TOP 心の中 旅 行 鉄道模型 リンク 更新履歴

今後、本サイトの更新は行いません。いずれ本サイトは消滅すると思います。
本サイトのコンテンツの多くはブログ「瞑想してみる」に移設しました。

2011年10月28日

インド タイ 1 タイ 2 タイ料理 台湾 1-1 台湾 1-2 ニューヨーク1-1 ニューヨーク1-2
ミャンマー1 ミャンマー2 ミャンマー3 ミャンマー4-1 ミャンマー4-2 ミャンマー5-1 ミャンマー5-2 ミャンマー5-3
チャイティーヨー
水かけ祭り 札 幌 ソウル1-1 ソウル1-2 ミャンマー6-1 ミャンマー6-2 ミャンマー6-3
チャンミー瞑想センター
ミャンマー7-1 ミャンマー7-2 ミャンマー7-3 ミャンマー8-1 ミャンマー8-2 ミャンマー8-3
チャンミー瞑想センター チャンミー瞑想センター
ミャンマー9-1 ミャンマー9-2 ミャンマー9-3 ミャンマー9-4 ミャンマー9-5 ミャンマー9-6
チャンミー瞑想センター パオ瞑想センターモービー支所 チャンミー瞑想センターモービー支所2
ミャンマー10-1 ミャンマー10-2 ミャンマー10-3 ミャンマー10-4 ミャンマー10-5 ミャンマー11-1 ミャンマー11-2 ミャンマー11-3
チャンミー瞑想センター サッダマランシ瞑想センター パンディタラマ瞑想センター チャンミー瞑想センター
マハーシ瞑想センター
チャンミー瞑想センター1
(ミャンマー6-2と同じ)
チャンミー瞑想センター2
(ミャンマー7-2と同じ)
チャンミー瞑想センター3
(ミャンマー8-2と同じ)
チャンミー瞑想センター4
(ミャンマー9-2と同じ)
チャンミー瞑想センター5
(ミャンマー10-2と同じ)
チャンミー瞑想センター6
(ミャンマー11-2と同じ)
パンディタラマ瞑想センター1 パンディタラマ瞑想センター2
(ミャンマー10-4と同じ)
チャンミー瞑想センター
モービー支所1
チャンミー瞑想センター
モービー支所2

(ミャンマー9-5と同じ)
サッダンマランシ瞑想センター
(ミャンマー10-3と同じ)
パオ瞑想センター
モービー支所

(ミャンマー9-4と同じ)
国際上座部仏教大学



ミャンマー 5-2
チャイティーヨー

ゴールデンロック

 12月26日早朝、ヤンゴンの友人宅を出発し、いよいよ今回の旅の主目的であるチャイティーヨーに向かうことになった。朝6時半出発。途中、バゴー経由でキンプンまで行き、そこから国営トラックバスに乗り換え、ヤテタウン経由で山頂のチャイティーヨーまで行く。車は時速80キロくらいでバシバシ飛ばすので、ヤンゴンからキンプンまで約4時間くらいで着いてしまった。案外近いと感じてしまう。そこからヤテタウンまでは約1時間。さらに山頂までは車では15分くらい。歩いても1時間程度。
 26日は山頂にて宿泊し、翌日は朝9時には下山した。キンプンからは途中、いろいろと買い物しながらも、時速80キロくらいで飛ばし、夕方5時すぎにはヤンゴンに到着した。

