたい。

Powerpoint を使ってスクリーンに映したり、講義のポイントをまとめてコピーして配れば時間の短縮になるに違いないのだが、アナログ人間のぼくは、未だに踏み切れないでいるのだった。

毎年、講義の始めに、絵本『さるのせんせいとへびのかんごふさん』(ビリケン出版)を読むことに決めている。読み終わってから「え〜、みなさんも、このへびのかんごふさんを目標に頑張ってくださいね!」と言って決めるのだ。ところが今年は魔が差した。ふと思い立って、『うんちっち』を読んだのだ。結果は散々だった。読みながら学生さんたちが引いてゆくのがリアルに感じられた。でも、めげずに最後まで読んだ。「ややウケ」止まりだったな。切なかったが、来週リベンジしてやるのだ! でも、敵は手強いぞ!!


■午後3時半〜5時の講義が終わって自宅へ帰り、一息ついて早めの夕飯をかき込み、午後7時前には伊那中央病院救急部に到着。今日は、夜間救急の当番なのだ。行くと、今日も担当看護師さんは下平さんだった。前回も、前々回も、下平さんだった(^^;;  どうも、外来婦長さんは、ぼくが行く日は下平さんを当てるように勤務表を組んでいるのではないだろうか? いや、事実はわからないのだが……

この日は結局、14歳の中学生の発熱患者さんを1人診ただけで終わった。なんだか申し訳ないようだった。下平さんは「こんなに静かで平和な夜はめったにないから、ちょっと恐ろしい」みたいなことを言った。救急部の日常が、こんなものだと思われては困るということなのだろう。時間外の患者さんが多ければ多いだけ困ってしまうし、少な過ぎればそれだけ、ぼくら開業医の出動コストが伊那市の財政赤字にモロ直結するワケで、そのあたりの塩梅がじつに難しい。

■ところで、いま読んでいる本の覚え書き

1)『双生児』クリストファー・プリースト著、古沢嘉通・訳(早川書房)
 ずいぶん前に読み始めたのに、ぜんぜん読み進まないので困っている。たぶん、「週刊ブックレビュー」を見てしまったからいけないのだな。美人翻訳家の羽田詩津子さんはファンなのだが(特に、カズオ・イシグロ『私を離さないで』の感想は白眉)、彼女の話から何となく本の仕掛けが分かったような気がして興を削がれたので、読むのを休んでいる。

2)『人民は弱し官吏は強し』星新一(新潮文庫)
  これは面白い。星新一の父親、星一は、とことん日本人離れした希有な人物だったんだね。だから、不必要な妬み嫉みを一身に背負って、日本人独特の、ねちねちとしつこく嫌らしい「お役人のいじめ」に遭うこととなるのだ。その「お役人体質」は、あれから80年以上経って、安倍内閣が改造された今でも、まったく変わることはない。恐ろしいことだ。

3)『古本マニア雑学ノート』唐沢俊一(幻冬社文庫)
  これは、ほぼ読み終わったが、じつに面白かった。表紙に、The Bibliomania Trivia Notebook と書かれているが、「ビブリオマニア」というのは、=「活字中毒者」のことではない。この本を読んでわかったのだが、ぼくは「活字中毒者」ではあるけれども、決して「ビブリオマニア」ではないな。古本に対して、この本の著者、唐沢俊一氏ほどの「愛」を、いままで感じたことがなかったからだ。古本業界に巣食う、ディープでトンデモな人々の怖ろしさ、凄さを思い知らされた1冊。

 著者が長年収集してきた、とっておきの秘蔵本が、表紙画像付きで数多く紹介されているのも見ものだ。中でも、大戦中に海軍技師としてバリ島へ赴任した著者(吉田昇平氏)が、南太平洋の人々の大らかな性風俗を紹介している『キンタマニー湖の魔女』という本がどうしても読んでみたくなったのだが、入手可能なんだろうか?

4)『オオカミ族の少年/クロニクル千古の闇1』ミシェル・ペイヴァー作、さくまゆみこ訳(評論社)
  先日11歳になった長男から薦められて読み始めた本。最初、伊那東小学校にある「この本」を、彼はわざわざぼくのために借りてきてくれた。ぼくがぜんぜん読み始めないので、彼は仕方なく返却し、それでも諦めずに、今度は伊那市立図書館で「この本」を見つけて借りてきて「お父さん、読んでみて!」そう言った。そこまで言われれば、父親として読まない訳にはいくまい。

 という訳で、ようやく半分まで読み進んだ。これは確かに面白い。日本でいえば縄文時代の話なんだけどね。奥がじつに深い物語なのだ。しかも、展開がジェットコースター的にスピーディーで読者を全く厭きさせない。そこが現代的だね。(つづく)

  外来小児科学会 in 熊本(その2)         2007/08/26 

■土曜日の「コラボレーション・セミナー」、時間通り無事終了してホントよかった。ホッとしました。佐々木先生、住谷先生、小野先生、高田先生ありがとうございました。

日曜日は、帰りの飛行機を熊本発 11:55 の早い便に変えたことと、前日の夜に生ビールだ焼酎だと飲み過ぎてしまい、すっかり朝寝坊してしまったので、結局学会場へは行かずに、ホテルから熊本空港へ直行。搭乗前に熊本ラーメンを食った。うまかった。名古屋では、帰りの特急しなの乗り継ぎまで40分ほど時間が空いたので、千種の「メルヘンハウス」に寄る。

ちょうど店主の三輪さんがいらして、「北原先生、あの本読みましたよ! すごいですねえ。驚きました。」と声をかけられた。一瞬なんのことだか分からなかったが、前回、3月だかに訪れた際に「もし、よろしかったらこれ読んでみて下さい」と、伊那小3年秋組の本『メイメイ家族となかまたち』をお渡ししたのだ。三輪さん、ちゃんと読んでくれたんだね。うれしかったなあ。

夕方5時過ぎには自宅へ帰り着いた。やれやれ疲れたね。

  外来小児科学会 in 熊本              2007/08/24 

■という訳で、今晩は熊本のワシントンホテルに泊まっています。部屋から ethernet で無料ネット接続ができるので、今日は熊本からサイトの更新ができるというワケさ(^^) 世の中、便利になったものだねえ。

予定通り、木曽福島発 13:19「特急しなの」に乗って千種で下車。金山で名鉄「滑川線」に乗り換えて中部国際空港へ。午後3時半過ぎに到着した。ANA 熊本行きは、16:30 発。余裕じゃん。この経路が一番早くて楽だと思う。ただし、木曽福島駅の駐車場料金が高い(1日 1000円、今回2日半で、2,600円取られた)のが難点か。

■明日は学会のコラボレーション・セミナーで発表(プレゼン)しなければならないのだ。これから最後の予行演習をするところ。


■今日も「お気に入りの詩」をご紹介して、おしまいにしますね。

 「雨」 竹内浩三(『戦死やあわれ』岩波現代文庫より)


「ざんござんごと雨がふる」 「ぼくは一人で がちんがちんとあるいた あるいた」 こういう「オノマトペ」の使い方は、宮澤賢治的と言うよりも、むしろ、椎名誠的、いしいしんじ的だよね。それにしても、惜しい人を亡くしたな。

 

  『ほほえみには ほほえみ』川崎 洋(童話屋)    2007/08/22 

■ぼくは昔から「詩を読む」という習慣がほとんどなかったのだが、フォークは好きだったから、高田渡が歌う「生活の柄」の作者、沖縄出身の詩人、山之口漠は知っていたし、友部正人の「一本道」の歌詞なら全部暗唱できる。加川良や吉田拓郎、泉谷しげる、荒井由実それに、作詞家の岡本おさみや、阿久悠の歌詞も好きさ。

そんなぼくだが、最近になってようやく「詩」を読み始めた。去年の10月だったか、駒ヶ根高原美術館で、童話屋代表取締役の田中和雄さんが「詩」に関する講演会・朗読会を開いて、家族みんなで聴きに行ったのだ。その時、田中和雄さんは『詩のこころを読む』茨木のり子(岩波ジュニア新書)という1冊の本との運命的な出会いの話をしてくれた。それがものすごく印象的だったから、ぼくもまずは、この本の巻頭に載っている、谷川俊太郎さんの詩「かなしみ」から読んでみることにしたのだ。そう、「透明な過去の駅で 遺失物係の前に立ったら 僕は余計に悲しくなってしまった」という、あの詩だ。

いやぁ、「詩は別腹」と岡崎武志さんは『読書の腕前』(光文社新書)の中で書いているけれど、ほんとだね(^^;) 詩はいいなぁ。特に、声に出して読んでみると、とっても気持ちがいい。

今日の昼休みに読んだ詩集は、『ほほえみには ほほえみ』川崎 洋(童話屋)だ。これがとってもよかった。詩なので「引用」することができないから困ってしまうのだが、ネットで検索すると、合法的か非合法かは分からないけれでも、「こんなサイト」がちゃんとあるんだね。ありがたいな(^^)

引用ついでに、最近ぼくがすっごく気に入っている詩をご紹介しましょう。

「ぼくもいくさに征くのだけれど」竹内浩三(『戦死やあわれ』岩波現代文庫より)

  まほら伊那地球元気村での、パパズ伊那「絵本ライヴ」(その33) 2007/08/20 

■8月18日の午後1時半〜3時、伊那市横山鳩吹公園「まほら伊那地球元気村」での「野外絵本ライヴ」も今年で3年目。まぁ、何も宣伝しなかったから仕方ないのだが、この猛暑の中、しかも1日で一番暑い時間帯、お盆過ぎの夏休み最後の週末。地元の人は誰だって、冷房の効いた自宅から、わざわざ子供たちを連れて出ようと思わないだろうなぁ、やっぱり。という訳で、この日参加してくれたのは、地球元気村の予定参加者11人+身内家族が9人のみ。我が家の妻と息子2人は、同時開催の「木工教室」の方へ参加したため欠席だった。気張らず力まず、ゆる〜く始めてゆる〜く終わった「絵本ライヴ」であったが、そうは言っても、外でやるのはやっぱり気持ちいいねえ。

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●この日のメニューは……

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『わがままいもうと』(教育画劇)ねじめ正一・著、村上康成・絵 → 伊東
3)『もくもくやかん』かがくいひろし(講談社)→ 北原

4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

5)紙芝居版『くろずみ小太郎旅日記(その2)』川端誠(クレヨンハウス) → 坂本
6)『うちのかぞく』谷口國博ぶん、村上康成え(世界文化社) → 全員
7)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版) → 全員

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8)『キャベツくん』長新太(文研出版)→ 大滝パパ(静岡県静岡市清水区から地球元気村へ参加。すっごくいい雰囲気で「長さんの絵本」を読んでくれたよ!)

