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2011年10月28日

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チャンミー瞑想センター チャンミー瞑想センター
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マハーシ瞑想センター
チャンミー瞑想センター1
(ミャンマー6-2と同じ)
チャンミー瞑想センター2
(ミャンマー7-2と同じ)
チャンミー瞑想センター3
(ミャンマー8-2と同じ)
チャンミー瞑想センター4
(ミャンマー9-2と同じ)
チャンミー瞑想センター5
(ミャンマー10-2と同じ)
チャンミー瞑想センター6
(ミャンマー11-2と同じ)
パンディタラマ瞑想センター1 パンディタラマ瞑想センター2
(ミャンマー10-4と同じ)
チャンミー瞑想センター
モービー支所1
チャンミー瞑想センター
モービー支所2

(ミャンマー9-5と同じ)
サッダンマランシ瞑想センター
(ミャンマー10-3と同じ)
パオ瞑想センター
モービー支所

(ミャンマー9-4と同じ)
国際上座仏教宣教大学



ミャンマー旅行 1

女性像

ひょんなことからミャンマーに行くことになった。その後ミャンマーには何回か往復することになるのだが、このときはミャンマーに来るのもこれが最初で最後だなと思っていた。シュエダゴンパゴダから見下ろす首都ヤンゴンは深い森に覆われた神秘的な都市に思えた。今ほど高層ビルはなく、本当に一国の首都なんだろうかと疑ってしまうような不思議な光景だった。
このとき僅か4日ではあったが、仏教僧として出家できた。このような機会を与えていただいた関係者の方々をはじめ、ダーヤカさんになっていただいたご家族に感謝しております。まさに仏縁であった。
1995年夏。