 チャイティーヨー初体験の感想はというと・・・、
まずは、あの岩、落ちないかと心配になってしまった。話には聞いていたが、本当に風でゆらゆらと揺れているのには驚いた。どうも下の岩とはわずか2点で接しているらしい。そのため揺れるという。また、本当はこの岩は仏力により、下の岩から約2mmほど宙に浮いているという話も聞いたが、それはさすがに違うと思う。違うだろうと友人のミャンマー人に話したら、ちょっと悲しそうな顔されてしまった。たしか以前にも、空中浮遊するお坊さんがいる話を聞き、やはりそれは違うだろうと答えたら、ミャンマー人に悲しそうな顔されてしまった。どうも、ミャンマーの人たちは、岩が宙に浮くことも、人が空中浮遊することも、真剣に信じているわけではないが、でもどこかで本当ではないかと期待する向きがあるように感じている。空中浮遊の話のときも、実際に見たという人がいると悲しそうな顔しながらも反論されてしまった。今回も宙に浮いていると言われたら、もしかしてそうかもしれないなと言っておけばよかったのかもしれない。
 
 それと、来るまでは、この岩、山の中で静寂に包まれてひっそりと佇んでいるのだと思っていたが、山頂はものすごい人出で、夜は皆、この岩の周囲で野宿するので、ほとんど不夜城状態。聖地でありながら、かつ完全に観光地化している。
 また、ここの周囲の山々を見ると、方々にパゴダが点在している。また、巨岩が露頭していて、やはりこのゴールデンロックは自然が作り出した偶然の産物だと思ってしまう。それにしてもよく落ちないよな。スマトラ地震はヤンゴンでも船に乗っているときのようなゆったりした揺れを感じたそうだが、ここはさらに震源地に近いのに、岩は落ちなかった。もう何千年もこの状態なのだろうと思うとやはり不思議だ。昔は本当に山頂にひっそりと佇んでいたと思うとなんか神秘的ではある。
 スマトラ沖地震はヤンゴンに戻って人の噂として聞いただけだった。ミャンマーではCNNなども衛星放送で受信できるので知っている人はいるし、噂は早いのでそれなりに知られていた感じ。私自身は帰国途中、バンコクで英字新聞を見てはじめて本当だと知った次第だ。