9)『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック(冨山房)→ 中島パパ(静岡県静岡市清水区から地球元気村へ参加。たしか去年も奥様・子供たちと参加してくれて、その時も飛び入りで『おばけがぞろぞろ』佐々木マキ、福音館を読んでくれた)前回も、今回も手慣れた読み方ですごく上手だった。近々静岡県にも「パパズ清水」ができるに違いないぞ!

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10) 『むしプロ』山本孝(教育画劇)→ 宮脇
11) 『しってるねん』いちかわけいこ・文、長谷川義史・絵(アリス館)→ 倉科

12) 『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)
13) 『世界中のこどもたちが103』新沢としひこ・中川ひろたか(講談社)



  まほら伊那地球元気村での「絵本ライヴ」は、今週土曜日午後1時半から 2007/08/16 

■まほら伊那地球元気村での「伊那のパパズ、野外絵本ライヴ(その3)」は、今週土曜日(8月18日)午後1時半〜3時、伊那市横山「鳩吹公園」奥の遊具施設のある広場で行われます。地球元気村に「入村手続き」をしなくても、我々の「絵本野外ライヴ」だけ見に来ていただいてで、一向に構いません。もちろん、入場無料です。今のところ、地球元気村参加者の中で見に来てくれる人は、大人+子供あわせて11人のみ。ですので、もしよろしかったら是非見にいらしてください。幸いお天気も良さそうです。でも、熱中症には気を付けて(^^;)

・ちなみに、去年の「まほら伊那地球元気村」での野外絵本ライヴの様子。

・ちなみに、一昨年の「まほら伊那地球元気村」での野外絵本ライヴの様子です。

■という訳で、今週末は「まほら伊那地球元気村」に家族で参加。で、来週末は熊本で「外来小児科学会」だ。毎年のことだけれど、忙しいね。飛行機は予約してある。行きは、8月24日(金)16:30、名古屋中部国際空港発の熊本行き。帰りは26日(日)熊本発、18:20 名古屋行き。その前の便が、熊本をお昼前発の便しかなかったので、あまり深く考えずにこの便にしたのだが、よーく考えてみたら、これだと、午後7時名古屋駅発の最終の「特急しなの」に間に合わないじゃん。

行きの金曜日は、お昼まで診療してから車で木曽福島まで行って駅の駐車場に車を置き、「特急しなの」で名古屋に出て、そこから名鉄に乗り換えて「中部国際空港」へ向かうつもりでいたのだ。帰りの列車を先ほどあわてて時刻表を調べてみたら、木曽福島に 22:25 に到着する普通列車がある。でも、中津川発 21:26 のこの最終列車に乗るには、名古屋発 20:10 の中津川行き普通列車に乗る必要がある。熊本発の飛行機が名古屋中部国際空港に着くのが 19:35。これは到底無理だな。名古屋に泊まって、翌朝月曜日の始発の「しなの」7:05 発に乗っても、木曽福島着が 8:23 だから、これだと8時半に診療開始に間に合わない。

ということは、「中部国際空港」までは伊那から行き帰りとも自家用車で行くしかないということになる。そうか、ちょっと厳しいな。帰りの便を早いのに変えるしかないか(^^;;

  高遠中学校3年2組同級会 と 衝撃的な、竹内浩三の詩のこと    2007/08/12 

■昨日の8月11日(土)夜、高遠町「さくらホテル」で、ぼくら高遠中学校3年2組の同級会が5年ぶりで開催された。信州大学教育学部を卒業して、新任で高遠中学校に赴任した日野谷則男先生が、初めて受け持ったクラスが「われわれ1年2組」だった。僕らは10代前半の生意気盛り。日野谷先生は、当時の日曜日の夜8時から「日テレ」で放送されていた、村野武範がサッカー部顧問を演じた学園ドラマそのままの感じだったな。先生もまだ若かったが、僕らもまだ未熟だった。

その日野谷先生が、今年「還暦」を迎え、現在は松本の中学校の校長先生だという。そのお祝いも込めて、今回の同級会は企画された。還暦というのは、確か60歳のお祝いだよね。ところで、ぼくらは今年49歳になる。図らずも、誰かが挨拶で言ったけれども、当時はぜんぜん気が付かなかったが、先生と僕らは、たった10歳ちょっとしか年が違わないのだな。これは本当に驚きだ。でも実際に、会場に現れた日野谷先生は当時と変わらぬ若さだったし、当時と変わらぬ声で、知らない人が見れば、先生も同級生かと見間違えたかもしれない。そうは言っても、先生は先生なんだよね。もう圧倒的に先生。そういうものだ。

われわれもみな、年相応に責任のある立場になっていた。支店長代理、社長、部長、副総婦長、などなど。聴けばみな、それぞれに大変なようだ。高遠中学校を卒業して35年が経とうとするが、それにしてもみんな変わらないねぇ。男子も女子も、ほとんどみな昔のままじゃないか。うれしかったな(^^) 還暦のお祝いは、赤いちゃんちゃんこではなくて、「真っ赤なTシャツ」だった。背中には、中3の修学旅行で奈良の法隆寺前で撮った集合写真(何と白黒写真!)がプリントされていた。幹事の元幸君らのアイデアだった。すっごくいいんじゃないか。日野谷先生、赤いTシャツがすごく似合っていたよ。

1次会が終わって、みな2次会に流れたあと、1人タクシーで帰宅。いろいろと雑用を済ませてテレビを付けると、NHKで「竹内浩三 詩にこめた戦時下の青春」という番組をやっていた。これは驚きだったな。あの当時、いまの僕らと同じ感覚で青春していた、知られざる詩人「竹内浩三」という人がいたとは!

「骨のうたう」という詩を、まずは読んで欲しい。信じられないような、その「現代性」には、たまげるばかりだ。

  三遊亭圓朝・作 『怪談牡丹燈籠』(その2)         2007/08/10 

■三遊亭圓朝・作、と言われる落語の演目は、いったいどれくらいあるのか?

『文七元結』『芝浜』『黄金餅』『心眼』『死神』『大仏餅』
『鰍沢』『双蝶々』『福禄寿』『菊模様皿山奇談』『名人長二』
『塩原多助一代記』『粟田口霑笛竹』『業平文治漂流奇談』
『熱海土産温泉利書』『名人くらべ(錦の衣)』『松操美人の生埋』

『真景累ヶ淵』
『怪談牡丹燈籠』
『鏡ヶ池操松影(江島屋騒動)』
『怪談乳房榎』

まだまだあるらしいが、これ以上はよくわからない。

今週の水曜日の午後に、伊那市立図書館へ行って調べてみたら、晩年の古今亭志ん生が演じたものを中心に、三遊亭圓生のもの(『文七元結』『鰍沢』『双蝶々』)など、けっこうテープがあった。『真景累ヶ淵』は、先代の林家正蔵(彦六)師が演じたテープが続き物で数本、『怪談乳房榎』は昭和38年7月録音の三遊亭圓生のものがあった。で、取りあえず『怪談牡丹燈籠』を2本借りてきた。

1本目は、昭和38年8月30日の東横落語会で、『怪談牡丹燈籠』の発端部を、古今亭志ん生が「刀屋」を、続けて三遊亭圓生が「萩原新三郎」をリレーで演じた珍しいテープだった。2本目は、三遊亭圓生が昭和41年の夏にTBSでやった「お札はがし」と「栗橋宿」。

ついでに、『怪談牡丹燈籠』(岩波文庫)『真景累ヶ淵』(岩波文庫)も借りてきた。暫くは楽しめそうだぞ。でも、本やテープを手元に置いてあるだけで、何だか不気味だなあ(^^;;

  三遊亭圓朝・作 『怪談牡丹燈籠』(その1)         2007/08/08 

■ずっと不調で、だましだまし機嫌を取りながら使ってきた、診察室のパソコン(NEC VALUE STAR/2001年1月製造)だが、最近では、ふと気がつくと画面がフリーズして動かなくなってしまう。コンセントを抜いて差して、強制的に再起動するしかない。でもまた暫くすると固まってしまう。これではどうしようもないと諦めて(過去に2度も修理しているのだ)、パソコンを新調することに決めた。今度のは、iMac 20インチだ。7月下旬に注文したら、昨日ようやく届いた。今日の水曜日は午後休診だったから、早速セッティングした。それにしても、今のパソコンはただコンセントを入れるだけで、面倒な操作は一切必要なく「あっ!」という間に設定が完了してしまうんだねぇ、ビックリだ。

意気揚々と、Mac OS X 付属の「サファリ」でネットに接続したら、アップルの最新ニュースが載っていた。
「アップル、新しいiMacを発表  全てのモデルを一新し、なめらかなアルミニウムの20インチと24インチのデザインで新登場」だって。しかも、今日8月8日発表だと。なんだかなぁ、それならそうと、もうちょっと早く言ってくれよなぁ。そしたらあと半月、購入を延期したのに。世の中、そんなもんだよな。ま、いいか(^^;;