ミンガラドン空港 ヤンゴン国際空港
成田からバンコクに到着し、翌日のUB便でヤンゴン到着。まだ国内線ロビーと一緒の古い空港ビルしかなかった頃。写真左に2004年現在ある新空港ビルが建設中。
バンコクから来ると、空港といっても本当になにもない野原に着陸した感じ。
バンコク同様、飛行機を降りると、まとわりつくような湿気と熱気のある空気に包まれる。
亜熱帯に来たなと感じる瞬間。
交通事故 交通事故現場
空港からヤンゴン市内に向かう途中で遭遇した衝突事故現場。事故が起きると野次馬が集まってくる。いずこも同じであった。
沙弥出家前 沙弥出家式
実は、今回の旅行は一人旅ではない。パーリ語勉強会の皆さんと一緒だ。毎年、夏休み中に日本国内のお寺でパーリ語の勉強をしている会なのだが、この年はミャンマーで勉強会を行うことになった。そこに参加させてもらったのであった。せっかくミャンマーに行ってパーリ語の勉強するのだからと、出家することになった次第である。私も出家した。
写真はヤンゴン市内のウェープッラ長老のお寺で沙弥出家式のため、ミャンマーの民族衣装に着替えたところ。
シュエダゴンパゴダ シュエダゴンパゴダ参拝
民族衣装でシュエダゴンパゴダを参拝した。このあとお寺に戻り、沙弥出家した。
今でもヤンゴンに来たら何はともあれこのお寺に参拝している。
ミャンマー観光年の前年で、まだ外国人入場料の徴収はなかった頃。
剃髪 剃髪
お寺に戻り、儀式のあと剃髪する。水で髪を濡らすだけでヒゲ剃りにてあっという間に剃られてしまった。痛くもなく、清々して気持ちよかったというのが本当のところ。
はじめてスキンヘッドになったのだが、翌日洗顔のときは、そのまま頭まで洗えてしまうのできわめて合理的である。
ちなみにスキンヘッド状態から普通の状態(サラリーマン程度)の髪型に戻るのに約3ヶ月。
比丘出家 比丘出家
まず沙弥出家し、その後比丘出家した。中央でマイクを持っている方が故ウェープッラ長老。この方は長年北九州門司のビルマ僧院世界平和パゴダの僧院長を務められた高僧。
僅か4日の比丘生活であったが、この間にマハーシ瞑想センターで瞑想指導を受けたりして貴重な体験であった。比丘になると途端に周囲の方たちの対応が変わり、おのずと比丘としての自覚が求められる。
4日後の夕暮れ時、故ウェープッラ長老の前で還俗した。なにかとても言葉にできない切なさを感じた。このまま比丘として生涯を送ってもいいのではないかと思った。これほど凛とした生き方ができる世界があったことを知ったのがなによりの収穫であった。
今は再び煩悩の大海にどっぷりと浸かってしまったが、これでいいのかと自問自答してしまう。そろそろ人生を考え直す時期なのかもしれない予感がする。
お布施呼びかけ バガンにて
還俗して、翌日から故ウェープッラ長老とともにバガン、マンダレーと寺院参拝と観光をして帰国した。
これは、バガン市内で遭遇したお布施を募る移動屋台。その後もミャンマーでは時々お目にかかる。仏旗が立ててあるのですぐにそれとわかる。
八百屋 バガンの市場
新鮮で張りのある野菜が多い。こんなの食べてると健康になれそうな気がする。
こんほかにも果物や古本、釘、乾麺などいろいろと商われていた。
ティリピッサヤホテル ティリピッサヤホテル
バガンの郊外、エーヤワディ川沿いにあるコテージ式の一応高級ホテル。
バガンは漆製品も有名で夜にはホテルまで車で漆製品を売りに来ていた。
ヤンゴンでもそうだが、この国の水道水は茶色に濁っている。夜なると排水口から小さなダニのような虫が無数に這い上がってくる。
アーナンダ寺院 バガンには多くのパゴダがある。すべて見て回るには一日では無理。周囲は耕作地が点在し、農作業帰りの牛車などがのどかに通っていく。
牛車を見ると、なぜか懐かしい過去の記憶がよみがえるような錯覚を覚える。
以前から、もしかしたら私の前世は東南アジアの農民の息子だったのではないかと密かに思っている。
バガン バガンのパゴダ
パゴダの敷地はすべて裸足で入る。夏は敷き詰めてあるレンガなどが日射で熱くなっていて、歩くのが辛い。
マンダレーヒル マンダレーヒル
翌日、マンダレーに移動した。頂上から氾濫して遊水池ができているエーヤワディ川が見える。日本の河川は堤防でガチガチに固めてあるものが多いが、ここでは氾濫してもそのままになっている。溢れてた川水は遊水池となる。まさに河川本来の姿を見た気がした。
マンダレーヒル仏像1 マンダレーヒルの仏像その1
このときの旅行ではじめてミャンマーの仏像に多数接したが、日本の仏像と違って心和むのですな。仏像がそれぞれ個性的だし。
マンダレーヒル仏像2 マンダレーヒルの仏像その2
基本的にミャンマーの仏像は色白で唇真っ赤が多い。それにしてもやっぱりなごんでしまう。
仏像の前に座っていると、幾分涼しいそよ風とともに鐘の音や読経の声がどこからともなく聞こえてきて、まさに癒されるってこういうことではないかと思ってしまう瞬間がある。
なぜか懐かしいミャンマーの音。
高僧の座像 高僧の座像
ミャンマーにはこういう高僧の像がよくある。それも蝋人形のように非常によく出来ていて
、慣れるまでは一瞬本物かと思ってしまうくらい。
この日は確かウポーサタ(布薩日)で、お寺には近所のおばちゃんたちが法話を聴きに集まっていた。どこの国にいってもやっぱりお寺にはおばちゃん多し。
マンダレーヒル麓のお寺にて。
マハーガンダーヨン寺院 マハーガンダーヨン僧院
マンダレー郊外のアマラプラにある超有名大僧院。ザガインヒルへ行く途中に立ち寄った。僧院長から小冊子をいただいた。
マンダレー市内寺院 マンダレー市内の寺院にて
寺院の名前は忘れてしまった。数年後、この写真の僧侶と友人という僧侶と都内で出会う。このとき、我々とも話をしていたのだそうだ。
ザガインヒルの沙弥 ザガインヒルの沙弥
参拝にきたミャンマー人からアイスキャンデーを買って貰って(お布施)食べているところ。
慰霊碑 戦死した日本兵のための鎮魂碑
ミャンマーでは、亡き戦友の供養のため訪れる戦友会の方たちを見かけることがあった。
多くの日本人が亡くなった地でもある。
マンダレー市内のバス ミャンマーのバス
マンダレー市内を走るイギリス植民地時代のバス。こんなバスが健在で今もミャンマーで見ることができる。はじめて見たときはびっくりする。車体は木製か。
トラックバスにはよくお世話になるのだが、このタイプはまだ乗ったことがない。
ゼージョーマーケット ゼージョーマーケット
マンダレーの中心市場。市場上階のフロアーはガラガラ。これでも一応商品を販売している。採算あうのだろうか。
ビルマの竪琴 ビルマの竪琴
マンダレー市内のレストランで。
ミャンマーの紙幣 半端な額面の紙幣
今では見かけなくなったが、このころはまだ出回っていた。
上から、15k、45k、90k紙幣。

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