 
2004年12月26日
出発 チャイティーヨーに向け出発
朝6時半、いよいよ今回の旅の最大の目的、といっても目的はこれしかなかったのだが、であるチャイティーヨーに向け出発だ。もうワクワク状態。
私を入れて総勢6名(男4,女2)で出発。
はじめ、ロンジーで行こうと思っていたが、みんなGパンとか履いてるので、あわてて綿パンに履き替えた。これ、正解だった。
お守り お守り取り付け
ヤンゴン市街を出てしばらく行くと、街道沿いにナッ神の祠があり、そこでお賽銭をあげて、この花のお守りを買ってきた。それを車のフロントグリルに取り付けて出発。これで旅の安全は確保されたわけだ。
ティータイム 休憩タイム
途中のレストランで休憩。コーヒーやお茶を飲む。トイレタイムでもある。このお店には米と魚の発酵食品、なれずしみたいなものが売られていた。チャイティヨー行かなかったら絶対買ったのに、ちょっと残念。
ラペイェノズィネ ラペイェノズィネ(練乳入り紅茶)
2度目のトイレ休憩。ここで給油もする。ここからキンプンまでは30分弱。ここではラぺイェを注文。底に1cm近い厚さで練乳が沈んでいるので、これをスプーンでかき混ぜて飲む。かき混ぜ具合で甘さが調整できる。ちなみにお茶は飲み放題。ビルマ茶はウーロン茶みたいな感じで結構おいしい。
パパタ焼き パパタづくり
お茶を飲んでいる隣では、これを焼いていた。これもミャンマーではポピュラーな食べ物で、焼いたパパタに塩味の潰した豆を挟んで食べることが多い。
キンプン到着 キンプン到着
ヤンゴンからほぼ3時間50分で到着。途中で3回停車したわりには以外に早いと思った。バゴー市内や集落周辺では速度を落とすが、ほかはほぼ時速80キロで飛ばすとこの時間で着くということか。
自家用車やバスなどで行けるのはここまで。ここからは全員トラックバスに乗り換えてさらに上のヤテタウンを目指す。またはここから登山道を徒歩で歩いて行くこともできる。
それにしてもすごい人出だ。周辺は市場と土産物屋がずらっと並び、主に下山してきた参拝客相手に商売している。登山用の杖もここで買える。
もっとひっそりとしていると思っていたのでちょっとびっくり。
昼食おかず 昼食の食卓
10時半に到着し、車を駐車場に停めて、出発前にちょっと早い昼食となった。キンプンの駐車場脇に食堂街があって、そのうちの1軒。
主食はごはん。おかずはミャンマー式カレーにミャンマー納豆、ラペッというお茶の油漬け、トマトの和え物、タケノコの油和え物、野菜炒めなど。
カレーは野菜カレー、チキンカレー、薩摩揚げカレー。ほとんどというか、生野菜以外はすべて油べったり系。少ないおかずでご飯がたらふく食べられる。ミャンマーでミャンマー料理屋に行くとだいたいこんな油系が多い。家庭料理だと必ずしも全部油系ではないが、でもやはり油系多し。家庭料理はちょっと油っぽさが少なくなるくらいかも。
ミャンマー納豆 ミャンマー風納豆
ミャンマー納豆は、乾燥させて板状になったものは日本でも入手できるが、これは油づけのもの。糸は引かず、臭いも微かだが、たしかに納豆。少々塩気が強くて、日本の納豆のようにご飯にかけてかき込むような食べ方はできない。
土産物店街 キンプンの土産物街
道の両側が土産物屋になっている。登山用の竹杖や、同じく竹製の銃器(機関銃やピストル)が人気商品らしい。このほか、帽子、Tシャツ、ゴールデンロックの置物、壁掛け、笛など店内にところ狭しと陳列されている。
帰りにここでお土産を買った。
ここから、この道をまっすぐいけば徒歩でもチャイティーヨーにたどり着ける。4時間くらいらしい。
トラックバス出発 トラックバスでヤテタウンに向け出発
このバス、満員になるまで出発しない。12時すぎ、トラックバスに詰め込めるだけぎゅうぎゅうに詰め込まれていよいよヤテタウンに向け出発。ヤテタウンまでは途中30分程度の休憩を含めて約1時間半弱。一気に舗装された林道のような道を登っていく。途中、下りのトラックバスと何台もすれ違う。
交換所 途中の待避所
ここまでで約30分程度。林道のような急勾配をがんがん登ってくる。橋梁の手前に待避所がある。ここで約30分程度停車する。この橋から先は道幅が狭く、上下交互一方通行になる。ヤテタウンから下るトラックがここまで辿り着いてから、出発する。下ってくるトラックは数台。ヤテタウンで一度に下るトラック数を調整している。無線機か有線かはわからないが、ヤテタウンと交信しながら、通過車両を確認していた。ここには自動小銃を担いだ兵士もいる。