●ところで、来る8月11日は、三遊亭圓朝の命日だ。1900年(明治33年)のこの日に、進行性麻痺兼続発性脳髄炎が原因で死亡したという。享年61。月刊『東京人』の最新号は、その「三遊亭圓朝」の特集。表紙の惹句には、こう書かれていた。「江戸明治を駆け抜けた、落語界のシェイクスピア」だって、凄いね。落語界のシェイクスピアだよ! さっそく TSUTAYA へ行って買って帰ったが、三遊亭圓朝に関する基礎知識がないもんだから、書いてあることが、何だかよく分からない。

と言うわけで、先週の水曜日の午後に伊那市立図書館へ行って『牡丹燈籠 六代目三遊亭圓生』(新潮カセットブック)を借りてきた。A面に「怪談牡丹燈籠 栗橋宿」、B面は「関口屋のゆすり」。これを昼休みに聴いてみたのだが、昼寝をするのも忘れて聴き入ってしまった。面白い! 登場する幽霊は、ぜんぜん怖くないのだけれど、死んでしまった者よりも、生きている生身の人間のほうがよっぽど恐ろしい、という噺なんだね。なんの因果か、ごくふつーの人間が業と欲に目が眩み、悪の道へと奈落の底へずんずん落ちて行くのだ。

三遊亭圓朝って、じつは明治の「ジェイムズ・エルロイ」だったんじゃぁないか? ノワールだよね、噺が。巡り巡って、振り出しの戻るみたいな、因果応報。もうどろどろの凄まじい世界だ。

ところで、『怪談牡丹燈籠』という噺は、ものすごく長くて、作者の圓朝は、寄席で毎夜30分くらいずつの続き物として、語り継いだのだそうだ。「刀屋」「萩原新三郎」「お露と新三郎」「お札はがし」「栗橋宿」「関口屋のゆすり」と、続くらしい。もしかすると、途中抜け落ちている噺もあるかも。いずれにしても、話の発端から通しで聴いてみたいものだ。


  伊那まつり その他の話題          2007/08/05 

■4日の土曜日は、伊那まつりの「市民おどり」に伊那東小3年生の「めぶき連」で参加した。と言っても、ドラゴンを踊ったわけではなくて、子供たちの飲み物を運搬するためのリヤカー引きだ。午後3時に校庭に集合して合庁前まで移動し、4時半から「大わらじ」を担いでオープニングパレード。午後5時半からは市民おどりがスタート。それから夜9時過ぎに東小で解散するまで、ほんと長丁場だったが、子供たちもみんな最後までよく頑張ったね。台風の通過で心配されたお天気だったが、夕方からは青空が広がり、吹き抜ける風が気持ちよかった。夕立もなく本当によかった。PTA学年会長の山崎さんほか役員のみなさま、本当にありがとうございました。

■5日、日曜日は11時過ぎに家を出て、いつもの八ヶ岳へ。お昼は「くまぶろ」で知った「Grove Cafe」。今年の5月に、甲斐小泉の森の中、隠れ家のようにひっそりとオープンした店だ。お目当ては、最近新たに始めたばかりの「石釜ピッツァ」。

小淵沢インターを下りて右折し、最初の信号を右折。突き当たりを更に右折して小海線の踏切を渡り、リゾナーレの前を左折し、そのまま「八ヶ岳広域農道」を直進。三分一湧水そばの「小泉小学校北」信号を通り過ぎてしばらく行くと、左手に「高原アートギャラリー八ヶ岳」があって、その手前を左折して八ヶ岳に向かって上って行くと、右手に昔の小学校の校舎を思わせるような、新築だけどちょっと懐かしい感じの木造2階建ての「Grove Cafe」が現れる。周りはペンションや別荘が散在する、じつに静かな森の中だ。

すっごく大きな全面ガラスが開放感があって気持ちいい。開け放たれた窓からは涼しい風が吹き込んでくる。子供たちは早速外に飛び出して虫探しだ。カウンターの右奥に噂の石釜があって、薪の火が中で燃えているのがよく見える。日曜日のお昼時だったので、次々とお洒落な身なりの(近くに別荘があるんだろうなぁ、車はベンツだった)お客さんが入ってくる。けっこう流行っているみたいだぞ。若い夫婦二人で切り盛りするのは大変なんじゃないか。

ぼくらが注文したのは、アンティパストに「生ハムの盛り合わせ」と「おかひじきとおか海苔のチーズとガーリックオイルあえ」。この「おかひじき」が実に美味かったな。シャキシャキした歯ごたえが癖になる味だ。長男が気に入ってしまい「また来週来て、注文しようね!」と言った。

メインは、スパゲティ・マリナーラと、石釜ピッツァを2種類。アンチョビとトマトベースのロマーナと、塩味のゴルゴンゾーラ。このピッツァは、ちょっと他では味わえない美味しさだ。生地がもちもちしていて、何とも美味しい。しかも石釜焼きでしょ。薪の香りがするんだ。これは癖になるかもしれない。近いうちにまた来よう。

昼食後、「八ヶ岳広域農道」に戻って大泉へ。目指すは「絵本の樹美術館」。近くには「ん路湖」もあるが、今日は寄らない。「絵本の樹美術館」では「さるかに合戦」をやっていた。うちの子供らはもう慣れたもので、さっそく衣装を身につけると勝手に遊び始める。あともう何年、こうして照れることもなく、ぼくに付き合ってくれるのだろうか? なんか、しみじみしてしまったな。2階の「宮原洋一写真展」もよかった。ぼくがちょうど、小学校6年生ぐらいっだった頃の写真だね。懐かしいな。

■帰宅後一休みして、午後6時過ぎに「花火大会」を見るために市庁舎まで歩いて行く。伊那に移り住んで10年になるが、花火大会を打ち上げ現場の間近で見たのは今回が初めてだ。いやぁ、迫力でした。

  南大東島 大東太鼓&島唄コンサート     2007/08/03 

■すばらしいコンサートだったな。

今日は午前も午後も患者さんは少なくて、昼休みの3歳児健診の前には、しっかり「お昼寝」を45分間もしたし、夕方も6時前には診療を終了したので、余裕で夜7時からの「南大東島 大東太鼓&島唄コンサート」に間に合うはずであった。ところが、6時過ぎに電話が鳴った。「子供が夕方から熱を出しているんですけれど、これから診てもらえますか?」と。困ったな。仕方ないので「申し訳ないですが、これからコンサートに出かけるんです。すみませんけれど、伊那中央病院で夜7時から9時まで医師会の先生が一次救急に従事されているので、そちらを受診してください」と言って断ってしまった。ごめんなさい。そしたら6時10分過ぎに、今度は直接来院した子供がいて、そこに来ている子供をさすがに断ることもできず、診察して薬を処方して、ついでに、急ぎのメールを打ってなどしてたら、すっかり6時半を回ってしまっていた。

あわてて車に乗り込み伊那文化会館へ向かうと、もうすでに駐車場は満杯。ちょっとズルして駐車スペースではない通路に停めて、急いで会場へ。大ホールだからゆとりだろうと思ったのが大間違い。既に1階2階席は空きがなくて、仕方なく最上階の最後部から3つ前の座席にようやく家族4人で並んで坐ることができた。伊那文化会館大ホールの固定総座席数は「1512席」あるという。そのほとんどが、聴きに来た伊那市民で埋まったのだから驚きだ。

グリーンファーム社長の小林さんが挨拶で「南大東島の全人口(1350人)よりも多い人たちが、今日この会場に集まってくださいました!」と言っていたが、嘘じゃなかったんだね。

ボロジノ娘がよかった。2年前に伊那へ来たときには、メンバーの半分がインフルエンザに倒れて来られず、たった3人だけでのステージだった。今回はフルメンバーの7人が揃い踏み。三線の音の厚み、歌のハーモニー。ぜんぜん違う。じつにすばらしい。素朴なサウンドに「歌の原点」を見る思いがした。今回は、『涙そうそう』とか『島唄』『花』など、メジャーな曲をやったのもよかったと思う。特に、『島唄』を歌った女の子。ベンチャーズ真っ青のギターソロも巧かったが、声量のある歌声が心に響いたよ。

大東太鼓は、2年前のコンサートの時には「小ホール」だったので、地響きのように太鼓の振動がずんずん響いてきて、その迫力に驚いたのだが、今回は3階席だったから、そこまでの迫力は期待できないなと諦めていたのだが、いやいやどうして、大変な迫力だった。一糸乱れぬ群打は、それはそれは見事だった。今日の日のために、よっぽど練習を積み重ねてきたんだろうね。

いやいや、感動しました。毛賀澤くん、倉科さん、ほかコンサート実行委員会のみなさま、ほんとうにどうもありがとうございました。(^^)。


「今月のこの一曲」を久々に更新しました。見てね!