渓流 橋梁下の渓流
橋梁の下には渓流があった。この淵で地元の人たちが水浴びしていた。水は結構きれい。水温はさすがに温めだった。たぶんなにか魚もいるんだろうな。ここだけ見てると日本の山の中にいるのではないかと錯覚してしまう。
ヤテタウン到着 ヤテタウン到着
先ほどの待避所から20分くらいで到着。外国人はここからは徒歩で歩かされるらしいが、ミャンマー人に紛れてこのままチャイティーヨーの山頂までトラックバスで行く。
実はここからがさらに急坂になり、よくこんな急坂登っていくなと、ちょっと恐怖すら感じてしまう。かつてトラックが横転して事故がおきたらしい。できればここから歩いても1時間程度などで、歩いた方がいいかもしれない。歩く場合、荷物運びのポーターが居るので、荷物を運んで貰うと楽。
チャイティヨー到着 チャイティーヨー入口到着
ヤテタウンから約10〜15分くらい。途中の道路脇には食堂や茶店が何軒もあり、もし歩いてへたばっても、どこでも休んでゆっくり登ってこれる。
いざ、登れなくなったら、駕篭屋も待機している。
アーチ型の門から先は境内になるので、裸足で行く。ここからゴールデンロックまでは10分たらず。
ゴールデンロック ゴールデンロック
当たり前だけど、写真で見たのと同じだった。でもやっぱなにゆえか引きつけるものがある。これ落ちたらどうするのか、人ごとながら心配になってしまう。岩の上のパゴダもどうやって造ったのだろうか。足場だけでも大変だと思う。それに岩全体が金箔で覆われているということは、やはり岩全体に足場が組まれることもあるのだろう。一度、足場組んだところ見てみたい。
紙幣 お札を挟んだ竹ひご
お札はいわばお布施である。竹ひごをこうして上下の岩の間に挟み込んで、目を凝らして観察していると、竹ひごが小さく歪んで伸びたり縮んだりしているのがわかる。つまり、上部の岩は確かに揺れているのだ。本当にこんなんでよくこの岩落ちないものである。このあたりも地震はあるだろうし、それでも落ちずにいるのか。恐るべし。
山並み ゴールデンロックのさらに奥の山並み
ゴールデンロックの周囲は深い山並みに囲まれている。かつてはここも反政府ゲリラが出没し、乾期以外の参拝は不可能だったと聞いた。周囲の山中にも小さなパゴダや祠が点在している。写真の山並みの尾根筋には歩道があるのがわかる。この奥にはどうも集落があるらしい。さらに奥まで歩いて行ってきた。この山中にはやはり小集落があり、その先には下の写真のとおりゴールデンロックのミニ版があった。そのさらに奥から地元民がたぶん自宅で製作したらしい土産物を持って下ってきた。もっと時間があったらさらに先まで行きたくなる場所だ。どんどんと山並に吸い込まれていく。
チャイティヨージュニア ミニゴールデンロック
これがそのゴールデンロックミニ版だ。ちゃんと上にパゴダが乗っている。1000チャットお布施すると、パゴダのはしごを登って、自分で小さな鐘を吊すことができる。岩には金箔も張れる。ゴールデンロックからはそんなに遠いわけでもないのに、参拝客は激減する。この周辺にはこのほかナッ神の祠があったりする。ゴールデンロックから下では姿を消した怪しげな生薬売りもいた。この奥はぜひもう一度来てみたい。
そういえば、このあたりはこういう巨岩が至る所に露出していて、岩の回りはより柔らかい軟岩(とがった金属片で簡単に掘りとれる程度)で出来ている。よって、軟岩は浸食され、岩だけが残った地形だとわかる。
テレビ 夕飯
この日は山頂のゲストハウスに泊まる。夕方、近くの食堂で夕飯とする。ちょうどこの日はミャンマーのアカデミー賞授賞式の日で、授賞式がテレビで生中継されていた。みんなテレビに釘付け状態。
夕飯は例によってミャンマー式カレーなど油系。
ゴールデンロックのライトアップ ゴールデンロックのライトアップ
ここは、山中の静かな聖地かと思いきや、さにあらず。夜の境内は、野宿する参拝客で大賑わい。最低気温はたぶん10℃前後だと思う。毛布を重ねるか寝袋で十分。水浴びやトイレも整っていて、一泊くらいなら野宿でも十分な気がする。裏手の土産物街も遅くまで賑わっているし、日の出前には開店している。ほとんど不夜城状態。
ゴールデンロックのライトアップもきれいだし。遠くの山並みにもぽつりぽつりと明かりが見える。こんな山中にも人々の暮らしがあると知る。無性に訪れてみたくなる。
2004年12月27日
参拝客 朝のゴールデンロック
今日は27日。時刻は6時28分。もう参拝客でごった返している。ちなみにゴールデンロックへ渡る橋は夜10時ころ閉鎖される。よって夜中は岩に近づけない。写真右下は女性が近づける最も近い場所。ここで参拝する。
それにしても岩の周囲は本来は簡単には近づける場所ではない。今でこそ下には通路があるが、本来は急斜面。ゴールデンロックにも右上の橋が無ければ容易に近づけない。昔はいったいどういう感じだったのだろうか。まさに人を近づけることもない、神秘の岩だったのだろうか。最初は金箔もパゴダもなかったろうから、まさに巨岩がぽつんと乗っかっているだけ。はじめて見た人はさぞ驚いたんだろうな。
地図 地球儀
境内には築山があり、ここもゴールデンロック同様に女人禁制。その築山になぜか巨大な地球儀がある。その日本の地名を見ると・・・。宮城県沖のBANZINEってどこ?北海道のHORIKINDOはぜひ行ってみたい。
そういえばフィリピン付近も怪しそうだったな。
登山道 下山開始
8時40分頃、名残惜しかったが下山を始めた。帰りは歩いてヤテタウンまで行く。所要時間30分くらいか。荷物は重いのでポーターに担いで行ってもらう。この日も朝からひっきりなしにトラックバスが行き交う。山頂や途中のおみやげ物屋でいろいろと買い込んだ。生薬屋でマッサージオイル、タナカ。途中の胡椒屋で乾燥粒胡椒。ここは胡椒の産地でもある。
駕篭屋 駕篭屋
乗客が軽いと何となく楽そうだが、肥満体型だと結構大変そう。思いのほか利用者は多い感じ。一度乗って見たい気もするが。乳幼児であれば、ポーターの竹駕篭に入れて登ることもできる。
朝食 遅い朝食
下山途中の茶店で朝食。モヒンガーとひょうたんの天ぷらなど。ひょうたんの天ぷらは都内のミャンマー料理屋でも注文できる。あっさりしていておいしい。
ここで30分くらいなごむ。前の道路はあいかわらずトラックバスが行き交う。
バナナ皮むき バナナの木の皮むき
この茶店でバナナの木の皮むきをしていた女の子。バナナの皮はモヒンガーの具として使われる。
生薬売り 参道の生薬売り
いろんな生薬を油に溶かしだして、オイルマッサージ用のオイルを作って売っている。小さな小瓶に小分けして売る。ほんとうはこれを買ってきたのだが、成田で飛行機の中に置き忘れてしまった。実は成田での機内置き忘れはよくやるんです。
このオイル、臭いはメンソレータムやタイガーバームの香り。たぶん成分的にもほぼ同じかも。タイガーバームのルーツかと思う。
ヤテタウン到着 ヤテタウン到着
ここからまたトラックバスに乗り込み、約1時間でキンプンに到着。キンプンでは、土産物買い込んだり、昼食とったりして午後1時ころまでのんびりしていた。
道路 ひたすらヤンゴンを目指す
キンプンを出発し、再び平均時速80キロでヤンゴンを目指す。キンプン周辺はゴム園が多い。そのゴム園を抜けヤンゴンが近づくと田園地帯に変わる。昔から山の見えない平原を走ると清々してなぜか懐かしさを感じてしまう。やはり、前世は東南アジアの平原地帯にいたんじゃないかと思う。
スイカ売り スイカ売り
ヤンゴンへの道中、木炭屋で木炭を買い、そのほか魚の干物屋に寄って、最後にこのスイカ屋に寄る。ここでセイザッウも買う。
夕飯 夕飯
ヤンゴンには夕方5時頃到着。長いようで短い二日間だった。チャイティーヨーも一度行けばもう良いかと思ったりするのだが、こうして帰って見ると、またいつかあの山奥に行ってみないといけないと思ってしまう。
帰ってすぐに水浴び。体中埃だらけになっていた。
夕飯はご飯にチキンカレー、野菜炒め、焼きそば。
置物 チャイティーヨー置物
これがキンプンで買ってきた置物。高さ約20cm程度のプラスチックとガラス製。ゴールデンロックはガラスケースに入っている。背面は鏡。
このほか、小さなゴールデンロックの飾り物も買ってきて、家族の人たちへのお土産とした。

28日からのミャンマー旅行後半は5−3に続く。

上に戻る


来訪者数