  伊那中央病院夜間一次救急出動(その2)   2007/08/01 

■7月31日(火)の夜は、今月2回目の伊那中央病院夜間一次救急当番。PM7時前に到着して、救急部事務当直の人に来たことを告げ「よろしくお願いします」と挨拶すると、事務当直の人は即座に自らの名を名乗り「ご苦労様です。よろしくお願いします」と、にこやかに挨拶を返してくれた。おぉ! なんか、前回とはぜんぜん応対が違うではないか。ビックリした。

さらに驚いたのは、この日担当だった男性看護師、下平さんの存在だ。プロの接遇とか、営業用の笑顔とか、そういうんじゃないんだ。この人は心底「いい人」なのだろうなという体温(暖かみ)が体から滲み出ているような人で、この日初出動だった黒河内先生といっしょに、下平さんから懇切丁寧な説明を受けた。ほんとうに有り難かった。もちろんこの日は、その他の看護師さんたちの笑顔もみな、素敵だったさ。 何なんだろう? この違い。こっちが普段の姿なんだよね。

この日は4人の子供を診た。最初の患者さんは、M・T君(4歳)、発熱と急な腹痛。心配そうなお父さんとお母さん。診察すると、おなかは硬くなく、喉は典型的な夏カゼののど。「いま、診させていただいて、今晩緊急で手術が必要な病気ではなさそうだ、とは言えると思います。のどの所見では、いま流行の夏カゼだと思います。たぶん明日には熱は下がると思いますが、もし具合が悪ければ、明日またいつも診てもらっている、かかりつけの先生に診てもらってください」そう言った。

よる9時半過ぎに最後の患者さんを診終わってから帰宅。リビングで待っていた妻が「出ていった後に電話があってね、お腹を痛がってるんだって。これこれこういう訳で伊那中央病院救急部へ行ったから、そちらを受診してくださいって言ったの」と言った。あ、その子だったんだね。その後、当院クリニックの診察室へ行って、7月の診療報酬チェックを始めたら、先ほど診察したM・T君のカルテが出てきた。当院を前回受診したのは、なんと今月末の24日じゃないか! なぁんだ、かかりつけ医は、ぼくだったんだね(^^;; あぁ、恥ずかしい。

 

  パパズ伊那「絵本ライヴ」(その32)伊那東小学校親子文庫  2007/07/28 

■昨日の金曜日の夜は、プリエで上伊那医師会「わかいの会」主催の講演会。講師は北原アンドレア先生。演題は「異文化に暮らす 家庭、教育、地域社会からみる自分と日本」。とっても面白かった。そして、いろいろと考えさせられた。

「自分が外国人だとか、異文化だとか、日本人と結婚したからとか、そういうことは、あまり意識しないで過ごしてきました。だって、夫がいて子供たちがいて、毎日の暮らしがあって、それって、人間、誰だっていっしょでしょ。オーストラリア出身は関係ない。人間はみんな同じよ。」

「子育てに関しても、日本人は漠然としている。あまり、ちゃんと真剣には考えていないね。私は自分の子供たちに対して、明確な目標を持って子育てしてきました。ひとつは、子供が世に出て、自分の行動に対してちゃんと責任が取れること。もうひとつは、何でもいいから一人前の仕事ができるようになること。その2つだけです。」

 自分の子供に対する親としての責任の重さを、当たり前のこととしてきちんと認識していること。その覚悟ができていること。凄いな、と思った。

■今日は、伊那東小学校3年生の PTA で、いよいよ来週の土曜日と迫った「伊那まつり」ドラゴン踊り出場のため、当日こどもたちの飲み物を運搬するためのリヤカー2台のペンキ塗りと飾り付け作業が、午後1時から3時まで行われた。午後2時に、診療を終えて東小の職員玄関前へ駆けつけると、すでに作業のほとんどが終了していた。なんにも手伝わなくてごめんなさい。

■いったん家へ帰って、3時半過ぎに再び伊那東小学校へ。今日は、伊那東小学校親子文庫主催の「パパズ伊那・絵本ライヴ」が北校舎3F会議室で行われるのだった。


●この日のメニューは……

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『わがままいもうと』(教育画劇)ねじめ正一・著、村上康成・絵 → 伊東
3)『セーラーとペッカ町へ行く』ヨックノードストリューム作絵(偕成社)→ 北原
   これはぜんぜんダメだったね。まるで受けなかった。
   ビーバーの「ちわあす」には、笑ってくれると思ったのにな。
   低学年の、しかも女の子が多かったからかな。このセンスを分かち合うのは難しい(^^;;

4)『うちのかぞく』谷口國博ぶん、村上康成え(世界文化社) → 全員
5)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

6)『おかあさんのパンツ3』『おかあさんのパンツ2』山岡ひかる(絵本館)→ 宮脇
7)『うみじじい』菅瞭三さく(こどものとも 1999年8月号 福音館書店) → 倉科

8) 『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)
9) 『世界中のこどもたちが103』新沢としひこ・中川ひろたか(講談社)

  

伊那東小学校親子文庫のみなさま、本当にどうもありがとうございました。

  7月・8月は、患者さんは少ないけれど忙しい  2007/07/26 

■「お父さん、今夜は会合だから…」と言ってそそくさと家を出るとき、息子は「大変だね、頑張ってね!」と見送ってくれるのだが、どうも最近は「会合」というのは「お父さんがお酒を飲んで酔っぱらって帰ってくること」だと勘違いしているみたいだ。いやいや、それは違うぞ。7月は「夜の会合」が9回、「昼の会合」(3歳児健診を含む)が11回あった(ある)が、昼はともかく、夜の会合でも「アルコールなし」が5回ある。父さんは、いつでも酔っぱらって帰ってくる訳ではないのだよ。

■夜じゃなくて「昼の会合」の、ごくごく個人的な覚え書き。

・7月12日(木):発達障害児通所施設「小鳩園」でお話会。落語の話、便秘の話など。
          『ぜつぼうの濁点』『ふってきました』の2冊の絵本を読む。

・7月18日(水):伊那養護学校で、集まって下さった親御さんたちと「子供の性の悩み相談会」
          ちょっとこれは、小児科医には荷が重すぎた。

・7月20日(金):「いなっせ」7F「ちびっこ広場」にて「こどもの夏の肌のトラブル」と題してお話会。
         :引き続き、午後2時〜4時まで、伊那市役所3Fで「心身障害児童生徒就学指導委員会」。
          今年度から任命されたのだが、月に1〜2回この委員会が開催される日には、午後の診療を
          休診にする必要が出てくるかもしれない。

・7月26日(木):伊那東小学校「学校保健委員会」
          先生方から寄せられた質問に対して、今年も満足に答えることができなかったな。あぁ恥ずかしい。

  『星新一 1001話をつくった人』最相葉月(新潮社)  2007/07/23 

■この土日は、書庫の整理に明け暮れた。この際、思い切って蔵書を処分することに決めたのだ。そうは言っても、本棚から手に取ってパラパラと中味を見ているうちに、愛着が湧いてきて手放すのが惜しくなってくるものだ。前述の、岡崎武志さんの著作最新刊『読書の腕前』(光文社新書)を読むと、最後の決め手は「気合い」である。と書かれていた。なるほど、その通りだと思う。それから、こうも書かれていた。
 古書店主から直木賞作家になった出久根達郎さんは、本を処分する際に、読んでいない本を残して、読んだ本を売るのは間違いで、読んだ本こそ残すべきだ、とどこかで書いていた。この意味がわかるだろうか。
 つまり一度読んだ本の場合、そこに何が書かれているかを知っている。読後しばらく経って、書いてあったことを再確認するときに既読の本は必要だ、と言うのだ。なるほど。(112 〜113 ページ)
本の整理はずいぶん進んだのだが、ブックオフに持って行く勇気がなかったので、今日は、ディズニーやピクサーの子供向けアニメ映画のビデオを中心に30本ほどを、子供たちの了解を得て「ブックオフ」に持参し処分することにした。時代はDVDなので、ほとんど期待はしていなかったのだが、値が付いたのが19本だけで、しかも、1本10円。全部でたった190円の買い取りだった。千円くらいにはなるかな、などと甘い考えでいたのでものすごくショックだった。よのなか、甘くはないねえ。アルバイトの兄ちゃんは「このダンボール箱はこちらで処分されますか?」と、まるで中味のビデオよりも入れ物のダンボール箱の方を欲しそうな言い方をしたので、ぼくはちょっとムカッとして、「いや、持って帰ります」と言ってやった。何せ、福音館書店のダンボール箱だったからね(^^;; 出版社のダンボール箱は頑丈に出来ているのだよ。

『星新一 1001話をつくった人』最相葉月(新潮社)は、いろんな意味でたいへん面白かった。ぼくの興味は、まず第一に「星製薬」社長の星一の「人となり」であり、第二に、星一の長男として生まれ、幼い頃から「ぼっちゃん、ぼっちゃん」と、ちやほやされながら育ち、二代目の若旦那そのものだった星新一さんが、社長の地位をなげうってSF作家に転身してゆく、その動機だった。

そのあたりは、この本によく書き込まれていた。読み応えがあった。この本を読み終わって、もっともっと彼の父親星一のことが知りたくなり、『人民は弱し官吏は強し』星新一(新潮文庫)を買ってきたところだ。野口英世の伝記を読むと、同郷の友として星一が登場する。同じ福島県出身(野口英世は会津、星一は、現在のいわき市出身)で、アメリカ在住の時期も重なるため、星一はずいぶんと野口英世に資金援助をしたらしい。飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続けた星製薬だったが、台湾での阿片利権に絡む汚職の疑いで起訴され、それ以後、急速にに失墜してゆくことになる一大疑獄事件に遭遇する。そんな大変な時期に、星新一(本名:星親一)は生まれた。大正15年9月6日のことだった。

 親一という名前は、星製薬の標語として掲げていた「親切第一」からつけられた。二年後に生まれた弟の協一の名前も「協力第一」かたとったと、星一がのちに良精(星新一の母方祖父)に説明している。(39ページ)
■日本SFの黎明期の詳細もよく分かった。その中心には、いつも星新一さんがいたのだな。その星さんを発掘し初めて世間に紹介したのが江戸川乱歩とは知らなかったし、あの新井素子を、まだ高校生だった時に発見し評価したのが、星新一さんだったとは、これまた驚きだった。筒井康隆氏の星新一さんに対する絶対的なリスペクトと、次第に作家的評価が逆転する中で、星さんが筒井康隆氏に激しく嫉妬する場面が、これまた驚きだった。星新一は、いつでも飄々とショート・ショートを書き続けているのだと思い込んでいたから。

あらゆる文学賞から見放され、SF入門書として読者を魅了するものの、いつしか読者に厭きられ忘れ去られていくだけの運命に、晩年の星新一はどんなにか憤りを感じていたことだろう。そんな彼が、伊豆の別荘がたまたま近かったことから懇意になったタモリと、晩年親密な交流があったことは何とも感慨深い。マンネリと毎年言われ続けながら、今日もお昼にテレビをつけると「笑っていいとも」の司会を続けているタモリに、星新一さんはきっと、自分を重ね合わせていたんだろうなあ。しみじみ。

  『喫茶と古本 高遠 本の家』オープン     2007/07/22 

■閉鎖されたと思っていた、書評家・岡崎武志さんの「okatake の日記」が、知らないうちに再開されていた。読んでいくと、「7月16日の日記」に、よく分からないけれども、高遠町に古本屋ができるらしいということが書いてあった。「ええっ?」と思って検索すると、以下のブログが見つかった。なんでも、東京の古本屋さんたちが集まって、高遠の僻地に「本の町」を創ろうという壮大な共同プロジェクトが進行しているのだという。面白いじゃぁないか!

「本の町」準備ブログ
伊那谷 高遠 ふみぐら日誌

今日のお昼に、近所の蕎麦屋「こやぶ」で「ざるそば」を食べたあと、早速その、高遠町長藤栗田(長藤郵便局近く、元酒屋旅館そば)の杖突街道沿いに建つ古民家を改装した『高遠 本の家』へ行ってみた。駐車場の入り口が狭くて分かりにくかったので、郵便局に車を停めて歩いて行く。なんとも不思議な佇まいだった。こんな所で、はたして商売をやってゆけるのだろうか? 謎だ。 ゆっくりコーヒーでもいただきながら、店主にこのプロジェクトの経緯などを訊いてみたかったのだが、妻子同伴だったのでそうもいかず、今度ひとりでゆっくりと再訪してみたいと思った。わが家には、とっくの昔から書庫には納まりきらなくなった本や絵本が山となって廊下や和室に積み上げられているのだが、ここへ持ち込めばいくらかは引き取ってくれるだろうか? しかも「ブックオフ」では相手にしてくれそうにないような本ばかりなのだが。

  『小児科を救え!』千葉智子/堀切和雄(ユビキタ・スタジオ)   2007/07/18 

■一昨日は、伊那中央病院救急部のスタッフのみなさんに対して、だいぶ失礼な書き方をしてしまい、すみませんでした。

新築移転した伊那中央病院に救急部がオープンしてから、当院へ時間外にかかってくる電話はずいぶんと減った。もちろん、その日受診した患者さんからの処方した薬や症状に関する問い合わせはある。しかし、新しい患者さんで「これから診てもらいたいんですけれど」という電話は本当に減った。その日診た患者さんからの電話であれば、様子が分かるので大方は電話での指示で済む場合が多い。ところが、まったく新しい患者さんの場合には、電話のみから得られる情報では病気の重症度は判断できないことと、電話に出たとこでその患者さんに対して責任が生じるため、結局は直接来院していただいて診察させてもらうこととなる。電話を受けてから、待てど暮らせど患者さんはやって来ず、1時間以上経ってようやく到着するケースも多々ある。そうなると、その1時間は何も手につかないまま、ただただ待つだけで過ぎて行く。これが案外ストレスなのだ。

そのストレスが、伊那中央病院救急部ができたおかげで、どれほど軽減されたか知れない。ほんと感謝感謝だったのだ。

ところが最近、当院へ時間外にかかってくる電話がまた徐々に増えてきている。昨日は深夜1時半に電話が鳴った。たまたま起きていたので電話に出ようとしたら、3回目のコールの後切れてしまった。相手は早々に諦めて、伊那中央病院へ電話することにしたのだろう。伊那中央病院の場合、深夜のこうした電話への応対は、伊那中央病院救急部の看護師さんがまずはあたることになっている。子供の急な発熱などの場合は、ベテラン看護師さんの対応と指示だけで済むことも多いからだ。

そんな訳で、ぼくは今まで伊那中央病院救急部のドクターや小児科の先生方、看護師さん、事務スタッフのみなさんのおかげで、ここ何年もずいぶんと計り知れないほど楽をさせてもらってきた。だから、あまり不平不満をぶつくた言わずに気持ちよく働かせていただかなければ失礼であるよなと、反省している次第です。ごめんなさい。


■昨日は、伊那養護学校へ通うさまざまな「障碍」を持つ子供たちの親御さんが抱える「子供の性の悩み相談」に行ってきたのだが、親御さんに満足していただける気の利いた解答は、何一つ言えなかった。「う〜ん、困りましたねえ」と、ただ親御さんといっしょに悩むことしかできないのだ。親御さんたちは、子供の今現在の問題に加えて、将来起こりうるであろう問題まで真剣に悩んでいる。圧倒された。僕なんかが、思ってもみなかったような「性の問題」が、現場では対応に苦慮されていることを知ることができただけでも、僕にとっては大きな収穫であった。

■その準備のために「障害児の性教育」に関して伊那市立図書館で調べていたら、たまたま『小児科を救え!』千葉智子/堀切和雄(ユビキタ・スタジオ)という本を本棚に発見した。さっそく借りてきて読み始めたところだが、この本は正直で真摯で嘘がないことに、とても好感を持った。なかなかにいい本だ。

共著者の1人、千葉智子さんは現在後期研修病院を廻る、駆け出しの新人医師だ。彼女は亡き父の志を継いで「小児科医」になることを既に決めている。彼女の父は、小児科医だった。 中原利郎さんという。彼は、病院経営上の小児科不採算に対する突き上げと、現場スタッフの人員削減に伴う過重労働の中で、その責任感の強さから必死で耐え現場を維持してきたのだが、平成11年8月16日午前6時40分ころ、立正佼成会付属佼成病院の屋上から飛び降り、無念の自殺を遂げたのだった。詳しくは、 「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」のサイトをご覧ください。

千葉智子さんは、旧姓「中原」で、結婚して姓が変わった。昨年春に昭和大学医学部を卒業し、現在は医者修業の真っ最中。その彼女が、小児医療の第一線の現場で働く「小児科医」の先輩たちの本音を引き出すべく、インタビューして廻るという構成の本なのだ。インタビューに応えるのは、以下の5人の小児科医。

・中島やよひ先生(日赤医療センター・新生児科)
・中野和俊 先生(東京女子医大小児科・現在は伊勢崎佐波医師会病院小児科勤務)
・M先生(女性の小児科医、障とく児施設勤務)
・片岡 正 先生(川崎市で、かたおか小児科クリニックを開業)
・大澤真木子先生(東京女子医科大学医学部小児科学講座主任教授)


みなさん真摯に、本音で答えている。特に、開業医の立場からはなかなか言い辛い事も多々あるわけだが、正直に的確に実状を語ってみせる、片岡 正先生はサスガだと思った。

いまの日本の小児医療がかかえる問題点がよく見えてくる好著。インサイドに居る、われわれ小児科医(開業医、勤務医ともに)にとっても必読の本であると思う。

  今日は当番医だった             2007/07/16 

■伊那中央病院の小児夜間一次救急は、伊那中央病院小児科の4人の先生と上伊那医師会所属の開業医の先生方のご協力で、ぼくの出動は「月に2回」で何とか済むことになった。このサイトをご覧の皆様にもいろいろとご心配をおかけし、たいへん申し訳ありませんでしたが、このペースならば何とか続けていかれそうです。

7月14日(土)の夜は、ぼくの初出動の日。接近中の台風の影響で大雨の中、午後6時半過ぎには伊那中央病院救急部に到着。小児科は夜7時〜9時までの受付だが、なかなか「9時になりましたので、これで失礼いたします」とも言えずに結局10時まで待機していたら、10時過ぎに右耳痛の2歳の男児が来て、その子を診察して、10時15分に終了。でも台風のためか、全部で5人の子供を診るにとどまった。

それにしても、初めて出動したので西も東も分からず、診療の流れや、オーダリング・システムのPCの操作方法も何をどうしたらよいのか皆目わからない。幸いヒマだったので、救急部第一診察室に籠もって、オーダリング・システムの操作法マニュアルを読み始めたのだが、こういうモノは実践で使ってみないことには使い勝手がぜんぜん分からないのだ。救急部の事務当直の人から、当然オリエンテーションがあるものと思っていたが、「ご苦労様です。よろしくお願いします」と言われただけで、あとはほったらかし。看護師さんが診察の介助についてくれると聞いていたのだが、誰もついてくれるわけではなくて、これまたほったらかし。

なんか、「お呼びでない植木等」みたいで、正直ものすごく居心地が悪かった。最初の患者さんを診察して、適当に処方を打っていたら、突然、オーダリング・システムのPCが「その要求は受け付けられません」という警告がでて動かなくなってしまった。さすがに困って、救急処置室へ出向いて看護師さんに訊いたら、「しょうがないわねぇ」という雰囲気で来てくれて、テキパキと教えてくれた。そうか、訊けば教えてくれるのだね。訊かなきゃダメなんだ。一つ勉強になった。

あたふたしていたら、病棟から呼び出されたのか、伊那中央病院小児科の萩元先生が心配して救急外来にも顔を出してくれた。ありがたかったな。萩元先生、感謝です。

■四苦八苦しながらも、3〜4人診察するうちに、ようやくシステムの流れがつかめてきた。やれやれ。それにしても、7月2日から既に10人以上の上伊那医師会所属の開業医が救急部の時間外1次救急(夜7時〜10時)にあたっている訳だが、皆さん混乱することなくちゃんと診療できたのだろうか? であるならば、ぼくだけ特別バカなんだろうか? なんかショックだな(^^;;

診察した患者さんは少なかったが、見知らぬ場所、見知らぬ人々、訳わからないシステムの中で混乱してしまい、ものすごく緊張して異様に疲れた。「では、これで失礼いたします」と挨拶して救急部を後にし、ようやく「ほっ」として外に出ると、雨足はますます激しさを増し土砂降りだった。救急玄関前の傘立てに置いたぼくの傘を探す。「あれ?」傘がない! しまった、やられた。盗まれた。駐車場の車を停めた場所までは20m強あったので、ずぶ濡れになった。ただただ疲れた夜であったな。やれやれ。


■さて、今日の「海の日」は当番医だ。このところ小児科外来はずいぶんと落ち着いてきて、患者さんも少なくなっていたから楽観していたのが間違いだった。まぁ、来るわ来るわ。朝からどんどん患者さんが押し寄せる。大人も多い。当院を初めて受診する患者さんが4割近く。どうも変だな、と思って、初診の患者さんに訊いてみたら、伊那中央病院に電話したら「救急部は二次救急専門です。まず休日当番医を受診していただいて、二次救急の診療が必要と判断された時には、紹介状を書いてもらって受診してください」と言われたという。なるほど、そういう訳だったのか。

それにしても、これはえらいことですぞ! この夏場の暇な時期に、本日当院を「休日当番医」として受診した患者さんは、トータルで114人にも達した。これが冬場のインフルエンザ流行期ならば、200人を越えるかもしれない。そしたら、よる9時でも診察は終わらないことだろう。

午後6時過ぎ、一日の診療をやっと終えて掃除をしながら、うちの看護師さんが、ふと、こう言った。「開業医が伊那中央病院の夜間救急を手伝いに行っているんだから、伊那中央病院の先生が、開業医の休日当番医を手伝いに来てもいいんじゃないかしら?」 いや、ホントそう言ってみたいくらい、今日の当番医は大変だったのだ。

この日の唯一の救いは、お昼に食べた「ちむらのちらし寿司」。いや、旨かった。午後の診療に向けてパワーがでたよ(^^)


■そしたら地震だ。けっこう揺れた。ゆっさゆっさ、とてもゆっくり、不思議な横揺れだった。急に眩暈でもしたのかと思った。

それにしても心配だ。新潟県柏崎市では、水道も電気もガスも断たれて、余震の恐怖の中、眠れぬ夜を迎えた。柏崎市には、『小児科医が見つけたえほん、エホン、絵本』にも原稿を書いてもらい、昨年夏の外来小児科学会が開催された横浜で、初めてお会いした、荻田先生の「おぎた小児科医院」がある。待合室に掲げられた「たむらしげるの原画」や、SLのレイアウトは無事だろうか? いや、無事では済まされまい。ものすごく心配だ。

  プロフェッショナルとしての覚悟(その2)    2007/07/14 

柳家喬太郎さんの自作持ちネタに、『すみれ荘 201号室』という噺がある。いきなりネタバレで恐縮だが、「落研(落語研究会:おちけん)」の話だ。わが家の息子たちは、とことんアホらしいネタの「寿司屋水滸伝」や「諜報員メアリー」も大好きだが、最近車で出かけると長男がよくこう言うんだ。「ねえ、おとうさん。アレかけてよ。喬太郎さんの落研(おちけん)のはなし」と。

でも、父さんとしては「この落語CD」は子供たちにあまり聴かせたくないのだった。だって、挿入歌の『東京ホテトル音頭』が大きな声で歌われているから。面白い噺なんだけどね、息子からその度に「ねえ、おとうさん。ホテトルってなぁに?」とか「イメクラってなに?」と訊かれるので、返答に困ってしまうのだ。このように子供の教育上問題の多い落語を平気で聴かせる親も親だね(^^;;

柳家喬太郎さん自身も、日大商学部の「落研」出身だ。しかも、自作の『純情日記横浜篇、純情日記原宿篇』を引っさげて、学生落語選手権で優勝しており、相撲で言えば「学生横綱」に相当する実力で、プロの落語家の間でも「小原正也」(喬太郎さんの本名)という名前は知れ渡っていた。誰もが、大学卒業後はプロの道を歩むのだろうなと。ところが彼は、プロの噺家にはならずに銀座の本屋「福屋書店」に就職する。落語は大好きだったけれども、あくまでも「落語は趣味」というスタンスだった。いや、「プロの世界」への憧れと畏怖の念の狭間で、覚悟を決めかねていたんだろうね。

「素人がたとえ二十年、三十年落語をしゃべってようが、昨日入門した前座にはかなわないってことです。
 確かに、それだけ落語をしゃべってれば前座よりうまいに決まってる。でも、まだ小咄しかできない前座でも、『オレはプロになる』っていう志をもってプロになった。つまり覚悟が違う。肚の据わり方が違う。その点、素人は所詮素人でしかない。賞をいくら取ったとしても、そこを勘違いしちゃいけないって、それこそ気が狂うくらい考えたんです」 (『師匠噺』浜美雪・著、河出書房新社 135ページ)
根が真面目だったんだね。真摯だよね。
そんな喬太郎さんだったが、やっぱり落語への未練を捨てきれず、3年後に柳家さん喬師に入門する。あの喬太郎さんが、自分とはぜんぜん違う正統古典落語継承派であるところの、柳家さん喬師を師匠に選んだという点が、これまた面白い。

 落研臭さを抜けということも言われ続けた。「『お前はある意味素人ででき上がっちゃってるから』って。(中略)で、僕の場合、その素人口調をいったん壊してから、改めて基礎をやり直さなきゃならなかった。いわばマイナスからのスタートだったわけなんです」
 前座噺の代表格である『初天神』の時も苦労した。
「僕も中途半端な覚え方をしてたんですけど、『もうわかった。全然ダメだ』って途中で止められてこう言われたんです。『お前の「初天神」には雑踏が出てない』って」(『師匠噺』141 ページ)
この『初天神』は、師匠から未だに「寄席にかけてもいいよ」というお許しをもらっていないのだそうだ。面白いねえ(^^)
(つづく)

  プロフェッショナルとしての覚悟         2007/07/12 

『師匠噺』浜美雪・著(河出書房新社)の話の続き。

本の帯に書かれた惹句。「赤の他人同士なのに、たいして稽古もしてもらってないのに、なぜか似ている、どんどん似てくる ---- 落語の師弟は不思議だ。」いや、本当に不思議だ。ぼくもそう思う。

取り上げられた「師弟」は12組。

笑福亭松鶴 と 笑福亭鶴瓶、   春風亭柳昇  と 春風亭昇太
柳家小さん と 柳亭市馬、    桂文枝    と 桂あやめ
柳家さん喬 と 柳家喬太郎、   古今亭志ん朝 と 古今亭志ん五

三遊亭圓丈 と 三遊亭白鳥、   春風亭小柳枝 と 瀧川鯉昇
林家こん平 と 林家たい平、   柳家小三治  と 柳家喜多八
林家木久蔵 と 林家彦いち、   立川談志   と 立川志の輔


■最初に読んだパートは、「柳家さん喬 と 柳家喬太郎」だ。師匠も弟子も、ぼくがいま一番のお気に入りの噺家さんだからね。(つづく)


  プロフェッショナルの心意気           2007/07/10 

三遊亭金翔さんのブログに、伊那での落語会の模様が載っている。当院サイトへリンクもしてくれてある。いや、どうもありがとうございました。ぜひまた伊那へ来てくださいね。

■今回の落語会を通じて、ぼくが一番に深くしみじみ感じ入ったことは「プロフェッショナルの仕事」とは何か? ということだ。金翔さんは、二つ目の若手落語家さんだ。真打になるには、あと10年近くの精進が必要となる。大変に長い道のりだ。しかし、真打昇進がゴールではない。さらにそれから自分の芸に研きをかけ、同世代のライバルを蹴落とし、追いすがる後輩どもに決して負けじと、日々精進を続ける毎日が、死ぬまで続くのだ。決して現在の地位に安住することなく、死ぬまで前進を続ける覚悟がないと、芸の道を究めることはできないのだな。

三遊亭圓生がそうだった。圓生とは生涯仲が悪かった林家彦六だってそうだ。毎日が勉強で、昨日の自分とは違う、一皮剥けた自分が今日はいる。芸のゴールは、自らが死ぬとき。プロフェッショナルはみな、その覚悟ができている。凄いな、と思う。じつは10日ほど前の6月29日(金)の夜、飯田の矢野こどもクリニックの矢野秀実先生に誘われて、飯田のライブハウス「キャンバス」へ出向き
ジャズヴォーカルの大御所、中本マリのライブを聴いてきた。アコースティック・ギターの辻邦博さんとの2人だけのステージで、雰囲気はちょうど「エラ・フィッツジェラルドのヴォーカルに、ジョー・パスが生ギター1本で伴奏を付けているデュオ演奏」を思い浮かべていただけばよいか。

場内には、ぼくらを含めて20人に満たないお客しかいなかった。それでも、中本マリさんは決して手を抜くことはない。にこにこと笑顔で、すごくリラックスしながらも、自分を聴きに来てくれた聴衆に対して、全力で声を振り絞って歌った。熱唱だった。感動した。「プロフェッショナルの心意気」を見せつけられた思いがした。2ndステージも佳境に入ったころだったか、中本マリさんはこう言った。

「確か1年前にも飯田へ伺って、同じ曲を歌ったと思います。でも、たぶん印象はぜんぜん違うでしょ。何故でしょうか? われわれミュージシャンにはゴールがないんですね。この年(還暦)になっても毎日が勉強で、日々努力しているの。よりよいものを目指して、どんどん変わってゆくのよ。だから、1年前の歌い方と同じということはあり得ません。」と。凄いな、と思った。

振り返って、自分はどうか? 小児科医として、プロフェッショナルの心意気をはたして維持しているのだろうか? 三遊亭金翔さんや、中本マリさんと比べると、その覚悟ははなはだ心許ないものであり、恥ずかしい限りだ。ただひたすら反省するばかり。小児科医だって、日々精進、日々勉強でなくてはいけないな。

  串正・羅針盤「伊那谷寄席」    三遊亭金翔・落語会(その4) 2007/07/08 

■そもそも、何故この度の「こども寄席」が実現する運びとなったのか? うちの小児科待合室で「落語会」ができたらいいなぁ、落語が大好きなぼくは、ここ3〜4年ずっとそう思ってはきたのだが、落語業界につても知り合いもないから、いつ実現するともない夢物語にすぎなかった。ところが、ひょんなところから「落語会」の話が飛び込んできたのだ。この秋に伊那北高校卒業30周年の記念同窓会を開催するために、その準備委員会が毎月「しみずや」で開かれていて、その席で、1年生の時に同級生だった伊那東部中学校の高木先生から「今度、東京から若手落語家を呼んで伊那で落語会をやりたいんだけれども、協力してもらえないか?」という話があったのだ。

何でも、彼の大学時代の友人の三枝氏が、将来有望な若手落語家を育てるために、東京都内各所で「小さな落語会」を手弁当でプロデュースしていて、この試みを今回地方に飛び出して、信州・伊那市で実現できないか? と、高木くんの元へ打診があったのだという。彼は、串正の社長に掛け合って「羅針盤」の2階で7月3日の夜「伊那谷落語会」を開く手筈を整えたのだ。

「それなら、串正・羅針盤での落語会が始まる前に、うちの待合室に寄ってもらって、子供向けの落語会をやってもらえないかな?」 と言う訳で、思いがけず、トントントンと話が進んで実現した企画だったのだ。待てば海路の日和ありとはこのことか。うれしかったな。高木くん、ホントにどうもありがとう。


■さて、串正・羅針盤「伊那谷寄席」の2番手に登場したのは、普段は東京に4ヵ所残る「寄席」で、三味線のお囃子を担当している、恩田えりさんだ。何でも、寄席に10数人いる「お囃子」さんの中では、下から3番目に若いのだとか。でも、若いのに三味線の音色は絶品で一目置かれる存在なのだそうだ。しかも、NHK教育テレビで朝の7時25分から時々放映されている「えほん寄席」の最新シリーズでは、恩田さんが三味線を弾いているのだという(初期のシリーズでは桂文我さんが三味線を弾いている)

とにかく、彼女のキャラクターが何ともユニークでチャーミング。一度見聞きしたら忘れられない唯一無二の印象を残す芸風なのだが、彼女の経歴がこれまた摩訶不思議なのだった。

ピアノの腕前は芸大合格並だったのだけれど、彼女はピアノの練習が嫌で嫌でしょうがなかったのだっそうだ。日大邦楽部、もとい、日大法学部を卒業して、OL生活を続けるうちに、ふと、寄席の魅力にはまってしまった。と言っても、一時流行したあの「柳昇ギャルズ」の一員ではなかったようだ。彼女がハマったのは、噺家ではなくて「色もの」だったんだって。中でも、ギター漫談のぺぺ桜井さんが大のお気に入り(渋いねぇ!シブすぎる)。できるだけ長く何時でも寄席で彼のことを見ているにはどうしたらよいか? 彼女は考えた。「そうだ! 寄席でお囃子をやれば、ずっと聴いていられる!」そう気づいた彼女は、国立劇場にある「プロのお囃子養成所」に入門し、修業を始めたのだった。修業は辛かったが、決して苦にはならなかった。ピアノの練習は嫌だったけれども、三味線の練習は、何時間やっても楽しくて楽しくて仕方なかったのだとか。性(しょう)が合っていたんだね。

いや、彼女の「お囃子教室」はじつに楽しかったよ。ぜひまた聴いてみたいな。

■再び高座に上がった三遊亭金翔さん。2日後の7月5日の夜に「浜離宮朝日ホール」で開かれる「第6回・朝日いつかは名人会」で、『紙入れ』を演じる手筈だったろうから、本当は伊那の落語会でその『紙入れ』を仕上げようという心づもりだったのだろうが、何せ、わが家の小学生2人が会場に陣取っていたののだから、流石に子供の前で「間男」の噺はマズイよなと、予定の噺を『宿屋の富』に変更したのではないかと思う。どうもすみませんでした。 『宿屋の富』もとてもよかったが、『紙入れ』のような艶笑落語で、金翔さんが「あの内儀さん」をどんなふうに色っぽく演じるのか、ぜひまた見てみたいものだ。


■翌7月4日の午前中には、一行は伊那養護学校を訪れて「プロの伝統芸」を披露した。その模様は「伊那毎日新聞の記事」をご覧ください。また来年も来てくれるとうれしいな。年に一度、定期的に「こども寄席」を続けていけたらいいな。そう思ってます。

  串正・羅針盤「伊那谷寄席」    三遊亭金翔・落語会(その3) 2007/07/07 

■それにしても、金翔さんの『平林』は面白かったな。「こども寄席」が終わって、子供たちがみな家路につく道すがら「ひらりん、ひらりん、ひらひらりん」とか「ひとつとやっつで、とっきっき!」などと不思議な呪文を口々に唱えながら帰ったみたいだ(^^) 妻の携帯には、続々と「こども寄席 御礼」の返信が寄せられた。どこの家庭でも、夕食タイムの家族団らんで、子供たちはみな「落語って面白いよ。すっごく楽しかったよ! また聴きたいな」などと、喜々として父母に語ってくれたみただ。そりゃ、そうだろう。テレビで「笑点」の大喜利は見たことあっても、目の前で、ナマで、プロの噺家さんの落語を聴いたのは、ほぼ全員が生まれて初めてだったのだから。

『平林』は、この三遊亭円窓さんの「落語エッセイ」にあるように、[寿限無]と双璧をなす代表的な前座噺であるのだが、最近なぜか耳にする機会がない。円窓師匠も書いているように、サゲに差別用語が用いられていることと、やはり「万が一、学校の同じクラスに平林君がいたら、いじめのネタにされてしまうかも?」という落語家さんの配慮もあるに違いない。でもねぇ、決して平林君をバカにしたり揶揄したりする噺じゃないし、「平林」という漢字を、何と!数学的に因数分解してしまうという、思いもよらない展開だし、単純に言葉のリズムとテンポが面白い、幼い子供でも理解でき楽しめる噺だから、もっと注目されてもいいんじゃないかと思うぞ。金翔さんのサゲも、円窓バージョンを踏襲していたな。

『平林』は、今から400年近くも前からある話だという。それを、日頃「任天堂DS」だの「プレステ」なんかに夢中になっている現代の小学生が聴きながら、じつに楽しそうにケタケタ大笑いしてるんだから、ぼくは「落語って凄いな」と、ちょっと感動してしまった。

■時計は午後6時をまわり、子供たちは「もっと聴きたい!」金翔さんは「もっと語りたい!」と、それぞれに後ろ髪を引かれる思いで「北原こどもクリニック こども寄席」は終了した。この後よる7時からは引き続き、串正・羅針盤2Fで「伊那谷寄席」が開催されるてはずになっていたから、時間延長は許させなかったのだ。まことに残念。でも、来年また金翔さんに来てもらえばいいんだよ(^^) また是非来て下さいね >三遊亭金翔さん。


■午後7時。場所を串正・羅針盤2Fに移して「伊那谷寄席」の開幕だ。三遊亭金翔さんの一席目は『初天神』だった。開口一番、マクラは「北原こどもクリニックで、子供たちに寄席の太鼓を叩かせてみたら、みなビックリするくらい筋がよくて、思わず東京へ拉致して帰ろうかと思いましたよ」で始まった。続いて、子供たちのたわいのないごっこ遊びの話へ。お弔いごっこに、懲役ごっこ。とくれば、本篇は『初天神』だよね。これと同じマクラを、先だってのGWに浅草へ行った際、上野鈴本で柳家さん喬師が『初天神』を演った時にも聴いた。同じことに気が付いたんだな、小5の長男が振り返って「おとうさん! はつてんじんだよ!」とニコニコしながら小声で言った。

『初天神』のCDは、柳家小三治師匠が若かりしころに録音したバージョンを持っているのだが、この噺は耳でただ聴くだけだと、途中で退屈してしまうのだな。この噺の見所は、金坊と父親が屋台の出店の前で、丁々発止のやり取りをする場面の「仕草」で笑わせているからだ。これは実際に見てみなければ面白くはありません。「よいよい、よいやさ!」と父親がやってやる場面、「飴玉買って〜ぇ!!」と金坊が大泣きする場面、飴玉をほおばる場面、みたらし団子のツユを父親が美味しそうに啜る場面、風を受けて凧が勢いよく高く高く上がってゆく場面。どれもこれも、噺家さんの「仕草と顔の表情」で見せるんだ。

金翔さんは、表情がいいね。ニコッと笑った時に、目が( 〜 〜 ) こんなんなって笑福亭鶴瓶みたいで可愛いし、逆に「カッ!」と目を見開いた姿は実にカッコイイ。金坊とか定吉とか、子供を演じさせたら巧い人だ。与太郎もきっといいんじゃないかな。今晩、高遠の母の家から帰る途中で、高遠町図書館から借りてきた『えほん寄席 抱腹絶倒の巻』(小学館)のCDを掛けながら聴いて帰ったのだが、このCDにも『はつてんじん』が入っていた。演者は、古今亭菊之丞さん。若手ではいま一番に売り出し中の真打だ。ぼくもナマで2度聴いていて、この人は江戸の粋を感じさせていいなぁ、と注目している噺家さん。

ところが、後部座席で黙ってじっと聴いていた次男がこう言ったのだ。「この人よりも、金翔さんの初天神のほうが、ずっと面白かったよね!」って。いや、そうか息子よ。じつはな、父さんも「まったくおんなじに」思っていたのだよ。落語の『初天神』ではないけれど、親子は知らずと似てくるものなんだねぇ(^^;)
(もう少し、続く)

  北原こどもクリニック「こども寄席」三遊亭金翔・落語会(その2) 2007/07/05 

■「寄席お囃子教室」のあとは、いよいよお待ちかねの金翔さんの落語の一席。この日の演目は『平林』。NHK教育テレビで朝に放映されている「えほん寄席」で見てから、うちの次男が大好きになった演目で、前もって「ぜひに」とお願いしてあったのだ(^^;)

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ぼく自身は寄席やCDでは聴いたことがない演目だが、『笑酔亭梅寿謎解噺』田中啓文(集英社文庫)を読んで好きになった噺。

落語では「おなじみ」の丁稚(でっち)小僧の定吉が、旦那さんからお使いのご用を言い渡される。「吾妻橋の向こうの平林さんの家へこの手紙を届けておくれ」「へーい、承知しましたぁ!」。絵本でも『こんたのおつかい』(徳間書店)とか、その応用版がいろいろある、いわゆる「お使いモノ」の傑作だ。物忘れが激しい定吉は、何とか忘れないように、歩く道々「呪文」のように「ひらばやし、ひらばやし」と唱えながら行くのだが、途中でいろいろと障害に遭遇し、気が付けばすっかり忘れてしまっている。困る定吉。でも、「あっ!そうだ。この手紙に漢字で宛名が書いてあるから、あちきは字が読めないけれども、誰か通りすがりの大人に読んでもらえばわかるよ!」 このあたりはけっこう賢いね。>定吉

ところが、行き会う大人がみな無責任な知ったかぶりの大人ばかりで、笑ってしまうのだった。「お、これはな、上の字が、ひら で、下が りん。ひらりん じゃな」とか、「漢字はね、ひとつひとつ分解して読めばいいんだよ。だから、いちはちじゅーの もーくもく」とか、「もっと丁寧に読まなきゃだめよ、ひとつとやっつで、とっきっき! よ」とか。定吉は、「そうでしたか、ひとつとやっつで、とっきっき! ですね。ありがとうございました。ひとつとやっつで、とっきっき! ひとつとやっつで、とっきっき!」「あれ? なんか違うなあ?」 という噺。

三遊亭金翔さんは、テンポよく、しかも今の小学生に分かるようにオリジナルのクスグリを交えつつ、落語を語ってゆく。子供たちは、知らず知らずと「その物語世界」へ引き込まれてゆく様子が、端から見ながらリアルに実感できた。もう「がんがん」大受けだった。大きな歓声や笑い声が絶えず、子供たちの反応はじつによい。やはり、演者がいて観客がいるという「ライヴ」の場の力は凄いね。北原こどもクリニック待合室の空気が、濃密に固まる瞬間に出会えた喜び。絵本の読み聞かせにしても、音楽のライブにしても、やはり「その場の空気」が全てを支配するのだな。やっぱ、プロの実力は凄いや。

■ところがこの日、医院受付の電話が落語会の途中で鳴らないように消音設定にしたり、携帯の電源をオフしてもらったりの気遣いはできたのだが、待合室に掛けてある「からくり時計」までには考えが及ばなかった。照明が暑かったか、汗だくだくで熱演する金翔さんが、『平林』の終盤、定吉が吾妻橋を渡ったあたりで、「もうこうなったら、教わった名前を全部順番に唱えて行けば、そのうちに本人が気づいて出てきてくれるに違いない」と「たーいらばやしか、ひらりんか。いちはちじゅーのもーくもく。ひとつとやっつで、とっきっき!」と連呼する場面で、ちょうど午後6時となり、待合室の時計が動き出し、ミッキーとミニーが登場して「It's a Small Wald 」のテーマが高らかに待合室に響き渡った。子供たちは一斉に注意が削がれる。ぼくは焦った。金翔さんは、もっと焦ったことだろう。ごめんなさい。

でも、金翔さんは動じることなく落ち着いて「It's a Small Wald 」の音楽をかき消す勢いで、たーいらばやしか、ひらりんか。いちはちじゅーのもーくもく。ひとつとやっつで、とっきっき!」と連呼した。そのおかげで、時計に持って行かれた子供たちの意識はまた、しっかりと高座に戻って集中することができたのだった。いやぁ、よかったよかった(^^;; (まだまだ続く)

  プロは凄いなあ!キッチリと全力でプロの仕事をする。「三遊亭金翔・落語会」2007/07/04 

■7月3日(火)は、待望の「北原こどもクリニック こども寄席」の日。当日の昼前に東京を車で出発した三遊亭金翔さんご一行は、伊那到着後、ホテルで着替えを済ませてから北原こどもクリニックへ。午後4時半前には、伊那東部中学校の高木先生に伴われてやって来た。ぼくは患者さん診察中で、あとまだ5〜6人の子供が中待合いで診察を待っていた。はたして5時過ぎまでには診察を終了できるのだろうか? 受付スタッフは、これから受診希望の患者さんを上手におことわりできるだろうか? などと、心配事だらけ。

しかしうまくしたもので、ちゃんと5時過ぎに診療は終了し、急いでスタッフ全員で会場設営。間に合ってホントよかった(^^;)
ところが、今度は開演15分前になっても、肝心のお客さんがちっとも来ない。うちの息子の一番の仲良しである、もっちゃんと三澤諒くんが来てくれただけだ。ヲイヲイ、大丈夫かよ! ぼくは焦った。ホント焦った。心配されたお天気も、ありがたいことに雨も上がり、開演5分前になってから続々と子供たちが来場。あれよあれよと、北原こどもクリニック待合室は50人強の子供たちと20人近くの大人でいっぱいとなったのだった。

ありがたいねぇ。内助の功とはこの事か。妻子が汗水たらして、日々営業活動(PTA でのチラシ配り。メールでお知らせ攻撃。直接電話で「来てね!」お願い)を繰り広げてくれたおかげなのであった。息子も、クラスのホームルームの時間に宣伝してくれた。そのおかげで、伊那東小5年栗組の子供たちのかなりの人数が見に来てくれたのだ。何と! 担任の向山先生まで、忙しいのに来て下さった。ほんと、ありがとうございました。

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■三遊亭金翔さんは、6月末に宮崎県都城市の全ての小学校を廻って「小学校寄席」をやって来たばかりだと言う。道理で子供たちの扱いがうまいワケだ。登場して、開口一番「寿限無」の口上を子供たちといっしょに斉唱。「君たちスゴイねぇ」と、ここでヨイショ。あとはギュッと引きつけて、一気に子供たちの心を鷲掴みにする。スゴイなぁ。プロの技だ。

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最初の「落語入門講座」に引き続き行われた「こども参加の寄席お囃子教室」が、これまたよかった。寄席の「一番太鼓」は、長さ60cm ほどの長バチで「大太鼓(おおど)」を「ドンドン ドントコイ、ドンドン ドントコイ」と、お客さんがいっぱい入ってくれるよう景気よくたたく(寄席では長バチを「入れる」と言うのだそうだ) 一番太鼓のあと、開演5分前になると「二番太鼓」が鳴る。小さな「締め太鼓」を太くて短いバチで「お多福来い来い、お多福来い来い」(ステツクテンテン、ステツクテンテン)と打つ。これに大太鼓が加わって勢いをつける。『福耳落語』三宮麻由子(NHK出版)45頁を読んで、理解はしていたつもりだったが、太鼓を実際に見て聴いて、初めて「なるほどねぇ、そうなってたんだ」と合点がいった。

金翔さんの「やってみたい人」の声に、元気よく「ハイハイ、ハイ!」と子供たちは一斉に手をあげる。それにしても、子供たちのリズム感はなかなかに大したものだ。みな、ちゃんと上手に太鼓をたたいたよ。(つづく)

  伊那のパパズ「絵本ライヴ」(その31)箕輪町・松島コミュニティセンター  2007/07/01 

■今日は、パパズ31回目の「絵本ライヴ」の日。朝9時半前には会場に到着したかったのだが、場所がよく分からない。焦ったなあ(^^;; でも何とか無事間に合った。2階の大広間には、たくさんの親子が集まってくれたよ。お父さんの姿も多い。歌いながら数えてみたら、10数人はいたな。うれしいじゃないか。あれ、うちの看護師、熊谷さんも来ている。なんか急に恥ずかしくなってしまったぞ(^^;;

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●この日のメニューは……

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『コッケモーモー!』(徳間書店) → 伊東
3)『ぐやんよやん』長谷川摂子・ぶん、ながさわまさこ・え(こどものとも年少版/1999年6月号)
  『かんかんかん』のむらさやか・文(こどものとも0.1.2. 2007年2月号)→ 北原

4)『おーい かばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド) → 全員
5)『トマトさん』田中清代・さく(福音館書店) → 坂本

6)『いっぽんばしにほんばし』中川ひろたか(アリス館) → 全員
7)『パンツのはきかた』岸田今日子さく、佐野洋子え(こどものとも年少版) → 全員
8)『おかあさんのパンツ2』山岡ひかる(絵本館)→ 宮脇
9)『こぶたのブルトン なつはプール』中川ひろたか・文、市居みか・絵(アリス館) → 倉科

10) 『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)
11) 『世界中のこどもたちが103』新沢としひこ・中川ひろたか(講談社)


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■無事、約1時間のステージは終了。みなさん満足していただけたでしょうか?

この日の主催者である「箕輪町おはなしを楽しむつどい実行委員会」のみなさま、ほんとうにありがとうございました。終了後に頂戴したお昼のお弁当で、素麺に続いて次々と繰り出される持ち寄りの「おかず」のいろいろが全て、これまた本当に美味しかったデス。妻や子供たちまで、すっかりお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。

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■それにしても、箕輪町「おはなしを楽しむつどい」のメンバーの皆様は、ほんとパワフルで、前向きな方々ばかりだ。特に会長の白鳥さんはサービス精神旺盛で、明るくて楽しくて、なんとも素敵な人だ。今度、われわれ「伊那のパパズ」に対抗して、「箕輪町のババ ぁ's」を立ち上げるのだとか。頑張ってください! 応援しますよ(^^)



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